はてなキーワード: 名家とは
昨日公開されたけど流石に仕事で疲れた帰りに観て眠りでもしたら時間と金の無駄だなと思って昨日はスルーした。
で、今日見に行こうと思ったら、親父が正月前の準備を進めろとか言って庭の掃除をするか部屋の掃除をする羽目になった。
ホントにこのくだらない習慣いつまで続けんの?こっちも仕事あんのになんでわざわざ正月にやってくる連中の出迎えをこっちで準備しなきゃならんの?
来るのは定年退職して暇してるジジババどもだろ?準備必要ならそいつらにも手伝わせろよ前々週あたりからさ。
ツーかこっちは30日まで仕事入ってんすけどそれ知らないのか。
お前は偉そうにあれやれこれやれ言うだけでなんもしないの?
わざわざ正月に人集合させんなって思うんだけど。そういう選択肢はハナから頭にないらしい。うちを名家かなんかだと思い込んでるのか?ただの農家だろ?何が増田家だよバカバカしい。
https://anond.hatelabo.jp/20211113201646
横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。
三行でストーリーをまとめると
・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍の文官で、陸軍教授の地位にいた樋口石城なる人物である。
・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。
・この邦訳を読んだ人々が邦題を熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎が小説内で多用したことで日本中に広がった。
「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。
かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。
普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降の文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。
しかし、「屍山血河」という単語は辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎の小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。
辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。
普通、辞書の用例はその用法で一番古いものを採用する。だれか他の文学者が創作したならそっちが採用されないのは奇妙である。
もちろん、司馬遼太郎が独自に考案したと考えるのは早計だろう。
司馬遼太郎が勝手に創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。
もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手に創作したり、誤認識していたということらしいのだが。
ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分で説明なしに訳語を創作するような人間ではないと思う。
用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語の資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。
この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である。
ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。
М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後は軍事法廷の議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。
旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年に出版された。
しかしそれにしては邦題がおかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。
"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。
実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのときの邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。
泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。
М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。
ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現は戦争を表現する際、よく使うようだ。
熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。
原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人の死体の表現として使われていた。
もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。
これ以降は完全に当て推量である。
陸軍教授、樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。
まあ、軍教授なのだし名家出身の学者で、ロシア語を含む文系の教養があって、仕事はロシア関連の軍事資料の邦訳を大量にやらされていたのだろう。
だから文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳の仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。
そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。
それを司馬遼太郎が資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識、戦争小説で多用。
小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的な単語へと一気に昇格してしまった。
そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。
樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。
結局、遡れるのは司馬遼太郎の小説しかなかったのではないだろうか。
無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。
以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。
[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00
で最近、ホームセンターでコンフィーってブランドよく見るなーって思ってて
イタリアの有名家電「 Comfee’(コンフィー)」ついに日本初上陸!
https://italianity.jp/lifestyle/comfee_italia
Comfee’(コンフィー)とは?
Comfeeは「世界最大の家電メーカーの1つであるMideaのフラッグシップブランドです。北イタリアのミラノとコモの中間あたりに位置するサロンノに拠点を置きます。洗濯機、冷蔵庫、冷凍庫、空調システムではイタリアのシェア・トップブランド。手ごろな価格、秀逸なデザイン、実用性が好まれる要因だとイタリア人はいいます。
Confee (中国電機大手 美的集団の家電ブランド) の電子レンジを買ったんだけと、注意書きの銘板に「アイリスコールにご相談ください」って書いてある!
1. アイリスオーヤマ製品と同じラインで作ってて貼り間違えた
2. 美的集団がアイリスの電子レンジのラベルをコピペした
どっちかな、、、、 pic.twitter.com/bZmLcyGWs8— shao / 澤田 翔 #FullyVaccinated (@shao1555) March 27, 2021
結局東芝なんかな
結婚してないからわかんないんだけど、夫婦別姓のメリットって結局何?
前提として自分は夫婦別姓、そういう制度があって助かる人がいるならやればいいのでは、くらいの浅い考え。反対意識は全くない。なくてはならないとも思っていない。
仮に自分が結婚するとしたら、特に何も考えずに相手の姓に合わせると思う。自分が子どもだったら親同士の苗字が違うのイヤだし、もしかしたらきょうだいとも違うかもしれないもんね。(いやまあ、それこそ大人になったらみんな苗字バラバラになるかもしれないけど。あくまで子供のうちの話。)
よく聞く夫婦別姓推進派の人たちは、会社を経営してるとかである程度社会的地位があったり(その苗字で社会に浸透している)、めっちゃ歴史のある名家だったり希少な苗字だったりするけど、世の中そうじゃない人の方が圧倒的に多いわけで
私みたいにフツーの苗字のフツーのOLが夫婦別姓を望むメリットってなにかあるのかな?とふと思った
私は今の苗字を素直に好きだと言えるけど、改姓に抵抗感はない。改姓したって戸籍には残るし実家の両親の苗字も一緒に消えてなくなってしまうわけじゃないし、きょうだいもいるし。てかそもそも苗字自体顔も知らない祖先様のなが~い置き土産だし、下の名前さえあれば自分は自分だと思っている。もちろん結婚相手が私の苗字にしたいと言うのであれば別に止めはしない。言われないと思うけど。
あ、銀行口座とか免許証とかの改姓手続きが必要になるのか。それはちょっと面倒くさいな。
夫婦別姓が認められることで双方そのめんどくささから解放される、それは確かにメリットかもしれない。でも正直それくらいしか浮かばない。他なんかある?
・最強スキルの価値日本人さえ気づいてなかったのに分かった途端イキる
・転生前は無職や社畜の類だったことを悲しい過去アピールしてイキる
・名家に生まれた落ちこぼれとして人格が歪みまくっており歪んだままイキる
・オープンスケベやラッキースケベだらけでとにかくスケベでキモい
・とりあえず女は口説きにかかる
・とりあえず男にはイキりにかかる
・イキっておいて作者都合でチンケな罠にかかる
・とりあえずヒロインや太鼓持ちが拍手喝采してベッドインしたりする
・雑魚扱いされて踏みにじられたので自分が踏みにじる側に回るという低俗なマウント合戦をする
・強さからの余裕を見せているように見えて実際は人間の小ささを読者に見せてくる
・文字を書いてる!凄い!
・ヒロインがマジシコですね!
・こんな設定初めて読みましたわ!
ウマ娘のチームレースマッチでイヤシカ女杯参加したらワイ以外にもメジロライアンがいて草。
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前から好きで読んでいたのだが、最近の展開の中で以下のような点がモヤモヤしている・・・。
・白黒ハッキリしない: 最初は人間とバケモノ(呪霊)との戦いだったから分かりやすかったが、最近は人間の呪術師(超能力者)同士で戦い出していてもやる。お前らそれどころじゃないだろうと。少年向けにはもっと白黒分かりやすく敵味方がいて戦う展開の方がいいと思う。
・旧家 名家を悪様に描きすぎ: 呪術師の中の名家が出てくるんだが、京都の封建的な家で男社会で、財産を巡って骨肉の争いをして・・・とロクな描き方じゃない。長い歴史の中で、人間社会を平定してきた功績があるはずで、もっとリスペクトがある方が自然だと思う。思えば学校だったり家だったり上層部と呼ばれる集団だったり、既存の価値観に対して挑戦的、攻撃的な描き方が多すぎる気がする。人間は社会を守るように描いてほしい。教育的にもよくない。
・女性キャラが強すぎ: ちょっと穿った見方かもしれないが、女性が強く描かれ過ぎている気がする。特に直近は超越的な力を手にした女学生が男性優位の家を破壊するような描写があってモヤモヤしている。もっと内面に踏み込んで、強さも弱さも描いた方がバランスがいいんじゃないか。男は結構内面の弱み描写もある気がするから、バランス的にもいいと思う。
持つものの量だろうね。
10代のころはせいぜい自分くらいしか持ち物はない。あとは名家の出自なら、家柄か。
ミスっても個人の責任か親の責任かで片が付く。まあ、親だったらそういうのを甘受するよ。
結婚したら人生は結婚相手と歩むもので、個人の責任で片が付かなくなる。
まして、子どもがいたら人生はその子供も乗っている。ますます個人の責任で片が付かなくなる。
まあ、その差だろうね。
配偶者は大人だから自分のことは自分で身を処せよってのもそれなりの償いをすればありかもしれない。
子供は保護しないといけないわけでさ、そういうわけにいかないじゃん?
まあ、その違いだと思うよ。
ほかの女が認めた優良物件で、未婚者よりも紳士的な振る舞いができることが見込まれるからね。
同時通訳じゃあないし、狭い業界だから書くと差し障りがあるから、業種関連は全くの嘘だけどね。
うちの嫁さんがまあ、セレブバイト系の人なんですよ。これは嘘の職業だけど、流しの傘張り職人ですわ。ちな、セレブなのはアタシが大金持ちなんじゃなくて、ご実家がごんぶとなお陰なんですけどね。
嫁さん、地方名家のお嬢様で、東京提灯大学の提灯専攻で修士取ってから、実家仕送りで数年フリー傘張り師。ほら、提灯張りと傘張りって、業態的には似てるでしょう(本当はどうだか知らないので、本物の傘張り師・提灯師の人は目くじらを立てないでください。和紙を骨に糊で張る、という点に共通項を見出しています)。ああいう人はボーっとしてると、教授がどっからともなく似たような業態業種で学歴活かせるポストだけど専業だとちょっとめんどいな、みたいな商売を斡旋してくれるんですよ。沢木耕太郎がルポ屋さんになった時みたいな感じ?あれですわ。
すったもんだでアタシと引っ付いてあとは”主婦”。アタシ?申し遅れました、東京提灯大学で骨組学士取った後、1000万には到底届かぬしがないリーマン図面引きをやっております増田、毛は減ってるけど増毛の増えるに田んぼの田でまーすーだ、と申しますいつもお世話になっておりますハイ。
話を戻すと、嫁さんは元の傘屋さんとはお付き合いがあるから、繁忙期とかは未だに傘張り引き受けるし、これは結構な仕事です。手狭なうちもシーズン中はホネで足の踏み場もない。でも本人主観は「主婦」なんだよねぇ小梨だけど(そこにアタシも異存はないので為念)。んで、「スキルスキルキャリアキャリアキィィィィィ」みたいなことは当然ない。だって、出来て当然のことなんですわ、傘張りぐらい彼女にしてみれば。いちいち呼吸するときに「スキルスキルキャリアキャリアキィィィィィ」みたいなこと考えないでしょ、出来て当然のことだから。
とはいえ、世間に流しで傘張り師できる人材ってのは需要の割にはそう居ない。なので根強く出番があるわけです。出来て当然で、小遣い稼ぎになってお付き合いも果たせるし世間とのつながりにもなる。ご親戚づきあいでも「傘張り師でして」というと通りがいい。実際傘張りも面白いから捨てるに忍びない、じゃあやっとくか、みたいな感じ。まあ正確に事情聴取したわけじゃないんだけど、傍から観察するにそんな感じです。
飯のタネじゃあないけどボランティアとも言い難い。仕事の認識はあるんだけどね。世間には、そういう豁然とわかれていないモヤっとしたスキマみたいなものがたまにあるんですよ。人口が多くなると、その分そのモヤモヤも多くなる。そのモヤとアタシは折り合いつけて暮らしてる、そんな感じです。向こうが本当にどう思ってるかは、分からないんですけどね。
青色申告もしてるけど(マウス舐め舐め弥生会計するのはアタシ)、年によって年収はこっちと刺しつ刺されつですは。まあ、それ以上にご実家からの配当があるんですけどね・・・。ただ、生活費一式はこっちが出していて、莫大に稼いだ金がどこにどうなってるのかは全く不明です。総資産額については恐ろしくて聞き出せません。
伝説の英雄の血を引く人とかみんな好きでしょう。
我々にも天皇という人がいるわけだし。
世界中でも王政がまだ残っているし、人間は血統大好きなんだよ。
有名な武将の末裔とか、名家の末裔とか、それだけで話題になるじゃん。
だから、伝説の勇者の末裔は、末裔というそれだけで重宝されるんよ。
DQ3の場合、アリアハンの名士であるオルテガの息子なわけだし、
旅立ちのほこらの人の話から、昔は多くの人物がここから旅立っていったとか言ってるから、アリアハンは多くの名士や英雄を排出してきた土地なんだろう。
2134年11月6日、日本の天皇が崩御した。天皇に子はなく、この日をもって象徴天皇制は廃止、日本は共和制へと移行することになる。
直前の世論調査によれば、皇室の存続を望む者は8割を超えていた。にもかかわらず、皇室は消滅した。それはなぜか。
かつて、20世紀半ばに活躍した政治学者の松下圭一は「大衆天皇制論」という小論を書いている。そのなかで松下は、第二次世界大戦以前の天皇制と戦後のそれとでは、制度を支える心理が大きく変化していることを論じた。すなわち、戦前において畏怖される存在だった天皇は、戦後の人間宣言を経て、愛される天皇へと変化したというのだ。
松下はさらに、愛される皇族の条件として、「平民」として恋愛もする一方、「小市民層の日常的要求の理想」でもあらねばならないとした。つまり、普通の人間であると同時に、優れた人格をもつことが期待されるようになったというのだ。
この観点からすれば、戦後の皇族はみな一様に大変な努力を重ねたと言えるだろう。時折、スキャンダルのようなものが噴出することはあれど、大衆の期待に沿うべく、「理想化された平民」を演じ続けた。
だが、大衆の願望は、皇族が人間として生きていける限度をはるかに越える水準に達した。
それが顕著に表れたのが、結婚をめぐる問題だった。皇族の結婚相手は、大衆の意を受けたメディアから厳しい精査に晒され、わずかでも問題があるなら、苛酷なバッシングの対象になった。
結婚した後も、プレッシャーは続いた。皇室の厳しいしきたりに加えて、男子を生むことを求める強烈なプレッシャーはしばしば女性皇族を精神的に追い詰めた。そして、それによる体調不良までもが、メディアでのバッシングの要因となった。
そのような皇族の有様をみて、いったい誰が我が子を皇族に嫁がせようと思うだろう?
皇族が適齢期に達すると、同年代の名家の子女たちは結婚を急ぎ、間違っても自分が「見染められ」ないよう必死になった。皇族との結婚を決意した者も、「理想化された平民」を求める大衆の餌食となり、やがて消えていった。
保守派は旧宮家の皇籍復帰を叫んでいたが、皇籍離脱から長い年月を経て「理想化された平民」像には遠く及ばない彼らの復帰を大衆は認めなかった。保守派とて「理想化された平民」像から逸脱する皇族を必死で叩いていたのであり、いわば自業自得であるとも言えた。
マコさまも、姪っ子だとしたら、あんな男で大丈夫なの?くらいは親に聞くかもしれないけど、別にそれで終わりやん
それでもマコさまはごね通して結婚しちゃえば終わりだけど、坊ちゃんの方は人生の選択肢ゼロでしょ?
本当に人権侵害だよね
それでも今までの方は権威があり、国民に敬愛されてたからこそ天皇という立場をやれたわけだけど、坊ちゃんが大人になった時、それを受け入れるとは限らないよね
法的には無理だよね?
じゃあもし坊ちゃんが、マコさまみたいにごねてしまったら、マサコさまみたいに鬱ということにされて、国民はお姿を見ることはなくなるのかな?
可哀想すぎるよね
後継が20人くらいいて、その中から希望者がなる、とかだとなりたい人はいるかもしれない
でも1人じゃあなあ
歌舞伎役者とか、伝統芸能の跡取りとか、有名な寺の住職とか、代々の名家は沢山あって、誰に強制されるわけでもなく、家の掟として個人的に存続してるとこあるよね
その先のことは、天皇家の人たち自身で、女系でいいんじゃない?となればいいんだろうし、当主を遠縁から持ってくるならそうしたらいい
それで基本的人権も守られたらいい
民間人になって、ジャパンロイヤル株式会社とか設立して、外交や名誉仕事、まあ今の公務だよな、それを受注して生計をたててもらうのもひとつよな
この文章はTwitter上の久我雅大氏 @4wk2wk0 のツイート
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329951527230816258
夫婦別姓に反対の方、
反対のその理由を教えて下さい。
https://twitter.com/StudioBiSHOP/status/1329967345914114048
に対する再反応
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329980375389544448
(ブログ、noteその他長文を書ける場所を他に持っていないので、ここをお借りします。)
御用とお急ぎでない方はお付き合いを。
まず前提として、
「組織だって統制と互助の行き届いた集団と、バラバラの個人主義者の集まりが集団戦をやったら、前者がほぼ間違いなく勝つ」
という考えがあります。
野球のように正面から戦う場合だけでなく、企業の生存競争とか、一族郎党とかの生き残りでも同じです。
オオカミと同じように、人間も集団で狩りをして生存競争をする生物なんです。
これは婚姻関係を肉親関係ととらえて、血族の規模を拡張して生存能力を高めようとする考え方です。
今でも伝統的な結婚式では「〇〇家 □□家 結婚式」と表題がかかげられます。
べつに天皇家や(安倍元首相の)岸一族や鳩山一族に限りません。
ちょっとした旧家では今でも結婚を機に両家の交流をつなぎ、コネや情報を融通しあって血族の存続をはかる営みが普通に行われています。
縁戚の子供を預かって面倒を見たり、分家の秀才の進学費用を融通したりと、大家族にはそれなりの長所があるんです。
自分の実家でも、妻方の姪が進学した時に下宿代わりに長く居候をしていた時期がありました。
年の近い叔父が自分の就職相談に乗ってくれたこともありました。
もちろん、大家族のもとで不遇をかこった人の存在は否定しません。
ですが、その人たちのルサンチマン(うらみ)の声と、家族制解体の声ばかりが最近は強すぎます。
「人間関係のしがらみや支配はうっとうしい、だから婚姻は両性の合意だけで成立としよう」
というのは魅力的です。
最新の人権思想とポリティカル・コレクトネスにも相性がいいので普及しやすいのは分かります。
ですがね。
そうやってトレンドに乗りやすい人たちがバリバリと旧来の家制度を解体していく、そのいっぽうで、名家、旧家(いわゆる上級国民)はコッソリと血縁集団の枠組みを維持して、自分たちの資産(カネ、コネ、権力、総合して生存能力)を温存・成長させて行くように自分には見えます。
本来なら、カネとコネと社会を渡る知恵、総じて資本と呼びますが、そういう資本に恵まれない人たちこそ、血縁と閨閥で団結しなければならないはずなんです。
自分には、夫婦別姓というのは、そこに象徴的なクサビを入れる行為に見えます。
とおっしゃるかもしれませんが、それでは嫁入り先、あるいは婿入り先の親族との互助関係についてはどうですか?
一段、薄くなったような感じがしませんか?
ですが、目先の自由さにとらわれてバラバラの弱い個人として生存を余儀なくされたら、資本に恵まれない人はますます悪条件で生きていくことになってしまいます。
目先の自由につられたワナ、については、自分のような古い人間には苦い経験があります。
(目撃経験ですが)
「組織に縛られる生き方なんてダサいぜ!」という主張が雑誌や映画に載りまくって、少なからずの(流行に乗せられやすい)人たちが正社員登用の努力をしないで、時間配分もワークスタイルも自由なアルバイトの掛け持ちを選択しました。
いっぽう、そこそこ良いレベルの四年制大学にいた自分の周囲は、そんなブームには目もくれず就職活動に没頭して大手から中堅レベルの企業に「所属」していきました。
結果はあきらか。いまでは非正規雇用の中高年たちが大問題になっています。
社会運動家たちや最近のネット世代は「新しい時代は自由人の連帯が大事」といって、血縁によらない互助組織やサロンを模索する人もいますが、自分は疑っています。
理由としては、
ここはやはり、大家族制のように最初は子供として所属して、長じて貢献を果たし、やがては家父長制の長または重鎮として判断をふるう。という育成システムのある「家制度」の方が、長い歴史の陶冶を受けている分だけ、一日の長があると自分は考えます。
というわけで、
「夫婦別姓の容認」というのは、ささいな制度の変更に見えて、その方向性の先には
VS
の二極分化が待っているように見えるのです。
……こんな感じです。
いかがでしょう?