はてなキーワード: ハローワークとは
JGP(ジョブ・ギャランティ・プログラム)に関しては、方向性は間違ってないような気もする。しかしながら、平時にせよ不況時にせよ、どんな産業や事業に投資するか、必要な労働力として誰を割り当てるかを、どんな仕組みで決めるかは難しい。何かブレイクスルーが必要だと思う。
・”何を仕事にするかって話は難しくて”その通りと思う。人間は全知全能とは程遠く利己心もある。そんな人間が計画経済をするのは上手く行かない。これはソ連その他の失敗を見ればわかる。
・計画経済よりは市場経済のほうがマシだが、全て市場に任せておけば丸く収まるかというとそうでもないだろう。
・政治の資源配分機能に頼る部分もあってよいと思うが、政治家のお手盛りで差配されないような制度設計が必要。
MMTは何をするかも言ってるよ
要は今までの経済政策だと数字追いかけて、需要が拡大したとき(物が不足した時)に投資が加熱して投機になって過剰なインフレが起こったり、それを抑えようとして失業者を調整弁にして不景気が起こったりを繰り返してきたわけ
それをなるべく実現しようってのがJGP。市場原理の自由市場は残したまま、失業者を国が予算出して全員雇うというもの
そうすれば、景気が良いときはJGP参加者が減るため、財政支出が抑えられ、景気が悪いときはJGP参加者が増えて財政支出を増やすという事が自然と調整されるようになる
要はラグがなくなるって事よ
JGPで何を仕事にするかって話は難しくて、地域ごとに必要とされる事ってのは違うんじゃないかってのがある
だから国が一元的に決めるってのは良くなくて、元の提案者の話だと地域の非営利団体を管理者側にするとか何とか
日本なら労組とかその辺がやれば良いのでは?とか言ってる人もいる
その辺の詳細は正直、俺も良くわかってない
ただ、JGPってのは要は地域共同体を復活させて、その地域に根ざした活動を仕事としようって感じかな。JGP参加者側が自分でこういう事したいみたいな提案もできるみたい
だから、JGPとか見てるとリベラルこそ、こういう地方創生的な観点から制度設計考えていけば良いんじゃね?って思うけどね
既存のハローワークとか職業訓練とかなんていうか社会に人を合わせるんじゃなくて、JGP参加者一人一人に合わせて地域社会を作っていくみたいな感じでさ
https://anond.hatelabo.jp/20210817051552
この増田、大変な思いしてきて充実した人生送れているようでよかった。
ただ、ここに出てくる役所の人は本当にひどいと思う反面、自分が接してきた役所の人と違いすぎてびっくりしている。
自分の担当ケースワーカーを振り返ると、ルールはルールとして毅然とした対応をしつつも、常識的な言動をしていたように思える。
自分が生活保護を受給することになったのは、障害福祉サービス事業所の支援者の提案からだ。
私は発達障害があり(就活中に医師から指摘され検査、診断)、大学から地元に帰り就職するも適応障害で退職。
通院先を確保するや否やハローワークに向かうも、職員から紹介された精神障害トータルサポーター(精神保健福祉士)から
「働くことを考えるのを辞めなさい」と言われ、日常生活の安定に専念するようになった(当時は週1日しか家から出れなかったが、なぜか自分はフルタイムで働けると思い込んでいた)。
その過程で、学びの中でライフスキルの獲得を目指す障害福祉サービス事業所(以下施設)を紹介され、見学後、通所することにした。
施設利用を始めるにあたり、症状やこれまでの人生について取りまとめるのだが、「よく生きてたね」と言われた。
こう言われるのは珍しいことではなくて、発達障害の診断を下した医師もWAIS-Ⅲの結果から同じことを口にした。
その時はよく理解できなかったけど、支援者(精神保健福祉士)が取りまとめた内容を読むと、自分でも「よく生きてこれたな」と思った。
発達障害や精神障害がある人のあるあるだけど、人前に出ると必要以上に頑張ってしまう特徴がある。
そして誰も見ていないところで再起不能に陥る。まさに自分はそれだった。主旨から外れるので割愛するが、ひどい人生を送っていたことに気付けた。
貯金が底をつきかけていたのだ。自分としても支援者、医者としても、今働くのは無理だという点で一致していた。
今は環境を整えて、自分を振り返って、自分らしく日々を送れるようになることが第一だ。
でもお金が無くなる。どうしよう。
自分なんかが受けられるわけがないと思っていたが、説明を聞くうちにそれがただの思い込みだということに気付かされた。
当時の自分は、話を聞くのも話すのも時間がかかり到底役所の人と話ができる状況にはなかった。
そこで支援者に市役所と日取りを決めて、自分がすべきことを教えてもらい、準備を始めた。
預金口座、保険の加入状況、残金、病状をまとめたペライチの作成……。
そして申請当日。
時間は1時間ほどだったと思う。話はほとんど支援者が進めてくれ、自分は事務的な話しかしなかったと思う。
元増田のように、市役所の担当者が不親切なことはなかったと思う。
今推測するに、自分が福祉とがっつり結びついていたから、ある種の信頼があったのだと思う。
福祉サービスを利用するには、居住地の福祉窓口を介して審査を経て利用をすることができる。
つまり、障害福祉の部署へ「就労不可」の情報が記録されているため、生活保護の窓口への根回しがある意味済んでいたのではないだろうか。
元増田のブコメに「〇〇党の議員に頼れ」とあるが、あれはその手段もある程度に思っていた方がいい。
議員に付き添ってもらおうが無理なケースは無理だ。
そのためには、福祉でもなんでもいいから支援を受けている実績を残すことが大事だと思う。
支援を受けているのに生活保護だけ断られることが起きたら、それこそ役所の中で大事件になる。
まあ、そのための議員なのかもしれんが、議員は自分の生活の面倒までは見てくれない。
何らかの形で支援者と結びついて日常的なサポートを受け続けることが大切ではないだろうか。
その後担当のケースワーカーが3回変わったが、特に可もなく不可もなくといった付き合い程度だった。
生活保護を受給している間に、障害年金を申請し、眼鏡を新調し、小学生からの腹痛の治療をようやく開始し、上からも下からも内視鏡を入れられ、ピロリ菌を除菌した。
医療券にはさんざんお世話になった。
また、生活保護を受給した最初の月、3万円も余ったことに驚いた。
生活保護は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものと考えているが、
それじゃあ治るものも治らないし、布団の中から出られるわけがない。
あと大豆プロテイン始めた。筋肉は裏切るけどタンパク質は裏切らない。元気が底上げされた。
元気が出てくると外に出たくなって散歩を始めた。
施設に通うようになるといろんなことを学べた。
自分は自分らしい人生を送れること。同じ境遇の仲間がたくさんいること。そうした人たちが人生を取り戻していること。
自分もそうなりたいと思った。
一方でけんかもたくさんした。人間関係上手くいかないことばかりだった。
でも人生で本来得られるはずだった時間を追体験させてくれた施設には感謝している。
市役所には自分一人で行けるようになって、所得の申請と医療券の申請に毎月通っていた。
生活保護の担当の人との思い出はそんなにないけど、福祉の担当者の方とは温かい思い出が少しある。
そうしたつながりが生活保護の担当の部署からの信頼に繋がっていたのではないだろうか。
正規採用で就職することになったときには、スーツ代も申請したし、就労祝い金的なものももらえた。
人間らしい生活をするにはこんなにもお金がかかるんだと怖くなったけど、障害年金支給決定した時に一括で支給した分返済したから心残りはない。
今思うと、ハローワークの職員の方から始まり、主治医、支援者、障害福祉の担当の方に支えられて生活保護を受給することができ、
生活保護を受給することで人間として再スタートを切ることができた。
今振り返ると、その鍵は役所に自分という人間のありのままを知ってもらっていたことに尽きると思う。
でもそれは、元増田のような過酷な状況ではとても無理だと思う。
ただ一つ思うのは、生活を日常的にサポートしてもらえる体制が組んであれば多少は違ったのかもしれないということだ。
もちろん、元増田の出会った役所の人間は論外だが、相手が何者かわからないとき人も組織も非常に警戒するのははてなー自身がよく知っていると思う。
その疑問を解きほぐすための支援者がもっと増えてほしいし、もっと気軽に繋がれるようになってほしい。
支援を受ける自分たちも、もっと自分に必要な支援が何か、明確に言えるようになってほしい。
相手が何者か確認でき、信頼されるならば必要以上に無下にはされない。
ただ、現状はそこのハードルが高すぎる。
メンタリストと名乗る男性が、ホームレスや生活保護受給者に対して発言した内容で炎上しているのを目にした。
その男性やその発言に憎悪を抱く人が多く、Twitterでも多くの人が非難しており、さらに厚生労働省が「生活保護の申請は国民の権利です」と書き込みもしていた。
私は生活保護受給者ではない。だが、母が世の中の目を気にしながらでも生活保護を受給してくれたことによって、母だけでなく、私も助けられたと思う。
世論の思いも分かるが、生活保護を受給したことで本人だけでなく、扶養者も助けられるということも、どこかの誰かに知っておいて欲しい。
先週、64歳で母が亡くなった。ステージⅣの乳がんと3年9か月向き合ったが、この状態の乳がん患者における5年の生存率、33%の中には入れなかった。
母の乳がんが発見されたとき、すでに手の施しようがない状態だった。意識がある時の母は何度も、何度も、治療費がないことについて私に謝った。
母は何年も前に離婚し、家を出ていったが、性格は気難しい、親戚、友達づきあいもない、実の親は精神病を持つ高齢の祖母一人、頼る人は子の私一人という人だった。
母は職業が定まらない人だったが、あるときハローワークの職業訓練にお世話になり、介護福祉士の資格を取らせてもらってからは、職場を変えつつも何とか介護の現場で頑張っていた。
乳がんが発覚する前日、母から「やっと新しい職場が見つかった。これから頑張るね。」と言っていたが、様子がおかしかった。
私はその様子のおかしさから病院に行ってくれとお願いしたが、母は「新しい職場で保険証もらったらね。」と言っていた。
今となっては、なぜ私は自分の扶養に入れなかったのか、扶養に入れられなくても、お金を渡して保険証を作れるようにしなかったのか、自分を責める。
当時の私は無知で、無力だったのだ。
月々20万の給料は、納税、奨学金の返済、同居する父に渡す生活費、勉強費、交際費、通勤費などの雑費、自分の身になにかあったときのための貯金。そして毎月母に少し貸す。
そんな中で、母の生活までしっかり見る余裕がなかった。
母は、胸から謎の汁が出てきている、胸に大きな穴が開いているのはただ事ではない、全身が痛い、手がしびれるなど様々な異常を感じてはいたが、治療費も入院費も出せない。
職場に採用されるためには、この異常を隠し通すしかないと思い、薬局で買った包帯や軟膏を塗って、給料と保険証を手にするのを待っていた。
しかし、どれも手にすることが出来ないまま母は入院することになった。
病院に運び込まれたとき、すでに母の意識はなかった。そんな状態でいろいろな検査が始まった。
保険証のない母に施される医療費は簡単に3桁に上った。そんな高額な金額は母にも、私にも払えない。年金暮らしで透析が欠かせない父にも頼めない。
色々あって最初は、私が80万ほど払ったが、母の家賃、入院費、手術費、私一人ではまかないきれなかった。副業もできない。借金をすべきか本当に悩んだ。
そんな折に、病院のソーシャルワーカーから生活保護の提案があった。私は迷わずお願いをしに行った。
すんなり認められたわけではなかったが、手続きのために何度も市役所を訪れ、色々あったが、ソーシャルワーカーの方にも協力して貰い、なんとか受給できた。
途中からは在宅医療に切り替え、月1の受診を続けていたが、最後の方は病院でお世話になった。
母は「元気になったら働きたい、生活保護を止めたい。」と、いつも言っていたが、死ぬその日まで生活保護を脱することはできなかった。
ニュースで流れてくる不正受給、それに対して誤った知識や無知からくる受給者に対する攻撃的なコメント、今回の某メンタリストのような考えを持つ人々に、母はいつも怯えていた。
一度、母が自宅に戻った時、私の車が停まっているのを見た大家から「生活保護なのに車を持ってていいのか」とお叱りがきたことや、
市の職員が巡回に来るたびに「元気そうなのに、仕事はしないのか」「なんで倒れるときに貯金なかったのか」と言われ続けたことなど、
周りの人の言葉や態度が母の心に強く残り、3年9か月いつ死ぬか分からない恐怖に加えて、生活保護受給者としての負い目も感じ続けていた。
そのたびに私は「大丈夫、これは国民の権利だから」「私がお金を出せなくてごめん」と言い続けた。
ひょっとしたら、生活保護受給者は負い目を感じて当然、細々と生きよ、という人もいるかもしれない。私はそれに対して、否定することも肯定することもできない。
ただ、生活保護のおかげで、私の母は3年9か月生きれたと思う。そして私も生きることができたと思う。
厚かましくも、最後の火葬費用を、葬祭扶助でお願いしようかと思ったが、それはできず、結果自腹を切ったが、それまでのところで、生活保護の恩恵をたくさん受けたから仕方ない。
火葬のみの25万を私が支払えたのは、母が生活保護を受給させてもらえたからだと思う。
墓を建てるほどの貯金はできておらず、また、母が借りていたアパートの退去費も自腹を切らねばならないが、
それでも生活保護のおかげで、今私は父の面倒を見ることができ、なんとか一人の人間として今生きることができている。
不正受給の人もいるかもしれない、収めた税金が自分以外に使われることに腹が立つ人もいると思うが、
生活保護を受給することでその扶養義務が発生する人も助けられていることを分かってほしい。私みたいな人がいることも、どこかの誰かに知っておいて欲しい。
トヨタカレンダーなるものがツイッターでTLに上がってきたから書かしてくれ
地元に燕三条産業カレンダー(通称:産カレ)という文化があって
(トヨタカレンダーは休日数121日だから俺からすれば十分だと感じてしまう)
※この休みを守っていれば1年単位の変形労働時間制には抵触しません
てな事を書くから地場の企業や個人事業主はかなりの数が採用してやがる。
https://tsubame-cci.or.jp/1561/
https://www.sanjo-cci.or.jp/calendar/
それでもまともな会社はそんな物を採用せずに通常カレンダーに近しい形で休む会社も勿論ある、例えば
上記みたいな業界によっては名の通っている所は一般的なカレンダーに近しいと思う。実際のところは勤めてる人しかわからんが
けど先に言った通りかなりの数が年間休日数を107日に設定してるんだ
どれくらいかって言うとハローワーク開いて地域を新潟>燕市・三条市・加茂市あたりにしてみてくれ
107に加えて差別化(笑)の為に1日2日増やしたり減らしていたりする会社があるから休日数100日以上と110日以上で調べてみようか
(農作物製造求人・畜産系求人とそれらに伴う食品製造業の場合は107どころか90日切っているパターンもあるけど産業カレンダーとは別問題)
8/6(金)現在だと
年間休日100日以上の求人の中に110日以上の求人も含まれているからそれを除外すると
年間休日100~109日(産業カレンダーに準拠されていると考えられる求人件数)は848件になる
ちなみに年間休日数120日以上は検索すると185件しかないし、121日以上にすると99件だ
トヨタカレンダーの年間休日数121日未満の求人数が1,360-185で1,175件あるって事
産業カレンダーじゃなくて通常のカレンダーと同じ量休もうとしただけで求人数が10分の1になるってどうなのよ
って思うかしれないけど自社が休みでも取引先が動いてると否応なく出社しなきゃいけないパターンがあるんだわ
てか商工会議所とか地場の会社の偉い人が集まってんだから名前乗ってる会社と団体は"参考"とか言ってないでこのカレンダー通りに休めよな
https://tsubame-cci.or.jp/about/organization/
https://www.sanjo-cci.or.jp/abouts/
ここ数週間死にたくて死にたくて、死ななくては!!という強迫観念で頭が支配されていた。
死にたくてどうしようもない。
しかし、通っている精神科の医師に相談したら、まったく取り合ってもらえなかった。私が話を聴いて欲しいのに、なぜか医師の講釈を傾聴していた。諦めた。
頭のいい人なので、私の話を黙って聴いたうえで、いい意味で当たり障りないアドバイスをくれた。
私が「死にたい人の気持ちがわかるか」と問うと、親友は「全くわからない」と率直に答えた。加えて、死ぬくらいなら状況が変わるように努力するか、心機一転どこか知らない場所に行って人生やり直す、という。
前にも後ろにも進めない私の立場では、そのアドバイスは乾いた言葉にしか聞こえなかった。困った。
どうにもならなくなった。このままだと私は4連休の最初の日に山で首を吊るコースを確実に歩む。
回らない頭でウンウン考え、私はとりあえず死ぬ以外でこの苦しみや焦燥感から逃れる代替手段を見つけようとした。そこでひらめいたのが「ごっこ」である。わかりやすくいえば、現実的には行動すると取り返しがつかない行動について、実際にやらないまでもそれに近い何らかの行動をして一時的に今の衝動性を逃すという方略である。
私は3つやった。
1つ目は自殺企図ごっこ。近くのホームセンターでロープを購入し、インターネットで解けにくい紐の結び方を習得した。自殺する場所を下見し、自殺する予定の時間(朝方)に実際に現地に行き下見する。これで少しスッキリした。(しかしこの方法は自殺するリスクをより高めるのでお勧めできない。マジで最終手段として捉えて欲しい)
2つ目は失踪ごっこ。土曜日に早朝から思いつくままに電車にのり、とりあえず行ける範囲で知らない場所へ行った。自分の知っている人がいないところに逃げると少し楽になる。腰が痛くなるまで電車に乗り続けて帰ってきた。
また、死にたい時って死にたい意識ばかりに囚われて頭と身体が乖離している状態だとおもうから、余裕があれば出先で身体感覚を取り戻す経験をしてくるといい。私は砂浜を歩いたり川の中をじゃぶじゃぶ歩いたりして身体の感覚に意識を向けたら、頭の中の絡まった糸が少し解けるような感覚がした。
3つ目は転職ごっこ。今も進行中。明後日ハローワークにいって、とりあえず求人情報みてくる。
こうやって、鬱屈した気持ちを外に逃すチャンネルを一個でも見つけてみると、希死念慮が少しずつ縮んでいくと思う。
死にたくなるほどの問題なんて早々解決策は出ないもの。ならばとにかく今の辛さから逃げることを優先すればいい。
一意見として参考にしていただけると嬉しい。
母に姉ちゃんから話してみてくれーって言われたんだけど、何を言えばいいんだろう?普段そんな話さないし。
弟は頭がいいし、就活しなきゃいけないことくらい分かっているはず。
高校は私の行っていた所のワンランク上だったし、浪人して名の知れた大学に進学した。
進学後も学部?学科?の特待生に選ばれたり、国家資格を取ったりしていた(と聞いた)。
私は大学進学と同時に実家を出たから、よくて中学・高校までの弟のことしか知らない。が、学校や部活は休まず行っていたし、友達も普通に多かったと思う。彼女なんかも確か居たんじゃないかな。
最近だとキャンプとか釣りとかにハマっていたらしいし、そういう明るい方面の友達も居たってことだろう。私自身は普通の根暗ジャニオタだから、少し羨ましく思っていたところがある。
3月に実家に帰った時はリクスーを着て朝出かけていくのを見たから、その時は就活をやっていたっぽい。面接を受けたという話も少しだけした。
母が言うには「やりたいことが何もないから、何もできない」「働くことに意義を見出せない」ってなってるらしい。まあたしかに弟には少し無気力というか悪い意味で飄々としてる感じはあったかもしれない。ゼミの教授やらハローワークやら大学の就職支援課の所に行ってみたらしいが、「やりたいことをやれ」と言われるだけで何も意味はなかった、と弟は言っているらしい。私は就職課を頼りまくった経験があるから、そんなことはないと思うのだけれど。大学によって違うのかな?
そういえば、私が就職した時に「姉ちゃんは凄いよな〜」ってケーキ買ってくれたことを思い出した。そんなことねーよ…って思ってたけど、あれってもしかして自分が働きたくないから言っていたことなのかな。そうだとしたら、無理やり働かせるのも酷な話だとは思う。まあけど、弟がニートってのもなかなか辛い。別にいいんだけどね。
このままだと母と父が悲しむよ、と言うことが一番最初に浮かんだけれど、そんなことは弟も分かっているだろう。ていうか既に誰かに言われていると思う。国家資格を取得したならその職業に就けばいいとは思うが、きっと面接で駄目だったりしたんだろう。母からの情報が断片的すぎてよく分からないが、かと言って弟本人に聞くってわけにもいかない。単純にめんどい。
とはいえ弟のことは嫌いではないし、むしろ心の中では可愛がっているから、どうにかなるならどうにかしてあげたい。就活に起因する心の病気なのだとしたら受診を勧めたりすればいいんだろうが、実際の様子を見てないから何とも言えない。
どうすべきかな〜!うーん悩む……。
ーーーーーーーー追記ーーーーーーーー
お姉ちゃんいっちょやったりますよーって感じて弟に電話してみた。3回かけたら出た。声とかはやつれてる感じもなく普通だった。睡眠は怪しいがご飯はちゃんと食べているらしい。
で、就活は30社くらい受けて全て落ちたらしい。大手病ってわけでもなく地元の普通の中小も落ちたと。
どうやら普通の企業の求めてる人物像が自分からかけ離れすぎてて嫌になってるらしい。説明会や面接でキラキラしたことを言われると辟易してしまうらしい。そこは頑張って笑顔取り繕って合わせろよ、って言いかけたけどやめた。30社も受けてればそれくらいの対策は試みただろうから。
ゼミの教授や相談した人からは軽めな性格やら人格の否定と「そんなんじゃ働いていけないよ」「働かなくてもいいんじゃないか?」「あなたの哲学はどうでもいいから働きなさい」というお言葉を頂いたらしい。弟はそんなに酷い奴だとは思わないのだが。
夢とか目標は何もないんだって。大学も別に行く気はなくて進学校の周りに流されて行っただけで、やりたいことがあったわけでもない。たまたま今まで運が良かっただけで、自分は何も出来ない人間だと昔からずっと思っていた。周りの友達が就活を終えても特に焦ったりもしなく、「あぁやっぱり自分は駄目なんだ」と納得してしまうと。面接で落ちる度に逆に安心したのだと。今まで周りに合わせてばかりで自己表現を禁じてきたのに、今更自己表現をしろと言われても困ると。本心なんて分からないのだと。そういう風に考えることで甘えを誤魔化しているのは分かっているけど、とにかくもうやる気が湧かないのだと。親に申し訳ないし、このままってわけにもいかないのは分かっているけど…ということらしい。
自己肯定感やられてるっぽいよなぁ。弟の言っていることが正しいとすると、それも昔からってことだよなぁ。あなたはすごいすごーいって褒められても、何も感じないんだってさ。「他の周りの人に大したことないって言われるから」だってさ。そんな人間の言うこと信じるな〜って言っても、生返事だった。
弟はやっぱり真面目すぎるんだなぁ。いろいろと適当でいいのに。適当でも何となくやっていけるのに。
無駄に考えるのをやめさせたいとは思ったけれど、説得は無理だよなぁ。私にも気持ちはほんの少し分かるけど…まあとりあえず死なない程度には元気そうで良かった。私にはどうにも出来そうになかった。メンタルクリニック行ってみたら?って言ったら親に申し訳なくて行けないだってさ。
と言われた時、誤って私の顔にボールを当ててしまった男の子に、君にだって顔に傷は付けたくないだろう、と思った。顔に傷は付かなかった。
なんで女だけそんなこと言われるのだろう。
女は顔が綺麗でないと人間として不完全なんだろうか。
小学校の時にそう思った。
と言われた時、妊娠とか関係なく、身体を冷やしたら健康を害するから良くないだろう、と思った。
女って小さい頃から赤ちゃんを産むために、みたいなこと言われ続ける。洗脳のように言われる。
結婚して仕事を辞めた。遠距離だったので、仕事を辞めたかった私が辞めて引っ越した。今は転職活動中だ。
ハローワークのおばさんに、訓練は9時から16時までありますが、家のこととか大丈夫ですか?と言われた。
夫と相談して決めました。家事は協力してやっているので大丈夫です。と答えたら、ふーん、と言われた。
女として生きることを苦しいとか思ったことはない。
化粧も好き。ハイヒールも好き。
正直、女だからって重いものとか代わりに持って貰えるのはラッキーって思う。
ただたまに、お前は女として生きなさい、と言われることが辛くなる。
この時期は退職者が多くなる時期ですね。そして新卒者が早い人では研修とかあってるのかな?
まあ期が変るので新しいことが始まる時期ですね。
僕は新卒で入った会社を退職し今は有給消化中です。。。ギリギリ?三年働いたのかな。多分。
そこで色々と制度を調べたり人生の模索をやったりしている最中なのですが、そこでどうしても
この匿名ダイアリーを通してこれからの僕と同様人生を模索する方々や、新卒でなんとなく決まった
会社(希望の会社に入る)に入社する後輩の方々の皆様に共有したいことがあったので書いていきたい
と思います。(もしも友人やご家族が退職などで迷われていたら是非この話を共有してあげてください)
1、教育訓練校
意外と知らない人が多いのですが、離職後すぐに訓練校に通うと通っている間失業手当がでます。もしも選択した
コースが2年間なら2年間でます。(もちろん前職で雇用保険に入っていることが対象です。入っていなくとも無料
で受けることができます!)
これは本当だれでも受けれるんです。
このコースには定員は少ないですが保育士のコースもありました!!凄いですよね!
労働者や離職者が、自ら費用を負担して、厚生労働大臣が指定する教育訓練講座を受講し修了した場合、本人がそ
の教育訓練施設に支払った経費の一部を支給する雇用保険の給付制度です。
平成26年10月から、教育訓練給付金は、従来の枠組みを引き継いだ「一般教育訓練の教育訓練給付金」と、拡充
された「専門実践教育訓練の教育訓練給付金」の2本立てになります。
この制度は最低でも専門学校に入る年まで2年間雇用保険に加入していることが必須条件となります。(詳しい条件
については厚労省のHPへ⇒http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/shokugyounouryoku/career_formation/kyouiku/index.html)
この制度を活用することで授業料の40%(最高で年間32万円!最大3年間受けれるので96万円)が受け取れて卒業後1年間働けば
よく転職を考えるなら3年は働けと言われますが、『人生やり直すなら2年働け!』です。
こう書くと多くの方から叩かれそうですが。
新卒で入ったからと言ってその会社で一生働かなくてもいいと思うんです。だってもっと自分
やあなたを必要とする人はいますから。そんなあなたが無理に傷ついて人生を棒にふってしまう
よりもせっかくなら制度を利用して人生やり直してもいいんではないでしょうか?
僕は辞める時に『社会はあまくない!!!』『考えが甘い!!!』と散々言われました。
でも本当にそうなのかな?と疑問に思いました。
人それぞれ考える社会像はあると思いますが僕は『社会は時には甘い』と思います。だってやり直す
もしもこの会社間違えたな〜とか、もう精神的に無理!と思ったら上記の制度がある事を思い出して
ください。
そして1時間でもいいから最寄りのハローワークに行くもしくは電話してどんなコースが自分の地区に
あるのか調べてみ下さい。
より多くの方が病んでいく昨今です。もしも周りで仕事で病んでしまいそうな人がそばにいたらこんな
道があるよってことを教えてあげてください。
https://anond.hatelabo.jp/20200430012531
1年前、アラフォーで発達で無職で詰んでるぜこれからどうしようと愚痴っていた増田です。
年末にハローワークみたいなところで職業適性検査を受けて、言語能力と書記能力がやや高かったので、いろいろ考えて今はWebライターをやっている。
エンジニアに大事な能力とされる数理能力と空間認識能力もボロボロ。
一番ひどかったのが協応・指先・手腕と呼ばれる、手や指の動きの器用さをはかるテストで、グラフに描けないほど低かった。
言語と書記が高いと、普通は一般事務もこなせるらしいのだけど、私はADHDなので正確さを求められる仕事はあかんかった。
検査をしてくれたスタッフさんに、小説家とか記者とか勧められたけど、とりあえず敷居の低かったWebライターの仕事に応募して記事を書いている。
ライターの仕事に関しては、発達障害のミスの多さやワーキングメモリ(短期記憶)の少なさは、今のところ影響はしていないと思う。
でも、自分の能力と特性からいって職業の選択肢は非常に狭いので、そこはもう諦めて今はひたむきに一人前を目指そうと思っている。
去年私に状況が似てるとコメント残してくれた人が結構いたので、こんな感じでがんばってますという報告です。