2018-11-05

なぜ火は熱いのか

それは私達が火を触り熱いと感じるからだ。

普通説明だろう。

これは経験的な話になる。

火を触る、熱い、火は熱いのだと言う具合に。火を触らなければ熱いと理解できなかった。

経験から抽象し、経験することを除き、熱さを痛点とすれば火は痛いのだ。

熱いという表現が火であることを前提としている。

もちろん火に熱した鉄板が熱いということも、鉄板が火を前提にしているわけではなく、鉄板を熱した火を前提にしている。

では、なぜ痛いのか。

これは私には知識がなく語ることが出来ない。

つまるところ、私達は経験的な物事を語っているに過ぎないということだ。

火は熱い、火を触れば分かることだし、大体の人間は火は熱いということを経験から知っている。

経験心理的事象であるとする。

火を触ることで発生する、痛いという事象が私達の心の中で発生する。

これは同じ人間であるのなら普遍的なことだ。

痛点が無い人間であっても、痛点を持てば感じることができるだろう。

しかし、経験がそのまま普遍的なことになることはない。

火を触って熱いと感じるか、痛いと感じるかはその本人以外に分かることはないのだ。

火を触って熱いと感じるのが普遍的事象で、痛いと感じるのはよくわからない。

経験統計的に考えれば、ある程度の予測はできるだろう。

それは私達が火を触って熱いと感じるかどうかを統計すれば結果は明らかになる。

経験から演繹に、それは科学でもある。

先程言ったように火を熱いと感じるか痛いと感じるかはまた別なのだが、

多分一緒にしてしまうだろう。

では、火は熱いのか、痛いのか、統計しても分かることはない。

これは言葉問題なのか、統計問題なのか、それとも心理的事象普遍化する試みが問題なのか

まず、火が熱いのだろうが、痛いのだろうが分けることに意味はない。

なぜ問題ないのかと言うと、それは経験的な話だからだ。

私達が話すのは演繹的な一般的法則のことだ。

タイトルを変えるなら、なぜ火は私達の皮膚に刺激を与えるのか

だが、やはりこの言い方だと痛点のない人を想定していない。

やはり心理的事象ではなく、外部の事象から考えるべきだろう。

皮膚を熱することでどういう事象が発生するのか、火が熱いことで特有現象が起き、それが熱い状態だと記録できるかもしれない。

多分、火を熱いということを心理的事象から普遍化する試みは失敗するはずだ。

心に発生する事象が、熱いかいかどちらが生成されるかよくわからいからだ。

もし、熱さを痛みだとしても、何か別の表現をしてくる人もいるかもしれない。

なにか経験論を心理的事象に反映することを反論したくなってこのような文章を考えてみたが、いまいちか。

批判されるべきは心理学統計学のミックスかなぁ

低知能が差別主義者や右翼になりやすいなど、という研究批判されるべきだと思う。

あれは統計学なのかよく分からん・・・

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