はてなキーワード: 自然発生とは
備忘録。SARS-CoV-2 (幼名 2019-nCoV)というコロナウイルスが引き起こすのがCOVID-19という急性呼吸器疾患。病名の別称として「新型コロナ」「新型肺炎」ともいわれる。
2019年末ごろに中国で人類によって発見された新型コロナウイルス性肺炎は非常に厄介で、新型コロナ前の世界と後の世界とを分断するインパクトがあるウイルスであると考えている。
(イ) ワクチンの研究が進んでいる。しかし有効なワクチンはできないとみている。風邪のウイルスの一種であるコロナウイルスは、一般論として変異が非常に早い。武漢で見つかった割には、武漢株とヨーロッパ・アメリカ株とでは区別ができるほどであり、後者の方が毒性が一段と違うとされる。3か月そこそこで変異株が見つかるほど変異が早い。では今から作ったワクチンはいつの株に間に合うのだろうか。
(ロ) インフルエンザワクチンですらだいたい香港型ソ連型があってABとある。そしてワクチンが必ず効くわけではない。(おたふくかぜや麻疹のように高い確率できくワクチンもあるけど)。では、コロナウイルスのワクチンは効くのか? 無発症感染者が市中を闊歩するようであればそのワクチンは「有効」と評価していいのだろうか。
(ハ) 薬は有効なのか。発症後の治療に有効だとしよう。しかしSERS-CoV2の厄介さは重症度だけではない。熱や咳が出たら薬飲んでおねんねしてればOKっていうヌルいウイルスならこんな状況にはなってない。極端に言えば「よくわかんないんだけど顔を合わせた人間がみんな病気になる。しかも朝元気ででも夜死ぬ」という西洋呪術か何かみたいな感染能力と症状との組み合わせが厄介なのである。
(1) 人類はよほどの覚悟があったとしてもこのコロナウイルスを撲滅できない。まず、すべての人間を清浄にしても他の生物(多分哺乳類だ)がウイルスを持っていればまた発生する。SARSはコウモリかなにかが元宿主であったし、MERSはヒトコブラクダである。そしてSARSもMERSも定着しているし、根絶はそもそも目指されていないといっていい。SARS-CoV2は猫やトラにうつったという報告もあった。人間だけどうにかしてどうなるものではない。
(2) それでもせめて人間だけでもどうにかしてみるとしよう。発症前に感染させることができるうえ、無発症感染者が一定数いる。神出鬼没、落下傘降下作戦、自然発生的といっていい。潜伏期間もはっきりしない。発症するとして感染からまでは他人にうつさないのか(つっても、うつされている以上体のどこかに一定量のウイルスが付着しているとみていいんだけど)、いつからうつすのかわからない。
(3) 2を補足する。当該ウイルスが物質の表面上で失活するまでの時間が執筆時点でよくわかっていない。3日ほどという説もある。仮に感染者が一人もいなくなったとしても、失活前のウイルスを拾ってしまえば感染者がまた出てくる可能性がある。
(4) 感染者が存在し続ける限り根絶はできないといっていい。未発症感染者という存在のせいで、感染者がいなくなって、今後も出ないと宣言するのが極めて困難である。
それでも何とか感染者をいなくしてみよう。最後の感染者が1人になり(なんなくてもいいんだけど)、その人が排出したウイルスがすべて失活すればこの病気は地球上から消えてなくなる。新型コロナがなめらかな物質表面で3日失活しなかったという説があるが、最後に排出したウイルスが失活するまで1週間としてみよう。発症した場合他人にうつす期間はどのくらいだろう。発症から3週間程度で死亡した話はある。余裕を見て発症から4週間は他人にうつすものとしよう。では、感染から発症まではどのくらいとしよう。1週間としよう。すると、最後から2番目に感染した人の感染から6週間はウイルスは活性を持ったまま地球上に存続しうる。非発症感染者も仮に感染からウイルス排出がやむまで5週間としよう。
すると、とある時点から6週間世界のみんなが完全に引きこもれば、地球上に感染力のある新型コロナウイルスはなくなることになる。でも、こんなことはそれこそあり得ない。まさに仮定することが無価値以外の何物でもない妄想である。
人類はSARS-CoV-2のいる地球で生きていくことになる。昨年11月に送ることができた生活はもはや送ることはできない。紙のない世界で生きていくことができない。文字のない世界で生きていくことができない。通貨のない世界で生きていくことができない。蒸気機関のない世界で生きていくことができない。石油のない世界で生きていくことができない。電力のない世界で生きていくことができない。半導体のない世界で生きていくことができない。電気通信のない世界で生きていくことができない。
たかだか1万年前にはこれらはすべてなかった。もはやこれらがない世界を想像するのは困難だ。そして、同様に、SARS-CoV-2のない世界で生きていくことができない。
https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/production/uploads/images/24092298/picture_pc_54d53e784f7e7ee28d960bf91c4ef603.png (グラフ抜粋)
https://note.com/playlist/n/n0cef7c2eba08 (本文)
『外に出たら交通事故に遭うかも』
『悪い人に襲われるかも』
なんてのと一緒。
確率の話じゃん。
じゃ、今のこの騒動はなに?
それは紛れもない事実。それを良しとするかどうか。
それだけの話しだろ。
そうじゃないの?
ヒドい?
酷いかもしれない。
でも、これが続けば本来死ぬ必要のなかった20代30代40代が死ぬ。
どっちを取る?
てか、コロナは自然発生なんだから。誰が仕組んだわけでもなく。
それを終息させるために若者(40代以下と定義)が間接的に死ぬなんておかしいでしょ。
選択肢にもならない。
『あと一ヶ月、本当に自粛して我慢すればコロナは終息に向かう』
ホントにそうなら今のやり方でもいいよ。
アホか。んなことねーのは誰でもわかってる。
集団免疫獲得かワクチンの開発、それがなきゃ終息なんてないんだから。
そこは恐れるにしても、今のこの自粛状況は完全に同調圧力的な流れだろう。
思考停止。
オレの精神が異常なのかね?
振り返るとやっぱり1999年に製造業への派遣を解禁したダメージが大きかった気がする
あの頃のコストの要因だったパソコンもろくに使えないバブル期を謳歌した使えない連中に、労働力の搾取とシバキ上げという麻薬をまさか政府が主導して与えてしまうとはね。
派遣規制はそのままにして、20年前のあの頃にバブル謳歌組のあいつらをみんな蹴っ飛ばして大規模なリストラや倒産をさせてでも新陳代謝を起こすべきだった。
20年前ならどうやったってインフラと人的リソースはまだあったんだから、自然発生的に新産業もイノベーションももっと生まれていたんじゃないだろうか。
バブル期を謳歌したあいつらに任せてたらニッチもサッチもいかない状況を早く作るべきだった。そんな連中を政府が自ら甘やかした。
結局20年経ってどうだ?島耕作よろしくの経団連や主要ポストもみんな20年前に首の皮がつながったシャブ漬けの無敵ジジイみたいなのばっかりが居座り続けることになった。相変わらずの著しいIT音痴だ。
そりゃ国も沈む。
このパンデミックは自然発生的に起きたものであれば、誰の責任でもない厄災です。
ホスピスで働く看護師に聞いた事がありますが、死がわかっている相手につくす仕事というのは、大抵の人は心が壊れていき早く辞めていく人が多いらしいです。それに近い患者が次から次へと運ばれて、苦労の甲斐無く遺体で出て行く人もいるのですから、地獄ですよね。
Twitterの方も最前線で戦い、逃げることも許されず、自分も感染するかもしれない恐怖を強いられている、という悲鳴なのだと思います。
応援されるぶんだけ、その気持ちを否定される。だから余計に辛いのだと思います。今一番欲しいのは応援より人員補充と専門病棟の拡充。市井の私たちにはどうする事もできないのだけれど。
ただ、そういった人たちでも、きっと普段の気持ちの切り替えや癒やしはエンタメだったと思います。
エンタメがあるからこそ、日々の辛い気持ちを解消できたり、癒やされてきたと思います。
Twitterの悲鳴は、現場の苦境を知らせる悲鳴であって、エンタメで応援する人達への非難ではないと思います。余裕が出てきた時にみれば、喜んでくれると思います。今は余裕が無いから仕方ないです。
でも、自分の周りの人たちは、コロナ解禁になった時は、絶対に反動がくるとも言っています。その反動の中に、エンタメ業界の需要もあると思います。
コロナの感染者数は早くても6月くらいまでは、落ち着かないと個人的に思っています。
普段良識派風のブコメ書いてる男性ユーザー達が、婚活に限らず恋愛系の吐き出しをすると本性をあらわにして「売れ残り女」とか「偉そうに男を値踏みしやがって」などと罵倒してるの見ると脱力してしまうよ。
昔からの友人や自然発生した恋人同士でもあるまいし、婚活というシステム上利用者の男女が平等に選ぶ権利があるのは当たり前でしょ?
男性だって容姿や年齢でエゲツない厳選をしているのに女が少しでも選ぼうとすれば棚上げして怒る男性達はなんなの?
そもそもはてなの男性ユーザー達が噛み付いてる婚活女性の選別基準は「※ただしイケメンか石油王に限る」といった絵空事や実行不可能な条件じゃなくて、全部社会人としての常識的な気遣いや同性の友人同士の延長上にある対話じゃないですか。婚活女性の方は共働き希望で収入もあるのだから、そこまで男に経済力は求めてないのに。
家族になる相手なんだから相互のコミュニケーションは重視されて当たり前でしょ?
はてな男性達はそんなにまでして現実女とのコミュニケーションを拒否するの?
婚活女性を叩く男性達の被害者意識の正体は「男が一方的に選ぶのが当然。女は選ぶ権利を持つな」と「女なんかに好かれるためのコミュニケーション面の努力をしたくない」という男尊女卑だし、なおかつそれが当たり前の世論扱いの空気なのがキツすぎる。
この2つの絶望的な価値観が色濃く反映された、多分婚活女性増田へのカウンター創作のつもりで書かれた下記の男性の増田もコミカルな良い話を狙ってるけど笑えなかった。
■参考として5年前に結婚相談所経由で結婚できた我が家を見てみよう
https://anond.hatelabo.jp/20200405130053
好かれる段階に行くまでの努力の重要性を婚活増田から突き付けられた事に対する
「女なんかに好かれるためのコミュニケーション面の努力をしたくない」を貫く俺に気に入られようと先に努力してくれるヒロインがある日突然空から降ってくればお返しに本気出してもいいかな、みたいなメッセージと言ったところに見える。
『tonkotutarou インターネットに求められている文章を完全に理解している感じがあり、その点で炎上系婚活増田たちとレベルが違いすぎる。面白かった。』
↑絶対にこの手の雑な勝ち負け判定でドヤ顔する男性も現れると思ってた。
婚活女性増田さん達は、反発は想定済で日々の記録と男性へのアドバイスを媚びずに吐き出した。
それに対して「参考として5年前に結婚相談所経由で結婚できた我が家を見てみよう」作者の増田さんは「お前ら」の望み通りのオタク男性向け創作を狙いに狙って書いた。
両者は実用ビジネス書とラノベくらい全くジャンルの違う読み物。
それぞれまんまと想定した通りの反応を得たというだけで「炎上」も「勝ち負け」も無いよね。後者作者の男性増田さんに限り「ネット増田バトルの大勝利」を狙ってたのかも知れないけど。
個人的に創作増田さんのギャグの中途半端な衒学趣味はクドくてあまりピンと来なかったけど(電波男の文体も寒いと思って合わなかったなー)平和的な読み物だったと思うだけに、批判上等の辛口アドバイスをした婚活女性増田達を「俺に媚びた方が勝ち、俺を怒らせた方が負け」とばかりに必死に下げて勝利宣言風に悦に浸るのを見てると、平和的な読み口のお話の余韻も吹き飛んでしまうよ。
「さっきの続きだが、“本来なら存在しなかった世界”って何だ?」
「分岐によって自然発生的に生まれた世界ではなく、次元の過干渉により発生した世界。システムの不具合、バグのようなものだよ」
それからガイドは色々と説明してくれたが、俺はSFが得意ではないため雰囲気で理解することにした。
可能性の数だけ枝分かれするが、逆に言えば可能性が0ならば枝分かれもしない。
しかし“本来なら存在しなかった世界”は、その“0を無理やり1にする”ことで生まれる。
木をいじくって枝分かれさせたり、枝を折って別の土地に植えているってことだ。
「だが、お前も未来からやってきて俺の時代に干渉しているじゃないか。それと何が違うんだ?」
「俺の知る限り、そうとは思えないんだが」
ガイド曰く、その“因果力”ってものが働いているおかげで、多少の変化なら世界は帳尻を合わせてくれるらしい。
要はフィクションとかでよくある“運命は変えられない”ってやつだ。
しかし、その“因果力”を超える程の変化が起きると、運命は変えられる。
そして“因果力”は世界そのものが持っており、分裂すると弱まってしまう。
そのまま弱り続ける(分裂し続ける)と世界は形そのものを保てなくなり、やがて消滅してしまうってわけだ。
「ポケットを叩くとビスケットが増えるが、実際は割れて二つになるだけってことだな。そのまま叩き続けると粉々になる、と」
「その分かりにくい比喩、前も言ってたけど……本当に覚えてない?」
そういえば、何となく覚えがあるな。
同じ喩えを使いまわすとは、我ながらよほど気に入ってたと見える。
このままだと俺のいる世界も消えてしまうから、放っておくのがマズいってのも分かる。
今までガイドの目的を知らないでいたが、こういった次元トラブルを解決するためだったんだな。
にわかには信じがたいが、信じなかった時の代償があまりにも大きいので協力するしかない。
だけど、まだ気になることは残っている。
「もう一つ疑問があるんだが……」
尋ねようとした時、間が悪くアナウンスが入る。
「衝撃ニ備エテクダサイ」
「気をつけてって、一体どう気をつけ……」
その後、体全体に凄まじい衝撃が走り、またも俺の言葉は掻き消された。
「ほら、着いたよ! 起きて! しっかり!」
心なしか、声が聴こえる。
俺はゆっくりと瞼を開いた。
「あ、やっと起きた」
どうやら気絶してしまったようだ。
「気絶って、こんな風になるんだな……いつつ」
気だるさと共に、頬に僅かな痛みを感じる。
俺を起こそうと、ガイドが引っ叩いたのだろう。
「さあ、ついてきて!」
だが、酷い目に遭っているのだけは確かだ。
やっぱりエイプリルフールで、俺は弄ばれているんじゃないのか。
何はともあれガイドの頬を引っ叩こうと、俺は身を乗り出した。
「なんだ、ここは……」
それほど裕福な家庭というわけではないけど、せめて晴れ着くらいはと両親は知り合いの呉服屋に頼んで一揃え買ってくれた。大学の卒業式の袴も無料でレンタルというオプションがあって、それも一緒につけてもらった。今思えば成人式用でそれほどいいものでもないけど、思い出として大切に取ってある。
成人式当日はこれも呉服屋のオプションで着付け会場が決まっていて、成人式の会場で朝の7時くらいから着付けが始まった。スタイリストさんが言うには「早い子は5時頃からやってる」ということで、あちこちに晴れ着姿や髪だけセットアップしてもらっている子がいた。
その後、成人式まで時間があるので一度父の車で家に帰り、写真撮影大会が開かれる。どこでポーズしてとかそこに立ってろと父母がカメラを片手にバシャバシャ撮りまくる。早起きして眠いのもあり、この時点で結構疲れてくる。
成人式の時間になり、再び会場へ向かう。会場には晴れ着姿の女性ばかりで、正直誰が誰なのかわからない。何人か中学の同級生を見つけて「久しぶり~!」などと盛り上がる。
会場では中学ごとに席が決められていた。そういえば仲の良かった子が成人式実行委員会やってるとか言っていたなと思い出す。式が始まって、最初こそシーンとしていたが会の進行がかなりグダグダだったため、祝辞などよりも隣に座る旧友との昔話に花が咲いてしまう。一応大人として話を聞こうかとも思ったけど、真面目に何を言っているのかよくわからなかったので聞くことを放棄してしまった。なんか話が終わった後にレクリエーションがあります、みたいなアナウンスがあったけどほぼ参加した人はいなかったようで皆ロビーへ出ていって昔話の続きをしていた。
今思えば敗因は「若い人の手で作るナントカ」というのが流行っていた頃なので若い人に任せた結果、かなりグダグダになったのではないかと思っている。実行委員会というより、それを丸投げした市側にも相当問題があったのではないだろうか。
ロビーでこれまた懐かしい顔に何人か出会う。中でも印象に残っているのが「今お水やってんのー!」と言っていた友人。彼女とはそれきりだけど、今は何をしているんだろう。
家に帰ってくるとお祝いとして親戚を数人呼んで軽い食事会になっていた。この辺は着物に疲れていたのであまり覚えていない。食事会のあと着物を脱いで、ぼやーっと違う自治体の成人式に出ている彼氏にメールするなどする。
夜はクラス会があるということで参加。仲の良いクラスだったので出席率も90%くらいで楽しい夜だった。高校卒業して働いている奴とか妊娠している奴とかいろいろあって大変な奴とか面白かった。ただみんなこうやってそれぞれの道で大人になって行くんだなと思った。
クラス会の後は自然発生的にカラオケになった。徒歩で行けるカラオケ屋では既に他のクラスの2次会が行われていて、カラオケ屋全体が成人式の2次会のようなものになっていた。そこで中学時代1番仲の良かった友達に再開し、カラオケ屋のロビーでアイスを食べながら駄べり、他のクラスの部屋に突入して「久しぶり~!」をかましたり、そんなこんなで駄べり倒したような気がする。
あんなにベタベタした夜はもう二度と訪れないと思っている。冬の寒さだけは身に染みるのに、気持ちだけ子供に返って、でも体はすっかり大人になってしまってそんな子供時代に別れを告る夜。今でもあの日食べたアイスの味は忘れられない。ただのソフトクリームなのに、すごく儚い味がした。ただそれだけ。
ラップ/ヒップホップは2010年代より前から確かに北米で人気はあった。が、それは黒人コミュニティを中心としたもので、現在のような人種間や音楽ジャンルをクロスオーバーしたポップスとしての支持とはやや違っていた。
それを踏まえて、なぜ北米でヒップホップが主流となったのかということを推論すると、結局のところメロディアスなラップスタイル(フロウ)のアーティストが増えて聴きやすいヒップホップの曲が増えたからではないかと思う。
元増田のブコメでは「ラップにはメロディがないから日本人の趣味に合わない」という意見が多くみられたが、黒人以外のアメリカ人もこの起伏のない歌唱をすんなり受け入れられたわけではなく、いくらかのヒット曲がありつつま2000年代まではあくまでヒップホップは黒人向けのジャンルに過ぎなかったと思う。
それを時代を席巻していたラッパー、カニエウエストが2009年に歌メロをオートチューン(ケロケロボイス)で歌い上げた「808s & Heartbreak」を発表し後進に多大な影響をあたえたことや、歌うようなフロウの代表格であり2020年現在にラッパーの中でトップクラスのセールスを稼ぐドレイクの登場によりヒップホップがメロディアスで大衆受けするものに変容していったのだ。(※1)
現に2019年にビルボードのチャートトップに君臨したラップはこんな感じ。
英検三級以上の語学力とDAM精密採点で80点以上を出す歌唱力があれば、2、3回聞いただけでなんとなく口ずさめるようになるのではなかろうか?
しかも従来のヒップホップにはあまり見受けられなかった、オルタナティブロックやAOR、カントリーなど別ジャンルのエッセンスを柔軟に取り入れクロスオーバーさせている。
そしてリリック(歌詞)にギャングスタ調の拝金主義や女性蔑視が見受けられず、かわりに繊細で叙情的な表現や甘ったるい愛の言葉が散見される。
こういった曲をみんなで合唱していたり、若者に混じっておじさんが聞いているさまを想像するのは容易いことだ。今のヒップホップは親しみやすいのだ。
渡辺志保さんの2010年代総括がきれいにまとめられていたので紹介したい。
宇多丸・高橋芳朗・渡辺志保 2010年代のヒップホップを語る
荏開津広×渡辺志保 ラップが席巻した10年代を振り返る - インタビュー : Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA
僕が思う、米国でヒップホップが流行っている理由はもう一つあって、それはあまり面白くないが、ヒップホップの曲構造や今のヒップホップカルチャーのあり方がビルボードチャートで好成績になりやすいように特化していっていることが挙げられる。
CDになんてとっくの昔に売れなくなって、米ビルボードの主な集計対象は動画再生回数とダウンロード数やストリーミング再生数である。短く印象的なフレーズ(パンチライン)を反復するヒップホップソングはネットミーム(ネタ)やTikTok等SNSの投稿に流用しやすくそこで再生回数を稼ぐためにチャート上では有利な存在になっている。
日本でも話題になった2018年の「This is America」(チャイルディッシュガンビーノ)とビルボードHot100のNo.1を争ったドレイクの「In My Feelings」は、「In My Feelings」に合わせてインスタやTikTokにダンス動画をアップする#InMyFeelingsChallengeが自然発生的にブームになったことがヒットに貢献したと言われている。
ドレイクのデビューにも深く関わったリルウェインを初め、アウトキャストのアンドレ3000やネリーなど歌うようなフロウで成功したラッパーは90年代以降少なからず存在はしていた。
Drake - In My Feelngs
私は中国茶が好きで、よく飲んでいるのですが、一言、言いたいことがあり、だけど狭い世界なので、どこの誰が言ったかも、すぐ分かってしまうかも知れません。ですが、どうしても言わずにはいれないことがあり、この場を借りて発言させてもらいます。
中国茶、つまり烏龍茶とかプーアル茶の世界ですが、日本茶や紅茶に比べて、とても小さな世界です。その小さな世界の中のトップに近い人が、ブログで、このような発言をされていました。
https://www.teamedia.co.jp/blog_88/
例えば、中国茶に「岩茶」というものがあります。これを「いわちゃ」と読むか、「がんちゃ」と読むかは、当然、そこにルールは無いわけです。もともと、中国のものですから。中国の言葉を、日本語読みするときに、どのように読んだらいいのか、これといったルールは無く、みんなが自由に読んでいるのが現状です。
それを、上記ブログの筆者でいらっしゃるエライ人は、読み方の統一がなされないと、多くの人に受け入れられるものにならない、どこかで誰かが「正しい」読み方を定義したほうがいい、もしくは、自然発生的に大多数を占めたものを「正しい」として定めたほうが良い、と書いています。
私は、これに反対します。そもそも日本語というのは、漢字の読み方に「音読み」「訓読み」があります。だからと言って、どちらが正しい、ということも無いわけです。エンジンがついて動く乗り物を「自動車」と呼ぼうが「くるま」と呼ぼうが、それは同じものを指しています。日本語とは、そういう言語です。
ここで、読みの統一をしてしまうと、今まで、自由に読んでいたものの幾つかを「間違っているもの」としてしまい、排除してしまうことに、つながります。それは、中国茶という狭い世界を、さらに狭くしてしまうことです。いろいろな人に門戸を広げたいのであれば、できるだけ「間違っているもの」を作らないで、多くの人を受け入れるほうが良いのです。
そもそも、読み方が統一されないと、皆が受け入れない、そのようなことがあるでしょうか。木村拓哉をキムタクと呼び、マクドナルドをマックやマクドと呼び、ファイナルファンタジーをFFやファイファンと呼び、私たちは、そのものを愛しく表現しているのです。もし、スクエアが「ファイナルファンタジーという読み方以外は認めない」などと言い出したら、どう思いますか? 冷めますよね。上記のブログの「正しい読み方」を推進しているのは、そういうことなのです。
私は、中国茶が好きです。より多くの人が中国茶に親しんでほしいと思っています。そのためには、安易に「正しいもの」を定義し、その結果、誰かを「間違っている」と排除してしまう、そのような事態が起こらないようにしたいのです。この文章が、誰かの目に届き、世界が皆を受け入れる優しい場所になれたら良いなと思います。
少しでも食料消費量を減らすため、男子は9歳程度で成長がストップするよう遺伝子を操作されている。一方女子は少しでも出産成功率を上げるため二次性徴の開始時期を数年遅らせ、最終的に170cmほどまで成長するよう調整される。これらの操作は毎年度見直し微調整されているため、出生年によっても程度の差が異なる。生態系を外部と閉じてから2世代目までは意外なことに我々の知る社会の縮小版が構築されたが、3世代目あたりから肉体的特徴に社会を合わせるようになり、4世代目からは自然発生的に選択的交配が行われ、遺伝子操作に頼らずに自ら特徴が強化されていった。そして6世代目になる頃には身長差は60cmまで拡大した。毎世代のうち一定数は環から取り出され外の生態系との交配も試みられたが、環内男ー環外女の交配が成功したのは6世代目までだった。環外のあらゆる人種で実験しても結果は変わらなかった。