はてなキーワード: 瑕疵とは
東浩紀の以下の連投について自分として明確にNOと示さなければ収まらないと思いつらつら書き散らす
https://twitter.com/hazuma/status/1513977232557219841?s=20&t=64eiys3xHqslprM6Vb_90Q
この発言がロシア宥和だと批判されていますが、ぼくはそもそも開戦初期あるいはそれ以前にNATOが参戦の意思を示しロシアを抑え込むべきだったという考えです。しかし西欧はそれはできない。世論があるから。同じように今後は逆に戦争拡大を制御できないかもしれない。その可能性を考えろということ。 https://t.co/cA7Ft2PjDf— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) April 12, 2022
そもそも安全保障の抑止なるものはみな合理的なプレイヤーであることを前提にしています。今回プーチンだけが非合理なプレイヤーということになってますが、欧米諸国だってどこまで合理的かわからない。なぜなら民主主義国家は基本的に世論で動くからです。民主主義は戦時にはとても怖いものなのです。— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) April 12, 2022
権威主義国家は独裁者が狂うと非合理な判断をする。同じように民主主義国家も世論が狂うと非合理な判断をする。それを前提にしないといけません。しかもいまはSNSという「狂気の増幅装置」がある。戦時には残念ながら「熟議」による抑制は機能しません。熟議する時間はないからです。— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) April 12, 2022
現在進行形で独裁者による非合理で不条理な暴力になすすべがないことを見せつけられしんどくなっている中で民主主義の危険性を訴えておりうーんと頭が痛くなるような言説をツイートしてらしてげんなりとさせられる。
明確にしなければならないのはウクライナで現在起きている戦争はロシアの独裁政権による不合理な判断がすべての原因であるということ、民主主義国家による瑕疵ではないということである。
現実の戦時でとても恐ろしく愚かな判断を下しているのはロシア、独裁者のプーチンであり、またそういったことは私たちの国でも前世紀の戦争で経験したことを忘れてはならない。
現状民主主義国家は連帯して自体にエスカレートしないように理性的に対処しており、日本は淡々とウクライナへの支援とロシアの非難を行っている。
さらに核攻撃をちらつかせているのはロシアである。西側諸国のどの国も核攻撃を示唆はしていない、おぞましい例えではあるが、ロシアが先制核攻撃をした場合、すべての責任はロシアにある、ウクライナにも西側諸国にも責任はない。
ロシアが不合理な判断をしていいる以上我々は核攻撃の危険に常にさらされているがその中でウクライナを支援することやロシアを非難することが全面核戦争までエスカレートさせる可能性があるのでやめようといった言説には全く賛成
できない。東浩紀のツイートでは全面核戦争を回避するか、ウクライナへの支援とロシアの非難を続けるかの二択しかないように簡略化しているが、現実の世情はそんな二択ではない、我々は冷静にウクライナへの支援やロシアへの制裁を続けつつも停戦への努力を続けながら、全面核戦争への抑止もできる。私は東浩紀のツイートには全く同意できない。
今に始まった話ではない。
1. ジェンダークレーマーの多くは左翼、リベラル論客と行動を共にする、または同一。
2. 今回のように実被害が伴う事件に対して一切言及しないことがある。
1については思想的な出発点が近いため、特に言論上の瑕疵ではない。それだけならなんでもない。
問題は2の行動(被害に対して見て見ぬふり)に際して、庇われる加害者というのが1に関連性が高いこと。
加害者がリベラル村、サブカル村等で一定の地位にある者だった場合、フェミもリベラルもまるで軍隊のような斉一性をもって押し黙る。
地位と発言力のあるフェミが「お仲間」の凶行を前に「これまで同じ思想だと思って支えて来たけど罪は罪。償って再出発してきなさい」的な意見を出すことはまずない。あ、そんな人知らないとか関係者じゃないとか、そういうのはあったっけ。
ガチ右翼とかでない、保守に共感する程度の人にはわからないけど、フェミやJリベはヤクザ社会に生きてる。肩書きの強さや声の大きさは絶対で、力の差が大きいと逆らえない。
「内ゲバ」って、力量差を見て行けると思った時に起きるか、力量差を見誤るバカが起こしてる。
一斉に黙るのは怖い人に責められたくないから。
「みんなだんまり」って言ったってそれは当然の話。
「僕たちは勉強が出来ない」で女の子にスカートめくりする場面があってそれを女の人が「性暴力だ!」って怒ってるんだけど
俺がそれに対して反論しようとすると「殺人が描写されてるミステリなんかは問題視しないのは云々」って真面目で当たり前な反応しかできない。
スカートめくりに対して殺人とか出してきて極論ぽいし言い訳がましくてイマイチ説得力に欠けるように思う。
こういうときは「そうだな!無職転生ってアニメで見たけど寝てるヒロインのパンツ脱がそうとしてたんだぜ!酷いよな!」って性暴力の話題に乗っかる形にすると女性側は毒気抜かれて話が終わる。
いままでおれは「なんでこんな無茶苦茶な理屈なんだ?」って謎だったけどなんとなくわかった。
この表現は悪だ!って言われた男の側がワタワタ浮足立ってなんとか理屈を組み立てて反論する姿が滑稽で見てて楽しいんだ。
体のラインが出てる胸の大きな女の子の絵を擁護するのに表現の自由とか憲法を出すのもよく考えたらアホ臭い。
正論は理論だからなにか内容に瑕疵があってそこを突かれると説得力を失う。
一方で女性側はどんなに反論されても「私はそんなこと言ってない」「一人一派だから」「意見を言っただけで表現をなくせとまでは言ってない」といくらでも逃げ道がある。
これは理論で殴り合うバトルではなくて、優位なポジションを取り合うのが勝利条件なので観客から見て「勝ったように見える」という仕掛けを作るために考える必要がある。
女性側の意見にあえてのっかることで議論を発生させないというのが一つのやり方だと思う。
レスバトルをしたいのは女も男も同じで、表現問題ジェンダーの話題は知識なんてなくて誰でも参加出来る敷居の低いバトルなので、なにか火種があると我も我もと好戦的な人たちが集まってくる。
次に何か揉め事が起こったら積極的に冷やかして茶化して水をぶっかけてみようかと思う。
賛同してくれる人は協力してほしい。
序盤で脱落した。
とにかくストーリーがつまらない。先行きに何の期待も持てない。
自由にロールプレイすることができない。開発陣が敷いたレールに沿って走らされている感じがする。
そして致命的に操作性が悪い。歴史上最悪のゲームUIだと思う。
グラフィックだけは良い。
中盤で止まっている。
他のオープンワールドゲームの要素を寄せ集めて平均点を狙いましたって感じ。
原始時代みたいな町並みに安っぽいSF設定。もっさりしたアクションに自由度の低いゲーム性。
この美しいフィールドを自由に駆け回れたらよかったが、段差も壁も登れず、騎乗できる機械獣も限られていては…。
中盤で止まっている。
小島秀夫という人はめちゃくちゃレトロスタイルのゲームクリエイターなんだろうな、と思った。
デスストは、極めてシンプルなルールを真ん中にぶち立てて、そこに肉付けしたような作りになっている。
美麗なグラフィックや物理演算で飾り立てているだけで、やっていること自体はファミコン時代と変わっていない。
それはフィールドという巨大な器を物量で埋め尽くす他のオープンワールドゲームとは正反対の思想だ。
デスストのそうしたゲーム性も面白いとは思うのだが、中盤までいくと「もう十分に味わったかな」という感じになってしまった。
中世日本の時代考証、美麗なグラフィックとアートワーク、軽快なバトルシステムは素晴らしい。
しかし壁のぼりやロープアクションが決まったところでしか出来ないという自由度の低さは大きなマイナス。
またストーリー面での自由度も低く、ほとんど分岐がない上に、主人公の行動にも納得ができない。
叔父上の言うとおりに正々堂々と戦っていたら強制イベントで暗殺を強いてくるし。
叔父上に従うつもりで選択肢を選んでいたらいきなり主人公がブチキレて喧嘩別れするし。
ゲームとしては面白いが「オープンワールド」としてはいまいちだったという評価だ。
小型ロボットを遠隔操作し、監視カメラやドローンのハッキングを駆使して敵拠点に潜入する、というゲーム性は特異で面白い。
ひとつのミッションをクリアするのに無数のやり方があり、オープンワールドらしい自由度の高さを味わうことができる。
街中のNPCを仲間にできるというのが売りだが、各キャラの性能にはそれほど差異がなく、あまり面白さにはつながらなかった。
ただ、ゲーム中で売られている服が豊富で、キャラごとに着せ替えを楽しめたのは良い点だった。
ストーリーも及第点だが、決まった主人公がいないのはやはり短所だと思う。
行動と選択肢による分岐。スキルを選んで作り上げるキャラメイク。街中を飛び回り壁を駆け上がる自由度。
もちろん都市を舞台にしたヒーローアクションとしてみれば「スパイダーマン」には劣るのだが、
2014年発売のゲームだと考えると、むしろこの完成度は驚異的だと言える。
残念だったのは、善ルート・悪ルートどちらかを最初に選んだら実質的に一本道である点と、
せっかくスパイダーマンでは実現しえない「複数の超能力」だったのに、自由に使えずいちいち切り替えないといけない点だ。
とにかくどこにでも登れる、どこまでも行けるアクションの自由度の高さはピカイチ。
アサクリシリーズらしい時代考証のしっかりしたストーリーも素晴らしく、もちろん選択肢と分岐もあって没入感がある。
また取得したスキルの効果を実感しやすく、レベルアップに従って新しいアクションが解放されていく点も良い。
武器・防具の少なさと、それに伴う鬱陶しい課金要素はご愛嬌…というには大きすぎる瑕疵か。
とはいえ、これぞオープンワールドのスタンダードだと言える完成度である。
今後オープンワールドRPGを作るならこのアサクリを最低ラインとしてほしい。
オープンワールドの最大の弱点は「通常移動しかないと面倒くさい」「ファストトラベルばかりだと味気ない」というジレンマにあるが、
スパイダーマンシリーズはそれを「通常移動が超高速で爽快感バツグン」というだけで克服してしまった。
本作にはいちおうファストトラベルもあるのだが本当に一度も使わなかった。
天井に潜んでひとりひとり敵を吊り上げていくステルスプレイの楽しさもスパイダーマンらしく題材を上手く活かしている。
しかしスパイダーマンという固定されたキャラクターを使っているために、
装備やスキルを取得してもプレイの幅はそれほど変わらないのが残念と言えば残念。
先述した「オープンワールドの最大の弱点」を克服するために取ったFF15のアプローチは革命的だった。
そして他のゲームであれば車は「速い通常移動」でしかないが、FF15における車は「遅いファストトラベル」として設計されているのだ。
自動運転で目的地の近くまで行き、最後の数百mだけ徒歩で移動する。「えー、こっから歩くのー?」という仲間のボヤきに共感。
移動中も絶え間なく喋り続けるパーティメンバー。割り込んでくるミニクエスト。
写真撮影。夜間行動の禁止により生まれる冒険と宿泊のサイクル。そして食事。
最高の雰囲気だ。他の何物にも代えがたい。
ただし――FF15は後半に入ってこの長所の全てを投げ捨てる。
車は壊れる。パーティはギスギスして無言。クエストは一本道。オープンワールドですらない。
最悪の雰囲気だ。もうやめようかと思った。
それでもラストは感動的だった。途中でやめなくてよかった。
もしFF15に無限の予算があり、開発人員がいて、最後までオープンワールドとして開発できていたら。
もっとクエストに密度があって、ついでにパーティメンバーも変更できて、戦闘システムももう少し改良できていたら。
本当にオープンワールド史を塗り変える神ゲーになっていたと思う。つくづく惜しい。
FF15のエッセンスを継いだ新作ゲームが出ることを願う(Forspoken期待してるぜ)。
まさに神ゲー。
質の高い膨大なシナリオ。行動と選択肢に応じたストーリーの分岐。
義体の改造とスキルの取得によるキャラメイク。次第にできることが増えていく快感。
段差の端に手が届きさえするなら、どこでも登れるようになっている。
アサクリやスパイダーマンほどでは無いにしても、少なくともここに「透明な壁」は存在しない。
オープンワールドに求めるもの全てが圧倒的なクオリティで詰まっている。
まとめてみた。
今年は背中スポンサーであり、そのスポンサー料は2.5億円である。川崎には一切瑕疵がないためスポンサー料減額にはならないだろうが、ユニフォームの広告部分の黒塗りや、スタジアムで放映されるスポンサーCMの差し替えなど、運営面の影響が今年は出てくるだろう。またマスコットの1人「カブレラ」は、もともとSMBC日興証券の前身である日興コーディアル証券の商品マスコット「ピーカブー」だった過去がある。カブレラは人気が高いマスコットであるが、人気が高い故その出自は川崎のサポーターなら知らない人はいないレベルだし、ピーカブーからカブレラに名前と姿が変わる際もJリーグ全体で結構な話題となった。そのため、カブレラの退団も視野に入っているはずだ。
https://www.smbcnikko.co.jp/csr/diversity/athlete/index.html
今始まっている北京パラリンピックにも1人送り込んでいるし、去年の東京パラリンピックでは3人がメダルを獲得している。
そんなパラアスリートの母屋たる会社が、今回の不祥事で明日をも知れぬ状態になる事が確実なので、この17人は来年度から別の所属先を探さないといけなくなるだろう。
SMBC日興証券は過去にも不祥事でスポーツから離れたことがある。1990年代に「日興證券女子サッカー部ドリームレディース」という女子サッカーチームを持っており、所属選手は全員サッカーに専念、専用グラウンドや選手寮の整備など、当時としてはかなり恵まれた環境を会社が整備していた。
反語ではなく、単なる疑問として。
以前は、つけられた星の平均が4.5~5になるとかなり完成度が高い作品、連載で言えば神展開の収録された巻につけられる評価で、トップレビューに並んでいるのも絶賛のコメントだけだったような気がする。それが、いま採点が高い作品のレビューを見ると(星の平均が高い)、必ずしも褒めちぎるものばかりではなく、辛辣な意見がもっとも多く同意を集めていたりする。
要するに、AMAZONの商品画面でぱっと見たときの評価と、意見を個々で見た場合に一番多い賛同を集める評価とがズレている。
何年か前ぐらいから、バズった作品に対して1,000~2,000くらいの異様な数の評価がつくようになっていて(わざわざ文字で投稿されたレビューははるかに少ない)、その頃からこういう現象が起きているような気がする。電書で読み、読み終わったらすぐ評価画面に進む、という接し方が増えてきたのが理由かも。
俺個人としては、以前の傾向の方が作品の質をうまく反映していたと思う。
そもそも、レビューというのは加点方式のやつと減点方式のやつが混在するので(そこそこ面白くて瑕疵がない場合、前者は星3をつけ、後者は5をつける)、どうやっても正確にならないのかもしれないが、とにかく少し昔のトレンドの方が俺は参考になった。
ただ、評価の数が増えれば増えるほど信頼性が上がるというのが市場の原則な気もするので、そういう意味ではいまの方が、作品の質の実態に近いのかもしれない。もちろん、商品の絶対的な価値なんて計りようがないので、嗜好に近い確率が高い、ぐらいの話。
だいたい、自分の感想を言葉にして他人と共有しようなんていうのは良く言えば造詣が深い、悪く言えばメンドくさい「マンガ読み」が多く、この展開は他の作品で前例があって~、とか、この言動はキャラクターの整合性が取れてない、とか、的は射てるのかもしれないが大半のユーザーにはおそらくどーでもいい重箱の隅なので、そういう意味ではレビューのど頭に猛烈にこき下ろす批判が載っていようと、多くの人が星5をつけたなら、それは本当に星5なのかもなあ、とも思う。そういう俺はもちろん、めんどくさい重箱の隅つつき人間。
いや、「ジョジョ人気なんてなかった」って言いたいわけじゃない。
これは書き方が悪かったけど。
(言い訳じゃないが、6部の時点で80巻の漫画だし、こういうのは書かなくても当たり前に伝わる部分だと思った)
だけど相対的には、他のジャンプ漫画が「圧倒的多数派」でジョジョが「少数派」っていう立ち位置だったでしょ?
ネットで「お前も好きだったのか!」ってなって連帯したり、反動で盛り上がるのは全然いいよ。
ネットで流行ったのも「そういうキワモノ感」の反動はあるだろうし。
刃牙シリーズだって今じゃ知らない人はいない大人気作だけど、「バキ」のころなんて、普通に「バキかあ。。(そもそもチャンピオンかあ)」って空気だっただろ。
既に40巻以上続いてる漫画だったけど。
で、元々のファンは「少数派の意識がある故」、荒木が変なこと言ってても「まあ、荒木先生だし」って大目に見るスタンスだったのよ。
逆に、「荒木に瑕疵があること」なんて前提でしかないのよ、そういう作者だから。
あれだけ現代のイラストレーターのポーズを数えきれないほど「丸パクリ」しておいて、
「ジョジョ立ちの起源はルネッサンス芸術で~ミケランジェロの彫刻が~」とか豪語する人間だぜ。
カーッ、荒木先生今日もトバしてんねい!ってのが「ファンとして正しい対応」だろ。
でもそういう「荒木は信用ならない人」というファンにとっての常識が、いつからか通用しなくなったでしょ?
元々のファンは、「荒木は平気でパクリもやるし、それを開き直るし、発言は一貫しないし、展開は適当だし、そのくせインタビューでは大見栄を切るし、全然褒められた人間じゃないんだよ。。」と思ってるのに、
むしろその破天荒さや恥ずかしさも含めて魅力だと思ってるのに、
今じゃ真面目な顔して「さすが荒木先生」と褒め讃える奴しかいないじゃん。
「荒木先生がパクリ?あれはパクリじゃなくて~漫画におけるアイデアの借用は一般的なことで~」とか、したり顔で「擁護する奴」ばっかりじゃん。
そういう話をしてる。
ネットにおける「パクリ・トレース騒動」がいつ発祥かはわからないけど、おそらく初期と言っていい2000年代から、ジョジョはその俎上に上がってた。
そのとき、「ジョジョファンが荒木だけは擁護して、冨樫義博を叩く」という分岐点の光景を目にした。
今では考えられないけれど、富樫は「貶していい存在」だった。
一時期のBLEACHとまでは言わないが、とにかくネットでは「叩いていいもの」扱いだった。
そんで、「富樫のパクリは叩いていいけど、ジョジョのパクリは何が何でも認めない」みたいな、俺からしたら意味の分からない連中がたくさんいて、荒木擁護・富樫disに連日邁進していたんだよ。
どっちも同じようなパクリをしているのに、「ジョジョ絶対擁護」という気色悪いダブスタを披露していた。
「理屈」では擁護できないジョジョを無理やり庇う流れが、確実にあった。
だって、今なんて荒木の発言を「ネタ」として楽しむ余裕がまったくないじゃん。
ネタ扱いして突っ込み入れたら、「著作権とは~」って急に大上段の話をしはじめるじゃん。
おいおい、俺たちは「荒木飛呂彦」の話をしてるんだぜ?って思う。
後追いのジョジョファンには届かないかもしれないが、昔からジョジョを好きだった人間にはいくらかは通じる話だと思って長文で追記した。
失礼。
追記終わり
この辺、荒木やジョジョを擁護するために急激に神格化が進んだよね。
昔からのジョジョファンだと、温度感が変わったのがわかると思うけど。
ネットでパクリとか色々指摘され始めた頃から、ジョジョは世界中で認められてる素晴らしい作品なんだアピールが妙に強くなったよね。
芸術に理解のあるインテリで荒木先生はすごい人なんだ!みたいな、信者を増やして批判を減らす方法っていうか。
「ジョジョなんて読んでる奴は少数派」「ジャンプの後ろに乗ってる気持ち悪い漫画」というリアル体験がないファンも増えた。
元々は荒木飛呂彦って適当なことばかり発言してたので、ファンからも「はいはい、荒木先生、荒木先生」って扱われるのが共通認識だった。
それがいつの間にか「人間賛歌…!流石荒木神…!」みたいな、荒木の発言自体を本気で受け止めて、祀り上げる連中が急増したんだよね。
(ジョジョなんてご都合主義の連続で、人間中心主義じゃ全然ないだろ!)
パクリに関して言えば、
「死んだ人間のまねをするのがオマージュ、生きてる人間のまねをするのはパクリで、パクリはダメだ」って堂々とインタビューで言いながら、平気で「生きてる人間の真似をしまくってる」のが荒木先生クオリティですよ。
なぜなぜ分析をうまくやるコツは、人間の瑕疵(うっかりしてました、とか)を見つけるんじゃなくて、プロセスの瑕疵(手順が間違えやすい、とか)を見つける気持ちで臨むこと。
あんたはまとも。女叩きに脳をやられた異常人間と会話なんてするだけ無駄
要するに知的に聴覚的にちょっと障害のある子を集団でいじめてたんでしょ?
それで叱られた後も「ボクはいじめグループの中では消極的だったとか」そんなことをずっと思ってて
「ちょっと納得いってなかった」とかじゃなくて不満で一杯だったわけでしょ。
チンポ騎士増田、こんな調子でセクション1から全く根拠のない決めつけで話しはじめて、セクション4まで突っ走ってますからね。論理とか理解できない頭の悪い異常者ですわ
そもそも「オープンレターの瑕疵で加害された」とか「殴られた」みたいな大げさなことがあちこちで書かれているけど、実際には「数名、いたずらで勝手に署名された人がいた」だけですからね。
しかも公開されたのは1年前で、その間いたずら署名の存在に誰も気が付かなかった。被害らしい被害もないから誰も気が付かない。その程度の問題なんですよ。
百歩譲って勝手に署名された数名の当事者が怒るのはまだわかるけれど、全く関係のない第三者が、たかがいたずら署名ごときで鬼の首を取ったように批判して、ちらほら誹謗中傷レベルの攻撃までしているわけ。もう人格異常としか言いようがない。どう育てられたらそんな人間になってしまうのか
「オープンレターの不備や瑕疵には関心があるが、アンチフェミはどうでもいい人」は、そもそもジェンダー差別の解消に関心がないのだから、この問題にわざわざ言及する必要がない。なのにあえて言及してくるのは、これをネタにしてフェミやリベラルを叩きたいからでしょ。
「思われても当然」というのは、李下に冠を正さずって言いたいのか
「オープンレターの不備や瑕疵」には関心があるが、アンチフェミはどうでもいい人がいる
という想定も出来ない?
いやいや、まず共有されるべきは白饅頭界隈のアンチフェミ言説(男性の苦境を個々の女性の責任にしてバッシングする議論)に対する怒りであって、そこはほとんど無関心でスルーしているのに、オープンレターの不備や瑕疵にはやたらに噛み付くようなことをやっていたら、「こいつはフェミやリベラルを叩きたいだけなんだな」と思われても当然でしょうよ。「ダブルスタンダード」というのも、「あくまでお前の基準ではな」としか言いようがない。
東浩紀も20年前は人文左派の憧れだったのに、いまは三浦瑠麗とべったりで、「コロナただの風邪」論をまきちらして、本当に地に堕ちた。
(追記)
ちなみにオープンレターには個人的には、よほど親しい信頼できる人から頼まれない限り署名はしないと思う。これが「呉座氏を学術界から永久に追放する」という効果をもたないわけがない、と考えるからだ。「学術界からの永久追放」を事実上是認しているのに、その自覚がほとんどないということに危険性を感じる。
そもそも元々の呉座氏の言説も「女性差別」「ミソジニー」と単純に切り捨てられるもではなく、呉座氏ほどの実績のある研究者でもテニュアではないことへのルサンチマンという社会的な背景を無視するべきではなく、その点でオープンレター呼びかけ人の人たちとは思想を異にする。
無敵の人は私
本性的特質と環境との状態にきっかけが重なった結果、万が一の偶然に私は加害者になりうる。
無敵の人に殺されるのは私
宝くじは買わないと当たらないわけじゃない、拾っても当たる。換金しなければ意味はない。何をいってるか分からないがそんな理由で被害者になりうる。
無敵の人は不運
加害者がその立場に立つのは偶然であり人格の瑕疵欠損を意味しない。
私は殺されたくないし殺したくない。避けるべき悲劇だ。悲劇的偶然をどう避けるべきか。
貧困、傷病、規範意識、暴言、暴力、恐怖、窒息、嘔吐、処方薬、ロープ、ネクタイ、怒号、ペン、社用車、その他
ひとり旅。
覚えた現地語ははい、いいえ、おはよう、こんにちは、ありがとうだけ。生存本能を刺激して社会的孤独に恐怖感を刷り込むことが目的だった。助けを求め、それに答え助けてもらえる体験が、帰属社会への防衛的攻撃性を軟化させた。
遺書。
沖縄の警察署騒ぎへの反応見てると、事件の真偽はともかく、「警察に押し寄せて抗議するなんてけしからん」みたいなものが多くてよく分からない。
警察に何らかの瑕疵があった前提で考えると、「仲間」が理不尽にやられたという怒りから、ストレートに抗議しているわけで、その行動は理解できる。ネットでネチネチネガティブなコメントを書き込んでいるよりは、いっそう清々しいくらい。(真偽の定かでない情報に踊らされるのは良くない、という点は、それはそう。)
おもしろいのは、何らかの抗議活動が起こったときに、多くの人は自分が「抗議される側」に立って物事を見ているらしいこと。実際に公務員だったり、国の仕事に携わっていたりで体制側だったら分かるんだけど、一般市民でその辺の会社に勤めているような人が、何で体制側に立った気分で物事を見ているんだろう。謎。