2011-02-09

感情理論に先だっていいのか。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110208

永田洋子氏 死亡 - Chikirinの日記

卑近な話題

僕個人は、理屈理論は必要だと思う。
というのも、秩序、規範というのは理屈が先立っていなければ成立しないからだ。
秩序や規範はあらゆる感情を抑圧する。
それはいわば「全体優先のべき論」であり、個人の感情を優先するものではない。
ゆえに個々人に与えられた表現、思想、信条結社の自由も、公共の福祉破防法の前に抑制される。
とき表現においてリスペクトなんぞ必要ない、というのがたまに話題になるが、リスペクトはたしかに問題ないが、規範および秩序優先に考えれば、相手を不快にさせないマナーが、リスペクトとして形象化されていると考えれば、個人レベルの「リスペクトなんぞいらねー」というのはより低次なものとして抑圧されても文句はいえまい。


マナーというのは見えない秩序、規範を求める公共的な空気である
ゆえに、マナーは各人が意識すべきだが、強制はできない。
しかし、先にも触れたとおりマナー規範、秩序意識から生まれでたものであり、そちらが優先されるのが合理だ。


そういうわけで、感情的にどうこう思い行動するのは結構だが、それは公共的福祉が許される範囲内ですよ、ということ。
「俺は人殺しするぞジョジョーーーーーー!」と秋葉原ど真ん中で有限実行すれば、その毀損しただけのペナルティが与えられる(行為の自由は保障されている)
「俺はこの授業中机の上に立って裸踊りするぞジョジョーーーーーー!」と有限実行したけりゃすればいいが、そんなのは邪魔なので追い出されても文句は言えない。個人の自由行使はその応酬まで受け入れるものだ。


事象

個人的に興味のある事例を紹介したい。ネトゲ内の自由と秩序の対立である


任天堂wiiに「大乱闘スマッシュブラザーズX」というソフトがある。これは匿名環境ネット対戦することもできるソフトだ。
手軽に対戦できる環境からか、発売から数年経った今も、多くの人がこれを利用している。
構造は単純で、四人までが一部屋に時間内にマッチングされ、そのままゲームに移行する。


しかし、この環境には致命的な欠点があったのだ。
それは「部屋にマッチングされれば何をしても許される」ということ。
乱闘という文字通り、公式にもそういうプレイが推奨されているのだが、様々な遊び方が空気のように生まれた。
その中でもっとも物議を醸しているのが「馴れ合いリンチ、およびリンチを潰す」プレイである。以下に詳しく説明したい。
  1. 馴れ合い
    実際に遊んでみればわかるのだが愛嬌あるキャラクターが多い。
    そこで、乱闘をせずにアイテムを使ったりキャラクター固有のアピールを使ったりして交流しているようだ。
    今ほどではないが、一時期はこればかりが流行り、乱闘ができない部屋が多く、乱闘できる部屋は実質真夜中に追いやられたカタチとなる。
    そこから派生して潰しとリンチが生まれることとなる。
  2. リンチ
    馴れ合いがどれだけ増えようと、元はといえば乱闘するゲームなのだから馴れ合い3人の部屋に1人の乱闘者が加わることは往々にしてあり得る状況だ。
    その状況下の時、いじめにも似たものが生まれる。馴れ合い3人と乱闘者1人で戦うのだ。
    大してゲームが上手くないような人の場合、3対1で勝てるような技量はないのだから、当然負ける。
    それに勝てる人というのは腕がいいものだ。負けた場合、結託した3人から容赦ないアピールが飛び交う。
    これはたまらない屈辱である。ゆえに、何度も抵抗したり、その3人を部屋から追い出すリンチ潰しが生まれるのは必然とも言える。
  3. リンチ潰し
    先に述べた「馴れ合い-リンチ」の部屋で、リンチを潰す勢力。
    往々にして腕がいいプレイヤーが多い。
    彼らはリンチを潰した成果をニコニコ動画等にアップロードし、その動画リンチに潰されたゲーム下手な人がそれを見て溜飲を下げたり、時にはコメントで罵声を浴びせたりと、そういう者が嫌いらしい人々の居場所となっている。
    当然だが、彼らはリンチと相手して勝った動画だけ上げている。
    負けた動画犠牲になったのだ・・・。


他にも、擬似タイマン(4人部屋で2人だけが対戦し、他のプレイヤーステージ端で傍観)など様々なスタイルがあるが、説明は省略する。
上記したものも概論のようなものなので、それですべてを理解されないよう注意して欲しい
一番詳しいのはニコニコ大百科中の該当記事()だろうか。


さて、前置きが長くなったがこれは自由と秩序の対立の典型と思う。
不幸なことに、今の環境では乱闘以外の行動を取り締まることができない、無法地帯である
ゆえに、彼らは自由な行動として馴れ合いを行い、それを許さない者は潰し、それを気にくわないものリンチに走る、という循環になっているわけだ。
しかも発売から数年が経過したこのソフト、これらの行動を取るものはすべて確信的といってよい。
慣れ合うものは潰されても構わないから慣れ合っているのであり、リンチに負けてもいいかリンチしているのであり、潰しに失敗してもいいから潰しているのだ。
そして参加者の多くはこれら一色に染まらぬグレーのような者が多いだろう。取り締まるものがないのだから
しかすると、リンチを潰す行為というのは正しい行いだと賞賛する人もいるかもしれない。
事実、彼らの一部には「乱闘する場を増やす」という大義を掲げた自警団的振る舞いをする者もいる。
取り締まるものがないのだから自分たちで取り締まればいいじゃないかというのは聞こえが良いが、それは自分らの感情を大義によって理屈をつけ、正当化させただけの偽善である
「潰しは乱闘の延長」「リンチする奴が悪いのだから潰すのは正しい行い」というのが彼らの弁だ。
おおかた、旧来的正義の像と重なる行いに酔いしれてるのだろう。


そういう意味で、このスマブラネット対戦理念としては失敗したと見てよいだろう。
しかし、その失敗は、人間良心に頼った管理システムがどうなるかという現実を教えてくれる。
人にとって居心地が良いのはジャングルはない。適度に整備、調整された公園のようなものだ。
「なんでもあり」は軋轢を産む。軋轢は闘争を呼び、究極には荒野になる。
ゆえにそれらは秩序によって統制され、統制するのが人間ならば恣意的な運用がされるのだから、限り無くシステムに委ねるべきだ。
実際、この環境にはIP規制というペナルティすらない(もっとも巻き添え規制と現状追認、後者を優先した可能性もあるわけだが
ないがゆえにこのザマなのだ。

オチ無し

余談だが、「コマ抜け」という方法がある。
コマンド入力で強制的に部屋から抜け、抜けた後はコンピュータが代わりに部屋に居座るなかなか画期的なものだが、潰す人にとっては、それが許されないらしい
リンチされた部屋を抜ける行いは「逃げ」であり、ついでに言えば「CPUリンチする奴らのキモさがわからないのか、あいつらはキチガイだ」というようだ。
同調圧力とはおっかないものである

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