はてなキーワード: 物理学とは
Max Tegmarkって人がいるんだけど、数学的宇宙仮説とか凄いこと言ってる。
例えば数学の本が棚にたくさんあって、それをランダムに一つ選んで、テキトーなページを開いて出てきた数式があるとする。
その数式が、今あなたが目の前でタイプしているキーボードやスマホと同じように実在してると言うのだ。
マルチバースにはいくつか種類があるが、量子力学のエヴェレット解釈、超弦理論が予測するランドスケープ、時空が無限に広がることと観測範囲が有限であることによって生じるもの、シミュレーション仮説によって生じる階層的なもの、など様々だ。
数学的宇宙仮説はその中でもかなり突飛なものなので、Brian GreeneもMaxと白熱議論してる。
まず査読に7年かかったというのが純粋に難しさゆえか、支離滅裂だからかなのか分からない。支離滅裂な文章に意味を見出そうとすればそりゃ何年でもかかるだろう。
レビューも何人かしてるわけだけど、レビューを行った彼らも七年要したのだろうか。つまり彼らは全員査読される前から(つまり公然と掲載される前から)彼の論文を知っている人達だったのだろうか。
論文完成と同時に論文を読み始めてレビューを書いたのなら分かるが、そうでないなら時間的に物理的に辻褄が合わない気がする。
支離滅裂だからという考えを一旦置いておくことにすれば、査読にギネスに登録できるスケールの時間がかかったのはその難しさとは別の学閥等の政治的外因の影響の方がよほど強い気がする。
真偽について数学なのに紛糾しているということで話題になっていたが、これもまたセンセーショナルに切り取っているだけで眉唾臭さが強い。
真偽について語るならそもそもABC予想というものが連続体仮説同様証明可能なのかから語られるべきではないのか。
そういう証明可能性をおいておくなら、とにかく彼の論文を批判するならたった数十分数時間の公開討論で知れることから賛同したり目の敵にしたりするのではなく、真摯に論文に向き合ってからであるべきだとは思う。
たとえばチャンドラセカールはエディントンとかいうやつに嵌められて、30分の時間を用意されブラックホールの存在に関する自説を発表したのだが、そのコメントとしてエディントンはセカールの言うことは戯言だみたいに言ったわけだ。その学会に集まっていたのは当時その天文物理学で最高峰の頭脳を持った重鎮たちだったが、みんな戯言だという主張の方を鵜呑みにしてセカールは笑い物にされたそうだ。
つまり30分程度の説明では相当賢い人でも主張の真偽は理解できない、あるいは学者であっても権威のバイアスには多分に流されるものだということだろう。
今回の例における権威とは「望月の用いた手法が数学的に正しいはずがない」という常識という名の権威だと思われる。常識に流されて、あるいは単に常識に反発して学者までもがああだこうだ言ってるわけである。目の前の論文に向き合えよ。
マルチバースとは、複数のユニバースが存在するという概念です。つまり、マルチバースとは、複数のユニバースが存在するという意味です。一方、メタバースとは、複数のユニバースが存在するという概念をさらに拡張し、それらのユニバースが存在する「次元」や「宇宙」が存在するという概念を指します。
例えば、物理学的には、宇宙全体を表す「宇宙」と、その中で個々の天体が存在する「宇宙」があります。これらを表すのが、ユニバースです。一方、「宇宙」が複数存在するという概念を表すのが、マルチバースです。さらに、これらの「宇宙」が存在する「次元」や「宇宙」を表すのが、メタバースです。
また、これらの概念は、科学的には未知の概念であり、科学的には証明されていません。そのため、科学的には信じることができません。しかし、哲学的には、複数のユニバースや次元が存在する可能性を探求することは、人間の知的好奇心を満たすものであるとされており、議論の余地があります。
最近Twitterでよく見るけど、よく見すぎて流石に胡散臭くなってきた。
著名なとこだとキクマコ先生(専門は物理学とかで経済じゃなかったよね)とかが、「日本はいくら国債を刷っても原理的に破産しない、増税は財務省の陰謀」みたいなことを盛んに言ってるじゃん。
あと「税は財源じゃありません」みたいな漫画もよくバズってる。
自分も「日本はずっとデフレなんだから、すぐ増税とか言う前にもっと金刷っても良いんじゃないの」くらいは思ってたよ。
でもここまで国債万能説みたいに言われると流石に「わかったわかった、じゃあ全部国債でやってみてくれよ」って疑問が湧いてくるよね。
上記のような人たちに言わせると、「財源にできる国債の余裕がまだある」とかではなく、「日本はいくら国債を刷っても大丈夫」「原理的に破綻しない」だそうだ。
じゃあもう全部それで良いじゃん。防衛費とか言わずに社会保障も科研費も採算の取れないローカル線の維持も子育て支援も、国債をまとめて20京円くらい刷って全部解決すれば良いじゃん。
なんでやらないの。なんで諸外国もやってないの。日本円でできるなら米ドルでもできるよね。でもやってないよね。
もちろんそんなことしたら破滅的なインフレになるからだと思うけど、じゃあ「国債をいくら刷っても良い」ってのはやっぱりウソじゃんか。
「何をするにあたって」原典にあたるという当然の事を重要視するか、って話ではあるよね
これメチャクチャ思いました。過去の査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するときは原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に無査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系や経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだから、あんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。
はてなブログというサービスが無くはてなダイアリーをみんな書いてた時代に
はてなダイアリーで「理数系分野でも研究の際には原典読んだ方が良くない?」みたいな事を言った人がいて、それに対し色んな意見が出たのを思い出す。
ただこれは物理学を勉強してる人達がニュートンのプリンキピアを読んでないのはおかしい、みたいな極端な意見であり増田の言ってる事とは大いに違うし
あとそれを主張してた人が死んでしまったので批判はあまりしたくない
じゃあ、まずは数学や理論物理の専門書を翻訳する際に原典にあたる必要があるかと言う話をさせて貰うけど
数学や理論物理ではフランス語・ドイツ語・ロシア語辺りの本が英語に翻訳されて、英訳だけ読んだ専門家が各国の言語に訳す例なんて珍しくも無い。
皆が数学・理論物理の論理が完全に再現されているなら問題ないという立場だからこのような事態が起きている。
翻訳者だって訳す能力より専門分野に関する知識の方がずっと重要視されるし、論理的な構成に変更が無いなら文章の省略・追加・順番変更など平気で起きる。
あと最近の数学の専門書の話なんだが、日本語の本を英語に翻訳する際に日本語が分からない人が訳してる例なんかもあったりする。
訳者だって数式は別に分かるし日本語で書かれた数学の文は今なら機械翻訳通せば大体分かるからね。
主要な定義・定理・命題は著者の英語で書かれた論文と同じ分野内の英語の本見れば同じものが見つかるので
こんなやり方で訳しますよって提案に原著者はOKを出してしまう訳だ。
こうしてみると一般論として重訳は問題かと言うと全く問題視されない分野もあるという話になるので
一般論で主張するのは無理だよ北村紗衣さん、と言いたい訳です。
何が書いてあるか、誰が書いているか、の違いか|文学作品ならそら後者やろうけど、技術書や理論論文で後者重視したら権威主義への傾倒でしかないな
いや、文学研究でも「何が書いてあるか」です(「何が書いてあるか」を解釈する上で「誰が書いたか」という情報が必要な場合があるだけ)。たとえば、ピケティが英語で書いた論文なら英語から訳すべきで、ピケティがフランス人だからといってフランス語から重訳するのはおかしい。逆に、仮に著者がイギリス人でも、フランス語で書かれた本ならフランス語から訳すべき、そういう話です。文系が大事にしているのは「文章それ自体」であって、文章それ自体を忠実に原語から訳すことが重要である、というのが文系の考え方。
(だって、「オリジナルの文章」こそが我々にとっての生データですからね。もちろん完全にオリジナルなのは難しい場合が多いけど、なるべくオリジナルに近づける努力をすることは必要で、原文にあたるのはその基礎的な作業であって学部生とかの未熟な人でない限りは省くべきではないプロセスですよね、ってこと)
さえぼう氏側は「間違いが起こり得る」としか言わず、具体的にどこが「間違いだった」という指摘がないから、屋上屋を架す空論でしかない。具体的に誤訳だったという指摘、出版から随分経つけど今までにあった?
これはもう「具体的に間違いがあるから問題だ」ではなくて「重訳なのがけしからん」という話なので……具体的な実害の問題じゃなくて規範の話をしてるんですよね。ただ、その規範が他の分野の人たちに受け入れられていない、という状況。
たとえば増田は、ちょっとマニアックな事柄についての論文を有名な査読誌に投稿したことがあるんですけど、「よく調べてあるけど学術的インパクトが足りない(要は面白くない)。却下」という趣旨のやり取りを何度かして、もういっか、めんどいから載るとこに載せよ、って思って当時所属してた機関の紀要に無査読の論文書いたことがあるんですよ。業績欄には当然その論文を載っけてます(もちろん査読の有無は明記した上で)。で、この論文が形式上査読なしであることに特段の問題はないですよね。だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの。ただ有名な雑誌に載るほど面白くないだけ。それでも、論文には査読がついていて当然、という人たちは「いや、査読なしだと間違った論文が載るリスクがあって、だから査読がないものは論文と認めるべきではなく……」って言いたくなるんじゃないですか? 「重訳だと誤訳のリスクが……」ってのもそういうことですよ。
物理学そのものではないですけど、いちおう、文系には科学史という分野もあり、そこでは物理学の歴史について原語を使った研究がされてます。たとえば、 isbn:4486021746 なんかは、ソ連時代の物理学をめぐる論争について研究した本で、がっつりロシア語の文献を読み込んでます(ネットで読める論文だと、DOI: 10.34336/jhsj.47.248_193とか)。外国の学者が書いたこの本 isbn:4815808090 も、英語以外の文献も読んでたような(この本は面白いので超オススメです)。アインシュタインはドイツ語で相対性理論の論文を書いたわけですからね(DOI: 10.1002/andp.19053221004)。もちろん、繰り返すようにこれらはあくまで「物理学を対象とした文系の学問」であって、物理学そのものではないので、「物理学では基本的に英語版からの翻訳」というのはそうなんだろうなぁ、と思いますが。
これ、医学系が人文系にIF要求するような無理筋を感じる 読者がやるのはピケティの研究じゃなくてピケティを踏まえた研究では
これメチャクチャ思いました。過去の査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するときは原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に無査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系や経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだから、あんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。
増田に書いたことは原文ママじゃなくて要約です。当たり前でしょ……(ほんとはきちんと細かく落とす理由を書いてあったけど自分の専門分野も出した雑誌の名前も言いたくない)。まあ「大意」とか「趣旨」とか書いておくべきだったかもしれないけど流石にこの文面見たら要約だとわかるっしょ? って思ったんですけど伝わらない人もいるんだなぁと新鮮な驚きを感じたので「趣旨」って付け足しておきましたわ。要約を鉤括弧で括ったこちらにも非はあるし。
だから丁寧に「有名な査読誌に出して面白くないからと蹴られた」話をしたんですけど伝わりませんでした? 間違いがあるとかじゃなくて、マニアックすぎてうちの雑誌に載せるには面白くない、っていう理由で却下されたんですよ。まさかそこに引っかかる人が出てくるとは。ちゃんと経緯は書いてあるでしょ。
でもまあ、反射で「査読ついてないなんてけしからん」って思っちゃうってことですよね。重訳もそういうことです。反射で「直訳しないなんてけしからん」って思っちゃう、っていう話。
わざと言ってます? それとも本当に読めてない? 「よく調べてあるけど」と前置きしたでしょ? 研究成果それ自体への疑義は査読者からは呈されていません。むしろ称賛されてます。その上で面白くないから書き直せってやり取りを何度もしたの(再投稿を可とするリジェクトだった)。何度か書き直して、ああこれは先方が求める「面白さ」と増田がこの研究に感じている「面白さ」が噛み合うことはないな、と思ったので再投稿せずに無査読紀要に載せることにしました。自分にとっては自明なことなので説明不足になっていたきらいはあり、そこは申し訳ないけど、もとの文章ちゃんと読んでくれませんか?
だいたい、研究成果の正しさはディジタルじゃなくて、「部分的には正しいが、しかし……」みたいにグラデーションがあるものでしょ。査読で100%の正しさが保証されると考えているならそれは大間違いですよ。増田の研究だって、研究手法と結論的に「正しいか、間違いか」なんてディジタルに言えるような研究じゃないっす。なので査読で「間違いだとわかる」なんてこともほぼあり得ない(資料の読解間違いとかはあるかもしれないけど、増田の論文が総体として「間違い」であることを示すには増田の論文と同程度以上の調査をし論文を書く必要があるんで、普通の査読じゃ「間違い」とか言えないはず。関連する資料を全部諳んじてる大家なら別だけど)。
そもそもピケティ先生は狭い学術ギルド内論文として書いたんじゃなく経世済民の書として世に問うたわけだから増田の話(や一部ブコメ)は大分ズレてるのでは。例えば「翻訳とか無駄で原本を参照汁」的な暴論との文字数
学術業界だけじゃなくて、一般書の方でも最近は「原語から訳すべき」という流れが定着しつつあったじゃないすか。スタニスワフ・レムも昔はロシア語からの重訳だったけどポーランド語からの新訳が出てるし、昔はフランス語経由で訳されてたイスマイル・カダレも今はアルバニア語から訳されてるし、バスク語やチベット語やイディッシュ語の文学が翻訳されてきたでしょう? そういう流れが出てきてたのに有名なフランス語の本を英語から重訳するなんて、というショックは当然ありますよ(だから私は『三体』も相当ガッカリしましたよ。中国語版には検閲が入ってる、と聞いて納得したけど。エーレンデュル捜査官シリーズの方は、重訳自体はもう仕方ないけど、頼む~~~せめて著者の名前がおかしいのくらいはどうにかしてくれ~~~って感じ。重訳のせいで著者の名前すらおかしな表記がされてるんですよね……)。時代を巻き戻す気か、と反射で思っちゃうのも無理はないです。
ChatGPTっておもっきし知ったかかましてくるから、真偽が自分でわからないとまだ使えないね。
今年の流行語大賞に「村神様」が選ばれたことは、確かにそうです。「村神様」は、プロ野球選手の村田修一さんのことを指して、日本プロ野球が決めた「#村田修一の日」(2020年5月31日)に発生した「村田修一」のツイートが爆発的に拡散し、社会現象となりました。「村神様」は、その社会現象から生まれた言葉です。
→村田修一のことになってて草。知ったか過ぎ。どんくらい知ったかをかましてくるか知りたくなった。
ヤーコブ・ヤコビは、1782年にデンマークで生まれた数学者、物理学者、天文学者です。彼は、「ヤコビの原理」や「ヤコビの法則」などの数学的定理を発見し、物理学や天文学においても多くの貢献をしました。また、1814年にはノーベル賞創設者であるアルフレッド・ノーベルの祖父であるベルトルト・ノーベルとともに、デンマークで最初の技術大学であるコペンハーゲン技術大学を設立しました。
→ややマイナーな人名として数学者を聞いてみた。前半はともかく後半は真偽不明だった。1829設立のデンマーク技術大学は見つかるがコペンハーゲン技術大学は自分では見つけられない。この前にナポレオンについて聞いてみたけど、これはまあ当然正しく答えてきた。
エチエンヌ・マルセルは、フランスの哲学者、数学者です。1840年に生まれ、1903年に亡くなりました。彼は、現実世界を構成する素粒子や基本的な物質の単位として「アトム」を提唱し、「粒子の衝突」や「粒子の伝播」などの物理的現象を分析しました。また、「不完全性定理」や「確率的自然主義」などの哲学的概念も提唱し、現代の科学理論に多大な影響を与えました。
→全然自分ではエビデンスを見つけられなかった。マイナー人名として14世紀の100年戦争時のパリ市長を聞いてみたのだが、予想と全く違っていた。いくつかの何かが混じってる?全くのウソ?こういう人もいたの?
syamu game氏が言った「文句言うなら自分で作ってみろ」という理論である。いわゆる「お前だって論法」の延長に該当する、議論の手法(詭弁)のひとつである。
ほんでーまあ…『のびハザ怖くない』の最終パートでね、ちょっとコメントがあったんですけども、
いやーほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね。こっちは、こっちはみんなを楽しませるために動画のサムネを…作っているわけでして、 やっぱり、前はちょっとサムネシンプルだったのですが、 いや…ちょっとサムネやっぱ凝ったサムネがいいかなーと思って まあサムネ作り始めたわけですけども。
そんな、「サムネつまんない」とか言われたら、じゃあお前が作れって話でしょ、だと思いますけどね?ええ。
結構ー…サムネ作るのは大変だと思いますよ。サムネの構図、から考えなあかんし。
「つまんない」と言うんだったら自分が作ってみろ!っていう話でしょ?私はそう言いたい。うん。
逃げ場のない選択肢を与え脅迫的に詰め寄る理論展開の仕方。反応したら図星、反応しなかったら図星話法。とくさん問題として数学の未解決問題のように語られる場合もある。
54321 投稿者:とくめいさん (10月2日(木)13時00分33秒)
みなさんの見ている前で 公開で 陰毛をそられてみたいです。
誰かやってくれる人がおりますか。
本人確認は サウナの中で 竿を持って「とくさんか?」と聞いてください。
「違います」といいますからそうしたら竿を引っ張って洗い場に連れ出し 公開陰毛剃りを行ってください。
あとは皆様のおもちゃです。
一人で12660人の女性を売春した校長のせいで日本の校長の平均売春人数が1.2人を超える計算になってしまう理論。
ターゲットの特定作業中に削除されたり激しく否定された情報は、ターゲットに関係する情報(正しい情報)である、とする理論。一般に人は炎上するとビビッて消しがちであり用をなす場面は限定的である。(米軍ヘリの部品が幼稚園に落ちてきたことを報告した牧師のFB記事がバッシングを浴びて消されたことがある。やはり、ネット民はそれを根拠にデマであると盛り上がったが後に米軍が事実を認めたということがある。御岳山で被災した女性が「死ねばよかったのに」などの心ない中傷を受けてアカウントを消したということもある。この時も、想像力のない人が「悪いことをしていないのだから消すべきではない。消したというのは何かやましいことが……」などとさらなるバッシングを加えていたが無茶苦茶な話だ)
俺は嫌な思いしてないからという理由で人に嫌がらせをして迷惑をかけてもかまわないという理論。
現在の収入を時給換算して24時間365日働いた場合の年収でマウントをとる理論。ガチれば(余裕)理論。
他人に投げつける悪口は自分のコンプレックスの裏返しであるという理論
チンフェ「ニンニク鼻」
Tehu「オタクっぽい小太りの男に~」
とうふ「出たな無職」
塚越裕美子「おばさんブスAKBw」
マックのハンバーガーとコカ・コーラは世界一売れているので世界一上手いはずだという理論。多数派論証。売れているか否かと美味しいか否かで尺度が切り替わっている。(加藤元浩『Q.E.D. 証明終了』単行本32巻に収録されている第63話『レッドファイル』)
コストを消費した時点ではなく胃袋に収めた時点で計算する会計トリック。
152 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW fb03-oU5x)[] 投稿日:2016/06/12(日) 19:59:46.69 ID:u0DjqppT0 [1/3]
[画像]
165 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 1b46-3PyY)[] 投稿日:2016/06/12(日) 20:03:12.07 ID:xXsdhtKJ0 [2/2]
民事訴訟で敗訴しても賠償額が原告請求より少なければ勝ちという理論
大澤昇平 @Ohsaworks
①【勝訴】
賠償金 < 55 万円 未満
②敗訴
賠償金 > 55 万円 超
自ら発信した情報が巡り巡って戻ってきたことで確信する虚偽。元はソースロンダと呼ばれていた。
小木、ラジオでAKBこじはるに「パイパンなの?」とセクハラ質問をしまくったことを話す
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週刊実話、「こじはるはパイパンだった!?」とラジオでの小木の発言をソースに記事を書く
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小木、週刊実話を読んで「こじはるってやっぱりパイパンだったんだ!」と知る
↓
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アルファルファモザイクがまとめる
↓
アルファルファモザイクをもとにニュー速にスレが立つ
↓
J-castニュースがニュー速を元に記事にする
↓
J-castニュースを元にニュー速にスレが立つ ←この辺でなんか真情報っぽい雰囲気になってる
↑なんかこんな感じの出来事が実際にあった気がする
ドランクドラゴン鈴木「格闘技やってるとムカつく先輩いても耐えられる。だっていつでも殺せるし」藤井聡太ワンパン理論
アンチはファンよりもファンなのでただのファンより偉いという理論
「日本はもう終わり」的な政治・経済批判に対して終わってるのはソイツの人生だけであって日本は終わってないという理論
関行男(日本最初の特攻隊員)「報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。」
出す…!出すが…今回まだその時と場所の指定まではしていない。どうかそのことを諸君らも思い出していただきたい。つまり…我々がその気になれば金の受け渡しは10年20年後ということも可能だろう…ということ…!
殺害予告を正当化する詭弁。100以上のバリエーションがあり解説不能
例)相殺理論、不穏ワードとプラスワードが同じ数なら相殺されてセーフという理論
二者択一のルールを無視して両者のいいとこどりをしようとする理論。
へえー、みんな②なんだなあ。。
オレが今学生なら、10年①で塩むすびを様々な美味しいふりかけと昆布で味わい尽くして5億貯めといてそのあとビジネスやレジャーを存分に楽しみつつ美食を堪能するけどなあ。。
犯罪者はみな水を飲んでいるから水は危険という理論。パンは危険な食べ物理論。
連敗した後は連勝するはずという理論
錦織→すごい
日本人→すごい
俺→日本人
俺→すごい
女性は、やりたいこと・やってほしいこと・こうあってほしいことなど「通したい主張」が先にあって、それを通すために逆算で理屈を捻り出す傾向がある。
するとゴールから遡っていくことになるので、スタートとなる前提がふわっとしている。
通したい主張だけは絶対に動かないものであり、それが無理筋だとなったら別の方向からでも理屈をつけて通そうとする。なのでスタートがどんどん動いていく。
男性は「通したい主張」がある場合、まずは手持ちの前提(常識や倫理や統計や物理学など)からそれが「証明」できるか試みる。
「証明」できたら、それをスタートから順番にぶつけるだけだが、できなければ、その主張を通すことを諦めがち。むしろ主張自体を「証明」できるものに変更してアタックすることのほうが多い。
それでも理屈に合わない主張をどうしても通したい場合、もはや理屈の適用対象外として、お願いしたり、なだめたり、すかしたり、おちゃらけたり、脅したり、怒鳴ったり、騙したりして通そうとする。