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はてなキーワード: ソプラノとは

2017-04-03

かわいい声の女の子うらやましい

声が低くて女性アーティストの歌が歌えない‥男性ロックとか歌いやすいしテンション上がるけどかわいい歌も歌えるようになりたい‥

高音だそうとすると合唱ソプラノっぽくなる‥そうじゃないんだ‥もっとAKB 的なこえが

2016-07-21

vip領域(聖少女領域:アリプロ)

未だ謂わなひで好色めゐた其の云葉

期待なんて鉛のやうに重ひ

魅了して母よりも大きゐ其の胸で

曝す覺悟が有るのならば

億万の液のベッドに

埋れ見る夢よりも

馨しく私は生きてゐるおw

如何すれば醜ひスレ

蔓延った此之世界

開かずに羽ばたゐて逝けるのか

一人スレの中

うpし続けても

糞スレと貶されて

絆されるの

まだ堕ちなゐでもう>>1000逝ったらネ申スレ

ネ申樣と何処までも馴れ合ひ

死んでも良ひ此の尊ひネ申の胸の中

埋れる事が出来るのならば

彼氏ガヰルカモカナン

氣ニシテル譯ヂャナヰ

割れたwの文字

綴られたレス産業

滅び逝く子供達の學力

明日も目覺める度に

壱百億の種を蒔く

眠らなゐ魂のヲナニ猿

喰ひ込むパンテヰ 一滴の液

何視てもカルピスに思へや爲なゐ

まだ行かないで月光結界

ブチ撒けて母に見つかる僕

カルピスと悟られなゐやうに誤魔化して

此れは如何見ても精子なのでせうか

ソット濡レテ來ルノ 涙ノ液ナノ 其レト

もう謂はなひで卑猥めゐた其の云葉

うぇwwwうぇwwwwwなんて槍のやうに痛ひ

囁ゐて母より優しひソプラノ

どんな覺悟も出來るならば

さぁ謠ってよ其の震へる唇で

醉ひ癡れて私の( ゚∀゚)o彡゜おつぱゐで

煽つて良ゐ此の尊ひ示申存在

射拔く勇氣が有るのならば

貴方掴マヘタラ決シテ

逃ガサナヰヤウニシテ

うぇwwwうぇwww

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4252479

2016-04-15

えみつんが出ているとされるAVをみた。

他のところでは書けないのでここで。

えみつんが出ているとされるAVをみた。

といっても全部ではなく、インタビュー部分だけ。

最初、このネタが出た時「デマだ」と思った。

えみつん高校生の時から音楽活動をしていて、その後に音大に進み、声楽科で優秀な成績(公式サイトによると主席)で卒業した、若いからプロ志向の高い歌手だ。

そのような人が、将来もしかしたら成功して有名になるかも、という想像をせずに、安易にあのような仕事をするはずがない、というのが、その理由だ。

どうせそっくりさんだろうと思っていたし、目に入る「検証画像」も、「えみつんこんなブサイクじゃねえよwww」と草生やしてみてた。


ところが、その後に新しくリリースされた「インタビュー部分」である

このキャプチャーを見た時、私は思った。「これ えみつんじゃね?」


インタビュー部分は、このソフトクリティカルな部分に当たらないためか、動画サイト等で見ることができる。

「うわ…これ えみつん…じゃね?」

もうね、何も知らないで見ちゃうと、絶対にえみつんだと信じてしまう、そのぐらいのモノですよこれ。

声も、番組で作ってるのとは違うけど、その質は「やっべ えみつん?穂乃果?」と思ってしまもの

「本人出演です」って言われたら、確実に信じるレベル


しかし、どことなく感じるのは、違和感

これ、確かにえみつんに非常に似ている。でも、似ているのは最近、ここ二年ほどのえみつんに、なのだ


このビデオ最初の発売年が2008年とされていて、その素材の撮影は当然それ以前になると考えられる。

さて、ネットで簡単に見ることのできるえみつん動画は、やはりラブライブ!のものだ。初期のライブニコ生イベントのもの。今から遡ること4〜5年前。当該AV撮影されたとされる時期からしても3〜4年ほど経過しているわけなのだが、今よりもその頃に近いであろうとは思われる。

その4〜5年前の映像を見ると…えみつんは例のAVに出てくるよりもずっと若く見える。

若く見えるどころではない、別人のようだ。

実際、初期の集合写真で、一番見つけにくいのがえみつんだ。消去法でやっとわかる。今よりもずっと細い。どちらかといえばぽっちゃりに見える、22歳頃とされる例のAVより、当然細い。


もちろん女性は、化粧等で見た目をまったく変えることができる。同じようになんじょるのを見ていくと、まるで別人だ。今の方がずっと若いカワイイ、好き。


でもこの体格への違和感が拭えない。えみつん声楽科に在籍し、ソプラノ歌手として、当然必要筋肉を鍛えていたはず。「腕相撲事務所からNGにされてる」という証言もあるのだから所属時にはすでに相当の筋力があったのだろう。その割にこのAVに出てくる女優の身体はだらしない。

えみつんは太いイメージがあるが、それはラブライブ!ダンスをするようになってから、おそらく歌に必要な部分以外を鍛える必要が出てきたのだろう。

少なくとも、公式に残されているデビュー後の写真映像では、初期の頃のえみつんは細く、キャリアを積むに従ってよりたくましくなっている。

そのピークは2015年の夏頃で、この頃のアニサマファンミ映像で見るえみつんは弁解しようがないほどに太い。これは筋肉だけではなく、りっぴー証言地方巡業でみんなで美味しいもの食べるから太った」あたりに理由があるのではないか。

そういう「比較最近写真」に似ている、「およそ8年前のえみつん」とされる当該女優には、違和感を禁じ得ないのである


ではこの人物は、ただのそっくりさんなのか?

そのように断じてしまうのを躊躇してしまうほどに、このビデオに登場する人物は、えみつんによく似ている。

冒頭で記したように、えみつんの経歴や昔の映像を見ていなければ、確実に本人だと信じてしまえるぐらいには似ている。

これをまったくの赤の他人と断じるのは、さすがにご都合主義的に感じる。

もちろんその可能性はあるし、一ファンとしてはそうであって欲しい。

しかし、そうでない可能性もある。

私が思いついた仮説はこうだ。

”当該AV女優は、えみつん親族である


えみつん自分Twitter等で、家族話題を口にする。

家族構成ははっきりしないが、両親の他、二人の妹がいることは確実である

もしこの女優が、えみつんの二人の妹のどちらか、もしくはこれまで言及されたことのなかった姉だとしたら?

「一切語られたことのない姉がいた」

というのが、ご都合主義的だと思われるだろう。

しかし、語られなかった理由があるとすれば?例えば厳しい父親に反目して、早い時期に家を出ていた、とか。絶縁状態にあり父は許しておらず、その父に活動を喜んでもらえている中で、家族も見ているTwitterブログ等でその話ができなかったのでは?とか。

そしてもし「このAVに出ているのは自分ではない。ただし、自分の身近な人物である」という仮説が正しければ、

「出演は否定しかしそれについて何も語れない」という現状には、説明が付くのではないか。


わかってる。すべて憶測だ。

噂されているような事実はないのだと信じたい、いちファン妄想だ。

ただし、これまでに記したようなこと、更にはAV業界の厳しさ(必ず身分確認を行う。”素人もの”と言いながら本物の素人など当然使わない)などを考えたら、これがえみつんだとは、ちょっと考えられないんだよね。

再販されたこともしかり。販売元は当然、その後のトラブルを防ぐため、出演者情報は保持しているだろうし、であればもし本人なら、現在芸能活動をしているプロ歌手の”出演作”の取り扱いには、もっと慎重になるだろう。個人撮影流出モノというわけではないのだし。販売元が「この女優は本人ではない」と確信しているからこその、速やかな再販売なのでは。


いずれにせよ、すべては憶測想像妄想範囲を出ない。

事実を知る人物、本人とか、販売元とかが語らない限りは、真実はわからないわけだし、そのような日が来ることは、ないだろうしね。


見なけりゃよかった、っていうのが、本音ですよ。

2016-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20160108100757

アルトバリトンなんてそんなもんだ。

そのふざけた変化を歌い上げるのが醍醐味

ソプラノテナーみたいに極端に高音がなく音域が狭く一定なのがちょうどよい。

合唱経験者より。

2015-12-11

日本人はなぜプロ技能に金を払いたがらないか、という話。

演奏に代金は払いたくないのか(一部のコメントに対して。最初の文章から変わっています)|ソプラノ川上真澄の音楽とバラがいっぱい、時々子育てブログへようこそ!


 約めて言えば、会社における社員教育のせいだ。それと「仕事」に対する意識の違いだ。

 アメリカ会社大手であればあるほどいわゆる「即戦力」を取りたがる。何かしらの技能資格、実績を有している人々をリクルートするのだ。だから、しぜん中途採用が多くなる。つまり最初からプロ」として雇われるわけだ。

 対して日本会社はいわゆる新卒一括採用を行う。たいして技能も実績も持たない純真無垢な新人社員OJTで実地教育していく。このとき社員たちは様々な分野の部署たらい回しにされる。どの部署についても一定の知識を得られるように、よくいわれる「ジェネラリスト教育ってやつ。

 しかし、このジェネラリスト教育に罠がある。というか、教育後の人材の使い方に罠がある。

 アメリカ会社員プロフェッショナルなので、基本的自分の分野外の仕事はできないし、仮にできたとしてもしない。日本ではよくある「君、◯◯もできるって言ってたよね? ちょっと助けてよ」が通用しない。なぜなら、それは契約にないから。もしその人から助けを借りたければ、金を払って雇い直すしかない。

 一方で、(まあ企業にもよるけど)日本社員はそのへんかなりユルユルだ。極端な話、全然自分とは関係ない他部署特別技能を発揮して手伝ったところで、お礼なんて感謝言葉と、よくて飲み代のおごりくらいだろう。「会社は仲間なんだから家族なんだから、親切(ただばたらき、と読む)にするのがあたりまえじゃん?」という意識だ。持ちつ持たれつってやつ(自分のほうが持つとは言わない)。

 それだけじゃない。こうした仕事における「境界のゆるさ」はどんどん拡大されていく。

 まず日本人仕事とそれ以外の時間をあまりわけない。国勢調査かなんかのアンケートに出ているが、日本人人生優先順位トップにくるのは「仕事」だ。その意識トリクルダウンを起こした結果、「仕事外の時間仕事の話をしてもいい」という変な慣例ができる。

 たとえば、「飲みニケーション」といわれるものがそれだ。日本企業で働く外国人はよく「ニホンジンは飲み会業務に関する重要情報交換を行うカラずるいデース」と愚痴る。そう、業務時間外に仕事の話をしあうのは彼らにとって「ずるい」のだ。一時期の喫煙室なんかもそうした役割を担っていた。

 そして残業サービス残業。これについての説明不要だろう。文字通り、自分時間会社のために捧げているのだ。タダで。

 

 

 こうした仕事人生、公私の境界線がゆるゆるになっていった結果、さらりまんたちの倫理メルトダウンしてくる。

 彼らはニコニコ動画youtube にあげられているちょっと面白い専門技術を持った面白い人々の動画を見て、あるいは pixivイラストなどを見てこう思う。

「この人たちは『親切で』こういう面白いものを公開してるんだ。良い人たちだなあ」

 そこに奴隷収奪するプランテーションオーナーのような攻撃意識はない。むしろ、彼らはプロフェッショナルに「好意」を持って「讃えて」いるのだ。

そこには「この人たちは『たまたま特別な才能や技能を持っていて、そういうものがあるんだから当然『親切』で芸を提供してくれるよな」という考えが底流にある。「尊敬」などはない。あったとしても「技能」ではなく、「態度」や「生き様」などといったその人自身人間性に対する部分への尊敬だ。

 日本の「芸」は大道芸人から〜「芸」は自分でも習えるから「芸」なのだ〜などというなまっちょろい歴史解釈説明づけなど及びもつかない残酷さがここにはある。日本人の「プロに金を払わない主義」は間違いなく近代日本社会が、私達が作り上げ是認してきた監獄なのだ

 私たち根本的な錯誤をしている。プロは「誰にでもできること」を「助け合い」のために使う人間ではない。「誰にでもできるわけじゃないこと」を「報酬」のために行使する人間のことだ。言葉で言えばまるで簡単だし、誰でも表面上は「そりゃそうだ」と思うかもしれない。でも、日常的に誰しもがプロプロとして扱えるように振る舞えるわけではない。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。なぜだろう。なぜそうできないんだろう。

 社員教育システム、そして仕事に対する倫理観根底から変えないかぎりこういう悲劇は今後も続くし、「プロ」は永遠に軽視されつづける。そしてこの国において「◯◯しないかぎり」という言葉は暗に「未来永劫実現しない」という意味を含んでいる。つまり、これが日本だ。がんばってはたらいていこうな!

2015-08-29

あの感じ。

アルトリコーダーを見た時のあの感じ。

そして、それに慣れた後に見るソプラノリコーダーのあの感じ。

あれこそ僕の、萌えの原点。

2015-08-12

カルピス

 あれはまだわたしがおぼこだった頃。おざなりな愛撫も、ちんぽの味も知らなかった頃。

 あの年頃の女の子には必ずひとり以上は好きな人がいた。それは話をしたこともないひとつ上の学年の綺麗な顔立ちをした少年だったり、汗ひとつかかないようないやみったらしい数学教師青年だったり。対象はなんだってよかった。好きな人がいることが大切だった。

 わたしだって例外ではなかった。わたしにも好きな人がいた。彼は同じクラスコンピューター部の男の子だった。彼はわたしにとっては好きな人の条件をしっかりと満たしていた。

 他の女の子たちは口を揃えて、ありえないだの、根暗男だの、乳臭い男だの、とにかく彼のことを罵った。「あなたに彼は不釣り合いだから。」って。わたしはあの不細工じゃがいも達より容姿に優れていたから、到底彼女達の手には届かないような、学年イチ顔が整っているサッカー部のあつしクンだとか、インターハイで2位になった水泳部のたつやクンだとか、そういう人を好きになって欲しかったんだと思う。本当に勝手。わたしはじゃがいものために描き下ろされた少女漫画ではないのに。

 根暗で乳臭い彼は好きな人に最適だった。彼は人に興味を示さなかった。顔は整っているし、気さくに話をするのに自ら人に踏み込むような会話をしているところを聞いたことがなかった。わたしはそこが好きになった。都合が良かった。話を避ける手間が省けた。おせっかいなブスがくっつけようとしても彼には取り付くシマがなかった。私にとってこんなに素晴らしい好きな人はいなかった。

 あの年頃の子どもたちは男女間で関わりを持たない。男と女の真似事をし始めてついには本当の男と女になる。お互いを強く意識して排他的になる。体が変わると考えも変わるのだろうか。

 わたしはその排他的空気だんだんと耐えられなくなって行った。彼もまた排他的空気に閉塞感を感じる一人だった。

 彼は射精を知らなそうな透き通った肌をしていた。ソプラノの声は永遠に失われないのではないかとさえ思えた。彼は周りの第二次性徴よりも遅れていたように見えた。彼は性に置いてけぼりを食らっていたはずだった。

 閉塞感に耐えられなくなっていたわたし達が歩み寄っていったのはごく自然な成り行きだった。これといったきっかけも無かった。

 ある日、わたしは彼の家で遊んだ大乱闘スマッシュブラザーズをしていた。Nintendo64いびつな形のコントローラーを握りしめて、ジョイスティックを壊れんばかりに倒して遊んだ。わたしはその日に初めてちんぽの味を知った。どうということはなかった。何の知識もない彼はコンドームも付けずに挿入した。わたしもわたしで何の知識もないものから、それを拒むことをしなかった。ただ、彼が精通を迎えていたらしいと、今になって気がついた。

 彼の家で飲んだカルピスが薄かったことを、今飲んだカルピスで思い出した。そうして彼の射精に思いを馳せた。

 品のない女。それにしても本当に、どうしてあの容姿射精などできたのだろうか。

2015-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20150703135355

元増田です。

課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、

ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。

オケだと中音域の厚みを担うのはホルンヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。

でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。

吹奏楽の低音はユーフォチューバコンバストロンボーンファゴットバスクラバリサク一見充実しているように見えるけど、フルートオーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。

最近サクソルンオーケストラっちゅーもんがあるぐらいにはサックス管楽合奏重要地位を占めとる。

個人的にはサックスクラリネット立ち位置交換するのもありだと思ってる。

確かにサックス表現力と豊かな倍音は魅力だと思う。

でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?

サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。

今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。

個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。

その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。

実はオケオケで、色々偏っている気がしてならないんだよね。

クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。

反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。

それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。

はいえ、アマチュア演奏家若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。

でも大河ドラマOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。

まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。

2015-06-22

こんばんは、どなたです

同僚に「小学生の頃にキャンプファイヤーで出し物をやるとき、観客が歌う出囃子(曲名不明)」の話をしたところ知らないと言う

歌詞はこんなの

こんばんは、どなたです

(演者: 「○○班です」)

ああそうですか

出し物はなんですか

(演者:「△△をやります」)

ああそうですか

ではどうぞ(拍手)

この「どなたです」「なんですか」と質問しといて「ああそうですか」という気の無いリアクションを返してくる腹立たしさが小学生当時ツボだった

実際の節回しとしては「あ〜ああ〜ああそうですかー」という感じで、そこを如何に小憎らしく歌うかが腕の見せ所だった

っていう話をしたかったんだけど、知らなきゃ伝わるわきゃないわな

軽くググったところボーイスカウトやら保護者会やらのブログがヒットしたけどどっかに動画ないかなー

の子供のソプラノから繰り出されるぶん殴りたくなるフレーズを同僚にも聴かせたいぜ

2015-06-16

http://www.ishiyuri.com/entry/2015/06/16/25-examples-of-male-privilege-from-a-trans-guys-perspective

これについて生物学男性性自認はXと女性の間のTSとして男性だけじゃなく女性にも(私からすれば)特権があり、必ずしも男性強者であるというわけでないという事を言いたい。また、これは私が日常的に感じたこ事も、社会を見てて感じた事も含まれてるのであしからず

あと私が主に反論したいのは男性ヘイトをしてる米に対してであって、むしろ男女ともにそのような障壁がなくなることを願ってることも強調しておく。

1. 髪が長くても問題ない。

髪が長いと切れだのキモイなど言われる。無論こちらは不潔にならないように気をつけてる。また、髪型も色々選べる。仮に男性が髪が長くてもお団子やツインなどをしてたらおかしな目で見られるだけ。

2. 服に関してレパートリーが多い。

私は特に(浴衣だけじゃなく紬、小紋)和服が好きなのだが、男性和服カジュアルなのは少ない。また、洋服でも女性パンツスカートを選べたりする。成人式行きたくないわ。

3. 女性男性よりも女性に対して共感を示す傾向があるし、(表向きでは)女性はあまり女性に対して反論をしない傾向がある。

4. 女性はそれであることによって見逃してもらえることがある。

女だからいいということで見逃してもらえてる人ってかなりいる。もし男性がやったら叩かれてるようなことも……。

5. 痴漢冤罪を被せられる可能性がある

女性なら女性であるというだけで冤罪確率が大幅に減る。

6. (家庭内での大掃除等も含めて)肉体労働押し付けられない。

私の筋力は運動がある程度できる女性並みである。また、女性と買い物を手伝う際荷物持ちにされることも。

7. 責任押し付けられにくい。

特に私は姉弟(兄妹)の中で一番上であり、何かとあると2歳下の妹と9歳下の弟の面倒を見ろと言われる。無論妹は私ほど弟の面倒を見ろと言われない。また、家事等も私の方に振られる傾向がある。

8. (私の場合だが)趣味に対して文句を言われにくい。

裁縫が好きだが好きなこと、上手いことが分かったりすると変な目や好奇の目で見られる。また、料理掃除に関してもそう。特にお菓子作りが好きでも女性ならある程度当たり前だったりする。

9. 体毛を剃っても問題ない。

男性で毛の処理をしてると変な目で見られる傾向にある。また、そういった事があるため小学生の頃から好きだった水泳をやめる事となってしまった。もし泳ぐ必要あるなら着衣水泳してます

10. 化粧をしても問題ない。

こっちは主に男性ホルモンのせいで女性より肌が綺麗でないのですよ……。

11. 他者に甘えることができる。

男性がやるとまずおかしな目で見られるか、弱虫などと罵られる。

12. 少女漫画BL作品を(特定グループ内)で問題なく楽しめる。また話せる。

また百合についてもある程度女性好きな人がいるため、話ができる。

13. 甘いものが好きでも問題ない。

14. 女性男性より行動範囲が広かったりする。

CAトイレ掃除とか女性だけだよね。ある程度、もしくは何らかの理由があれば男性テリトリーに入っていける。買い物の際も男性が(小物、服等)女性向けのところにいると変な目で見られる。

15. 女性であるというだけで大切に扱ってもらえる。

私と妹の差って何言いたいくらい違う。(学業運動に関しては私のほうができる。) こちらが何かする必要があったら自分でやれと言われるが、妹の場合は親がやる。他にも学業成功をさせないとダメというプレッシャーが私よりはるかに少ない。(実際に親や親戚から急かされてない。)また、全般的に言えることだけどデートの時、男性は右側を歩く等をしてもらえる。

16. 微笑むだけで話が進む。

男性なら笑ってるだけじゃわからんだの何だの言われる。もしくは、キモいだの優柔不断と言われる。

17. 女性キャラゲームをしてるとネカマ/オカマロリコン、もしくは変態と言われる。

LoLAnnieとLuluしか使えないのだけどロリコンと言われる。モンハンの時はオカマ扱いだったかな。オカマTGは違うんだけどねぇ。

18. 助けを求めると動いてくれる。

男性なら男なんだからと言って断られる。

19. 子供は好きと言っても問題ない。

もし言ったらロリコン扱い。絶対に言えないし、子供をあやす上でできることの範囲が全く違う。

20. 馬鹿なふりをしてもそれで通る。

男性で知らないふりや気づかないふりをすると叩かれることが多い。

21. 女性向けのサービス等がかなり多い

TOHOシネマズの割引で男性向けのは無い。

22. 時間外でも女性専用車両に乗っても邪険な目で見られない。

(つくばエクスプレスでは)時間外でも女性専用車両には女性が多いし、男性が極端に少ない状況で乗ると邪険な目で見られる。

23. 趣味の一つの写真女性の方が撮れる範囲が広がる。

女性であるというだけで相手に与える不信感等が減る。それ男性がやったら変態だの〇〇に気があるのかよなど言われる可能性大ですよ。

24. 離婚した際子供親権を取りやすい。

父親の8割が親権を取れてない。私もできれば父親側に行きたかったです。

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以下のことは男性女性どちらに言ってもしょうが無いことだけど一応。

25. 性欲に支配されずに済む。(傾向がある、のほうが正しいかな?)

男性場合射精をしないとイライラしてくるし、朝起きた時下着が汚れる。

26. 声変わりの変わり具合が小さい。

今でもソプラノアルトを歌えたらと思うことは多々です。

26. 子供を産める。

どう逆立ちしても無理ですから技術的にはiPS細胞を使えば女性同士でも子供は作れますから

最後の3つ以外については社会が変わってけばどうにかすることができる問題から、互いの障壁がなくなるのが一番なんですけどね。

2015-02-14

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして・続

承前

http://anond.hatelabo.jp/20150214223556

9. スティーヴ・レイシーソプラノサックス

Steve Lacy (1934-2004)

――スティーヴ・レイシー独立独歩ソプラノサックス奏者です。サックスといえばアルトテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。

Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s

( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。

――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系古本屋の主人みたいなところがあります

( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。

――白水社といえば、レイシーはサミュエルベケットと面識があって、ベケットテクストに基づいた作品も発表しています

( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」

――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏どうでしょう

( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。

――そういう点では、プレイヤー資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式バンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]

Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc

――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。

( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。

――でも美しい。

10. ビル・エヴァンスピアノ

Bill Evans (1929-80)

――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本いちばん人気のあるジャズミュージシャンビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナー裾野は広いかもしれません。

( ・3・) 俺でも『ワルツフォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?

――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それからロマン派印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンス聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。

( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。

――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。

( ・3・) ダウナーな面も併せもった音楽だと。

――はいエヴァンスチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネ代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものからフランク・シナトラヴァージョンです。

My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4

( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.

――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディラン新譜シナトラカヴァー集らしいのですが、ディラン子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。

My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs

( ・3・) 出た、いけすかないイケメン

――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。

My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU

( ・3・) 速い。

――速い。そしてちょっと信じられないクオリティ演奏です。ジャズはいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください

( ・3・) 別に心配はしていないが。やっぱり即興なのか?

――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。

( ・3・) コード構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。

――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間ゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種テレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります

( ・3・) このギターを弾いてるのは?

――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルース伝説がありますが、ジム・ホール場合は魂ではなく頭髪を犠牲しました。

( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。

――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーバンドいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びます芸術永遠です。

( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。

おいとま

持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。

「もう帰るのか?」

はい。きょうはもうおしまいです」

「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃんお客様にご挨拶だ」

彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。

「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」

「置いていっていい?」

だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケ弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」

それから

まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだわたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。

Further listening

http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975

[1] http://www.redbullmusicacademy.com/lectures/steve-reich-the-music-maker?template=RBMA_Lecture%2Ftranscript

[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html

[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/

[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."

[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"

[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html

[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111

2015-01-24

ジャズは古臭いと思ってるあなたに捧げる10

今この増田を読んでるあなたは、「ジャズ」、と聞いたとき、何を思い浮かべますか。

十中八九、そこらへんのファーストフード店喫茶店で流れている、”おしゃれ”な音楽を思い浮かべるでしょう。あるいは、スウィングガールズ効果で、吹奏楽界隈でも一時期流行ったSing Sing Singのような曲も、頭の中で流れるかもしれません。

これは、まさにそうした人々のための増田です。広いジャズ世界の中でも極々一部の曲を聴いてジャズを知った気になる、あるいはジャズはどこか古いものだと思ってしまう、これほどもったいないことはありません。

前置きが長くなりますが、以下から本題です。動画サイトへのリンクも張っておいたので、気に入った方は今後のジャズ界の振興のためにもAmazonなりiTunesなりなんなりで高音質のものを買ってください。

"Not Yet" by Michle Camilo

http://youtu.be/tZOCdrwGch4

最高。何も考えずに聴きに行くべし。

これだけだとあまりにも不親切だからもう少し何か書くと、Anthony Jacksonのベースライン聴くだけでも絶頂できます

"Barcelona" by Metropole Orkest

http://youtu.be/-GcTk91J0iE

二発目は稀代のコンポーザー/アレンジャーVince Mendozaを擁するメトロポールによるバルセロナ。聴けば分かるように、オーケストラビッグバンドコラボレーションが、一昔前の映画音楽でよく見られたような、ストリングスストリングス独立していて、前でなんかジャズの奴らがごちゃごちゃ遊んでいるというものではなく、不可分のものとして一つの芸術作品を作り上げていますはい意味が分からないという人は、ぜひ一度だまされたと思って聴きに行っていましょう。

"Cerulean Skies" by Maria Schneider

http://youtu.be/HS-x4-_tCAE

演奏慶應義塾大学Light Music Society通称慶応ライト。恐らくこれを聞いた人は、これがジャズなの!?と驚くでしょう。ジャズです。心が洗われるような、美しいその音楽性には涙を流すほかありません――大自然の息吹を感じるのです。Maria Schneiderはこの他にも多くの曲を出していますが、初期のアルバムもっとジャズ色が強めな一方、最近アルバムクラシックにかなり傾倒しているので、この曲が収録されているSky Blue前後作風が好きです。

ちなみに、この演奏は生で聴いていました。

"As Seen from Above" by Jan Garbarek

http://youtu.be/Fzeb7paMftM

これもまたきれいな曲です。前曲よりもフュージョン寄りですが、ドンキーコング2のとげとげタル迷路と、どことなく似た雰囲気を持っていると思いませんか?独特なソプラノサックス音色と共に歌い上げられるメロディミニマル雰囲気を生み出しているバック。気分は海の中に漂っているようです。少なくとも私は広大な海原に一人放り出されて息を止めたまま海流に流されるままの自分夢想しながら聴いています

"Expansion" by The Orchestra

http://www.nicozon.net/watch/sm9452541

北欧ビッグバンドでは有名どころの一つです。ディスコ音楽ジャズの融合という、見た目だけだとゲテモノ間違いなしですが、いざ聴いてみると違和感はありません。まあ、もともとジャズもみんなで楽しく歌って演奏して踊るものだったのですから親和性は元々高かったのでしょう。映像からも分かるように、踊っています。というか、思いっきディスコです。ちなみに、このバージョンショート版で、アルバムにはロング版が収録されており、ロング版のテナーサックスソロは必聴です。

"Tortoise and the Hare" by Yellow Jackets

http://youtu.be/hMGz0-fJ-Xw

Yellow Jacketsのナンバーはどれもかっこいいのですが、今回はこの「ウサギとカメ」をチョイスしました。ピアノの美しいイントロドラムによって加速するドライブ感、そしてサックスのどこかゆったりとしたフレーズと絡み合うせわしないピアノ――ここに、ウサギとカメの名称の由来が来ているのだと私は勝手に思い込んでいます。これはかっこいい曲だ。

"Return of the Kung Fu World Champion" by上原ひろみ

http://youtu.be/rk7_dXIKt0Y

みなさんもグラミー賞を取ったということでご存知の上原ひろみ。ですが、この人の曲を実際に聴いたことがある人ってどれくらいいますか?ということで、数ある曲の中から、変わり種に入りそうな、シンセサイザーがかわいらしくピコピコ鳴っていて、どことなく8ビット香りも漂ってくる、ただでさえ聴いていると体力が奪われるのに、ライブから余計に疲れる、カロリーの高い曲をチョイスしました。目まぐるしく変化していく曲調にあなたは目を回すこと間違いなし。

"First Circle" by Pat Metheny

http://youtu.be/LEmL6tIaYWU

ジョジョエンディングテーマ演奏していることでネット界でにわかに脚光を浴びているPat Methenyによるナンバー。この人も良い曲をたくさん持っているのですが、今回はメセニーらしさがぞんぶんに出ている曲を選びました。よくわからない拍子、男声ヴォーカル、爽やかな雰囲気はい、メセニーですね。ただ、こだわりのエレキギターの音を聴けないのが残念です。

本当はメセニーの世界を余すところなく堪能できるOrchestrionを紹介しようと思ったのですが、長すぎるのでやめました。

"Phobos" by Darcy James Argue's Secret Society

http://youtu.be/bEd6fIq-WnM

名前からして古臭さを一切感じさせないですね。フォボスとか、宇宙にまで行っちゃいましたよ。そしてこのバンド名も厨二病溢れる名称。曲も退廃的な雰囲気を漂わせちゃって、なんか厨二病っぽいです。テナーサックスソロ厨二病っぽいです。

"Toys" by Vertu

http://youtu.be/9NcEo9I_flU

曲調がしょっちゅう変わる曲その2。とにかくにぎやかで豪華で壮大で荘厳でいかめしくていかつくて以下省略。とにかく聴いていて飽きません。疲れません。おなか一杯になりにくいです。上原ひろみのものと比べたら、耳にやさしいです。あえて無駄にでかい虚栄心を張ったスケールの曲なので、ラストにふさわしいでしょう。

いかがでしたでしょうか。

ジャズの新たな世界は開けましたか

2014-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20140720193354

声楽でもよくある

特に単声合唱最上声部、その中でもさらに女声のソプラノより男声のトップテナージャイアン出現率がかなり高い

2012-02-04

僕はバカだから・・・

アルトの綺麗な声を聞いたときに、アルトの歌をうたえばいいのに?って思った。

でも、きっと、ソプラノを歌うだろうなって思った。

ソプラノを歌ってた。

2010-10-26

中・高といじめられてた。

「臭い」、「きもい」、「アトピー肌でフケだらけwwww」とか言われてた。

給食はなかったから購買で毎日一人でごはん食べてた。

学園祭で、部活優先していたら勝手部活発表の時間とぶつけられて「死ねよ糞が」とも言われて、

みんなの前でごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいって土下座して謝って泣いてた時もあったけど、担任は「人の話を聞かなかった奴が悪い」

合唱大会も声質が高いからソプラノパートにしてください、って頼んでも「運動部の子は練習あるんだからお前はメゾなんだよ!!」案の定声が地声になって怒られ、隣のクラス廊下で一人歌わされた事も、(よかったことは隣のクラスの子が可哀想だからやめなよってフォローいれてくれたこと)

修学旅行も偶然ひどい生理になって一日風呂に入らなかっただけでキモイ汚いの連続言われて、

しまいには部屋の鍵投げつけられてひかれた布団は2メートル以上離されて悪口ばかりとしてたあいつらと「我慢しなさい」の一言で片づけられた時ほどみじめなことはなかった。


自分の話題ばっかになったけど、

群馬小6自殺事件」の少女、あまりにもかわいそう。

先生たちは子どもを守れなかったんだよ!!

子どもを守るのは親と教師だろうが。

保健室に連れて行くとか、道徳なり生徒指導なりで指摘できなかった訳?

教育学学んでるけど、クラス担任・保健の先生主任校長、組んで「いじめ対策」しなかったのかよ、ありえない。

手持ちが高校の学指導要領解説特別活動しか持ってないけど、それでも「教師と生徒との相互理解し、個々の生徒についての理解を深めながら指導・援助をすべき」

生命の尊重と安全な生活態度」指導についてもあるし、給食についても「心を開き、明るい雰囲気の中で望ましい食生活と豊かな人間関係の育成できるように配慮し、実施することが大切である」

できてないじゃん。

大体、親が改善要求出してるんだから聞けよ。

モンペとして扱ってたようにしか思えない。

それでも一生懸命敵しかいない「学校」に行っていた、っていうのが偉いなぁ(´;ω;`)


総じて言えるのはいじめてるやつは人間クズクズ以下。

この事件の校長、教務、クラス担任は「教育」、「生徒指導」とはなにかもう一度考えてから出世すべきなんじゃないですか?

2009-12-13

声楽でのカースト

女子>男子

高声>低声

ソプラノ>>>(越えられない壁)>>>テナー>>>バスアルト

ソプラノはちやほやされ、贔屓される。

かくしてソプラノというだけで、いかにも偉くなった気分の女王様気取りの女が続出する。

アルト女性から男を略奪して良妻賢母を気取るソプラノ女が後を絶たない。

2009-11-05

(New York) Hell Sonic Bullet。

多分幻聴だと思ってはいましたが、「まるで始まりの合図のように、パーンという乾いた音がしました。」

「えーっと。コレは何かの挨拶?」まさかね。などと口走った矢先から『キリンタイム』だったので、

まったく洒落に成っていないシャレ。を菊地殿から初めて聞く日が来るとは...。としばし青ざめ、

(だって『構造と力』も『(フランツ・カフカの)アメリカ』も半ばアカデミズムを気取った品の良い洒落のつもりだったでしょ。

今回下品だと言っている訳では有りません。寧ろ綺麗にボディーに入ったので苦笑いしております・笑)

爆音再生中です。だって元々フルヴォリューム指定じゃないですかこれは。半分でもこんなに耳が痛いのに。

多分幻聴だと思ってはいましたが、『New York Hell Sonic Ballet』が出た模様です。

因にアマゾンでは

ニューヨークの、地獄音響で踊るバレエ菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの、北米オペラバレエサルサへの第一接触。 前作「記憶喪失学」から一年菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの最新作がついにリリース菊地成孔は本作でクラブダンスフロアに、オペラ/バレエというクラシックを持ち込み、今まで誰も聴いたことのなかったハイブリッドダンスミュージックアルバムを完成させた。マイケル・ジャクソンピナ・バウシュマース・カニングハム、マサカー、NO NEW YORK等、80年代初頭以降のニューヨークイコンアルバムの随所に散りばめ、ミニマル(現代音楽)やモントゥーノ(ラテン)、またはパンクロック、そしてソプラノ歌手を起用したオペラを用い、菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラールにしかできない、クラブミュージックマナークラシックマナーの見事な融合を実現。菊地のボーカルトラックも2曲収録の、菊地成孔の超先鋭的なコラージュ感覚がもたらしたペペ史上最高に“踊れるアルバム”ここに完成。 初回プレス限定“ペペ・トルメント・アスカラール ステッカー”付き」

などと盛大に紹介されています。

これを見て飯を噴いたのは言うまでもありません(笑)

                                          〜T.H.

2009-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20090312233645

この流れの中で、目に留まるかどうかもわからないし、本当は増田じゃなくてblogで書いてもよいのかもしれないけど。

http://slashdot.jp/~TarZ/journal/450116

http://noroom.susumuhirasawa.com/modules/H3/2008/08/23/dhuooea/

ミュージシャン平沢進自己音楽にひっそりと取り入れていた例です。

だから女性の声は全部アレだと言っているのだ。磨けばプロになると言っているのだ。ソプラノだろうが何だろうが徹底的に調整すれば出るのだ。ちなみに「白虎野の娘」も「確立の丘」のコブシ回しのお姉さんも皆同じエンジンだ。

僕はこの曲のコーラス機械で作られたものだなんて一瞬も思わなかったし、何度聴いてもすごく厳密に計算された、音楽的なものだと感じる。

元増田には是非聴いてほしい。人間VocalVocaloidは別の楽器だ。サックスが生まれてもクラリネットやその他の楽器存在にまったく影響を与えなかったのと一緒で、別物として処理されるべきだ。

2007-11-05

いや、そのりくつはおかしい

君は実にバカだな

僕は、彼が猿たちの群れに呑みこまれて、文字通りの意味で呑まれていくところを見ていた。彼は絶叫し絶命した。肉はなめるように味わいつくされ、筋や内臓や骨に至るまでしゃぶりつくされた。のどごしさわやかあとあじすっきり。猿たちは、芸術のわからぬ若者に鉄槌を下したと、キーキーと喜んでいた。

だが、ちょっと待って欲しい。

100匹目の猿なんてただの作り話だし、現実問題として猿がシェイクスピアを書くはずもない。じゃあ彼はどうして「猿の小説」なんてものがあると思ったのだろう。これはおかしい。まったくもって不思議だ。驚天動地大山鳴動吃驚仰天天地無用のミステリーだ。そう思わないか。

では、推理してみよう。一番目、彼が読んだ小説は彼自身の妄想に過ぎなかった。二番目、彼は人間が猿に見える奇病を患っていた。三番目、そもそも最初から彼は幻覚をみていた。…この三つの可能性が考えられるだろう。他の可能性はオッカムのザ・ハンドによって削り取られました。ううむ、しかし、三つに絞られてもなお、手がかりなしには解決できないような難問だ。これは困った。

さて、ここに一つの手がかりがある。僕である。他でもないこの僕。僕は、彼が猿たちに食べられてしまうところを、最初から最後までじっくりと見ていた。凝視していた。つまり、三番目と二番目の可能性は否定される。一番目の可能性も、僕がいま手にしている小説を見れば否定できる。これは困った。いきなりすべての可能性が消去されてしまった。なんという難問だろうか。

だが、ちょっと待って欲しいPart2。

僕自身、人間が猿に見える奇病を患っているという可能性はないだろうか。僕と彼は同じように人間が猿に見える奇病を患い、人間が書いた小説を猿の書いた小説だと思いこみ、そして彼は人間に食われたのだ。どうだろう。ありえないように思うだろうか。だが、それを否定できる要素はない。

消去された可能性のなかで最もありえない物が真実である、だったかな。そんなことを言った偉人がいたと思う。どうやら今回もそれらしい。つまり、僕は人間が猿に見える奇病を患っているのだ。これはびっくりだ。では、僕の腕、この毛むくじゃらの腕は、実はすべすべしているのだろうか。僕の真っ赤な顔も、本当はつるつるで生白いのだろうか。このガラスを引っかいたような金切り声も、美しいソプラノヴォイスだったりするのだろうか。信じがたいことだけど、信じるしかないようだ。なにせ、消去された可能性のなかで最もありえない物が真実なのだから。

つまり、僕は人間だったのだ。

2007-09-23

理系文系の区分けなんて、ソプラノアルトパートわけのようなもの

私はまだ幼い頃、しばらく合唱と取り組んでいた。部活動とか OB の集いとか、要はクラス合唱に毛の生えたようなものだったけれども、クラス合唱レベルでは体験できないうたやオンガクの世界を垣間見ることができた。

でもって、クラス合唱や授業での合唱かそれ以上のことをやったことあるかたならば必ず経験のある儀式パート分け。声(音域)が高いからソプラノテノール)、声が低いからアルトベース)、に分ける、と思っている人が多いのではないだろうか。ほんとうは違う。これは、理系文系の区分けと実によく似ている。

実際、普通の個人の発声できる音域の差というのは、そう大して違うものではない。簡単にいうと、存在するのは「ソプラノ向きの声」と「アルト向きの声」だ。プロを考えてみればわかる、3大テノールの人は、ベースの音域が発声できないか、そんなことはない。充分カバーしている。(ではベースの人が世界レベルテノールが歌う高音域を出せるのか、というと、それは流石に無理だし、逆も勿論そうだ。しかしそれは飽くまでぎりぎり限界まで追求するプロ同士の場合の話であって、通常の合唱曲のパートぐらいならば余裕だろう。)

しかし現実には、クラス合唱などでもありがちな話として、ほんとうに喉から音が出ない、という物理的な制約からパートチェンジを余儀なくされることはある。「○○ちゃんと一緒のパートじゃないとヤダ」とかいう中二的な物言いなんかあったりして、懐かしい(まさかと思うかもしれないが、女子だけではない、男子でもこういうことを言うのを目にしたことがある)。身体ができあがってなければ正直なところ声はできあがらない。まだまだ未熟…というか、ほとんど取り組んでもいない状態で、これからどう伸びる可能性があるかわからない状態で、パートわけをしなくてはいけないのだ。たまたまそのとき高い音が出しづらいだけかもしれない。たまたま低音が乗っているだけかもしれない。(もちろん、「ハモリパートが好き」とかいう単に音楽的に器用かどうかがパート志望の理由になることもあるし、「主旋律じゃないと歌った気がしない」なんていう(楽して)目立ちたいかどうかだけがその理由になることもある。)ただまあ、ひとつ言えるのは、中学生変声期も迎えたかという頃になんなんとすれば、多くの人にだいたいその「片鱗」は見えてくるものだ。私は合唱の指導の経験はないが、ときどき街中を歩いていて聞こえてくる喋り声を聴いて「ああ、この人はソプラノかな、高音域の楽声を聴いてみたいなあ」とか「この低音の充実感はアルトだろうな」とか思うことがある。因みにしゃべり声の高低と合唱におけるパートは無関係ということも多く、地声が高くてもパートアルトの人もいるし、地声がガラガラでやんちゃなのにソプラノの人もいるのだ。(…ただし、私の「妄想」が合っているのかなんてわからないのだけど。)

もうひとつ、現実には「パートバランス」という切実な社会的要求がある。個人の資質をどれだけ正確に見極め、適切なパートに放り込んだとしても、合唱全体が「頭数」としてそのバランスでいいといっているかどうかはまた別問題だ。高々数十人という狭い範囲内(社会)で、これは解決されなければならなくなる。「どっちでもできそうな人」や「正直どっちとも微妙な人」などが、パートを移動することになる。勿論この「パートバランス」に関する要求というのは、歌われる楽曲によってそれぞれ異なる。だから、場合によっては、曲の部分部分で「あなたとあなた、ここだけアルトを手伝ってね」とかいう「手」もたまに使用されたりする。さらに、テノール人間アルトを手伝ったり、なんてこともないわけではない。

(「どっちとも微妙な人」(つまり、合唱全体の中では声量的に貢献しないんじゃないかという人)を動かして意味あるのか、と思う人もいるかもしれないが、これがまた合唱というものの不思議なところで、案外意味があったりするのだ。)

でもって実際、歌い始めてみると、「音域」と呼べるほど音程が異なるのは曲の中でもそう多くはなく、ほとんどが 3度 とか 6度程度。1オクターブも違いやしない。通常の流れでは「音域」はほぼ重なっている。単に「役割分担」程度の話。クラス合唱なんかでパート分けをなかよしグループ分けか何かと同一視する病理をあながち一笑に付すこともできない。

楽曲が高度になってゆくと、パート内で「ディビジョン」が頻繁に発生する。通常、合唱団では、ディビジョンした場合のパート分けは決まっており、例えば私はセカンドテナーテノールの下のほう)だった。男声四部の場合は通常上から 2番目を担当することになる。トップテナー担当することはあまり無かった。私の同期に私よりも適任がいたからである。ただし楽曲が高度になってゆけばゆくほどこの予め分けた「パート分け」は強い意味を持たなくなってゆく。

個人の資質というところでみると、例えばソプラノだったら高い音を出す練習ばかりしていればいいか、というと、そんなことはない。全音域を練習し、充実を図り、音域を広げる努力を続けることが、ひいては自分の得意な音域を充実させることに繋がる。

こうしてみてゆくと、パート分けにかかるあらゆる事項が「文理分け」と酷似していると言える。まだ習いたてもいいところの数式を目の前に「得意・不得意」を判断し、たまたまあたった先生のその授業で「苦手かどうか」「伸びうるかどうか」を判断し、また判断される。実際は、もっとあとに決めたい。でも、あとでは遅い。いま、決めなくてはならない。そんな中、「どっちつかずの人」とか「正直どっちでも同じようにできそうな人」なんてのも必ず出てくる。周りがどう見ても「こいつは理系だろ」と思うのに、「自分には将来やりたいことがある」と、文系科目をさらりとこなして進学してゆくようなのもいる。

理系だからといって物理数学ばかりやってればいいというものではない。様々な分野を習得し、深めてゆくことにより、ひいては得意分野についても実力の「底上げ」が図れるのである。

合唱おもしろいソロでは決して為し得ない音楽をつくり出すことができるのが、合唱だ。しかし、全体として少々高度なことをやっていこうと思うと、たちどころに構成員の個人個人の資質がその成果へと反映してゆくのだ。この点も文理を基準として見た場合の社会のありようとすさまじく似ているといえよう。

個人で何かやろう、事業でも起こそう、なんて思った人にとって理系文系がどんどん関係なくなってくるのも、そうだ。曲を構成できる音域を全てカバーしなくてはならない。苦手な音域も多少の無理をしつつ広げていかなくてはならないかもしれない。でも、そういうのが向いている人もいる。向いていない人もいる。

いま、その分野で、自分は「鳴って」いるか。「響いて」いるか。これからのひとは、長い目で見て、そのパートを気持ちよく充実して歌いこなせそうか。そのための鍛錬ができそうか。そんなふうに考えてみるのもいいかもしれない。

「その音域が出せるか」ではない。誰だって出せるのだ。「その音域を響かせることができるか」「その音域をよく鳴らせているか」。

2007-08-22

ニコニコ見ててリコーダーが吹きたくなった人へ

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