はてなキーワード: 隠れキリシタンとは
2021/7/3北とぴあ
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NYMC Japan
柔らかな響き。アカペラならではのよく聴きあった融ける和音が魅力的。2曲目は、遠い大地から聴こえてくるような幻想的な部分と、力強いエネルギッシュな部分の対比がよかった。
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粋声
すげえうまい。もうプロでしょ。(感動したので言葉が悪くなりすみません)
各人の技量がとても高く、パート内の声が揃っており、和音が完璧。などと私ごときがテクニックを褒めるのはおこがましいので、曲の感想を。
隠れキリシタンのオラショ(祈り歌)をモチーフにした曲。潜伏の末にもはや意味がわからなくなったのであろう、ミサ曲の聖句の残滓が見え隠れする中、「瀬戸の潮騒…」と日本語があらわれ、江戸期のおそらくは貧しい人びとの暮らしが立ちのぼる。かと思えば強く鋭くアレルヤ、アレルヤ…!と歌われて、長い年月を経てなお信仰が「ある」のだと思わずにはいられない。
圧巻。
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2曲目、若く瑞々しい爽やかさを感じる。この合唱団によくマッチした曲だと感じた。コロナ禍のためあまり練習できなかったとの事だがよくまとまっていた。挨拶した学生さんから、やっと歌えて嬉しいという気持ちが伝わってきた。
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入場が楽しくてノリが良くて元気!
1曲目、万華鏡のように入れ代わりながらユニゾンになったり音がぶつかったりするのがカッコいい。攻めの姿勢の演奏が小気味よい。
2曲目、一転して優しい雰囲気。大切な女友達に誘われているようで嬉しくなる演奏。
3曲目、冒頭のアルトの、包むように支えてくれるところが好き。
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1曲目、グレゴリオ聖歌とおぼしき清潔なユニゾンの旋律が、ふわりと現代的な和音に広がるのがとても好き。
2曲目、ルルルの重く歌うところとスッと抜くところのコントロールがカッコいい。腹筋が使えてるのだろう、日々の基礎練習を讃える。
プロフェッショナルな上手さとは違うのだが、音楽を作る意志に溢れている。アマチュアが音楽するひとつの理想型では?!
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明るいノンビブラートの声で、丁寧に聴き合っている上品な演奏。少人数で、各自が和音の中での自分の役割を味わいながら演奏しているように感じた。
この人数で歌うのは怖いけれど楽しいだろうなあ…。
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「高齢化で…」と謙遜ぎみに挨拶されていたけれど、とても素敵な演奏でした。
女声はまろやかにつややかに伸びやかな声、男声はしっかりした支えで力強くも優しい声。
声がとてもしっくりと溶け合っていて、長年のご活動で皆さん仲良しなのだろうなぁと思います。
楽譜の音をただ出すだけでなく、曲を「歌って」いる、心がある。これもアマチュアのひとつの幸福なかたちだと思いました。
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1曲目「優しき歌」は混声版しか知らなかったので男声版に衝撃を受けた。やはりメランコリックで、混声版だとここが痺れるんだよ〜、という部分は期待を裏切らず心拍数を上げてくれる、たっぷりした演奏。ステキ過ぎる。
2曲目、斎太郎節系のワクワクする曲。エンヤトットじゃないけどベースの通奏低音ビートの上を高声が華やかに駆け回るケレン味!ロビーストームで聴いたら恋に落ちそう。
最高でした!
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オタクってのは根本的にオタクを嫌うように出来てるはずなんだ。
オタクって本当に風呂入らねーやつ多いし、髪整えないやつ多いし、人間とコミュニケーション能力が育ってないやつが多い。
そんな人間は嫌われて当然である。その上自分の痛みには繊細で、他人の痛みには鈍感で、言っちゃいけないことを平然と言いやがる。
だから嫌いだ。総合点で社会人としてアウトなやつが多すぎる。これは同族嫌悪である。
でも、清潔で、彼女がいて、ファッションに気を遣えて、面白い会話が出来て、社会に認められているようなやつがオタクを名乗るのもそれはそれで気に食わねえ。
当然だ。何が悲しくてリアルが充実してんのに二次元なんて逃避の場に来るんだよ。楽しい楽しい現実をエンジョイしろや。
こっちは嫉妬だ。
要するに、オタクはオタクだから根本的にオタクが嫌いだって話だ。ああ、この場合二次元オタな。ゲームアニメ漫画好き。俺は基盤オタとか切手オタとかああいう奴らの心理は知らん。
とにかく、人生を間違えて何故かアニメ漫画ゲームに生きる意味を見出しちまった人間達。それが二次元オタクだ。
人生のどこかで得るべき経験値を得られずに、コンプレックスと無根拠な自信の煮凝りになっているのがオタクだ。
俺はそう思ってる。
自己紹介を兼ねた純然たる悪口なんだけど、オタクは能力不足や社会に不適であることを個性と履き違えてるやつが多すぎる。
「君っておかしいやつだよね」って言われたら、むしろそれを喜んでしまう。悪口言われてんだぞ俺ら。
そういうのを総合採点されて「キモイ」って評価につながるのが何故わからん。
オタクはもっと社会に迎合するか、世の中に認知されないように隠れるべきだと思っている。
つまり最低限社会人として、オシャレして言動に気をつけながら、隠れキリシタンのようにオタ趣味に邁進するのが俺の中での良いんじゃねえかってオタク像だな。
何せオタクってのは根本的にキモいんだから、秘匿と隠匿をみんな身に着けるべきだ。
だがまあ、キモくないオタクもそれはそれで最悪なんだよな。やつらはおかしい。
スキルもあってリアルが充実して彼女もいるのに萌えアニメ観て可愛い~なんてほざいてるやつらは全員会社クビになれ。嫉妬だ。クソが。
とまあ、散々オタクの悪口言ってるけどサイドとしてはオタクサイドなんだよな。
オタクじゃないやつがオタク叩いて表現規制させようとしてきたり、見下してきたりするのはマジで許せねえ。何様なんだよあいつらは。
学校の教室とかで深夜アニメの話してたり「オタクに恋は難しい」みたいなオタクを勘違いさせる漫画に出てくるようなやつらはオタクじゃないからどうでもいいけどよ。
とにかく、正常であるってだけでオタクを叩いてくるようなやつらに立ち向かう術を俺達は持たなきゃいけないんだよな。
で、最初に戻るけど。
つまり俺はオタクだからオタクの悪い面も見えてるからオタクは無限に叩くよ。同族が同族を叩くのに理由は要らねえだろ。
オタクはオタクだから精神性の向上なんてできねーだろうけど、社会における上手い立ち回りみたいなのはお互いに叩き合う中でしか生まれねえからな。
だから叩く。
こういうやりとりが、上のオタクでもない癖にオタクを叩くようなゴミ共に立ち向かう何かを精製するんだ。
高スぺオタクはすまん、嫉妬で叩くよ。この二つが俺がオタクを叩く理由だ。
でも、とにかく、一番の敵はオタクでもねえのにオタクを叩くやつらな。
俺みたいにオタク叩いてるオタクは多いと思うけど、そこはしっかり意思統一して立ち向かうか、上手く逃げるか、上手く利用するかしていくべきだ。
たぶん、神への信仰っていうから日本人にはピンと来ないんだろうとは思う
これは信仰を持ちつつ信仰を疑ってなおも信仰を持ち続ける話だと自分は解釈してる
オタク変換すると、終わったコンテンツのオタクをやってて誰にも見てもらえないし評価されないし病院されたと思ったら迷惑な奴で、同人辞めようかな・・・と思うけど
やっぱりそのコンテンツが好きで大事で自分なりにしか愛せないけど一生ジャンル者だという覚悟を持つ話で、
自分がどうなろうとコンテンツが存在し、自分がコンテンツを知っていることが間違いなく救いであるのだと言っている気がする
コンテンツが物理的に自分に何かしてくれるわけではない、コンテンツが存在することこそが心の救いなのだと
ある意味でロドリゴはドルヲタに近いのかもしれない、ファンと仁とのEtarnalのような意気込みを感じる話だ
神に振り回されるのは慣れてるし、こんな奴なんだけど好きなんだから仕方ない。ロドリゴは神の信仰=魂を支えるから
魂は隠れキリシタンに受け継がれていくし、いつか神のDNAと混じり合うから
それがキリシタンと神とのEtarnalだし みたいな話だと思うわけだ
特にSteamの「そこそこ」有名なタイトル。CSに移植されるぐらいの知名度があるからどちらかといえばメジャー寄りの作品
インディー作品のマイナー中のマイナーみたいなやつじゃなくて、それなりに日本人ウケしたやつですらほとんど語れない
直近なら今月PS plusでフリープレイにもなったHollow Knightとか全実績解除するぐらいに好きなんだが、名前を見かけることがほとんどない
この手のジャンルを海外では「メトロイドヴァニア」なんて呼んでてSteamだとそれなりにメジャージャンルなんだが、日本だとマイナーなのか詳しい人を見かけないので作品も語れなきゃジャンルも語れない
ツイッターでゲーム好きそうな人間探しても特定の作品に特化してる人間は見つかっても、浅く広くみたいなタイプが全然居ない
ゲーム好きなコミュニティを覗いても、最近の作品はちょっと…とかレゲー/インディーはちょっと…みたいな人ばっかり
RPGが好きな人でも、それは好きな作品がRPGだっただけで、昔のRPGから今のRPGというジャンルを語れる人があんまり居なくて不完全燃焼になることがよくある。他ジャンルも然り
じゃあ複数のコミュニティに所属すればいいって思うじゃん。実際自分もそう思う
でも見つからねえんだよ。みんなどこで活動してんだよってぐらい見つからない。Discordのコミュニティはそもそも探し方がわからねえし
厚労省のHPに性同一性障害は病気じゃないってクレームが入ったって聞いてスペースキャット
調べてみたらWHOも性同一性障害を性別不合として精神疾患から外しちゃったらしい(性の健康に関する状態でセクシャルディスファンクションとかと同じ分類)
病気じゃない=障害じゃないみたいに結びつける人まで出てきて大変なんですけど心と体の性別が食い違ってるとか障害以外の何がある?個人的には精神疾患だと思うけどWHOに否定されちゃった☆やっぱWHOってクソだわコロナにマスク意味ないって言ってただけある
でもこの場合精神疾患だったら精神を治療しようとすると心の自殺になるのかな? 自分は怖くてできないです
今この瞬間の自分が忌み嫌ってることを明日の自分が喜んで受け入れると思ったらほんとに辛いし吐きそうだし肉体殺す方がまだ怖くない、実際怖いから自殺すらできてないんだけど
未成年だから遠くの病院に行くのも大変で診断とかできてもらえてないから自称するのも気がひけるんだけど、それなりに悩んでる当事者としてはわりかし迷惑というかこれを発端に病気じゃないから子宮取れませーんとか言われたら(被害妄想)と思うとストレスでホルモンバランス崩れるわ、元から整ってないけど
どこからどう見ても健康な体で生殖機能も万全なのに心の性別がーとか訳のわからんこと言って体にメスを入れたがってるやつを?病気じゃない?健常者?とでも?いいたいの?頭大丈夫?
美容整形と似たようなもんなんだから自己負担でやれよっていうのにはまま仕方ないわなって思うし金貯める気はあるけど病気じゃないんだから個性として尊重しないと!みたいな論調のやつには吐き気がする
こんな個性捨てれたら捨てとるわ
性同一性障害についての認識が10年くらい周回遅れな記事載せた厚労省も悪いけどこっちは病気だって思えた方がよほど心が軽くなるんだよ
外野がやいのやいの言うなって思うし同じ立場の人間がクレーム入れてんならお前は自己を肯定できて良いよなって卑下スタイルでdisっちゃうわクソ野郎だから
お前わかるの?バラバラな周期と重すぎる生理痛に苦しんでその前後もホルモンバランスの崩れで精神状態が不安定になってその度に泣きながら親になんで男に産んでくれなかったって責めてしまってようやく正気に戻った時に死ぬほど後悔する気持ちが?わかるの?わかってて病気じゃないって言うの?
残念でしたーーーーー!!! GIDのdisorderは病気とか疾患って意味ですぅーーーー!!!!!
性別不合は病気じゃないかもしれないけど性同一性障害は名前の通り障害なんだわ!!!!!2022年には移行期間終わるらしいけどな!!!!!全部ポリコレどものせい!!!!!!!
以下蛇足
生理痛辛いっていうと高確率でピル飲めば?って言われるけど女性ホルモンを自主的に増やす行為が隠れキリシタンの踏み絵並みに無理だから苦しむしかないんだわ
あのわざとらしさが、どうにも、耐えられない。
同じカネ払うなら、絶叫系のパラダイス、富士急ハイランドの方が一兆倍楽しい。
恐らく、「そもそも、おカネを貰っても、ネズミーランドなんか、行きたくない」という生理的ネズミーランド嫌悪者が、人口の2~3割はいると思う。
まあ、そういうネズミーランド嫌悪者は、カネ払ってネズミーランドに行かなければ、いいだけである。
だが。
浦安市は20年近く前から、成人式をネズミーランドで開催するようになってる。
浦安市の新成人と言えども、日本全体の「生理的ネズミーランド拒否者」の比率と、拒否率はそんなに変わらないと思う。
親はネズミーランドが好きで浦安市に越したのかも知れないが、その子供がネズミーランドが好きとは限らない。
なのに、「ネズミーランド嫌い」な浦安市新成人は、成人式でネズミーランドを押し付けられてしまってる。
幸い、自分は浦安市民じゃないが、仮に浦安市の新成人だったら「それを理由として」成人式を欠席すると思う。
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
何年も会っていなかった高校時代の人から、誘いの連絡があった。連絡をくれたのは同じクラスだったというだけの人だったので、警戒していた。
会ってみたら案の定、某マルチ商法の勧誘だった。断固拒否の構えで臨んだがそれだけでは面白くないので、私の実験に付き合ってもらうことにした。
私は10年来深夜アニメ鑑賞が趣味だったのだが、黙っていた。周りにオタな友人もいたが頑なに沈黙を貫いた。
長い人生の中では「きみって、アニメとか好きそうだよね~」と鎌をかけられることもあったが、「いやあそっちは守備範囲外で」としらばっくれ続けてきた。理由は語りだすと歯止めが利かない気がするから。
そんな隠れキリシタンの信仰のような苦行も終わりだ。もう二度と会うことのないその人は多少アニメが好きだと知っていたので、好きなだけ語らせてもらった。
最近の日常系アニメの傾向と対策、それから動画工房という制作会社のすばらしさをご進講差し上げ、絶対に見なきゃ損だと力説した。面食らっているようだった。面白かった。
後日、進めてくれたアニメ面白かったよと連絡がきた。もう二度と会わないが嬉しかった。
ちなみに、「小林さんちのメイドラゴン」と「となりの吸血鬼さん」は近年の非常に優れた作品なので見てない人はちゃんと見ような。
京都アニメーションのスタジオが放火され33人が死亡というあまりにセンセーショナルな事件が起きた。
衝撃だった。
憤りや悲しみ等様々な感情が渦巻いた。
でも私には何もできない。
しかしいくら関わりがないと言っても、同じ日本で、罪のない33人の命が奪われたということに対して胸が痛んでしまうのは仕方のない事実だ。
せめて私にできることはと考えれば、被害者が安らかに眠ることを祈るだけだ。
そこで私は上司に、昨日事件が起きたとされる10時30分になったら黙祷をするようにできませんかと提案した。
黙祷についてだけでなく、これ以上同じような事件が起きないよう、会社のテロ対策についてもう一回考えませんかと話をした。
それはできない、難しいと。何度話しても難しいの一点張り。
直接の関わりはないけれども、同じように真面目に仕事をしている最中にどうしようもない襲われ方をした人達が昨日いたんだよ。