はてなキーワード: 真摯とは
とあるゲームアプリの一部に、匿名での短いメッセージを送れるものがある
やり取りは送信者に対して複数人が応答、それ以上はない 一往復だけの限定されたやり取り
とある人が、娘が鬱らしく明日病院に行くが不安だ、とメッセージを送った
多くの人は寄り添い慰め元気づけるコメントを返す中で、一人、何か異質な返信
自分の夫は精神科医だが、学生でメンタルで通院してくる子は大概が若い時期特有のものであり、理由には親子関係の不和も多い
あなたもこれを読んで腹が立つようなら、子供が精神を壊すような理由になる親だということ
そんな言葉でしめられていた
言葉使いも丁寧で、決して荒らしという感じでもなく、他の記事に当人とわかる同様のレスがあったわけでもない もちろんこちらに何かされたわけでもない
が、1分ほど眺めた後にブロックした
やっぱり無理
今後この人がするかもしれない有益なコメントを読めなくなる損失よりも、また同じ人の不快なコメントに出くわすのが嫌だという気持ちが大きく勝った
削除される前に見れて良かったです。真摯にありがとうございます。全然目を付けてなかったので、ありがたいです。自分でも調べてみますね。
オレオレFCがホームでアビスパ福岡に4-0で快勝。リーグ戦は6試合ぶりの白星で、J2時代からリーグ戦11試合未勝利だった福岡戦で初勝利を挙げた。4試合ぶりの先発だったMF前田が2ゴールをマークするなど4得点と爆発。勝ち点を51に伸ばし、2020年に記録した勝ち点48を上回り、クラブ史上最多勝ち点を更新した。5位に浮上し、次節は来月11日にアウェイで横浜FCと対戦。残り3試合、チームは更なる高みを目指す。
◇ ◇ ◇
4試合ぶりの先発出場を果たした18歳がJ2時代を含めリーグ戦11試合未勝利だった天敵・福岡を粉砕した。前半16分、FW鈴木亮のパスに反応した前田は、左足インサイドで合わせて先制弾。さらに同34分には、MF鈴木潤のスルーパスに抜け出して、GKの前で、ループシュートを決めた。
「この試合で何も出来なかったら、(今季は)スタメンもそうですし、二度と起用されることもないと思ってたので、並々ならぬ覚悟で戦った。自分自身もそうですし、苦しいチームを救えて嬉しい」。
前節・川崎戦に逆転負けし、リーグ戦連敗で5試合未勝利。ショッキングな敗戦に試合後、野河田彰信監督が「(会見は)なしや言うてんねん!!」と怒りの会見拒否をした。村松ら負傷者も続出し、これ以上の停滞も許されない状況で「自分にプレッシャーをかけた」という試合で最高の結果を出した。
背番号20の大活躍に、野河田監督も「チームに大きな力を与えた」と評価。福岡戦初勝利、20年に記録していた勝ち点48を更新し、クラブ史上最多勝ち点となった事には「知らんかったわ(笑)」としながら「ずっと負けてたし、苦しい時期やったけど、選手らは下向かずに今の現状を受け止めて、真摯に取り組んでたんでね。今日はそのご褒美かなと思いますね」と未勝利が続く中でも愚直に信じてトレーニングに励んでいたイレブンを称えた。
次節ではアウェーで横浜FCと対戦する。次期司令塔候補は「まだまだ試合はありますし、厳しい試合が続きますが、もっと自分達を向上して、高みを目指していきたいです」と意気込みを口にした。クラブの歴史を更新したチームは更なる高みを目指して残り3試合を戦う。
推しがいる。
もう推しに傾倒した生活を送っているわけではないのだが、人生の1番辛かった時期を支えてもらったし、今もなお成長を続ける姿はこれからも長く応援したいと思っている。
推しのこと好きになった時からずっと薄々としんどさを感じていたが、ここ近年(2年くらい)余計にしんどさを感じている。
なんというか、全体的にずっと幼い。
幼い、し、本人たちは本当によく考えて立ち回る人たちなのに、ファンの方は相手の立場に立って考えるとか出来ないし、違う考えの人を受け入れられない人たちが大勢いる。
仲良しの基準も女子高生のまま止まっていて、表立って大好きって発信するとか、一緒に遊びに行ったこと頻繁に報告するとかしないと仲良しだと認められないし、ちょっとしたプロレスも理解できない。
挙げ句の果てには、誰が持ってきたタイアップかどうかで喧嘩している(喧嘩とはいえ、ふっかけられているが正しい)。
推しはグループの中では簡単にキャラ分けするとどちらかというと異端で、わかりやすい言葉で区別するなら陰キャと陽キャみたいな隔たりが推しと他のメンバー間にある。
それに追随するように、オタクの間にも同じような隔たりがある。
でも、違うのなんて当たり前で、本人たちはもう長いこと一緒にいるので、メンバーのことは当然ファンより知り尽くしているだろうし、分かり合えないことも都度解決するか、我慢できる範疇としてやり過ごしているかのどちらかだと思っている。
メンバー自身が嫌だと言ったとか、特別嫌な顔したとかいうわけでもないのに、受け取ったファンが(私がこれを言われたら、やられたら傷つくな)と勝手に思い、(だからメンバーも傷ついてるはずだ)と勝手に思い、文句を何かと言われている。
もうとにかく、"私がこれを言われたら(やられたら)傷つく"の至極自分勝手な想像により、逐一嫌味を言われるので、所謂同担以外と喋るのがずっとしんどい。
明確に悪意を持っているファンじゃなくても、薄らと推しは批判していい、文句を言っていい(だってあんなこと("私"がやられたら傷つくようなこと)をするのが悪いから)と多くがおもっていて、その前提で喋ってくるのでナチュラルに批判されたり文句言われたりする。
挨拶一つにしても、人前で喋るときの文言をどう組み立てるのは人それぞれなはずなのに、A→Bを B→Aのようにして喋っているだけで愛が感じられないとか言われたことがある。
推しの挨拶を楽しそうに感じられないのは貴方の意見なので、私に同意を求めてこないで欲しいし、私は貴方の推しの挨拶の方が、聞いていて良いとは思わなかったが、推しではないのでわざわざ苦情をファン本人を言うようなことではない。そもそも、どちらの挨拶も素晴らしかった。言葉で伝えようとしてくれたことが1番嬉しい。なんでたかだか言い方一つでどうなん?と逐一言われなければならないのだろうか。
これが、本当に推しが粗雑で、仕事やメンバー、ファンに対して真摯ではないようなら、こんなことは言わないしこんなことは思わない。
けど、ほんとうに、それって貴方の感想ですよね?のラインで叩かれるので普通にしんどい。
しかも向こうは推しがひどいことをしていると思って、正義のつもりで叩いているので話が通じないので、それも余計にしんどい。
そしてなにより、同じグループのファンから言われているのがしんどい。
私がアイドルで、自分のファンが同じグループのメンバーのアンチを執拗にしているようなら、それこそ、大変不快になると思うのだが。
アンチたちはメンバーのためだと思っているので、とどまることを知らない。
アンチはとりわけ、固定のメンバーのファンが死ぬほど多くて、元々は分かりやすく1番人気のメンバーだったけど、今は他のメンバーも仕事が増えたことによってそんなに格差はなくなった。
メンバー全員それぞれの分野で活躍していて、とても良い環境になっていると思う。個人的には。
そして今は、仕事量でいうと、推しが1番働いている形になっている。
で、これまで件の1番人気の彼が先頭を走ってくれていたものをみんなで走っていけるね、と私は思っていたのだが、どうにも、その現状が気に食わないらしい。
冒頭に2年くらい、とかいたが、推しの仕事が増えたのがここ2年くらいなので、関係ないってことはないだろう。
元々1番人気のメンバーで、今は格差はそこまでなくなったように感じる、と書いたわけだが、私はこれが彼の人気が落ちたわけではないと思っているし、そういう意図で書いてもない。そもそも他のメンバーの仕事が増えただけである。
でもそのメンバーのファンは彼の人気がなくなった、人気が落ちた、ひいては不当な評価で仕事を絞られている、などと捉えているようで、どこにもいない敵相手にずっと独り相撲をしている。
ついには誰のタイアップのシングルか、で戦い始め(本当にびっくりした)、不買活動までしている。
タイアップに関してでいうと、これは妄想だが、私がグループのマーケティング担当であれば、あるメンバーのタイアップにしたら売上が現状の1.5になるとして、長期的にそのグループを抱えるとなれば、その他のメンバーのタイアップでも1.5売上が出るようにするにはどうしたら良いか、を考えると思う。
つまり何が言いたいかと言うと、不買活動したところで、売れないから1番人気の彼のタイアップにしよう!とはそうそうならないと思いますよ、ということ。
(リリースあるだけでありがたい)
なお、1番人気の彼は仕事に対してキャリア形成を考えていような発言を時折しており、一方、推しは来た仕事はなんでも受ける、と言っている。
単純にこの差だと捉えていますよ、私は。
そんな感じでずっと、他のメンバーの仕事を1番人気の彼じゃないから数字取れない!数字取れないメンバーをタイアップにするな!などと勝手にこきおろしているので、興行収入も同じグループのメンバーの仕事と競っていて、勝手に数字がヤバいと焦って買い占め、馬鹿にされなくてよかった、とほっとしている。
馬鹿にし始めたのはあなたたちで、だからやり返されると思っているようですが、こっちは馬鹿にしようとも思ってないのですが。
同じグループなのに。
自分たちが批判したことと似たようなことを彼がやる、言う、ことにはダンマリ。胸糞悪い。
もちろん、同担の中にはマナーが悪い人もいると思う。どのメンバーにもそういうファンや一定数いると思う。でも、今はちょっと特定のメンバーのファンがひどいとおもう。
そして彼奴等は口を揃えて、元々は推しが(もしくは推しのファンが)悪い、という。
上記したように一定数厄介なファンは誰にもいるだろうし、人間なので自分勝手な態度を取ることもあるだろうし、推しが全く悪くないとかは言いませんけど、あまりにもその反論の範疇を超えてないだろうか。本当によく考えて欲しい。自分たちのやってることを。
しかもこの全く悪くないとは言いませんが、というのは、推しに後ろめたいことが本当にあるわけじゃなくて、人間なので、という建前である。
鬼の首を取ったように今ひどいこと言ったよね!?なんてわざわざ言わないだけで、他のメンバーに対して思うこと、こっちにもありますよ。
でも、ずっと書いてるように言われたのは私ではないし、本当に問題なのであれば本人が解決すると思ってるから言わないんですよ。
あと本当に他人だし推しでもないしめくじら立てるようなことそうそうないです。
件のメンバーが自分で何も解決できないみたいな扱いにしてること気づいてますか。
そういうファンの態度が、彼って人気なくなったの?と思わせてしまうような(思っている人はいないと思うが)態度であること、気づいてますか。
気付かないから、今日も元気に同グループのメンバーのアンチをして、同じグループのメンバーの仕事と競い、そしてそれが自分たちに返ってきそうになる(彼が数字取れなくなりそうになる)たび勝手に焦り、勝手に誰かを悪者にしているんでしょうね。
あと本当に申し訳ないが、1番好きでもない、ましてや嫌いな人間、かつ対面で話せるわけでもない他人をそんなに追いかけて、コントロールしたくなったり、発言一つ一つを自分ごとと捉えて怒ったり憎んだり、自分が言われたかのように傷つくの、正直健全な精神状態ではないと思うので、いくら彼のことが好きだとしても離れた方が賢明だと思いますよ。真面目な話。
そして彼がそんなファンを放置してるのがしんどいフェーズになってきました。彼は悪くないのにね。可哀想だなとも思ってます。
(そして彼は悪くないのにね、と思うのにも正直辛くなってきた。弁慶ってなんやねん。庇って死ねってか←こういうところでずっと叩かれてる。辛い。こっちは黙ってるのにって思う。正直)
そして現に私は疲れており、同担以外とは話したくないしグループ仕事も億劫だなと思う時が、ないことも、ない。
今は1人のメンバーのファンからのアンチが激化しているが、最初に書いたように薄っすらと他のメンバーのファンのお気持ちからくる文句批判苦情を受け流すのにも疲れた。
そういうのを考えながらリリースや様々な仕事を見るのにも疲れるので、個人仕事以外はあんまり楽しく見れていない。
ここまでつらつらかいて、こんなグループのファンダムいやすぎてファンになりたくないな、と思うだろうし、こういうのはどうかと思うが、ファンになるのは割とおすすめしない。
あと叶うことなら、事務所もそろそろどうにかしてくれないだろうか。忙しいとは思うが。私は批評として捉えられる範疇を超えていると思っていますが。
苦手というと毒親や、貧乏な家庭だと思うかもしれないが、私の親は裕福で理解のある親だった。私は何不自由ない教育を与えられて、それなりに評価される大学に入り、それなりに社会からも認められる会社に入った。まさに今の言葉で言えば親ガチャ成功だと思う。親が苦手とは何事かと思われるかもしれない。まさにその通りで私は親不孝な息子なのだ。
なんとも言えない親への思いは歳を経るごとに増していった。なぜだか全くわからないが、親と話すたびに、苦手意識が増していくのだ。
自分の親は愛すべきである。兄弟は助け合うべきである。私は強くそう思う。そう思うからこそ、どこかむず痒く、脂っこいものを食べて胃酸が上がってくるような気持ちに襲われるのだ。そして時には胃が痛くなるほどの胸焼けを起こすのだ。
思い起こせば高校生の頃からそうだった。親とは何を話しても面白いとは思えない。むしろ窮屈になる。視野が狭窄して自分というものが何かわからなくなる。こんな気分になるのは親と話している時だけだ。
社会に出て実家に帰るたびに、この思いに駆られては押しつぶすを繰り返している。30歳をすぎて、そろそろこの思いに決着をつけなくてはいけない。
実家から帰る新幹線のホームでぼんやりとそんなことを考えながら、電車に乗り込み窓際の席に座った。今日はとても空いているようだった。
思い起こすと、私の親は自分というものが一切なく透明に見えるのだ。自分の意思よりも、家族の意思を優先する。家族の意思よりも、社会の意思を優先する。自分の意思が全くなく、何かに決められているようだった。
そうやって生きてきた人なのだ。よく親が言っているのはこんな言葉だ。「親はこうあるべきだ。子はこうあるべきだ。親戚なのに何もしてくれない。医者は真摯に病人に向き合うべきだ。女性はこうだ。男性はこうだ。良い歳して何してるんだ。」そんなことを口にしながら、泣いたり、怒ったり、苦しんだりしている。それを聞くたびに私は頭が痛くなるのだ。他人のことなんて放っておけば良いのにと思う。誰がなんと言おうとやりたいようにやれば良いのにと思う。
私が進路を選ぶ時もそうだった。社会が決めた基準を遂行できる洋服を着飾るために一生懸命だった。親心という名の善意の名を借りて何かに決められた基準を私に諭しているだけだった。塾にももちろん通ったし試験のために必死に勉強もした。
「あなたのためを思って言っている」と口癖のようにいう。今もそうだ。だけどそれは、あなたのためを思って[社会的に間違えてない正解]を諭しているにすぎないのだ。それが愛というのだろうか。そんな生き方は窮屈じゃないのだろうか。
こうして言語化してしまうと、たちまち親への思いがただの苦手から嫌いに変容しそうになり、自分が嫌になった。普通なら感謝すべきだろと思うし、どれだけ自分に投資したかを考えると頭は上がらない。だからこそ辛いのだ。なんとなく苦手で終わらせておけばよかった。終わらせれば良いのだ。私は高校時代に、親に向かって「絶対に友達にはなれない性格」と言っていたらしい。なんてひどい奴だと思った。そんな自分を自覚したくなくて、必死に隠そうとしていたのかもしれない。
まったく行き場のない、終着点のない思いを抱えて、新幹線は見慣れた高層ビルの合間を縫って東京駅へと着いた。誰も私のことなど気にしてない、気にかけてない、横糸も縦糸もない。ふらふらと行く宛もないまま、高架下を通って寂れた飲み屋に入った。終着しない思いを抱えて、浴びるように酒を飲んだ。このまま記憶がなくなって、全く別な人間として生きていければ良いのにと思った。記憶がなくなるほど飲んで、夜の街をふらついた。夜中の12時を回っていたと思う。
ふと気がつくと目の前には知らない女性がいた。見ず知らずの会ったこともない女性だった。身元もわからないただ性を売る女性と、何を質問されても嘘ばかり答えている自分が遠くから見える。そこに存在するのは、ただお金のつながりだけで、お金を得たい女性と、性を買いたい男の汚くて生臭くて、目を背けたくなるような関係しかなかった。「こうあるべきだ」という呪縛から、社会が決めたドレスコードを守るだけの生活から、なんとか抜け出そうとして、ここに辿り着いたのかもしれない。全くの間違いだったとしてもそんな自分を許して欲しい。良い歳してこんなことするなんて馬鹿だと親にな言われるだろう。
過去にも同じようなことがあった。酔っ払って大学時代の友人に出鱈目ばっかり喋ってたと言われたことがある。何かになりたくて、何者にもならなくて、結局そんな自分が嫌いで、自分を消し去ってしまいたいと思っているのかもしれない。いや、きっとそうなんだと思う。
目の前の女性はとても暖かかった。水槽の中で飼われた魚のように思えた。複雑な世界から、生臭くて汚くて煩わしいものを引き抜いた、美しい世界だと思った。誰かを愛したり愛されたり、面倒で煩わしくてこんがらがった関係を自分は築ける人間になれるのだろうか?それを受け入れて、複雑な社会で透明になって生きていくことはできるだろうか。プラスチックのような、テトリスのブロックを積み上げるような、機械的な会話をして外に出た。10月とは思えないほど外は肌寒かった。
GPT4だとこんな感じ。
神ではなく、発信者の責任を問題視しているので、それよりは戦えそう。
「神の思惑は人間には測れない」という主張に対しては、さまざまな反論のアプローチがあります。以下に、その主張を問題視するための代表的な反論をいくつか示します。 1.知識の特権: この主張が真であるならば、どのようにして彼らは「神の思惑は人間には測れない」ということを知るのでしょうか?彼ら自身も人間であり、この事実を知る能力があるとするならば、他の神に関する知識も得られる可能性があります。 2.選択的使用: この主張は、神に関する都合の悪い事柄や疑問に対する便利な盾として使われることが多い。神に関する肯定的な事柄や信仰の正当化に関しては、人間は神の思惑や意図を理解しているかのように語られることが多い。この二重基準は合理的ではない。 3.矛盾の可能性: 万能の神が存在するとし、その神が完全な善であると信じるならば、なぜ悪や苦しみが存在するのかという問題(神と悪の問題)が浮上します。神の意図が理解できないという主張を使ってこれを回避することは、その矛盾を直接解決するものではありません。 4.論理的帰結: この主張を真に受けると、任意の行動や出来事を「神の意図に従っている」として正当化することができます。しかし、これは道徳や倫理を曖昧にし、任意の行動を許容することになります。 5.信仰の本質: 真に信仰の力を信じるならば、疑問や批評に対して「神の思惑は人間には測れない」という逃げ道を使わない方が、より真摯な態度と言えるでしょう。 最終的に、このような議論において最も重要なのは、お互いに尊重の念を忘れず、対話を通じて理解を深めることです。
苦手というと毒親や、貧乏な家庭だと思うかもしれないが、私の親は裕福で理解のある親だった。私は何不自由ない教育を与えられて、それなりに評価される大学に入り、それなりに社会からも認められる会社に入った。まさに今の言葉で言えば親ガチャ成功だと思う。親が苦手とは何事かと思われるかもしれない。まさにその通りで私は親不孝な息子なのだ。
なんとも言えない親への思いは歳を経るごとに増していった。なぜだか全くわからないが、親と話すたびに、苦手意識が増していくのだ。
自分の親は愛すべきである。兄弟は助け合うべきである。私は強くそう思う。そう思うからこそ、どこかむず痒く、脂っこいものを食べて胃酸が上がってくるような気持ちに襲われるのだ。そして時には胃が痛くなるほどの胸焼けを起こすのだ。
思い起こせば高校生の頃からそうだった。親とは何を話しても面白いとは思えない。むしろ窮屈になる。視野が狭窄して自分というものが何かわからなくなる。こんな気分になるのは親と話している時だけだ。
社会に出て実家に帰るたびに、この思いに駆られては押しつぶすを繰り返している。30歳をすぎて、そろそろこの思いに決着をつけなくてはいけない。
実家から帰る新幹線のホームでぼんやりとそんなことを考えながら、電車に乗り込み窓際の席に座った。今日はとても空いているようだった。
思い起こすと、私の親は自分というものが一切なく透明に見えるのだ。自分の意思よりも、家族の意思を優先する。家族の意思よりも、社会の意思を優先する。自分の意思が全くなく、何かに決められているようだった。
そうやって生きてきた人なのだ。よく親が言っているのはこんな言葉だ。「親はこうあるべきだ。子はこうあるべきだ。親戚なのに何もしてくれない。医者は真摯に病人に向き合うべきだ。女性はこうだ。男性はこうだ。良い歳して何してるんだ。」そんなことを口にしながら、泣いたり、怒ったり、苦しんだりしている。それを聞くたびに私は頭が痛くなるのだ。他人のことなんて放っておけば良いのにと思う。誰がなんと言おうとやりたいようにやれば良いのにと思う。
私が進路を選ぶ時もそうだった。社会が決めた基準を遂行できる洋服を着飾るために一生懸命だった。親心という名の善意の名を借りて何かに決められた基準を私に諭しているだけだった。塾にももちろん通ったし試験のために必死に勉強もした。
「あなたのためを思って言っている」と口癖のようにいう。今もそうだ。だけどそれは、あなたのためを思って[社会的に間違えてない正解]を諭しているにすぎないのだ。それが愛というのだろうか。そんな生き方は窮屈じゃないのだろうか。
こうして言語化してしまうと、たちまち親への思いがただの苦手から嫌いに変容しそうになり、自分が嫌になった。普通なら感謝すべきだろと思うし、どれだけ自分に投資したかを考えると頭は上がらない。だからこそ辛いのだ。なんとなく苦手で終わらせておけばよかった。終わらせれば良いのだ。私は高校時代に、親に向かって「絶対に友達にはなれない性格」と言っていたらしい。なんてひどい奴だと思った。そんな自分を自覚したくなくて、必死に隠そうとしていたのかもしれない。
まったく行き場のない、終着点のない思いを抱えて、新幹線は見慣れた高層ビルの合間を縫って東京駅へと着いた。誰も私のことなど気にしてない、気にかけてない、横糸も縦糸もない。ふらふらと行く宛もないまま、高架下を通って寂れた飲み屋に入った。終着しない思いを抱えて、浴びるように酒を飲んだ。このまま記憶がなくなって、全く別な人間として生きていければ良いのにと思った。記憶がなくなるほど飲んで、夜の街をふらついた。夜中の12時を回っていたと思う。
ふと気がつくと目の前には知らない女性がいた。見ず知らずの会ったこともない女性だった。身元もわからないただ性を売る女性と、何を質問されても嘘ばかり答えている自分が遠くから見える。そこに存在するのは、ただお金のつながりだけで、お金を得たい女性と、性を買いたい男の汚くて生臭くて、目を背けたくなるような関係しかなかった。「こうあるべきだ」という呪縛から、社会が決めたドレスコードを守るだけの生活から、なんとか抜け出そうとして、ここに辿り着いたのかもしれない。全くの間違いだったとしてもそんな自分を許して欲しい。良い歳してこんなことするなんて馬鹿だと親にな言われるだろう。
過去にも同じようなことがあった。酔っ払って大学時代の友人に出鱈目ばっかり喋ってたと言われたことがある。何かになりたくて、何者にもならなくて、結局そんな自分が嫌いで、自分を消し去ってしまいたいと思っているのかもしれない。いや、きっとそうなんだと思う。
目の前の女性はとても暖かかった。水槽の中で飼われた魚のように思えた。複雑な世界から、生臭くて汚くて煩わしいものを引き抜いた、美しい世界だと思った。誰かを愛したり愛されたり、面倒で煩わしくてこんがらがった関係を自分は築ける人間になれるのだろうか?それを受け入れて、複雑な社会で透明になって生きていくことはできるだろうか。プラスチックのような、テトリスのブロックを積み上げるような、機械的な会話をして外に出た。10月とは思えないほど外は肌寒かった。
でも元増田の中でも
って書いてるわけで、ようは舐めてるってことでは?
だいたいさぁ、特性だから注意してもやっちゃうっていうのは裏を返せば、「オマエは注意しなくてもできるから楽できていいよね」ってことでしょ
んなわけないわ。
めちゃくちゃ苦労して、注意して、他人を尊重して、自分を制御して、創意工夫をして、何度も失敗してはやり直して、コストを掛けて学んで、遅刻しないようにしてるんだよ。
俺は遅刻するやつを許すけど、そのことに関して真摯に反省してほしい。オマエは定型発達だから遅刻しないだけなんて言われたくない。
(追記)
でも考えてみたら、俺の周りに遅刻するようなやついないし、いたら疎遠になるだけだろうし、別に問題視する必要もないか。
世の中には何らかの事情で知的障害者のお世話をしてる人もいて、自分はそれとは無関係な世界に生きている。
それと同じように世の中には遅刻してきてそれを発達障害だからと許しを求めてくる人もいて、そういう人のお世話もしている人もいて、俺はそれとは無縁に生きている。それだけのことだったな。なにか意見を言うような話ではなかった。
https://www.johnny-associates.co.jp/news/info-727/
正気か?
あっ待って待ってゴメンゴメンね、ちょっとド直球すぎたよね?でもほら絶対読んで損はさせないから、ホントホント、最初はアレだけどもう最後の方を読むだけでもいいから、ね?ね?お願い!
じゃあ先ずNHKへの返答からだけど、「性加害に関する事実認定は、独立した第三者である再発防止特別チーム及び被害者救済委員会に委ねることとしており、弊社が認識している限り、そうした事実はございません」ってあるよね?ここにジャニーズ事務所の認識が再発防止特別チーム及び被害者救済委員会の”調査結果”に基づくという記載、あるいはそれに基づくことを示す文言がないってことは、その認識がジャニーズ独自のものになるけどおかしいよね?
だって散々ツッコまれている通り、事実認定を任せてる調査委員会の調査結果が出てない段階で、性被害を噂レベルでしか知らなかったジャニーズ事務所が被害の真偽を判断できるわけないじゃん。知らなかったし任せてるんでしょ?そもそも被害が膨大かつ広範囲でなおかつ扱いの難しい性被害なんだからちゃんとした調査を待ってから否定も肯定もしなきゃダメじゃん、バカなの?
https://togetter.com/li/2238481
確かにjrでもレッスン生でもない高校生がふらっとNHKに現れて勝手にレッスンに参加するなんて…奇妙だよね?許可なくレッスンを受けるのは変だよね?NHKに忍び込めるのも怪しいよね?セキュリティがおかしいよね?じゃあその解釈が間違ってるんじゃね?
「高校生だった2002年の秋、ジャニーズ事務所の「ジャニーズJr.」が出演する音楽番組「ザ少年倶楽部」に出演を希望していたことから、東京 渋谷のNHK放送センターを訪れ、ダンスの練習に参加したということです」
なるほど報道を一読しただけならその解釈は自然ですらある。おそらく被害者の特定を避ける為にぼやかして書いたんだろうけど、これはNHKの書き方も悪いよね!
ただここには告発者が呼ばれてもないのにNHKに来たとは一言も書いてない、もっといえば彼がオーディションもスカウトも経てないとも書いてない。動機はあるけど彼がどういう経緯でNHKを来訪したかはぼやかされたままだ。つまり告発者がジャニー氏及び関係者に招かれた可能性は残されたままでもある。
となるとジャニオタの人たちの解釈における指摘は告発の否定にはならない。なぜなら論理的に破綻も飛躍もない(だよね?)別の可能性がある限り、彼女達の”解釈”の疑問点を示したところで、その解釈だとそうだけどこっちの解釈だとおかしな点はないね!となるからだ。
いや、そもそもNHKが裏取りしてないわけないじゃん!自社で行われた犯罪行為だよ?他事例に比べて当時の状況確認ははるかに楽だろうし、話題性抜群である意味自身の恥でもあるんだから信憑性は丁寧に確認するに決まってんじゃん!
あと人がいっぱいいたから性行為はできないって所属タレントには性加害が周知の事実だって証言は沢山あるし、トイレの個室だったら広さ的にも楽勝よ?
で、ここからが本題。上記の内容を踏まえるとどれだけジャニーズの対応がとち狂ってるか分かるよね?NHKが自信満々に(トップニュースで)持ってきた告発を雑に否定した上で、プレスリリース文とタイミングでファンを焚きつけるような真似したんだから。(さらにいえば弊社が認識している限りって文言は現時点では意味もあり、今は否定するけど後で間違ってるかも?という狡猾かつ卑怯な表現だよね)
前者も素直に「真摯に調査対応していきます」といっておけば数年後に紅白でジャニーズ事務所復活というストーリーも描けただろうにと思うけど…
特に問題なのは後者で、これセカンドレイプを助長させるクソさもさることながらひたすらに騒動を延命させることにしかならないんだよね。ネットって飽き性だから燃料がないとすぐ鎮火するけど、今はファンの行動でおもしろがられたり義憤に駆られたりしてるから燃えちゃうよね!
だからちょっとでも冷静になれてるジャニオタの人は過激ファンを止めたほうがいいよ!あと事務所への提言も!
ファン同士の抗争とか起こるだろうけどここで留めておかないとマジで終わると思うジャニーズ。好きだったら行動を起こしたほうがいいかな
ただ相当辛い思いもするだろうから、ちょっとジャーニーズから距離をとってみてもいいかも。
残酷な話するけど、正直もう元にはあの頃には戻らないよ。だから別の趣味見つけたり、リフレッシュしたり、何もしなかったりして、騒動が終わったころにもどったりしたりしてもいいと思う
本内容は映画アンダーカレント・怪物・CLOSEのネタバレを含みます
悟役にアホみたいにイライラして、こいつまじで引っ叩きてぇ〜〜〜、と思った以外は総じて共感。(もちろん、悟が探偵を雇っているという事実が、愛していたかどうかを置いておいて、かなえたちを想っていたことの証明だと思ったのでそんなに彼のことは嫌いじゃない。)
堀さんとかなえのラストのやりとり、めちゃくちゃ泣きそうになったし、ラストシーンが素敵すぎて良かった。2人の関係性とか、周囲の人とのやり取りも好きだ。
というのはあるんだけど、全体的に「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ってしまったのが本音だった。本筋とは関係ないが台詞回しもくどく感じるところがあった。映画に対して、事件が起きないとか退屈だとは全く思わない。むしろ一つのテーマについて丁寧に時間をかけて描いているところが真摯で魅力だと思った。けど、それでもって「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ったのが本音だった。
こう感じた時にその映画のことをどう捉えればいいのかわからなくなる。
それでフィルマークスで映画の感想を検索したら「人の本当の思いを知るのは難しい」「人をわかるってどういうことなんだろう」とかあってよくわかんなくなって閉じた。ごめんその感想何?どんなふうに人生送ってんの?と思ってしまう自分が嫌だった。そういう人もいるよね〜で流せない。ごめん、普段なら流せるんだけど。流せるのかな?わかんないわもう。
映画怪物を観た時も同じことを思った。まずもっていうが、怪物自体は大好きである。シナリオブックも買ったし、観た後ずっと怪物のことを考えていたしサントラもずっと聴いたし。けど、正直、観た直後の感想は、「是枝監督と坂元裕二をもってしても、日本における理解はまだこの程度なんだな。」という感想だった。是枝監督と坂元裕二の信者なので、2人に関しては、「もしかしてそう思わせるのも狙いなのでは?」と思いもする。だからフィルマークスを開いて、「LGBTQのこと何にも分かってなかった!」とか言ったり、「よりとみなとが幸せに生きれる世の中にしたいよ〜」とか呑気に言ってるお花畑たちのこと見て眩暈がした。まぁ同性婚すら認められてなくて、数年前に生産性とか信じられないこと言うような議員がいる日本だとしょうがないんですかね?世間の反応として、物語のカタルシスとしてそこが使われるのがどうなのかとかそういう議論になるのかと思ってた。馬鹿みたいほんと
CLOSEもみた。CLOSE観た後にフィルマークス観たら、この映画は「怪物のようにうんちゃらかんちゃら〜」って書いてる人が多くて訳わかんなくなってすぐに感想閉じた。
自分が当たり前にしてた、恋バナするにしても彼氏彼女いるの?って聞かずに、お付き合いしてる人いるの?と聞くとかそういうのって当たり前じゃないんだなと思ってビビった。ビビったしいつまでここにいるんだろうと思った。自己発信してないのに文句言うの違うよね。わかる。ごめんなさい。
自分がわかってないってこと、認められる人ってめちゃくちゃ偉いのもわかる。けど、SNSになんかかっこいい文章でそうかくのってほんとなのかな?て思っちゃうんだけどどうなんだろう。ポジティブに考えればそうやって社会も変わっていくはずで、もちろん自分だって全部完璧にできてるとは思ってないわけで。全然至らぬ点があると思ってる、直したいってずっと思ってきたし、そうおもってる。
あーーー社会に絶望するのやめたい、足りてないと思うなら啓蒙できるようになるべきだよね。啓蒙できるようになるために勉強しなきゃだよね。けどやっぱ絶望するわ。
本内容は映画アンダーカレント・怪物・CLOSEのネタバレを含みます
悟役にアホみたいにイライラして、こいつまじで引っ叩きてぇ〜〜〜、と思った以外は総じて共感。(もちろん、悟が探偵を雇っているという事実が、愛していたかどうかを置いておいて、かなえたちを想っていたことの証明だと思ったのでそんなに彼のことは嫌いじゃない。)
堀さんとかなえのラストのやりとり、めちゃくちゃ泣きそうになったし、ラストシーンが素敵すぎて良かった。2人の関係性とか、周囲の人とのやり取りも好きだ。
というのはあるんだけど、全体的に「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ってしまったのが本音だった。本筋とは関係ないが台詞回しもくどく感じるところがあった。映画に対して、事件が起きないとか退屈だとは全く思わない。むしろ一つのテーマについて丁寧に時間をかけて描いているところが真摯で魅力だと思った。けど、それでもって「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ったのが本音だった。
こう感じた時にその映画のことをどう捉えればいいのかわからなくなる。
それでフィルマークスで映画の感想を検索したら「人の本当の思いを知るのは難しい」「人をわかるってどういうことなんだろう」とかあってよくわかんなくなって閉じた。ごめんその感想何?どんなふうに人生送ってんの?と思ってしまう自分が嫌だった。そういう人もいるよね〜で流せない。ごめん、普段なら流せるんだけど。流せるのかな?わかんないわもう。
映画怪物を観た時も同じことを思った。まずもっていうが、怪物自体は大好きである。シナリオブックも買ったし、観た後ずっと怪物のことを考えていたしサントラもずっと聴いたし。けど、正直、観た直後の感想は、「是枝監督と坂元裕二をもってしても、日本における理解はまだこの程度なんだな。」という感想だった。是枝監督と坂元裕二の信者なので、2人に関しては、「もしかしてそう思わせるのも狙いなのでは?」と思いもする。だからフィルマークスを開いて、「LGBTQのこと何にも分かってなかった!」とか言ったり、「よりとみなとが幸せに生きれる世の中にしたいよ〜」とか呑気に言ってるお花畑たちのこと見て眩暈がした。まぁ同性婚すら認められてなくて、数年前に生産性とか信じられないこと言うような議員がいる日本だとしょうがないんですかね?怪物のこと、LGBTQ映画だと思ってないんだけどな。物語のカタルシスとしてそこが使われるのがどうなのかとかそういう議論になるのかと思ってた。馬鹿みたいほんと
CLOSEもみた。CLOSE観た後にフィルマークス観たら、この映画は「怪物のようにうんちゃらかんちゃら〜」って書いてる人が多くて訳わかんなくなってすぐに感想閉じた。
自分が当たり前にしてた、彼氏彼女いるの?って聞かずに、お付き合いしてる人いるの?とか、そういう配慮って当たり前じゃないんだなと思ってビビった。ビビったしいつまでここにいるんだろうと思った。自己発信してないのに文句言うの違うよね。わかる。ごめんなさい。
自分がわかってないってこと、認められる人ってめちゃくちゃ偉いのもわかる。けど、SNSになんかかっこいい文章でそうかくのってほんとなのかな?て思っちゃうんだけどどうなんだろう。ポジティブに考えればそうやって社会も変わっていくはずで、もちろん自分だって全部完璧にできてるとは思ってないわけで。配慮とか全部至らぬ点があると思う。
あーーー社会に絶望するのやめたい、足りてないと思うなら啓蒙できるようになるべきだよね。啓蒙できるようになるために勉強しなきゃだよね。けどやっぱ絶望するわ。
私が一連の対応とそのファンの対応やいろんな意見を目にして流石にモヤモヤが止まらないので、ここに書き残します。
まず、9月30日に起こった一連の出来事について、細かいことは分かりません。
その経緯などもいろいろあーでもない、こーでもないと書かれていますが、少なくとも1つの原因ではないのだと思います。
私がモヤモヤしているポイントは2つ、一つは理事長をはじめとした運営について、もう一つはファンについて
A. 運営について
明日、6日からの花組の公演再開については「出演者の体調面に十分配慮し、公演運営に万全を期してまいります。」という発表がありました。
退団される方もいらっしゃるので、公演再開については否定的な意見はありません。
①「30日の公演を休演のお知らせだけ出して通常通りやる」
②「1日は公演自体は休演にしたものの、宝塚舞踏会は『昨日の報道については哀悼の意を表します。しかしながら、現時点では詳細は公表しません。舞踊会は自己研鑽の場なので予定通り開催することをご理解ください』という言葉で開催する」
流石に、花組公演の前に改めた意見表明はなされましたが、公式の記者会見については開かれないままです。
週刊誌の記事やSNSの誹謗中傷については発表内容の通りだと思います。
一方、週刊誌の内容に対しては、今後明らかにしていかなくてはいけない内容です(今晩の発表では記事の事実関係については一切触れませんでした)。
管理職、責任を担う立場としての自覚を改めて持っていただきたいです。
そして、このようなウェブ上での発表内容と、劇団の内部での共有内容、全く一緒なんてことないですよね?
事前に組子に発表内容に関連する方針については共有されているんですよね?
事実関係の共有はする必要があるか議論が別れるので、そこはともかくとして、
対応策についてHPの「専門家にも入っていただき、一人ひとりの心のケアなどにも時間をかけ、生徒の心情に寄り添」う具体的な方策について、10月2日にメッセージが出された前、せめて同日には組子の皆さんに共有されていたのですよね?
この件に限らず、コロナの集団感染の際も対応が後手後手になっている印象です。
管理体制が果たして機能しているのか、変えていくつもりはないのか?全くもって不信感が払拭できないまま、幕が上がろうとしています。
B. ファンについて
宝塚歌劇団のファンの皆さんは(運営よりもはるかに)「清く正しく美しく」を実践されて、ごく一部、偏見を流布している方やスタッフに理不尽な行動をしている残念な方を除いて、部をわきまえて静かに見守る姿は心から敬意を表します。また、演者の皆様への応援の気持ち、支えていきたい熱意も素晴らしい姿勢だと思います。
だからこそ、今回の件についてはちゃんと向き合われませんか(もちろん、多くの方がモヤモヤを抱えている)。
公演再開を望む気持ちは理解できますし、再開をすると決めた組に対してできる応援をすることはいいことだと思うのですが、
起こったこと、そして、それに対しての姿勢がちょっとお花畑な方が散見されるのが残念です。
「宙組は〜」と今回の出来事を宙組という組の問題のようにおっしゃる皆様
「なぜ、宙組で起きていたであろう課題が他の組には起こっていない」と断言できるのでしょうか?
間違えなく、不確かな情報に基づく噂や憶測あるいは誤った情報の拡散や誹謗中傷は控えるべきです。
しかし、この出来事の受け止め方は重く、真摯にあるべきだと思います。
また、先日した、運営の杜撰な対応やこれからの宝塚歌劇団としての体制のあり方については、ファンからこそ、強く伝えていくべきではないのでしょうか?
少なくとも、個人的にはただ安易に「公演再開!やった〜!」「公演中止、悲しい、、、」ってのは違うのかなと思います(再度申し上げますが、退団される方もいる公演に対して、できる応援をする姿勢については心から敬意を表します)。
妻は年収2000〜3000万(営業なのでブレる)、僕は年収1500万(インドア系)ですが、お互い趣味の場で出会いました。趣味の場は年収低い人も高い人もごちゃ混ぜです。特に年収など考えずに人間性が素敵だな、話が合うなと思って付き合って結婚を考えだしたときに開示したらお互い高年収でした。
僕は家事も好きなので普通に全部家事してもいいのですが、お互いの得意なところを分担してやってます。煙草やお酒は全くしませんし、ほったらかしな無難な投資はしますが投機やギャンブルはしません。オタクですが、世間一般の普通の会話が可能な擬態オタクです。たぶん増田さんとお付き合いして全部家事やってほしいとなれば、基本は僕がやって溢れた分は家政婦さんを雇ったり機械に任せます。家事はお金があれば解決できるし、家事が好きな男性もたくさんいると思います。
ある一定以上お金が稼げてある程度資産があると、逆に相手の年収はどうでもいいんじゃないかなと思うのです。僕も妻も相手が年収300万でも結婚したと思います。たぶん思考停止状態のニートだったら結婚しないというか、話が合わなかったとおもいます。お金の回らない業界で貧乏人だけど、意思があってそれを選んでいる人なら結婚したと思います。
一緒に贅沢しようと思えばいくらでもお金が必要ですが、自分の贅沢は人に押し付けずに自分で完結すればいいので、お互いの興味のない贅沢は勝手に自分のお金でやっています。上を目指せばきりがないですが、世帯年収1000万あれば普通にある程度の生活と貯蓄ができるので、僕は相手の年収はあまり気にならないです。僕は貧乏なころから生活で使うお金が変わってないので、2人だけなら世帯年収500万でも貯蓄できそうです。昔、もしも相手が低年収なら?の話をしたとき、妻も同じような感じでした。
一人一人が自立できるだけのお金を稼ぐ力とそれを自分でバランスよく使う自制心がある人ならば、あとは中身だけ見て居心地いい人を探せば幸せなんじゃないかな。高収入だからこそ、生きるために条件で切らなくていいゆとりがあるので、相手の中身を真摯に見られる。逆に選択肢が広がるんじゃないのかなぁと思っています。
「えっマジですか?」がやばすぎた
この一連の流れは、「いままでの常識でなんとなく見過ごしてきた加害があった。常識を見直して被害者を認めよう」ってものだ。
なのに、自分の想定外の相手の質問に開口一番「えっマジですか?」と言う。あとの回答も酷かった。彼らは自分たちの問題点を理解してるのか不安になる。
ジャニーズ事務所の想定外からの質問をしたら門前払いされるという印象を与え、後に続く質問を封じたとも思う。
意図的か無意識かは分からないが、こんなすっとぼけた対応ができる人間が作る風通しのいい会社ってどんなのになるんだろう。身内には真摯だったりするんだろうか。
V6井ノ原のこと好きでも嫌いでもなかったけど会見みて無理になってしまった…
わかる。
昨日のジャニーズ会見を受けても依然として“イノッチ”擁護や同情、または賞賛の声は多い。
あれがもし東山紀之と井ノ原快彦ではなく太って禿げたオジサンだったらもっと容赦のない批判が浴びせられていた。
好感度が高く容姿の整った彼らが神妙な面持ちで口を開けば誰もが好意的に話を聞く。
タレントを前面に出す対応は全体としては成功と言えるのだろう。
でもあの井ノ原さんの対応、とくに「落ち着いて」は間違いなく最悪の印象を残した。
批判が高まってようやく問題に向き合い、すべてがこれからという、被害者と社会に対して真摯で誠実な対応を求められる場面で、まさか子供たちを引き合いに出して逆に記者を窘めるような真似をするとは思わなかった。
典型的ないわゆるトーンポリシングで、挑発的にすら感じられる。
タレントはトークのプロ、当意即妙の返しのプロと思われていることが多い。
しかしそれは芸能界という周囲すべてがタレントを尊重してくれる世界での話だ。
所詮そこで起きるどんなアドリブもハプニングも広い意味で想定内だから対応できるのであり外の世界では通用しない。
今回は想定通りの流れにならない焦りと苛立ちから思わず地金が出てしまったように思えた。
私もガチのファンでないにしろ“イノッチ”に好感を持つ視聴者の一人だった。
けど今は夢から覚めたような気分だ。
もう前と同じように「いい人」のようなイメージで見ることはできない。