はてなキーワード: ジャクソンとは
去年の年末に買って、あまり仲良くなれないながらに、いくつかの機能を使って来た。でも、最近音楽がうまく使えない。なんで「シャッフル再生します」って言いながら一曲しかかけてくれないんだろう。勇気を絞って「~の曲をかけて」とか言ってるんだから前みたいに何曲もかけて欲しい。
ちなみに今でも使えるのは
ニュースを教えて
天気を教えて
~時にアラームをセットして
~のタイマーをセットして(これは微妙。開始されるまでに何十秒かディレイがある)
今、少し古い有名人で曲数言えば言いか、と思って「マイケルジャクソンの曲を10曲かけて」と言ってみたけど1曲で停止した。悲しい。
本当にみんな中身はおっさんなのかどうかは知らんが、「中年男性でも美少女になれるVtuberは男性性からの解放」みたいな言説大杉ウザい、超ウザい
いや、中年男が中年男やめたいと思うのは自由、ヴァーチャル女装するのも自由、ただそれを性意識の変革とか理屈っぽく美化するインテリがキモい
確かに俺も中年男の自分が美しいとは思わん、鏡を見ても楽しくはない
しかしだ、中年男性が美少女ぶりっこするのを皆が皆ほめるのもどうかと思う
言うてみれば、アメリカで黒人が白塗りメイクして「やった白人になれた!」つってるようなもん、そんな奴がいたらお前に黒人の誇りはないんかい! と思い切り突っ込むぞ
タイムラインの時系列表示をすると便利! とか、秒間1kツイートのストリーミングが見られると楽しい! とか、興味が無いんだよ。だって金にならないんだもん。
日本にこれだけアクティブユーザがいる、これだけツイートが投稿されるとか言ったところで、そのツイートの基本的に全部がTwitterで始まって終わる閉じたコミュニケーションで、価値のやりとりがTwitterに一切行かないんだもん。
どこに住む何歳の誰で何を売り込めるという完璧な分析があっても、売り込める物がやっすいコンビニの食品とか、数売る気が無い同人誌とか、広告枠を売り込んでもいくらも儲からないような物ばっかりなんだもん。
数万数十万のフォロワーが居るアルファユーザが注目を集めても、パクツイ本が一回平積みになりましたで終わって、それで会社を回せるような何億円ビジネスにならないんだもん。
それでいてやることが表垢裏垢規制垢を5個ずつ作るだとか、手動で8時間に渡って3秒に1回ツイートするとか、高解像度のニッチ絵を連投するとか、とにかく負荷と負担ばっかりかかることなんだもん。
別に法に触れなきゃ何を投稿したっていいだろうけど、夢がビッグじゃないやつ、意図的に表舞台を避ける奴はお荷物なんだよ。
仮にマイケルジャクソンでも「ツアーはしない」「アルバムは500円で1000枚だけ売る」「Twitter上で全編無料公開」とか言うんだったら追い出し対象なわけ。
企業としてのTwitterは金にならないことが嫌なんだよ。だから日本人がやるようなことが嫌いなんだよ。だから個々の日本人が今のTwitterにどういう重さを見出してるかなんてどうでもいいんだよ。
タイトル通り。
サッカーに夢中でまったくニュースに気づかず、さっき知ったばかりで混乱している。
2chのほっこり書き込みの選別が好きだった。まとめサイトの一種であるにもかかわらず、淡々とした掲載方式に読みやすさと好感を覚えていた。
ちょっとそれは、ダメでは?って角度もあったけどまっすぐに持論を展開する姿勢が好きだった。
年に1回あるかないかの、猫先生写真の差し込みも楽しみにしていた。
著作も買って読んだ。
そしてセミナーにも参加した。
長年ブログを楽しませていただいているお礼に、ささやかなお土産を渡したら
それがほんの一ヶ月前のことだ。
信じられない。どういうことなんだよ。
ここ数年他界した祖母や親戚は、病気や老衰で一年以上前から覚悟できていたから受け止められる死だった。
ここのところLineではお疲れの様子が伺えたけど、元気だったんだよ。
今日はマイケルジャクソンの命日で朝からちょっと憂鬱な気分でもあったのだ。
そこに畳み掛けるような出来事で、友達でもないのに、一緒に仕事したことすらないのに、
氏の命が奪われたことが悲しくて仕方ない。
帰ってきてよお願いだ…
先日行われた、日本では実に4年ぶりのブルーノ・マーズのコンサート
「BRUNO MARS 24K MAGIC WORLD TOUR 2018」。
なぜ私は行かなかったのだろうか。今、激しく後悔している。
その後悔の大きさは、私に初めての匿名ダイアリーを書かせるほどである。
とはいえ、私がブルーノ・マーズにハマりはじめたのは実に4ヶ月前。
この「24K Magic」というアルバムが、いや、まあ、凄すぎるからである。
(歳は30手前なので、全盛期からは外れているのだけど)
「キング・オブ・ポップ」的な何かを、誰かに託してみたいと願っていた。
でもさー、なかなかそんなのいないよね。
「Don't Stop 'Til You Get Enough」で最初に魅せた、比類なきリズム感。
「Thriller」や「Beat It」、「Bad」での、高い演出構成力に耐えうるリズム&ビジュアル&ダンススキル。
ダンスミュージック歌わせて踊らせたらもう女子はみんなメロメロだし(例えば「The Way You Make Me Feel」)、
正統派なポップで完全に世界を掌握するし(例えば「Black or White」。個人的には「Remember The Time」が好き)。
「You Rock My World」なんて、亡くなる数年前の曲だけど、
それまでで一番じゃないかってくらい名曲中の名曲で全然色あせないよ?
私が思う「キング・オブ・ポップ」は、
リズム、歌唱力、ダンス、ビジュアル、それらに支えられたカリスマ性、
それらが時代に合わせて常に変化しながらも、トータルに持ち続けられる存在だということ。
あー、うん、いるいる。そういう人、男性も女性もいっぱいいる。
でも現代で、元々マイケルを指した「キング・オブ・ポップ」を、
マイケル好きから真に後継者として認められる人は、多分まだいないんじゃないかな。
そこで私は「いや、ブルーノ・マーズこそ現代のキング・オブ・ポップ(になりうる存在)でしょ!」と声高らかに吠えたい。
「24K Magic」で一番凄いのは、それまでの彼の曲に比べて大きな振れ幅を持っている点である。
正直「Just The Way You Are」や「Marry You」のイメージからは、アルバムを通して全然異なっているのである。
9曲通して、リズムの変化球がすごい。そして、全体的に懐かしい。
敢えて「マイケルの再来」を予感させるような曲作りをしたとしか思えないが、
そのなかで、ブルーノ・マーズの歌唱力、そしてそれを支える米国プロチームによって、
懐かしいのに新しい時代を感じさせる、これはつまりどーいうことよ???である。まさにMagic。
(ちなみに曲解説はこの記事が分かりやすい。http://realsound.jp/2016/11/post-10314.html)
楽曲のクオリティの高さはもちろん、正直その変化の振れ幅に驚いた。
今後、どこまで変化してどんなふうにワクワクさせてくれるんだろう、と。
その振れ幅の大きさ、完成度の高さは、現代の「キング・オブ・ポップ」にふさわしいと思う。
舞台に登場して首の位置、手の位置を変えるだけで悲鳴が上がる存在ではないかもしれないが、
各個人が自分の好みに合わせて優れた音楽を方々から集めることのできる現代、
時代が違うわけで。
まあ、結局言いたいことは、
そういう「私的現代のキング・オブ・ポップ」の東京ツアーを逃す、ということは
次行けたとしても、「24K Magic」の曲はそんなにやってくれないだろうし・・・
と、未だにごねているのである。
アニマトリックスや人狼(沖浦監督作品)とかは、スゲー大人になってからも、感動したし。
白いガンダム、初代ガンダムもアラサーの時に見て、スゲー面白いって思った。
心がささくれ立ったときには、人狼とか借りて見てみたい気はする。
40過ぎて。子供と一緒に観られるアナ雪とか、ミニオンも見るよ。
アナ雪なんて、すごく興奮しちゃった。。愛は、人から受け取る物では無くて与える物なんだーって。
(自分が小学校の高学年に、家族で風に谷のナウシカを観にいったんだけど、僕の親父は「あれはキリストの復活みたいなもんだな」ってエラそうな口を聞いていて、自分もそんな感じになったなーと思い出した。)
昨年のミニオンなんかも、BGMにマイケルジャクソンの曲を使って、親世代にも受け容れられやすいような中でのキャラ作り、脚本が作り込まれているんだろーなーと想像した。。
だけど、もうさー。
他のアニメもそう。子供の頃に夢中だった高橋由美子高橋留美子作品(うる星やつらとか)も、いまいちだ。
境界のRINNEとかも、何かの拍子でみても、話は、まぁまぁ昭和の頃から変わらないテイストだけどなんか、テンポが合わない。ゆっくりに感じてしまう。
海月姫も漫画では夢中に慣れても、アニメのテンポだとちょっと無理なんだよな。
ネットとか見ても、なんか、ムカつく絵柄のポプテピピックも分からないし。
未だに、ヱヴァンゲリヲン見てないし。。
子供の頃は、クリスマスや夏休み・冬休みのアニメ特集やら人形劇やら楽しみだったけれど今じゃその感性は、ない。
このまま、日本に生まれながらして一大産業の娯楽の良さを分からずに一生が終わりそう。
書いてることは概ね間違ってないけど、結論は間違ってる。
大衆がシンプルでキャッチーな音楽を求めるという見方は全く間違っていないし、実際にその理屈のもとで大成功を収めたベリー・ゴーディ・Jrという人物がいる。彼はもともとジャズが好きで、ジャズ中心のレコードショップを開いていたのだけれど、売れるのはより音楽的に簡素で演奏技術も高度でないドゥー・ワップやダンス向きのジャンプ・ブルースやロックンロールで、自分が売りたいものが全く売れなかったという苦い経験があり、そこから“リズムが豊かでわかりやすく楽しい音楽を作る会社”であるモータウン・レコードを創設し、ミラクルズ、スプリームス、ジャクソン・ファイヴといったミュージシャンを輩出していったという経歴がある。
音楽理論的に高度であるということが音楽的に優れている、という見方は極めて安直で、音楽理論的に高度な音楽は音楽理論的に高度な音楽なのであって、優れた音楽であることとは直結しない。
アメリカ、及び現代の音楽史を語る上で、アメリカの黒人奴隷(強制労働者)が生み出したブルースは欠かせないけれど、ブルース自体はごく僅かなコード進行からなる、元増田の言葉を借りて言うなら“音楽理論的に低レベルな”音楽だ。けれども、ブルースが持つ音楽的価値というのは極めて大きなもので、黒人がより高度な音楽教育を習得するようになった1950年代以降においてもシンプルなギター演奏だけで音楽を作り続けるレッドベリーやライトニン・ホプキンスといった黒人ブルース・シンガーの評価は続いていたし、更には彼らの直系の影響下にはウディ・ガスリー、ボブ・ディランといったビッグネームがいて、彼らについてはもはや言うまでもない。
それに、理論的高度さを追求する人間はシンプルな音楽を“低レベル”であると見做している、というのも違う。
例えば増田の言う現代音楽の分野で成果を残しているフランク・ザッパのキャリアはドゥー・ワップやリズム&ブルースといったシンプルな黒人音楽の内面化から始まっているし、生涯に渡ってこうした音楽に興味を持ち続けていた。ロックの文脈ではアヴァンギャルド、ノイズ、シューゲイザーの先駆者であるルー・リードもボビー・ルイス、アイズレー・ブラザーズ、ファッツ・ドミノ、フレディ・キングといった50年代の黒人ポップスの愛聴者だったし、日本でも山下達郎のジェームズ・ブラウンはじめ60年代のソウル・ミュージックの愛好ぶりはよく知られているところ。
というように、わざわざ結論を書き直すまでもないけど「音楽理論的に高度な音楽だけが優れた音楽であるというわけではない」ってこと。
>アーティストでも、若いころは電子音バリバリの歌を歌っていたのが、歳を取るにつれアコースティックな静かめの曲ばかり歌うようになったとか
これのわかりやすい例にロッド・ステュアートがいて、彼も年齢を重ねるに連れてビバップ以前、あるいはポップス寄りのジャズ・スタンダード(わかりやすい音楽)を積極的に採り上げてカヴァーしてます
諸用あり帰省した。
祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機のチケットを買った。
「実家で羽を伸ばしてきてね」
という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着ける場所は、もはや東京都北区6畳ワンルームの寝床のなかだけな気がしていた。
家族はあまりきれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから、実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。
けれども実家がゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分が関東の大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまりは自分のせいだ。
学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子を食べたあとのごみがうず高く積まれていて閉口した記憶がある。
妹の部屋に入りきらないごみが、自分の部屋にまで侵食していたのだった。そのままでは眠れないと思い処分したが、いざ寝ようと思った時、すえたチョコレートの匂いや埃臭さが壁紙に染み込んでいることに気づき、屈辱を感じた。
その日はなかなか眠りにつくことができなかった。
それからも実家に帰るたびに物が散乱し、形容し難く汚くなっていくのを見て、罪悪感に苛まれた。
帰るのが毎回億劫だった。罪悪感とともに、家族のことを恥ずかしく思う気持ちも芽生えていた。
大袈裟かもしれないが、実家が年々ゴミ屋敷めいていくのが、自分の能力の限界を示しているような気がしていた。
家が汚い人間がどれだけ教養を身につけようと思ったところで、限界があるのではないか。
幼少の頃、家にある本は「課長島耕作」と父親の買うパチンコ雑誌のみ。
家族は集中力がないからテレビのチャンネルをすぐ変える。認めたくないことだったが、自分の家族は、あまり頭がよくなかった。
今は恥じる気持ちも薄れた。お金がないのに関東の大学に通わせてくれて、感謝してもしきれない。だが実家は未だに汚いままだ。このままではゴミ屋敷そのものになってしまいそうである。
だから実家を掃除することにした。面倒だったので墓参り以外に予定もいれておらず、お金を使うのも億劫だったのもある。それに、帰省の前に北区6畳一間のアパートを大掃除したらそれが思いの外楽しかったので、楽しみながら掃除ができるのではと思っていた。
掃除をする旨を家族に伝えると、テレビが壊れて買い替えたので業者が来る、だからリビングから掃除をしてほしいと母親に頼まれた。
隅々まで掃除機をかけた。掃除機では取りきれない埃をモップでとった。絨毯にコロコロをかけた。こびりついた汚れに電解水を噴射し、こすった。面白いほどきれいになった。
楽しくなってきたことを伝えると、うずうずとしていたのか母親も参戦し、ともに台所の油汚れも落とすことになった。換気扇は全面が赤茶色にコーティングされており、パネルはジャクソンポロックの絵画のように汚れが飛び散っていた。
母親がどこからか出してきた業務用の洗剤を噴射してラップを貼り、しばらく置いた。そうして剥がすと、力をいれずとも汚れがスルスルとれた。そうしてあっという間にキッチンは、新築同然の姿になった。
こんな簡単なことだったなんて!自分が悩んだ、実家が汚いという事実や伴う罪悪感は、洗剤とほんの少しの労力で解決できるものだった。
こんなことなら、もっと前から掃除しておけばよかった。楽勝だった。御託を並べている場合などではなかった。さっさと行動すればよかったのだ。
キッチンは電源タップや炊飯器などあらゆる部分に埃がついて、油にまみれてしつこい汚れとなっていたが、少し力をいれたら完全に取れ、新品同様の姿となった。
ソファの合皮もてっきり経年劣化だと思っていたが、洗剤をつけてこすったらピカピカ光り出した。母親が歓声をあげた。
あまりに楽しかったので、掃除をモチーフにしたテーマパークを作ってみてはどうだろうかと想像したほどだ。
大人たちがピザを食べたりなどして見守るなか、子どもはキャストの指示のもと、換気扇の油汚れを落とすのだ。
テーマパークから帰った子供たちは、親の手伝いをするに決まっている。
今回大掃除に成功したわけだが、次に帰る頃にはまた実家は汚くなっていると思う。
見つけてしまったが、パンについてきたシールを適当にとっておくようでは駄目だ。人からの貰い物も躊躇なく捨てるようにならない限り、家はきれいにならない。
できる人間がしなければいけないのだ。この場合のできる人間とは、せずにはいられない人間という意味だ。
できる人間には、それができてしまうという限りにおいてしなくてはならないという義務が生じる。
母親は疲れ果ててできなかったのだ。父親も妹もまたそうだった。自分が恩返しをしなくて何になろう。
できる人が黙々とすればいい。これは掃除に限らず全てにおいてそうだと思う。人への気遣いとか、オリンピック競技の選手とかもそうなのかもしれない。
できてしまう人間はできない人間に対し、それができてしまうという限りにおいて、その行為をしなくてはならないのかもしれない。
なぜならできるということだけで、その人は恵まれているからだ。そして自分は完全に恵まれてしまっていた。全て家族のおかげだった。
帰省の折にたったの一度、大掃除をしただけで何を偉そうなことを、と思う。
盆は大掃除以外には何も素晴らしいことはなかった。祖父母や両親の老い、そして死の予感をひしひしと感じた。
自分はと言えばしたいことも欲しいものもなく、友人と会いたいとも遊びたいとも思えず、貯金への欲望があるのみだ。
自分もまたこうしているうちに死んでいくのだろう。ゆっくりと。その場所はごみに溢れているかもしれない。
だが自分は抗いたい。祖父母や両親の死は避けられない。しかしその最後の時まで恩返しをしたい。だからよい洗剤を探す。収納方法を極める。できることはなんだってしてやる。
■スタジアムによって違いってある?
ピッチのサイズはほぼじゃなくすべて同じ。芝生によってプレー状況はかなり変わる。
あとはピッチと観客席の距離なんかもプレーに影響すると言う選手もいる。
■国(リーグ)によって違いってある?
■審判によって違いってある?
ルールは基本的には世界で一緒。ただ、どういうサッカーが好まれるかは国によってかなり変わる。
ファウル基準なんかも違うみたいよ。まぁこれは人間が判断するもんだしね。
日本代表はコンタクトプレーに弱いからJリーグのファウル基準を変えようなんてのは毎年出てる議論。
世界中でやってる競技だから、野球に比べると文脈を読むような場面は少ないと思うよ
去年の日本シリーズでジャクソンだったけ?大谷を敬遠したときとか、どう思った?
もしくは次投げなきゃいけないピッチャーが打席に回ってきたときに無気力打席するのと同じじゃね?
勝負しろよと思う人もいるだろうし、それこそが勝負だと思う人もいる。ひとつのプレーでも見方が変わるし
優勝のかかった試合か消化試合かとか、シチュエーションでも変わるよな。
ただそれだけのことで、そもそもサッカーに限らないよそういうシーンって。
時間稼ぎが成功することもあるし、非難されることもあるし勝負として立派と思う人だっているし
生まれてから18年経つが、これまでの人生で私に贔屓のバンドは存在しなかった。
電波ソングとマイケルジャクソン、そして明和電機だけは好きでよく聴いていたが、クラスの友人が話す好きなバンドの話、なんてものに一切ついていけなかった。高校生らしくないな、とは私も思う。
さて、おおよそ1か月ほど前にネットサーフィンをしたところ、とある動画にたどり着いた。サイケデリックな背景に、アルカイックなCGが動いている。黒で透過したんだろうな、と思わしきバンドメンバーらしき人たちに、私は虜だった。
私はその瞬間、「P-model」に強く惹かれ、様々なワードで検索をした。根がオタクなのだ。仕方ないだろう。
気が付くと私はアルバム「P-model」を購入し、通学路で何度も何度も聴くようになった。次は「KARKADOR」を購入する予定だ。好きな音楽のCDを購入して聴く、こんな幸せなことはない。
贔屓のバンドが出来た私は、これで堂々と友人らのバンドトークに入っていくことができる。
「・・・誰?」
○朝食:きしめん
○昼食:ちゃんぽん
○調子
はややー。
今日は雪が降っててさすがに、散歩する天気じゃなかったので、家でのんびりしてました。
ゲームをしようかと思ったんだけど、なんとなくテレビの気分だったので、
Netflixでずっと見続けてた、フルハウス、フラーハウスのシリーズを見終えた。
フラーハウスのジャクソンとラモーナの微妙な関係が好きだったかなー。
色々とつまみ食いして、気に入ったのが「プリティ・リトル・ライアーズ」。
まだお話の部分はよくわからないんだけど、キャラクタが可愛くて面白くて良い感じ。
これもフルハウスに負けないぐらいシリーズが長く続いてるので、ゆっくり楽しもうと思う。
●3DS
外出してないので、未プレイ。
ログボのみ。
○ポケとる
ログボのみ。
てめぇらが一生体験、体感することができないありがたい話をしてやるから
その腐った耳と目を使ってよく聞け、できねえならそのまま死ね
はてぶ、増田だけじゃねえ。
インターネットに運びいる有象無象の陰キャのカスオタク共。お前らもだ。
まずな、インターネットに運びいる可愛そうな陰キャのお前らに教えてやるよ。
お前ステージにあがってんの?
上がってないよな、毎日毎日観客席の下からうんこ垂れ流してご苦労さん。
お前らはな、一生「ありきたり」で終わるんだよ。
お手軽に毎日毎日やってんな。引用して、話して、コメントつけて。
は、、、、、、
毎日毎日ありがたい他人の作ったものを食ってうんこしてるだけ。
ゴミ。手のひらの上で踊ってる。
「お前ら、誰の人生を生きてんの?」
クソつまらんな、お前。
お前がひところ偉そうに言ってるそれ、「お前が作れるの?」
作ってる。書いてる。ブログ書いてるもーーん!!
じゃ、ねえんだよカス。
他人の作ったモンにクソを塗りたくってるだけだろ?
お前らは、なーーーーーんにも、何一つ生み出せてない。
偉そうに、ステージの下で騒いで、ステージの下で馴れ合ってるだけだ。
作れねえじゃん。
welqだかなんだかキュレーションだか、それ、お前自身の話じゃねえじゃん。
いつまで他人の話してんの?地位も名誉も肩書きもキャリアも全て奪ったとき、残るお前ってなに?
自分自身100パーセントでお前が生み出せるものなんて、なんにもねえじゃん。
そのくせ偉そーーーに、「つまんない」だの、ジェンダーだの、クソみたいな事を撒き散らす。
語らない価値を知らない。
そうやって、誰にもなれずに、クソみたいな小金だけを得て
誰かの作った料理を食って
誰かの作った音楽に踊って
誰かの作った物語に感動して
そうして、金を得て上質な何かに触れて、消費して、その上質な何かに触れている自分に価値があると錯覚する。
誰でもできることを、一生繰り返して、他人のものを食ってうんこを吐き出すだけの、クソ生産機だ。
お前らは「みんなの誰か」にはなれない。
予防線を張って、偉そうにまとめて、お前らはステージの下から、下から、全てが見えると思っている。
誰の話をしてんの?お前の話は?
消費したところで、レビューしたところでお前の価値はあがらねえよ。
お前は、カラッポでありきたりで、クソなんだよ。はげば何も残らない。
お前らは知らない。
注目を集める人間の苦悩を。唯一性をもって自分自身で勝負している人間の苦悩を。
才能を信じていいのかわからず、不安になりながら、自分自身だけで戦う人間の苦悩を知らず、
何も生み出せないまま、他人の作ったものを食ってクソをはきだすだけだ。
探せばgoogleにあると思っている。
お手軽にお前が批判する人間が、なぜ「反論しないか」知っているか?
クソダサイって知ってるからだよ。
お前らみたいなカスの一言にいちいち反応して反論するのがダサいって、知ってるんだよ。
その代わりに作り出して、それを無言で叩きつけるのが一番かっこいいって知ってるからだよ。
googleにないものを、そいつらは自分自身で勝負してるから知ってるんだよ。
まぁ、わからないだろうな。ステージに上がらなきゃ、わかんねえよ。
引用して引用して論理性を求めて、その分自分の人生から一生剥離して、
他人の上で踊れ。
他人の上に成り立っているお前の上位互換は、腐るほどいるからな。
お前らはわからない。
ステージに上にあがれない。
上がったことが無い。
会社や仕事やネットじゃない、多くの人間にその場の現実でみつめられて、
パフォーマンスをしたことがない。何かを盾にしている。
自分は何もできないくせに。
誰もお前のことを認知できない。
肩書きも年収もキャリアも学歴も他人の話も奪われたとき、お前は存在しない。
せいぜい誰かにとっての誰かで終わる。
みんなの誰かにはなれない。
よかったな。
そのまま、一生やってろ。
何もできないまま。
一生論理性を追い求めて、予防線を張って、他人の話をして、検索してろ。
ステージの上に立つことがいかに恐ろしいか。それでも全てを捨ててでも。
そして、そのまま死ね。
ーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーーー
よぉチンカス共。
あがると思ってたよ、ホットエントリーに入ると思ってたよ。
お前らカスは、真実を突かれるとギャーギャー騒いで、誤魔化して、煙に巻いて、笑いものにしてなかったことにしようとする。
コンプレックス丸出しの、結局俺の言葉に、揚げ足取り繕って、そして下でギャーギャーやるだけのカス。
お前らみたいなカスは、どうでもいい。
そういうカスだ。
目に見えている物が全てじゃない。
コメントをつけないだけで、黙ってみているお前。
お前。「しゃべらなかった。コメントをつけなかった。つける気にならなかった」お前。
お前に向けて話をしたい。
これにギャーギャー言って騒いでるゴミはもう手遅れだ。
お前はまだ間に合う。
ケツの穴を俺に差し出せ。
お前は、熱量を信じるか。
論理性を捨てることができる、自分自身の話ができる熱量を、持っているか。
何をしたいのか、ステージにあがりたいのが、それとも、別に望んでいないのかは知らない。
「こんな風になりたくない」と思ったのなら、自分の熱量を信じろ。
方法論が知りたくなる。
ステージの上での、認められ方は、googleには乗っていない。
他人の話をするのでもなく、瞑想や方法論に頼るのではなく、自分自身の道を切り開くとき、お前の話は始まっていく。
そして、結果を残さなければ、目立たなければ、わかせられなければ、そのまま、降りて、またステージの下に還ることになる。
お前は、どれだけボコボコに殴られても、それでもビッグマウスでいられるか。
観客は忘れっぽい。動かなければ、すぐに忘れ去られるぞ。
お前が何かを叶えようとしたとき、googleに頼るのを、辞めろ。
遠回りでも、遠回りでも、その道を選べ。
自己啓発書を読むな。
読んだところで、お前はそいつには、なれない。
お前の道は、その本の先に乗っていない。
ステージに上がる前の、どこにも答えが書いてないものを探すとき、そのとき、己自身に答えがある。
血が冷えていく前の一瞬を信じろ。
無理をするな、休めといわれたときにこそ、手足が引きちぎられても、もがけ。
その先に見た答えが、お前の唯一性だ。
甘えるな。
熱量を信じるか。熱量を信じるか。熱量を、信じることができるか?
どれだけ馬鹿にされても、最後にビッグマウスでいろ。それを、貫け。
周りに、だんだんと自分より、「刹那的な誰もが体感できる娯楽を振りかざす連中」が出てくる。
惨めな気分だろう。惨めな気分になるだろう。
そのときこそ、何も語るな。
ビッグマウスでありながら、堅く口を閉ざせ。
その刹那的な娯楽よりも、お前が望んだ道の方が、誰もなすことができない瞬間だ。
インターネットじゃない。
全てを捨ててでも欲しい何かを得るためのの答えは、100億年経っても、googleには乗らないんだ。
自分自身で100回戦え。そして100回負けろ。
0戦0敗よりも、自分自身で戦ったお前は、誰よりも何よりも美しくかっこいい。
50点でも、60点でもいいから、お前の中にある自分自身を出せ。
頭の中じゃ、あらゆるものは傑作なんだ。
そうして、50点で笑われたら、そのことを、誰にも漏らさず小さく誇れ。
いつかの一回が、全てを。全てを。
熱量を信じることが出来るか。
熱量を信じることが出来るか。
論理性を捨て去れ。予防線を張るな。今まで身に着けてきた防具をはずせ。
語らないことの価値を知れ。
熱量を、信じきることができるか?