はてなキーワード: 男装とは
推しのフルネームと一緒に残念過ぎるコス写真をツイッターに上げるのをやめてくれ タグを付けるな 虫唾が走る
推しの新規絵が見たくてフルネームで検索をかけたら、出てきたのはブスな男装レイヤー
はじめまして、さようなら 生まれて初めてブロック機能を使った
顔と首がシームレスで繋がってて、ろくに手入れしていないであろう自眉を晒して、はち切れんばかりのわがまま豊満ボディで推しの衣装に袖を通してカメラ目線
地獄以外の何者でもない この光景を地獄と呼ばずして何を地獄と呼ぶのだろうか これならまだ原作ゲーが不祥事でサ終してレイヤーが去っていくのを待つ方がマシだ
毎日カメコも一緒にブロックしてるはずなのに、新しいブスで丸顔のアイコンが増えていく 絵師は増えない 字書きも増えない 服を着ただけのブスな男装レイヤーだけが増えていく
何の縛りもしがらみもなくツイッターを見てみたい ブサイクなレイヤーを見たくない 私のために消えてくれ
通販で適当に選んだようなウィッグかぶって、ケバすぎるメイクでシミとソバカスを目立たないようにして、肌荒れをコンシーラーで直して、頑張ってメイクしてる!って思ってるんだろうけど
その姿でイベント会場歩かないで 写真をツイッターに載せないで きちんと人に魅せられるよう努力しているレイヤーまで汚さないで
推しと同じ衣装を着て、謎の絡み動画を撮って「おそくほ〜!」なんて載せるな 吐き気がする
アプリで加工してるのかしらないけど、不自然なほどにでかいカラコン怖いよ 眼科行っていい感じのコンタクトのサイズ見繕ってもらえよ 浮いてるよ眼球
イベント周回する暇があったらそのムダ肉を削ぎ落とす努力をしてくれないか あんたらは趣味だろうがこっちだって毎日趣味で推しの絵を見てるんだよ
神絵師がたまに描いてくれる推しが何より楽しみなんだよ 週6勤務で疲れた身体を癒すのは神絵師の新規絵だけなんだ 豚足レイヤーの自撮りを眺める暇はない
メディアを非表示にしても、トレンドをパプアニューギニアに変更しても、仲の良いフォロワーだけのリストを作っても、どうしたって奴らは来る
推しの新規絵は見たい でも我慢ならん 推しのつぶやきを見たくて検索しただけなのに トレンドをタップしただけなのに!
どうしてこんな地獄の所業を受けなきゃならないんだ 前世で追い剥ぎでもしたのか私は
どうして公式アカウントでもないのに推しの台詞とのっぺり顔の自撮りを載せてるんだ 公式ミュージカルに出演したとかそういうのじゃないだろ 関係者じゃないだろ
どれだけ気持ち悪くて体型に似合ってないレイヤーがいても、それを甘んじて受け入れてる風潮がマジでやばい 集合写真とか正気じゃない ブスで集まってコス大会とかふざけてんのか ツイプラをそんな哀れみの会に使ってやるな
身内でやってくれ ツイッターにブスな自撮りを載せるな コスプレイヤーズアーカイブでやれ 自己顕示欲を満たしたいならそれ相応の努力をしろ
キャラになり切って、キャラの口調を真似て、キャラの服装のままイベントに参加できる精神が羨ましい 推しはそんな顎してないし、軽率に女体化なんかしない!! その鋼のメンタル分けてくれないかな 冗談だよ
ブスなレイヤーが売り子をやってるせいで一度も即売会に行った事がない フォロワーとリアルで邂逅した事がない オフ会したい でも怖い
神絵師のスペースでブスレイヤーが売り子やってたら気持ち悪すぎておかしくなってしまいそうだから 会場でもどんな顔をしてすれ違えばいいのか分からない きっと一生トラウマになるだろうから
もしコスプレの写真を載せるのなら、それ相応の覚悟を持って載せてくれ SNSに上げる前に一度で良いから振り返ってくれ 黒歴史にならないか 晒し上げされないか 知り合いに見つからないか 一度考えてからでも遅くない
ブサイクなレイヤーが嫌いで嫌いで気が狂いそうなオタクもいる事を頭の片隅に置いてくれ 頼むよレイヤー
恨んでくれて良い これはわがままだ あなたがいるだけで迷惑なんだ ごめんな
背丈から足のサイズまで女性の平均値とほとんど同じ身からすると、そもそもほとんど全ての競技のレギュレーションで男女別に競技がわけられていることそのものに理不尽さを感じています。それを性自認でわけると変わっていっている現状にはそれ以上の相当の理不尽さを感じます。
生まれもった特性のそれぞれの競技に対する不均衡への是正措置としてのレギュレーションであるはずのそれを、何も関係がない性自認へ摩り替えるのは正直に言って全く道理が合わないと思います。スポーツと性自認に関係なんて一切ない。客観的な測定値、例えば身長や体重、またはより詳細にテストステロン値等でクラス別にわければいいだけの話です。
私個人としては性自認なんてものはこの世にそもそも存在しないので、性の同一性という概念は有り得ないと考えています。自己で認識する自己へのラベルという概念は自分でこしらえた檻でしかなく、そんなものはある方がおかしい。性自認なんてものは国家や宗教への帰属意識と同様にして生きる上で全くもって不必要なのでいらない。いらない概念は存在しない。性自認なんて無視して個々は男装していいし女装していい、だれとでも性行為をしていい。だれとでも結婚していい。さらには何をしてもいい。そんなものは当たり前の話で、その自由に性自認なんて訳の分からない中間物は必要ない。酒飲み話で男とか女とか言う分にはいいけれどオフィシャルな場所でそんな未定義語を使う意味がない。ここまでは自明でしかない。
私は女装が好きで、レディースしか着ていません。今も髪が長いですし大抵レディースの服しか着ていません。でも女であるつもりはないです。しかし、わざわざ男である気もありません。
自分が何者であるかは自分が世界へ起こす、または起こした行動によって定義されるべきであって、個々の人間が自分をどう認識するかなんてどうでもいいとしか言いようがありません。個人の脳の中でだけ起きていることなんて、世界で起きていることではないのでそんなものは実在しない。男女とは他者へ便宜上貼り付けるラベルであり、自己へ敢えて貼る必要は断じてない。
性別という概念が公の維持のためにある一定程度必要だと言うのならそうなのだろう。そもそも他者へのラベルとしてのそれを私は否定しない。しかし、どちらにせよスポーツのレギュレーションに性自認を入れるべき道理はない。より現実的なレギュレーションを追い求める義務がある。自分の性別なんてものも幻想なんです。性別があるのは他者だけです。自分には性別なんてものはありません。
https://note.com/nishino_fumi/n/n211a226c12db
この記事では
女装男子の考える「女性像」ってのにかなりバリエーションがあった。
ということが書かれている。
これに対して「男装女子」の例が載っていないのは少し残念だけど、
Twitter等のSNSで調べてみればわかるけど、女装男子に比べると
「女性像」のバリエーションに比べるとかなり狭いということだと思う。
幅広いバリエーションを持つ女性でさえ「女性らしさ」に悩むのに、
限定的なバリエーションしかない男性が「男性らしさ」に悩まないわけがないと思う。
もろちん、これは外面的なバリエーションにすぎないけど、
外見というコミュニケーションで8割を占める部分でこう、というのは
全く参考にならないということはないんじゃないかな。
真宮寺さくら 外見:量産型大和撫子 性格:熱血系の田舎者 短評:ありがちすぎ。無個性の極み
神埼すみれ 外見:着崩し和服お嬢 性格:高飛車ツンデレ 短評:ありがちすぎ。無個性の極み
マリア・タチバナ 外見:半メカクレ金髪クールロシア人 性格:殺し屋 短評:ありがちすぎ。無個性の極み
アイリス 外見:金髪ロリ幼女 性格:幼女 短評:ペド向けすぎ。キツい。
李紅蘭 外見:ダブル三編み眼鏡そばかすチャイナ 性格:天才科学者 短評:テンプレ委員長顔にチャイナ着せてマッドサイエンティストは割と尖ってる。でも言動はギャグ系ハカセとしてありがちすぎぃ。
桐島カンナ 外見:197cm 性格:琉球空手継承者 短評:でかすぎ。
ソレッタ織姫 外見:褐色黒髪イタリア貴族 性格:楽天家 短評:サクラ大戦のキャラの癖にいい感じにまとまりすぎ。逆に浮いてる。
レニ・ミルヒシュトラーセ 外見:男装ロリ 性格:天才ボクっ娘 短評:ありがちすぎ。無個性の極み
大神 一郎 外見:熱血系主人公 性格:熱血系主人公 短評:ありがちすぎ。無個性の極み
ぅゎ。これは酷い……
よく人気出たな。
私は恋愛傾向がややバイ寄りのヘテロ女性。大体のセックスもジェンダーも一致していると思う。ヘテロ男性と付き合った経験も何度かある。
成人してから気がついたが、好みの男性のタイプが、所謂オネエ系である。最近、誰かを好きになると、その男性は悉くゲイの方なのだ。
オネエという呼称が差別的であるかもしれないが、他の言い方がわからないので、この場ではオネエとさせてほしい。マルチジェンダーの身体男性といえばいいのだろうか。よくわからん。
中性的男子でもなく、男装女子でもなく、男の娘でもなく、成熟したオネエ系が大好き。芸能人でもオネエや心が女性で身体が男性であるとカムアウトしている人をついつい追ってしまう。
で、問題はこの感情が「好き」「好みである」「ファン」を越えて「劣情」に育ちやすいということだ。オネエの方に性的欲求を抱いてしまう。私にちんこがあったらしょっちゅう勃起しててパンツ内が大騒ぎだろう。事実、クリが立つという感覚を、オネエの方にしょっちゅう抱く。
これは、オネエの方、ゲイの方からしたらとても迷惑だし、失礼であることだ。自覚している。しかし、どうしたらいいかわからない。オネエ芸能人の方も、こんなファン困るだろう。でもインスタとかを汚い目で見てしまうのだ。
完全なる恋愛対象外の人間がこんなネジくれた汚い感情を抱いているというのは、非常に脅威であることだから。誰にもいわない。
本当に、オネエの方と友達になりたいのではなく、恋人になりたい。セックスがしたい。でもこんなことは言えないからここに書き捨てるしかない。
そもそもセックスといっても、自分が普通に入れられる方なのか、ペニバンで入れることになるのか……
裸で抱き合うだけでもいいかもしれない。でもそれをやったら性的に交わりたくなるよなぁ。
こういう好き(劣情込み)の気持ちを、オネエの方本人に告白したことはまだない。それでいいと思う。
好きになった人がゲイだった、だから告白しない。友達のまま。それでいいと思うし、それが普通。
事実、今、ゲイの友達が何人かいて、その中の子の一人が好きだ。その子はもう同じくゲイのパートナーがいるので、完全に私の負けというか、そもそも勝ちってなんなのだという状態。遊ぶときは普通に楽しく友達できるが、不意にクリが立っている自分に気がついたりすると、逃げ出したくなる。たのしい時間を過ごしているのに。そしてご飯食べてバイバイして帰ると、劣情を抱いたという事実の情けなさに涙が出るのだ。
私は、好きな人をこうやって心のなかで侮辱することしかできない。それが辛い。
こんなこと誰にも話せないからここに書いておく。
pink newsとかかなりバイアスが強めの記事サイトからVanity fair, BBCまで彼女がトランスフォビックだと取り上げているけど正直理解できない。
彼女の新作の本に出てくる主人公はドレスを着たシス男性(a cis man in a dress)だと言う。これのどこがトランスフォビックなんだ?
「服にジェンダーはない」「みんな好きな服を着て好きなことをしよう」
最近大衆にもやっと広まりはじめた考えがこれらだろう。男でも化粧をしてスカートを履いても良いし、女でも好きな服装をしても良いと呼びかけるのはとても素敵だと思うし、実際にエンパワメントを受けた人たちがたくさんいるだろう。俺自身なかなかステレオタイプがキツい家庭に育った反動もあって俗にフェミニンと呼ばれる小物が好きだ。いつかは服にもチャレンジしてみたいと思っていたからこういう動きに世界がなってきているのが実際本当に嬉しかった。
じゃあなぜドレスを着たシス男性はトランスフォビックになるんだ?
ローリングを取り上げている英メディアは「トランスヴェスタイト/クロスドレッサー」を攻撃していると言っていた。つまり俗にいう”異性装”をしている人の事だ。
は?
「服にジェンダーはない」んじゃなかったのか。
シス男性がドレスという名のただの布を身に纏っているだけで急にトランスジェンダーとしてカウントされるんだ?「異性装」が好きな自分はトランスジェンダーなのか?違うだろ。
大体トランスジェンダーと言う概念はカバーする範囲がどんどん増えているアンブレラタームなのが問題だ。週末に趣味で女装/男装をする人々でさえカウントすると。
結局ジェンダーの強化に繋がっている。
ローリングのあのエッセイをきっちり読んだ人、活動を見てきた人はわかると思うが、彼女はトランスフォビックなんかじゃない。アライだと自称している人なんかより何倍もトランス当事者に向き合ってきているのに、実際彼女の考えに賛同する当事者は多数存在するのに、ずっと黙らされてきている。
例えばローリングが幼い年齢でのトランジションは好ましくない影響を及ぼすという論文をTwitterにシェアした時大きなバックラッシュを受けた。だけど実際幼い年齢でトランジションしてから後悔してディトランジションを行った人だって複数いる。だけど実際トランスコミュニティの中ではディトランジションに関する話題がタブーとされていて、同じコミュニティのメンバーからひどい中傷を受けている。なんて皮肉なんだろうか。
Twitterでは#RIPJKRowling"とトレンド入りし、中傷でいっぱいになった。
それ以前からも"JKR can suck my d*ck"等の有害なコメントや著名人からも見ていられないようなコメントが寄せられていた。
ここまでくると集団リンチだ。思うように発言すらできやしない。どこがliberationを謳う運動なのか。
Sex is realがヘイトとカウントされる社会に未来なんてあるはずがないだろう。ここ最近の動きを見ていると悲しくなる。
また、男装のために長い髪をカットするシーンが山場のひとつだが、断髪して覚悟を示すことはとても西洋的な描写だ。古代アジアの人々は男女問わず長髪だからね。
面白い。明治の日本で髪は結ってるのが普通だったから、洗い髪姿で人気になったって話*を思い出した。
髷が当たり前だったころは洗い髪の男性を目撃してドキドキみたいなこともあったんだろうか。
ディズニー長編アニメで何が好き? と問われたら挙げるくらいに『ムーラン』(1998年)が好きだった。
『ムーラン』は中国の伝承をもとにした話だ。老いた父に代わり男装して従軍し武功を立てるも地位は断り故郷に戻る。最も古いのは詩と言われ、民謡、戯曲、小説の題材になっている。
時代によってどこに力を入れて語られるかは変わってくる。女で軍功を立てる力強さを描くのか、家族への孝行を尊ぶものなのか、国への奉仕を宣伝するものか。
ディズニーでのアニメ映画化にあたっては女性の自己実現という方向で物語はまとめられている。
主人公のムーランは、女は家でおしとやかにしているべきという風潮になじめない。老いた父を助けるため男装して代わりに従軍することになるが男ほどの力はない。しかし彼女自身の強みである知恵と機転を武器に自分を信じ、自分らしいあり方、誇りを見つけるのだ。
挿入歌『リフレクション』が名曲だ。映画のわりと最初のほうに歌われる曲で、含む意味が全編に影響してくる。家の名誉のためには仲人に気に入られて良い家に嫁がなければならない。でも失敗してしまった、という状況を受けて「水鏡に映った着飾った自分は知らない人に見える。ありのままの自分の心はごまかせないけれど、本当の私はいつか映るのだろうか?」と吐露する。
その後男装して(=別ベクトルで自分を偽って)活躍するわけだが女であることがバレてしまう。で、色々あって男だとか女だとか求められる役割だとかじゃなく、自分であることがいいよね! って結論に至るのだ。
さて、ディズニーのヒロイン像というのは時代によって移り変わる。おしとやかに待っていれば幸せ(王子様)が訪れる初期ヒロイン、自我がありパワフルながらやはり幸せはヒーローが運んでくる中期ヒロイン、恋愛から解放された最近のヒロイン。
ムーランは時代的には中期ヒロインに位置づけられる。とはいえロマンス要素は淡い。アジアが舞台で自己実現が主題という点が特筆すべきところだろう。
その頃のディズニーの非コーカソイドを取り扱った映画というのはエキゾチシズムあふれると言うかアメリカ解釈エスニック世界と言うか、なかなか文化描写が大味である。ご多分に漏れず『ムーラン』も西洋的なアジアであんまり正確ではない。突然念仏唱え出す登場人物が居るようなステレオタイプなオリエンタリズムである。また、男装のために長い髪をカットするシーンが山場のひとつだが、断髪して覚悟を示すことはとても西洋的な描写だ。古代アジアの人々は男女問わず長髪だからね。
それでも20世紀末にアジアが描かれたことは画期的で、東洋西洋の狭間で自分のあり方を考えていたアジア系アメリカ人二世三世に特に刺さったと聞く。また、脚本にはアジア系アメリカ人の女性が居た。そのあたりを思うにターゲットは西洋社会であったのだろう。
さて、そんな『ムーラン』が20年の時を超えて実写化されると言う。わくわくした。あの、魔法使いでもなんでもない同じ人間なのに圧倒的な力を持つかたき役、シャン・ユーの大軍勢が雪原に現れる絶望的なシーンが実写の迫力で見られるのか。ハリウッドに中国の方も増えただろうからオリエンタリズムの産物じゃなくてきちんと考証がなされた中国描写になるんだろうな。最近のディズニー映画のように現代の価値観を反映させるだろうから「異民族は悪、侵略者、だから防衛しなければならない」なんて単純な物語化じゃなく厚みを持って描かれるんだろうな。(アニメだと時代も場所もぼかされて相手はフン族という言及のみ。原典だとムーランは漢民族じゃなくて鮮卑の人っぽいし、北魏 vs 突厥 の戦争って遊牧民同士の戦いでつまり互いに侵略し合っていたってことだと思っている)アナ雪1でサーミの文化盗用と言われ、アナ雪2でサーミの監修を入れて文化盗用にならぬよう注意を払い、作中で植民地支配を彷彿とさせる歴史を描き、過去の過ちを直視し「今できる正しいことをしよう」と歌わせるディズニーだ。期待も高まるというもの。
そんな価値観も変わる時代の中にあっても輝く、自分らしく誇りを見つけるという変わらないメッセージ。名曲の数々、コミカルな相棒キャラクターであるドラゴンのムーシューと幸運のコオロギのクリキーのコンビ――彼らも「自分を偽っている」キャラだ。ムーランの物語は彼女だけではなく、ほかのキャラも自分を信じて自己実現する物語なのだ!――厳しくもきちんと実力は認めて義に厚く格好いいシャン隊長とムーランのほのかなロマンス。男装しているムーランに人間的に惹かれているっていうのがいいんだよねー。ああ、楽しみだなあ!
※ アニメ版と実写版の差異、未見のためニュース等で分かる部分のみ
うおおおい。やりたいこととやっていることとターゲットがちぐはぐで全方位損だよ。東西どちらにもいい顔をしようとして大失敗では。誰が嬉しいんだこれ。
いやね、きっと通常の劇場公開をしていたらふらっと見てしまっていたと思う。事前情報仕入れず見るタイプなので。公開延期で配信も加入しないと見られないと言うので時間ができてしまって調べたらさあ、ねえ。心情的にこれはもう見られない。
アニメ版が中国本土であまり評判が良くなかったというのは聞いたことがある。自分探しをするヒロイン、自立したヒロインというのが儒教感覚としてはそぐわないらしい。だからってアニメ版の主題であった自己実現を切り捨てて家のため国のため「孝」「忠」の話にするか? [追記] トラバで教えて貰ったが、アニメ版は中国本土でも人気だったそうだ。確かにレビューサイトの点も高かった。自分は欧米メディアの記事から人気がなかったのだと思いこんでいたが誤りだったようだ。失礼しました。えっ、じゃあディズニーはどこを向いて脚本変更を決定したんだ?
アニメ版のファンなんぞ知らん、商業的には大きなパイである14億人+全世界の中国ルーツの方々がターゲットなんだ! と言い切ってくれるならまだ理解できた。でも中華圏の評判も悪くてさ。聞こえてくるのは「孝」「忠」はこんなんじゃねーよとか伝統的な任侠精神を西洋騎士道のテンプレートに雑にはめ込みやがってとかムーランをフォースっぽい謎の不自然なパワーを持つ西洋的スーパーヒーローにしたなとかドラゴンのキャラの代わりに鳳凰がシンボルになったが鳳凰が象徴するのは古式ゆかしい女性性だぞフェニックスと混ぜてねーかとか『カンフー・パンダ』のほうが中国の伝承や比喩を尊重しているぞとか、そんな感想ばかりである。
中国をターゲットに完全シリアスな『花木蘭』実写化がしたかったらアニメの看板は控えめに、スタッフ陣にもアジア勢を揃えて時代考証風俗考証手厚く入れて中華圏を唸らせてくれよ……。
新疆ウイグル自治区でのロケってのもさ……。「異民族、それもモンゴルあたりで活動した今のトルコにも繋がると言われる実在の民族を排除するために戦う」ストーリー自体センシティブで取扱注意なのに、文化が異なるが故に現在進行形で人権侵害が行われている新疆ウイグル自治区をわざわざロケ地に選ぶとは。映画撮影のためにディズニーは人権侵害に目をつぶり「新疆ウイグル自治区は海外のクルーが来られるような安全で風光明媚なところで海外で言われているようなことなど行われていませんよ」という中国の宣伝に乗ったのだと言われても否定できないだろう。
ディズニーとしては MeToo を受けてストーリーは変更するが民族浄化は容認するみたいな基準なのか?
自分は今まで作品と作者・出演者は別と考えてきていた。役者が不倫していたり薬物をやっていたりしても作品の価値が貶められることはないし配信停止にすべきではない。また、過去の作品で今の基準だとアウトなものがあることも認識している。奴隷制を肯定的に描いている『風と共に去りぬ』、子役を薬漬けにして演技させていた『オズの魔法使い』などなど。それらも配信停止にすべきではないと考える。描写については注意書きを添え、新たに作る時は現代の倫理観をもとにし、新規であえて描写する時は「あえて」である説明を加えれば良いと。
とすると、俳優の発言は個人の思想と割り切れても現在進行形の人権侵害は了承できないな。俳優はアメリカ国籍とは言え中国本土の方だから一族も本土に居るだろうし当局の意に反する発言をしたら命が危ないのだろうけれど、ディズニーはウイグルの件を全く知らなかったとは言えないだろう。
ディズニーがどのような声明を出すのか、出さないのか。注目している。
[追記]
誤字を修正。
また、中国国内の反応を知りたくてデータを確認してみた。ご参考までに。
9/15昼時点の豆瓣(中国の代表的なレビューサイト)のスコア
作品名 | 公開年 | スコア (10点満点) | 最頻値 (最大星5つ) | スコアの母数 |
---|---|---|---|---|
実写版ムーラン | 2020 | 4.9 | 星2つ | 約16万人 |
アニメ版ムーラン | 1998 | 7.8 | 星4つ | 約20万人 |
実写版美女と野獣 | 2017 | 7.2 | 星3つ | 約32万人 |
アニメ版美女と野獣 | 1991 | 8.5 | 星4つ | 約14万人 |
実写版アラジン | 2019 | 7.5 | 星4つ | 約26万人 |
アニメ版アラジン | 1992 | 8.2 | 星4つ | 約6万人 |
ヴィッキー・チャオ主演版ムーラン | 2009 | 6.2 | 星3つ | 約9万人 |
アニメ版ムーランは意外と[追記] トラバで教えて貰ったが「意外と」ではなかった中国でも健闘していたようだ。レビューも楽しく読んだ。翻訳ソフトありがとう。
実写版ムーランは当初スコア4.7だったが、星3をつける人が増えて4.9まであがってきた。とは言え他のディズニー作品と比べると極めて低く、ここから他作品ほどスコアを上げるのは難しそう。
一番下のヴィッキー・チャオ主演版はディズニー関係ない中国発の歴史映画。そう、既にシリアスな実写映画は存在するのだ。
ランキング | 作品名 | 公開日 | 初週興行収入 | 累計興行収入 | 猫眼口コミ (10点満点) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 八佰 | 2020/8/21 | 約6.4億元 | 約26.9億元 | 9.2 |
2 | 実写版ムーラン | 2020/9/11 | 約1.6億元 | 約1.8億元 | 7.5 |
3 | TENET テネット | 2020/9/4 | 約2.1億元 | 約3.6億元 | 8.3 |
6 | かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ | 2020/9/11 | 約0.03億元 | 約0.03億元 | 8.0 |
日中戦争を描いた超大作『八佰』と比較するのは酷として、興行収入面は大コケしなかったといったところだろうか? 有識者の見解を聞きたい。 [追記] トラバより 少なくとも口コミ的には大コケの大コケだと思う
とのこと。『アベンジャーズ:エンドゲーム』が初週約22.3億元、『アナと雪の女王2』が初週約3.8億元ということを考えると厳しい結果になりそうだ。
[再追記]
同じ作品を見ていいな、好きだなと思っていたことが分かって嬉しい。コメントでアニメ版が好きと表明して下さった方々もありがとう。