はてなキーワード: 西東京とは
いわゆる「平成の大合併」で生み出された
元々はこの他に水海道市という自治体も参加する予定だったが破談した。
対等合併では旧自治体の名前は採用しないという暗黙の了解があったため、
住民アンケートの結果から「筑波みらい」が新市名として決まりかけた。
特に谷和原村サイドは「みらい」という言葉にこだわりがあったらしく、
水海道市も参加していたときの合併新市名案に「みらい市」を推していたほど。
しかしここで突然谷和原村が「つくばみらい」にする案を突然提案。
当然伊奈町は「近隣のつくば市と混同する名称は避けるべきだ」と猛反発。
という提案まで飛び出す始末。(住民に説明できないと当然却下された)
「つくばみらい市」となった。
個人的には、市名を言われてもどこにあるかわからない地名だと思う。
「西東京とは言うが、東京全体から見たらむしろ東のほうじゃないか」
と突込みが入ったという逸話もある。
両方とも歴史ある地名で、とくに喜連川町は足利尊氏の次男を祖とする
それだったらここに限らないんじゃないかと思うのは私だけじゃないはず。
ミスター長嶋茂雄の出身地である千葉県佐倉市を想像しちゃうのもマイナスポイント。
それぞれの県庁所在地まで高速道路で1時間でアクセスできるから」らしい。
聞いてもよくわからない。
ちなみにこの市名も「高輪ゲートウェイ」と同じように、住民投票結果の最下位から選ばれた。
第一位は所属していた郡名から取った「宇摩市(うまし)」。もしこれになってたら
「愛媛県、うまし。」みたいなキャッチコピーができてたかもしれない。
今日のところはこれまで。
よく言われるの、「何でもあって都心でなくて済むから楽だよね」って
いや、出るし!出てるし!お前と話しているココ新宿だし!
確かに色々あるよ?でも幾つか選択肢あるわけじゃない。それしか無い。それ目当に西東京と埼玉県民が押し寄せるの。地獄よ
良い映画館?ふらっと見に行きにくく、わざわざ都心から来る物好きが多くて市民が見に行くのは府中や昭島だよ
だから中野や新宿、秋葉原に行くんだよ。立川以上に人がいても、立川以上に選択肢があるから、結果立川より落ち着く
仕事せず、平日昼から活動出来るなら立川は魅力的かも知れないけど、普通に仕事して週末しか活動できないなら、どこに行くにも交通費がやけにかかる地方都市だよ
ヲタクは出来る限り環八の外側には来るな。どんなに妥協しても武蔵野線の外側には来るな。どんなに住みやすいとか言われても、そこに来るのは近隣住民だけではなく、それ以上に外側に住む車社会の奴等も居ることを忘れるな
何度も言うが、環八を超えるな
万遍ないな
東北を除いて
浅草橋、池袋、上野、五反田、新宿、渋谷、品川、巣鴨、日本橋、八王子
赤羽、青戸、荻窪、赤羽橋、蒲田、板橋、飯田橋、大森、大原、王子、羽田、日比谷、東中野、本郷、馬込、丸子橋、三宅坂、目白、四谷、目黒、谷原、六本木、信濃町、砂町、千住、瀬田、高井戸、辰巳、高田馬場、戸田橋、等々力、成増、半蔵門、初台、晴海、亀戸、上馬、葛西、亀有、銀座、言問橋、高円寺、桜田門、大崎、三軒茶屋、新橋、四ツ木、西新井、三ノ輪、南砂、芝公園、市川橋、祝田橋、永代橋、恵比寿、大久保、大手町、御徒町、駒形橋、駒沢、笹目橋、水道橋、溜池、豊洲、秋川、五日市、あきる野、青梅、奥多摩、数馬、清瀬、狛江、小平、立川、高尾、西東京、多摩ニュータウン、調布、拝島橋、東村山、檜原、府中、町田、瑞穂、三鷹、福生
早稲田実業の清宮キャプテンが選手宣誓をしたことで、あまりにも出来すぎているので一部で高野連が何かやったんじゃないかとバッシングを受けていた。
調べると、春の都大会を制した高校のキャプテンが夏の予選の選手宣誓をやるらしい。
高校野球都大会来月4日開幕 東東京は混戦模様 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/region/news/150621/rgn1506210003-n1.html
東京)東・西の東京大会、組み合わせ決まる 高校野球 - 第98回選手権大会:バーチャル高校野球(朝日新聞×朝日放送)
http://www.asahi.com/koshien/articles/ASJ6G038XJ6FUTIL07K.html
春の関東大会4強の関東一は、3季連続の甲子園に挑む。村瀬佑斗主将(3年)は「チーム全員で頑張ってきた。気合は十分入っているので、これまでやってきたことを出せるようにしたい」と話した。
2014年以前の記事が見つからなかったが、この2年は春の覇者が選手宣誓をしていることは確認出来た。
清宮フィーバーに乗っかったのではなく、たまたま早稲田実業が春を制したから清宮選手が選手宣誓をしただけ、という結論になる。
http://anond.hatelabo.jp/20141130202457
増田アドベントカレンダー2014の19日目です。執筆者はクソアニラジオタことid:cider_kondoです。
「アニメーターの給料が低い」というのはよく言われるけれども、実態や原因をきちんと分かっているオタクは少ない。
むしろ「手塚治虫が全部悪い」とか「テレビ局や広告代理店の中抜きガー」とかなんとか、何の根拠もない間違った話がはびこっていたりする。
そういうわけでこの場を借りて、ちょっとした構図の説明と、それからタイトル通りのちょっとした「応援」の話を書いてみる。
一番広い意味では、アニメの絵を描く人の総称だけど、じゃあ例えば総作画監督とかキャラクターデザイナーやるような人まで含めて話してもややこしいだけだよね。
まあ、監督含めて、そのあたりの偉い人が技術の割に低給って問題もあることはあるけど、そこまで話を広げても風呂敷に収まらないので省略。
神山健治監督が言ってたように、「みんなの懐に入るべき金を抜いてる悪い奴なんていなかった」のであって、すぐに解決できる話ではない。
というわけで実際に画面に出て来る絵、動画を描く人たちの手取りが一番少ないのが大変、ということで話を進める。
を読んでもらうといいんだけど、長いし前提となる知識がそこそこ必要なので数字だけ書くと、
アニメ会社の大半は西東京に集中しているわけで、こんな収入で一人暮らしできるかというと、普通は無理ですよね。新人を採るときに
が重要なチェック項目になっている話もあったりしてさもありなん。
なんでこんなに低いのかというと、アニメーターのキャリアパスと関係あります。
専門学校なり独学なりである程度の基礎持ってる人がアニメ会社(映像というか絵を作る会社)と契約して業界に足を踏み入れたときに最初に振られる職種は「動画」と呼ばれる、人物が動くところを描く役職です。
ここの値段は1枚150円とか200円とかの世界です。ですが、動画経験2年とか3年とかある人でも、月に500枚ぐらいしか描けません。
さらに本当のド新人の時期だと、もう「最初の月は100枚しか描けなかった」的な武勇伝を語る人とかいて、本当かどうかは怖くて確認してませんが、まあそれがフカシで本当は200枚とか300枚だったとしても、まるで食っていけない収入にしかならないのはおわかりいただけると思います。
昔は月産1000枚、2000枚といった嘘みたいな数字が可能だったとは聞きますが、40年前のアニメと今のアニメを見比べると誰でも分かるように、絵が遙かに遙かに緻密になりすぎてそんなの無理ゲーです。
ある程度の枚数こなしたらさっさと原画に引き上げて少しでも手持ちの収入を増やす機会を与えるようにしてしまいます。
これは無理矢理の促成栽培みたいなもんで、問題視している人も多いのですが、食ってけないポジションに長期間若者を留めておくよりはマシってのは事実です。
ここの単純な解決策はすぐに思いつきます。たとえば「見習い期間は固定給として最低限食っていける給料を保証する」とかです。
ですが、上手く行きません。アニメーターの契約はほぼ全員がフリーランスで、極端な人材流動性の高さが特徴です。
今の狂った製作本数が続く限り、一定以上の腕前の人は(人格に少々問題があっても)まず間違いなく新しい職場はいくらでも見付かります。
ですので、見習い期間が終わると、さっさと好きな人・憧れの人のいる職場に移る、なんてのは当たり前です。会社がコストを負担して育ててさあこれから! って時期に逃げられて丸損って話ですね。
また、某社の偉い人が某大学で語っていたところによれば「固定給にしたら絵がまったく上達しなくなった」人もいる、なんて話もあるみたいです。これまた怖いですね。
また、もともと動画に関しては海外との競争という面もあり、そこまで単価を上げられるわけでもない、という根本的な問題があります。
さりとて、動画を実際に描くというのがアニメーターの最良の訓練だというのは事実であり、誰がどうにかコストを負担していかないと、新しい世代が育たなくなってアニメ産業が滅んでしまいます。
NPO法人アニメーター支援機構、という組織があります。そこがやっているプロジェクトがこちら
本当はアニメ産業の構造を変える方法があればいいんですが、そんな青い鳥というか銀の弾丸は今のところ発見されてません。
新人の本当に食えない時期を抜けてある程度の技術さえ手に入れれば、今のところアニメで食っていくのは不可能ではありません。
そういうわけで、
「会社が育成コストを負担するのが難しいなら、かわりに『みんな』に応援してもらってそれを実現しよう」というのがこのプロジェクトです。
昨年、寮を開設する時は少々ファンディングに応じたんですが、今期は青い円形の板の入った箱を買う予定が割とカツカツなんで、まだ支援してません、はい。
かなりの走り書きになりました。本当は自分の書いた下手な文章をよむぐらいなら、
URLを貼ったBIZ誠の記事とか、そのもととなったJaniCA( 日本アニメーター・演出協会)の実態調査報告、
http://www.janica.jp/survey/survey2008_rquest.html
の概要報告書とか読んでもらった方がいいんですが、今まで現実世界で薦めた人は2人ぐらいしか読んでなかったので、そこはあまり期待しないことにしてます。
本当はアニメ産業の構造の話(海外発注の意味とか、SHIROBAKOに絡めた制作進行という役職の意義とか)をした方が、逆に構図がわかって理解しやすいかなと思ったんですが、「応援」という初期ワードを生かすのと、執筆時間の関係でこんな形になりました。
ブログとか持ってないので立川に住んでもう嫌だと思った理由をここに書くぞ。
いなげや、ダイエー、つるかめランドなどがあるがどれも高い。肉、魚、野菜どれも満遍なく高い
しかも美味しくない。スーパーで売ってる野菜は北関東や千葉あたりのものが多いが味は微妙だ
新鮮な魚介類など望むべくもない
■2 美味い食い物屋や安い定食屋がない
1つめと同じような項目だがこれも住んでると痛感する。いつだか立川に美味いものなしという単語を見たことがあるが
まさにそうだと思う。
どこも量は少なし値段は高し。
■4 何もないのに人だけは異常に多く、混雑が酷い
週末の混雑振りは酷い。店も食い物屋も大混雑し快適に過ごせないし買い物も出来ない。
■5 治安というかガラが悪い
南口も北口もすぐ駅前に繁華街があり飲食店や風俗、キャバクラの声かけがウジャウジャいる。
彼らの活動範囲はだんだん広がってきておりオフィス街前でも夕方になるとスカウトやキャバクラの勧誘ティッシュ配りやらが
多数現われる。
■6 街が汚い
やたらと街中でゲロを見かけることがやたら多い。
ゴミも散らかっている。
立川を本拠とする宗教団体のメンバーが早朝に駅前を掃除しているがまたすぐ汚れる。
■7 公共施設が貧弱・不便
立川市の体育館は北も南も駅から3kmも離れたところにある。不便な場所にあるにも関わらず利用料金は普通で安くない。
児童会館、福祉会館など公共施設は老朽化しているところが多い。立派なのは新築された市庁舎だけだ。
中央図書館は駅からも近めだが市の規模を考えるともっと充実してほしいし開館時間も延ばすべきだ。
■8 ゴミも有料になった
ろくでもないところだがゴミ回収無料という長所もあった。しかしそれも終わった。
1L一律2円。40リットルのゴミ袋10枚で800円。この辺は有料ゴミ袋の値段が高いのだがそれにあわせたと市は言っている。
立川にもあるアニメイトやゲーマーズで売っているものは基本的にどこでも買える。
本当にオタクに必要なのはとらのあなやメロンのような同人ショップだ。
これが存在しないのは痛い。多摩は同人ショップ空白地帯だったが結局八王子に出来た。
◆立川にはシネマシティという映画館があるが、隣の昭島にあるMOVIXのほうがずっと快適だ。
座席は隣や前との間隔が非常に狭く快適でない。段差が少なく前の客の頭が視界に非常に入りやすい。
昭和記念公園は有料という時点で論外だろう。入園するたびに400円もかかる。
(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情や無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードのテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから。
政情不安、内戦、グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱な現在と未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています。
テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教、民族、イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。
「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
虐殺の文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。
しかしその死後気鋭の作家がポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも
いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作でコミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代を体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。
そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介。
小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき。
そんな奴が地域紛争と911をテーマに連作短編集を出したもんだから既存の社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。
おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描いた”。
何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。
やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物と言語、宗教の問題はバベルの塔を彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格をコピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった
こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。
んなもん「あなたの恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画の感想にでも垂れ流しとけばいい。
お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?
せめてタイトルで検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?
最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数な感想を引用して終わる。あーイラつく全員死ね。
まず舞台がねー、ヨハネスブルグ、ニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタンの都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京とバリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。
これは凄い。『ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション) http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20130525/1369463211
追記。
補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、
ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分の感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから?
青の零号 @BitingAngle https://twitter.com/BitingAngle/status/354620359674298368
A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?
感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www
ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww
褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニーの作法なんざ知るか。
小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。
A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。
ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものだから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。
「お前は本当に気持ち悪い」という文章から「SFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。
あー気持ち悪い。
社会は一層利便性を増し自由になっていくわけなので、1世代前、2世代前にあったような「不自由さを提供するサービス」というのはもうない。
お前はこの村社会に帰属しなければ飢え死にますよ、とか、一定の年齢になったのでお前はこの人と生殖しなさい反論は許しません、とか、お前はこの家の労働単位として一生働きなさい――みたいな「サービス」はどんどん無くなっていってる。だいたい日本では根絶されたのじゃ無かろうか?
僕たちはその代わりにコミュニティ参加の選択権や、自由恋愛や結婚の相手を選択する権利、職業の自由を手に入れた。ばんざーい。
しかしそこに現れるのは自己責任であり競争なのである。もはや僕たちは「どんなボンクラでも村システムの労働単位として悩み無く生きる」という選択肢をもっていない。全部自分で決めて、決めるのはまだ良いんだが、自己の能力で入手しないといけないのである。あるいは自己の能力においてお前は入手できなかったのだと罵倒されるしかない。
インターネットをはじめとしたIT技術によって巨大視野を入手した僕たちは、巨大なビルボードのなかで自分の現在ランクを常に再確認しながら、手持ちのカードをやりくりして様々な自由選択をし続けなければならないのであった。
ポイントはコミュ力。それがあると色々上手くいくらしいと風の噂で聞いた。まあとにかく意識の高い西東京ではそうだという話だ。
でもねコミュ力とかぼかした言い方いい加減やめましょうよ。それ政治力っすよ。集団の中で自分の意見を通すための技術、能力。それは政治力と呼ぶべきですよ。あるいはコミュ力と呼ばれているものは政治力の下位能力に過ぎませんよ。みんな本当は判っているくせに。
そして政治における低位の技術とは他の参加者を中傷してそのランキングを下げることなのだ(より上に行くとこのかぎりではない。中位では自他共栄戦略の方がなにかとメリットが大きい)。
ビルボードランキングにおいて一億総政治技術者時代を迎えた現代人は、早い時期からそれを学ぶのであった。たとえば小学校のクラスにおける派閥とイジメという形で。はっきり指摘しましょうぜ。イジメは、政治能力の格差によって起きるのだ。僕たちはこの自由が増大した社会において、政治能力が低いと生け贄にされるということをよく知っているはずではないか。
そしてそのサバイバルは小学校を卒業した後にもずっと続くのであった。恋愛という自分-あなたな1on1関係というのはもう完全に幻想で、そういう完結した一対のカップルというのは基本的にオタクの憧れでしかないのだ。通常、恋愛というのは、(多くの場合異性の)参加する一定サイズのコミュニティの中で発生する。友人関係10人とか、職場の同僚関係とか。そのコミュニティの中でお互いがお互いの政治力の照射として作り上げた居心地の良さに惹かれあい、上手くいけば結ばれる。いきなり天から美少女が振ってきて/鏡から女神が出てきて/お兄ちゃんと呼ぶ娘が同棲してきてと言うのはロマンチックだけど現実的ではない。恋人の前にまず友人。交友関係というのは大事。友だちの多い人ほど彼女が出来やすいのだ。やっぱり政治能力は何処までもついて回る。
事実としていまや全員がビルボード・サバイバーなんだから、その件については素直に見つめて、政治の季節に納得した方が良いと思う。特に日本の教育は奇妙に潔癖なので「正しければいい」とか子どもに教えがちだけど、実はあんまりそんな事はなく付け届けはいまでも有効な戦略だったりする(付け届けの種類を考えることそのものが政治センスだったりするんだが)。
ビルボードがあるかぎり、そこに勝者と敗者、強者と弱者が存在するのは避けえないけれど、でもだからといって、全体の平均レベルというものは存在する。敗者だからとふてくされて自棄になりテロじみた行為を繰り返してもランキングは上がらないのだった。
そういえば、社会人力とか、大人力なんてことばもあった。
http://anond.hatelabo.jp/20081016225650
は一般的な見地を述べているが、この道路の背景状況は知って欲しい。
http://www.kkr.mlit.go.jp/naniwa/03/01-01.html
万年渋滞の京都大阪間の大動脈国道1号線のバイパスで、東京で言えば環八のバイパスとして外環道が東名に繋がるぐらいのインパクトがある。立地的には郊外を選んではいるが、関東で言えば西東京と川崎をぶち抜くようなイメージ。
つまり、いらないけど作りやすくて予算を膨らませるための道路ではなく、なんとしても欲しいのだけれど色々難しいから難航しているタイプの道路。そういうところほどhttp://sankei.jp.msn.com/politics/local/081016/lcl0810161139000-n1.htmが沸いて困っているという話。
要らない道路はあっさりシャンシャンで決まり、必要な道路ほど妨害が立ちはだかる。
電車に乗り込むという動作には細心の注意が必要だ。動きが不自然に見えませんように。社会に対して後ろめたいところがあると思われませんように。一瞬の油断が僕の社会適応への努力を水の泡にしてしまう。
扉が開いてもすぐに乗り込んではいけない。降車する客が先だ。幸いにして昼下がりの西東京の私鉄は空いている。前方に誰もいないのを確認し、一拍おいてから車内に足を踏み入れる。人類にとっても僕にとっても小さな一歩。下半身が車内に移動するのにつられて上半身も移動。顔面が真夏の外気とクーラーの効いた車内の空気の境界を通り過ぎた次の刹那、入り口近く左側の座席が空いていることを認識する。この席に座ろう、座らなければ。一瞬の躊躇が挙動不審を招くのだ。全身全霊をかけての決意。ゆっくりと確実に、挙動が不安定にならないよう細心の注意をはらって制御された僕の身体は座席に収まる。収まるはずだった。
いや、実際に身体は座席に収まったのだが、心はどこかに飛んでいた。挙動を安定させ続けられた自信がない。座席への移動に際して視界に入ったのは、左どなりに座る高校生のカップル。そして着席の瞬間に見えたのは、対面に座る、カップルと同じ高校のものと思われる制服を着た女子3人。
女子4人、男子1人からなる高校生グループの端っこに薄汚い異物として混入した自分を認識して、僕は動揺する。
対面に座る女子3人は浅黒くて、並んで座る彼女らはまるで一個のカタマリに見えた。僕が着席するなり、彼女らは甲高い声で笑いあい始める。僕のことを笑っているのだろうか。隣に座るカップルの、男の方もまた浅黒かった。おまけに彼は背が高く、腕にはオシャレっぽい輪っかをつけていてサッカーでもやっていそうな雰囲気だった。僕の貧弱な自尊心を満たすためには、是が非でも否定されなければならない人種。
けれども僕を、なによりも動揺させたのは、その浅黒くてサッカー選手風の彼の、隣に座っている女子だった。彼女はそこにいた彼女の友人らとは違って、とても綺麗な白い肌をしていた。髪の色は黒で、肩にかかるくらいの長さのロングヘアー。清楚な日本美少女のお手本みたいな少女だった。そして恐るべきことに、彼女はサッカー選手風の彼の肩にもたれかかって眠りこけていた。
清楚な美少女と電車に乗って、眠りこけた彼女の頭が肩にもたれかかってくる。僕が高校のころ死ぬほど渇望して夢想していた状況が、最も出現して欲しくない形態で目の前に繰り広げられていた。
僕はとなりに座るサッカー選手風の彼を憎悪した。彼の浅黒い肌の色から廃液を連想した。おまえは大和撫子の純潔を汚す廃液のような男だと、心の中で罵倒した。自分の妄想の勝手さに気づきながらも、そうせずにはいられなかった。
その間、対面に座る3人の女子はずっと笑いあうのをやめなかった。僕のことを見て笑っているに違いないと確信した。だんだん息が苦しくなってきた。世の中から見て廃液に近い存在なのは、サッカー選手風の彼ではなくおまえなのだと彼女らに裁かれているような気分になってきた。電車が走っている間中、色白の彼女は眠っていて、対面の女子3人組は甲高い声で笑いあうのをやめなかった。外出したのを久しぶりに後悔した。
結局、降りるはずではなかった次の駅で僕は電車を降りた。もう挙動不審に思われないように注意をはらって動く余裕なんて残っていなかった。廃液のような薄汚い僕は、僕を排出した電車が動き出すのを呆けて見ているしかなかった。