はてなキーワード: 車社会とは
北海道在住。
近くに深夜1時までやっている銭湯がある。
秋のもうだいぶ寒くなった頃、12時過ぎに自転車で銭湯に向かっていた。
車社会の都市の郊外にある銭湯だ。通りは広く、人の往来はほぼない。
歩道の向こうに昔ながらの「黒いゴミ袋」がドンと置かれていた。
街路灯は少ない。
初めはなんでこんなものが置いてあるのか疑問だった。
すでに有料ゴミ袋となって久しい。
自転車で、それなりの速度で通り過ぎるとき、それがあぐらをかいて座り込んでいた小柄な人間が着ているウィンドブレーカーだと気が付いた。
男は微動だにせず、歩道の真ん中で、ゴミ袋みたいな背中でうずくまっていた。
当然帰り道も同じ道を通る。約1時間後。午前1時過ぎ。
黒いウインドブレーカの男は、さっきと全く変わらない位置で黒いゴミ袋のようにみえた。
通報したほうがいいという意見もあるだろう。こういうネットではなおさらそうしたくなるだろう。
だが俺はしなかった。
だか俺はしなかった。面倒だからだ。
男は完全にやばい状態だ。寒い外で1時間全く姿勢が変わっていない。
私はそのまま帰って、日常を過ごした。
薄情さはちょっとした積み重なりだ。
いくらでもネットから批判したまえ。あそこにいたの私だけなのだ。
そしてもし貴方があそこに携帯持たず明日朝一で大事な仕事を抱えていたりそうじゃなかったりして、「黒いゴミ袋」を自転車のスピードで過(よ)ぎるとき、何をどうするか、考えてみてほしい。
まるで昭和の日本や地方や田舎の世界へタイムスリップしてしまったのではないかと
たかが何キロか何十キロかの移動だけで強烈なストレスを強いられるのだ
2020年1月に起こった武漢コロナウィルス、そして「想定外」な医療機関の混乱
中国では大規模な経済活動の停止、交通インフラの突然死、学校の突然死、社会機能を失い、さらに大量の死者の危機と
最悪の場合、中国全体が、いや日本や韓国までもが汚染そして国が崩壊する
だが、改めて考えてみたい。ここ10年で日本で起きた交通問題とは何か?
高齢者の自動車暴走事故、あおり運転などの迷惑運転の続発といった車社会の敗北の連続ではないか
急停止ということになるだろう
だが最近のニュースを伝えるテレビでは専門家(なぜか変な知識人が多い)が
どこまで深刻になっているかどうかはわからないという無責任なコメントをくり返し
さらにキャスターが日本の内需の半分を支えているのは車社会経済だという
つまり車社会がなかったら貧しい生活をおくることになるということ
そして武漢コロナウィルスへの不安による異常な状態が国民の不安をかきたてるのだ
かくて御用医療機関による武漢コロナウィルスの公共交通内での空気感染説キャンペーンは「やはり公共交通依存は危険」「やはり車社会は必要」だという
日本では流行らない前提で結論を出そうとするから色々な説を考えてしまうが、単に日本ではそういった文化があまり無かっただけだと思う。
私はよく日本文学など聞いているが普通にオーディオブックは楽しい。
アメリカは車社会で日本人の数倍車乗るからラジオやオーディオブックを車で聞くことは普通になっている。
日本では長時間じっくり聞く習慣が無いので流行りにくいのかもしれない。
もう一つの要因として日本のオーディオブックの種類がまだまだ少ないこと。
聞きたいと思う本がオーディオブックになっていることは稀でそこを掘り出せてない感じがする。
好きな声優が人気のラノベをオーディオブック化すれば特定層に需要があるかもしれない。
この本をこの人の声でやってくれたら買うという一定の票が集まれば作ると言う方法があってもいいかもしれない。
どちらにしろ日本のオーディオブックのインフラが貧弱でブルーオーシャンの可能性がある。
車通勤やジョギングである程度の時間が空く人はぜひ試してもらいたい。
電車通勤でも有効に使えそうだが、電車はうるさいので音楽ならともかく深くじっくり聞くオーディオブックは装置が進化しないと難しいかも。
地元は地方都市で,高校までの移動手段はチャリか徒歩だった。近所は細い農道や産業道路ばかりだったのだが、そういう道は大体歩道がなかった。
車と物理的にぶつかったら勝負にならないという側面もあるけど、それ以上に人間ではない重量級の何かが自分のすぐ側を高速で走り抜けていく事実がすごく怖かった。
特に夜。街灯がないと外から車内の様子は見えないため、本当に人が乗っていない巨大な鉄の塊が走っているように思えた。
地方は車社会なので真昼間を除けば常にかなりの量の車が行き交っていた。そんな道の脇を必死に通学するのは本当に苦痛だった。いつ死ぬか分からないという恐怖を常に感じていた。車がとにかく怖かった。
東京23区内に住むようになって電車での移動がメインになったので、そういう道を歩かなければならないケースは大幅に減少した。
細い道路を歩くにしても9割以上は分離された歩道があるし、通勤通学時でもそこまで混んでいない。
東京に出てきてようやく安心して出歩けるようになった気すらする。東京は歩行者にやさしい。それだけでも東京に出てきてよかったと思っている。
不正乗車の話を見て、ふとアメリカの電車に乗った時の話を思い出したので書く。
それほど昔の話でもないし、今でも何も変わっていないと思う。
アメリカには観光でいたわけではなくて、とある地方都市に在住して仕事をしていた。
ちなみに都市圏全体で何百万人も人が住んでいる全米有数の都市である。
車社会であるから、鉄道の路線網は世界一の鉄道大国である日本とは雲泥の差であるが、一応その都市では主要な路線となっている電車に乗って通勤してみたことがあった。
駅に行ってみて驚いたのは、駅員どころか、改札も何もないことである。
券売機は、恐ろしく頑丈そうな鉄の箱で、なんと料金は一律で「一日乗り放題」「半日乗り放題」「7日間乗り放題」みたいなものしかない。
電車が来て乗りこむ。車両は海外で製造されたものだということでなかなか立派である。
日中でもあり、治安の悪さも感じなかった。乗っているのは案外普通の人ばかりである。
そうこうしているうちに電車は目的地に滑り込み、下車をするのだが、この流れでお分かりいただけるだろうか?
アメリカでは、ぷらっと駅へ行って、お金を払わずに乗って、降りてなんてことも当たり前のようにできるのである。
では、どうやって不正乗車を防ぐのか?
何度か乗っていて分かったのだが、稀に駅で非常に体格のいい黒人の男性や女性が制服で乗ってくることがある。
すると、彼らはいきなり連結部の扉の前に立ち、まるで囚人を検査する看守のような態度で誰も逃げられない態勢を作るのである。
何も悪いことをしていないのに、恐ろしい気分になってくる。
ある時は、彼らが乗り込むのを察知して、男がダッシュで間一髪電車から降りたのを見かけた。
また、勘のいい方なら気付いたであろうが、一日乗り放題券なのだから、切符を他人に譲ってもらえばそのまま使うことができる。
ある時は、降り立った駅で浮浪者に声を掛けられ、切符を恵んでくれと頼まれた。
勿論、心優しいわたくしめは不正乗車に手を貸し、喜んで切符を差し上げた。
始発の駅は、少し立派でより巨大な駐車場と、簡素な建物があった。
建物の中には自動販売機があったのだが驚いたことに、黒い鉄格子の中に自動販売機が入っていた。
お金を入れる場所や、商品を選ぶボタンや、飲み物の取り出し口に隙間があり用を足すことになっている。
駅から少し離れた駐車場の周囲には、得体のしれないその日暮らしのような人たちが常にたむろしていてとても夜は訪れることができる場所ではないなと思った。
そういったわけで、これはまさにカルチャーショックであった。
不正乗車を防ぐ地道な取り組みを含む小さな改善を積み重ねて、今の日本の当たり前が当たり前になっているのだなあと思う次第であります。
日本のみならず、消費物としての自動車文化は欧米を中心に見限られている。地球温暖化問題への対応を名目にアメリカでは熱心な自動車離れが進んでいるが、実際にはアメリカですら車社会の時代ではないという認識が広まっているからである。
自動車で大衆から甘い蜜を吸う時代は先進国ではとっくに過ぎ去った道である。自動車が占めていた利益は、公共交通やIT産業やメディアコンテンツにシフトしている。
日本の自民党政権は高齢者の自動車離れ促進政策を進めているが、若者からすれば無料であっても欲しくない魅力の全然ない時代錯誤のゴミとしか認識されていない。日本では消費物としての自動車は国民に見限られている。自動車産業も貿易抜きではとてもやっていけなくなっている。
自分は決してリア充だったことなんてないし、大学なんて究極ボッチだった。
でも30過ぎてから色んな社会人サークルに参加するようになって、こんな自分でもこんなに人間関係作れるんだって感動したんだ。
でもさこういうのって都心に住んでるから参加できるのかなって思うわけ。
自分も20代の頃、仕事で地方都市に住んだんだけど、やっぱ車社会って侘しいよね。
ためしに「地方都市、読書会」で検索したけど、ホントヒットが少ない。
それで地方の若者がイオンがないと生きていけない。遊ぶ所がないっていうの?
それはさ、地方が貧しいんじゃなくて、地方の発想とかコミュニティがないなら自分で型を破って作ろうって行動力に乏しいだけじゃん。
今でも地方はそうなのかな?
派遣契約満了で切られて、正社員の内定もらえず腐ってる20代後半女です。
就職活動をしていて改めて思うんですけど、この国って生きづらい。
1人なら生活できる賃金を提示してる会社もあるけど、明らかに大卒向けで、専門や高卒レベルの仕事では生活していくのもままならない金額で平気で求人出してるところがゴロゴロ。
地方はお金がかからないと思ってる人いるけど、地方は車社会で車がないと仕事にすら出られないから結局車の維持費や税金で出仕額は変わらないよ。
それは理由の一端として分かる。それは別に良い。私が努力すれば良いだけ。
けどそれだけではないと思う。
企業が高望みし過ぎてるし、人材を安く買い叩き過ぎてるのもあると思う。
とか
とか、挙げ句の果てに
額面18しか出さないけど、会社の販促ツールや商品関連のデザインとシステムの構築と運用と保守と当社のWebデザインの設計、運営、保守とあと事務とお茶汲みもやって❤︎なんてトンチキな会社もある。
悩んで色々ググると出てくる出てくる。
「じゃあ正社員になれば?笑」
とか正規の職につけなくて悩んでる人をさらにどん底にぶち落とすような言葉。
平気でそんなこと言えるお前らの親の顔が見てみてえよ。
ちなみに私は専門卒です。
子供の頃から母親のネグレクトと男兄弟からの家庭内暴力でメンヘラっててまともに勉強もできない・元々苦手でした。
今でも勉強は苦手。
祖父母の支援で専門にまで進み、なんとかその職で新卒で正社員入社を果たしたものの、うつ病が酷くなり要介護状態に。退職後普通に暮らせるようになるまで入院しました。
このままじゃダメだと思ってまずはフリーターで働き始め、そこから派遣に行きましたが順調だったのはそこまで。
まともな人とそうじゃない私みたいな人との間には厚い壁があると思った。
この国は一度レールを外れると這い上がるのが難しい。
そして生まれた環境から這い上がることは大学にでも行かない限りもっと難しい。
過去のことをなんであの時こうしなかったの?とか過去のことをいつまでもネチネチ引きずる。過去は神様にだって変えられないって聖書読んでねーのか大卒で上流階級笑のくせに。
・這い上がろうとする人間に安全なところから石を投げる奴がいる
・這い上がりたくとも、這い上がるための余裕すらない(金、時間、メンタル)
犯罪においても加害者に優しく被害者に厳しい国で、人道的な考えができる人間が少なく、この国は何もかも貧しい。
お金も人の心も貧しい。
目先の利益に囚われて失ってはいけない人の心を失ってる人が多い。
先進国が給料上がんないのに税金上げて物価上がってるってそれなんて先進国???
自分たちが払えもしない破綻するのが目に見えてる年金をヤクザみたいに徴収してる先進国isなに????
経団連のクソジジイは自分たちが逃げ切りだからって「終身雇用守れない」とかほざく。
下がり続ける出生率、上がり続ける非正規雇用人口、クソ古くてクソの役にも立たない社会に出た途端掌返しにされる横並びのクソバカ洗脳教育。
これから老人が増えるってのに介護業界の労働環境は改善されず悪化の一途を辿り、賃金低いから共働きしなくてはいけないのに足りない保育園。妊娠したら叩かれ労働市場から追い出されがちな女性、子育て中も厳しい意見や批判ばかり。
保育園無償化とか高校学費無償化とかするのはいいけど、そんなのただの一時しのぎで、根本的な解決にはなってない。
安い給料で正社員になってボーナスも出ない、残業代も出ない、休日出勤手当も出ない、100歩譲って年金がもらえるとしても給料が安いから老後は生活保護以下。
非正規も同じく。少なくとも4割が非正規ということは少なく見積もって労働人口の半分ぐらいが確実に今も将来も貧困で一生貧困。
将来に希望が持てない。
資格を取るには金がいる。
そのどれもが余裕がないと得られないものばかりで、働いても貧困だったら余計に手が入らないものばかり。
短い命で楽しくほどほどに生きて、そして詰んだら安楽死したい。
東京都の郊外で生まれ育って、大学進学で地方都市に引っ越した。
入学して5ヶ月、かつて抱いていた様々な幻想は弾け飛んだ。地方都市での学生生活が苦痛で苦痛で仕方がない。
地方都市の比較的大きな通り沿いは昼でも夜でも交通量が多い。そのため振動と騒音に悩まされる。そのうえ週2回ぐらいは暴走族の爆音マフラーの音で深夜に目が覚める。
だからといって細い通り沿いだと、街灯がなく日没後は懐中電灯をもたないと足元がおぼつかないぐらい真っ暗。怖くて住めやしない。
地方都市の住宅街に田畑や果樹園はない。あっても家庭菜園レベルである。
したがって、地方都市に住んでいてお隣さんに野菜を譲ってもらえるなんていうことはありえない。
むしろ実家のある東京都郊外の方が周囲に田畑や果樹園がたくさんあった。
実際には山になんて登らないし、海や川になんて行かない。
そのイオンもやたらだだっ広いにもかかわらず空間の利用の仕方が無駄だらけで、かゆい所に手が届かない品揃えである。
それでいてまるで休日には新宿サザンテラスのような混み方をする。
無 理 で す(ただし地下鉄が通っているような”地方”都市は除く。)
私はまだ免許も車も持っていないが、車がないと不便なことが多い。
実際には悪いとこ取りのような気がする・・・。
この辺は荒れそうなので、察していただきたい。
地方都市では大学生というだけでエリート扱いされる、これは事実である。なぜなら大学がないから。
しかしアルバイトがよりどりみどりというのは幻想である。実際には、求人が少なく賃金が低い。
東京で時給1100円もらえる仕事が、地方都市では時給800円しかもらえないことはザラである。
家庭教師をやろうにも、徒歩・自転車・公共交通機関で行ける範囲に生徒がいない。
県で1番頭がいいと思われる大学の医学部の人たちのバイトが居酒屋の雑用係(時給850円)である。
数が少なく、そのうえ競争に晒されていない地方の物価は東京都郊外より高い。安いといわれる野菜も高い。
ここまでいろいろと地方都市のクソなところを書き連ねてきた。実際にはもっと嫌なところがあるのだが、もはや思い出せない。
しかしなんといっても地方都市で1番クソなところは私のような人間が住んでいるところだと思う。
東京都や政令指定都市にあるような(すなわち旧帝大など)に学力が足りなくて入れず、地方国立大学に入学。
しかし見ず知らずの土地でやっていく適応力もコミュ力もないためにどうにも馴染めず、その原因を自分ではなく地方都市などの外的要因になすりつける。
福井の社会「嫁の犠牲の下に成立」 幸せ実感へ「不幸せ」に向き合う | 社会 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
この記事の反応見るとはてな民の田舎像もだいぶ古いなーと感じる
もちろん田舎(に限らずだけど)今でも田舎のダメさが残っているケースはあるけれど
実はそういうのはかなり少数派になって来ていて、「田舎=男尊女卑で同調圧力激強の監視社会」みたいな価値観ってかなり古くて、そういうのは地域の特性じゃなくて各家庭の特性だと思う
そんなことを思うのも実は私自身が福井県に東日本地方から「嫁に行った」人間だからだ
義母を見てると確かにフルタイムで働きながらほとんど全ての家事をこなす完璧超人なので、きっと記事で言われてる通り「嫁が犠牲になる」のが当たり前の生活してたのかなーと感じる
ただ、自分自身や同世代(30代)の他の人がどうかと言えば全然そんなことはなく、男性側も家事育児に関しては当て付けか?と思うくらいこだわりが強く自分でやらねば気がすまないという人間が多い感じがする
男女協力して家事育児をすべきという価値観がインストールされた世代に完璧超人の母親像が悪魔合体した結果なのかもしれない
友人家族は未だに盆正月は女性が準備して男たちは酒盛りしているような家だが
そこの旦那さんは「俺ならもっと効率的にできるのに台所に入れてもらえずイライラする」と話しているくらいだ
親戚の干渉についても、最近は地方の長男だろうと核家族化が進んでいて、私の夫も長男だけど隣町の一戸建てで子供と三人暮らししてる
他の家族に関してもそういうケースが多く、同居している家でも敷地内同居や玄関以外は(下手したら玄関も)別々の二世帯住宅が多く、私達の世代では同じ生活空間で同居しているのは結構珍しい方だと思う
なので性格もあるだろうけど義両親は義両親で「息子の嫁に過度に干渉すべきではない」あるいは「自分自身が姑との関係で苦しんだ経験」がインストールされている世代なので
義両親からの干渉は少なく、なんなら実母からのLINEのほうが鬱陶しいくらい
東京で生活してたこともあるから、最初は田舎の不便さも感じたけど
ネットをうまく使えば日常生活は東京より快適なくらいだし、車必須なのもペーパードライバーだったから抵抗あったけど、子供生まれてからは「車ないと子育て無理じゃね?」と思うようになったので車社会(比較的容易に車を持てる地域)も悪くないかなと思った
雪は…まあ今はまだ物珍しさはあるけど、あと数年したらウンザリしそう…
なんにせよ私は福井に来て結構楽しくやってるし、「幸福度日本一」ってのもわからないでもないなーと感じているので
夫と住んでた東京のマンションから実家の田舎の一軒家に帰って来た。
まだ子供産まれてないけど、私の実家は隣が田んぼや空き家で赤ちゃんが家の中で泣いてても気にならないし、子供が家の中でジャンプしても騒いでいても周囲を気にしなくていい
さすがに子供が跳び跳ねるレベルの年齢になるまで、実家にはいられないけど
ここで、子育てしたら楽だろうなって思った。テンション上がってジャンプしてる子供に「下の階の人がいるから静かにしようね」とか言うのかわいそうじゃん。一軒家なら跳ね放題。
は~田舎いいな。車社会だと移動してるときに車の中で子供が泣いても気を使わないし。東京の電車の中で子供が泣いたら親は気を使う。
馬鹿じゃねぇの? って思ったけど意外と批判が少なくて考えさせられるな。
免許を取ったからって車に乗れるかどうかは別問題(子育ては更に別)なんだが、危険運転する馬鹿を排除すれば車社会としてはいい面もあるかもしれない、って感じか。
もっと言えば “乗られる車の立場に立って考えれば” 当たり前かもしれない、って話はなくもない。
金で不正取得だとか試験の時だけ安全なふりをする奴なんかも出るだろうけどさ。後は車の方にも色々と問題が――、いやいいかそれは。
ただまぁ、ネタ半分に話に乗っかれば、認可基準もだが免許の種別は複雑多岐を極めるだろうからその部分も言及すべきだな。
すぐ思い付くのはSMの乙種と甲種、その限定条件に加えて一種、二種等の商用、非商用の別だろうな。
加えて対象年齢制限、性志向の種別、糞便愛好、動物、非生物なんかの特殊免許も要るだろう。
例えばこんな風だな。
それからこう。
後期高齢者限定、SM乙種、プレイは出血寸前まで。同性のみ、商用の限定解除。
色々と幅を持っている人間が有利になるって点ではある種のフェアネス(平等さ)を感じなくもないが、マッチングが問題だろうな。