はてなキーワード: 成果物とは
彼の理解していないことを表面的な指示でこちらが察してやらないといけない というところだ
お客さん、他リーダーとの打ち合わせに参加しているのは彼だが
彼がその内容を理解できなかった場合、こちらには作業の概要だけ投げられることになる
それでも開発者達でなんとか形にはする
彼はその成果物のレビュアーでもあるが、指示指摘がやっぱりよく分かってないんだな、と思わせる
指摘の根拠もほとんど示さないし、一度自分が指摘した内容もひっくり返す
百歩譲って分かってないのはいい、仕方ない
お客さんや他社リーダーの前で迂闊な発言もできない、と根本的な理解を欠かしたままに打ち合わせから戻り、表面的な指示を出して投げっぱなしもしょうがないとしよう
でもだったら、自分含む自社メンバー達には「分からなかった」と伝えてくれ
分かった振りを社内でもされると非常にやりづらい
彼のプライドを損ねないよう、しかし開発での不明点を確認しなければならず、知ってる人に口頭で聞けば10分の打ち合わせで済むようなことを 文書作りからやらないといけない
丁寧な文章に資料をつけて、彼がその質問事項を理解するために社内ミーティングをして と
そのくせ、お客さんからもらった工数は少ないからと 作業時間にはプレッシャーをかけてくる
極論すれば、ライターと刷った名刺を配り歩けば、その時点からライター。
とは言え、それで食っていけるかは別問題。
ネットから始めるのは、よほどの得意分野が無いと厳しいかも。例えば、中国のeコマース事情でも、全国のご当地アイドルでも、電子回路の設計でも、特定のテーマに詳しくて最新動向をネットで発信していれば、原稿の依頼も来るかもしれない。しかし、身辺雑記みたいなエッセイ書いてても、仕事に結び付けるのは難しいやね。
あと、発注側としては、紙の成果物ある人の方が、編集会議を通しやすいってのはある。よく、名刺代わりって言葉があるけど、名前の入る紙媒体に書くと、それを実績として次の売り込みに使いやすいんですよ。
ライターへの成り方としては、いきなり独立ってのは今の時代になかなか難しいと思う。業界の流儀も知らん訳だからね。まして今は出版不況。サラリーマン編集者としては、面白そうだけど実績の無いライターで賭けに出るよりも、無難なライターで手堅く失点を防ぎたいところ。
最初は、紙でもネットでも編集プロダクションに入ってから独立する人も多い。個人的に最近見てて思うのは、地方の新聞社からスタートするのもアリかな、と。大手紙に入れれば良いけど、そこまでの能力が無い場合、第二県紙以下の地域紙だと、案外簡単に入れる。(ただし給料も安い)
なんだかんだ言って、新聞社は、公的資料の使い方やファクトチェックなんかを一から教えて育ててくれる。ライターとして独立後も、発注側としては「元○○新聞記者」って経歴がある人には、基礎トレーニングは出来ているものとして仕事を頼みやすい。
あと、オールドメディア出身だと、政治経済のいわゆる硬派ものを書けるのが強み。
流行のスイーツだの芸能ゴシップをネット情報でまとめたコタツ記事だの軟派ネタは、未経験の新人でもとっつきやすいし量産しやすいけど、参入しやすいってのは体力仕事だから、すぐに若手に追い上げられる。
これが、衆院選インサイドとか、米中貿易問題で○○業界への影響は、みたいな政経ネタ書けると、取材経験=人脈が財産になるし、年取っても食っていける。このジャンルを取材執筆するフォーマットが身につけられるのはオールドメディアとか、経済分野だとアナリストとかなんだよね。
自分の母親が洋裁好きで、お洋服とかカバンとか、学芸会の衣装とか作ってくれてた。お母さんの手作りすごいね!って褒めてもらえるのが嬉しくて誇らしかったのを覚えてる。
いずれは子供の服なんかを作れたらいいな…と思いつつまずは身近にあるもののリメイクを始めた。
大学のときに自分の服を作ろうと一念発起したこともあったんだけど、布を断ったところでやめてしまった。
無心で手を動かすのが楽しい。
まだ思い通りに手が動かず、ぎこちないけど、針と糸を使って縫い進めるのに、手の全体や指先をくまなく使う感覚が気持ちいい。
料理でもここまで細かな手の動きはしないし、普段はキーボードを叩くかスマホで親指をぽちぽち動かしてるだけなので、指ってこんなに動くんだなあと妙な感動を覚えたりした。
しばらく使っていなかった脳みその領域を使ってるような気がする。
そういえば工作も好きだったなあ。
ウェブデザイナーをやってるんだけど、結局成果物はデジタル上にしか存在せず手ざわりが無いので、こうして触れるものを作るのが新鮮で楽しい。やっぱ人間って現実世界に生きてるんだな。
んで、棒針で編み物をやろうと思って毛糸玉と編み棒100均で買ってきた。
編み方全く覚えてない…!
一時停止や巻き戻し、スロー再生を繰り返して編み方を学んでる。こういうのって動画学習と相性がいいよなーって思う。
でも他の角度からも見れたらいいのにって時々すごくもどかしい。360度動画?VRなんかで他の角度からも観れたら一定の需要無いかな。
https://matomedane.jp/page/28029
Twitterを見ていると、
「ただのファンアートじゃん」とか「何が問題かわからない、ただのいちゃもん」とか、
あげくのはてには「外圧勢の攻撃だろ」とか言ってる人が思いのほか多くて驚いている。
今回、サテー氏は絶対にやってはならないことをし、燃えるべくして燃えた。
なのにこの「この人のやったことは明らかにアカンことなんだ」ってのが、いまいちわかっていない人が多い。
わかってない人が多いせいで、信者VS外圧の問題にすり替わりつつさえある。
というかそもそも肝心のサテー氏が自分のしたことのなにが悪いのかをわかっていなかった。それは炎上後の対応のまずさにも見て取れる。
なので、なにがいけないのかを解説しようと思う。
・今までのサテー氏の漫画
これまでサテー氏は「1コマFGO」と題して、FGOのファンアートを定期的に描いてきた。
ゲーム内の印象的なシーン、または界隈で起きた印象的な出来事。それを抜き出して「ダイジェスト」にする、というもの。
サテー氏の個性の一つに、このダイジェストを少ない枚数の中に極端に高密度に詰め込むという独特な手法がある。
彼が今の人気を築いたのは高い画力もさることながら、この独特な手法があったからこそと言っても過言ではないだろう。
ただ一方で、最近の「1コマFGO」は、1シーンだけを抜き出してイラストにすることも増えてきていた。
というよりも、彼の「1コマFGO」は、以前と比べて、「ページ数が増え」かつ「ダイジェストのシーンが減って」きていた。
この変化が実は、まずもっての発端である。
・直近のサテー氏の漫画
炎上した件の漫画の一つ前に描かれたものは、ある種の分水嶺として捉えることができる。
これ。
https://twitter.com/syatey_12/status/1119573130098331648
(余談だが、この漫画のことを炎上した原因だと勘違いしている人が一定数いるけど違うよ!)
この作品は、見ればわかるが、イベント「極東魔神戦線1945」のストーリーの、クライマックス部分をほぼそのままダイジェストにしたものだ。
この漫画は大勢の人に絶賛され、受け入れられた。経験値氏本人もRTしている。
・「ダイジェスト」のさじ加減の話
……なのだ、つまるところ。
従来の、というより初期のサテー氏の「1コマFGO」は、たとえば1ヶ月とか3ヶ月の間にあった出来事、いうなれば「1000の中から印象的だった10を選び取りダイジェストにした」ものだった。
それは、時間とともに少しずつ変化していく。
有り体に言うと、投稿スパンが短くなり、絵の密度が下がり、選ぶシーンのネタバレ度が強くなった。
「1000の中から"印象的だった"10を選び取る」が「500の中から"めちゃくちゃ印象的だった"10を選び取る」となり、
やがてそれは、この「絶剱」と題された漫画のような「100の中から"重要な"10を抜き出す」ものになっていく。
サテー氏がこの手法に疲れてきたのか、承認欲求のためにイラストの投稿回数を増やしたかったのか、原因は定かではない。
ただこのさじ加減が間違ってきていることに、きっと彼自身は気付かなかったのだろう。
勘の良い方ならもうおわかりかもしれない。
「絶剱」の後に投稿された、炎上した”幕末昔噺「龍が如く」"は、
「100の中から80を抜き出す」どころか「100の中から重要でない20を削ぎ落とす」ほどの、「ダイジェスト」を超えた「リライト」になってしまっていたのだ。
プロの創作物は「成果物」と呼ばれる。仕事の結果であり、作品であり、同時に商品でもある。
いみじくもプロのクリエイターであるならば、同じ立場にある「プロ」の作った成果物について、敬意を払わなければならない。
この経緯とは何か。それは「製作者のコアの部分には立ち入らないこと」だ。
たとえばブーディカは蒼月タカオ氏のデザインしたキャラクターだが、たくさんの人によってファンアートが描かれている。
そこにはプロとして活動している人も多くいて、中には蒼月タカオ氏よりも上手い(上手い下手の定義はいろいろあるが本記事では置いておく。「経験値氏よりサテー氏の方が絵が上手い」程度の意味合いとして捉えて欲しい)人もたくさんいる。
だが、彼らプロ作家のファンアートに「ブーディカのカードの構図やポーズ、背景をなにからなにまで真似た『俺の描いたブーディカさんのカード』」なんてものがあるだろうか。
断言してもいいが、絶対にない。あったとしてもそれはセミプロ、もしくはアマチュアの手によるものである。
何故なら、それは「製作者のコアの部分に土足で立ち入ること」だからだ。
「製作者がその仕事によって得た社会的評価までもを己の創作に取り込んでしまう行為」……と言い換えたらわかりやすいだろうか。
それはひいては、製作者に成り代わろうとする行為であるとも言える。
好きだからこそとか。良かれと思ってとか。宣伝のためだったとか。
いかなる理由であれ、結果がどうであれ、線を超えたのなら戦争なのだ。
好意による領分の侵犯という意味で、フラゲした雑誌のキャプチャーでアニメ化情報を拡散するとか、違法アップロードされた動画を使って紹介するとか、そういうのと本質は変わらない。
サテー氏の件の龍馬とおりょうさんの漫画を、コミカライズ、と形容している人がいた。
奇しくも言い得て妙だと思う。
コミカライズだとかノベライズとかいうのは、作品を作った人間、原作者の成果物のコアの部分に踏み込む行為である。
だからこそ「公式」なのだ。公式に版元がプロに依頼し、原作者がそれを承諾し、コアの部分に入ってくることを許可した上で描かれるのだ。
作品の成果を、その作品によって得られる社会的評価を、原作者と分かち合う行為なのだ。
彼は無断でコミカライズをした。それも「漫画をコミカライズする」という、よりコアな部分に踏み込む方法で。
経験値氏が得るはずだった感動の声を、賞賛を、サテー氏は横から割って入ってきて、不当に食い漁った。
公式のメディアミックスをクリエイター同士のセックスとするなら、これは強姦に等しい。
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結局のところ今回の問題の原因は、
「サテー氏にプロ意識がなかった」
これに尽きる。
前段のことは、プロであるなら誰しも肌感覚でわかっているはずのことで、一方でプロのクリエイターとして活動していない人には今ひとつピンとこないことであろう。
サテー氏はピンとこなかった。「ファンアート」と「侵害」の境目がまったく理解できていなかった。
その後の謝罪を見るに、たぶん今でもよくわかっていないと思う。
>「幕末昔ばなし」はもっと詳細が描かれてて細かい事情がわかるのでですね…ぜひお手にとってもらえると
ショートケーキのイチゴとクリームを先に食べさせておいて「スポンジも美味しいので残り物を買ってね」とはまったく恐れ入る。
これをきっかけに経験値氏の原作を知った人たちが不憫でならない。彼らは本来なら経験値氏へ向けるはずの感動や興奮をサテー氏に向けた。
いみじくもプロならば、経験値氏が「原作」で描いていない寺田屋騒動あたりのことを「想像して」「創造する」とかにするべきだった。
どうか経験値氏の「ぐだぐだエース」を購入して、騒ぎの元になった「マンガ幕末昔ばなし」を読んで欲しい。
あの独特なデフォルメ絵に手書き文字を、真っ白のスカスカ漫画と思う人もいるだろうし、下手だと思う人もいるだろう。
生きている意味が「わからない」という理解不足の現状を終着点として結果とするなら
意味を理解できなかったという意を成す「生きている時間」を過ごしたということだよ
何をどうしたって生きているかぎり時間が経過して生きている意味が無尽蔵に
生産されていくんだよ
いまこの瞬間にも生きているものには生きている意味が積層していってるんだよ
無駄に過ごしたという意味や何か人生以外の成果・成果物生産物ができていったり
いまに意味を成す基礎や素材を集めたり作ったりしているなどの意味が発生しつづけてるんだ
そのうえで自分がなにかの目標をもって完遂することを意味として死ぬときに
これを成したという事を期待したいというなら
その最後に生産されたなにかしらの結果をだれにどこにどのように残したいか考えてみて
なにも形に残らないものを作り上げたいという人生を過ごして死ぬのであればべつにつくらなくてもよいのでは
自分がなにかの意味というのは対外的に確認できる自分の関与した時間の成果物なわけで
なにもかもわからないといいつづけわからないことを体現しわからないということの代名詞になるという
ことで後続にわからないという物理的象徴になるのもいいしなにかわかるように努めるのもいいとおもうし
わかっていることをすることもかならず同じ結果になるとはわからないので知っていくことになるし
わかりきった結果に至ったとしてもそれはそこに至ったということを知ることは想像していた時点とは
異なるもので予想と結果はそれぞれ別ものなのでそれを知るためにあるわけ
明日食べるご飯がなにか判っていたとして今日それを食べるわけでもないし明日たべた感覚を先に予想したところで
今満腹にもならないわけで知っていることわかっていることもその時点で知るとなるようにすごしてるんだ
○朝食:こんぶおにぎり
○調子
竜ホノナイ星の皇帝に俺はなる!
「俺は君よりこの技術のことを少しだけ詳しいし経験年数()も長いけど、君みたいに進捗を管理したり見積もりをしたりお客さんとの要件定義をさせてはもらえないの。なんでかわかる? そういう仕事がしたくないなら、相応の立場に行きなよ」
と言いたくなる気持ちを、ぐううううううっと堪えて。
「技術的な課題や相談は何でも乗るし、何時までに成果物が欲しいなら言ってくれれば残業でも休出でもするんで『何時までに何が必要か』をまとめてください」みたいなことを柔らかく伝えた。
いあいあする。
隣の芝生は青い。
竜ホノナイ星の皇帝に俺はなる!
○グラブル
最近Twitterを再開していろんな人のツイートを見るようになったんですが、
デザイナーとかコピーライターとか、他人の成果物の写真をどこかからダウンロードしてきて、
クレジット無しで自分のツイートに貼って、あたかも自分が作りました風にみせてるひと多くないですか。
フォロワーに出典を聞かれてここが情報ソースでした、みたいなの見るとダサすぎて見ていられず大変つらいです。
本人は私の目利き力見て!これおしゃれでしょ!私いんふるえんさーになってるwって感じなんだろうけど、
著作権大丈夫なの?とか自分の成果物をパクられても気にならないのかな?とかこういうので成り上がろうとするのセコいなーとか、思っちゃいます。
タイムラインを華やかにしたいんですよね、だけどそんな力を持っていないんですよね、わかります。
ちょうど家の前に子猫が一匹捨てられていて放っておいたら死にそうな感じだったので拾ってきた。
そもそも私は猫が好きではない。犬のように従順でもないし芸も覚えない。猫の良さがわからなかった。
回復したら保健所に連れて行こうと思ったのだが、猫好きの妻が猛烈に反対しついには我が家の飼い猫になったのである。
ミーコは妻にばかり懐いた。唯一私に興味を示すのはカメラを向けたときだけだった。
カメラを向けたとき、こいつはわざとらしく愛想を振りまくのである。
飼い主の私を無視するなんて生意気じゃないか、と思いカメラを向け続けた。最初はスマートフォンで撮影していたが、成果物の写真を眺めているうち、全くこの猫を正確に撮影できていないことが判明した。
ミーコは毛並みが異様にツヤツヤとしている上、触りたくなるような毛の一本一本が解像度の問題で写せていないのだ。
私は一眼レフカメラを買った。そしてレンズも買った。証明も買った。
豊富な機材を用いてついには完璧にミーコを写せるようになり最近は満足している。
が、金が異様にかかるのでやはり猫はクソである。
・文章を書くときは主観的になりきる(感情移入する)必要があるが、プログラムは客観的にメタな考え方でつくる必要がある
⇨コンピュータやシステムの立場になって考えている。UMLのユースケース図は証左。たぶん、増田がコンピュータに感情移入できないから、そのように思うのだろう。クルマを愛車と呼ぶのか、単なる移動手段の一機械としか思えないか。どちらが良い悪いは無いけど。
・プログラムは意味や内容がわかっていないことについて書けない
⇨かつてはやり直しコストが高かったのでウォーターフォールモデルが主流だったが、現在はWYSIWYGのごとく、コードを書いて、動かしてみて、検討しなおしてコードを書く、といった繰り返しで調整して作っていくこともそんなに変ではない。
作りたい成果物が決まっているのは、文章も何らかの意図を持って書くのだから一緒。
私の結論:プログラム言語は、英語にも増した世界共通の言語(よく変わるけど…何処かの進学塾のセンセが書いていたけど、数式のほうがさらに普遍性が高い)
その例えに乗っかるのであれば、
1以上の能力を有する人間が100人集まれば100になるというのは、それこそそうなるようにシステムされているからだ。
これが例えば2以上の能力を有する人間が50人いても同等となるかというと、そうなる場合とならない場合がある。
システムが2以上の数値を認めればそうなるし、1しか認めないならそうならない。その時は50として考えるか、100人に満たないから不正であるか、と考える。
当然システムが100以外の値を認めるのであれば100人集めて1になるということもあろう。
人が集まって何かをするとき、その成果物は概ね掛け算で考えるのが適当と思う。
もう寝るので返事は期待しないでくれ
全体的にスキル低すぎると恥ずかしいよね。
本人はそれに気づいていない。
悲劇なのは周囲で、年齢だけはいってるので、20代の若者と違ってずうずうしい。
仕事遂行に有益なアドバイスをしても、それをやってみようとしない。
アドバイス通りにやらなくても、きちんとした成果物が出てくれば問題ないけど、まったくの低レベル。
新卒入社した4年目の部下の方がスケジュールを厳守し、納品レベルの仕事を上げてくる。
年下とはいえ、実務経験は指導役の方がずっと上なのだから、勉強させてもらう姿勢でいないとダメだと思うんだよね。
年齢で差別するのは良くないんだろうけど、自分も含め、年を経てずうずうしくなるし、「前は」とか自分の知識内でしか判断しないって、かなりやっかい。
前の会社の制度や、身勝手な知識で判断しないで、今のルールを知って、仕事を覚えて欲しいんだよね。
ブラックっぽい言い方だけど、有給消化率80%以上あるし、残業代は全額支給される。
福利厚生もしっかりしているから、以前在籍したブラックな体育会系の会社と一緒にされるのも困るんだよ。
年齢と実務経験があまりにもかけ離れていると、やっぱりダメなんだなあって思った。
全部がそうとは言わないけど、心構えがきちんとしていないと、就職氷河期の初期の人たちが、年齢相応の給与で正社員になるのは難しいと感じるよ。
仕事をしていれば、いろいろな人に教えを請う必要がある。それは年を重ねても、役職がついても変わらない。
1年前、業務量がキャパシティを超えたようで、会社や電車で涙が出てくるようになってしまった。
休職期間はあっという間だったが、一人で旅行に行ったり、映画をたくさん観たり、ゆっくり休むことができた。
復職には少し不安があったが、同僚はみんなおかえり、と温かく迎えてくれた。
戻ってきてくれて嬉しい、と泣いてくれる後輩もいた。
上司からは、今まで業務量が多すぎたこと、私一人に業務を任せきりになっていたことを謝罪され、
これからは業務量を調整すること、増員することを約束してもらった。
それから1年経った。
同じ職種のメンバーもたくさん増え、業務量も適切になり、定時で帰れる日も増えた。
たまに他部署の無茶な要求に悩んだり嫌になるときもあるけど、仕事をやり終えたら過剰なほど感謝されるし達成感もある。
同僚と切磋琢磨して良い成果物ができたときは手を取り合って喜ぶし、その後ランチでいつもより美味しいものを食べたりするし、
少し疲れたらコーヒー仲間とのんびりコーヒーを買いに行って、それぞれの担当プロジェクトについて愚痴ったり褒め合ったりする。
通勤時間は苦痛だし、仕事自体が楽しいかと言われると怪しいけど、職場は楽しいと自信をもって言える。
ただ、それなのに、どうしても、体調が良くならない。
8時間×5日間、フルで会社に行けた週がほとんどない。週のどこかで、必ずと言っていいほど遅刻、早退、もしくは全休してしまう。
(一応出社・退勤時間は決まってはいるが、一度休職しているからか、ほとんど怒られない。むしろ無理しないで、と心配される。)
症状はそのときによって全然違う。動悸、頭痛、ひどい疲労感、眩暈、吐き気、腹痛。
薬は毎日欠かさず飲んでいる。
初期は抗うつ剤を飲んでいたが、効きすぎなのか副作用なのか、より不調になることのほうが多かったので、
医師の判断で、副作用が少ないという漢方薬をずっと処方されて飲み続けている。
最近また大きな不調の波が来ていて、しばらく会社を休んでいる。
私がやりたいと言って始まった大きな案件のリリースが控えていて、休んでる場合じゃないのに。
心が休まらないから見てはいけないと思いつつも、職場のチャットルームを覗いてしまい、
おそらく私がいないせいで溜まっている仕事を、後輩が残業して処理してくれているのが分かって、本当に申し訳なくて泣けてくる。
私はこんなにも職場が好きで、同僚に会いたくて、会社に行きたいのに。体が言うことを聞いてくれない。悔しくて仕方がない。
もうこれ以上会社や同僚に迷惑かけられない。2度目の休職はない。1年前のことがトラウマで、きっと心がこの職場を嫌がってるんだ。辞めるしかない。
いや、転職しても体調が良くなるって保障はどこにもない。何よりこんなにいい人たちに恵まれてる職場なんてもうこの先巡り合えない。絶対辞めたくない。
この二つが頭の中をずっとぐるぐるしていて、結論が出せないまま毎日が過ぎていく。
わかる。
私も自己を愛する故に、理想の自分になれない自分が大嫌いだったけど、
いまの夫と出会って毎日毎日成果物がなくてもくれるお褒めの嵐をくれるので
(起きてすぐむくんだ顔の私に「今日もかわいいね!」とか、焼きそば作っただけで「いつもおいしい料理ありがとう!」とか)
今までの人生を振り返ってみると、
自分の理想は、親が「この子を産んで良かった!」と思えるような子になること!親に褒められるよう勉強をしなきゃ!
とか
自分の理想は仕事ができる人!じゃあバイト先の店長が「この子を雇って良かった!」と思えるような子になれるよう人の倍は頑張らなきゃ!
みたいに
なぜか他人の評価が上がれば自分が有能なことの証明になるので、自分のことが好きになれる!と思っていた。
「私はこんなに頑張ってるのになんで?!」って思って相手のことを嫌いになったし、
そりゃ他人から褒められることで自分で気づいてなかった魅力に気づくこともある。
でも、自分しか気づいていない誰も褒めてくれないことを愛しても罪にはならんのだよなあ。
そういうことに気づけたのも、私が私であれば全肯定してくれる夫に出会えたからです。
この人に恥じない人生を歩んでいきたいです。へへっ。
※ただの愚痴です。気分を害する恐れしかないのでそういうのがダメな方はもっと楽しいブログを読んでくださると幸いです。前向きな言葉は何一つないです。
私は馬鹿で間抜けで可愛くなくてただ馬鹿みたいに作り笑顔しか浮かべられないクズで
優秀で美人で非の打ち所がない先輩とずっと比べられて惨めで
そんな先輩は産休に入るからもっともっと勉強しないとダメだってずっと不安なのに、
これから大変になるだろう人に、そんな劣等感丸出しの相談なんてできない
同期は任せられた仕事があって残ってるのに、私は空白の時間をしのぐ術を毎日探している
残業を愚痴る同期に、仕事がなくて辛いなんて、そんな贅沢は言えないし言わない
私が作った成果物なんて、目も通されずに「いいんじゃない」で終わってしまう
私の部署は自由にやらせてもらっていいよねって言われるけど、違うよ、私は空気だから
持て余しているんだろう、この部署には優秀な人しかいらないだろうから
会社に求められてない
嫌味だけは言われる
冗談を装った本気なんだろうなって思ったら、仕事中に涙目になってしまって、慌ててトイレに行った
飲み会に行けば、「あの先輩と付き合ってみない?」とか「支店長とか年の差だけどどう?」とか、一社員としてではなく、ただのヨメ要員として扱われてる
体のことも遠回しにからかわれてる 嘘だろもう平成も終わるっていうのに
それでもヘラヘラしちゃって言うのをやめてくれと断れないのは、自分に自信がないからだ
大学生のときやっていた居酒屋店員のときのセクハラも酷かったけど
客にトイレ前に呼び出されてハグしてとか言われたり、愛人に誘われたり、
私が恋人を作らないからって、知りもしない客となぜかデートに行かされそうになったり
苦しいよ
そんな簡単に人を好きになれるのなら、苦労なんてしてない
なのに、周りからは「遊んでるんでしょ」「弄んでいるんでしょ」って目で見られる
はっきり断っても「調子乗ってる」、やんわり断っても、「弄ばれた」と陰で噂されている
「あいつぐらいのブスならいけそうだ」って勝手に寄ってきて、勝手に離れていくのはどっちなんだろう
初めての彼氏だって、付き合っているときも他の素直でカワイイ女子に抱きつかれているときのほうが幸せそうな顔をしていた
それをずっと引きずっているのは、きっと世間的に見たらイタイ子なんだろう
でも、私の感じた痛みは私のものであって、軽んじられたくない
そんな馬鹿で子供じみた劣等感を誰かにぶつけたって、現状が変わりはしないのに
やっと、一人暮らしして、家族の冷たい視線から逃げられたと思ったのに
「生きていて、生まれてきてごめんなさい」って、毎日思うのをやめられたと思ったのに
私なんていないほうがいい
そんなこと分かりきっているけれど、電車に飛び込むのなんてよっぽど迷惑がかかる
私の死体を片付ける人も、帰りが遅くなる人にも、そんなニュースを朝から読まされる人たちにも、申し訳が立たない
40万円?で死ねると言われている、スイスのほとんどの安楽死施設は、うつ病患者は受け付けない
だれか、飲むだけで世界から記憶も記録も消滅できる薬を開発してくれないかなあ
誰かの大事な人が、代わりに生きてほしい