自分は作曲が趣味で、音楽理論を勉強したりしているうちに少しだけふと思ったことがある。
よく、昔は良い曲を作っていたのに、段々難しい曲をばかり作るようになっていって、人気がなくなっていくという作曲家がたまにいる気がする。
自分はいつも思うのだが、普通の人(音楽教養を嗜んでいない人)は理論的に簡単な曲を好む気がする。
つまり、メロディとコードがはっきりしていて、それでいて複雑なテンションも使われていない。
まあ、これは当たり前のことである。
例えばだが、写真を選ぶとなれば必然と綺麗な写真を選びたくなるのと同じで、普通の人間ならば、単に耳に聞こえの良い音楽を好むはずだということ。
しかし、作曲する側からすれば、耳に多少聞こえが悪くとも、技巧的に凝らされた音楽を作っているほうが気持ちよかったりする。
自分の持っている様々の知識や理論の引き出しが披露できる気がして、非常に気持ちが良いのだ。
また、作曲する側が音楽を聞くにしろ、ちょっと工夫が凝らされていたり、複雑な曲を聞いていたほうが楽しい。多少耳に聞こえが悪いのも、またそれが良いと言う場合もある。
作曲家も、最初は大した音楽理論も持っていなかったために普通の人と同じ価値観の曲を作っていたが、時間が経つにつれ作曲家はリスナーを無視して、複雑な音楽理論をどんどん応用した音楽を作っていく。
これによって普通の人はどんどんその人の音楽についていけなくなる。
という流れがあると思う。ただ、作曲家側からすれば、普通の人からの評価が得られなくなったとしても、同じレベルである作曲家や音楽を嗜んでいるリスナーから評価を貰えることになるので、そっちのほうが嬉しかったりする場合もある。
作曲における音楽理論の最終地点にあるものとして、「現代音楽」がある。
そもそも、現代音楽の1つとして”理論を無視しよう”みたいな考え方があるので、結局はすべての音楽理論を完璧に理解したあとは、ここに行き着くのではないかと思う。
蛇足で言っておくが、自分が思うに、一般的な音楽の理論を理解していない人間で「これは現代音楽だからこれはこれでアリなんだ」などとバカげたことを言う人が周りにいたのだが、そもそも現代音楽というのは音楽理論を理解した人間が最後に行き着く場所だからこそ、その人間の過去の経験などが生かされつつ理論を脱却した自由な音楽が作れるし、それに価値が生まれるのではないかと。(俺がピカソみたいな絵を書いても1円ですら売れないのと同じ)
ここまで言っておいて何だが、現代音楽に行き着くような作曲家など限られているし、ましてやポップミュージックの世界じゃそんな作曲家は存在しないと思うが、こんなようなことがたまに起きる気がするという話。
特にポップミュージックで売れ続けている作曲家というのは、リスナーが求めているものを正確に理解して、例えそれが作曲家側からすればかなり低レベルなものだとしても、呆れずに同じ価値観で曲が作れる人だと思う。
また、作曲家に限らず、アーティストでも、若いころは電子音バリバリの歌を歌っていたのが、歳を取るにつれアコースティックな静かめの曲ばかり歌うようになったとか。
長々と書いてきましたが、オチが思いつかないので終わります。楽譜も読めないような学生がこんな偉そうなこと言ってごめんなさい。でも匿名なので気にする必要がないってのがこのサイトの魅力ですよね。
書いてることは概ね間違ってないけど、結論は間違ってる。 大衆がシンプルでキャッチーな音楽を求めるという見方は全く間違っていないし、実際にその理屈のもとで大成功を収めた...