はてなキーワード: リスペクトとは
※このエントリは私の大好きな「スポーツ見るもの語る者~フモフモコラム」のパクrもといリスペクトです。
http://blog.livedoor.jp/vitaminw/
心を整えたい!
女子サッカーワールドカップの準々決勝、日本対ドイツの試合開始前およびハーフタイム中のインタビューで「あの男」が繰り返
「あの男」そう、サッカー日本代表の主将、長谷部誠選手です。なでしこJAPANが歴史を創った陰で彼が暗躍していたことはもっと
知られても良いでしょう。
今回はそんなサムライブルーキャプテン長谷部選手の動きについてチェックしていきましょう。
長谷部選手と言えば日本代表の中では主将として、真面目に誠実にメンバーとコミュニケーションをとり曲者揃いのチームをまと
め上げている名キャプテンで、
若手選手は真面目な発言をした人に「長谷部か!」というツッコミをするほど、チームメイトからの尊敬を集めています。
そして先日発売した著書「心を整える。」はベストセラーとなっています。
世の中の女性に対しても、そのイケメンではないがさわやかなルックス、日本代表キャプテンというステータス、海外で活躍する
ことによる高い給料と、モテモテ要素を全て備えており、その圧倒的アピール力に寄ってくる女性は後を絶ちません。
そんな状況で浮かれ立たない男などいるはずもなく、長谷部選手も日本との遠距離恋愛でなかなか会えない某本田アナと別れ女遊
びモードに入ります。しかもフリーであることを天下に示すために、シーズン終了後の帰国時に「The End Of LOVE」と書かれたT
シャツで全世界の女性にウェルカムを表明した事は記憶にも新しいですね。
そんな誰でも来い状態の長谷部選手、日本では散々テレビに出まくって、女子アナ、アイドル、グラドルとメール交換しまくった
の良いものの、オフが終わりドイツに帰国。ヴォルフスブルクという北部のド田舎町では全然女遊びができません。が、そこに朗
報が!ドイツで開催されている女子ワールドカップの試合がヴォルフスブルクで組まれたのです。
しかも見事に勝ち進んだ「なでしこJAPAN」がやってきたのです。勝手知ったるホームタウンに大量の女子。長谷部選手は自らのプ
レースタイルのように労を惜しまず縦横無尽に動き始めたのです。
…言いたい事はわかります。なでしこJAPANなんて不器量の集まりではないかと。モテモテ長谷部選手のお口に合うのかと。確かに
サッカーに青春を捧げた彼女たちは、ヘディング練習のしすぎで顔が潰れてしまった澤選手を筆頭にお世辞にも美人揃いとは言え
ません。しかし、何人かは見られる顔の選手がいらっしゃるのです。個人的には鮫島選手、超タイプです。
・安藤 梢
http://matome.naver.jp/odai/2125351445532140015
http://matome.naver.jp/odai/2126559444013016401
・鮫島 彩
http://matome.naver.jp/odai/2126524399704137901
もちろん、極上のルックスとはいえませんが、彼女たちはサッカー選手として純粋に長谷部選手を尊敬しています。ウェルカム状
態の長谷部さんにとってはまさにお手軽なのではないでしょうか。
しかし問題はどうやって彼女たちに近づくか。ワールドカップ中の選手へは安易に近づけませんし、通常は関係者以外は男子禁制
です。しかし、ピンポイントの早いパスでディフェンスラインの穴を通すのも長谷部選手の得意プレー。それは、NHKBS1で日本全
国民に明かされました。試合直前にピッチサイドでインタビューを受ける長谷部選手。
「大アウェーだけど頑張ってほしい」
「昨晩、宿舎におじゃましたのですが雰囲気が良かった」
え?普通に宿舎におじゃましちゃったの?さすが長谷部選手。日本代表主将という肩書をフルに発揮して、試合前日の夜という、
極めてセンシティブな時間に宿舎に突入していました。宿舎ですから当然シャワーもベッドもあります。連戦のストレスと男子不
足で飢えた女子選手とウェルカム長谷部。どうなるかは火を見るより明らかですね。
こんなこと私の下種な妄想であって欲しい。そう思いスポニチを見ると、下記の報道が。
『試合前夜に宿舎を訪れた男子主将に、同じく浦和からドイツに渡ったFW安藤梢(29)=デュイスブルク=らが奮起。』
http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/sports/ssp20110711008.html
『丸山は長谷部の著書「心を整える」に引っかけて「お会いできて、すごく心が整いました!」と感謝した。』
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/07/11/kiji/K20110711001185890.html
見事に「見られる顔の選手」に手を出しとるやないかい!さすがの戦術眼です長谷部選手。
試合前日に手を出された方はというと、前半積極的なチェイシングで守備を助けた安藤選手を後半に丸山選手に交代。監督は、期せずして姉妹となってしまった2人が同時にピッチに立たないようにする気遣いで、2人の奮起を促します。丸山選手の感動的な決勝点はこうして生まれたのですね。ありがとう長谷部選手!
しかし、一晩に2人お相手とはさすが無尽蔵のスタミナを持つ長谷部選手ですね。いやいや彼のスタミナを持ってすればさらに…
…はっ、我らが鮫島選手にも手を出したのでは!?そう思って試合中継のビデオを見直すと、長谷部選手のおでこに大きな絆創膏が。
そう、完全に返り討ちにあっているではありませんか。良かった、鮫島選手のの貞操は守られたんだ!
今回の経緯を見るに、現役の日本代表選手が女子宿舎を訪れるのは、なでしこJAPANにとってプラスの様です。準決勝はフランクフルトで開催されます。クラブチームにはかつて高原選手や稲本選手が所属していました。現在は日本人選手の所属はありませんが、槙野選手のケルンからならアウトバーンをひとっ走りです。
※まともな観戦記を読みたい方は本家 フモフモコラムをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/2011-07.html#20110710
「こんな論法はどんな身分や集団に例えたって通らない」と言うなら、
「罪が明らかになっていないだけかもしれないからクラスタが正しいとは言えない」
という論法の方がよっぽど通らないよ。
アホか。
「罪が明らかになっていないだけかもしれないからクラスタが正しいとは言えない」
は論理的に完全に真だ。
そして話の焦点はそこではない。
まともな集団と言うものは
・誰が構成員かは事前に明確にしている
わかるな?
「同和だ」って言うのははっきり言って身分でパワーだ。
よく言えば相手にリスペクトと慎重さを要求する。
身も蓋もなく言えば相手を威圧する。
誰が「真」で誰が「エセ」なのかさっぱり明らかでなく
悪いことしてばれて逃げられなくなった奴が出たら「こいつはエセなので同和関係ありませーん」で切り離す。
それで「真」はまっとうな人間ですなんて言って、誰が取り合うかw
アホのために弁護士会でたとえてみようか。
弁護士会が、誰が弁護士なのかさっぱり明らかにせず、構成員が好き勝手やってて野放し、
たまに決定的にチョンボした奴を「ああこいつエセ弁護士ですから」で切り離すだけ、
そんで「引き続き弁護士に高い信頼と権限をヨロシク!」って言ってるようなもんだ。
そんな弁護士会だったら早晩誰も弁護士なんか相手にしなくなる。
その人の経歴、活動、人格を見れば、本物かどうかある程度の判断はできる。
ある程度はね。
勘で判断しろ!(キリッ)
って、自分が話にならないバカなこと言ってるのに気づけ、な。
更におかしいのは、なんで対応する側の人間が判断の負担を負わなきゃいけないんだってこと。
何か具体的な活動をしていて、人格的に問題なさそうで、
そして「罪が明るみに出て」いなければ、
本物認定でいいと思うよ。
話にならないw
長年いろんな物をしゃぶられて、我慢できなくなって訴えでて
相手の犯罪を確定させたら
話になんねえ、
今年も怪談の季節がやってきた
某所でこの呼称を見て感銘を受けたので
非常に端的に特徴を表現していると思う
俺はそれまでは「僕の考えた最強の恐い話」とか呼んでたんだけどこっちのほうがいい
ネットで怖い話集めようぜとか言うと必ず出てくるひとつのステレオタイプな話の類型
匿名型なため作者は不明だが同一の作者を疑わせるほど起承転結がほぼ同じ
例えば八尺様・姦姦蛇螺・邪視・コトリバコ・ヤマノケ・リョウメンスクナなど
特徴的な部分としては
・ある日悪霊、妖怪、祟神と出会い死ぬかもしくは発狂するような強力で確実な呪いを受ける
・そのような非常に危険な存在であるのに筆者及びその仲間は地元でも誰もその存在を知らない
・カタカナや意味不明な漢字の名前を持つこの話以外ではほぼ聞いたことがない名称の存在
・その呪いを避けるために聞いたこともないような特徴的で手順の多い儀式を要求される
・その呪ってくる存在の来歴を事細かに説明してくれる存在が出てくる
・設定としては初めて聞かされた話のはずだが細かい部分までよく覚えている
・全体的に呪う存在の由来やそれを払う儀式の説明が事細かで非常に冗長
民俗学的には派生として各地に似たような話があるのは当然だと言う人がいるかもしれないが
個人的には怪談はつくり話でも怖がって楽しめれば一向にかまわないと思っているが
怖がらせようというよりも自分の設定を聞いてほしいというような自己顕示欲を感じるためこの手の話が嫌いだ
まぁ稲川淳二が嫌いでしょうがないという人もいるので好き好きなのかもしれないが
こういう話を書く人読んで面白いと思う人間はどういう人間なのだろう
例えるならリングを自分の体験した話として語られるような違和感がある
そう考えると俺が面白かったというだけの話。長い。呪文唱えとく。ティロ・フィナーレ!
破でシンジが「世界がどうなったっていい!」(だっけ?)と叫んだとき自分は「ポストエヴァがやっと終わった。」と思った。
だからまどかマギカを見ながら、このアニメが終わったときに、いったい何が出てくるんだろ?と思っていた。
でも違ったようだ。まどかマギカはポストエヴァの総決算みたいなアニメだった。
ここで俺の見たアニメを二つに分ける。さすがにこれで全部じゃないが、すごく少ない。
【なんとなく出来た/お題を出した】
【理詰めで作った/お題に答えた】
エヴァはよく分からん。あれはどうも「作っている最中になんか出てきたwよく分からんけど、とりあえず入れとけ。」
みたいな感じで作ったように見える。
でもそれに対して、「あれはこういう意味なんじゃないの?」と答えるようなアニメが沢山作られた。
それがポストエヴァと呼ばれるものだと思う。とりあえずそういうことにしといて。
一方、トップ2!とハウルは分かり易い(と思う)。尺が短いってのもあるだろうが、やりたいことが決まっていて、
(ちなみにポニョは分からん。ちょっと不愉快に感じる分からなさだ。)
で、自分はこの2つをエヴァが出した問いに答えたアニメだと思っている。
この2作には「世界を救わない救世主」が出てくる。最終的には救ったりもするけれど。
まあそうなのよ。別に救わなくていいのよ。
この答えは当初はともかく、今ではかなり受け入れられたんじゃなかろうか?破でシンジもああ叫んじゃったことだし。
(まどかも世界を救った訳じゃない。ストパン2のラストは、今時こんなの流行んねーよって思った。)
でもねえ、あいつら全員すごい力をもってる訳よ。お前らそれでいいだろうけど、俺はどーすればいいのよ、
ってな感じで、まああまり使えない。
横にそれるが、当然トップ2!はエヴァよりも「トップをねらえ!」を意識している。
ところでトップ2!って不人気なのかね?まどかマギカのラストはトップ2!のパク…リスペクトだと思うんだが。
もっとも、俺が知らんだけで、まどかマギカがリスペクトしているアニメ・漫画は他に沢山あるだろう。
ハウルはあれだ、こんなの爺さんに作らしてちゃだめだろって思ったんだが、どうなのかね?
で、まどかマギカだ。
まどかマギカは次のようなお題を立てた。
その答えは、
たったこれだけのことに、なんとも手の込んだことをしたもんだ。でも単純であることと、それが伝わるかどうかは別なわけで。
物語のほとんどの時間を、まどかは泣いたり悩んだり何も出来ずにおろおろしている。
最終的にまどかは神的存在になって魔法少女達を救うけれど、彼女達を救ったのは彼女の力ではなく願いだ。
(別の終わりもありえたけれど、あの願いだからこそあの終わりかたになったわけで。)
そう信じることくらいなら、自分にもできるだろう。
改変後の世界の魔獣は白くて皆同じ姿をしている。あいつら多分感情を持っていない。
それに対してほむらの翼は黒く濁っている。
自分の中で悔しいというか、本当に人生で忘れられない一日になった。
ただ無力。自分の無力さを恨んだ。
自分の無力さは当然知ってる。
それなりの幸せも感じたこともあった。
自分がどこまでできる役者なのか、力量はわかってるつもりだ。
今回は、自分の無力さを改めて感じた。
見方を変えてみる。
自分の与えられた役は、主人公の人生の転機にアドバイスする友達Aといった所か。
全くもって、仕事にならなかった。
エキストラにもなれなかった。
メールや電話でのアプローチをしたり、時には嘘をついてみたり。
下準備をしてから、この仕事に挑めたら、結果は変わったんじゃないかと思う。
本当に悔しい。
1人で部屋で焼酎を飲んでいる。
20代半ばにして、こんなの初めてだ。
彼の勢いはすごかった。
今年に入ってから、そんな印象を受けていた。
あっという間に会社を辞めた。
そういえば昔からそんな事を言ってた。
1年くらい前に飲んでる時に、「カフェの経営がしたい」みたいな話をしていた。
ただ、話していても、経営のビジョンとか、戦略はまったくないし、
カフェである理由は無かったし、カンブリア宮殿に出演するような経営者にありがちな
「情熱」や「熱量」が全くなかった。
彼が心配だったのと興味本意で。
彼の友達に会おうとおもった。
ちょうど飲み会に誘われた。
ルームシェアしている人の家で飲むという。
そこに1人異彩を放つ30代女性がいた。
彼はその場では言わなかったが、後に彼女の事を「師匠」と呼んだ。
その時は何にも知らなかったので、ただ適当にやり過ごしていたのだが
突然ゲームが始まる。
調べてみると、ほとんど同じ手口みたいだ。
そのゲームがネットワークビジネスの魅力を体験できる、いわば入り口となっている。
気になった点が3点。
一斉に、みんな示し合わせたように、机を片付け、ゲームに興じる。
複雑なルールを知っているメンバーが、知らないメンバーの横にいて、教えていく。
「師匠」が崇拝されすぎ。そして正体不明すぎる。
なんで「師匠」が自分にとって何もメリットを与えなそうなガキ共を集めて
あまりにも違和感があったので、純粋な疑問を「師匠」にぶつけてみる。
「なんであなたはこんなゲーム大会をしていて、こんなに若者が集まってるんですか?」
「お金儲けをしたいなら、僕だったら同じパイが減るんで、良い情報を教えて、ライバルを増やしたくないですけど」
「師匠」はこういった。
「えっ?何でそんな事聞くの?みんなに楽しんでもらいたいからだよ。あなた何か辛い事でもあったの??」
とんでもない。こっちが悪者かよ。
帰って、インターネットの書き込みと照らし合わせた。
彼にメールを打った。
「もしかしたらキミは騙されているかもしれない。ちょっとだけ時間をもらえないだろうか。」
彼と2人で会った。
彼に会う前に、マルチ商法(ネットワークビジネスと言うらしいが)についてネットでそれなりに調べたので、たくさん質問した。
「ああいえばこういう」という会話はこういうものなんだろうと初めて知った。
だけど、似たような出会いが、mixiを使って全国的に多発している。
1回目は集団で行うゲームに参加、
3回目はセミナーへ参加(関西で強行スケジュールで開催。ネットワークビジネスの素晴らしさを徹底的に叩き込む。)
この流れは天文学的では無い。
日本全国に起きているんだ。
作られた流れなんだよ。
何人も似たようなケースに巻き込まれて、書き込みが出回っているんだ。
彼は「インターネットに溢れているのは継ぎはぎしたデタラメな情報。負けたやつが書いているだけ」と言った。
それはそうかもしれない。
だけど、初めてその情報を見せたのに、全く受け入れなかった。
少しも、疑いの目を持たなかった。
昔のキミだったら、そんなことあったか?
それは、インターネットの情報は負け犬が嫌がらせで書いているだけだ、信用するなと
もっとたくさん、話をしたけども、あまり思い出せない。
自分のセリフは、「何かを盲目的に信じ込んでしまっている状態」の彼には、あまりに響かなすぎた。
「師匠」のやり口やビジネスモデルを全てわかった上で、取り組むなら、これはもう止められない。
実は、そのレベルを期待していた。
「師匠」と同じステージにいてくれれば、それの方がまだ良かった。
彼は、まだ「利用されている」人間にしか、本当に末端にいる存在にしか見えなかった。
もしかしたら、夜通しネットでネットワークビジネスについて調べた自分の方が、
情報をもっているのかもしれない、とすら思った。
ふと気づいた。
ただ、自分のやっていることって、こっち側の世界へ留まれっていう勧誘なんだ。
よかれと思って、人は宗教やマルチ商法に、周りの人へ紹介して巻き込んでいくのだろう。
悩んだ末、あまり彼について考えるのを辞めようと思った。
だが、どうだろう。
間違いなく、あらゆる手段を使っても、解決する道を探るだろう。
これから先、自分が「他人」に与えられる何かは何なのだろうか?
自分はまた、こんなケースがあった時に、「他人の人生だからさ」と少し大人ぶった、そんな態度をとってしまうのだろうか。
せっかくのGWもこんな気分では何も楽しくない。
彼へのメールを考えていた。
1つだけ、お願いがある。
キミは、たくさんの人を、ビジネスに巻き込んでいくのだろう。
個人や企業や、もしかしたらコネがなくなって、昔の友達にも声をかけるかもしれない。
そして、何かしらの商品を売るのか、仲間を増やすかをするのだと思う。
その相手の人生に、キミが入り込むんだ。
他人の人生もあるってことだ。
巻き込んだ人の、この先の人生を、真摯に受け止める責任を持って欲しい。
もしかしたら、キミの勧誘により、その人が失敗したり、嫌な思いをするかもしれない。
「あなたの自己責任だ。あなたの努力が足りないから上手くいかないんだ。」
キミがセミナーで習った、基本的な考え方のスタンスは、こういったものだと思う。
だけど、キミがその人を巻き込んだという自己責任の事を、忘れないで欲しい。
これから出会う人に、ちゃんと、良い面も悪い面も、伝えてあげて欲しい。
それじゃ、うまく売れないなら、仲間を増やせないなら。
嫌な思いをさせないような、完璧なフォローをしてあげて欲しい。
どうか、優しい心を忘れないで。
見えなくさせてしまう要素が、このビジネスにはあると思うんだ。
書いていて思うんだけど、本当にお節介極まりないと思う。
自分はもうキミとはかかわらないよ。
応援したいんだけど、価値観が全くもって違う自分は、キミの足かせになってしまいそうだから。
お互い頑張ろう。
また笑って話せる日がくると良いな。
その人生を背負うことの出来ない弱さでもあり、
その人生を自由にさせてあげたいという優しさでもある。
寛容さを持っている人間でありたいという、ただの自分のエゴでもある。
自分の人生だったら主役張ってるけど、他人の人生だったら本当にちっぽけな存在なんだ。
原文: http://sites.google.com/site/ytpartnercommunications/Announcements/youtubelive
パートナーのみなさん。
すでに最近のブログのポストをお読みになられたかもしれませんが、本日私たちは自前で運営するライブストリーミングのプラットフォームのベータバージョンを、アカウントの状態が良好(著作権に違反していない)なパートナーに段階的に公開を始めました。このベータ版を使えばパートナーの方はご自身のチャンネルから好きなときにいつでも生配信をはじめたり、あるいは事前にスケジューリングすることで購読者に放送の開始をお知らせすることができます。生配信視聴の素晴らしい体験を保証するために、この機能の提供は少しづつ進めていくつもりです。もしあなたのアカウントが生配信が可能になったならば、あなたがログインしチャンネルページをみたときに、その旨が表示されます。
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皆様の熱意と忍耐とご理解予め感謝を述べさせていただきます。もしあなたが有効化されたパートナーで何かこの製品に質問がございましたら、どうぞ、ヘルプセンターかライブストリーミングフォーラムを訪れてください。
ぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃ
原発止まってまじちょっと大変っすよねー。原発って大丈夫なんですかー?
だいじょーぶだろぉー。問題か?問題ないだろー
やっぱそうっすよねー。俺東電のことマジリスペクトしてるっす、とうでーん!とうでーん!
(スッ)
ぽぽぽぽーん!かっけー!原発で暮らしたいなんてかっこよすぎるっすよー!
「潰れそう」
地元で一番強そうな東電、東電ならマジで日本の経済とか潰せるんじゃないかな。
しかたねぇなー。
やっべーんだけどマジでこれやっべー。べーわまじべーわ。
逃げてくりゃよかった。っべぇなあ、逃げてるとここいつにばれたら東電の威厳がやっべーよなー。
くっそ気づいてねえ内にさっと自衛隊に任せるかー。
いや、やっべぇなあ。変な動きをして気がつかれたらそれこそやべえ。失望されるにきまってるー。
慰謝料も催促されるに決まってる。うわ~どんどん上がってくる~。
こんなんじゃ原発で暮らせねえよ。安全な西日本で暮らすはめになっちまうよー。
っべー!こんなんそのうちばれる、なんとかしねえと。
あれしかねえ。あれなら国民にも気づかれづに温度を下げられる。
あ!だめだわ。電気止まったわ。もうこうなったらどうしょうもねぇわ。冷却装置で取り戻せるもんじゃねぇわ。
壊れたわ。海に置いていく形になったわ。
通りすがりに壁を破壊してく人だわ。通りすがりに壁を破壊してく人にかかればこの通りだわ。
(俺を誰だと思ってるんだー)
っべー、こうなったらこいつが気づかないことを願うしかねえ。
ばれたら終わりだ。
頼む!ばれないでくれ、頼む!頼む国民、気がつかないでくれ、頼むぞ!
ばれた!?
……
えーマジっすか!マジありえねぇんすけど、原発放っとくとかまじありえねぇんすけどーーーーー
ふっ、でも国が保証してくれるしこいつらちょろいわ
うまくまとまらないので、箇条書きにする。思考メモみたいなもんなので、結局何が言いたいのになってるかもしれない。
価値付け→目新しさ、ためになる、需要のある事実、歴史的に重要な事実、リスペクトしてる発信者からの情報、etc、色々な価値があるけど、まとめて「情報の重さ」ということにする。
時事問題や災害等、事実自体が重いケースは除き、情報の一次発信者によってある程度重さの初期値が左右される。
既存メディアでは、大手マスコミなど、情報を加工し提供している所で重さが操作される。
ネットでは、情報の受け取り手がバズによって重さを加算していく。
http://anond.hatelabo.jp/20110307103006 自分の書いたものから一部
TL に出てきたものを RT するとき→自分がフォローしている人が回してきた情報→フォローしてるってことは信用や友好や情報価値などがあるということ→情報の価値や精査の連鎖がある
工作アカウントが RT する→こういうアカウントはスパムっぽかったりするのであまりフォローされない(単純につまらん)→フォローするのはフォロワー数が欲しいだけの人や自動フォロー→そういう人のツイートはまたつまらないのであまり有意義なツイートをする人にフォローされて無い→情報価値が上がらない連鎖
てな感じで、Twitter の場合、ツイートが RT されて自分の TL に来るまでに「信用の連鎖」や「情報の精査」がある。だれが RT したか調べなくても TL という経路を伝わってくる以上、それがあるわけ。
ところが、はてぶのような仕組みにはそれがない。数字にしか意味が無いのがまずい。クソみたいな工作員の3ブクマでも、3ブクマなわけよ。これが Twitter なら全然フォロワーいない奴の 3RT には意味ないじゃん。そうはならないのがはてぶ。
情報を重くする。情報にメタデータをつける。情報に信用度をつける。または下げる。色々が処理がされて、再発信される。受け取り手は発信者でもある。発信者と受信者の区別がなくなっていく。ゆるやかな情報の共有。
同時性が必要。
情報を重くするには人の判断が必要→判断をするにはリテラシーだけでなく感情もかかわる。同じ瞬間に共有していることで一気に意思や感情がかかわりやすくなる。
リアルタイムで中東からの声を聞いた人達が、国内の発信者と同じ距離感でそれを捉えて、革命自体を身近に感じたように。
さらに同時性がどれだけ高いかということ自体が情報に重みを加算する。
シーケンシャルなメディアって他に言い方わからないので俺俺用語。
シーケンシャルでないメディア。検索エンジンや過去のログや Wikipedia や書籍等。いつでもどれでもどこからでも見れるメディア。これらは人の好奇心や知識欲がある限り、ずっと生き残るだろう。
例えば、アニメは初放送の時はシーケンシャルなメディアで、放送後に発売された DVD はシーケンシャルじゃないメディア。
最大のシーケンシャルなメディアは現実世界。現実世界は万人と共有している。
現実世界の時間軸とリンクした仮想世界も同等の同時性がある、MMORPG など。
ニコニコ動画は、動画の中にコメントの時間軸を入れる事で、仮想的に同時性を演出している。ニコニコ動画のどの動画をいつ見ているかというのは、現実世界の時間軸での同時性だし、これにも大きな価値があるが。(世界の新着動画や生放送など)
今サッカーの放送を見ている、今人気アニメの第何話を見ているという同時性。それと相互に依存する情報の重み付けと共有。
今の日本のテレビの一番のネックはこの情報の重み付けと共有が外部に依存していること。
ネットでは境目がない。内包されている。
テレビでは、分離されている。テレビで発せられた情報がネットで重みを加算されることも多い。
(俺俺メモ。そー考えると、昔ながらのライブやイベントというのは、テレビよりむしろネットにずっと性質が近い気がする。いや、もっと昔ながらの口コミや言い伝えにはネットと同じように情報を重くする仕組みが受け取り手自身にあった。テレビというメディアが逆に異質なんじゃないか?)
情報の重み付けと共有は、同時性によって加速されるから、同時性のないシーケンシャルなメディアは段々価値がなくなっていくか、ウケが悪くなっていくだろう。
海外メディアでは新聞局や通信社やテレビ局がネットの利点を生かした発信をしている。ライブブログなど、ほぼリアルタイムで更新される情報群。テレビ側では、ネットのゆるやかな共有、重み付け、同時性を放送の中に取り込む動き。
http://wiredvision.jp/news/201103/2011030719.html wiredvision アルジャジーラの「ソーシャル・ネットTV」
この差を解決できないメディアはただのインフラになっていくと考えている。(百年スケールだろうが)
まともな考えなら、それもメディアに取り込もうとするから、アルジャジーラのような取り組みはとめられないだろう。(日本国内はしらん)
この差を解決できないメディアはただのインフラになっていくと上で書いたけど、そのインフラこそがテレビの強さ。同時性、共有、これが巨大になっていくと今のネットワークでは帯域幅が足りない。テレビにはそういう問題がない。
そう考えると、ネットがインフラとしてテレビを利用するようなものが今後増えてくる。アルジャジーラの取り組みはまさしくそれ。
ネットの情報は信用できない、だからネットはと言われるが、情報に重みをつけるのは俺ら自身だ。そのために出来る事は、リテラシーを育てること。
http://anond.hatelabo.jp/20110307054102 俺の書いたもので申し訳ないけど、伝えたいことは大体書いてある。
http://anond.hatelabo.jp/20110303182614
まあいろいろ思うことを書きなぐる第二弾です。便乗マーケですね。えがみひろゆきが得意の。
個人的に思うことしか書いてないので、興味ないなら読まなくていいですよ。
敬意というのは内発的、誘発的なもので、自発的なものではないですよね。
たとえば、ホリエモンに敬意を持っている人ってのはやっぱり取り巻き見ればいるんだけど、だけど実際前科者ってだけでリスペクトはないわーって人もいる。どっちが多いかは知らない。
ひろゆきもそう。裁判所の申告踏み倒す奴だぞー!って言っても、リスペクトする人はするんだよね。
禿(孫正義)もそう。Xevra先生がどれだけ禿を嫌っても、リスペクトする人はする。というわけでリスペクトってのは各人に於いて差があるのが普通なわけだ。
少し僕の話をしたい。
僕は「誠意」と「敬意」は使い分けている。僕なりの「誠意」というのは、自分の仕事上に対する責任だ。言ってしまえば、プライド。仁義っていうとあれだけど、他のすべてを曲げてもこれだけは貫く、というものは、勤め人でも自己意識低い人でも何かはあるはず。僕はこれを「誠意」としている。だから、相手が差別的な目線で何かを語っても僕はそれをそのまま文字に起こす。仕事上の僕は徹底的に自意識を殺し、空気化するように努め、それをただ淡々と文字にすることを心がける。それが僕の誠意。
だから、前から繰り返し書くけど、罵倒芸にも満たないただのクソガキなグラスィーズキングが、彼なりの信念を持ってそういう活動をしているというなら、僕は彼のやり方を支持しよう。(残念ながら、今までの彼、これからの彼にはそれが見えそうもないが。)
で、次に「敬意」の話だ。僕は仕事上自意識を殺すと書いたように、僕は仕事上「敬意」は払わない。だから、敬意が見られないから依頼は断ると言われれば、(それは当然のことなのだが)、では叉の機会に、ということになる。
ただし、相手と対面するという性格上、円滑に事が運ぶよう取り計らうということは欠かさない。少なくとも相手をバカにすることはしないし、仮にバカにしたいことがあったとしても、その場では絶対に言わない。もしかしたらそれが「敬意」だとか言う人がいるかもしれないが、先にも書いたように「敬意」と「誠意」は僕は使い分けるし、僕はそれを「敬意」だとも思わないし、敬意自体に個の差があるのだからそれを敬意だと主張すること自体もナンセンスだと思うし、僕がこうして敬意とはなんだリスペクトが何だとつらつら書き並べること自体も愚かしいことだと思う。
で、前の記事にも書いたけどそれはマナーと似たようなもんで時に形式化して強制されるんだな。僕はそれが一番嫌いなんだけど、それはいいや。
で、ちぇすこさんとグラスィーズキングやりとりってなんかいろいろ論旨論点が飛んでるんだけど(そもそも議論の体も為してないただの罵倒合戦にすら見えるんだけど)、
アレの何がヤバいって、要は「生理的嫌悪感」なんだよね。「あなたとは付き合えません、生理的に」ってやつ。ブコメにも吐き気がしたとか言ってる人いたけど、そりゃそうだ。読むのも不快だもん。
などなど、はてなーのみなさんにしてはやはりカモ、ハトに擬態するカモなんですね。で、実際鍋にしたけど毒で食えねえってとこに居ると思うんですが、人間好き嫌いあるもんで、ああいう人間が嫌いって人はやっぱり多いと思う。私も嫌い。
だから、前にあんな事書いたけど、今回のあれっていわゆる「敬意」とは違うんじゃないか、と思うわけです。ヤベーキモイわブロック、で済んだ話だと思うんです。ほんとはね。
なんというかいい感じにマッチングしちゃったというのもあるんでしょうが、そこまで騒ぐもんかね、と個人的には感じております。
まあ、そっからいろいろ見れるもん見れたんで、外野のブクマーとしては面白かったんじゃないでしょうか。当事者たるちぇすこさんとしては納得しない点もあるでしょうが、そこはまあ、本気なら裁判所で、とかいろいろあるでしょう。まだTwitterとかでやってたらメガネの土俵にいることは明白ですし、周りはなんだかんだ言いながら観客として満足しちゃうし、あまりネット上というのはいい場所ではないんじゃないか、と思うところでご飯が炊けたので撤収しようと思います。
そんじゃーねー。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/107425
Togetter - 「「francesco3氏」と「めがねおう氏」の炎上ツイートまとめ」
まあね、こいつはクズですよ。見りゃあわかる。出自もそのままクズ。頭弱い子に対する差別目線だけは隠さないはてなーのみなさんにとってみれば格好のカモです。
でもね、人権侵害しようがなんだろうが相手をリスペクトする必要ってのはないんですよ。
ていうと誤解を招きそうなんだけど、
取材の条件として相手を尊重するというのはこちらの勝手であって強制ではない。
相手を罵倒しながら取材したけりゃすればいいし、相手にゴマすってヘーこらヘーこらしながら取材したっていい。
方法論として相手をリスペクトしたほうがまあ好意的な結果が得られるというだけで、メガネ王自体のやり方が間違っているわけじゃないんだな。
で、こういうこと書くと「相手を人権侵害して得る表現の自由なんてない」とか言い出す人権大好きはてサがいるけど、日本にその自由はあるから。残念だけど。裁判で負けるだろ、と思うかもしれないけど、判例がないから負けではない。よってその自由も保障されている。残念だけどね。
だから、そこまで人権大事にしたいならとっとと訴えて判例勝ち取りゃいいのよ。それをしないでそんな自由認められるかなどとキーキー騒がれたって困ります。
というかね、リスペクトしろ、というのもマナーを守れっていうのもそうだけどね、リスペクトしたから丁寧になるとか、丁寧な待遇ならリスペクトされてるとか、それらの関係がないことぐらいわかるとおもうんだけど。
逆に言えば、方法が拙劣だから、行動が下品だからリスペクトされてないってのもおかしな話で。
今回「取材」っていう人対人のコミュニケーションが前に出てくるものだからリスペクトしろっていうのが強くなるのはわかるけど、質問がずさんだから、インタビュー後の記事が俺の気に食わないからリスペクトしてねーとかってのはおかしいね、間違いなく。
で、さんざ自由自由言ってるけどもちろんその行為のあとの自由も受けてもらいたいですね。
たとえば(極端なハナシ)取材中にうんこ付いた手で相手を触ったとして、相手がぶち切れ、首締めて殺されちゃったとしても、それは受け入れましょう。自由ってそういうもんだから。
で、俺はなんでこんなところにこんなもの書きなぐったかっていうと、怖いからです。小動物のように震えています。いぢめないでね。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110208
李は「日本代表として戦って実績があった」からリスペクトされるんであって、
いつまでも「在日韓国人」の文字にしがみついてるのは増田たちのほうじゃないの?
日本人がどこかの国に帰化して「日本人の血が」とか言うのを聞いたら
同じように、帰化して日本人になってもまだ「韓国の血が、ルーツが」と言っちゃうと
李がどうして韓国代表ではなく日本代表で出場したのかをまともに考えずに
それはもう予想の範囲内だから笑っちゃうよねということでしょ。
お前ら、普段嫌韓なくせに、こういう時だけ李を賞賛するのな。
韓国のマスコミも日本のマスコミも偏向報道ばっかしてるけど、調子いいことばっか言ってるのはお前らの方じゃん。
そんなお前らによってどれだけ在日韓国人が傷ついて苦しんでるかわかってる?
今回李を賞賛した人は、他の在日韓国人にも同じように言ってやれよ。
お前らにとって国籍が重要なら、少なくとも帰化した在日韓国人には、李と同じようなリスペクトを持って接してくれよ。
頼むからそう願う。
お前らが韓国のマスコミを馬鹿にしながら李をかばう、そんな姿勢を李は見たいと思っていない。
むしろ悲しいと思っているに違いない。
いい加減に気付いてくれよ。
そして、擁護したつもりで「李は日本人です」なんて恥ずかしいことも言うな。
日本人は、外国人に対して自分らと同じように接することがリスペクトと勘違いしている節があるけど、そうじゃない。
李のルーツ、彼の抱えている問題を無視することは、彼の人格も無視することになる。
彼はどちらの国の人でもあり、どちらの国の人にもなれない、李、という個人なんだよ。
そして、そういう人は李の他にもまだまだいっぱいいる。
いい加減な感情でものを言うな。
そんなこと言われる人はそもそも影響力考えた上で発言してるし、人に対して「口をつぐめ」と言う精神性が気持ち悪いし、単に自分好みじゃない他人の発言を世間様を背景に安全圏から糾弾する姿勢がムカつくという話です。QT @now_pbs: 「影響力考えてツイートしろ」の何が問題なんだろ?
http://twitter.com/tsuda/status/26770534674993152
このツイートをリスペクトしている元知人に、自分の「誹謗中傷を含まない」考えをツイッターではない方法で伝えたら、非常識な人に誹謗中傷されたとツイートされていた。単に自分好みじゃない他人の発言を世間様を背景に安全圏から糾弾する姿勢が、垣間見れた。
Togetter - 「ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えてくる歌ってみた界隈の問題点」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/82444
Ohnuma Sound Lab. blog 年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
Ohnuma Sound Lab. blog 【追記1】前回の日記についての補足・お詫び・コメント返信など
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
発言者である大福Pは著作権等法律の問題を主張しているわけではないので、今回の増田では法律面に関する発言は一切しない。
彼の主張は
ボーカロイドを用いて作曲したものをニコニコ動画に投稿している人の総称。立場上は作曲者
ニコニコ動画の一ジャンルを形成する、言ってしまえばカラオケを投稿したようなもの。立場上は演奏者。JASRACとの包括契約により、二次創作は認可されているため、歌ってみた界隈は著作権問題をある程度回避している。
投稿者が作品の中身を1ミリも知らない作品に初見で声をアフレコするというもの。立場上は演奏者であり、ミリしらをする人をミリしらーと呼ぶ。アニメや音楽などのアフレコに使われていたが、今ではもっぱら「歌ってみた(特にボカロ曲)」ジャンルで使われる。
分かる人は分かると思うが、「ミリしら」とは方便である。最低でも一度以上、作品を鑑賞することは間違いない。初見で声を音楽に合わせて入れるというのは並大抵の人間ができることではなく、事前に何度も聞き、メロディーラインの重なりを避け、コード進行に合わせた新しいメロディーラインを構築し、リズムにある程度合わせた歌詞の選出、推敲をしているのは疑いない。
元の曲の歌詞を変えたアレンジで、ミリしらよりは原曲に近い。(私の観測範囲内の話)主に「あにま」という歌い手がしているようである。
Togetterまとめからいくつか抜粋する。(大福P=dfk_ohnuma)
ピアプロで改変不可って書いてあった曲でミリしらやった馬鹿がいたのか。正直ミリしらなんて作詞・作曲者への冒涜だから無くなるべき風潮なんだよね。「おまえの歌詞・メロディなんてイラネ 曲の知名度だけもらってくわ」って事なんだから。ゴミ屑の発想。dfk_ohnuma
曲データでモラル低下というと、ミリしらとか新しい歌ってみたを新曲と言ってしまう等のマナーがなっていないという話のことですか?znc
来年はボカロと歌ってみたがきっちり区別されるようになるといいな。あと、界隈の人数が減ってもいいからもうちょっとまともな人の割合が増えるといいな。「ボカロが盛り上がるのは歌い手のおかげ!」とか言ってるような奴が全員死んだらいいな。dfk_ohnuma
これ以降ブログに主張が移る。
「改変不可」の曲でミリしらを行った人がいたという事実は問題外だが、ここでは割愛する。
要は「マナーがなってない」ということである。それを人数が多いことと結びつけ、質の向上を図るために界隈の人数が減ればいいのに、というなんとも大学生はバカが増えすぎたからFラン潰せよというどっかで聞いたことのあるような主張である。ただし、今回は「マナーが悪いやつ」という偏差値以上に曖昧な基準ではあるが。
話がそれるが、当然「マナー(が悪い|がなってない|を違反している)」というのは誤用である。マナーというのは言い換えれば主体的な配慮であり、それを他者に「守れよ」と押し付けるのは間違いである。この場合はルール(相互が有利になるような取り決め)が望ましい。
話を戻して、歌ってみた界隈の聞き手は、彼のブログから引用すれば
「ボカロが栄えているのは歌ってみたのおかげ!もっと歌い手に感謝するべき!」
「ボカロ曲は人が歌って初めて完成すると思っている」
などという主張をしているようである。こういう盲目な信徒というのはクローズドなコミュニティであればどこにでも沸いてくるウジのようなもので、潰しても潰してもキリがない。
彼らは「歌い手に感謝するべき」というように作曲者に敬意を求めていることがわかる。一方大福Pもマナーを求めていることからわかるように、これは「敬意が足りないvs敬意が足りない」という、宗教戦争である。
大福Pにとって、「敬意ある行動」とは、「歌ってみたりする場合、本当にいい歌詞、いいメロディだと思うなら、それを尊重するはず」というスタンスで、芸術的に見れば保守的な位置にあり、ミリしら、アナザーは作曲者を冒涜したもので「ハイエナシリーズ」にすればいいんじゃないの、というこのようだ。
先の都条例でも同様だが、創作者は「自由」の名のもとで表現をする。ここに留意する必要がある。
たとえ「そんな懐で大丈夫か」と金を積まれようと、「一番いい○○みたいな作品を頼む」と制限をつけられようと、すべての表現は常に解放されているのが原則。
「こんなの○○じゃない」とか「金積んだんだから俺の望むモノ作れよ」とかいう主張も、自由が担保されていなければできない旨の発言である。
一次創作物から二次創作物へは、原材料を加工し、加工物を作る工程に似ている。その二次創作から三次、n次と派生するケースもある。これらは基本的にもとの創作物のカタチを「ある一定」は保持しており、影響がないということはまずない。それは音楽、思想、文章、すべてにおいてで。
ニコニコ動画は視聴者、コメント、マイリストの数がつくため、価値が付加される。歌ってみたという二次創作から歌われた一次創作の動画が評価されるケースもままある(今回の火種の原因の一つ)
また、作曲者と演奏者、聞き手は持ちつ持たれつの間柄であり、どれが一番偉いというものではない。「作ってやってる」「見てやってる」「演奏してやってる」「ホールを貸してやってる」というのは他者を従属的に捉えた主体的な意見であり、それは表現、立場の優劣に寄与することもない。芸術とはそこに参加するすべての構成員に平等な立場を与え、すべてをフラットにする。指揮者は演奏団体を纏めるから、演奏家より偉いというわけではない。誤解されがちだが、経営者と労働者の関係がイーブンであるように、指揮者と演奏家もまた、イーブンな関係にある。そこに作曲者が加わっても、聴衆が加わっても、地主が加わっても、その関係は崩れない。
そして表現されたすべての芸術品も平等である。真贋を、洋の東西を、場を問わず。優劣を感じるのは、表現の埒外である。評論家が何かの作品を優劣付けて評定しようともだ。そしてすべての芸術家もまた、その優劣をつける本能に苦しめられるのである。大概、中身が薄い、質が低下したなどと主張する。
とにかく、一次創作と二次創作の間に、表現上の優劣はないということである。創作者の間でも、もちろんのこと。
ここで、敬意を払うということは、その作品を大事に扱う、ということとする。「大事に」とは、もとの表現者の意向に従う、ということにしよう。極めて主観的だが、敬意とはそういうものだ。
敬意を払うということは、それに肯定的な評価をくだす、正の価値があるということでもある。ありがたやありがたや、ということで、「有難み」というように、めったにないこと、価値の高い、ということである。
正の価値がある、大事に扱うということは、人間の所産であるが、芸術以前の行動である。価値、敬意というのは芸術に含まれない。それらはたとえ定量的に計られようと芸術に寄与することはない。「リスペクト」して創られようとその作品に敬意があるというのは「思い込み」である。
創作以前に、二次創作者は一次創作者の創作物を引用する。引用することに優劣はない。しかし、ここに敬意が入ると話が違ってくる。
敬意が入る場合、往々にして一次創作者>二次創作者という大小関係が生まれる。芸術では対等関係にあろうと、人間の間に序列が生まれる。創作物との間柄にもそれは用いられ、もっぱら二次創作者は立場が下になる。だから、芸術内でも引用したものは上になり、引用して創られたものは下と「見做される」
「配慮」は、自分の立場があなたより下だという意思表示である。あなたに敬意があります、という意思表示である。有難い機会ですということだ。
だから、「マナーを守れ」「配慮しろ」というのは「大事に扱え」というのと同義であり、大事に扱ったとしても、そう見えなければ「大事に扱ってない」と思われる。
そしてそれはけして守る必要がないものの、ときに強制されるものだ。
だからこそ、撤回こそしたものの、大福Pはいっとき「音痴」にまで言及し、「大事に扱ってない」という判断を下したのである。
だからこそ、今も「メロディーラインや歌詞を変えること」は「作品を大事にしていない=敬意を払ってない」という解釈をしているのだ。
推敲後、追加予定。
しかし、大福Pは表現の枠内に押しこみ、自分基準のマナーを創作物の中身まで相手に強いている。
品位ある行動は各人努めたいものだ。