2007-08-11

外出したのを久しぶりに後悔した

 電車に乗り込むという動作には細心の注意が必要だ。動きが不自然に見えませんように。社会に対して後ろめたいところがあると思われませんように。一瞬の油断が僕の社会適応への努力を水の泡にしてしまう。

 扉が開いてもすぐに乗り込んではいけない。降車する客が先だ。幸いにして昼下がりの西東京私鉄は空いている。前方に誰もいないのを確認し、一拍おいてから車内に足を踏み入れる。人類にとっても僕にとっても小さな一歩。下半身が車内に移動するのにつられて上半身も移動。顔面が真夏の外気とクーラーの効いた車内の空気の境界を通り過ぎた次の刹那入り口近く左側の座席が空いていることを認識する。この席に座ろう、座らなければ。一瞬の躊躇が挙動不審を招くのだ。全身全霊をかけての決意。ゆっくりと確実に、挙動が不安定にならないよう細心の注意をはらって制御された僕の身体は座席に収まる。収まるはずだった。

 いや、実際に身体は座席に収まったのだが、心はどこかに飛んでいた。挙動を安定させ続けられた自信がない。座席への移動に際して視界に入ったのは、左どなりに座る高校生のカップル。そして着席の瞬間に見えたのは、対面に座る、カップルと同じ高校のものと思われる制服を着た女子3人。

 女子4人、男子1人からなる高校生グループの端っこに薄汚い異物として混入した自分を認識して、僕は動揺する。

 対面に座る女子3人は浅黒くて、並んで座る彼女らはまるで一個のカタマリに見えた。僕が着席するなり、彼女らは甲高い声で笑いあい始める。僕のことを笑っているのだろうか。隣に座るカップルの、男の方もまた浅黒かった。おまけに彼は背が高く、腕にはオシャレっぽい輪っかをつけていてサッカーでもやっていそうな雰囲気だった。僕の貧弱な自尊心を満たすためには、是が非でも否定されなければならない人種

 けれども僕を、なによりも動揺させたのは、その浅黒くてサッカー選手風の彼の、隣に座っている女子だった。彼女はそこにいた彼女の友人らとは違って、とても綺麗な白い肌をしていた。髪の色は黒で、肩にかかるくらいの長さのロングヘアー。清楚な日本美少女のお手本みたいな少女だった。そして恐るべきことに、彼女サッカー選手風の彼の肩にもたれかかって眠りこけていた。

 清楚な美少女電車に乗って、眠りこけた彼女の頭が肩にもたれかかってくる。僕が高校のころ死ぬほど渇望して夢想していた状況が、最も出現して欲しくない形態で目の前に繰り広げられていた。

 僕はとなりに座るサッカー選手風の彼を憎悪した。彼の浅黒い肌の色から廃液を連想した。おまえは大和撫子の純潔を汚す廃液のような男だと、心の中で罵倒した。自分の妄想勝手さに気づきながらも、そうせずにはいられなかった。

 その間、対面に座る3人の女子はずっと笑いあうのをやめなかった。僕のことを見て笑っているに違いないと確信した。だんだん息が苦しくなってきた。世の中から見て廃液に近い存在なのは、サッカー選手風の彼ではなくおまえなのだと彼女らに裁かれているような気分になってきた。電車が走っている間中、色白の彼女は眠っていて、対面の女子3人組は甲高い声で笑いあうのをやめなかった。外出したのを久しぶりに後悔した。

 結局、降りるはずではなかった次の駅で僕は電車を降りた。もう挙動不審に思われないように注意をはらって動く余裕なんて残っていなかった。廃液のような薄汚い僕は、僕を排出した電車が動き出すのを呆けて見ているしかなかった。

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