はてなキーワード: 暗算とは
※ネタバレ注意
トゥルーマン・ショーという映画をご存知だろうか。
私の親は映画が好きで、しかも私は人前で騒いだりしない行儀の良い子供だったので、かなり幼い頃から映画館に連れて行ってもらったものだった。
トゥルーマン・ショーも、その幼い時分に観た映画の一つだった。
この作品に出会わなければ、私はもっと違った人間になっていただろうと思わずにはいられない。
簡単にあらすじを述べると、トゥルーマンという普通な感じの男が、ある日自分の周りが全て作り物で、家族も友人も、というか暮らしている街の人間全員が演者で、生活の一部始終が番組になって世界中に放映されていることに気がつくというものだ。
幼い私はひどく衝撃を受けた。それで、自分もトゥルーマンなのではないか?と猜疑心を抱くようになった。それから20年以上経つが、未だにそう思っている。
常識的に考えれば、そのような疑いを感じさせる作品を観せるはずがないと思う。しかし、マッドなサイエンティスト的な人が、こういうことをしたらどうなるかな?と私をモルモット代わりにして反応を見ていると思うと整合性が取れている気がしてしまうのだ。中学校と高校でいじめにあってとても辛くて、こんなの放映できるわけないからやっぱりトゥルーマンじゃないかもと思いかけたが、マッドなサイエンティストを持ち出すと全てが丸く収まるのだった。
受験失敗しまくって二浪した。頭は良くない。いわゆる地頭からもう悪すぎる。2回目に大学に落ちたときには、絶望感の中で、トゥルーマンショーならここで受からないと番組的に繰り返しになってつまらないからやっぱり違うのではと思った。しかし大学に連続で落ちて追い詰められてる奴の生活を面白いという人の要望が多いのかもと考えるとありえない話ではなかった。
私は毎日同じ食べ物を食べて同じ道を通って同じ行動をすると落ち着くタイプなのだが、ときどきわざと変な電車に乗ったり、思いがけない行動をとったりしてみることがよくある。それで、周りの人の反応をこっそり伺ったりしている。見た目にはわからない。
同じ街に暮らしていても私と殆ど接点のない演者もいるわけで、イレギュラー的に私に遭遇して「テレビで見るよりブスだった」とか言ってそうだなとか思う。
そういう突発的な行動と思考の結果、今までにいくつかの県・道・都を巡った。大学では博士号をとった。人に頼まれたことはできるかぎり何でもやったし、面白そうだとちょっとでも思ったら少し無理してても追いかけた。私自身は自分で言うのも何だがとても大人しく内向的で、話す時にはまず「あっ」と言わないとしゃべることができないし、どもらない日はない。だから、今までの経歴を聞かれて驚かれることも多い(演技かもしれないけど)。
トゥルーマン・ショーが私の人生を変えたことは確かだ。いつも、お前らの思い通りにはならないぞ、と思いながら生きてきた。でも人の目を気にし続けた人生といえなくもない。
というか、めちゃくちゃ頭が悪くて不注意で、並みの悪さではなく、左右盲だし東西南北分からないし都道府県も覚えられないし方向音痴だしバスや電車を乗り間違えまくるし、時計もアナログだと読み取るのに時間かかるし暗算できないし、人の話聞いてないみたいだし、横断歩道ないのに何故か横断歩道でしかも青だと思い込んで渡ってデカめの車に轢かれるなど、なにかの障害では?という白痴具合なのに大学行けるとか変なので、やはり番組か?と思わざるを得ない。
ちなみに、私がトゥルーマンでもそうでなくても、このことを話すとやばい奴と思われそうなので、子供の頃に両親に聞いて以来人には話していない。両親には一応否定されている。
今私は地方都市で暮らしている。生まれた場所からずっと離れていて、海が近くて良いところだ。食べ物もおいしい。
時々顔を合わせる人が居て、私はその人が好きだ。気のせいかもしれないが、その人も私に多少の好意を持っているように思える。
でも、その人はよくよく考えれば絶対私が好きになっちゃうでしょ〜という感じの人で、すごい普通っぽい感じの人で髪がモサモサしてて別にかっこよくはないのだが、
声とか喋り方とか口癖とか、優しさとか、我が強くないところとか、左利きのところとか、腕にあまり毛がないところとか、うまいこと私のツボを押さえている人物なのだ。
それで私は、その土地でずっと暮らしていたその人のところに組織みたいな奴らがいきなりやってきて、今の役を頼んだか脅したか金を積んだかでとにかく了承させて、現在に至るという感じなのかなと想像してしまって、そうすると申し訳なさすぎて気持ちが沈んでしまうのだった。
私と同じように、トゥルーマン・ショー的な妄想に囚われているトゥルーマン・ショー症候群の患者は他にいるのだろうか。
スーパーや飲食店の会計時に、所持する硬貨の枚数が最低限となるように私は支払いをしている。それは、所持する硬貨の枚数が15枚を超えないことも意味する。
1円玉 | 4枚 |
5円玉 | 1枚 |
10円玉 | 4枚 |
50円玉 | 1枚 |
100円玉 | 4枚 |
500円玉 | 1枚 |
合計 | 15枚 |
※例えば、請求額が1円かつ硬貨を1枚も所持していない場合に千円札などの紙幣で支払うと、所持硬貨は上記の通り最大の15枚となる。
私の支払い方法をアルゴリズムで表現してみた。アルゴリズムという言葉を見ると、プログラミングや高度な数学の知識が必要と思うかもしれないがそんなことはない。アルゴリズムというのは目的を達成するための計算手順を示したものであり、料理で例えるならレシピに相当する物である。レシピに従い料理を作ることができるなら、アルゴリズムに従い計算をすることもできるだろう。
以下の支払いアルゴリズムに必要な数学能力は、1桁同士の足し算・足し算による繰上がり処理・数値比較が主である。2桁以上の足し算引き算を暗算する能力は不要である。プログラミング言語で使用されるような演算記号は極力使わないようにしたので、アルゴリズムを知らない人にこそ読んでほしい。
【支払い桁】 ← 1 /*硬貨支払いは1桁目から3桁目に対応するので、1~3の値をとる*/
【支払い総額】 ← 0 /*硬貨を支払うたびに加算する。実際には、置いた硬貨を数えるだけ*/
【請求額で見る数】 ← 0 /*下の桁から1桁ずつ見る。繰上がりもあるので、0~10の値をとる*/
【繰上がりフラグ】 ← 0 /*0:偽 1:真 とする*/
【請求額で見る数】 ← 【請求額】の【支払い桁】桁目の値+【繰上がりフラグ】
【繰上がりフラグ】 ← 0
(8)へ進む
【繰上がりフラグ】 ← 1
(8)へ進む
【請求額で見る数】×10^(【支払い桁】-1) に必要な 10^(【支払い桁】-1) 円玉を支払えるなら支払う。
【支払い総額】に支払った金額を加える
/*10^0=1 10^1=10 10^2=100 である*/
【請求額で見る数】×10^(【支払い桁】-1) に必要な 5×10^(【支払い桁】-1)円玉を支払えるなら支払う。
【支払い総額】に支払った金額を加える
/*5×10^0=5 5×10^1=50 5×10^2=500 である*/
【請求額で見る数】 > 【支払い総額】の【支払い桁】桁目の値 の場合
【繰上がりフラグ】 ← 1
【請求額】 > 【支払い総額】 かつ 【支払い桁】 < 3 の場合
【支払い桁】に1を加える
(2)へ戻る
硬貨支払いの終了
条件1 1円玉・10円玉・100円玉をそれぞれ4枚ずつ所持している
(1)請求額に876を設定。
(3)(4)該当せず。
(5)6に必要な1円玉を1枚支払い、支払い総額は1円となる。
(6)6に必要な5円玉を支払いたいが、所持してないので支払わない。
(7)1桁目に6円支払うべきところを1円しか支払っていないので、支払いは1桁上に繰上げ。
(8)支払い総額が請求額を満たしていないので、次は2桁目をみる → (2) へもどる。
(2)請求額で見る数は2桁目の7に繰上がりの1を加えて8である。
(3)(4)該当せず。
(5)80に必要な10円玉を3枚支払い、支払い総額は31円となる。
(6)80に必要な50円玉を支払いたいが、所持してないので支払わない。
(7)2桁目に80円支払うべきところを30円しか支払っていないので、支払いは1桁上に繰上げ。
(8)支払い総額が請求額を満たしていないので、次は3桁目をみる → (2) へもどる。
(2)請求額で見る数は3桁目の8に繰上がりの1を加えて9である。
(3)(4)該当せず。
(5)900に必要な100円玉を4枚支払い、支払い総額は431円となる。
(6)900に必要な500円玉を支払いたいが、所持してないので支払わない。
(7)3桁目に900円支払うべきところを400円しか支払っていないので、支払いは1桁上に繰上げ。
(8)支払い総額が請求額を満たしていないが、3桁目の支払いを終了したので該当せず。
(9)硬貨の支払いを終了する。
以上、硬貨の支払いは431円となる。ちなみに、876円の請求に1431円を支払うとお釣りは555円である。「876-1431=-555」の計算をせずとも支払いを最適化することができた。
人間は機械と違って、日常的動作は早く正確だが計算は遅くて間違いを起こすという特徴を持つ。どんなに計算が得意な人でもコンピュータより早く正確に計算をすることは不可能である(例外はジョン・フォン・ノイマンくらいであろう)。よって、人間の支払いにおいては、硬貨を支払う動作よりも計算自体がボトルネックやエラーの原因となると考えた。この問題の解決のために、1桁単位毎に硬貨を支払うようにした。
上記の支払いアルゴリズムに従えば、レジ店員のミスや釣銭不足の場合を除いて、硬貨の所持数を最低限にすることができる。しかし、緊急時に備えて硬貨を余分に所持しておきたいと考える人もいるだろう。その場合でも、支払いアルゴリズムを採用しないのはもったいない。なぜなら、アルゴリズムをほんの少し修正するだけでよいからだ。例えば100円玉を常に3枚以上持ち歩きたいなら、アルゴリズムの(5)に「支払いにより100円玉が2枚以下になるなら支払わない」という条件を追加すればよい。所持する100円玉は3~7枚の間を維持できる。他にも、各々の好みに合わせてアルゴリズムを修正して活用してほしい。
と、海外経験の長いうちのじーさんが言ってるんだけど、実際どうなんだろう?
そういえば昭和の頃は「外人には九九も暗算の引き算も苦手なバカが案外多いので、買い物をするとお釣りが出てくるのが遅いし、お釣りが間違ってることも多いので、ちゃんと確認しなければいけない」なんてことが、結構言われてた気がする。
引き算ができないので、お釣りの出し方が独特で、まず桁の小さい金額からお釣りを出していって、商品の金額とお釣りの金額を足した額が、もらった金額とちょうどになるように、足し算をしていくからお釣りをだすのに時間がかかったそうである。
じいさんによれば。
ま、いまではよほどの小さな店でもなければ人間が頭で計算することもないから、そんなこともないのだろうが、日本でもそうだが、昔は普通の買い物でもレジの機械がない店なんてのもあって、そうなると暗算というのも商売人には大切な技能ではあった。
うちの近所の八百屋もザルに金いれて、その場で計算してたりしたし。
あと、「760円のものを買うのに、ぴったりの額が財布にないので1010円を出してお釣りを250円にする(100円玉2枚と50円玉1枚の方が、240円より財布の小銭が減る)」ということが、外人には理解できないそうである。
というわけで、「なんどもピッピッと会計を済ませて、その場でお釣りの計算もしなくなると、ますます人間はバカになる。日本人は昔から、読み書きそろばんはちゃんとできるのだから、あんなものに頼る必要はない」と、じいさんはいうのだが。
さっきケーキ屋さんでケーキを買ったんだけど、756円の会計に10301円出したのね。
そしたら、レジのおばあちゃんがお釣りを暗算して、9000円と45円返してきたんです。
(レジの機械はあったのに、なぜかおばあちゃんはお釣りを暗算した。思えばこれが諸悪の根源だった。)
そんで、お釣り違いますよねって言ったら、すごい勢いでおばあちゃんの機嫌が悪くなったわけ。
9000円と45円で正しいって主張するから、俺のスマホの電卓で代金と払った金額からお釣り計算して見せたんです。
それでもなぜか納得してくれなくて、じゃあご自分の電卓でもう一度計算していただけますかと伝えたら、
(結局電卓で計算はしないまま)納得してなさそうな態度で、500円玉を出してきたんです。
なんとか笑顔を取り繕ってお礼を言って店を出たんだけれど、
もうあのケーキ屋さん行けないし、もうケーキとかどうでもいいくらい落ち込んでいる。
これ俺悪くなくない?
彼女が10000÷10=1000と暗算で即答できない人だった。
そんなやつがこの世に存在するということを10数年ぶりに再認識させられた。
高校から進学校だったため自分のコミュニティにはそんな人間がいなかったから忘れていた。(仮に進学校じゃなくてもなかなかそんなやつはいない)
思い起こせば、確かに、小中学の時はクラスに1人は壊滅的に算数ができないやつがいた。
普段話してるとそんなに頭悪くなさそうなのに、いざ数字になるとこちらの当たり前が通用しなかった。
さて彼女の話だが、100÷10も、10000÷100も10000÷10も全て筆算しないとできなかった。
逆に筆算をするとできる。
割る数の0の数だけ割られる数から減らすだけだと、何度も伝えるが理解できない風だった。
(もちろん算数に苦手意識を持ってる人が割る数、割られる数という相対的な表現を苦手とすることは知っているので、目の前にある飲み物とかお金を使った具体例できちんと説明した)
まぁ0を増やすだ減らすだは算数の本質ではないので、それがピンとこないのは、それはそれで1+1=2なのがピンとこない天才肌なのかと思ったけれど、話してるうちに物事の前後関係から結果を推論、いわば経験則的な知見を溜めることのできないアホなんだなとわかってきた。
つまり計算から共通する法則を見つけ出して楽しようという発想がなかった。
数字の理屈とか本質は考える気がなくて、教わった解き方が筆算だから、全てそれで解く。ということだ。
この辺を応用効かせて理解してドンドン進んでいける人とそうでない人が小学校での成績を大きく分けていたように今になって思う。
たぶんどこの学校もそういう感じだったろうから増田たちも理解いただけると思う。
計算が苦手なら計算しなくて済む0を減らすという方法があるだろうに理解が及ばない。
算数を、数字の本質を、数字を扱えると便利だし楽しいという根源的な体験を通してきちんと理解させずに、彼女のような人を生み出している初等教育の現場の人たちは本当に罪だと思う。
初等教育の現場の人がいたらこの辺についてどう思ってるのか単純な興味として聞いてみたい。(ブコメ待ってます)
そしておれが思ったのは、彼女を貶めたり辱めたりすることではなく、彼女のような人に算数は思考を停止させる毒ではなく、日常を豊かにする道具であることを理解させるにはどうしたらいいのだろうか? ということだ。
この辺の教育がきちんとされてたら「630円の会計で1130円を出す」論争とか消滅するだろと思ってる。
だから、なんとか理解して欲しくて、手元にあったお茶のペットボトルに目盛りを振ってお互いに分け合ったり、フライドポテトを複数人でシェアする場面の例えを出した。
そういう具体例を出すと感触良好でなんとなく理解してそうな雰囲気をだす。
しかしいざ60÷3=?と聞くと「3」とか答える。
これは実際にポテトを分け合うシーンを思い浮かべてもいないのだ。
もしそのシーンが頭にあったら自分の取り分がポテト3本になるはずがないのは想像できるはずだ!
どうやら数字を計算するってことになると途端に思考がシャットアウトされるらしい。
10000÷10=?ってきくとちょっと考えてから「え?なにを?どうするの?」って聞き返される。
タチが悪いのは、聞いてないし理解する気がないのが原因なのに「数字が苦手だからできない」と思ってるところだ。
やればできるとは思ってもいないし、自分には無理だと決めつけてる。だから質問もちゃんと聞かないし、計算をできる意味がないと思っている。
こういう人に算数を教えるにはどうしたらいいのだろうか?
これについてヒントとか回答を教えて欲しくて書いている。
いちおう塾講とかの経験あるし、ある程度人にモノを教えるということには自信があったが初等教育でミスるとここまでこじれて取り返しがつかないんだなぁということと、自分の未熟さも彼女には教えてもらいました。
前日になんでこんな話をしてしまったのか…。
理解させようと必死なおれと、理解できるわけがないと初めから考える気がない彼女の間にはとても重い空気がながれてしまった。
軽く教えたらすぐに理解してくれるだろうと思った慢心がいけなかった。
なのでもう彼女には数字に関わる話をしないということになりました。
先日30歳を超えた
一流国立大を出たが生来のメンタルの貧弱さで最初に入った会社からドロップアウト
最後に勉強したのは去年、簿記の2級を取って就活に臨み、短期間で合格したことは評価されたのだが帳簿を見ることすらない仕事に配属された
その知識も使わないのでどんどん抜けていく
文章をまともに推敲する気も起きず、Twitterもはてブも字数制限をこえたら削るのもめんどくさくなって書くのを辞める
クイズ番組を見てても、昔は読めたはずの漢字の読みが出てこない
ちょっと込み入った新聞記事・ブログ・論文など理解が出来ず流し読みしてブコメを覗きなんとなくスターをつけるだけ
知的好奇心も芸術への興味もなくなり、休日は昼まで寝てソファーでスマホを眺めているうちに終わる
起きたらホッテントリでビビるってこんな気持ちなのか…ビビりすぎて数時間見て見ぬ振りをしてました。
ブクマがついたことなんかなかったので、誰も気にしないものと思って書き殴ってしまい、あと夜中に布団からだったもので至らぬ文章なのにこんなに反応いただきありがとうございます。
一流国立大ってのは「こんな人生のつもりじゃなかったのにな…」っていう悔恨というか、頭がしゃっきりしてた頃を回顧してたというか、そんなような心境で出た言葉です。明るい中で読むと恥ずかしい。
ブコメ見て、同じような感覚を持っている人が沢山いるとわかり、別に特別なことではないんだと少し安心しました。昔の友人が皆バリバリやっているように見える中、一人取り残されてる気分でつらかったので。
コメントを読ませていただきつつ色々ググると、有酸素運動がいいぞとのことなのでとりあえず盆が明けたら会社帰りに一駅歩くようにしようと思います。
あと何か勉強したいなとはずっと思いつつ何も思い浮かばなかったのだけど、大学の頃やってたことを改めて学ぶってのはいいなと思いました。流石にある程度は残ってるだろうし、新しいことを始めるよりはエネルギー使わなさそうだし。おさらいから始めてみようかなあ。
心療内科は昔、上で書いたドロップアウトの頃にかかってて信頼できる先生を知ってるので危ういなと思ったら行くつもりです。どん底の鬱を経験してるので、まだ大丈夫かな…と思ってしまうのがいいのか悪いのか。
まだ動揺がおさまらずわけのわからない文章になってると思いますが、あと夜と文体が違いすぎて自分でも苦笑してますが、取り急ぎお礼まで。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180422091855
()で読み取れる内情を追記する。
・家計簿つけろ(そのくらいも出来ないの?)
・私ならどの口座にいくら入っているか把握しているけど(お前には出来ないんだなw)
・ 普段の買い物で残量を気にしないといけないくらいギリギリの人ってあんまりいないだろ(貧乏人が)
・マネーフォワードとか使えばできるじゃん(そんなことも知らない情弱なんかお前)
・「1日100mlずつ飲んでけば1か月もつだろう」という勘定は、人によっては難しいのかな。(こんな簡単な事なのに)
・そんなことしてるから貧乏なんだよ(これだから現金派は馬鹿なんだ)
「週に1万円で過ごそう!」っていう短気目標で計画立てたいんだよ。
カードだと目に見えないだろうが。(nanacoのチャージとかなら1万入れておけば済むけど、カードは無理だろ)
こういうこと言うと「だから現金派は馬鹿なんだよ」みたいな上から目線のマウントが来るから大嫌いだ。
俺が一番良いと思うのは、nanacoみたいなカードになること。
スマホのバッテリーみたいに端のほうにデジタル時計みたいなのつけて、残高分かるようにすりゃ良い。
春から小学生の子供に引き算を教えているんだけどね、どっちの方向で教えるか悩んでるんだよ。
うちの子自閉症でな。療育の結果、ほぼ普通っぽくなってるんだけど、お医者さんに小学一年生で学ぶ漢字と足し算引き算は入学前にできるようにしておけって言われてやってるわけ。
まあ、それは余談でここからが本題。
例えば、16-9ってどうやってる?
俺はね。6-9=-3だから、10-3=7って感じの暗算でずっと生きてきたんよ。
でもさ、どうやら、10-9+6って考える方が一般的みたいじゃん?
はてなーのみんなはどうやってる?
みんなの最終学歴とか、なんとなく数学力がわかる指標とともにアドバイスもらえると嬉しい。
どっちがいいと思う?