2021-05-30

背丈から足のサイズまで女性平均値ほとんど同じ身からすると、そもそもほとんど全ての競技レギュレーションで男女別に競技がわけられていることそのもの理不尽さを感じています。それを性自認でわけると変わっていっている現状にはそれ以上の相当の理不尽さを感じます

まれもった特性のそれぞれの競技に対する不均衡への是正措置としてのレギュレーションであるはずのそれを、何も関係がない性自認へ摩り替えるのは正直に言って全く道理が合わないと思いますスポーツ性自認関係なんて一切ない。客観的な測定値、例えば身長体重、またはより詳細にテストステロン値等でクラス別にわければいいだけの話です。

個人としては性自認なんてものはこの世にそもそも存在しないので、性の同一性という概念は有り得ないと考えています自己認識する自己へのラベルという概念自分でこしらえた檻でしかなく、そんなものはある方がおかしい。性自認なんてもの国家宗教への帰属意識と同様にして生きる上で全くもって不必要なのでいらない。いらない概念存在しない。性自認なんて無視して個々は男装していいし女装していい、だれとでも性行為をしていい。だれとでも結婚していい。さらには何をしてもいい。そんなものは当たり前の話で、その自由性自認なんて訳の分からない中間物は必要ない。酒飲み話で男とか女とか言う分にはいいけれどオフィシャル場所でそんな未定義語を使う意味がない。ここまでは自明しかない。

私は女装が好きで、レディースしか着ていません。今も髪が長いですし大抵レディースの服しか着ていません。でも女であるつもりはないです。しかし、わざわざ男である気もありません。

自分が何者であるかは自分世界へ起こす、または起こした行動によって定義されるべきであって、個々の人間自分をどう認識するかなんてどうでもいいとしか言いようがありません。個人の脳の中でだけ起きていることなんて、世界で起きていることではないのでそんなもの実在しない。男女とは他者便宜上貼り付けるラベルであり、自己へ敢えて貼る必要断じてない。

性別という概念が公の維持のためにある一定程度必要だと言うのならそうなのだろう。そもそも他者へのラベルとしてのそれを私は否定しない。しかし、どちらにせよスポーツレギュレーション性自認を入れるべき道理はない。より現実的レギュレーションを追い求める義務がある。自分性別なんてもの幻想なんです。性別があるのは他者だけです。自分には性別なんてものはありません。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん