はてなキーワード: 法則とは
レコードの針には、大きく分けてMMカートリッジというものとMCカートリッジというものがある。
レコード針は小さな発電機の様なもので、簡単に言うと、レコードの溝に合わせて針が動くことでコイルと磁石がスコスコと出入りして電流が流れて、その電流がアンプで増幅されてスピーカーを揺らす、と行った感じで音が出る。
中学校の理科で習ったフレミングの法則とか誘導起電力とか、あの原理だ。
ちなみにMMというのはムービングマグネット、つまり磁石の方がスコスコと動く。これに対してMCというのはムービングコイル、つまりコイルの方がスコスコと動く。
メーカーやクラスによっても違うので一概には言えないが、一般にMCカートリッジの方がMMカートリッジよりもレコードの溝から音を再現する能力が高い、と言われていて、30kHzとか40kHzの高音をちゃんと出すためにはMCカートリッジの方がいい、と言われている。
(もちろんそのためにはアンプもスピーカーもカートリッジ以上の十分な性能がなければいけない)
…
ところで、私こと増田はMCカートリッジを愛用してたのだが、最近針がヘタって調子が悪いなあと感じながらもなかなか新しいカートリッジを変えずにいた(※正確には針ではなくカンチレバーというバネの様な部分がへたってきているみたいだった)。
調子の悪い針を使うとレコード盤を痛める心配もあるので、ここ半年くらいは思う存分レコードを聴けずにいた。
しかしふと谷山浩子の古いレコードを聴きたくなり、思い立って、一応保管してたプレイヤー付属のMMカートリッジを取り付けて聴き始めた。
…
その、音の良いことときたらなかった。ここ二、三年で聴いたレコードの中で、間違いなく一番良い音だった。
見取り図 85点
受けていたが、ネタの展開は読めてしまって、知らない名前は後で何?と聞くのがわかってしまっているのであまり笑えなかった。この展開は2015年のジャルジャルもやっていた。覚えてないが他にもいくつもあるだろう。使い古されている気もする。ここに既視感があると全て既視感しかない。
と悪口を言っても仕方なくて、十分上手くて受けていたので、審査員はもう少し褒めて欲しかった。トップバッターだし。じゃないと客も盛り上がれない。それが前半の点数の低さにつながったと思う。
とはいえ、この厳しさがなければM-1の緊張感と権威づけも出来ないので難しい。
しかし、いつでもこの厳しさを乗り越える組が現れてMー1の歴史がある。
結果、今回もそうなったわけだが、それにしても前半不利はどうしたものか。
スーパーマラドーナ 85点
ネタのチョイス。田中の方が実はヤバいやつ、という一点だけのボケなので、そりゃ最初に受けて後は盛り上がらんだろう。と思うのだが、予選では受けていたのだろうか。ラストイヤーで残念だが、今後はテッテレーでブレイクしてほしい。逆にいうと、これまでにその田中のキャラを引き出せなかった武智の負けなのかもしれない。準々決勝のネタはよかった。
全体的に志らくの審査の評判は悪いようだが、共感するところが多い。うまさはあったがあまり面白くなかった。前半で客が重いというのもあるかもしれないが、実は準々決勝の方が客は重い。決勝はテレビ向けに結構笑ってくれていると思う。で、その準々決勝のネタはめちゃくちゃ面白かった。それと比べると、このネタはそれほど面白くない。もちろん、うまいので笑いは取ったし盛り上げたけど、そこまでではなかった。やられた感はない。準々決勝のネタを是非見て欲しいし、どこかで披露して欲しい。
ジャルジャル 95点
ジャルジャルがとんでもなく面白いのは言うまでもないし、残念ながら伝わらない人も多いのも今さら言うまでもない。ジャルジャルファン的には今回のネタもきっちりと一般人向けにチューニング出来ていて良かったが、クオリティだけでいえば去年の方がはるかに高い。今回のはドネシア、ゼンチンというフレーズの面白さだけ。ルールチェンジの盛り上がりも2回。それに比べれば去年のネタは、ルールの複雑さ、その展開の仕方の絶妙さ、ポンピンと頭を撫でるという二つの回収要素などめちゃくちゃハイレベルだった。だからこそ伝わらない。その上での今年。
面白かった。準々決勝と同じネタですでに見てたのに、決勝の方が面白かった。間が絶妙だったと思う。本番の緊張感がよりギャップを生んで面白さを増していた。と思ったが、そうでもなかったようだ。自虐が受けない、ってそんな法則あったっけ。ミキは?トレンディエンジェルは?まあ、最終決戦に残るネタではないか。個人的にギャロップが活躍してたので満足。
ゆにばーす 90点
川瀬名人、緊張しすぎ。でもネタの構成は面白かったし、ハラちゃんのしゃべくり面白かった。そういう意味で見取り図、スーマラよりは個人的満足度はだいぶ高い。
ミキ 93点
正直ミキはあまり好きではない。ボケが本当に面白くない。あえてなのだろうけど。亜生がカワイイキャラだからあれぐらいのボケがちょうど良いのだろうか。笑いは全てお兄ちゃんで取っている。それなのに、ここまで笑いが取れる。そう言う意味では天才だ。
でも、審査員も言うようになったけど、ボケをもう少しひねった方が良いのではなかろうか。発想の凄さみたいなものが加わると最強だと思う。
トム・ブラウン 90点
勢いでやり切っていて良かった。特別面白いとは思わなかったけど、全体的に真面目な漫才ばかりだったのでとても気持ちよかった。でもそれ以上の感想はあまりないかな。
霜降り明星 95点
良かった。もうこのコンビは売れるのは時間の問題状態だったので、やっとここできた、と思って嬉しい。ツッコミの粗品は19歳の時にピンでオールザッツ漫才優勝している天才。それにせいやが合わさったら最強。二人ともRー1出てるし。せいやはすべらない話でMVS取ってたし。どうせ売れるなら早く売れた方が見ていて気持ち良い。嬉しい。
和牛 95点
ネタの展開、ツッコミの技術が凄まじい。よく出来た古典落語を名人がやっているような漫才。面白いのはみんな言ってるし知っているので、あえてケチをつけると、全てが計算し尽くされていてちょっと窮屈だ。でもすごかった。和牛もオールザッツ漫才優勝コンビ。オールザッツの先見性はすごい。
審査員について
志らくはああいう普通じゃない評価をするために呼ばれたんだろう。みんなが巨人や礼二のような審査したってつまらんじゃないか。
ということを、受け入れられないのだろうか。息苦しい世の中だ。
とはいえ、みんなにたり寄ったりの評価でそれはそれで良いんだろう。
上沼恵美子はもう役割を終えたよね。お疲れ様でした。去年は特に良かった。
松本人志は、もう、ちょっとおじいちゃんですね。たぶん、もう出場者を可愛いと思って見ている。まあいいんやけど。面白いのは今でも面白いけど、もうそろそろ潮時かもしれない、と初めて思った。今年も和牛に入れるのは違うと思う。
最終決戦
去年も勝ったらこのネタをやるつもりだったのだろう。ザ漫才でもやってたし。めちゃくちゃ面白いが、このタイプのネタでは勝てないのもよくわかる。というか本人たちもわかっていると思うのだが。ジャルジャルのアホ要素を詰め込んでいるネタだが、それだけでは世間は受け入れてくれない。残念だが、もう何度も経験済みだ。
いつかのキングオブコントのオバハン連呼ネタもそうだ。めちゃくちゃ面白いのに。
やっぱり、1本目のネタと同じぐらいに奇跡的なネタを別の切り口でもう一本作らないと勝てない。例えば、2015年の1本目と今年の1本目を合わせるような。でもそんなの流石に無理だ。
2本目やって負けるのはファンとしても納得。福徳もすっきりしていたみたいなので良かった。
これも感想は1本目と全く同じ。古典落語の名人芸。でも欲しいのはそれではなかったりする。欲しいものは何か。
それが、この勢いと煌めき。眩しい。夢しかない。
ABC優勝ネタも含まれていて目新しさはないが、その頃よりはるかに洗練されているし、とにかく瑞々しい。これを求めているのがMー1じゃないのか。和牛はそりゃ面白いけど、獲るなら2016だったと思う。銀シャリじゃないやろう。と今更言ってもしょうがない。
世代交代をみんな喜ぼうよ。スター誕生したんだから。この二人は絶対裏切らない。天才が二人。奇跡的にコンビを組んだ。
楽しみすぎる。
参考にしたサイト:http://lelang.sites-hosting.com/naklang/fallacy.html
相手の主張を一部分だけ引用したり、極端な形に言い換えたりして、反論しやすいかたちに改変してから論破してみせること。
多くのデータの中から、自分にとって都合の良い例だけを取り出してきて、都合の悪い例は無視すること。
そっちこそどうなんだ主義。
自分の行動が批判されたときに、それ自体には反論せず、「お前も同じことをやっているじゃないか」と相手の過ちをあげつらう論法。
「最近の漫画がつまらないのは出版社のせいだと思うか?」という質問は、「はい」と答えても「いいえ」と答えても「最近の漫画はつまらない」という前提を認めてしまうことになる。
最近の漫画を面白いと思うなら、そもそも前提が間違っているということを指摘しなければならない。
実際には他にも選択肢があるにもかかわらず、0か100かの極端な選択肢だけを提示し、相手を回答不能にさせること。
滑り坂論法。
いちどでも要求を認めれば、次々と要求を認めなければいけなくなるので、最初の要求を認めてはならない、という詭弁。
たとえば「いちどでも賃上げ要求に屈せば、どんどん給料は吊り上がって、会社は倒産してしまうだろう」といったようなもの。
迫害を受けたガリレオが結果的に正しかったように、私が批判されているのも私の主張が正しいからだ、といった論法。
ガリレオの代わりにセンメルヴェイスやヴェーゲナーが引用されることも多い。
複数の仮説のなかで、間違っているという証拠があるものを除外していき、最後に残ったものが(どんなに信じられなくても)真実である、という誤謬。
言い換えると「間違っているという証拠が見つかっていないから真実だ」と言っているに等しい(未知論証)。
「ad nauseam」はラテン語で「いやになるほど」という意味。
何度も何度も何度も何度も同じ主張を繰り返すことで、批判者を疲弊させて撤退に追い込み、第三者にはそれが真実であるかのように刷り込む。
「嘘も百回繰り返せば真実になる」。
ある主張に反対するために「子供たちのことを考えろ!」というフレーズを用いること。
ここでいう「子供たち」は主張者に都合の良い架空の存在である。
インターネットでの議論が長引くほど、ヒトラーやナチスを引き合いに出した不適切な比較が行われやすくなる、という法則。
あるいは、ヒトラーやナチスと比較した時点でそれを言った側の負けだ、といったルールのこと。
ヒトラーとの不適切な比較は「ヒトラー論証」と呼ばれる詭弁であるが、ゴドウィンの法則自体にも「適切な比較すら封殺する」という批判がある。
常識的な主張と過激な主張を使い分け、過激な主張を批判されれば「私が本当に言いたいのは常識的なことだ」と弁解し、常識的な主張の同意を得れば「過激な主張が立証された」と強弁する論法。
本来は「小高い丘(モット)に建てられた天守」と「平地を外壁(ベイリー)で囲った曲輪」で構成された城のことを指す。
No true Scotsman。「本当の○○は××しない」。
「スコットランド人はそんなことをしない」という主張に対し、「俺の知り合いのスコットランド人はそれをしていた」と反例を挙げられたとき、「その人が真のスコットランド人ではないからだ」と定義を変更することで反例を排除する。
相手の主張に対して根拠を要求し、それに回答があると、しれっと要求を変形させて「これでは根拠になっていない」と言う。
「醤油ラーメンがいちばん人気があるという根拠はあるのか?」「ラーメンの人気ランキングはこれだ」「俺は東京のラーメンについて聞いたんだ、東京に限ったランキングを出せ」といったもの。
専門家でさえリアルタイムでは答えられないような細かい質問を次から次へと投げかけて相手を回答不能に陥らせる手法。
ギッシュ・ギャロップを繰り出し、相手がひとつでも答えられなければ「彼はこの問題について無知である、よって議論に参加する資格がない」といった結論に持っていくコンボ。
以下、名前が見つからなかったけどネット上ではよく見かけるやつ。
「反対をするなら対案を出せ」というもの。
具体的な問題を解決しないといけないときに、出てきた対策に反対ばかりしている人に対しては成り立つが、余計なことを始めようとするときに現状維持を望むのは、それ自体が対案となる。
「TINA(There is no alternative)」と呼ばれることもあるが、TINAは「他に道はない」と言って押しとおすことなので、微妙に違う気がする。
何かを批判している人に対して、まったく別の領域の類似問題を挙げて、「これも批判しなければダブスタだ」と言うことで、際限なく戦線を拡大していき、相手が対応できなくなることを狙う。
Whataboutismの仲間か。
集団内でも意見が異なることはあるものだが、集団をひとつの人格とみなすことで、異なる意見が存在することを矛盾とみなす。
右翼Aが「天皇を守れ」と言った、右翼Bが「今の天皇は左翼だから退位させろ」と言った、それを見て「右翼は天皇を守ると言っていたのに退位させようとしている」と主張する、といったもの。
女性「3回も2人で会うっていうことは、OKってことなんだから早く告白して」
君たち男は同一の女性と3回デートして告白しなかったことはあるか?告白できなかったから童貞なのではないか?付き合えたのに、そのチャンスを逃しているのではないか?
今回紹介するのは、課金要素がほぼなく、
無課金でも承認欲求を大いに満たすことのできるソシャゲー「はてブ&はてスタ」。
プレイスタイルには主に3系統があり、途中から系統はいつでも変更可能だ。
スタンダードな系統で、初心者にはこのスタイルをオススメする。
はてブをしつつ、はてスタもする、シンプルながら手堅いスタイルだ。
このスタイルを初心者にオススメするのは、星獲得のみを考えれば
良いなと少しでも思ったら躊躇なく星をつける。
これに慣れてくると「星が取れそうなコメント」というものをつかむことができる。
そうなってくると、はてブもやりだすと良い。
ただ、星が取れそうなコメントも正論、極論、大喜利、ダジャレ系など属性があるので
近道をしたい人は、
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181128162410
また、はてブの星取りで忘れてはいけない究極の法則は「速さは正義」だ。
100文字を精査している間に、そのエントリーをブックマーカーが100人通り過ぎれば、時既にお寿司だ。
伸びる、と直感が言うのであれば一言、「これは酷い」など心からの一声を
ブックマーク数一桁の時に投稿すると、先行者利益を獲得できる。
短文かつ共感しやすい内容でブックマーク集団の先頭につくことができると、星がつきやすい。
また、富が富を呼ぶように、星が星を呼ぶという法則がある。
おおよそ10以上の星を早期に獲得すると、人気のコメントとして悪目立ちすることができ、
さらに、後半のはてスタ組は星が多いとこにとりあえず乗る、という傾向があるので
ここからの星獲得はそれこそ星振るごとくだ。
さてここで、はてブに注力しすぎて、はてスタを忘れてはいけない。
これも、従前のとおり続けることが肝要だ。
「こいつは俺に星をくれた。そしてまたくれた。」
と、有象無象のブックマーカーの心にコツコツと星を植えつけるのだ。
いわゆる、薄皮の互助会に参画するのだ。
そうすると、彼ら彼女らは君へ星付けのハードルを無意識のうちに数段下げてくれる。
そうして、1ブクマの度に都度星を獲得し、自分は認められてもらってる感を充足する。
時に確変で、2桁、3桁の星を受ければ、承認欲求をドバドバ満たすことができる。
これほどまでに承認欲求を満たせるソシャゲは、他にないと断言できる。
ぜひ、はじめてみて欲しい。
2年半ほど経ちますが、空前のNTT退職ブームなので便乗しちゃいます。
まず既知の通りNTTグループは社員数約28万人と非常に大きな組織であり、その中で研究所はエリート中のエリートが就く位置にある。つまり上記の方達は警察でいえばキャリア組にあたる方達にあたる。以降キャリア組と呼ばせていただく。
一方で、私は地方のノンキャリア警察官のようなポジションにある子会社(大株主は研究所)出身なので、その分際でこのようなエントリーを書くのはおこがましいかもしれないが、
キャリア組層のエントリーなのに共感できる部分がとても多い上に、すでに [ 10年勤めたNTTを退職しました(無能編) https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 ]のようなノンキャリアそうな人(←失礼はご愛嬌)のエントリーもあったりしたのでちゃっかり便乗させてもらう。
データとデー子もこんな感じなのだろうか。ぜひ知りたいものだ。
まあ、ようするに赤い髪のあの子になるべく自然に話をさせてあげたいけど、
関西人じゃないからどうすればいいか分からないんじゃ~…と苦悩していたんですよ。
で、色々調べたり教えてもらったりした結果、何となくそれっぽいんじゃないかと思える場所にたどり着けたので、
そのコツみたいなものを書いてみる。
関西ニキは間違っている所があったら遠慮なく突っ込んでどうぞ。
小見出しの通りだけど、
…と、「だ」を使わないように心がけるだけで、何となく関西弁っぽい。この法則に照らし合わせると、某茜さんの決め台詞も正しくは
「ウチだってやったんやからさ」…になる。ちなみに、3文字目の「だ」は「か」に変えると、もっと関西弁っぽいと知り合いの関西人が言っていたが
この辺の法則は俺にはまだ分からない。
これを入れるだけで関西弁っぽいという単語がある。例えば「そやな」「せやな」のような。
なので、それらの言葉が使えそうな場面を作って積極的にその単語を使えば、関西弁っぽさがグンとアップ。
以下に、俺が教えてもらった関西弁っぽい文章になると思う単語例を上げてみる。
「ちゃうねん」「あかん」「あかんやん」「ほんま(本当の意)」「ぎょうさん(沢山の意)」「遠慮のかたまり(食事の時とかに、最後に残った1個の事らしい)」
…どうすれば関西弁っぽい話し方になるか分からないけど、赤い髪の子にそれっぽく話をさせたい人は、
とりあえず、上記2点を心がけるだけで関西弁っぽさが増すと思うぞ。多分。
働きアリの法則みたいなもんか
これは政治学よりも経済学の「価格弾力性」の理論で説明したほうがいいね。
人間は欲深い事に好きな子と会話ができたら、今度は二人っきりになりたがる。より密着したがりからだに触れられるようになると官能的な魅力に求める。その次、その次と求めていくと、1度提供されたその子との繋がりが魅力的に感じなくなくなる。
こういうことってよくあるよね。地元スーパーの安売りにありがたみを感じなくなったり、何度も聞いていた音楽が魅力的に感じなくなくなったり…。要するに「慣れ」や「飽き」が来ちゃうんです。
より強い刺激を反日デモに植え付けなければ、「反日」というコンテンツは面白くなくなる。だから、車をひっくり返したり、日本企業を襲撃したニュースが流れ、今回のようにしまいには関係ない国の企業まで襲撃される。
日本人よりも損得に敏感で貪欲な中国人なら、なおさら強い刺激を求める。「価格の弾力性」はどんどん小さくなる。コンテンツは飽きられてしまうのだから、飽きがこないように日々違う刺激を与え続ける必要がある。
それは私達が火を触り熱いと感じるからだ。
これは経験的な話になる。
火を触る、熱い、火は熱いのだと言う具合に。火を触らなければ熱いと理解できなかった。
経験から抽象し、経験することを除き、熱さを痛点とすれば火は痛いのだ。
もちろん火に熱した鉄板が熱いということも、鉄板が火を前提にしているわけではなく、鉄板を熱した火を前提にしている。
では、なぜ痛いのか。
これは私には知識がなく語ることが出来ない。
つまるところ、私達は経験的な物事を語っているに過ぎないということだ。
火は熱い、火を触れば分かることだし、大体の人間は火は熱いということを経験から知っている。
火を触ることで発生する、痛いという事象が私達の心の中で発生する。
痛点が無い人間であっても、痛点を持てば感じることができるだろう。
火を触って熱いと感じるか、痛いと感じるかはその本人以外に分かることはないのだ。
火を触って熱いと感じるのが普遍的な事象で、痛いと感じるのはよくわからない。
それは私達が火を触って熱いと感じるかどうかを統計すれば結果は明らかになる。
先程言ったように火を熱いと感じるか痛いと感じるかはまた別なのだが、
多分一緒にしてしまうだろう。
では、火は熱いのか、痛いのか、統計しても分かることはない。
これは言葉の問題なのか、統計の問題なのか、それとも心理的な事象を普遍化する試みが問題なのか
まず、火が熱いのだろうが、痛いのだろうが分けることに意味はない。
タイトルを変えるなら、なぜ火は私達の皮膚に刺激を与えるのか
だが、やはりこの言い方だと痛点のない人を想定していない。
やはり心理的な事象ではなく、外部の事象から考えるべきだろう。
皮膚を熱することでどういう事象が発生するのか、火が熱いことで特有の現象が起き、それが熱い状態だと記録できるかもしれない。
多分、火を熱いということを心理的な事象から普遍化する試みは失敗するはずだ。
心に発生する事象が、熱いか痛いかどちらが生成されるかよくわからないからだ。
もし、熱さを痛みだとしても、何か別の表現をしてくる人もいるかもしれない。
なにか経験論を心理的な事象に反映することを反論したくなってこのような文章を考えてみたが、いまいちか。