はてなキーワード: 賞味期限切れとは
「死にたい」というと「この世には病気とかで生きたくても生きられない人がいるんだから、そんなことを言うな」
様々な理由で食品を廃棄すると、「この世には食べ物がなくて餓死するアフリカの子供がいるんだなら、食べ物を粗末にするな」
「子供は欲しくないからつくらない」というと「世の中には子供が欲しくてもお金が無かったり体が悪かったりして産めない人もいるのだから、その考え方は間違っている」
これらアフリカの子供論と呼ぶが、なんかおかしくないだろうか。
死にたがりが命を大事にすれば、瀕死の人は生き返るのか?命を大事にしてくれてありがとう、とか言うのか?
賞味期限切れたり食べられなくなったりした食材を食べたら、アフリカの子どもたちの飢えはなくなるのか?感謝されるのか?
産みたくない人が無理に産んだら、不妊症の人たちに感謝されるのか?
いずれも違うだろう。
瀕死の人もアフリカの人も不妊の人も、こっちを妬んでくるに違いない。その人たちが幸せになるわけじゃない。
ハッカドール自体を初めて見たんだけど、尺の割にOP長いなー、OPの動きがなんかキレよすぎで中割りなさすぎて微妙だなーキャラクター微妙だなーってのがあったOP
本編は言うほどか?って感じ
まあ現実こうなんだろうけど、それをハッカドールのアニメの中でどう昇華させてるかっていうとまったくそれがなくて、悲惨な現実をチラ見せさせただけって感じで余韻もクソもないし
スマッシュヒット的な話題にはなるかもだけど、当然すぎることをやっても驚きは少ないし、現実がクソなんて百も承知なことを改めてアニメでやられなくてもっていうやっちまった感で、まあパロとしてレベル低すぎた
期待しすぎたのもあるけど
短時間アニメならてーきゅうの濃さとあいまいみーのカオスさに慣らされてるから、よほどのもんじゃないとすぐ賞味期限切れるんだよなあ
どれだけ充実したものであったか、いわば量より質であると思う。
過去の恋愛において満足感なり幸福感なり達成感なりが得られていたなら、年齢的に考えても浮ついた考えなんて持たないで結婚について真剣に考えられていただろう。
そういうのがなかったから、いまだにそういうの(満足感なり幸福感なり達成感なり)を求めて、恋に恋しているのだと自己分析している。
貴殿もそうなのではない?
(いや違う!というのであれば大変失礼)
それと、その「告白されたことがある」というのも悪い結果を導いてるように思う。
若い頃モテていたが適齢期になっても結婚できていない女性にありがちというが、何もしなくても告白される→私は大丈夫→気付けば何もないまま賞味期限切れであぼーん、という典型例に自分も当てはまっているとしか思えない…。
ろくでもない一日だったんよ。
休日出勤を早めに出て早めに片付けるつもりが、洗濯機が壊れて家を出たのがほとんど夕方でしょ、
帰りの終電で隣に座ったねーちゃんの凄まじい香水の臭いに吐きかけるでしょ(あれは香水じゃなくておかしなハーブだったのかも)、
漬け丼食べたくてマックスバリュで叩き売りの刺身買おうとしたらしょっぱいマグロの切り落としが900円超えでしょ、
仕方ないから塩鯖に切り替えて買い物してようやく家に帰ったら猫がゲロを五カ所でしょ、
片付けてやれやれとベランダで一服してはっと思い出したのはそういや洗濯機、乾燥メニューにしてなかったわって急いで洗濯機開けると脱水までしか終わってない濡れた洗濯物がもわぁって臭ってて仕方がないから匂い付きの柔軟剤多めに入れて洗い直しでしょ、
ああ、ひでぇ一日だ…と思いつつ昨日の風呂の湯を追い炊きして30分浸かってようやく人心地かと思いきや、
昨日の朝徹夜仕事で帰った後寝てる間に引っ掻いてどうも血管の近くだったらしく血がどくどく出てきて枕カバーと寝間着のパーカーを血染めにした傷が、血行良くなったお陰でまた開いて風呂上がりの体に鮮血が滝のように流れて必死で拭きつつティッシュで傷口押さえて止血して、昨日はガーゼがあったからどうにかなったものの今日はそれもないので絆創膏貼ってその上にティッシュの束をテーピングで止めてどうにかこうにか流血をおさめてやれやれでしょ、
そうこうしてるうちにもう丑三つ時の二時で、そもそも鬱で医者にかかってるくらいだからこんな感じだと何で俺生きてこんなことに右往左往してんだろ的方向に精神が偏向してて晩飯もういいかと思ったけどでも買っちゃったからには後で処理が大変だからってさっきの塩鯖焼いたらグリルを予熱しておくの忘れて網に焼き付いて身をぼろぼろ持っていかれるでしょ、
いいよ食うよってボロボロ鯖と期限切れメカブと総菜パウチのひじき豆と昨日の朝の会社帰りに買ってちょっと食べたけどあんまりおいしくなくて大半が残ってたセブンのシナチクをちゃぶ台に広げて、ぐい飲みになみなみ安酒注いで、さあ、って2時半だけどディナータイムって、お供に録画してたガンダム再生ですよ。
おもしろい。めっちゃあつい。この興奮。箸もぐい飲みも停まる。音楽もシナリオもストーリーもSF設定も(体当たりが艦船のメイン打撃力!)ロボットの動かし方も最高。なんかこの、こう、知ってるこの興奮って、スターウォーズのときのあれだ、スターウォーズ級にわくわくする。
このくそろくでもない一日が、この30分でもうなんかもう、良かった、気持ちよく寝られる。明日朝辛いだろうけど、首の傷からまた大量出血かもだけど、いい、いいよもう、気持ちよく寝られる。
この「想定イコール」概念って人を分類して学問にしようって頃からあるけど、系統があるからってすべて一緒ってことはないだろ。
善人は24時間365日絶えず善人なのかって言われたらそうでもないだろ。割合的に善意のある行動をする可能性が高いだけでその恩恵に与れない人もいるだろ。
ロリコンで他人の娘は犯すのに自分の娘だけは純粋で自由に生きてほしいとか言うやつもいるんじゃないのか?
犯罪者だって、自分の家族も犠牲にしようというやつから自分の家族だけは勘弁してくれという人もいるんじゃないのか?
イカが好きだと言ったらずっとイカばっかりおかずにしてくるみたいに、一旦好きだといったら全部埋め尽くしてやろう、これ好きなんだろって押し付けはちょっとうざい。
それが好きだと聞いたから、それをお預けにする理由を毎回毎度考えてくるのはその逆にみえる。
自分で行動せざるをえないようにお預けを続けて、行動させるように仕向けているのは、実際にはそういう犯罪なりが発生してほしいという望みなのか。
正義のためには悪が活躍しなければならないという思考によるものだとしたら問題だ。
自分の旦那に関して考えてみて、自分の通った学校と同じ女子生徒には全員恋愛になる可能性があったのか、同じ部活同じ趣味同じ髪型の人間に告白する可能性があったのか。
同じ時間、同じ物を、と考えるとすべて手作りでオリジナル創作の服、髪、行動、そしてそのタイミングでしか発生しえない事柄について欲求を出してもらえないと意味なくないか。
付き合い始めた時点のその時のそれにだけ欲求が高まったのなら、続いている夫婦生活はもう賞味期限切れなのか毎日恋を芽生えさせるための何かを継続して発生させているのかどちらかでないとすでに破綻しているはずだろ。
思い出と思い込みが現実の何割を示しているのかわからんが、人をなにかで分類するような考えで縛る視野の狭さでみれば意味のわからん不安な世界もあるだろうが、それだけ狭い視野は両手で塞ぎきれるだろうからみないようにしておけばいいんじゃないのか。
血液型A型だから科学者になってノーベル賞が取れる几帳面さがあるってのか?身長160センチだから空手では絶対に勝つことができないのか?
親が歌舞伎役者だから子供もそうなれるのか、またそうでなければ歌舞伎はできないしするものではないのか?
そんなに血統が大事なら人間にも血統書つけろよって思う。どうせ3代前も書けないんだろ。どこでどう生まれたか自分でもわかってないやつが他人の行動をよく予測できるもんだよな。
http://nishikifruits.blog16.fc2.com/blog-entry-1577.html
これを読んでいて驚いたのは、自分の出身地(熊本県の人吉・球磨地方)が舞台であったということだ。
両親は中学校の教員であったため、経済的には特に不自由しなかった。
【以下思いついただけ】
子供の目からみてもこの惨状である。大人だったらたぶん気が違うであろう。
幸い東京に逃げ出すことができた。なんだかんだ言っても、東京などの大都市は真っ当だ。
夏目友人帳(ばらかもんやのんのんびよりもそうだが)を見て、田舎はいいと思っている人は考え直せ。
今ならまだ間に合う。田舎なんてクソだ。
@FAtype100R 片っ端から自分の言葉の定義を説明してたらアレは1万文字超えてただろうから省いたまでです。個々の作品のどこが低俗化という話までやったらそのぐらいになるし、それをやっても誰も喜びません。また、底意地が悪くくどいだけなので、カットしました— 三沢文也 (@tm2501) 2015, 2月 1
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
賞味期限切れのネタにたかっちゃダメさw書くのは構わないし、便乗するのはいいんだけど、ネタの鮮度が切れてから参戦するのが下手でダメさ! / “ライトノベルをバカにしていた私と読まないで批判する愚かさと『かくいう私も青二才でね』への返…” http://t.co/ETs0h76krE— 三沢文也 (@tm2501) 2015, 2月 6
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
ホッテントリに帰ってきましたな例の女が。
まさか年を越してまで同じネタを引っ張って注目を浴びるとは思いませんでしたわ。
真面目に勉強すると言っていくつか非炎上系の記事を書くも全く注目されず
しびれを切らして沖縄狛犬の方でプチ炎上を果たすもまだまだ承認欲求は満たされなかったようで。
賞味期限切れの女が消費期限の過ぎたネタで注目を浴びようと頑張ってるのってものすごく残念な気持ちになるんです。
「もっと私に注目して、かまって、ちやほやして」
たった一回の成功事例にしがみついて、同じことを何とかの一つ覚えで繰り返す彼女はもう落ち目も落ち目。
トレンドの移り変わりが早いネットの世界で注目を浴びるには、濃くなっていくトレンドと薄まっていくトレンドを見抜いて乗らないといけないんですよ。
ネットは馬鹿と暇人のものらしいですが、そんな世界でも注目を浴びつづけるには頭を使わないと駄目なんですよ。
もう一度言うけど、貴方もそのネタもとっくに鮮度が落ちてるんですよ。腐りかけですよ。半額シールの上に更に割引シール貼られてる状態ですからね。
無い知恵絞って次のネタを考えたほうがいいですよ。
○朝食:なし
○間食:おもち
○調子
理由はこれといってないのだけれど、改めてどうしてこうなってしまったのか?(メンタル的な意味でね)
を思い返していたら胸が苦しくなってきた。
とか言いつつ、午後からはガッツリゲームする辺、元気になってきてるのかも。
去年の今ぐらいは、冗談抜きに「数字の上下」がわからないぐらい、頭が滅茶苦茶だったからなあ。
(買い物をするときにお金の出し方がわからなくて、すごく大変だった)
明日からお正月休みが終わりなので、おそらくそろそろ就職の是非の結果が帰ってくるだと思う。
そのことを考えると、そわそわしたり、落ち着かない感じになる、
なるが、耐えられないほどではない。
(ただの電話待ちだしね)
○テラバトル
焼き魚を作ると解除される実績を解除。
操作ミスで全身鉄装備を失ってしまい、ちょっとやる気が失せる。
今日もスタンバーイやフレンド招待を駆使して、協力プレイを楽しんだ。
僕はあまりそういうオンラインで人と対戦ではなく、協力するタイプのゲームをやってこなかったので新鮮だ。
スパルタンオプスが終わったら、キャンペーンも協力プレイしてみたいなあ。
第四章。
スパルタン計画の色々な黒い話などがゲームでもどんどん描写されていくなあ。
第五章。
ハルゼイ博士の手により、アーティファクトには人類の記憶を蓄積していることが判明。
まだまだ秘密がある模様。
そして、主人公?の青色のスパルタン君がエリートたちの基地に転送されて?
第六章
成す術もなくは言い過ぎだけど普通に負ける。
いやあのさあ、いくら多勢に無勢だったとか、武器がなかったとか、言い訳はいくらでもあるんだけど、スパルタンがこうあっさり負けるのはなんだかナー感があった。
昔の私を見ているようです。
「自分と他人のズレに気付いている」から、辛くなってしまうんですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20141030020525
この日記を書かれた方に、何かしらお伝えしたくなりました。
書きたいことをつらつら記しただけの、まとまりのない文章になってしまいましたが…
何かの参考になれたら幸いです。
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「自分の当たり前が世間の常識とずれている」と気付けなかったせいで、
でも、実はそれと同じくらい、私自分も苦しみ、辛く悲しく傷ついてきました。
(そうか、自分の欠点に気づいてから、もう10年近くなるのか…)
今は、「自覚のある当事者」として、おだやかに生きていく方法を模索しています。
自分の欠点をおぎなう努力はもちろん、人に気配り・感謝を忘れず、自分にも無理をさせすぎず…
まだまだ課題は多いですが、生きることが少しずつ楽になってきたと感じます。
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行ったら、なにかしらの診断は出ると思います。
でも、そこから先、「苦手を抱えながら、どう生きていけばいいか?」というお悩みを解消してくれるような先生はなかなか見つからないかも…。
また、下手なお医者にかかってしまうと、精神病と混同されて精神薬を処方されたりします。
お薬を一旦飲み始めて、次の診療で「まだ辛いです」っていうと、処方が増えたりします。
どうしても薬を飲みたいんだ!という時には、漢方薬がよいかもしれません。
こういう時、病院以外に相談できるところって、中々みつからないですよね。
気軽に話ができる環境がみつかれば、いいですね。
(変な壺とか水とかオーラとか、怪しげな商法にも気をつけてくださいね。)
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だったら、フリーランス・個人事業主っていう生き方もありますよ。
職場や通勤での辛いなにかを我慢しすぎて、自殺を考えてしまいそうになったら、
「一人で金を稼いで生きていく」道もあるっていうことを思い出してみてください。
開業するならコミュニケーション能力も磨かないといけません。
そのためには自分で自分を支え成長させる努力が大切になります。
(それができねーから苦しいんだろー!と突っ込まれるかも…^^;)
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作者さんは、どうして準備を前もって出来ないのかとか、物をなくすかとか、「原因を分析」されたことは有りますか?
例えばものの置き場について。
作者さん、たとえば小学生の時に、鉛筆やプリントをなくしたこと、よくありましたか?多分、答はイエスだと思います。
では「上履きを毎回違うところに置いた」って経験はありますか?多分、答はノーだと思います。
定位置をしっかり覚えているからではありませんか。
つまり、(努力次第ですが、)意識を何度も何度も繰り返せば、あなたはなんでも片付けられるようになりますよ。
生活パターン(ルーティン)を分析して、「置き場を設定」しましょう。
自分の生活動線を把握したり、モノの置き場をクセづけるまでが大変なんですが、
「本当に改善したい」と思われるなら、張り紙でもなんでもして覚えましょう(^^)
鍵は玄関のここ、服は(脱ぎっぱなしでもいいから)部屋のここ、というふうに、
「モノの住所」を決めておくだけなんですが、結構部屋がスッキリしてきますし、「アレどこだ?」でイライラすることも減りますよ。
自然と体が覚えてくれて、そのうち無意識に定位置へ戻せるようになります。
(ただ、眼鏡は不意に脱着するから、「メガネメガネ」は私もまだよくやります。笑)
自分が何を持っているのか覚えていないほど、物を多く持ちすぎている時は、整理しましょう。
「断捨離」「ときめく片づけの魔法」などの考え方がある程度参考になります。まとめや解説サイトなどを御覧ください。
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洗濯物をたたむ時間がなが~いっていうのも、すっっっっごくよくわかります。
タイマーを使ってみませんか。
5分でも3分でもいいので、「このタイマーが鳴るまでたたむ」と決めて、たたんでみるんです。
好きな音楽をかけてもいいかもしれません。
タイマーがなったら、一旦休憩してもいいし、やる気があれば続行してもいいです。
私は、やる気がでない作業の時は、タイマーや曲をつかって、「ゴール」を決めてから行動しています。
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片付けや準備のスキルに関しては、育った家庭環境の影響もあるかもしれません。
私の場合は、両親・祖父母共に掃除や整頓がとーーーっっっても下手な環境でした。
(例:冷蔵庫には賞味期限切れのあれこれがどっさり、タンスは常にぎっちぎち、部屋中モノであふれて床が見えない)
まともな「掃除の概念」を持たないまま大人になり、アルバイトや職場でやっと
「へー、掃除ってこうするものなんだー」と常識を知っていったような感じです。
もしも、作者さんに何か心当たりがあれば、それは「障害のせい」ではなく「家庭の影響」なのかもしれませんよ。
ちなみに私は昨年まで汚部屋の住人でしたが、今は掃除大好き人間です。
何歳になっても人は変われると、声を大にしていいたいです。
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人付き合いが苦手とか、ひとつの分野に集中しすぎるとか、得手不得手は色々あると思います。
多くの人が楽しいことでも、私はぐったり辛い…ってこともありますよね。
多くの人を比べた中での「少数派だから」という理由で特別視されやすいだけだと思うんです。
発達障害は、ある意味「作られてしまった障害」なんじゃないかな~と感じてます。
「自分の普通」が、普通に通じるところで暮らせるなら、全然辛くないんですよね。
まぁ それがなかなか、難しいんですけどね(^^;)
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ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。
でも、ある程度軽度のアスペルガーとかADHDとかは、思考や行動パターンを調整していくことで、徐々に生きやすくなれると思うんです。
可逆的、といっていいのかな。
良くしていけるものだから、「障害」と断言してしまうのは、なんかしっくりきません。
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それと同じように、「多数派との”ずれ”を補正する手段」があれば、生きやすくなる気がしています。
いまの日本では、その「補正ツール」たりうる何かが流通しきれていないから、苦しんでいるだけなのかも。
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「人の目を見つめるのが苦手」な人と「血を見るのが苦手」な人がいたとして、
「その苦手と向き合う機会が多くて」かつ「そのせいで社会的な損をする」リスクが大きいのは、おそらく前者ですよね。
苦手なことには人それぞれ違いがあるっていう、それだけのことなんだけど…
画一的な社会では、そのズレが許容されにくいみたいなんですよね。
誰しもが感覚に違いを持っていて、ある種の過敏性を持っていると思うんです。
「パクチーが食べられない」「強い光が苦手」「テレビを付けないと寝られない」「人混みが嫌い」とかね…いろいろあるでしょう…
その特性が、社会的に損をするかしないかは、ただの運次第じゃないのかな…
いまはコミュニケーションが出来ないと損をする社会だから、対人関係の行為に苦手があるひとが、損をしやすい。
それだけじゃないかと思うんです。
だから、発達障害の疑いや診断がある人は、「へーそうなんだー」くらいで気楽に受けとめていいんじゃないかなぁ。
必要以上に自分を追い詰めて鬱々としたり、劣った人間だと思い込む必要は無いんじゃないかなあ~と思ったりします。
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(私自身の体験や特性については、テーマからそれるので割愛します。)
私は小中高と学校生活で苦しんだ末、鬱で登校拒否・引きこもりとなり精神科に駆け込みました。
ある所ではうつ病、ある所では自律神経失調症…と、医師によって変わる診断と処方箋に右往左往。
数件目の病院でやっと「発達障害」の話を切りだされ、ショックと同時になぜか安堵したのを覚えています。
それからは、むさぼるようにネット・書籍・論文などから情報を探しまくりました。
WISC-IV 知能検査を受けて、自分のIQを知ったり、「はー、この分野は得意で、この分野は不得意なんだな」という分析は出来ました。
でも、「それだけ」でした。
私はてっきり、知能検査を受けた後には
「あなたが持つ弱点は、こんなシーンで困り感をまねきやすいです」
「だからこういう風に考えましょうね」という風に、
具体的に解説してもらえるんだと思い込んでいたので、なんだかがっかりしちゃいました。
その間1年ほどは、医師に言われるがまま通院していました。
しかし抗鬱剤をどれだけのんでも、苦しみの原因はなくなりません。
「どうして苦しいのか」、根本から解き明かさないと、一生苦しいままだと分かりました。
自分自身と社会のズレ・偏りはなにか、自力で研究を始めました。
そして気付けば10年近く。
これが早いのか、遅いのかはわかりません。
確かなことは、年々生きやすくなってきた、ということです。
また、曲がりくねった人生の中で、世界に一人だけ心から愛せる人と巡り会えました。
この人さえいてくれたら、もうそれだけで十分に幸せだと感じます。
その人に恥をかかせたくないから、きちんと生活できるようになろうと決めたことが、私を変える大きなきっかけの一つになったのでしょう。
苦手なことも、愛する人のためなら頑張れる、それが私の力強い支えになっていると思います。
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作者さんが私の日記を呼んでくれるかどうかは分かりませんが、
こんなやつもいるんだよってことに気づいてもらえたらいいなと思います。
苦手なことを「発達障害だから」と断言してしまうのは簡単です。
が、光のプリズムのように、その強弱は加減できることもあるんです。
変わりたいと思ったなら、きっと変われます。
でもどうか無理をしすぎずに。
苦しい時もありますよね。
お互いがんばりましょう。
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http://anond.hatelabo.jp/20141031142843
読んでくださった方、コメント下さった方、みなさんありがとうございます。
今朝のニュースに被爆者の方が出ていて、最近の語り部活動の上手くいかなさ、聞き手の変化についての苦労について語っていた。
その中で、ある被爆者が「最近は小中学校から呼ばれることがめっきり減った。悲しい」ということを言っていた。
それ聞いて、ついね、つい、「なんで自分からアプローチしないの??」と思ってしまったの。
聞き手の変化についても同様で、最近の中高生はリアクションが悪いって話について、「じゃあ語る切り口を変えようとかは考えないの??」と思ってしまったの。
いやみなさん70~80代とご高齢だし、辛い体験を語ってくれているわけで、こんなことを言うのは酷なんだろうけどさ。
ただ語り手の中には勤め人だった人もきっと多くいるはずで、そういう「営業努力」に意識が向かないのはなんでなんだろう、と。
今朝のニュースで見る限り、戦争体験を聞く会のフォーマットって昔からほとんど変わってないんじゃないかなーという印象を持った。
雑にまとめてしまえば、現地を案内してもらいつつ(あるいは写真などを交えて)お話を聞いて、感想文を書いて、「こんな酷い戦争は二度としちゃいけないと思いました」、でおしまい。
「体験者から実際に話を聞く」というところに重きを置きすぎというか、それによる効果に期待しすぎなんじゃないかと思うの。
自分がいま学生だったら、例えば「現在の広島市街に原爆が落とされたら」っていうシミュレーションCGの方がインパクトある気がするもの。
なんとなく、体験者によるお話は不可侵というか、とても貴重なことというのが先に立ちすぎてて(貴重な機会なのは実際そうだと思うけど)違和感を覚えた。
自分が知らないだけで、広島や長崎の関係者の方々は、今の中高生に響くようにいろいろと工夫されてるのかもしれないけど。
どんなに大事なことであっても見せ方の「賞味期限切れ」ってのはあるのだな、と思った8月6日でございます。
(追)
あー、別にいまの時点で、被爆者や戦争体験者自身がイシキタカイタカイ((c)トラバ)必要はないわ。
被爆者や戦争体験者の話を若い世代に聞かせたいと思っている人たちが、今の聞き手に合わせてもっと見せ方を考えればいいじゃんって話ですね。すません。
だが、私は根本的なところが違うんじゃねーのと思うわけだ。
あんな店に行く人間の気が知れない。
個人的には、スーパーで買った中国産ウナギや牛丼チェーン店でウナギ食う奴も、
回転寿司行く奴も、24hコンビニ弁当もチキンナゲット食う奴も皆同じなのね。
不味いじゃんあれ。
本来、普通に美味しく食べようと思えばそれなりの値段になるものを安く大量に提供されてる時点でおかしい訳だけど、
不味さに鈍感で「安く飲めた」「ウナ丼食った」「トロ食べた」って喜んでるみたいなのがいるから、商売になるとも言える。
だとしたら、不味いものでも平気で美味いと思って食ってしまうのが問題だよね。
理由としては幼少期に美味いもんを食ったことがないので旨さの基準が分からないからとか、
そもそも適正な価格では買えないので、仕方なく形ばかり満足感を得るために低品質で間に合わせるとかを考えつくが、
食育の不全や貧困に話が及ぶので、それを言っちゃあおしまいよって気もする。
2chといいはてなといいネトゲのネカマといい、ネットには相手をだますことによって注目を集めようとする存在が多すぎる。
「釣り針には食いつくのが粋ってもんだぜ」とか言ってるプロレス観戦者みたいな人間も多いし、
掲示板とかで争い合ってる両方の陣営でお互いを煽りあって闘いを泥沼に持ち込もうとする人間までいる始末。
はっきり言ってそういうの飽きたなって自分は思うんですよ。
別に「本当のことだけ言ってくれ」って訳じゃなくて、嘘の付き合いを楽しむって文化はいい加減賞味期限切れだって言いたいわけなんですよ。
実際この所の嘘ってのは切れ味を感じなくありませんか?もちろんそれは我々受けての問題ですよ。我々が飽きてきたんです。
それならもういっそやめませんか?
注目を集める手段にしろコミュニケーションの一形態にしろ手慣れでつまらないことをいつまでも続けてもしょうがないですよ。
別に「リアルの話で盛り上がろう」ってわけじゃないですよ?ただ色々茶化しあうにしても「釣れた釣れた」「釣られちゃったー」はもういい加減、食傷気味だよね、って話です。