はてなキーワード: 暗算とは
「数学者は暗算ができない」というより、「数学者は暗算に興味がない」が正しいんだよな。母集団を数学者とそれ以外に分けた時、暗算ができる率は数学者集団の方が高いと思う。
それはそれとして、「数学者なんだから暗算お願い(無料で)」って言うのは、「外国語文学者なんだから翻訳お願い(無料で)」って言うのと同じなんだよな。まあ、翻訳もたかが一文翻訳するのに何万も払えとは言わないだろうけど、せめてジュース一杯奢るくらいの労りは見せて欲しい。
「数学者は暗算できない」というのは、「安易に暗算の労力を押し付けようとするな」という主張をマイルドに言い換えただけだと思う。まあ「そもそも電卓あるから暗算の必要性がない」場面も多々あるが。
めちゃくちゃ未来や過去のカレンダー暗記してたり、ながーい桁の暗算してみせるやつとか。
あの人たちが発達障害者とかギフテッドだという確証はないけど、なんでびっくり人間の番組が廃れたかって言ったら「カレンダーも暗算もスマホでできるじゃん」に行き着くんじゃなかろうか。シャッター型記憶の人だって「カメラがあればいいじゃん」となる。
人類史上でそれなりの期間重宝されてきた能力はITの力で必要とされなくなってる。
ブコメのいくつかがそれを指摘している。発達障害者にとって転職とまではいかなくても向いていた職業がどんどん減っている。
この流れが進めば今は”定型発達”側にいる人間だってどんどん不要とされていくよ。最初に切られるのは”言われたことができない人間”で、次は”言われたことしかできない人間”だ。定型発達はアドバンテージでもなんでもなくなる。他の定型発達者にできないユニークなものを創造できる人間だけに価値があるようになる。
それまでにBIが普及すればいいよね。働きたくて尚且つ働くことに価値のある人間だけが”創造”できる世界になったらみんな幸せになれるかな。
坂本龍馬は発達障害者だっただろうというエピソード、当事者である自分も持ち出すのはあまり好きではないがあえて挙げてみる。
龍馬の陰で、龍馬になれなかった無数の向こう見ず人間が当たって砕けて命を散らして、歴史に名も刻まず微々たる成果だけを残していったと思う。
微々たる成果が塵も積もれば山となって、どっかで人類の英知のひとかけらになってるんだと思う。
毎日必死に生きて、よい成果を出そうと働いているのに生み出すのは負の生産だったりすることも多々ある。元増田のように理解して工夫して向き合ってくれる上司に迷惑をかけて、とっとと首にしてくれという自分と食っていくために会社にしがみつく自分がいる。早く死にたいと涙する日がある。
現金払いしかできない有人レジでは、私は紙幣より先に硬貨を出すようにしている。支払額を超える紙幣を先に出すと、せっかちな店員は即座におつりを渡してしまうからだ。そうなると硬貨を出す機会を逃してしまい、所有する硬貨は必要以上に多くなる羽目になる。
今日はセルフ式の食堂で昼食をとった。陳列されている料理から好きなものをトレーにとって、食事前に清算をする店だ。新型コロナ対策に掛けてあるビニールカーテン越しに料理を取ってレジへ向かうと「869円です」と告げられた。その時の支払いでもいつも通りに硬貨から順にトレーに出した。
これで869円の請求に対して1024円(きりのいい数字だ! 2の10乗だ!)を支払って、お釣りを受け取ることとなった。
「あのぅ…69円なんですけど」
そう言いながら私を見つめる店員の目つきは愚かな人間を憐れんでいるかのようだった。私は自らあみ出した硬貨所持数を最小化する支払いアルゴリズムを否定された気がして怒りが湧いてきた。しかし、その後の食事を快適に過ごすことを考え穏便に対処することにした。
私が暗算能力に秀でていたなら、お釣りがいくらになるのかを言えただろう。しかし、一円玉と十円玉の支払いにより五円玉と五十円玉をお釣りで受け取ることは分かっていたが、お釣りの三桁目はいくらになるのかを考えてなかったので言いよどんでしまった。沈黙(時間にして2秒ほどのことだったが)の後に私は
と24円分の硬貨を出した理由を簡潔に答えてレジ操作を促した。
店員は訝しげにレジをたたき【155円】のお釣りの表示を見ると僅かに身体を硬直させた。そして、お釣りとして3枚の硬貨を何も言わずに渡してきた。その態度が私の怒り増大させた。私の支払いにケチをつけておきながら何の弁明も謝罪もしないのかと。しかし、それでも私は静かにお釣りを受け取りそのまま料理のトレーを持って席に着いた。
料理はうまかった――店員の腹立たしい態度を忘れてしまうほどに。しかし、帰宅して財布の中のレシートを見ると怒りが再燃してきたのでこのような長文を書いた次第だ。世の中には、お釣りの受け取りを最小限したり所持する硬貨を最小限にすることを理解しない者が大勢いることだろう。計算能力の優劣や小銭管理の思想は人それぞれなので、それに不満を言うつもりはない。しかし、客の金の払い方に文句をつけるなどもってのほかだ。
15km/hは自転車くらいの速さで、自転車で2時間かかる距離は30kmくらいある。30kmを2時間かけて来たって言われたら30km/2h、約分して15km/hだから自転車で来たのかな、と思う。地図を見て30kmくらいの道のりであれば自転車で2時間くらいで着くだろう、12時に目的地に着くことを考えて10時に出るのがいいかな、とかそういうことを考える。
または大体の歩行の時速は4km/hだから、徒歩15分で1kmくらいの計算になる。徒歩15分は駅近とは言わない。7.5分くらい、つまり500m圏内であれば駅近と言ったりその分家賃が高かったりする。自分の家から駅までの距離を測るのは面倒だが、大体の速度と時間で距離が分かる。そう計算してると好きな子が最寄駅から徒歩何分かで住んでる範囲が割り出せたりする。または震災等で交通機関がストップした際に会社から家まで何kmあるか知っていれば、例えば10kmであれば
=5×1h÷2
=5h÷2
=2.5h
つまり2時間半で帰れることが分かる。現実は途中で休んだりするからもっとかかるかも知れないけど。
終電逃してタクシー使うのであれば10km÷40km/hで15分くらいで帰れるかも知れない。
他にも歩く速さ4km/hと車の速さ40km/hで速さに10倍の違いがあるから、遅刻しそうな時は徒歩10分かかるところを1分に短縮できるかも知れない、とか(できないけど)。9分を金で買う。
速度は単位にパーという割り算の記号があるからややこしいけど、あるがまま単位ごと一緒くたに計算してしまえばいいんだって私の小学校の先生は言っていた。速度は暗算できる程度の簡単なものでも予定の見通しがつきやすくなるし、距離でなく作業量を分子にしたら仕事の速さとしても使えるし、暗算結果次第では別の手段に切り替えようって判断基準にもなるのでコレハイイモノダ。頑張って身につくといいなと思う。
250円と780円を足して2で割るとなると、
①(a)250 はキリを良くするため(b)50 足して(c)300 にする。
②(d)780 はキリを良くするために(e)20 足して(f)800にする。
③(c)300 +(f)800 =(g)1100 。
④(g)1100 から、①②で足した数を引く必要がある。(b)+(e)=(h)を(g)1100 から引きたいんだけど、(b)と(e)の値が思い出せない。
⑤もう一度①②をやる。(b)は50 、(e)は20だったので、(b)+(e)=(h)70
⑥(g)-(h)70 をしたいんだけど、(g)が思い出せない。もう一度③をやる。
⑦あれっ、(a)と(d)って、共に税抜きだっけ?!片方だけ税込みになってたりしない?!
いつもこんな感じ。
暗算に勝てない。
お客様が
「たぶんポイント足りないから、足らないぶんはポイントを交換して払うか、それでも足りなかったら現金で払う。だからまずポイントいくらあるか確かめて」
って仰有るので、ポイントの残高確認をして、残高のレシートを出して私た。
そしたら、
と聞かれた。ここからすでに雰囲気がヤバイ。あー面倒臭いパターンでクレーマーに遭遇してしまったー、と思う。客はフレンドリーなつもりな態度だけど、こういう人ってこっちをコテンパンにするまで退かないぞ。どうする?
お会計845円に対して、ポイント残高が七百数十円くらいで、交換されていないポイントが180ポイントとちょっとあった。
さっき、自分で「足りないぶんはポイント交換して払う」って言ったのにこれだ。
なので、
いつも思うんだけど、このお金で買う「ポイント」と、買い物した金額に応じてついてくる「ポイント」をどっちも「ポイント」と呼ぶこと自体がそもそもの間違いだ。本部、なんとかしてくれないかなあ。
レジが、ポイント全部交換と一部交換のどっちがいいかを電子音声で聞いて来る。何でこれ客に選ばせるんだろうな。こういうとき、客の二人に一人は必ず聞いて来るのだが、この客は聞いて来る方だった。
「全部交換と一部交換、どっちがいいの?」
だから、
「どちらでもお好きな方をお選びください」
と言うと、大体切れられるか舌打ちかムッとされるんだけど、そうとしか言いようがないので、そう答えた。店員にもレジにも選択権が無いのだから仕方ない。このシステム考えた人って馬鹿なの?
「はぁ?どっちなの!?」
客は貼り付いたような笑顔のまま怒鳴った。キレる方の人だった。あーやっぱり。
「交換されていないポイントが180ポイントございますので、一部交換でも全部交換でもお支払できます」
と答えたら、
怒りで完全に自分の言ったことを忘れている……森にお帰り。だが私はナウシカではないのである。悲しいことに。
ざっくりとした暗算をして私は答えた。
「何で!?」
客はいっそう怒り出した。なので、
「今あるポイントが七百数十円なので、130ポイント交換すれば足ります」
と答えたが、客は全然納得していなくて、それでも
「じゃあ足りないぶんは現金で払うからとりあえずポイント交換!!」
と言うので、私はポイント交換のボタンを押し、客がまたポイント全部交換と一部交換のどちらを選んだらいいのかわからないと言うので、一部交換の方を押してもらった。
と客は怒りながらカードをレジにタッチしたが、普通に払えたことに驚いた様子で、しかし「大丈夫?」と捨て台詞を残して、店を出た所でしばらくレシートをガン見したが、しばらくすると振り返らず去って行った。
「ウミガメのスープ」型の問題(水平思考問題などと言うらしいが)を楽しもうと思い検索しているのだが、どうもつまらない問題が多い。出題形式こそ「ウミガメのスープ」と同じだが、この問題の良さを正しく踏襲している問題は、少ないどころかほとんど見当たらないのだ。そこで何故、他の問題が「ウミガメのスープ」のように機能しないのか、この種の問題はどのような理由で悪問となるのか、ということを考えてみることにした。
Q. 薄暗い部屋で一人、ピアニストの女性が熱心なファンレターを読んでいた。読み終わってすぐに彼女は、自らの死を悟った。何故か。
A. ピアニストの女性は盲目でファンレターは点字。点字の間には毒針が仕込まれていて、ファンレターの最後に毒針のことが書かれていた。
これは私がつまらないと感じた悪問の典型だ。この例題の問題点は客観的に明らかであるはずの手紙の文面や毒針の存在が明かされていないことだ。それらを知っていれば謎など全く存在していないにも関わらず、出題者の脳内の状況を明らかにするために質問を重ねていかなけばならない。何故、こんなことが起こるのだろうか。
普通、推理の問題というのは答えに必要な情報は予め開示しておかなければ成り立たない。だが「ウミガメのスープ」型問題では回答者が質問をし、それに出題者がYes/Noで答えるというプロセスが含まれる。そのため、普通なら許されない情報の後出しが許されてしまうのである。出題者はあえて問題文を曖昧にし、部分的な情報しか明かさないことで、回答者からの質問回数を増やし、あたかもこのゲームが機能しているように振る舞わせることができるのだ。だが実際はこの時に行われているのは推理ではなく、単なる問題の補完に過ぎない。
例えば算数の問題に置き換えてみよう。まず、「3218+877=?」という問題。これは暗算で解くには少々集中力を要する問題と言えるだろう。次に「a+b=?」という問題。こちらの問題では回答者が「aに入る数字は1ですか?」「2ですか?」「3ですか?」…とひとつずつ尋ねていかなければならず、最終的に明かされる問題が「2+5=?」となっているとしよう。結果的に問題を解くのには同じぐらいの時間を要したとしても、どちらの問題がより思考を要するかは明らかだ。このように問題を明らかにする過程というのは決して知的なものではなく、単に参加意欲を満たすだけのプロセスでしかないと言える。
この点、「ウミガメのスープ」で伏せられた情報は非常に自然だ。情報の欠落は男の過去に限られており、これは客観的に起こりうるものだ。問題文の因果関係に偽りは無く、ウミガメのスープを食べた事と男が自殺した事という一見繋がりの無い2つの事象を結びつける男の過去を推理している。必要な推理材料は最初から揃っており、極論すればヒントなしでも真実に行き着くことすら可能だ(逆に言えば多くの問題は出題時点では問題として成立してさえいないと言える)。実際に作るとなると難しいのは確かだが、このように問題としてきちんと成立した良問が増えていってほしいものである。
(変則的な例として問題文に叙述トリックやミスリードが含まれているパターンもある。これについては回答者の気付きひとつで解けることもあるが、推理小説の面白さと叙述トリックモノのミステリーの面白さが別と言われるように、やはり別ジャンルと扱うべきで、どちらかと言えばクイズのような出題形式が適しているだろう。)
各部門にリーダーがいるので、基本指導は任せることにしている。
自分が口出しすると、リーダーの指導内容と噛み合わなかった場合、指導されている人間が混乱するし、リーダも混乱するからだ。
そんなリーダーが壊れそうだ。指導対象のスタッフが、まったく成長しないおかげで。
この1年、リーダーはよく頑張った。
手を変え品を変え、どうにか普通に仕事ができるようにツールの使い方や資料の集め方などを教えていた。
1年繰り返しても、全然覚えない。
ドキュメントも整備してあるし、質問があれば仕事を横に置いて説明してるけど。
最近、リーダーがお手上げ状態に近づいてきたのと、指導に時間を取られて(相手が頻繁に声をかけてくる)本人のタスク消化もままならない…さすがに任せたままにしておけないので、指導に介入することにした。
…いやぁ、ひどいわ。本当になにも覚えない。
教えても、それとまったく同じ内容じゃないとできない。応用力はないし、入社する時に「勉強するように」と言っていた、基礎技術も全然勉強していない。
「勉強してます。体に覚え込むようにしてます」って言うんだけど、経験上、口先だけのやつがよく言うセリフ。
勉強してたら、こちらの技術指導もわかるはずなんだよ。でも、わからない。
実際、新卒入社組には、ここまで落としたことがないくらいの低レベル指導に変えていってるんだが、それでも全然ダメ。
これが20代なら、まだ希望はあるんだけど、30代半ばなんだよ。
前の会社は、翌日のスケジュールを組んでからじゃないと退社できないとか、1ヶ月に1度は査定があったとか…まあ、なかなか厳しそうな会社だったらしいのだけど、実際やらせてみたら、スケジュールは組めないし、目標管理の書類も内容があまりにも酷すぎて、10回近く赤入れて、他のスタッフと同じくらいのレベルの内容に修正させた(他のスタッフはあっても1回程度の修正)。
数年前まで、社内でも有名な「仕事できないスタッフ2人」を抱えていたことがあり、指導方法を変えれば、最初は時間がかかっても、最終的には年代に応じた成長を遂げることを経験上知っている。
だから、ここまで落としたことがないくらいの史上最低レベルで指導してみた。
でも、だめだ。
コントのように、まったく通じない。「はい」と返ってくるが、多分わかっていない。
指導したことある人にはわかると思うんだけど、本気度が足りないというか、年齢だけ重ねてしまって、基礎訓練を受けてないのがありありとわかるんだよ。
他スタッフのような進捗で仕事を進められないから、本人も仕事ができないのはわかっている。
原因はいろいろあるんだけど、一番大きいのは「教えてもらったことをそのままやってみる」ことができないんだよね。
認知の歪みがあるのかもしれないけど、「このデーターをコピーして、そのまま当てはめてみて」と教えると、コピーして当てはめることをせずに、自分で勝手に考えた内容で成果物をあげてくるし、「このまま使うのはNGなので、考えてみて」と指示すると、持ってくるなというところからデーターを持ってくる。
過去に、どうやっても仕事ができない部下はいたんだけど、「そのまま当てはめて」「考えて」という部分に反して成果物をあげてくることは少なかった。たまに「やるな」と言うことをやって、一番ひどい時は始末書ものになってたことはあったけど。
今は、自分のスケジュール管理ができないので、稼働時間をExcel使って計算させて、予測からオーバーしたのはどうしてなのか?という振り返りをさせている。
Excelの四則計算ってそんなに難しくないと思っていたんだ。
1週間分の稼働時間を合計して、それを8時間で割って日数を出す計算はすぐできるもんだと思ってた。
尋ねたら、その場で暗算始めようとしたので、慌ててExcelの計算方法教えた。…なんのためにExcel使ってると思ってるんだ。
で、教えても、数日後、やっぱり忘れてるんだ。
かなり重症だと思う。
学習障害とかあるのかもしれないが、今のところ、自己申告はない(他に持病があるのは入社してから告白してきた)。
ただ、学習障害があるとわかっても、それを理由に解雇することはないから、昔の上司曰く「障害があろうがなかろうが、現状は変わらない」ってことなんだけどさ。
自分もそうだし、今までの部下もそうだった。周囲もそう言う人が大半だったけど、はじめてやる仕事って、一旦は教えられたままやることが普通だと思ってた。
それは決して難しいこととは思っていなかったんだけど、もしかして、結構難易度高いのかな?
この部下が入社してから、驚くようなことばかりで、正直、どこまでレベルを下げればいいのか頭抱えている。
査定した時も、事実に基づく採点をしたんだけど、今まで見たことがない低点数になって、さすがの部長も「どうしたんだ?」って尋ねてくる有様だった。部長が驚く前に、私だって驚いたよ。ゲタ履かせて採点したのに…。
査定のサマリー作る時も、部署内で煙たがられている問題社員(私はこいつが嫌い)でさえ、いいところはあるので、「こういうところがいいところです」って2つくらいは書くことできるんだけど、この部下だけは「勤怠が良いです」しか書けなかった…。勤怠良いのは当たり前なんだけども…。
部下指導って、結局は自分の能力の棚卸しになって、こちらも学ぶことが多いと思うんだけど、丁寧に何度も同じことを教えても、響いている雰囲気もなく、翌日には忘れたように別の手法を使って失敗するのがお約束になって1年…どうすりゃいいのさ。
今日も残業ひゃっはーした(管理職なので、当然残業代は出ない)後、電車で死にそうな顔して、はてなアプリ開いたら、自分が書きなぐった日記が出てくる驚き。
なんかみんな優しい。もっと厳しいこと言うと思ってたんだけど。管理職の資格ないとか(ないよ、本当に)。
言及コメントには、がんばって返事書いたんだが、その記事にぶら下がっているところまではできなかった。
せっかく書いてもらったのにすんません。40過ぎは初老らしいので、老人をいたわると思ってゆるしておくれ。
いくつか「レシピ通りに作らず独創性豊かなアレンジしてマズい料理を量産してしまう」系の内容があって、ちょっと笑ってしまった。
たしかに、「言われた通りにしない」ってチャレンジレシピ作っちゃうのと同じだよなw
疑問のようなコメントあったので、一部だけ返答するよ。順番バラバラだけど、老眼なので…。
Q. 本人に「教えてもらったことをそのままやってみないのはなんで?」って聞いたらなんて帰ってくるのかな。
A. これは幾度も尋ねたけど、本人返答できなかった。多分、何も考えずに「なんとなく」やるので、理由はないんだと思う。
色々聞いていく中でわかってきたのは、指示内容が頭の中でどんどんずれていってるということ。
過集中っていうの?そういうふうになってしまうらしくて、ずれてしまうのに気づかないのだそうだ。
Q. 文中に「教えても、それとまったく同じ内容じゃないとできない。」ってあるのに"教えてもらったことをそのままやってみることができない"って書いてあるぞ。
本人曰く「技術系Blog確認して練習してます」ということだったので、今やってる業務に似たものたあった?と尋ねてみた。
あったと言うので、それを参考にできないの?とさらに尋ねてみると「全く同じ内容じゃないとできない。応用が無理」という返答があったんだ。
その返答がありつつも、こちらがわざわざ元素材を探して「データーのこの部品を使ってね」と指示しても、なぜかデーターを使わない…理由を尋ねると「なんとなく」「一般的にはこっちの内容の方が普通だから(普通ではく、状況によって内容は変わる)」。
当人なりの判断があるような気もするんだけど、理由を尋ねても口ごもって答えられないか、「なんとなく」っていう返答なんだよね。
Q. 詳細すぎる手順書があると、驚くほど自分の判断力や記憶力が無くなるのを実感することがある。不案内なやつを自分で解決した方が覚えが良い。
A. できる人はそれでいい。できない人は手順書ないと事故る。
自分たちで事故処理できればいいが、クライアントその他に迷惑かけるような、とんでもない作業をホイホイ平気でやるやつがいるので、何も考えさせず「ルーチンワーク」として落とし込むには、それしか方法ないと思ってる。
でも、そういうやつは、そもそも信用できないので、うちうちの仕事しかさせないけど。
Q. 言われたとおりにやると言われたことしかできないだの指示待ちだの言われてきた世代なのでは
A. 自分、「言われた通りにやる」ってそんなに悪いことじゃないと思ってる。
誰しも新人の時はそうだと思うんだ。幾度も同じことを繰り返しながら、自分なりの最良の方法を見つけるのが仕事だと思ってる。
もちろん、そのまま10年も20年も過ごされたら困るけど、まずは真似ることだよね。
真似て、やり方が定着したら、自分のアイディアを取り入れてやってみる。それの繰り返し。
だから、「言われた通りにやれない」っていうのは、ちょっと問題だと思うんだよ。
「まずは、教えられた通りにやってみよう。それができるようになったら、自分のアイディアを入れてみよう。仕事はそうやって覚えていくんだよ」
って何度も言っているんだ。
その度に「やってみます」って言うけど、結果は以下省略…。
Q. この増田の言ってることがよくわからんのだけど、その人が想像を絶するレベルだからなのか、増田の表現力が低いからなのかわからない…。
Q. とりあえずその人をどうにかするよりリーダーや周りが潰れないメンタルケアを一番してやってほしい。直接関わっていなくてもそういう人が同じ空間にいるだけでメンタルやられる
A. そうだね。
そう思ってるから、半年くらい前から少しずつ介入して、ここ最近はめちゃくちゃ介入している。
特にスケジュール管理、タスクの整理の仕方・考え方を教えてる。
どっちかというと、新卒入社した新人が、一番最初に教えてもらうビジネススキル寄りな内容だと思う。
リーダーには自分の仕事に集中できる時間をもたせたいんだ。仕事もできるし、意欲も高いので、もっと考える時間を渡してあげたいと思ってる。
Q. そうなんだけど、上司が代わったらできるようになることもある。相性なんだが、今のままだとお互いに不幸だよな。そして会社ではよくあることでもあるのがまた困ったところで。
A. 相性あるね。
「自分たちとは職種が違うので指導できない。」って言う感じなんだよ。
あと、多分。
Q. ちょっと上に相談した方が……難易度どうこうのレベルじゃないよ。
A. 上は把握済み。
最初の数ヶ月はね、訓練が足りないだけだから大丈夫だろう…って思っていた。私も部長も。
しかし、最近、部長も思い直したらしくて、「やれる作業を振れ」という考えに変わってきている模様。
そりゃそうだよね。
Q. ”「勤怠が良いです」しか書けなかった…。勤怠良いのは当たり前なんだけども…」” / そ、そうだね(遅刻常習犯)
「失敗もあるけど、責任感も強いです。」とか。
部署外に追放する準備してる、大嫌いな気分屋スタッフ(周囲に悪影響を及ぼして数年)に対してでさえ「こういうところがいいところです」って複数項目書いて、査定評価表提出してる。
他の人が複数あるのに、この人だけ良いところがなくて、課題満載な内容だけ書くのも不公平だなあと思って、めちゃくちゃ時間かけて考えたんだよ。
その結果が「勤怠が良いです」の一言。
自分は勤怠はさほど気にしていなくて、仕事できればお目こぼししてもいいと考えている。
ただ、マイナス面を突こうとする相手がいる場合、勤怠って叩かれるネタになっちゃうんだよね。
A. 結果があまり良くない時は、本人に聞き取りしてやり方を修正している。
1. 口頭で説明した時は、最後に本人に復唱させて、認識があっているか双方で確認する。
2. それがダメなら、チケット(指示書)を作って業務指示、修正などもすべてチケット(指示書)で行い、基本口頭指導はしない。
3. それでもまだダメなら、1日ぶっ潰して、本人隣に座らせて、ルーチンワークの一切合切を実演してみせる。
今は「2」の方法を実行中。
最初のうちは大変だけど、そのうちやり取りの内容が溜まってくるから、指導が楽になる。
過去に「3」までやった事がある。
結果は良好で、すぐできるようになったよ。ただ、ルーチンワークじゃなかったけど。
Q. 業種が書いてないけどプログラマーかな?その人に適正が無い場合はいくら説明しても無理だったりするよ
A. ニアピン。
本職のプログラマーのようにはできませんが、所属している会社がそうなので、私もリーダーも、ちょっとしたものであればプログラム書きます。
おっしゃる通り。
本人が望んでいても、適性がない人には説明しても無理です。
学習障害がある人には、プログラマーなどクリエイティブ系の仕事がオススメ!…ってよく書いてるけど、そんなことないと思う。
Q. 良い指摘。日本ってコーチング不足ではなくティーチングのレベルから出てないというわけよ。ティーチングが必要なレベルにはコーチングなんてできない。
A. ほめられたーワーイヽ(゚∀゚ヽ 三 ノ゚∀゚)ノワーイ
問題解決しろと言われるけど、褒められることは本当に少なくなってきたので、褒められると舞い上がってしまう…いかんいかん。
コーチングってよく聞く言葉だけど、じゃあ、本当に効果があるの?って思うことあるよ。
結局、仕事できるなーって言うくらいのレベルになる人って、コーチングの成果もあったんだと思うけど、なによりも自助努力の割合が大きいと思うんだ。
なんか、思いもしなかったコメントがいっぱいあって元気出たよ。ありがとう。
特に「マズい料理を量産してしまう」系の表現がツボにはまってしまった。
世の中問題は多いけど、できるなら面白い表現して乗り越えたいよね。
リーダーの負担を減らす方向には持って行っているので、せめてルーチンワークができるようにしたいと思ってるよ。
今は、それさえも危ういので。
放棄する前に、やるべきことやってから手を上げないと気持ち悪いよね。
解雇の方向に持っていくにしても、合法的のそれを行うなら、指導の実績を重ねなければならない。
ファストアンドスロー、実際すこし読んでみたんだけど、件の記事で引用されている部分はかなり最初の方(まえがきの一部)から出てくる。
ただ、この手の心理学の実験ってレギュレーションとしていままで顔を見たことないような赤の他人を被験者として行うのが一般的だから(from 予想通りに不合理、他)、実験の手続きや前提条件の詳細を確認する前にそこだけ読んで「部下の質問の答えが単純なのはそういうことなんだな」とするのは結論を急ぎすぎている気がする。
心理学に近しい分野の成果としてこの文言を渡されたときに確実に適用できる範囲は「知らない人から聞かれた文脈がわからない難しい質問においては」くらいでは。
また、一般的にこの手の実験で使われる事柄は非常に一般的な事柄や関連性のない事柄なんですね(ファストアンドスローの最初の方の事例だとバスケしながらゴリラとか)。
けど、ふつうのお仕事でそうした事態はめずらしいんじゃないでしょうか。
ので、こういった研究の話をそのままストレートに仕事に適用できるみたいな発言をあまり元気よくなされると、
「御社は宗教のチラシの見出しレベルの具体性でコミュニケーションもとらず仕事教えてるんですか」とか
「御社は仕事に関する情報をバスケしながらゴリラ見せるくらい集中できなさそうなときに脈絡なく伝えてるんですか」とか雑に言い返したくなりますよ。。
仕事の結びつきがわかってくるだろうオンボーディング終了までは、人間の脳みそにある一般的なバグのせいで相手の本来の能力は判断できない、くらいのお話だと思います。。
バスケしながらゴリラの話についてはSlack使ってても伝わらないなら朝会などみんなが人の話を聞かなきゃなーと思ってるタイミングを利用して手短に伝えるのと併用したら解決しやすいと思ったけど、たぶんふつうの仕事の仕方なのでやっぱりあんま大声で興奮する前に落ち着いたほうがいいと思いますね。
最後に、2桁どうしの暗算はすぐにできない、と真理のように例として出てますが、そろばんとかフラッシュ暗算習ってる人は顔の表情よりは遅れるものの3秒以内、まあいわゆるすぐの範囲でできます(増田は暗算6段)。訓練してない人が無理という話で。
頭が悪いと感じる人達で共通しているのは、成果や能力の差を生まれ持った脳の能力に差があると主張している。
しかし、実際は誤差レベルの差はあれど、仕事や学業に影響するほどの差はない。なぜなら同じ人間だから。
例えば暗算の早い遅いの議論があるが、確かに人によって数秒の差はあるだろう。
しかし、仕事や学業で数秒の差があったところで成果に影響あるのか?
10秒かかってもいいから正しい答えを出せば全員同じ評価なのではないのか?
普段考えている内容に差がある。
例えば仕事をどう効率的にやるかを考えているAさんと、タピオカと恋愛の事を考えているBさんで、1ヶ月後の仕事でどちらが成果を残せるかと言われたら、圧倒的にAさんだろう。
Aさんは頭が良いと言われ、Bさんは頭が悪いと言われる。脳の能力は同じなのに。
上記を前提に考えると、世の中の弱者を守る常識が如何に無駄かがわかってくる
・成果を出した人を天才とか運が良かったとか言う人達は、自分の腐った人格が才能も運もドブに捨てている事を自覚したほうがいい。
・日本という世界でも有数な平等な国に生まれておきながら不平等を訴える人達は、自分の腐った人格が不平等を作っている事を自覚したほうがいい。
・金持ちを悪と断じる人達は、自分の腐った人格が金を遠ざけている事を自覚したほうがいい。
・目立つ人を叩く人は、自分の腐った人格が自分を目立たせていない事を自覚したほうがいい。
ケーキの切れない非行少年たちの話で盛り上がっているので昔のことを思い出した。
学生時代、個人経営の学習塾でバイトをしていたことがある。対象は近所の小中学生で、受験勉強に熱心な生徒もいれば友達と一緒に遊びに来ているような子もいた。その中に何人か忘れられない生徒がいる。少しぼかすところもあるけれど、大体は実体験だということを承知して頂きたい。
Nちゃんは小学校高学年で、生まれつきの難聴で補聴器を付けていた。補聴器をつけていれば通常の生活ができるということで学校は普通級に通っていたのだけれど、大人数の授業では不十分だから少人数制の塾でカバーをしてもらいたいという親からの要望だった。実際Nちゃんの入塾テストは低学年からやり直しレベルのひどいもので、「これは相当頑張らないとまずいな」と1体1で指導をしていく方針になった。
Nちゃんの指導は困難を極めた。例えば「2ダースの鉛筆を3人で分けたら1人何本になるのか」という問題では「2+3=5」と立式する。「1ダースは12本だよ」と言うと式をすぐに消して「12+3」とする。「分けるから何算を使うのかな」というとまた消して「12-3」にする。仕方がないので24本棒を書いて3等分して見せて、やっと「12×2÷3」の式が出来上がるが、計算ではなく鉛筆に見立てた棒を指で数えて初めて8と答えを出せるのである。そもそもNちゃんは九九はギリギリできても、簡単な割り算が暗算でできない。割り算の筆算はギリギリできて、24÷3ですら筆算の式を立てていた。
最初は「耳が不自由だから理解ができないのかな」と視覚化を用いてみたりNちゃんに聞き取りやすいように話し方を工夫してみたりといろいろ試してみたが、根本的にNちゃんの理解力がないのが原因なので結果は出せず。親は100%耳のせいだと思っていたので「私が健康に産んであげられなかったから」と嘆くばかりで根本的なNちゃんの問題に目を向けられない。
時間が経つほど、Nちゃんのヤバさは浮き彫りになる。四則演算ができない、小数と分数の概念がない、大きな数を数えることが出来ない、面積の公式は覚えられても図形を前にするとどこをどうすればよいかわからず、当てずっぽうで式を立てる。面積を求める問題で三角形の内角が表示されている問題で、内角どうしを合わせていた。それでもNちゃんは答えが正しくないことがわかると式を消して、また適当に式を立てる。式を消さないよう指導すると、その日は家に帰って大泣きしたようで、親から激しいクレームが来た。
結局そのクレームがきっかけでNちゃんは塾をやめていくんだけど、Nちゃんはわからない問題があると頭をあげてニコッと微笑みかけてくる。最初はかわいい仕草だと思っていたけれど、それから様々な子と接するうちにあれはわからないことを誤魔化しているサインだとわかった。笑えば全部解決できるという学習をしてしまっていたのかもしれない。
もう一人、印象に残っている生徒がRくん。彼は地域のスポーツ少年団に所属しているのだが、教育熱心な家の都合で入塾させられた。本人は基本無気力で宿題も忘れがちだし、雑談で気持ちを乗せようとしても積極的に話す子ではなかったので淡々と授業を進めていくしかなかった。
彼もNちゃん同様の困難はあったが、彼はNちゃん以上に文章の読解ができなかった。「つばめは春に日本にやってきて子育てをして、秋に南の国へ帰ります」という文があって「つばめはいつどこへ帰りますか」という問いに「つばめ 春」と答える。「わるいことばかりしているとおばけがやってきて虫の姿にされてしまうぞ」という文で「どうすると何にされてしまうのですか」という問いに「おばけ 悪いこと」と答える。特に後者のような現実に起こらない出来事を想像することが著しく困難で、課題で出されたイソップ童話を読んで主題を答える問題に「動物が日本語を喋ってるのが面白い」と答えていた。確かに「物語で一番気になる、大事なところを書く」と指導したけど…。
彼はスポーツに専念するということで一年くらい通っていたが、とうとう最低限の読解力を身につけさせることはできなかった。親は「仕事で忙しくて構ってあげる余裕がないから塾で面倒みて欲しい」の1点張りで、彼の問題点を気にかけることすらなかった。
その他にも「お月見の存在を知らなかった小学生」とか「レタスやきゅうりやトマトを盛り合わせた料理をサラダと答えられなかった小学生」に「50音が書けなかった中学生」などのエピソードがあるけどキリがないので割愛。
それからしばらく立って某学習塾に就職したけど、研修でいかにもな熱血講師に「子供はね、全身で話を聞いてあげれば必ず答えてくれるものなんです、本気で子供に接すれば、子供は絶対理解するから」と熱弁を振るわれてからこちらも本気でやる気を無くしたのと生徒が人として相応しくない行動をとったときに注意をしたところ保護者数名に逆ギレされたことがきっかけで1年経たないで辞めてしまった。今は学習塾とは関係ないところで子供と接する仕事をしているが、グレーな感じの子を見るとどこか支援で繋げればマシになるのにと思うことは多い。
「ケーキの切れない非行少年たち」も読んだ。彼らに必要なのは確かに適切な支援だった。しかし一介の塾講師(しかも学生バイト)に何ができたのかといえば、何もできないに等しかった。彼らの困難を知っていて、でも出来ることは何もないとその場を作ろうだけで最終的には見殺しにした。もっと保護者とケンカしてでも彼らを支援に繋げることができたのでは、とも考えるけどそんな人生をかけたようなことをする余裕は間違いなくなかった。保護者だってそんな面倒くさい問題から目を逸らしたいという気持ちになるのも理解出来る。
しかし、彼らを矯正することも果たして善なのがと言えば自信が無い。「ケーキの~」は舞台が少年院などだから更生することが前提にあるけれど、Nちゃんが自分の頭で考えられるようになって、自分の問題に直面するよりあの誤魔化し笑顔を続けていた方が幸せかもしれないと残酷なことを考える。その辺は当事者の問題なんだけど、当事者やその周囲の人間が問題を認知できないことが問題であるというのが「ケーキの~」の重要な部分だと思う。
支援したいけどまず問題を当事者たちに認知させるのがクソ面倒くさいから見て見ぬふりが横行する。この構造を何とかしないといくらテレビで「発達障害が~」とか言っても何も変わらない。このままだと特に何も変わらないよ、変わらない。