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ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]
Webサイトいくつか運営してる者だけど、Webライターは滅びないだろ。
E-E-A-Tだ。
人の経験の伴わないコンテンツに対して、Googleは評価しない方針。
それに、Webの文章の世界も、単にドメインパワーが強くて記事を大量生産すりゃ良いって問題じゃない。
読者をグイグイ引き込む文章が書けないと、ランキング上位だろうがCVには至らない。
Googleアドセンスだって、放っておけば踏まれるような単純なものでもない。
むしろ、仕事の取り方やライティングテクニックを、きちんと伝えようとする人が増えたから昔よりは環境良いくらいだ。
「アブジェクシオン(abjection)」は、フランスの哲学者・精神分析学者のジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)が提唱した概念。
この用語は、汚物や死体などの「穢れ」とされるものに対する心理的な反応や、社会からの排除のメカニズムを指す。
アブジェクシオンは自己と他者の境界を守るために重要な役割を果たすが、同時に恐怖や嫌悪感を伴うものである。
アブジェクシオンは、自己(主体)と他者(客体)の境界を保つための心理的な反応。主体が自分と異質なものを排除しようとする過程で生じるとされる。
身体的または精神的に「汚い」と感じるもの(血液、排泄物、死体など)に対する反応であり、これらのものは社会的にもタブーとされ、排除の対象となる。
クリステヴァは、文学や芸術がアブジェクシオンの感覚を探求し、表現する場であると考えている。これにより、個人や社会の無意識の中にある恐怖や嫌悪が表面化されると。
この考えの面白いところは、よく起こるWebの炎上を説明できること。
たとえばフェミニズムにおけるアブジェクシオンは、女性の身体が「汚れた」ものであると扱われたプロセスを説明するものだが、トランスジェンダー排除の生理的な感覚を説明するものでもあり得る。
「もる」と「さかる」が同じ漢字なの、「つらい」と「からい」くらい誤解をまねくよね
女性管理職の割合、かなり「盛られていた」 複数の地方銀行、「厳密な基準」に当てはめたら驚きの結果が:東京新聞 TOKYO Web
AIの登場によって絵師がその仕事を諦めざるをえなくなるとしたら、
こういう発想が出てくる事自体おこがましいことなんだってことに気付いて欲しい
反AIが嫌われるのは「テクノロジーの発達によって属人的な技術が普遍化するのは喜ばしいことだ」っていう人類全体の進歩の大原則に歯向かっているからなんだよ
テクノロジーの発達によって職人的な仕事がなくなっていくってのは当たり前のことだし、それ自体は非常に良いことなんだってことをまずはわかってくれ
画材の専門店なんてのが主要駅の近くには必ずあって今で言う絵師に相当する人間はAmazonなんてあるわけないからわざわざそこに赴いて自分の技術に必要な商品を買っていた
ところがPCのソフトウェアの発達とペンタブの登場によってイラストに関する画材市場は壊滅的な打撃を受けた
パソコンならいちいちペンを持ち替える手間もないし書き損じたときに0からやり直す必要もないからどっちが便利かなんて明らかだったんだよね
ソフトウェアの製作者はユーザーの声を聞きながら「どうやったらあの画材の書き味をパソコン上で再現できるか」ってことに腐心して(反AIの言葉を借りるなら無断学習して)研究開発しまくった
その結果、結局今となっては画材屋なんて軒並み潰れ果てたし画材の製造会社だって何社も潰れまくっている
あるいは印刷分野に目を向けてもいいよ
今では考えられないことだけどadobeがここまで普及する前は印刷屋さんにDTPを行う専門の技術者が必ず常駐して高給で働いていて、同人を描いている人はみんなそこに依頼していたんだよね
絵描きの全員が印刷に適したデータを持ってこれるわけではないから、紙に書いた生原稿をスキャンしてちゃんと形式を整えて装丁して一冊の本として出す
当然いまはその程度の作業なんてみんな家で簡単にできるようになったからDTPの職人の働き口はめちゃくちゃ狭くなってしまった
絵師の使っているソフトウェアなりペンタブなりは全部そうやって廃業していったDTP職人なり画材の製造職人なり画材の卸問屋なりの屍の上に成り立っている技術なわけ
で、反AIはデジタル画材の普及に際して「創作市場そのものを縮めていく効果がある」なんて声を上げたりしたわけ?
してないよね?
自分たちだけが特別扱いされるべきだって考え方を恥ずかしげもなく披露しているその傲慢さは本当にどうにかしたほうがいいと思うよ
そしてまともな社会人はみんなこの手の技術革新に対してはちゃんと柔軟に対応しているんだよね
自分の携わっている産業が誰かの廃業の上に成り立っていることを自覚して、あるいは自分もいつ廃業するかわからないリスクを抱えながらキャリアプランを練っているわけ
例えばWEBライターなんかはあと数年で滅びるだろうけど、いまWEBライターやっている人もその経験を活かしてWEBサイトの分析等を行うマーケター、サイト運営そのものを担うWEBディレクターなんかに転職して、あるいはもっと趣味的で属人的な文筆業に鞍替えしたりして生き残ろうとしているわけ
仮に下手くそな絵を描いていたのだとしてもPhotoshopとか画像編集系のソフトの扱いに長けているんでしょ?
AIの登場によってむしろAIが生成した画像をレタッチしたり修正したりする仕事は需要が爆増するだろうし、あるいはちゃんとした審美眼を持っているデザイナーだって重宝されるに違いないわけじゃん
ラダイト運動自体は「利益追求による失職、地位低下、労働災害、労働環境の悪化などイギリスの労働者の利益を代弁する労働組合がないことから生まれた反動」でありそれ自体が悪という評価は別にされていないので
AIが様々な問題を孕んでいるのは事実。その問題を建設的に解決する方向に行くのではなく、問題で苦しんでいる人々を叩いて黙らせる方向に行くのは非常に浅ましいと思う。ちなWEBエンジニア。
「タワマン文学」って、Xで垂れ流して一見実話かのように見せ掛けるからバズるのであって
最初からフィクションとして出されていたら作者の偏った思想を一方的に聴かされてるも同じで何の面白味もないと思うんだが
こういうものが持て囃されて直木賞を取るようなら、ますます時代は自分に合わなくなったんだなーって感じ。
歳を取るとエンタメがつまらなくなると言われているの、よく分かる。
かといって今更子供を産んで「2周目の人生」を生きるなんて出来ないので、つまらないと思いつつもダラダラ生きるしかないんだけど。
“タワマン文学” 麻布競馬場さんが描くZ世代の本音とは | NHK | WEB特集
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240716/k10014512681000.html
毒の思考をしているようだ。
できれば何も考えないことが望ましいが、それだと、生活に不便なことがある。そんな時は現在のことだけを考えるんだ。
どうしても考えてしまう時は、2分間だけ歌を歌うと毒の思考を継続できなくなると言われている。私の場合は、6秒間歌うだけで、毒の思考を追い出せる。非常に有効だが、周りに人がいると気味悪がられるなど制約もある。
あなたがやっているように、考えを書き出して整理するという手もある。有効だ。増田やTwitterではなく、紙に書くことを強く勧める。webに書くのは、無意味にリスクをとってしまう。キャンパスノートの表紙に「ツイッター」と書いて、そこに書き込めばいい。要らなくなったページは破っていい。
以下はそれっぽいやつ
web.archive.org/web/20191025134027/anond.hatelabo.jp/20191024020218
web.archive.org/web/20191112110154/anond.hatelabo.jp/20191112112951
web.archive.org/web/20220705103019/anond.hatelabo.jp/20200428220226
web.archive.org/web/20200620180448/anond.hatelabo.jp/20200511000018
web.archive.org/web/20211017232159/anond.hatelabo.jp/20200522093502
web.archive.org/web/20220816103807/anond.hatelabo.jp/20200912141626
web.archive.org/web/20220913083805/anond.hatelabo.jp/20201029220350
Ruby全盛期のちょっと後くらいからWebエンジニアをしているんだけど、React.jsがいろんな意味で扱いにくすぎる
関わっている人にもフロントエンドエンジニア(=React.jsしかやりたくない)が多いのでここに強めの毒気で吐き出しておく
ライフサイクルや裏側の仕組みをなんとなく理解していないと使えず無意味に複雑
useEffect一つとっても~~の場合はuseStateでいけるとかTIPS集みたいのがあるけど、そういうウンチクみたいなのわかってないと使いこなせないのは仕事増えてない?
仮想DOMで高速化とか言っているけどライフサイクル理解しないと速度でないよね?いつものプロジェクトそんなにちゃんと書けてる?jQueryで良くない?
ベストプラクティス知っててちゃんと設計しないと改修する工数がすごいことになる
そもそもプロジェクトにおいて作るものは都度変わっていくので完璧な設計は存在しない。なので、設計をきちんとしないとカオスになるのはReact.jsのほうが間違っている
React.jsと別のフロントエンドライブラリ比較するだけで空気悪くなるので正直フロントエンドエンジニアの人の前で話せない話題がある
なぜかフロントエンドライブラリをReact.jsしか許さない人が多いのはなぜ
言うまでもないけどNext.jsの記法はひどすぎる。Remixは良いけどそれならもうReact.jsじゃなくていい
数少ないメリットだったエコシステムだけど、もうReact.jsしか対応していないことなんてほぼ無い
フロントエンドリッチでアクセス数ものすごいサイトを運用するのにフロントエンドライブラリが必要だった時代にReact.jsを開発する必要があったのはわかるけど、もっと便利なフロントエンドライブラリあるし正直時代遅れなのを理解してくれ
この言い方も古くなったな。イケハヤ元気だろうか?(興味ない)
うーんどうしたら音声付き動画を勝手に再生するのを止められるのかなあ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4756131185384734112/comment/nakag0711
であり、そんな消耗から遠い地に移住を果たした私は全ブクマカに声を大にしてアドブロックをオススメするのであります。
具体的には、昨年末ホッテントリ入りした、下記ブログの対策をすること。
これで、勝手に再生する動画に煩わされることはなくなるし、大量に張られているWEB広告を知覚しながら意識から追いやるという認知不可からもおさらば。
この、知覚しながら認識しないようにするというのが、自然とできているようで、実査にWEB広告を消してみるとこんなにスッキリした画面だったんだと感動すらある。
まー、でも自宅鯖にDNS建てるとか面倒だって人は、とりあえずAdGuardが公開しているDNSを設定してみると、その効果を感じられると思う。
言ってみれば、移住先にお試しで1週間ぐらい泊まってみるってやつだ。先のページのこのコメントで言及されてるやつね。
前は同じことをやっていたが面倒くさくなって端末に直接AdGuardのDoHを指定するようになった
https://b.hatena.ne.jp/entry/4746515581533875055/comment/Rambutan
じゃ、それでいいじゃんって話しだけど、自分でAdGuard Homeを導入すると、以下のようなメリットがある。
やってみようと思ったそこのあなた!今日明日は休みで天気が悪いかなら、ちょうど良いタイミングだぞ。
ほとんど最初のブログに書いてある通り何だけど、私が最初分からなかった、Tailscaleの導入理由について補足する。
Tailscaleってのは、今あるネットワークに加えて、VPNで新しいネットワークを作るアプリだ。(個人の理解です)
凄いのが、ご家庭のルーター内部にいるサーバと、4G/5G回線のスマホが、ルーターの設定なしにつながるところ。さらに、そのスマホを家のネットワークに繋いでも、TailscaleのVPNはつながったまま。もはや、どういうテクノロジーで実現しているのか良く分からない。
で、なんでTailscaleが必要かって言うと、Tailscaleの機能で、つながった機器のDNSをTailscaleで設定したDNSにしちゃうよってのが出来るから。
元のブログの「ウェブブラウザからTailscaleの管理画面にログイン後、DNS設定ページに移動します。」ってあたりからがそう。
このやり方の賢いところは、Tailscaleの接続を切れば、いままでのDNSを参照してアドブロックが解除されるところ。最初に上げたメリットで、アドブロックのON/OFFが「Tailscaleアプリ起動>VPNに接続/切断をクリック」で実現できる。
後はやるだけ!
一応、デメリットも書いておく。
例に上げたオオタニサンの記事のように、WEB広告満載のページを開くのに時間がかかるようになります。
これは、大量のDNSクエリをフィルタにぶつけているからで仕方がないかなと。
NOTEや、Qiitaのように、独自でマネタイズ頑張ってるところは、ほぼ影響なしです。
なかなか表示されないページは、「あー、広告たくさんなんだろーなー」と思いつつ、先にブクマのコメントを読んでればいいので、実質的にはデメリットとは言えないかも。
あとは、AdGuard HomeとTailscaleを信用するかどうかですね。
私がもう我慢ならないとアドブロックを行ったのは、出てくるWEB広告が軒並み「アソコドーピング」になったから。
いや、pronhubで出てくるならいいけどさ、ゲームやアニメの情報見ようとしてもアソコアソコアソコ。
しかも、最近のアダルト広告、画像を生成AIで作ってるのか、なんか微妙な気持ち悪さがありません?見ていられなくてWEB広告を根こそぎ排除する方向にしました。ページの内容に沿った広告ならいいのに、現状は広告主が広告内容に責任を持たない状況なので、自衛するしか無いという結論。
これは私の場合だけなのかもしれないけど。
そして気づいたことは、その広告が私に作用するものがほとんどないということ。
そうすると広告を何秒間か見せられる、というパターンが多いのだが、
5秒間とかそういう時間のあいだただ目的の記事に対して意識は集中していてその広告が眼中にない。
それはすなわち私に対して広告がターゲッティング出来ていないというのもあるし、
そもそもその広告が目に入らないように私の脳みそのシステムが出来上がっている。
なんというかテレビCMとか雑誌の広告のようには視覚に入って来ない。
これがYouTubeとかの動画が再生される前のCM動画だと話はもちろん別になるんだけど、
テキストサイトを読むための待ち時間に表示される広告というものは全く眼中に入らない。
じっと「あと何秒で報酬を得ます」というような文字とその広告を消すための「✗」印を眺めている。
本当にただの待ち時間、これを表示させることによって目的の記事を読めるという報酬を得るための何もしない時間になっている。
これは私にとっては、ということなんだけど、いったいこんな広告に果たして成果はあるのだろうか?
繰り返しになるけど、報酬型(という言い方は間違ってるのだろうけど)のweb広告に対して私の脳みそシステムは全く反応しない。
なぜならそれは眼中に入らないからだ。