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どうも。Appleが新しく発表したAirTag、すでにお買い求めになった方も多いのではないでしょうか?
私はそのAirTagと目下同じ領域の製品となるMAMORIOという紛失防止タグを開発・販売する日本のスタートアップをしています。
AirTagが発表され、様々なことがわかってきましたので現在のところの見解をまとめておきたいと思っております。今後変わる可能性はありますが。
Appleにとっても相当危険な賭けだろうなという認識です。ニッチ領域としてスタートアップがやるのと、世界一の企業がやるのとではユーザーから求められる水準や期待値がかなり違うはずです。現在の紛失防止タグという製品が抱えるそういった課題点をどれくらいクリアできているのか、あるいは今後向き合うつもりなのかが問われていると思います。
現在の多くの紛失防止タグが抱える課題点は大きく分けて3つあります。
探知精度、プライバシー、利用者の情報リテラシーです。それぞれについて解説します。
電波距離数十メートルのBluetoothを用いて追跡を行う場合、BTの範囲外においては第三者のスマートフォン端末の位置情報を活用してトラッキングを行う仕組み(弊社ではクラウドトラッキングと呼んでいる)があります。
MAMORIOではMAMORIOのアプリをDLして登録しているiPhoneとAndroidのユーザーのネットワークを通じてトラッキングを行っています。AirTagではこれをOSレベルで実装し世界中の全iOS端末で匿名でトラッキングで実施する仕組みだと説明されています。Appleではこれを何億人のユーザーが探してくれると表現していますが 、では果たしてこれは具体的に何%の確率で見つかるのでしょうか? 今現在アクティブな端末数は?見つかっている数は? ユーザーにとってはそれが真っ先に知りたいはずです。しかし、AppleはAirTagを探す手伝いをしたデバイスが誰のものか、Appleですらも知ることはできないと言っています。つまり見つかるかどうかはわからないし統計も取れないということです。あくまで探してくれる「かも」、見つかる「かも」、という仕組みの話を言っているだけになります。 Appleの製品であれば利用者も圧倒的に多いはずですが、それでも仕組み上 、人が訪れないエリアや電波が遮断された状況などでは見つけることは不可能です。つまるところAppleのいう「探す」ネットワークが果たして本当にどれくらい有効に機能しているのかは誰にもわかりません。あなたの想像の中にだけあります。
MAMORIOでは日々ユーザー間のすれ違いの数をアプリで誰にでも見れるように公開し改善をおこなっています。また端末間のすれ違いだけではなく、より確実に忘れ物や落とし物が見つかるよう全国鉄道会社700路線の遺失物センターに専用の受信機を設置し、設置場所をウェブサイト上に公開、地点名での位置情報を登録し落とし物が届けられたら見つかる仕組み構築しています。当然、AirTagの仕組みに比べたら遥かにユーザー数は少ないですし、100%落とし物忘れ物が見つかるわけではありません。だからこそ可能な限り真摯に事実を伝えることが大事だと思ってやっています。
Appleのやり方はこうした製品の前提となる説明を飛ばし、非常に作為的で不誠実な伝え方ではないかと思います。
また、位置情報の誤差の問題もあります。「探す」アプリで自分のiPhoneの端末の位置情報を見てもらえばわかると思いますが、自ら通信するiPhoneですら誤差が生じていてずれているのがわかると思います。屋内ではGPSの精度はかなり落ちるのです。ましてやAirTagは第三者とのすれ違いを活用する以上どうしても誤差が発生するはずです。また拾った人がAirTagの電池を抜いてしまった以降は当然追跡はできません。最後にあったはずの場所をここだと思って探していたら、とっくに持ち去られてしまっていて見つからない、という可能性は大いにあります。
また、GPSを組み合わせて位置情報を特定する以上、数メートル〜数十メートルの誤差は発生します。住宅密度の高い場所であれば実際の場所とは異なる隣りの家やビルを指し示す可能性はかなりあります。AirTagが入った自分の盗まれた財布がここにあると思い怒鳴り込んで入っていったら実は違っていてトラブルになった、ということが起こりうる可能性は非常に高いです。日本ではすいませんでした!の笑い話ですむかもしれませんが、海外であればそのまま不法侵入で射殺されてもおかしくありません。このようなリスクについてAppleはきちんと利用者に説明を行っているのでしょうか?
この問題はMAMORIOにももちろんついてまわりますが、事前に仕組みや機能についてある程度理解をしていただいた上で購入する層を対象としているMAMORIOと違い、AppleブランドであるAirTagではユーザー層も多岐に渡るはずです。 当然利用者が多くなればなるほど、見つからなかった、そんなことは知らなかったという声や事例も多いはずです。その際のネガティブな声でAppleのブランドを毀損してしまう可能性はあります。そういったリスクを背負ってなおAirTagを出したという判断に対してただただ感服です。
また同じ問題はUWBを用いたトラッキング機能でもついてまわります。UWBの特徴は数センチ単位での位置特定が可能な指向性ではありますが、電波である以上遮蔽物や環境の影響は大きく受けます。どれくらいの近さだと見つかるのか、遮蔽物の影響はどれくらいか、利用する環境によって異なるため、実際にユーザーの期待値を下回る可能性も高いです。
それでも世界最高の企業であるApple社が手掛ける以上、既存の紛失防止タグよりも素晴らしいユーザー体験であることは間違いありません。見違えるような体験になるはずです。しかし大多数のユーザーにとって紛失防止タグというのは未だ未知の存在であることも事実で、はたしてAirTagを初めて触ったユーザーがそのユーザー体験を許容するか、紛失防止タグそのものへのネガティブな評価になりかねないか非常に懸念しています。
2つ目はプライバシーの問題です。物の場所を探せるということは、当然ストーキング行為などに使われるというリスクがあります。紛失防止タグ以外のGPSトラッカーにもこの問題はありましたが、GPSトラッカーがそこそこの大きさ(スマホサイズ)、短い電池寿命(3日程度)、通信回線契約の有無(通信キャリアへの契約が必要)といった形で、利用条件が限定されるのに対し、紛失防止タグは極小(小銭サイズ)、長寿命(1年程度)、通信契約不要(匿名利用可)といった特徴があります。
しかしながら、前述の通り紛失防止タグはBluetoothを用いている仕組みゆえ、第三者のスマートフォンとのすれ違いによってしか位置情報を特定することしかできません。そのためストーキングのために悪用するには対象が偶然タイミングよく他のユーザーの近くを通らなければ位置情報の特定はできません。今までの紛失防止タグは精度とプライバシーの絶妙なバランスがこうした問題の発生を防いでいたとも言えます。
しかし、Airtagは違います。iPhoneの普及率を考えると通信精度はGPSトラッカーを上回り、屋内でもかなりの精度がでる可能性が高く、小さく、長寿命で、匿名性の高い追跡デバイスとして猛威を振るう可能性があります。(またその普及度と知名度ゆえにそういった悪意を誘発してしまう可能性もあります)
もちろん、Appleはこの問題に対して様々な対処を行っていると述べています。
例えば、近くに第三者のAirTagがあれば手元のスマートフォンに通知を行う、また近くのAirTagを鳴らして探せるというものです。ストーカー目的の第三者のAirTagが近くにあれば、スマホがお知らせてしてくれる、探せるから安心といえば聞こえはいいですが、あくまでこれはiPhoneを持っているユーザーに限っての話しです。Androidユーザーは当然この恩恵には預かれません。つまるところAndroidユーザーは誰でもAirTagによって追跡されてしまう可能性があるということです。Appleの企業としてプライバシーを大切にする姿勢は称賛に値します。が、だからといってそれはiPhone製品を使っていなければ誰でも位置情報を追跡されるリスクを背負わされるということにはならないはずです。
またAppleは第三者のAirTagが近くにあるとき以外にも、登録者のスマートフォンからAirTagが一定期間(3日程度)離れた場合、音が鳴って周囲に存在を伝えると言っています。Androidであっても、NFCをかざせば音の止め方や詳細がわかるといいます。これでAndroidユーザーなら安心、、、となるのでしょうか?
今この時点でAirTagを知っているような情報感度の高い熱心なAppleファンにとってはAirTagやその仕様は常識かもしれませんが、Androidユーザーや多くの人にとってAirTagはまだまだ未知のプロダクトです。ましてやシニア層が多い日本ならなおさら。どこからもなくタグから音がなったときにそれに対して誰しもが第三者のAirTagと気づいて適切に対処することはできるのでしょうか? またそういったことへの啓蒙をAppleは行うのでしょうか? またAppleは「探す」ネットワークをサードパーティーに向けて開放しており、今後様々な形状や特徴を持ったデバイスが登場する可能性があります。AirTagであれば象徴的なデザインなので、すぐにそれと認識することができるかもしれませんが、それ以外のサードパーティーのデバイスを逐一見分けることは一般ユーザーには不可能です。なんだか見たことのないデバイスから音が鳴ってなにかの故障か電池切れかなと思っていたら、実はトラッキングされていた、という可能性が誰にでも起こりうる可能性があります。そのリスクにAndroidユーザーはさらされているのです。
また鳴るタイミングが周囲の人間にはコントロールできない以上様々な状況で鳴ることがありえます。大事なセンター試験中になり始めたら? 車の運転中にAirtagがいきなりなり始めたら? 静粛なコンサート中になり始めたら?
また、深夜の暗い家や屋外であればなり始めても見つけられないことも想定されます。深夜にゴキブリの影を見つけてそのまま見つけられなかったことを考えて見てください。ぞっとしますよね。
女性ならストーカーに使われる可能性もあるAirtagの音が自分の部屋で鳴るだけでそれを見つけるまでは恐怖でいっぱいになるはずです。あるいは誰かが嫌がらせでその音を鳴らすだけで相手を追い込むことも可能です。
そういった状況でも落ち着いて誰しもが適切に対応ができるようAppleは信者以外の全ユーザーにも啓蒙をご丁寧に行ってくれるのでしょうか? 本当にありがたい話ですね。
さらにAppleは「探す」ネットワークについては、匿名化を行いAppleでさえも一切のデータを持ち得ないとしています。
電気通信事業法では、公共の電波や通信を扱う事業者の責任として利用者の通信の秘密の保護は厳重に定められておりますが、一方で裁判官の令状による通信履歴等の 取得・提供や児童ポルノの閲覧に対するブロッキングなどの緊急避難は通信の秘密の侵害に当たらず状況に応じて適切な対応を行うことが求められます。
Appleはこういった犯罪や悪用リスクの可能性についても、仕組み上自分たちはデータを一切保有しておらずわからないから責任はないといっているのです。各種電気通信事業法を遵守し事業を展開している通信キャリアが構築した通信インフラ網やそれを利用する人々のスマートフォンのネットワークにフリーライドし、悪用にもされうる可能性のある新たな通信サービスを構築・提供しその責任を放棄しています。これは非常に危険なことだと思います。
もちろん当然、MAMORIOでも同じ問題は発生しえます。そのためMAMORIOでは製品の利用にあたっては各種法令を参照して運営するとともにサービスの登録にあたっては利用規約やプライバシーポリシーを明示し、データも厳重かつ適切に管理を行い取り扱っています。今後も必要な認証制度を適切に取得していくつもりです。また関係当局より打診があった際はそれが規約に合致する適切なものである限り、事業運営者として対応を真摯におこなっていくつもりです(現在のところそういった事例はおきていませんが)
こうした事業運営の責任の所在を明らかにせず、匿名化し、運営者自らがそれを知りえないからといってその責任は許されるものではないのではないでしょうか?
富士山の頂上には富士山頂上浅間大社奥宮という神社があり、夏頃には富士山の登山客が多く参拝している。しかし現状ここに車椅子の人が参拝をするのは限りなく不可能に近い。さて五体満足の人であれば行くことができるこの神社に車椅子の人が行けないのは移動の自由の制限にあたるのだろうか?
結論から言えばこれは制限にはあたらないと思う。なぜならそもそも車椅子の人でも登れるように富士山の登山道を改造することは現状の技術力では不可能だからだ。技術的に不可能なことはどれだけ倫理的に問題があろうと改善の仕様がない。
では全ての無人駅に車椅子の設備をつけるべきだろうか?これも不可能だ。ごく一部の秘境駅以外は駅に車椅子用の設備を備えることは技術的には可能だ。しかし財政的にこれは不可能だ。国の施設であるなら車椅子用の設備は必要だが、JRは私企業にすぎず改善するべきであってもある程度限界がある。無人駅というのは人を置くほどではない小さな駅である証拠であり、わざわざ車椅子用の設備を置く必要などない。国鉄からJRに民営化した時、地方路線が廃止され地方が切り捨てられるのと同様に障害者も切り捨てられる運命になっていた。今はまだJRは頑張って設備を整えたり、地方路線を残したりしているが今後利用客が減れば、確実にここら辺は削られることになる。
結局のところ、移動の自由というのは確かに存在するが技術的、財政的に全ての人が全ての場所に行けるようにすることは不可能だ。将来的に無くすようにしていければ最善だが、現状不可能なものをいくら言っても意味が無い。
そう呟いたのは多分六年前だか五年前だったかと思う。その時俺達は喫茶店で、世の中の悪が何かについて話していた。
その場には男の先輩が一人と女の子の後輩が二人いて、先輩は「知ってる」とぽつり。女の子二人は「しらなーい」とぽつり。
勿論、俺と先輩はその話を掘り下げたりせずに、穏当に元の話題の路線へと戻り、「やっぱ世の中気を付けて生きなきゃだめよ」みたいなことを言っていた。女の子二人はケラケラと笑っていた。
◇
何で今更になってこんなことを思い出したかというと、当時テーブルを囲んでいた後輩の女の子が先輩と付き合って、破綻して、今朝がたtwitterで僕を含めた当時の関係者に対しての呪詛を書き連ねていたからである。
多分こういうのは、よくある話なのだろう。勿論僕はその後輩に横恋慕していて、そして二人の関係とか、あるいは時折後輩の見せる刺すような発言と態度に傷を負ったりしながら生きてきたのだけれど、そんなことは些事である。一々考えるようなことじゃない。
ともかく、今僕がこの文章を書いているのは、後輩の女の子が僕と先輩を含む当時の関係者にSNSで呪詛を連ねているところを見たからである。
その呪詛がどんなものだったかというと、彼女曰く、「悪を糾弾できない存在も悪だ」、とのことであった。
つまり、彼女はこう言っているわけである。当時、破壊的性向を持っていた先輩のことを僕を含む関係者は止めることができなかったし、そして、物事が落ち着くべき位置に落ち着いてなお、僕を含めた関係者は先輩のことを表立って糾弾したりするでもなく、あるいは罰したりするでもなく、淡々と日々を送っているのだと。つまり、先輩が悪であると同時に、先輩を裁くことなく静観していた、僕を含めた関係者もまた悪なのだと。
全く以てその通りだと思う。僕は悪の片棒を担いでいるのだ。物事を正しく裁こうとなど決してしなかったのである。
一応、僕は見知っている後輩らが先輩に対して好奇心なり何なりを持っているのを見咎めると、「先輩は悪人だから近付かない方がいいよ」と度々言及していた。(「悪」の具体的な内容についてはここでは伏せるが)
とは言え、一見インテリジェントで気が利いて、かつある分野において顕著な業績を収めた人物である先輩に対して、後輩たちは僕の忠告をあまり深刻には受け止めなかった。あまり僕の忠告は功を奏さなかった。後輩たちの中には、今でも先輩に連絡を取り続けている子もいるようである。まあ、それはそれで良いのだと思う。僕は別に彼女たちを悪し様に思っていないどころか、先輩にだって悪感情を持っていない。彼女たちはそれなりに幸せそうであるし、今でさえ僕は先輩と時々食事をしたり、ボードゲームに現を抜かしたりしている。
◇
スナッフフィルムについてご存知だろうか?
それは、快楽を目的とした殺人行為を撮影した映像作品のことを指している。特に、商業的意図を以て撮影されたものを指す。スナッフという言葉は、「ロウソクを吹き消す」という意味を持つ動詞であり、同時に「殺人」のスラングでもある。
勿論僕も現物を見たことはない。そもそも、「スナッフフィルムは単なる都市伝説で、実在しない」という論も根強い。
ただ僕は、二十年近く前にアングラサイトで「衝撃! 少女が公園で殺害される映像! 購入は以下のアドレスで!」的な宣伝がされていたのを見たことはある。そのサイトによれば、外国人の少女は公園で刺殺され内臓を引きずり出された後に、ガソリンによって燃やされるとのことであった。そういう宣伝を実際に目撃した人間からすると、スナッフフィルムは実在するという立場から主張するほかない。
(また、中東やロシアでの拷問や処刑の映像も広義のスナッフフィルムとみなすことができると思う)
スナッフフィルムにおいて撮影されるのは、主に少年少女である。
主なスナッフフィルムの内容は、少年少女に麻薬を与え、性的に高揚させた後で凌辱し、その後に殺害する、といったものであるそうだ。僕もよく知らない。正直この知識は既存の創作物から得たものなので、信憑性においては幾分問題があるかもしれない。
いずれにせよ、仮にスナッフフィルムが伝聞の通りに存在するのであれば、それはこの世の悪を煮詰めた存在であると思う。
それは、恐らくそれを求める人間が存在し、また、それを供給し得る人間が存在しているからだと思う。仮に、ある人物が何かを要求し、その対価としての金銭を十分に示せるとして、何者かがその要求された何かを提供できるとすれば、多くの場合そこには商業的取引が実現してしまう。可能な物事が、不可能であり続けることは難しいのである。マーフィーの法則を引くまでもない。
つまり、そのような商業的なやり取りは、人の意志を超えてしまうのだ。それが可能である限りで実現してしまう事柄に、人の意志は関係ない。そこにはある種のシステムが構築されてしまうのである。
そのようなシステムに根差しているのは、明らかに人間の欲望と暴力である。人間にとってのある種の欲望と暴力が可能である時、そこにはシステムが出来上がる。システムは、金銭と欲望達成を媒介に、暴力的に成立する。そして、人の意志とは関係なくそのシステムは自己増殖し、その体系をより確固たる存在へと変えていく。
「人々が欲望し、かつ金銭的対価を支払える事柄は、それが不可能でない限り実現する」これが、欲望と暴力のシステムにおける定言命法である。そこでは人の意志に関わらず淡々と物事が実現する。一度実現したシステムは、当事者の意志で止めることはできない。金銭を媒介に、システムは機能し続ける。
というわけで、世の中にはいわゆる悪が蔓延ることになるわけである。勿論、繰り返すようにスナッフフィルムの存在は都市伝説に過ぎない。「スナッフ」と銘打たれて販売された商品の多くが、作り物であるとも言われる。しかし、僕は「スナッフフィルムは都市伝説に過ぎない」という発言に対して、どうしても疑義を覚えてしまうのである。そう、人の意志とは関係なく機能するシステムが世の中には既に構築されており、そのシステムの内部においては、可能である事柄はすなわち実現するのである。そういった原則を振り返った時に、快楽としての殺人が不可能であると断じることが僕にはできなくなってしまうのだ。
まあいい。とにかく、世界においては、可能である限りで、そしてそこに人の欲望が存在し、金銭的な対価を示せる限りで、ある種の悪や暴力が必然的に実現してしまうという、悍ましいシステムができている。我々は、そのようなシステムに向き合わなければならない。そのようなシステムを糾弾し、ハックしなければならない。その在り方を上手く変更せねばならない、はずだ。
とは言えそのような決意が実現されることは稀である。何故だろう? 我々は多くの場合悪を放置し、看過するしかないのである。それが不可能であるからだろうか? 我々に内在する欲望を媒介に機能するシステムを、我々自身が変更し、打破しようとする行為は、そもそも自己矛盾的だからだろうか? よく分からない。
いずれにせよ、自身の欲望に根差したシステムに変更を加える行為は、決して簡単ではない。我々は、そのような欲望と暴力のシステムをどうしても看過せざるを得ない。
それは、スナッフフィルムに限った話ではない。ある種の極度に暴力的なコンテンツに限った話ではない。我々の身近には、その手のシステムが息づいている。我々は、日常的に、そのようなシステムに触れることになる。我々は暴力と欲望に根差したシステムに、普段から関与し、触れることになる。
例えば、不均衡なコミュニケーションもそれだ。一方の話者の力関係が他方の話者に優越しすぎたコミュニケーションは、暴力的な影絵を描く。そこには権力の不均衡が生じ、そして暴力と欲望充足を生じさせることになる。そのようなシステムが我々の日常では機能しているし、何なら我々はそのようなシステムに組み込まれている。
例えばそれは企業と個人の力関係においてそうであるし、あるいはある種の閉じたコミュニティにおいてもそうである。そのような力関係において、いわゆる弱者が欲望充足の手段とされることは珍しくない。我々の身近に、そのようなシステムは往々にして存在している。
我々はそれを看過しながらに生きている。あるいは、そのシステムを自身の一部として受け入れながらに生きている。
何故なのだろう?
叔父さんは、奥さん(自分から見れば叔母さん)に数年前に先立たれた。両親(自分から見れば祖母)より早く娘がなくなるのは驚きしかない。
かつては家族4人で暮らしていた都内の駅チカマンションに一人で暮らしている。なかなかいいマンションなので、今でも結構いいお値段がする。
叔父さんは、東大を出た後、某有名企業で重役まで上り詰めた。親戚一同で集まる機会があれば、できるビジネスマンみたいな雰囲気が凄く会った。
接待の多い業界なので、親戚の中でも色々な人と話で盛り上がっていた。定年後は、子会社の社長に落ち着くというエリート路線であった。
それで子会社の社長もやめ、その後相談役みたいなちょっとだけ行く仕事も終わり、さぁと思った所で叔母さんが病気になり看病に明け暮れた。
最後はもう疲れて切っていて、叔母さんの様態がちょっとよくなったと聞いた時に、なんか落ち込んでいたと親戚の人が言っていたぐらい疲れていた。
息子は2人いるが、一人は遠方に行ってこっちに返ってくる見込みのない職種。もう一人は首都圏に住んでいるが、まぁ父親と息子というのは、そう頻繁にあう間柄でもない。
それで久々にあった叔父さんは、奥さんに関係があるものをすべて断ち切りたい様子だった。自分は叔母さんの弟の子供なので、こっち側である。
俺も関わり合いたくない人間らしい。別に、俺が頼んで叔父さんと会ったわけじゃないんだけどな。
仕事がすべてで趣味の話なんか聞いたことない叔父さんは、今凄く孤独になっている。そして本来今を楽しむはずだった、奥さんの記憶を少しでも消すのに精一杯みたいだった。
葬式の後すぐに、家にあるすべての女性もののバックを買い取りに出したのは驚いた。最初は愛人がいて、再婚したいから整理したのかと一瞬思ったが、そんな人はいないらしい。
学歴と過去の仕事のプライドだけで辛うじて生きているらしい。過去の自慢話につきあわされた。本題はそこじゃないだろ。店が早く閉まってくれるご時世でよかったと思う。
親戚や知人を見ると、妻に先立たれて生き生きしている人はほぼ見たことない。反対は、夫に先立たれて生き生きしている人は多い。
老後の不幸回避は辛すぎ。
そもそも乗る路線によって状況は大きく異なるし、そもそもその人が癲癇とかパニック症、名前が付いてないまでも上記に近い症状出る人とか世の中には居るからな、自分基準で考えるのはよくない
個人的な備忘録もかねてここ10年ぐらいの「(少なくとも一時期は)ゲームとして成立してた基本無料スマホゲー」の中で抑えておきたいものを整理してみる。
盆栽ゲーの完成形。今や「コツコツ育てるゲーム」という意味で使われる「盆栽」という単語だが、なめこに比べればどこが盆栽なのかと言いたくなる。
ゲームとして成立しているのかと言われれれば「ガチャで引いたカードでデカイ数字が書いてあるかどうかを比べるだけより1000倍ゲームである」と声を大にしていいたい。
通称クラクラ。AIの行動を読んでハックするという遊びはまさにゲームそのもの。
結局は金を積んだやつが強いのは事実だが、強くなるための片輪としてプレイヤーが工夫をこらす余地があるのは極めてゲームゲームしている。
ガチャゲーとしての要素も強いがそれはまずパズルゲームを攻略するのが大前提。
パズドラのライバルみたいな立ち位置だが、より間口が広くガチャから引いたキャラの個性も出しやすく作られている。
でもゲーム性が簡単になるとガチャの重要度が高まるから相対的にパズドラよりゲーム度下がってね?とは思うがバシーンよりは100000000000倍マシ。
今増田で話題の駅メモや、ポケモンGO系作品の中で最も純粋に位置情報ゲームをしていた作品。
やることはシンプルに「日々の生活の中でスタンプラリーをしまくる」というだけなのだが、そこに工夫やプレイヤーの個性が出る時点でガチャゲーより100000倍ゲームである。
眺めてるだけじゃ駄目だもんな。
スマホのクイズゲーム自体はQMAのスマホ版が先んじていたのに、なんかやる気がない作りで勝手に忘れ去られこっちが残った悲しみ。
ぶっちゃけカードの数字が重要なガチャバシーンな所はあるのだが、そうはいってもクイズが出来なきゃバシーンもクソもないのでクイズゲー以外の何物でもない。
タワーディフェンスゲームはコレ以前からあったし、R-18要素ありのブラゲーもあったのだが、ガチャバシーンじゃなくゲームとして成立しているR-18ゲーはアイギス辺りから。
でもアイギスがあったDMMでも本格的に遊べるR-18ゲーは似た路線のガーディアンミストレス(ガーミス)ぐらいだったような気がする。
ちなみにガーミスっていうのは「AV女優×ドット絵の新鮮な世界観で織り成す究極のハーレム堪能型本格エロタワーディフェンスが登場!」という紹介文から分かる通り、コスプレAV女優をドット絵にしたキャラをリアルタイムに操作して戦うタワーディフェンス風面クリア型RTSなんだけど、コスプレAV女優を駒にするというシステムを衣装替えという形でゲームに落とし込んだことで、ガチャゲーが抱えがちな属性相性や射程距離が単なる持ち物検査で終わりがちな部分が戦略性として機能していて、衣装替え中や必殺技発動時の無敵を上手く活かしたり、近接キャラで交戦状態にすることで相手のタゲを1キャラに固定して時間稼ぎやタコ殴りをしたりするといった様々な戦略を練ることが出来て、ガチャ要素のあるゲームの中では圧倒的な「択」の多さを誇るまさに本格的エロタワーディフェンスゲームだったんだけど、そういうゴチャゴチャしたゲームが好きなオタクに限って二次元オタクのロリコンが多いもんだからゲーム性的にメインターゲットになりうる層三次元はグロだからと敬遠されがちだったり、逆にAV女優に釣られたプレイヤーがゴチャゴチャしているからと避けていったり、難易度上昇(特に反射能力を持ったギリメカラ的な敵がキツかった)でプレイヤーが疲弊していったりと、ユーザーが離れる要素も多くていまいちマイナーなんだけど、スマホゲーやブラウザゲーの中ではまさにトップクラスと言っていいゲーム性を誇る作品が何故か三次元コスプレAV女優というややニッチなジャンルから飛んできたことも含めて「超ヤバイゲーム」なんだよな。
まあ色々アレだけどスマホのアクションRPGとしては人気でるのに必要な所は踏んでる。
でもガチャの重要度は高いのでゲーム性そんなでもない気もするが、バシーンバシーンでは流石にないよね。
本格スマホカードバトルを名乗るように、スマホで本格的なカードバトルが出来る時代が来たことを業界に突きつけている。
そこはHearthstoneじゃね?思うだろうが(でも俺ならShadow Eraの名前を挙げるね(ドヤァ)、PCでプレイする前提で本格DCGをやるのと、スマホをメインにして本格DCGをやるのとでは客層に対するアプローチが違うと思うのでこっちで。
いやマジでWoWとかやってた超熟成古参オタクにTCG投げるのと、神バハやグラブルやってるような連中にTCG投げるのは商業的には限りなくて似て非なるものだと思うよ。
確かにレアカードはクッソ強いんだが、ガチャから出たカードの数字がそのままぶつかりあうだけのガチャゲーに比べるとゲーム度は天文学的数字となる。
クイズゲーとトトカルチョの間の子で、未来の出来事を当てるという行為でポイントを競う。
スマホで出来るけど本格的に遊べて運の要素が絡むという非常にナイスなアイディア!だとは思うんだが……いまいちビジュアル面がパッとしなかった。
つうかバトル要素いらねーだろ面倒なだけだぞっていう……いやでもマジで貧弱ゴミスマホでも遊べるゲームを成立させるアイディアとしては正しかったのに色々惜しかった勿体なかった。
ススススススススマホでFPSwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwがオンラインで出来る時代なんだから凄いな(老人感
すまん。
10年振り返るといったんだが、ここ5年ぐらいでグラフィック以外で圧倒的にゲーム性が進化したと思えるのがいまいちない。
アクションRPGやMMOは確かにパワーアップしてきてるんだが、でも結局は初期のアクションRPGからゲームとしての部分で大きな変化があったようには思えないんだよな。
俺のとこまで路線引いてくれよ
隣の部屋の足音だとか、ドアをバタンと閉める音だとかが気になってしょうがない
うちのアパートは路線の近くに建ってるから、電車の音も聞こえてくるのだが、それは別に気にならない…
足音は、ネットに転がっているような揉め事の目を覚ますレベルの騒音でもない
1Kの狭い部屋で何をそんなに歩き回るのだ・・・
前の住人は静かでよかったなあ。
また足音が聞こえるなあ。
この低音で響く感じ、かかとで着地してるんだろうなあ…
それにしたってドゥンドゥンドゥン・・・って鳴らさなくてもいいじゃない・・・もう少しゆっくり着地しておくれよ
ドウンドゥンドゥン…今度はキッチンに移動したのかな
ドゥンドゥンドゥン…居間に戻ってきたのかな
音がしなくなった、死んだかな?
ドゥンドゥンドゥン…