宮崎勤事件のあたりからオタクをやっているような層の中には少なからずオタクは隠れ潜むべきだという主張をし続けている人がいる。当然過度なアピールやオタク的な話しかしないのは問題だろうが、そこまでかつての隠れキリシタンのように隠れ潜む意味ってどこにあるのだろうか?
過去に一度でも隠れ潜むことに意味があったのならまだ過去の成功に引きずられている人ととして扱えるけど実際のところそんな時代は存在したのか?
今みたいにオタクが普通に暮らせるようになったきっかけはエヴァやラブライブみたいに積極的に表に出ていったコンテンツによるものだと思う。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶと言うが、経験にすら学べない人はなんと呼べば良いのだろう
Permalink | 記事への反応(2) | 08:56
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言葉の綾だと思うけど、要はTPOをわきまえてねってことでしょ
隠れ潜んだ当人は隠れ潜んでる間心穏やかに過ごせたのかもしれないけど 隠れ潜んだことが全体として何かを生み出せたようには思えないよね。 まだ表で気持ち悪がられてたオタクの方...