超音速備忘録が大好きだ。でも気難しい管理人だからここに書く。
模型は本物ではなくその再現であることの不自由と、作る人にその完成を判断する裁量を委ねられている自由が彼の言っているプラモの背骨なのだと思うのだけど、違うような気もする。
私のような技術オタクはその表現の地平を超えたフミナ先輩を作り上げたその苦労と、間違った方向だったとしてもその市場に爪痕を残そうとした思いを軽く見れないのだけど、そうではないらしい。
彼がいま理想だと思うプラモデル。カメラで殴りたくなる要素を佃煮にしたプラモデル。そういう商品を彼が、どこかと組んで出してくれたらいいのに。(希望)