はてなキーワード: 大津市とは
はじめに--------
まず教育界ってのは、日本に数多ある独自の村のひとつで、その中でも道北の中心地・旭川教育大学は学閥が強いと昔から言われてる。
早い話、道北で、40代とかで校長に昇進できる人材がいた場合、まあ、そういうことだ。
ついでに言うと、先輩諸氏(校長)が、各地の教育委員会関係者に自動昇進するわけで、多少の火の粉からは守られてきたワケですな。
実際、教育界だって市長の後ろ盾のひとつであり、お互い大人なんだから、持ちつ持たれつでやっていくのが普通。
教育って社会には必要だし、コップの中で何しようが、コップの外にとっては関係ない話だから、政治家からすれば、上の人間となあなあで済ませるのがベターだろう。
ところが教育関係者と前旭川市長との仲は、外部が思っていたよりもずっと深かった模様。
よりにもよって、現在進行形で盛んに火を噴いているイジメ自殺を隠蔽しようとするほど強固だとは、思わんかった。
なんせ調査ってのも掛け声だけで、原因を追究しようとか関係者に責任を取らせようとか、再発防止策をぜんぜん取らなかったのだ。
つまり現状容認であり、また同じことが起きた際に、私は同じ対応をしますって宣言してるに等しい。
教育関係者が、当人にとってどれだけ大切な選挙基盤だったのかは知らんが、結果は惨敗してしまった。
所感--------
いやもう、まさか前市長がイジメ自殺の件で、教育委員会側と心中する意思を固めていたとは思わんかった。マジ想定の範囲外だわ。
どー考えても最初から勝目ねーのに、なんでまた、やらかした連中のケツ持ちしようとしたんだ?どんな繋がりがあったものやら。
いや旭川界隈に、教育大閥てかムラ社会があるのは知ってるが、自殺者まで出てしまったんだから、逃げないで責任取るのが筋だろ。
地雷抱えながら選挙して当選すると当人が思っていたとすりゃ、お花畑すぎて目も当てられない。誰か止める奴がいなかったのか?
何にせよ、もはや後ろ盾のない教育関係者からすれば『この騒ぎで、君らはどこまで差し出せるの?』という最悪の展開がやって来る。
具体的には、まず教頭。校長も射程内だし正直担任も厳しい。一つ間違えれば上役の教育関係者辞任すらあり得る。下手すりゃ全員。
旭川在住の教育関係ムラ社会の皆さん、アンタたちにも言い分あるんだろーが、これ以上逃げ回るのはやめた方がいいと本気で忠告するぜ?
敗因分析--------
ああ、分かってない現地関係者がいるかも知らんからあえて書くが、今回、学校側のかん口令が絶望的にまずかった。
もうあれで、教育界側の負け戦が完全に決定されたと言っていい。
かん口令を敷きたくなる気持ちは一応、分らんでもないのだが、それ自爆スイッチ。もう自滅っつーか最悪手なんよ。
学校が関係者全体にかん口令を敷いた場合、それだけで、メディアも我々も『コイツらはきっと、何か都合の悪いことを隠してやがるな?』と悪印象を持つのは避けられん。
実際、後からいろいろ出てきただろ?記事に出てから当事者たちが慌てて対処に追われたところで、現状の追認にしかならんワケ。
だからかん口令をもって、学校の、教育者側の敗北は完全に決まったと断言していい。
にもかかわらず、まさか特大の地雷を抱えつつ選挙戦に入る奴がいるとは思わなかった。読みが外れてぶったまげたのはこっちだよ。
巡り巡って国勢選挙にまで影響しちまったんだから、前市長は組む相手を根本から間違えていたとしか言いようが無い。
情報戦の闘い方--------
今回の事件は既に情報戦になっている。情報公開と責任を迫ってくる一般世間と、逃げようとする教育関係者との戦争なんだよ。
しかし、教育者村側は下手を打っちまった。いくら地の利があっても、かん口令は完全に自爆。やってはならない手を打ったんだ。
関係者は、よほどうまくやらない限り、かん口令ってのは情報を完全に遮断は出来ないことを肝に銘じろ。
かん口令はむしろ、主流派に反感を持ってる奴や金で転ぶ奴らから、大げさな情報や信ぴょう性があり得ない情報を流出させ易くなる。
それをどうやって防げるんだ?無理だろ常考。そこが理解できていないから、情報は遮断できるとか楽観的に考えちまうんだろうな。
つまりかん口令は、結果的に、情報(戦力)を小出しにする逐次投入にならざるを得ない。これ、戦争では絶対にやってはならん手法なのよ。
かん口令を敷き、情報を小出しにするというのは、第三者から見ても最悪の対応なんだっつーの(警察とかなら話は別だが)。
今更だが、教育村が大打撃を受けるくらいなら、何もかもあけっぴろげで、開き直ってどんどん公開していった方がまだ断然マシだった。
どうしても学校だけでは限界があるんです、助けてくださいって言えば、それなら皆で考えましょうという機運になったかも知れない。
彼らが本当に守りたかったものが、いったい何だったのかは分からん。まあ生徒たちではなかったんだろうな。そう自白してるようなものだ。
もはや誰がやろうと、あとはサンドバックになる可能性が高い。つまり『より大きな力』で蹂躙されていくのだろう。
たとえ頭を抱えたくなっても、理由はどうあれ、自分たちも自殺した生徒と親にやったんだから文句は言えんぜ。
少しだけフォロー--------
旭川の前市長、選挙で不利になると分かってて教育関係者を身内に取り込んだのが阿保過ぎる…のだが、恐らく泣きつかれたんだろう。
死を待つ半病人とゆーか、棺桶に片足突っ込んだ連中に縋りつかれたよーなもので、現職当人にとってみれば、たまったモンじゃない。
前市長、そんな連中を切れなかった。関係者から頭を下げられたときに厳しく言えれば良かったのだが、それが出来んかった。
たぶん旭川があまりに小さな市場過ぎたというか、道北圏はいささか狭すぎて、友人やらしがらみやら、何やらあったんだろうね。
しかし関係者を処分しないということは、未来永劫、同じことを繰り返し行うとゆー宣言でもある。
『自分の子供が死んでも、先生が処分されたら可哀そうだから、アンタたちは黙って言うとおりにしてね!』と言われて納得する親(市民)がいるか?
よしんば教育関係者の全面的なバックアップがあったとしても、これで選挙戦を戦うというのは、無理を通り越して無謀だ。
あるいは、対立候補が共●党だけならまだ何とかなったかもだが、幾ら何でも無茶というもの。そんなこと当人も分かっていただろうに。。。
結局、前市長は責任を取らされる羽目となった。新市長は教育関係者に冷淡になるに決まってる。連中が地獄を見るのは自明の理だろうぜ。
こーして見ると、そもそも何が問題なのかを、教育関係者たち自身が見失っている可能性が高いんぢゃね?と思ってしまう。
『誰かを自殺するほどイジメても、逃げて責任取らなくてもイイ!』のだと、先生サイドが体現することが果たしてマトモかって話。
殺されてしまう生徒とその親はもちろん、殺すことにお墨付きを貰えてしまう加害者の子供たちだって、広い意味では犠牲者だろう。
先生がそんな調子だから、ガキなんて絶対また『やる』に決まってる。ついでに言うと、社会に出てからだって『やる』に違いない。
そんな卒業生を量産することが教育者の仕事なんか?それとも、途中である程度死ぬことは、旭川の教育界隈では織り込み済みだとでも?
まあ『教師のみが通用する世間、いわゆるムラ社会の掟』が存在することは、知っている。仕事である以上、掟があるのはそりゃ仕方がない。
ただしその『掟』が、教え子の生命よりも上位にあると看做すことは、どう考えても異常だろ。
そんなの、当事者たちだって本当は分かっていたはずなのに、なんでまたいい年こいて、逃げようとか無責任なことを考えるのか。
逃亡に成功するか?--------
ちなみに現代日本でイジメ自殺があった場合、学校関係者はもちろん教育委員会の面々は、事件を徹底的に隠蔽したり、最低でも自己保身に走るケースが極めて多い。
さらに言うと、残念ながら、こうした隠蔽や自己保身が成功してしまうケースも、決して少なくは無いのだ。
たとえば2005年にあった埼玉県北本市立北本中学校でのイジメ自殺は、加害者と教育界側が揃って逃げ切りに成功したケース。
そういう意味では、山形県のマット事件も『逃げ切り成功』に含めてもいいだろう。
いずれも詳細を知れば胸糞必至で、必殺仕事人かデスノートが欲しくなること間違いなしだ。
道内でも、2006年に起きた滝川市江部乙でのイジメ自殺では、もう少しで加害者と滝川市の教育界側が逃げ切るところだった。
当局の失態とメディアが火をつけたため逃げそこなったとはいえ、教育界側の隠蔽と逃亡の体質は相変わらずだと言わざるを得ない。
今回のケースも、文春が火付けしなければ、素で逃亡されていた可能性が高かったのではないか。
ついでに言うと、前旭川市長が当選していた場合、強権により、恐らく連中の逃亡は成功していたと思われる。危ないところだったのだ。
これからどうなる--------
今後の展開としては、教育長の辞任・関係者の更迭・教頭と担任の免職、そして当時の校長や加害者たち、当局への訴訟等が考えられる。
あれだけ隠蔽したという事は、事実が明らかになると不都合が多いと自分から宣伝しているよーなモノだから、どーにもならない。
新市長もその気になっている様子だし、関係者は震えて眠れと言いたいところだが、実のところ、一般世間の側が、教育村の強固な掟をどこまで崩せるかが勝負どころだ。
道北という世間は非常に狭く、そこは、一般市民から見て不可思議な教育界の『掟』が、大手を振ってまかり通る世間でもある。
教師たちはあからさまに、自殺した生徒と真摯に向き合う事よりも、自分たちの組織保全をより優先的・上位に考えて行動してきた。
彼らの『掟』には、『組織維持のためには、必ずしも教え子を保護しなくてもいい』と書かれていたようで、ビックリ仰天してしまう。
本来、何があっても保護・育成すべき生徒を差し置き、自分たちの保身ばかり優先することに血道を上げるのだから、何をかいわんや。
自分たちの仕事にプライドがあり、疚しいところが無いのであれば、調査に協力し積極的に情報開示して然るべきだろう。
こそこそしている時点で終わっているが、追及するのはいいとして、日本におけるムラ社会というのは本当に手ごわい相手だ。
ましてや教師は弁が立つため、ひとつ間違えると、自分たちに責任は無かったという結論にすり替えられる可能性すらある。
さらに言えば、繰り返すが、前の市長ですらアチラ側に取り込まれたほど強い政治力を持っていると見ていい。
そこをどう切り崩していくのかが第三者委員会には問われるわけだが、果たして上手く行くかどうか。
いやまあ、仮に上手くいかなくても最終的には、教育関係者連中は責任は取らされるんだろうけどね。そんな世の中なのだよ『現代』は。
最悪何が起こるのか--------
このような状況下で、もし万が一にも教育者サイドが逃げ切った場合、社会に与える悪影響は計り知れないほど大きくなるだろう。
一例として、2011年に起きた大津市立皇子山中学校いじめ自殺事件では、ひたすら組織保全に走る教育委員会に業を煮やし、ついには殴り込みに行く者まで発生する始末だった。
無論、殴りに行った短絡的な奴がもっとも悪いのだが、世間様に対し殴り込まれるほど酷いことをしたという自覚が、当事者たちに皆無だったところは正直、驚きを通り越して少しだけ感心してしまった。
これ理想的な悪役そのものじゃん。教育界のトップが体現してどーすんのさ。
それともナニか?イジメ自殺した生徒と加害者、無能な教師、隠蔽にだけ熱心な教育委員会を題材にシナリオ書いて、演劇でもやれってのか?
これを学校の学芸会で上演したら凄いだろうなー(棒)。止めようとする教師に対し、生徒側が事実じゃんと言ったらどう反応するのやら。
ついでに言うとネット上では、殴り込んだ者は事実上、ヒーロー扱いされていたと記憶している。保釈金クラウドしたら、千万単位集まるかも。
では、今回の件で実質無罪判定が出たら、何がどーなると思う?
とゆーか、今だって目立ちたがりのユーチューバーに突されてて、かなり厄介な状況なんじゃねーの?
袋叩きという祭りの後に残るモノ--------
恐らく、教育関係サイドには、その辺まで読んで行動している者なんて居ないだろう。そもそも誰だって責任なんて取りたくないし。
一般社会から攻撃されかねないと懸念している人間がトップいれば、世間を舐めた態度を取れる訳が無いのだが。。。
道北の田舎町に居れば地域世間が守ってくれると思っているのかも知らんが、もっと大きな世間から叩かれるリスクを考えたことがあるのか?
第三者委員会による調査は、確かに、加害者や教師たちを断罪するかも知れない。
しかし同時に、関係者に対する処分は、その加害者たちをギリギリのラインで保護する命綱にもなり得る。
そこからさえ逃げようとするのは、完全な自殺行為だ。公的に処分されたほうが絶対にマシなケースだろこれ。
すでに情報を隠すことなんて誰にも出来ない。前校長も教頭も担任も、教育長でさえ氏名年齢住所家族構成等はネットにばら撒かれている。
家族ごと海外逃亡でもする気なら話は別だが、今の世の中、大きな世間から叩かれたが最後、どんな結果になるか本当に理解しているのか?
とりあえず、importの名前から関係サービス名を当てていく。
あと、ファイル名+説明文があるけど、ファイル名はぼかしているので、( `・∀・´)ノヨロシク
NEC SystemDirector (SMBCのソースコードをimportしている)
ITAM-LCMって、情報を分かりやすくまとめるソリューションらしいよ!
さらっと「㈱日㈲産㈹自動車㈱」が出ているww「日産ネタ」はここからだと思われる。
日産㈲自動車㈱が出ている。どんだけ日産が嫌いなんだ…(´・ω・`)
置換用文字列として、「今度の九月十九日に九十九里浜へ行こう」…サーフィン好きなん?
金剛組 目の敵にされてて草
さいたま署 も出てくるね。
サンプルデータなので、変数名以外は、特に見るものなし。データ内容がアレなのは…まぁ。うん。
サンプルデータなので、変数名以外は、特に見るものなし。ぶっちゃけ真面目に見るだけ無駄。
B-FEPというサービスについては、日銀ネットと呼ばれる通信周りの話のやつらしいよ。
pass…t〇〇〇wa…( ,,`・ω・´)ンンン?とりあえず、だまっとこ。
つらたんになった会社:コアさん、NECさん、SMBCさん、NTTさん
色んな意味でとばっちりを受けた方 : 艦これ・日産・九十九里・埼玉県警(さいたま署・浦和署)・滋賀県・金剛組
一番かわいそうな人:この人雇っていた会社さん(爆散済み)
いじめられっ子に報復したり、社会的地位や職業、あと技術で見返したりなんて話はネットでよく見るし、創作の題材にもされる
有名人や芸能人にも元いじめられっ子がいて、あのときの悔しさをバネにここまでのし上がれた!って言ってるけども
それは本当に極一部の話か、あるいは運が良かっただけで、実際にはみんな泣き寝入りか底辺人生真っ逆さまだ
考えても見ろ、新庄市や大津市のいじめ事件はどうなった?有耶無耶だろ?いじめた側を学校が守り、いじめられた側は人権を奪いつくされた
多少のネットリンチで「禊は済んだ」といじめた側は今日も人生を謳歌し、そのうちいずれそこそこイイトコで働き、それなりにタイプな異性とつながってガキをこさえるのだろう
一方でほとんどのいじめられっ子は死ぬか、死なずともすっかり人生を悲観しこどおじこどおばニートと化したり、不登校といじめで勉強出来なかったりしたせいで良いところにも行けずに、鬱屈した人生を終えることになる
何か根底が歪みきってはっちゃけてしまい、奇行を「エンターテインメント」として披露する危ないヤツになる例だってある
現実はそうなんだ、強いやつは社会でもうまくいき、過去の罪なんて「無かったこと」になる
だから、そいつに報復してみろ、そもそもそいつは何も覚えちゃいねえ、「昔の事」だからな
あんたな、けったいな妄想と阿呆らしい悪あがきを続けるのも大概にせえ。
いい大人なら。
言い過ぎかも知らんが、阿呆はくたばらなきゃ直らんのや。
2018年、1日平均で
沿線の人口や路線稼働率を考慮するのは民間企業として当然やろ。
この数字を見て、どっちが優先されるべき路線かなんてことは、幼稚園年少さんでも理解できるんや。
幼稚園年少児でもわかることが、あんたには解らんのか。大人なのに恥ずかしいなーwww
仙台市: 8位 7位
富山市: 21位 27位
ちなみに、昨年30位にすら入っていなかった高松市や大津市、前橋市、千葉市が新潟市と逆転しランクインwww
それに、新潟市が高崎市よりも上位ということはまず考えにくい。
つーことはな、単純に考えて新潟市は35~40位あたりか。
金沢市……9位
軽井沢町…18位
松本市……42位
長野市……51位
輪島市……82位
黒部市……82位
安曇野市…85位
白馬村……97位
新潟市……138位
138位とかwww。まあ至極当然の結果やな。
所詮、新潟市の実力はその程度なんや。あんたが思っているよりもずーっと低い。
昭和のバブル期気分が抜け切れていない新潟市。時代遅れですねぇーwww
ようやく理解できた?
28日昼ごろ、滋賀・大津市のトンネル内で、乗用車が自転車の列に突っ込み、7人が重軽傷を負った。
28日午前11時ごろ、大津市葛川坂下町の坂下トンネルで、車と自転車数台が事故になっていると通行人から警察に通報があった。
警察と消防によると、南向きに走っていた乗用車が、反対車線を走っていた自転車9台の列に突っ込んだあと、後ろを走っていた乗用車とも衝突したという。
この事故で、自転車を運転していた30代の男女3人が重傷、男性1人が軽傷。
また、後ろを走っていた乗用車に乗っていた20代の女性と60代の男性が軽傷。
・トンネルの中を走っていた自転車9台の列に対向してきた車が突っ込んだ
・自転車に乗っていたツーリング仲間の30代の男女4人が重軽傷
・現場のトンネルは片側1車線
待って…まだ原因出てないけど、状況的にこれ自転車9台が逆走してたってことじゃないの…?https://t.co/aTKRbSN28g— ↓B(多忙) (@shita_b) 2019年7月28日
車がどうこうより、ツーリング連中が道路ど真ん中堂々と走ってたんやろうね・・・自分も前に山ドライブしてたら堂々とロードバイ走ってたわ(苦笑 トンネルで自転車9台の列に車が突っ込む 7人重軽傷 https://t.co/T0I5xtxV42— atman (@atman505) 2019年7月28日
トンネルで自転車9台の列に車が突っ込む 7人重軽傷(テレビ朝日系(ANN)) - Y!ニュース
自転車で反対車線逆走って、ホント危険 https://t.co/v4zZ5Lk8Tg— 鈴木洋介 (@prosol) 2019年7月28日
「園児の散歩経路 安全再確認を」 厚労省 | NHKニュース
大津市で保育園児の列に車が突っ込み2人が死亡した事故を受けて、厚生労働省は全国の保育所に対し移動経路の安全性を改めて確認するよう求めました。
こういうニュースを数日前みた。
あの事故現場を踏まえて、道の安全確認をしようとしたら、ほぼ全国の交差点が危険地帯。
なので、安全が確認できなくなって困る人がたくさんでてしまい、過剰反応がなければいいなと思っていたところ、
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1905/11/news008.html
「保育園の散歩は大事なコト」 過度の自粛を懸念したエッセイ漫画で知る、たかが散歩 されど散歩
漫画の読者からは「一部で危険視されているお散歩が、むしろ安全に過ごすための経験になってる」「保育士の端くれとしてこの様に考えてくれてる保護者の方がいるって事が励みになります」「うちの保育園、お散歩自粛になりました 道の安全確認をしてから再開するそうです…なくならないといいな…」「すてきなことを教えてくださってありがとうございます」といった声が。子どもにとっての散歩の意味について気付かされた人が多いようです。
という記事をみつけた。
ははぁ、なるほど。
先日、大津市で散歩中の保育園児の列に自動車が突っ込む事故が発生した。この保育園の記者会見のようすから、報道への批判が高まっている。
事件と会見の詳しい内容はもう各自ニュース記事を見ていただきたい。
このような被害者への過熱報道や無遠慮な態度をめぐってマスメディアが「マスゴミ」と揶揄される事態は頻繁に起きている。少し前にはジャニーズグループ嵐の活動休止会見でも、記者が「無責任ではないか」と質問を投げかけたことに怒りの声が集まった。
SNS上でみられる批判の内容のほとんどは、現場にいる記者に対して「良いニュースや写真を得たいあまり良心を失っている」と指摘するものだ。しかし、記者らはいったい何のためにこのような人道に反しているとも思える行動をするのだろうか? 「お金になるから」と多くの人は答えるだろう。ではどうして被害者の悲しむ姿がお金になるのか。
それは「閲覧数が増えるから」に他ならない。マスコミは情報を売る仕事であるのだから、当然、たくさんの人が見たがる情報を積極的に記事にする。過熱報道を批判する声はもう何年も何十年も前から絶えることがないにもかかわらず、彼らは被害者や被害者遺族への取材を一向に辞めない。誰にも求められていないのに、人々のニーズを無視してまでこのような記事を書き続けるほどマスコミも愚かではないだろう。ということはやはり、これらの記事は「求められている」のだ。
おそらくきちんと考えれば、説明するまでもなく誰でも分かる理屈だろう。しかし最近のマスゴミ、マスゴミと騒ぎ立てる人々を見ているとどうもこのことを忘れているように思えてならない。もちろん、「いくら稼げるからって良心に反していいわけがない」という主張は尤もである。ただ、SNS上でみられる批判の多くからはまるで記者自身が被害者の悲しみを見たがっている、とでも言うようなニュアンスが感じられる。先の嵐の会見の場合でも、記者自身が「無責任だ」と感じているためにそう発言したわけではないと個人的には思う。(ファンを除く)一般大衆が薄ぼんやりと抱くであろう疑問。彼らは直接話ができる立場としてそれを代弁しているに過ぎないのではないだろうか?
一番最初にあるのは大衆の需要であり、マスコミは望まれるとおり供給を与える。どちらが悪かという問題でもない。ただそういう形でうまく歯車がかみ合った結果、今回の園長先生のように泣かなければならない人が生まれてしまう。これはシステムだ。「極悪非道の記者」や「極悪非道の編集長」というドラマのように分かりやすい巨悪が存在するわけではない(だいたい最近はドラマにすらそんな明確な悪はいない)。
きっと多くの人は、その事実をはっきり意識しないにしろなんとなくは理解しているはずだ。だがそれを認める前に、心のどこかが声を上げる。
「じゃあこの怒りをいったい誰にぶつければいいんだ」。
需要がなくなればこんな痛ましい過熱取材も報道もなくなるかもしれない。だがその需要とは? 「ついついセンセーショナルな記事を読んでしまう」程度の人々は本当に弾劾されなければならないほどの悪なのか。私は被害者の苦しみを糧として制作された記事を読むのが好きですなんて主張する人はいないはずだし、そもそもそれ程の自覚もないだろう。
だから誰に怒ればいいのか分からない。なんとなくこんな報道が間違っているということだけはわかっても、その正体までは考えつかない。
そういうとき、ぱっと目について直接的に悪を為しているように見えるのは現場の記者なのである。
繰り返すが、彼らにまったく罪がないとは言わない。この文章を書いたのはマスコミを擁護するためではない。しかし、考えてほしいのだ。ものごとの本質とは何なのかを。
学校でのいじめ問題に対する、学校や教育委員会の対応と世の中の人の意見をみて思ったことを書いてみようと思う。なんとなく書いたら長くなったので、流し読みしてください。
昔からいじめが原因で自殺する中学生や高校生はたくさんいたと思うけど、国が大きく動いたのは、2011年の「大津市中2自殺事件」
市立中学に通う中学2年生の男の子がいじめを苦に亡くなった事件で、この時に明らかになったのが教育委員会と学校のいじめに対する対応の悪さ。
亡くなる数日前にいじめの報告が学校にあったにも関わらず、単なる生徒同士の「喧嘩」として扱い十分な措置を行わなかったこと、教育委員会が自殺の原因を家庭内に問題があったとして、当初認識していたことなど...
「大津市中2自殺事件」がきっかけとなって、「いじめ防止対策推進法」が成立。
教育現場がいじめ問題にどう対応すればいいかの方針が決められた。
しかし、いじめで自殺する学生らは後を絶たないし、大津市いじめ事件の後に起こった別の地域のいじめ問題では教育委員会の隠蔽が判明。
いじめを調査した教育委員会などの調査報告書に納得できずに、再調査を依頼する遺族も少なくない。
教育委員会は地域行政のなかでも、少し変わった組織で、教員免許を持った職員と持たない職員で構成されているし、首長の直接管轄でもない。それらが教育委員会の組織風土を硬直化させてしまっているのかなと思う。
各自治体でそれぞれに教育委員会が組織されているといっても、他自治体でこれだけ問題になっているのだから、自分たちは適切に対応しようとはしてるはずなんだけど、何かしらの不適切な対応が目立つ。これが意味するのは、教育委員会という組織自体がきちんと対応できる状況、組織ではないということなのではと感じる。
教育現場の先生たちも毎日忙しい。先生は授業を教えることが仕事なのに、中学校では部活動の顧問まで任される。その上、いじめが起こったら業務はさらに増える。日々の業務にいっぱいいっぱいで、いじめに適切に対応する余裕が十分にあるとは考えにくい。先生が余裕を持って働けるように、働き方も見直さなければいけないことの1つではないかな。
加えて、いじめはどうしても起こってしまうものだということ。小学生〜中学生っていうのは多感な時期な上に、1つの教室に様々な事情を抱えた子が押し込まれてる。1つもいじめが起こらないほうが不思議なぐらい。地域差もあるだろうけど、学校でいじめられたり、いじめたことがあったり、いじめの傍観者だったなんてのは大小あれど誰にでもあることだと思う。
学校が社会的居場所で、いじめがあってもなかなか逃げ出せない、休めない。
子どもたちに、自分ではどうしようもないことがあったら逃げてもいいっていうことを大人はもっと言ってあげてもいいのではと思う。学校だけが全てじゃない、学校に行かなくてもどうにかなるってことを。
天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。
目次 [非表示]
1.2 四宗兼学
1.3 止観行
1.4 所依
1.5.1.1 総本山
1.5.1.2 門跡寺院
1.5.1.3 大本山
1.5.1.4 別格本山
1.5.1.5 その他の寺院
1.5.2 天台寺門宗
1.5.3 天台真盛宗
1.6 その他天台系宗派
1.7 教育機関
1.7.1 大学
1.7.3 養成機関
4 社会運動
5 脚注・出典
6 関連項目
7 外部リンク
正式名称は天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後の呼び名は日蓮教学の法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。
初め、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入った。次いで、伝教大師最澄(767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである。最澄は特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。
この時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇を設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗の僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問・修行を修めるという革新的な最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇の勅許が下り、名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。
真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。
当初、中国の天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。
しかし日本天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しかし最澄が帰国して一年後に空海(弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき、空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。
とはいえ、最澄自身が法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身の意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教の系譜は、円仁・円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。
なお真言密教(東密)と天台密教(台密)の違いは、東密は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し、台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである。
四宗兼学[編集]
また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国の天台宗とは違い、最澄が開いた日本の天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。
止観行[編集]
天台宗の修行は法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在の日本の天台宗の修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経の読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏を本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教(台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在に仏性が宿るという天台本覚思想を確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。
所依[編集]
福王寺(熊本県山都町、宮司兼豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である)
その他天台系宗派[編集]
孝道教団
叡山学院