今朝のニュースに被爆者の方が出ていて、最近の語り部活動の上手くいかなさ、聞き手の変化についての苦労について語っていた。
その中で、ある被爆者が「最近は小中学校から呼ばれることがめっきり減った。悲しい」ということを言っていた。
それ聞いて、ついね、つい、「なんで自分からアプローチしないの??」と思ってしまったの。
聞き手の変化についても同様で、最近の中高生はリアクションが悪いって話について、「じゃあ語る切り口を変えようとかは考えないの??」と思ってしまったの。
いやみなさん70~80代とご高齢だし、辛い体験を語ってくれているわけで、こんなことを言うのは酷なんだろうけどさ。
ただ語り手の中には勤め人だった人もきっと多くいるはずで、そういう「営業努力」に意識が向かないのはなんでなんだろう、と。
今朝のニュースで見る限り、戦争体験を聞く会のフォーマットって昔からほとんど変わってないんじゃないかなーという印象を持った。
雑にまとめてしまえば、現地を案内してもらいつつ(あるいは写真などを交えて)お話を聞いて、感想文を書いて、「こんな酷い戦争は二度としちゃいけないと思いました」、でおしまい。
「体験者から実際に話を聞く」というところに重きを置きすぎというか、それによる効果に期待しすぎなんじゃないかと思うの。
自分がいま学生だったら、例えば「現在の広島市街に原爆が落とされたら」っていうシミュレーションCGの方がインパクトある気がするもの。
なんとなく、体験者によるお話は不可侵というか、とても貴重なことというのが先に立ちすぎてて(貴重な機会なのは実際そうだと思うけど)違和感を覚えた。
自分が知らないだけで、広島や長崎の関係者の方々は、今の中高生に響くようにいろいろと工夫されてるのかもしれないけど。
どんなに大事なことであっても見せ方の「賞味期限切れ」ってのはあるのだな、と思った8月6日でございます。
(追)
あー、別にいまの時点で、被爆者や戦争体験者自身がイシキタカイタカイ((c)トラバ)必要はないわ。
被爆者や戦争体験者の話を若い世代に聞かせたいと思っている人たちが、今の聞き手に合わせてもっと見せ方を考えればいいじゃんって話ですね。すません。
こりゃまた典型的こじらせたイシキタカイ民だなあと思ったら 自分がいま学生だったら って学生じゃないのかよ
意識高いってすっかり「なんかむかつくけどなんて言い返せばいいかわからない」時に使う便利ワードになっちゃったな
お前がニュアンス読み取れてないだけじゃね
俺達はお前のママじゃないんだが
馬鹿が飛びつくと言葉は死ぬよな…
増田ニートが社会人馬鹿にしたくて使ってんだよ。
意識高いって大二病と同じで、学生特有の幼稚さや青臭さを馬鹿にする単語だろ。 社会人が意識高いって褒め言葉でも何でもなく「お前は学生並みに幼稚」と言われてるだけだぞ。
いやー違うだろ。大二病とは全然違うだろ。 意識高いことはいいことだ。 ただネットでは 意識(だけ)高いですね つまり、行動伴ってないですね、役に立ってないですね、実績出てな...
だから糞左翼が被爆者になりすまして語り部になってんだろうな
確かに共感を重視しすぎてるきらいはあるよね 世代ギャップが深まれば深まるほど、大事なのは共感よりも実感ではないかと思う
たぶん、普通の人間は歳取るとそういう思考力とか想像力とかがそれこそ想像を超えるくらい劣化するんだよ。 まして社会の主流な生き方に沿って思考停止してやってきた人たちなんて...
これは大二病じゃなくて中二病っぽい
事実にレッテル貼っても事実であることに変わりはないぞ