はてなキーワード: きたろうとは
自分が嫌でどうにかなってほしい
まず産んでほしいなんて頼んでないしこんな生き苦しい世の中に生まれたこと自体が間違いだった
産まれたくなかった
かと言って死のうと思うとそれはそれでお金も時間も労力もかかる
もしこの世にお金を払ったら誰にも迷惑かけずに死ねるサービスがあったら間違いなく利用する
いなくなりたい 誰からの記憶からも自分がいた痕跡すらも全部なくなって
迷惑をかけてはいけないっていう考えがずっと頭にあるし辛いのは自分だけじゃないっていうのも全部全部重荷でしかないのにその考えが頭から離れなくて
自分が辛すぎて抱えきれなくても他人に迷惑をかけてはならない、他人は私より辛いのだからって思い続けて
結局死にたさだけが募っていくしもう死んだほうが早い
何もない
どうしてこんな世の中に無責任にも人を生み出すのかが理解できない
その子のことを一生養っていくつもりもないのに
全部が嫌すぎる
どうにかして死にたい
選民思考じゃないけど世には生きていれば世の中にたくさん貢献できたろう人が死んでいく一方で
自分みたいに何もできない何もないようなのが生きているのはあまりにも理不尽
せめて生きたい人のために死にたい人が臓器移植して生きたい人は生きて死にたい人は死ねる制度とかがあればいいのにね
っていう投稿がきっと溢れてるんだろうなって思った
早く全部が終わればいいのに
Twitterに書こうと思ったけど
フォロワーとかに心配されるのも顔の知られている友達に見られるのも全部全部いやだからここに書いてしまった
早く死にたい
職域接種の受付ができないタイミングとスマートニュースの発表が丸かぶりしてしまって、職域接種を受けられない人にとっては、まるでスマートニュースが元凶のように感じられるのだろうな。
ほんそれ。過去の経緯を無視した悪意ある伝え方にみんなが乗っかってしまって、スマートニュースが謂れのない批判を受けることになってしまった。
別の増田が指摘しているように、そもそも職域接種の枠組みでの地域住民への接種は河野太郎自身が推奨してきたものだ。実際に、例えばソフトバンクの近隣住民10万人を含む25万人規模の接種を明確に容認している。これが6月15日で、この時点ではモデルナワクチンは「なんか打ちきれないほどいっぱいある」という風潮があり、政府もそれを煽っていた。
ところが6月23日になって、河野太郎は突然「想定外の数が来たからやっぱナシで!」と手のひらを返した。そんなのは事前に予測できたろうと思うが、ともかくそこで、「なんかいっぱいある」が一夜にして「実は限りある資源だった」という話に変わってしまった。そのとばっちりで、当初の認識で枠を多めに取り、渋谷区とも話をつけ、会場と打ち手(もちろんタダではない)も用意して「炊き出し」を地域住民に提供しようとしたスマートニュースが「蔵から盗んだ米を貧民に配る盗人」と悪人にされている。これはどう考えてもおかしい。責められるべきは、自治体向けのファイザーでの混乱も含め、供給計画を全くコントロールできていない政府の方だろう。
そもそも、政府が職域接種なんて話を言い出したのは、6月前半までのボトルネックが「ワクチン供給」ではなく「打ち手不足」だったからだ。ならば、国のカネで打ち手を雇って大規模接種のキャパを増やすなり、自治体に提供するなりすればいいはずだが、そうはならずに、なぜか「キミの会社にワクチンを恵んでやるから自分で打ち手を雇って勝手に打ってね、感謝しろよ」という話にすり替わった。これが「職域接種」の実態で、「オリンピックまでに接種数を可能な限り積み増したい」「だけどこれ以上予算を増やしたくない」という、政府にとってひたすら都合のいい話の野合と言ってもいい。
その職域接種だが、当初からいくつか問題が指摘されていた。そのうちの一つは不公平な制度だということ。職域接種は、一つの会場で希望者を1,000人以上確保しないと申込みができない。これ自体はロジの都合上仕方のないことだが、翻せば、一会社ごとの申し込みだと1,000人未満の中小企業は応募すらできない。スマートニュースは社員数250人らしいので、当然、本来は一社だけでは応募できない側だった。
中小企業勤務:「大手に入ってないから打てないみたいな理由は、ちょっと。働いている会社が違うだけで、あとは同じ人間だから。勤めている場所は、変えられないし。不公平だとは思います」
中小企業勤務:「平等にはしてほしいかなというのは、あります」「下で頑張ってる人たちが受けられないという現状は、すごく自分勝手というか。本当に国民のことを思ってるのかなとは思います」
これを乗り越えるために、民間では、中小企業同士が連絡を取り合い連合して数を束ねて申し込むということが行われた。当然の動きだが、結局は僅かな受付期間のうちに希望者の頭数を揃えられなかった「真面目な」会社が取り残されることになった。しかもこれは都市部だからできる技で、地方の企業はコネがなければこの輪に入ることすらできない。地方格差という観点で見てもひどい。
そもそも論として、職域接種では企業に属していない人や自営業者には機会すら与えられない。それを考えれば、スマートニュースの取り組みは盗人どころか、渋谷区限定で限られた数とはいえ、会場と打ち手の確保を通じて接種機会を公平に提供することに貢献したわけだ。スマートニュースは、今回、他の中小ITベンチャーと組んで申請することだってできたはずだが、あえて自社で全て用意することを選んだ。地域住民への接種にあたっては、各種の事務処理や折衝、接種者への連絡と追跡は主催者の責任になるので、従業員以外を対象とすることでむしろ負担は増す。これが称賛されるべきでないとしたら何だろう?
もう一つは優先順位の問題だ。国の当初の言い分では、高齢者や基礎疾患のある人(高リスク群)から優先的に打つ、ということになっていたが、職域接種でそこが有耶無耶になった。職域接種で使われるモデルナは、元をたどれば大規模接種で使われていたものだ。つまり、本来そこで接種を受けられるはずだった高リスク群の公平な接種機会を奪っていることになる。その結果、大規模接種センターは当初9月以降も運営予定だったものが8月で閉鎖することになり、「当初の予定通り」「ノウハウは示せた」といい話だった風に総括しようとしているが、明らかに、無計画な職域接種の破綻のとばっちりを受けたものだろう。
もちろん、不公平だから直ちに辞めるべきだというわけではないし、職域接種で打った若い人が罪悪感を感じる必要もない。若者に感染しやすい変異株が蔓延する現在の状況では、都市部の若い層の接種が加速するのはそれなりに利益もあるからだ。だが、それは本来、自治体接種への打ち手の追加という形で、自治体ごとの接種状況を見ながら計画的に進めるべきだったものだ。目先のオリンピックしか見えていない政府の行き当たりばったりな政策で大規模な混乱が生じ、そのせいで自社の持ち出しで打ち手を用意して協力した会社が盗人がごとく叩かれるって、日本という国はどんな地獄だ?
“自社の持ち出しで打ち手を用意して” 持ち出しなの?今は普通のクリニックで打つと、補助金やら合計するとクリニックには一発で4000円入るので、打てば打つほど儲かって、バイトを高値でかき集めているのだが。
厚労省の職域接種についての説明資料より抜粋(太字は筆者):
職域接種とは
補助金の話は分からないが、実際に接種するのは (1) 自社で抱えている産業医 か (2) 委託された医療機関 のどちらかだと思うので、少なくとも主催企業が補助金ゲットできるという話ではないんじゃないかな。
SBは従業員と家族15万人と近隣住民10万人を全国15カ所でやるんだよ。SNの何がダメだったかって、全国に対象企業はあるのに渋谷区限定にしてしまったことだよ。
「たった」250人の中から貴重な経営資源を割いた会社に、全国を対象とした事業でなければ善行と認めない、とまで言う勇気は私にはないなー。渋谷区だけでも十分じゃないですかね。上でも書いたけど、全国レベルの公平性が担保されてないのは国の失政が原因でスマートニュースの責任ではない。
10年ちょい前、新卒で入社した会社を辞めた。今思えばずいぶん軽い気持で辞めたのだが、そのあと世界中を旅したり、NPO活動に参画したり、色々あった後、事業を始めた。元来の小心者なので恐る恐るという感じでスタートしたのだけど、幸いなことに多くの人に期待してもらい、応援してもらい、ここまで来れた。
けど、順調でない時期の方が長かった。レールを外れてからは好きなことを好きなようにやれた一方で、真剣に死を考えるような苦しみも味わった。泣き喚きたくなるような混乱の中で寝ていることしかできず自分は出来損ないだと思い、何も成せていない自分を呪ったし、出口の無いトンネルに迷い込んだと感じていた。まさに絶望だった。
前職場にそのまま勤めて仕事を頑張れば、普通にそれなりの収入を得ることもできていただろう。当時の仲間や上司からは、戻ってきて欲しいとお声がけもいただいた(心から嬉しかった)。ある意味まっとうな人生を歩めていたのかもしれないし、家族も安心できたろう。だから、事業を始めてそれなりに成果を上げられるようになってからも、自分の選択にずっとどこに引っかかりがあった。
けど今年、完全に吹っ切れたと感じている。
2020年になり、自分の周囲の環境が大きく変わった。価値観を共有できる多くの類まれな人たちと出会うきっかけがあり、影響を与え合うことで周囲の物事をより良く変えていくことができると気づいた。それに合わせて仕事の規模や可能性も加速度的に成長した。
目指すべきビジョンが明確になり、そこに至るプロセスを日々開拓していけているイメージが明確になってきた。そしてそれが、自分自身驚くほどに日々加速している。
今となってはこの道を行く以外の人生はみじんも考えられないし、誰に否定されようともこのまま胸を張って進んでいける気がする。
ここまでとてもとても長い回り道をしたと思うと同時に、今のこの心境には、苦しかった過程を経たからこそたどり着けたのだとも思う。物心付く前からその旅はスタートしていて、生まれてからのすべての経験や出会いが全部今の瞬間につながっていると心から感じるし、これから待っているであろう新しいそれらは、更により面白い未来を組み立てることにつながっていると確信している。
人はいずれ死ぬ。奇跡的に与えられたこの限られた時間で、生きる意味をどこまで追求することができるのか。いずれ無に帰るのならば、思う存分楽しんで人の世を旅し、この生という仕組みの奥底を追求してみたい。旅も仕事も学びも遊びも、その一部であり手段だと思っている。
その足がかりとなる入り口に、今やっと立てた気がする。そこからの一歩として、まずは目の前にある「仕事といういい感じの乗り物」を駆って人の世を旅し、行けるところまで行ってみたい。
https://www.htb.co.jp/news/archives_8233.html
「空沼岳から札幌岳にむけて登山中」とあるので、空沼岳から札幌岳への縦走ルートのどこかと思われる。
https://yamap.com/maps/305/trails
筆者は空沼岳・札幌岳ともに登ったことはないが、どちらも単体では簡単な部類の山に見える(北海道の山は本州より難易度高めに見積もった方がいいが)。
しかしこの縦走ルートは距離も長く(コースタイム3時間程度)途中にいくつか危険ポイントもある。あまり使う人の多くないルートだろう。
今年は新型コロナの影響で例年より人出が大幅に少なく、この手のマイナールートはしばらく誰も通っていない可能性を念頭に置く必要がある。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4036904.html
こちらの記事には「登山道がササに覆われていたため日没までに下山できず、救助を呼んだ」とある。
ワンゲル部の生徒・教師に怪我人は出ていないため、他に理由はないと思われる。
登山道を覆っている藪をかきわけながら進むことを登山用語で「藪漕ぎ」と言うが、大変に時間もかかるし疲れもする作業である。
今回は笹が縦走ルートにびっしり生えており、ワンゲル部のグループより前に藪漕ぎをしてくれた登山者もいないという状況だったのではないか。
本件はヘリタク(ヘリをタクシー代わりに使うこと)案件であるが、学校の部活という事情があるためタクシーやむなしだったと思う。
本州の山ならビバークするところだが、羆がいる北海道の山で夜を明かすのは筆者もやりたくない。
函館で遭難したまま見つからない高校生が羆に食われたのではないかと噂されているだけになおさらだ。
ただし、札幌岳縦走をさっさと諦めていれば自力で下山できたろうし、そもそも計画に無理があった。
顧問の教師は猛省してほしい。生徒に責任はもちろんないが、勇気を持って撤退を提言してほしかった(言ったのかもしれないが)。
毎日新聞の世論調査によると首相支持率が急落しているそうで、つくづく首相にはなりたくないもんだな、とそう思った。
他の政策の賛否はともかくとして、目下の最大の問題である対新型コロナウイルス防疫政策についてもっとも成功しているのは日本だろう。
にもかかわらず、首相の仕事というものは民衆の賞賛という形では報いられてはいない。
一つは死者数の少なさと、今一つは我々の市民的自由への当局による制約が事実上一つもないということだ。
この二つを同時に達成した国は、他に一つもない。
なぜこの二つに注目するべきか?当たり前すぎるかも知れないが一応振り返っておく。
まず、死者数。
感染しようがしまいが、結局は命を救うのがもっとも重要だろう。
苦しい病気にかかりたくはないが、死ぬよりはいいし、感染しても症状がでないまま終わるのなら免疫ができるわけでかからないよりもいいかも知れない。出歩かれても困るが。
ちなみに超過死亡という概念もあり、国際的な比較にはこちらの方が有効だという議論もある。
この指数で見ても日本の状況は、諸外国に比較して優れていると言える。
もちろん、経済は重要だ。だが、経済のために自由や人権を無視して良いのか?そうではあるまい。
我々の一人ひとりが自発的にさまざまな自由の行使を控えているのだ。
自粛警察とか同調圧力とかいうのは瑣末な問題で、諸外国にもあるものだし、そもそも当局による行為ではない以上、政府による直接的自由の制約とは言えない。
緊急事態宣言にともなってそれらが生じたとは言えるかもしれないが、それは間接的なものであるし、ならば間接的な制約と直接的な制約でどちらが政府による自由への干渉の程度が大きいか?問うまでもない。
もちろん「自粛警察」による他者の権利の侵害は非難されるべきものだが、実際にそれは本物の警察によって取り締まられている。
マスクの転売禁止と、医療機関へ分配するためのマスク供給業者からの強制買上げ。
これらも市民的自由への干渉と言えば干渉なのだが、例えばフランスのように理由のない外出を禁じる(移動の自由への明白な制約)と言った強硬なものとは程遠い。
ましてや一個の都市からの移動の手段を完全に封じるとか、スマホにアプリをインストールさせて接触者を全部特定させるとか、「検査拒否罪」で強制的にPCR検査を受けさせるというものではない。
日本以外の国で防疫に成功している国は、どこも市民的自由をかなり大胆に犠牲にしている。
生命、市民的自由、経済、これらは三つとも重要だが、少なくとも生命と市民的自由を守るという点でもっとも成功したのは日本だ。
経済への影響は、どこの国もまだどの程度のものになるかは分からない。
ならば現時点では、日本のCovid-19対策こそが自由世界の模範であろう。少なくとも現時点では。
強調しておくべき義務を感じるが、日本の成功は「市民的自由を犠牲にしないCovid-19防疫は可能である」ことを示す重要な証拠だ。
「自粛」というのは社会的かつ自発的な行為なので、その主体は我々一人ひとりの国民だ。
我々の政府の選択は「社会における接触を8割減らす」という専門家会議の方針をバカと言われようがアホと言われようがほぼ「国民への呼びかけ」のみで実現することだった。
そしてそれは成功した。
政治は我々の社会が育んできた専門知を信頼し、愚直にそれを実行した。
その途上で、俗悪なメディアに煽られた民衆がPCR検査の実施拡大を求めたが、首相は拡大するとは言ったものののらりくらりと躱してきた。
こんなものを真面目にやっていたら(おそらくはできたろうが)本当に医療システムは崩壊していたろう。
さて、私が首相だったらと考えてみる。
なにをしていただろうか?
PCR検査を増やすとは言わなかったとは思う。足りないから増やせという発想ではシステムの別の部分を壊すことがあることを職業上よく知っているからだ。ただ、記者や低俗なワイドショーを口汚く罵って舌禍を起こしていたことだろう。
マスクは配ったと思う。暇でバカな痴呆老人がやることが無いから街からマスクがなくなっている。あいつらに我慢させるためにとりあえずばら撒いたるわ。だがやはり舌禍を起こしていたことだろう。
経済について私は何をしていただろうか?少なくとも手続きが面倒だとかなんだとかっていう連中には「お前ら、その金が必要ってことは仕事がないってことだろ。面倒でもやる時間くらいあるだろ。忙しくてやる暇ないなら商売繁盛で結構なことだ」と煽ってやはり舌禍だ。
・プログラムによる既存業務の効率化は目に見え易いので、非効率だった多数の人材と自分が匹敵する能力を持っていると勘違いしやすい点。
・オブジェクト指向やプログラミング自体に事象の抽象化や細分化、項目化といった思考が必要で、物事の数学的把握が必要な点。
・効率化によって職を失う人間はこの先も増えるが、自分達の仕事は減らないだろうという漠然とした思い込み。
・定量的、数学的把握は説明がしやすく、業務やプレゼンへの応用は楽だが、数値から漏れた部分や把握できないイレギュラーは無視しがちである点。
4つ目は敢えて言うなら文系の素養が必要で、これを持っている人間が一流。プログラムにできない(し辛い)部分を把握するプログラマーは自分の仕事の無意味さを認める事になるが、これを抱えたまま仕事をするのはメンタルの面からも大変。他に挙げるとすれば、専門用語が多く仲間内で親交をする傾向が高いので外部からの目に気付き辛い点、一種の官僚化だろうか。
それから6つ目(笑)と言ってもいいかもしれないが、プログラムその物の社会的意義まで頭の回っていない人間が多い印象はある。業務効率化による収益増は当然、自分の給料に反映されるが、そこから漏れた部分の責をプログラマは問われない。
一例を挙げれば、(文書に限り)郵便事業が縮小による情報伝達の効率化という恩恵は万人が受け、効率化に伴う収益は電子化業者が郵便事業者と分け合ってきたろうと推測されるが、電子化業務従事者は封書や葉書の印刷業者や納品業者、インク製造業や製紙業界までに頭を回す事が出来ない。もっと言えばパルプの精製や原料の輸出入にも関わり、産業としてはまさしく革命が起きていると言っても良いが、それを自分の仕事に係わる物だと捉えているプログラマーはまずいまい。
負の側面として電子文書は膨大な労力をかけてフォントや外字の整理を今も強いられ、ファイルフォーマットや送受信データ形式の細かな不整合を放置したまま進んできたが、それに関して電子化業務側からの社会への問いかけといった視点はなきに等しい。加えて、数値化不能な(文書に限る)郵便業務の益は、配達員と顧客のコミュニケーションや地域事情の把握、高齢者福祉に関わる面にまで及ぶのであり、それをモニターの前にいるプログラマが担うのは不可能である。
二行目に関しては特権意識とは全く関係がなく、言語による思考を行っていない人間に言語で話しかけるのが間違っているのではないか、と考える。
絵描きや作曲家の例を挙げれば理解は容易である。これらは頭を使っている、いない、の問題ではなく使い方が違うだけの話だ。
そもそも、頭を使うの対義は身体を使う、になるのかしれんが、ヒトがどちらか一方だけを使うなど有り得ないし、その活動の比重が脳に偏っていれば偉い、と言うのは思い上がりである。
こんな長文書いてトラバにせっせと反応してブクマたったの「5」w しかもブクマしているのは代わり映えしないいつもの面子
釣りでもマジでも才能無いの露呈しちゃったね。この地頭の悪さがにじみ出たゴミ文にどんな反応を期待しちゃった?10ブクマくらい?
んで、これからもたまたまブクマが付くまで消しては再投稿を繰り返すの?ネットの、しかも増田みたいな匿名サービスで反応もらうことでしか承認欲求満たせない人生って惨めだな
それこそTwitterというバズれば4桁いいねRTは稼げる場所があるのに増田に固執するのってどんな理由?インフルエンサーにすら見つけてもらえないネットの雑魚か?その他大勢か?
代わり映えしないいつものブクマカが気まぐれにブクマして貰えた反応がブクマ5トラバ15。これがお前の限界だよ
いいですね!!!!www
通いのピンサロが突然閉店になった
コロナの影響だそうだ
何もせずに裸で抱き合って他愛もない話をするのも好きだった
客としてなのか人としてなのか分からなくなって接していたけれど
愛情なのか肉欲なのか、まぜこぜにした何かが確かに満たされる時間だった
会えなくなってしまう
分かっていればお別れの挨拶でも言えたのに
毎週のようによくカラオケに行って遊んでいた女友達とはカラオケにいけなくなった
翌日仕事があるのに朝まで二人で歌うことは何度もあった
コロナの影響からか知らないが、今度結婚するらしいことを最近知った
性欲は外注して発散すればいいだとか言っていた
自分のことを優先してくれる人がだれもいないことに気づく
そういった帰るべき場所以外はつながりが薄くなる
ほんと一人はつまんねーなって
そろそろやって来る何もない連休を前にして
よりいっそう思った
Win-Winでは?なぜ素直に「おめでとう」と言えないのか?
この人みたく揚げ足取りされるから、わざわざ表明する人がいないだけで。
(普通に考えてオタク界隈から離れるのが目的なのだからオタクノリの薄いコンテンツはノーカンでしょうが)
(その程度の情報さえ読み取れず「創作物ヴィーガン」という言葉選びにケチをつけている)
(もしくは「ネットはオタクのものだから、オタクが嫌ならネットから出ていけ」とでも言いたげな様子)
(大丈夫か?)
むしろ「見切りをつけた集団からは距離を置くのが唯一の正解」ぐらいのことを言っているのが普段のはてなぁでないの?
その点、この人は別に他人にまでそうしろと勧めてるわけでもなし。
客観的に見ると、今回のブクマカの反応はやたら攻撃性を帯びているように感じるが。
しかも自分から勝手に文章を読みに来て文句を言っているわけだ。
それこそポスターにして見せつけられているわけでもない。
もし仮にポスターにして貼ってあったらどうなるんだろうか?
最近思うのだが、オタク界隈はもう「批判されることさえない」段階に突入しているのではあるまいか?
そろそろオタク界隈の終わりを受容しよう。