はてなキーワード: 物見とは
腹立ったから正直に罵倒するけど浅すぎんだろ。物見るのにハマるのも、作るのも、いっちょ噛みして終わりじゃないか。
映画、小説、その2つだけ指しても死ぬほど面白いものがあるのに全く見てないじゃないか。PS4レベルのゲームもPS2何かと比べたらものすごく面白いぞ。Skyrimはやったか?メタルギア4はエンディングまで見たか?VRは?興味ないんでしょ。
刺さるコンテンツは死ぬほどあるぞ。俺なんて時間が足りなくて死にそうだほどだ。もう36になるが。増田は何歳だ。俺だって結婚したいが独身だ。金と時間は余ってるが好きなことやるのに時間が足りない。
キューブリックは俺の感性に…とか言ってんが浅すぎるだろ。そんな特別な作品じゃないぞ。シャイニングなんてみんな好きだぞ。バカにしてんのか。
結局深堀りするだけの興味がないだけじゃないか。
映画や小説、音楽、マンガなどで刺さるコンテンツに刺さりに行けるやつは、山ほどのハズレを引きながらも、鉱脈を引き当てたりしてるんだ。ハマり始めのなにやっても楽しい時期からちょっと抜けて、退屈になってきたから次、次って趣味のジプシーやってる奴に本当に深く刺さるもんなんかねーよ。
早くなんとか可愛い彼女作って子供作って幸せな家庭でもこさえてろよ。
こちとら年間500本目標に映画みてるが、シネフィルとしては映画年1000本見ないとね、みたいな感じでマウントされとるんだぞ!オタクなめんな!
映画だけじゃなくて小説も読みたいけど時間がない。本当にくやしい。
オタクになればなるほど、大して面白くない作品を山ほど読んで、その先にある自分に刺さるものにたどり着くんだと思う。ゾンビ映画なんか9割以上クソと言われてる。残りの1割の名作にたどり着くためにクソに被弾する。
説明いる?蛭子能収に至っては畜生エピソードがwikipediaにまとめられるレベル。
説明いる?WUG!がいまいち人気出なかったのもアニメの出来以前にこの人のイメージがちらちらしていたせいだろ。無関係になった二期にも外野からあれこれ言ってたのは腹がたった。
キャプテン翼パチスロ化の際、東日本大震災を口実にした所が嫌い。
パチンコマネーが欲しいならはっきりそう言えばいい。いかにもそれっぽい言い訳で誤魔化すなよ。そもそも全国各地で設置されるのに被災者の娯楽??『今度はぱちんこが友達だ!』のキャッチコピーも最悪。
パチンコに魂を売ったとか下らないこと言わないから。武論尊みたいに大儲けしましたって言えばいいのに。
自分の過去作品を批判するのは勝手だが、それを見ていた、好きなファンまで一緒に貶す意味がわからない。
視聴者を軽視しエゴを通したGレコが「訳が分からない」という理由でそっぽを向かれ、SEEDには当然遠く及ばずAGE、鉄血と並ぶ10年代の失敗ガンダムの一つになってしまったのは当然の結果。
続けるでもなく終わらせるでもなく中途半端な所で話を放置したまま毎日麻雀三昧。某所にある雀荘に行けば会えるという噂も。パチンコに魂を売って得た金でやる麻雀は楽しいか?楽しいんだろうなぁ…。
なぜか没後に2クールかけてアニメ化放送された「妖怪アパートの幽雅な日常」の作者。
BL趣味や政治的思想に関しては自由だし別にいいのだが、他の児童書のキャラを使ったホモ話を書いてそのことを批判してきた読者を反論不可能な場所から一方的に攻撃したり、
会員制の裏サイトで挿絵の絵師を叩いたり、自作へのパクリ指摘にキレたり。とにかく痛い人だった。
妖怪アパートもやたらに上から目線の主人公とそれを持ち上げる仲間たちが一方的に説教する、独善的で作者の人格を疑うよな話が多くて引いた。一番やべぇと思ったのは喫煙肯定シーン。なんでこれを今アニメ化したんだろう?
はてなユーザーにIDコールをしまくっていたら、通報されてアカウントが消えることが増えた。
作り直しても同じ事が繰り返される。
これは誰かの陰謀じゃないのか?
やつらは俺を「低能先生」だなんて呼んでいるらしい。ふざけるな。
と思っていたら、hagexが俺のことを書いた記事を作りやがった。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/02/112825
こいつははてなで有名人だし、影響力がある。こいつが他のユーザーを煽って俺に対するネットリンチをしかけているに違いない。
もう許せない。どこもかしこも敵だらけだ。
全部ぶっ壊してやる。
最近はあちこちでセミナーを開いているようだから、必ずチャンスは来るはず。
俺がネット弁慶だと思い込んでいるから、やつらは俺を馬鹿にするんだ。
そうじゃないところを見せてやろうじゃないか。
たまに動画見てみると基本コンボなんていいつつこんなの誰がやるんだよって見せコンを載せてる人がいる
これを基本でやる俺カッケーとか言ってるだけでできるもんじゃないから
それも相手のキャラも状態も場所も限られてるようなものでかつかなり難しいもの戦闘中に出せるわけがない
なのにとりあえず動画見て、「あ、これ無理だ」って思ってほぼやりもせずやめてしまう人がいるんだよ
動画上げるなっていうのは無理だから、とりあえずそんな物見ないでやってみてほしいと思う
初心者が集まってるところとかだとシステムの機能全部使ってすらいない人とかもいて普通に楽しめるところだから
コンボなんて覚えずその場で適当に押してつながるレベルでも十分
小売店が減ると近所の店が減る。
近所の店が減ると、、、?
運搬しやすい日持ちする工業製品は、取り扱う小売店は、消える。但し高価な物は実物を見て買いたいので残る。
よって工場は残る。生産という視点で考えると製造、製作、制作、創作は残る。
諸々を賄うエネルギー関連も残る。
そして小売製品をインテグレートするサービスは残る。道具を持って腕が確かなら。
消えゆくものとして、金融、卸売、などは仕組みが出来れば無くなる。市場は仕組みとして残り、小売のように集約する。
この先の世界では、単純な物売りは成り立たない。
って、ありきたりな結論に至った。
体験を売るっていうのは、そういうことか。
少し割高でも目の前の実物を見て確かめて買う、買ってすぐ持って帰れる、プラス、店全体を通しての体験。
バーチャルもまだまだなので、やはり少しくらい割高でも出かけた先で実物見ながら買う楽しみを謳歌していきたい。
よって、桶屋で桶買うとか、河童橋で新幹線トレイ買うようなエクスペリエンス重視って言えてしまいそうと感じました。
と、クロ現を見て勢いで。
地方公務員やってるけどやっぱりこの仕事頭おかしい 課長が商店街の視察行きたいとか班長が他県視察行きたいといえばそのとおりになるのだ
今日び商店街を視察したところで特に費用対効果のよい成果が出る訳でもないのにぽんと金が出る
確かにやってるこっちは楽だしぶっちゃけ楽しいよ 部下としてもはいはい、と起案通しとけばいいだけだし現地での課長接待は市の職員にやらせればいい
ただ視察といっても税金使ったバスツアー、物見遊山だし有権者これ許してもいいのかと思う
まぁうまいものでこういうのはHPにも載らないから公文書公開請求でもしない限り分からない情報なんだけどさ、そしてその公文書も事業名を知らない限り特定できないから世間に出回ることはありえないさ
昔は研修と称して幹部候補生に数十万持たせてヨーロッパに行かせてたと聞いたときはドン引きしたわ
しかしマズイのがそういう甘い汁を吸っているにも関わらずこんなことを考え上司に反抗的な態度をとる自分だ この裏には大変なこともあってその憂さ晴らしとして甘い汁を吸いたくなっているのも同じ公務員として分かるのに、有権者としてはこれは弾劾しなければならないと思ってしまう
労働者とはいえ公務員とはいえ人参がなければ動かないのも分かっているけれども、頭がおかしいと思ってドン引きしてしまっている
そして一番マズイのがそもそも成果が出にくい社会であるということだ
既に解決できそうな課題があらかた解決され、人の欲求があらかた満たされている、フロンティアなき業界は商店街業界だけじゃないだろう
そして経済格差の拡大や少子高齢化、自分の老いの進行は止まらなさそうで、なんなら今が人生最良のときに思える 20代なのに
ちなみに東海の県です
PWAとかいうhtml5のリブランドが技術者界隈で騒いでるが、こんなの受け入れられないだろ。
instagramのPWAが最高〜!ネイティブと見分けつかない!!とかほざいているグー○ルのエバンジェリストだかエンジニアが騒いでいたので触ってみたのだが、
オワコンであった。
ネイティブと見分けつかないんだったら本当にエンジニア辞めたほうがいいよ。
まず、タイムライン上で複数投稿があった時にスワイプで切り替えられない。
ユーザーってこういう些細なガクガクに敏感だよね。マーケット感ある人ならわかるよね。
そんでもってストーリーズ。
もう最低。
動画が自動再生しないの。止まるは止まるは。もう何なの???って感じ。
こんなの受け入れられないでしょ。
カメラは直接起動できないし、フィルターも少ないし。無理っしょ。
異動はしてない。人員増もない(むしろ減ってる)。業務内容に大きな変更もない(量は増えてる)。
この状況で必死こいて業務こなしてなんで人事評価がマイナスやねん。せめて据え置きやろ。
あーアカンわ。金の切れ目が縁の切れ目と言うが、忠誠心もざっくり切れたわ。頑張んのが完全に馬鹿らしなった。
何せ会社にカネがないから頑張りも評価できないんですゥ、ってな調子やからな。そのくせ降格者が出たわけでもない。
仕事せん奴の給料削らん代わりに働く奴の昇級昇進が食われてまうというカラクリや。
こんなん完全に働いたら負けや。
ほんなら残業なんぞ全額出たって誰がやるかい。残業増で評価ガタ落ち食らっとんやから、残業代なんぞ端金や。その端金も通院費と薬代でパァときた。
もともと体調悪かったのに完全に燃え尽き症候群や。食欲ゼロやし空腹のはずやのに好物見ても吐き気が消えん。
ヘドが出る。
なにが一番馬鹿馬鹿しいって、この状況で「転職のツテができるまで出来るだけ働かない」ってな作戦でいこうと、決めたのに覚悟が決めきれない自分自身が一番馬鹿馬鹿しい。
あんなに頑張ったんに、あんなにやったんにと、裏切られた裏切られたとぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ芯から腐れたガキみたいに内心でウジウジ恨み言こいとる自分が一番馬鹿すぎて死にそうや。
いやそれよりも、まだアレが残っとるコレが話つけてる途中やと仕事するつもりなのが心底情けない。
しっかりせえやオレ。もう明日一日寝潰したら、月曜から俺は五指に入るレベルの働かないオッサンにならなあかんのや。
誰か神経太くなって心臓に毛ェが生えたみたいになるコツ教えてや。
なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。
まあ私の文章に煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。
あくまで自分の見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本の学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。
これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初の増田(anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本の外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。
理系では著書でオリジナルな発見や研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。
文系では違うのか。正直文系のガチの研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文の出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論の双方向性等に問題がないのだろうか?新規の研究成果なら第三者の査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学の証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。
そこからか。何のために研究雑誌にBook Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャーな学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評に査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分のオリジナリティについても言及するよな。
あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html(適当なUniversity PressのHPを開いて適当な新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。
駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりにマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合は学術雑誌の書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣な書評も見かける)、まともな研究書なら議論の典拠は明示してあるんだから議論の双方向性に問題はないでしょ。
三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いからタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究書であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学の一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者だけが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断したらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます。学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。
何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティが希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメだから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募で採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田の批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくまで形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女は学術業績としてカウントされるべき本を書いていますとしか言いようがない。
一般論からすると著書はオリジナルな研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。
「著書はオリジナルな研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナルの研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初の増田(anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナルの研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナルな研究を書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナルな研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。
後段、著書はオリジナルの学術業績とはみなされないという理系のローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャーな文系の研究分野ではだいたい研究書はオリジナルな研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナルな研究業績です)、文系からするとその常識が通用しない方が非常識ですよ。理系のローカルルールを勝手に学術界の一般ルールに敷衍するのやめてもらえます?
院生だろうが単著で論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授が論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系の慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者は自分の学生の論文に名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップは批判されるべきだけど、理系では自分が指導してる学生の論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。
その上で現在日本語の地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語の地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文を日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米の研究者が読まなければ学問の進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュアの研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学の研究者はプロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒としか言えない。
将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語、フランス語の凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米の科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中の学者のためになるし日本人が世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏の研究が中心だという知識は増田にもあって、反米主義だったり日本の世界覇権を夢見ていたりといった特殊な思想的背景があるわけでもない研究者が英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究の先進性の不足の誹りを免れないであろう。
これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系の研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語と英語以外の言語で書かれた日本学の論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人はポーランド語で日本学の論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人の外国研究者がその国の言葉で日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本のアカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与しポーランドのアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人の日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから。翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドのアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。
当たり前だけど西洋古代史の論文が日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度と研究が先進的である/先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というものが存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋の猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本のアカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。
で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージが貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版会から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本の研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。
根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語が英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たちの言語で研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語が大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたから英語や日本語にフランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。
私はここまで書いてきたような理由で日本語で論文を書くのも重要な営為だと思う(加えて、執筆言語が自国語であることは東アジアや欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本のアカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語の問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかわからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。