はてなキーワード: 親心とは
これ、プリキュアにも当てはまるが、こういうカウンターのために自陣の急所(プリキュア)を抉っちゃう奴って、身中の虫って感じで良いよね
同じ文脈で追加されたぞw
私は男だがどっちか言うとフェミ議連の肩を持つ。なんでかなーと思ったら自分の娘にあのカッコさせたくないわという親心?からだった。まあまあキモかった。
補足しておくと
プリキュアが話題になるのは、あれが「ジェンダーバイアス破壊の象徴」として祭り上げられたからだ
プリキュア防犯ポスターに、リアルではアリエナイこんな破廉恥な格好をさせたポスターは許されない、と主張しないと整合性が取れないんだが
あの議連の抗議文だって、お仲間が一生懸命、「プリキュアとの違いはへその位置でぇー」って言い訳するくらい、慎重に取り扱わないといけない
で、切断に四苦八苦してんのになぁ
おじが死んだ。
先日まで元気だったらしいのに。
その知らせを受けて、嫌な記憶が蘇った。
小学生の頃、両親が共働きで忙しかったので私はよく祖母の家に預けられていた。
おじの事は、お兄ちゃんと呼んで慕っていた。
両親に代わって色々な所に連れてってくれたり、色々な物を買ってくれた。
祖母や両親は休みのたび私と出かける彼をみて、そんな事を続けていると彼女が出来なくなるよと心配していた。
背が高く、イケメンなおじだが、一度も彼女を連れて来たことは無かったし、そんな話も聞かなかった。
小学4年生になったある日、珍しくおじは不在だった。家事をしている祖母の目を盗みおじの部屋に入ってみた。
少し散らかった机の上に、色々な女子小学生のアニメ絵が描かれたゲームパッケージがあった。
違和感を覚え、すぐにその場を去ったが、おじは私の子育てのために勉強しているのだと思った。
それからしばらくしたある日、ニュースでロリコンエロゲームの摘発報道があった。そこに、私がおじの部屋で見つけたゲームのパッケージが出てきた。心臓はバクバクし気持ち悪くなった。
彼から何をされた訳では無いが、気持ち悪くてしょうがなかった。
だが、その事は親にはどうしても会えなかった。
それからすぐに、母親の仕事が落ち着いたのと、私も成長したこともあり、祖母宅に預けられることは激減した。
例の事があってから、女の子っぽい服装が苦手になり、髪もバッサリ切って男の子と同じような格好をしていた。
幼い女の子の要素が無くなった25歳を過ぎた頃からは落ち着いた。
彼は私に対して親心で接していたのか?
それとも…??
ひろゆきも、中田も、Daigoも世の中の難しいことを「小学生にでも分かるように」「面白く」しゃべるのが共通してる。Daigoは面白くはないが、中田が書籍を紹介するのに対して、より難しい論文をわかるように短く紹介してるのがいいんだろう。
そもそもひろゆきの動画挨拶は「(日本では)学校行ったり働いてる時間にこんな酒飲み動画をみてる、子ども部屋おじさんと子ども部屋おばさんのみなさん、こんにちは」だ。見てる人全員を低学歴バカという前提で、うんこの話しかしてない。
https://www.youtube.com/watch?v=LlImC7873CU
ひろゆきはこういう自覚らしいが、これも中田が「俺の意見じゃない、この本が言ってることだから!」と専門性のない浅い理解の責任逃れをしてるようなもんだ。
ただまあ、本を読むのも時間なくて忙しいし、中高で英単語は覚えたがやはり忙しいから英語の論文は読む時間ないし、ひろゆきが暇な時間で調べた膨大な雑学を元に勝手にいろいろ調べて面白おかしく教えてくれるなら聞いてやらんでもない。俺がGoogleで調べても間違った情報を選別するのめんどくさいから、せいぜい鵜呑みにはしない程度に人力おもしろGoogleとして使ってやろう。
勘違いしないでほしいが、ひろゆきぐらいの雑学は俺でもしゃべれる。専門なら俺のほうが詳しい。なのになんであいつはわざわざフランスまでいって、ゲームして映画ばかりみて、こっちがあくせく働いてる間酒のんで働きもせず何億も稼いでるんだ。そこはどう考えてもおかしいよな?
最近の話題にやたら詳しかったりするが、それはあいつが暇人だからだ。ネットは暇人のもの。あいつは暇人の王様。調べるつってもネットで調べれる範囲だけなんで、1割も2000年のままアップデートできず間違ってたらみんなで袋叩きにしていい。100点の発言以外許さねえのが正義だ。親が過去に間違った触れられたくないことを「あんた、あのときこうだったよね」と事あるごとにほじくり返して心削っていくように、みんなで一生ひろゆきの間違いを粘着して間違いを正してやってくれ。毒親とかマウントじゃなく、正義の親心ってやつだ。大丈夫、世間からみたらはてなは正義で、ひろゆきは老害だ。賠償金、賠償金。
「顔がいい」というブコメあったが嘘だろ?
最終兵器彼女を読んだ。
中学のときから存在は知っていて、友達からおすすめもされたし、彼から感想も聞いていた。
しかし、当時はなぜか読めなかった。
怖かったのである。
自分の心が抉られるのが。
その悲痛な身の上、翳りのある美しさに本気で惚れてしまったのである。
その後、いわゆるセカイ系と言われる作品からは遠ざかっていた。
心が抉られるのを防ぐように。
それから14年経過した。
中学のころに惹かれていたことを思い出して、手にとって読んでみた。
なんか違う。読んでいて違和感を感じる。
こんなものだったのか。
そもそも高校生活は10年ぐらい前に過ぎ去ったためか、恋愛描写がどうも青臭すぎてもはやついていけない。
「そんな女なんていねーだろ」
「うだうだ言ってないではやくやっちまえ」
「過去の女の話をするなよ拗れるぞ」
人並みに恋愛も経験してきたので、その経験が没入の邪魔をしてしまう。
物語は兵器としての宿命を背負ったちせと彼女と愛し合うシュウジを中心に進んでいく。戦争が進むにつれて周囲の人も死んでいき、終末感漂う世界だが、どうも現実味がない。もちろんSFなので現実味はなくて当たり前なので、ここではリアリティというべきか。
没入できないのである。
普段の悩み事といえば、両親の老後の心配だったり、住宅ローンをどうするかであったり、日々の仕事だったり、高すぎる社会保険料だったりする。
いつ滅ぶかもしれない世界よりも、来年の住民税のほうが気になって仕方がない。
兵器となった女の子に同情はするが、どうも現実味がないのでそれ以上の感情は抱けず、本気で心配する気になれない。
普段存在している世界と方向性が違いすぎていまいちピンとこないのだろう。
そもそもちせは高校生である上に子供っぽいという設定である。アラサーにはガキすぎて抱く感情といえば恋愛感情というより親心に近い。
レイもアスカもガキっぽくて付き合いきれねーなと思ってしまった。あの2人よりはマリの方がいい。そして彼女たちよりも子供たちを見守っているミサトさんのほうに惹かれてしまう。
気がつくとシンジよりもゲンドウに同情していた。シンジにユイの面影を見出すところで思わず涙した。ここでも親心が発現している。
14歳のときに読んでいたら、見ていたら、抱く感想は全然違っていたのだろう。
やはりあの時読んでおくべきだったか。
後悔先に立たずである。
ある小学生の授業を担当してるんだけど、その子はいっつも疲れた顔をしてる。
ほとんど毎日習い事をしてるらしく、スポーツやら英会話やら塾やら詰め込まれてるそうだ。
本音を言えば、中学受験する訳でもないのに何でそこまでして塾に通わせるんだろうなーと思う。
まぁこっちからすればその子の親のことなんて知ったことじゃないしぶっちゃけ楽なバイトではあるんだけど。それに、つい習い事をさせたくなるのも親心なんだろう。
でも、塾の営業か何かで漢検を受けさせられるのは流石に可哀想だなーと思った。
確かにその子は語彙力が足りないと思うし漢字も書けてないことが多いけど、語彙なんて小説や漫画から自然と覚えるものでしょう。
https://yt3079.hatenablog.com/
◎日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民(外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける
→日本人と移民の人口比逆転は時間の問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」
(出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる)
◎約90年で人口が半減するスピード(しかも子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機的非常事態。それなのに対策は後手後手
→例えば、ウイルスの蔓延は現在進行形で悪化のスピードが早く、人権を制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化はダメージの時間的スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。
◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続。政府自治体の対策の対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策は効果が出ていないのが現実。
→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援で保育所をいくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区の出生率は全国平均以下)
◎出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。
→独身に低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者(年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在は戦時中よりもはるかに低い出生率。日本を含む先進国は生活が多様化しており、コスト要因の結婚の必要性と優先順位の低下により、低所得者から結婚を回避するようになった。
◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策が重要
→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援に関係なく、子供を作っている。問題は出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚は個人の自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。
◎動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身は増税(実質的独身税)」
→早婚に金銭的メリットが生じて、相手の理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手の対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。
◎少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやすい育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来、負担の大きい子作りに対し、反発のない対策は効果も期待できないはず(作用反作用の法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手な倫理やモラルで負担回避を正当化すれば、将来世代は先細りの一方。
→目的(少子化解消)は手段(人権に問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットがデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨な社会になっても、子供を作らない自由意思尊重が大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき)
★本稿のポイント
少子化対策の「思い込み=(人権やモラルは少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にのみ人権やモラルを我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題は解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働の担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権や倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策の本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済も回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合の日本人に訪れる悲惨な運命とそれを回避するための、効果を優先した対策を提案、解説する。
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近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来は人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人の出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事の日本社会と政治に問題意識を投げかけたいと思います。
問題は解決するより、発見する方が困難です。個人も組織も、自ら気づかない潜在的な問題により、傾いていきます。少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府の少子化対策関連予算は先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出の観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。
現状の少子化対策は育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性の政策しかとられておらず、改善の兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府は実質的な移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人と移民の混在する国になっています。さらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民の割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツは海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります。公用語が中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。
そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児は個人の権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在の少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策が必要であると考えます。しかしそういった対策は、個人の自由意志に反する可能性のある対策であり、モラルや倫理観の問題で実行に大きな障壁があります。しかし、動機付けの対策に有効性があって少子化が改善される可能性があっても、現代人のモラルや人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います。
少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラルや現代人の自由や権利を理由に放棄してもいいのか。現代人のモラルや価値観はその人種の存続や持続性以上に重要な価値観なのかーー。
このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります。現在出尽くしている対策や論点とは違った観点と具体的な対策を提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います。
【要点・トピック】
現状の少子高齢化が改善しないまま、実質的移民の外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人と移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人と外国由来の国民・住民の人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間の問題。不可逆になる前に手を打つべき。
政府、自治体の育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論付けが必要。国民の自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化の構成要素である未婚率の高まりは少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観の多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策の方針を「大幅に変えないと」今後もさらに日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から」出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。
モラルや倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラルや人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。
続きは以下にて
https://yt3079.hatenablog.com/
◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか
政権に関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題に対応するため、政府や経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的な移民(国連の定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさらに推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法が施行された。彼ら外国人が高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民の高齢化問題も出てくる。
このまま、日本人の人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人と外国人の比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保と観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。
◆出生率の数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口がゼロになるか」の確定年数を導ける指数。内戦中のシリア、アフガンや北朝鮮より先行きが危ない少子化日本。
出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口がゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然と認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しか生まれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代は就職氷河期世代で不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである。
この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前は大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率を人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口の半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。
内戦のシリアやアフガン、独裁政権下の北朝鮮ではいずれも出生率が2を上回る。いくら、内戦や政治不安で経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代が平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。
◆現日本人が外国人(実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋な日本人は消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人が過半数割れ。
「移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である。出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。
2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニックや黒人、アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人の割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さらに2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人の出生率が2を切り続けて増えず、白人人口がゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックとアジア系の流入がその穴を埋めているためである。アメリカの出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民の出生率が高いためである。現在、アメリカは多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人とヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。
数日前に界隈で話題になったが、いくらなんでもクリスマスのこの時期に絶っっっっ対に戦隊のおもちゃなんて買ってあげたくないと思っている。
私は「ママ」になるよりずっと前から戦隊オタクをやっているが、対象年齢かつ戦隊にドハマリしている子供がいても戦隊おもちゃはなんとか回避した。
買いたくない理由はひとえに「シリーズの末期が見えている時期だから」
だからこそ企業としては売り切りたいのだろうが、こっちは2ヶ月そこそこで寿命を迎えるシリーズに金落としたくないんだわ。
しかも何が嫌って、クリスマスにプレゼントを送ったすぐ後に次シリーズのおもちゃ発表するでしょ?
今年は12月26日発表ですね。
私は戦隊オタクだから「はーまたですかぁ」って感じだが、戦隊初めて触れた親御さんにしてみれば「は?????」でしょ。
サンタ仕事で戦隊おもちゃ送った直後に「ハイ次のシリーズ始まりまーす」ってなったら。サンタ仕事の余韻ぶちこわし。
次年から、モノとしては廃れることのないたかとみの車とか電車とかのが買い与えたくなるよ。親心理としては。しんかりおんなんかロボットとしても電車としても使えるんだもん。最強だわ。
欧州に始まりアメリカのカリフォルニアもやり始めたこれらの政策
ついに日本もやるとか言ってるわけだが
教育熱心だったら何をするか
それは将来のためだ。
将来この子の人生が華やいでほしいと思う親心からそうするわけだ
しかし3年後死にますとなったらちょっと話が変わってくると思う
旅行とか多くしたりすると思う
なにが言いたいかって行動が変わるということだ。
それでエンジン開発なんだけど
余命15年のガソリンエンジンちゃんに開発投資する経営者っているだろうかって話だ
35年は良いとしてそのあいだの15年どうするんだ?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1615569
論調に疑問を感じたので書く。
既に指摘されているとおり、結婚制度は「出産・扶養というコストを払って社会維持に貢献すること」への対価として法的優遇を行うことを主旨に設計されている面が大きい。
その意味で、「扶養する子を持たない夫婦」というのは制度上の穴をつく存在であり、法的優遇のみを得ているという点でフリーライダーである。(そういった属性の方を非難する意図はない。あくまで制度設計の話)
結婚と出産・扶養が一連のものとして考えられた時代には、この設計は自然なものであったんだろうとは思う。
「異性婚限定で法的優遇がされているのは差別的(あるいは不合理な格差)だから、性別や性愛の有無を問わず婚姻の条件を緩和すべきだ」という論がみられるが、
そもそも「子育てを行わないペア」を優遇している(優遇しうる制度になっている)のが不合理なのであって、不合理な優遇を享受する対象を増やすのは修正の方向が逆である。
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もうひとつ。
個人主義的な立場に立つのであれば、「パートナーはいてもいなくてもいい、また何人いてもいい」というのが理想像であるべきだと思う。「結婚制度無くなれ」というのが個人主義的には正しい態度。
「パートナー関係に対する結婚相当の法的優遇制度」は「独り身への差別・格差助長」になるってことを認識する人が増えるといいなと思う。
法的優遇はあくまで公共財の生産(子育て)に対する対価という根拠で設計されるべきで、そうでない優遇は差別です。
「お前は子供を公共財だと思ってるのか(お前は国のために子供を育てるのか)」的なことを言う方も見かけますが、むしろ次世代に安定した社会を渡したいと思うのが親心ではないのでしょうか。