2020-10-02

レールを外れて、ほんと良かった

10年ちょい前、新卒入社した会社を辞めた。今思えばずいぶん軽い気持で辞めたのだが、そのあと世界中を旅したり、NPO活動に参画したり、色々あった後、事業を始めた。元来の小心者なので恐る恐るという感じでスタートしたのだけど、幸いなことに多くの人に期待してもらい、応援してもらい、ここまで来れた。

けど、順調でない時期の方が長かった。レールを外れてからは好きなことを好きなようにやれた一方で、真剣に死を考えるような苦しみも味わった。泣き喚きたくなるような混乱の中で寝ていることしかできず自分は出来損ないだと思い、何も成せていない自分を呪ったし、出口の無いトンネルに迷い込んだと感じていた。まさに絶望だった。

職場にそのまま勤めて仕事を頑張れば、普通にそれなりの収入を得ることもできていただろう。当時の仲間や上司からは、戻ってきて欲しいとお声がけもいただいた(心からしかった)。ある意味まっとうな人生を歩めていたのかもしれないし、家族安心きたろう。だから事業を始めてそれなりに成果を上げられるようになってからも、自分選択にずっとどこに引っかかりがあった。

けど今年、完全に吹っ切れたと感じている。

10年の模索の末に、やっと。

2020年になり、自分の周囲の環境が大きく変わった。価値観を共有できる多くの類まれな人たちと出会きっかけがあり、影響を与え合うことで周囲の物事をより良く変えていくことができると気づいた。それに合わせて仕事の規模や可能性も加速度的に成長した。

目指すべきビジョンが明確になり、そこに至るプロセスを日々開拓していけているイメージが明確になってきた。そしてそれが、自分自身驚くほどに日々加速している。

今となってはこの道を行く以外の人生はみじんも考えられないし、誰に否定されようともこのまま胸を張って進んでいける気がする。

ここまでとてもとても長い回り道をしたと思うと同時に、今のこの心境には、苦しかった過程を経たからこそたどり着けたのだとも思う。物心付く前からその旅はスタートしていて、生まれからのすべての経験出会いが全部今の瞬間につながっていると心から感じるし、これから待っているであろう新しいそれらは、更により面白い未来を組み立てることにつながっていると確信している。

はいずれ死ぬ奇跡的に与えられたこの限られた時間で、生きる意味をどこまで追求することができるのか。いずれ無に帰るのならば、思う存分楽しんで人の世を旅し、この生という仕組みの奥底を追求してみたい。旅も仕事も学びも遊びも、その一部であり手段だと思っている。

その足がかりとなる入り口に、今やっと立てた気がする。そこからの一歩として、まずは目の前にある「仕事といういい感じの乗り物」を駆って人の世を旅し、行けるところまで行ってみたい。

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