はてなキーワード: 正論とは
「株価が上昇したからって、そのまま給料があがるわけではない」という主旨の発言は、基本正論だと思う
だが、それを引用して「だから自民党は経済政策に関して何の成果も出していない」と続けて言う左派の言い分は明らかに経済感覚が喪失していると思われ
少なくとも歴史上株価が低いまま経済が回復したケースは希有である。(アメリカのITバブルみたいに運良く何かの発明がてこになるケースは稀にあるが)
株価の中期的長期的な価格の上昇維持はすなわち、生業にしている人々の期待感の表れである。生業にしている彼らは根拠無くや気分や雰囲気だけでそんな甘い予想を出しはしない
もちろん、それでもそれはあくまでも『期待感』に過ぎず、農業で言えば『畑は耕されて豊かに見える』状態に過ぎない。種は植えられていない。種が植えられていなければ、いくら畑が豊に見えてもそこに実りはない。自民党にその努力が今早急に求められているというのは事実だろう。
だが、「株価が低くても経済回復出来る」「種なんて適当にばらまけば実る」と言わんばかりの野党やそういう方向性の発言をする人々の経済感覚の無さには絶望さえ感じる
・「ハロウィンで派手な格好の女は自分が痴漢を引き起こしてるのに被害者ぶるな」と女性芸能人がテレビで堂々と発言し、それが「正論」と言われ4000RTもされる。(オーストラリア人に同様の発言をした男性のツイートを見せると、「日本の男の意識ってどうなってるんだ」と驚いたらしい)
・バラエティで芸能人が「女性専用車両に乗るのはブスばかり」と発言し、炎上するものの同様の発言はネット上に溢れている。「(娘がいるから)安心」「(始発に乗るから)私はどこでもいい」と言っている画像が拡散され続ける
・痴漢被害者が「ブスが粋がってんじゃねえよ」と中傷されたというツイートに、JIN豚共は「リーマン正論。ブスが粋がるな」「女はさんざん痴漢冤罪吹っ掛けてきたんだから自業自得」などとコメントしまくった。togetterもミソジニーコメントで荒らされた。
・「男女平等言うけど痴漢にあったらどうするの。男は痴漢に遭っても守ってもらえないよ!甘えるな!」と細木数子が女性を追い詰め、それが「正論」と持てはやされ何万RTもされる。 https://twitter.com/Mitch_rockBass/status/864360112416215041
・痴漢を訴える女が悪いと、泣き寝入りを迫るようなツイートが8万いいねもされる
https://twitter.com/takuya220_dc5/status/870532434445520896
・「痴漢は殆どが冤罪!」「冤罪があるから女は黙って被害を甘受してろ!」「痴漢より冤罪の方が人生壊されるから深刻!」「痴漢冤罪を吹っ掛けた女をボコボコにして殺す!」「被害が証明できなかったら痴漢を訴えた女を罰するべき!」というツイートがいくつもいくつも流れてくる。
「オフ会で男に襲われた人がいるから男をオフ会に呼ぶな」って男性のツイートは「男性差別ガー!オンナダッテ!女が悪い!女の味方面してヤリたいんだろ!」と数々の批判クソリプを受けツイ消し
https://twitter.com/takuya220_dc5/status/870532434445520896
この、痴漢被害者泣き寝入り推奨するような女による女叩きツイートは6.5万RT、8.5万いいねで正論正論よく言ったと持て囃される。
この国においては女性を敵に回し男性の味方をする方がその逆よりも遥かに生きやすい。またミソジニーは正義の思想として絶賛され、ミサンドリーのみが叩かれまくる
これほどまでに女尊男卑女尊男卑言われまくり女叩きされまくりの国があるだろうか(あれば教えて欲しい)
この国のジェンダーギャップ指数は下がる一方。2006年には最高記録で80位だったけど、その頃には今ほど女叩きはなかった。女叩きが増えるにつれ下がっていった。
それでも、国の調査では一応、日本が男性優位だと答える人が圧倒的多数だった。それももう終わりだな。次はきっと逆転されてる。
いつになったらこの国はマシになるんだろう
https://twitter.com/takuya220_dc5/status/870532434445520896
女性専用車両ができた背景である痴漢を訴えるなと言わんばかり。痴漢を訴える女が男を苦しめてるんだと語る。
もう絶望した。
次は140位くらいになってても驚かない。
こんな国早く滅べばいいんだ。
ちなみに外国人のこのツイートへの反応 https://twitter.com/arami_d004/status/870814736035610624
優しくされないと叫んでる奴に「先にお前が周りに優しくしろ」って毎度のように言われるけど
正論だし実際これが正解なんだよ
優しくしたって一時的に救われた気分になるだけで、本当に大事なのは相互に与え合う繋がりだ
しかし、ただでさえこの手の奴は社会から孤立していたり、繋がりを忌避していたりするので、
いざ周りに優しくしようにも何すればいいかわからないし、与えようにもまともな手札がない
だから、自分の苦しみの原因がそこにあるとわかったとしても、そこから脱するのは難しい
せっかくそこまで正しい答えを出してやったんだから、もうちょっとだけ面倒見ろと言いたい
まったく男というのはどうしようもなく弱い存在だ
女を見てみろ、グータラ専業主婦でもあの通りふんぞり返ってるぞ、と言いたくなるが
実際には主婦の皆さんも自分の仕事が社会的に評価されないことには少なからず不満があって、
端から見てるとくっだらねえなあと思うけど、そこに至った経緯を考えると強くも言えない
自分が間違ったら素直に認め、自分が悪い事をしたら謝りなさいと教わって生きてきて
実際、他人がミスを認めない姿に往生際悪いなとか思っている訳だけど
いざ、自分が間違った事を言ったり行った場合にそれを正された時
素直に認められた覚えがない
内心でも、だってと言い訳の嵐で謝罪するのはあくまで世間体の為程度
後は自分を叱った奴、正論を突きつけた奴を敵とみなす思考に入る訳だ
http://anond.hatelabo.jp/20170528113521
http://anond.hatelabo.jp/20170527185142
このへんの腐女子がんばれよ論とか。
今回の騒動はたまたま選出基準のせいでBLの割合が多かっただけで、本質的な問題はそこじゃないと思う。
どっちかと言えばこれは「自分の作品は公のものだろうとなんだろうと使われ方を全部自分で管理したい」と願う作者とそれに立ちはだかる現実の話だ。
BL二次創作の作者にその手の人の割合が多いという意見は分かるが、別に自分の作品を管理したいのはBLもR18も二次も商業も関係ない。
例えば自分の作品がどこで閲覧できるか。自分の作品が何に紹介されるか。自分の作品が誰に楽しまれるか。自分の作品がどんなことに使われるか。
そういったものをとにかく全部自分の思い通り、想定通りにしたいと願う人は創作活動をしている人の中では別に珍しくはない。単にそれが我侭だと理解しているから周囲に要求してないだけで、内心やめてくれと思っている人はいる。
それは別にプロもアマも関係ない。それなりの年のオタクなら「俺が嫌だと行っている」という言葉に覚えのある人もいるだろう。
魚拓やアーカイブはちょっと見つからなかったので、当時の話題のまとめがあるサイトをのせておく。
http://neto10.blog55.fc2.com/blog-entry-12.html
リンク先まで見に行くのが面倒な人向けに簡単に説明すると、あのジャンプに連載していた久保帯人さん(ブリーチの作者の人)が当時私的に書いた絵をファンが喜ぶならとサイトに掲載していたけど、それをDLしてプリントアウト(自分だけで楽しむ、私的利用の範囲でもちろん適法)している人達にやめてくれって言った話。
そうすると当然「私的利用だから別に悪い事でもなんでもない」という反応もあるわけで、そういう正論に対して久保さんが言った(日記に書いた)のが
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」 理由がそれだけじゃ不充分なんだろうか?
という一文だった。(本当はサイトに乗せた理由についての話とかもあってもっと長いけど今回は前後の文章は関係ないと思うので該当部分だけ抜き出しました)
で、最終的には絵は削除されました。嫌だと言ってもファンからのDLしたいという問い合わせが尽きなかったため、とのこと。
この問題については確かに作者の態度はあまりよくないものだったかもしれないけれど、「確かに適法ですが個人的には嫌なので止めて欲しいです」とお願いをして、そのお願いが聞き入れられなかったので「では公開を止めます」って取り下げたのは別に何も間違ったことではない。それこそ適法。作品の公開を取りやめるのもまた作者の権利なのだから。
当時はまだブリーチは連載していなかったが、ジャンプに別の作品が掲載されたことはあったはず。つまり既にプロだった時の話がこれ。
その世界で金を払って生きている人でも自分の作品は法律とか関係なく自分が思った通りにしか扱ってほしくない、と思うだけでなく口にする人だっている。
そして個人的には後ろ盾を持ってきて権利を主張するんじゃなくてシンプルに「嫌だから止めろ」とだけ宣言する久保さんの態度は、言い方の問題こそあれむしろ変なごまかしをしない正しい姿勢だと思う。
二次創作は、原作者の意向によるけれどもまだまだグレーゾーン(作者が許可を出していないもの)は多い。公式に二次創作を認めたものもかなり増えてきたが、決してそちらの方が主流ということでもない。(とは言え二次創作=全て何もかも違法、みたいな扱いはどうかと思う)
また、原作にそのような要素がないものをBL化する場合、原作からの剥離度はいわゆる「健全」な本と比べたら高くなりやすい。(エロがないのにエロ化する二次創作も剥離度は高くなりやすい。念のため)
そして男性と比べて女性は慣習的に性的なものに触れることをタブー視されている空気はあると思うので、内圧なり外圧なりで、どうしても後ろめたさを感じる人というのが多い。
そうしたどこかうしろめたいものは、やっぱりあまり衆目には晒したくない、と思う人が多い。大勢の人の目に触れると攻撃される、という怯えがある。
結果、周囲から見た時になんだか妙だなと思われてしまうような妙なムラの掟だとかなんだとかが出来上がったりすることもまあよくある。
そういう意味では今回のような騒ぎが起きたときにはNLよりBL界隈の方が問題になりやすいだろうし、男性界隈より女性界隈の方が問題になりやすいだろう。
ただそれはあくまで傾向の話で、男だからセーフ、女だからアウトという話でもないと思う。可能性の大小の話でしかない。
それについて「嫌なら止めろ」ということは簡単だけれど、そもそもその後ろめたさの理由は内圧も多いけれど外圧だって多いのだ。しかもいわれがないタイプのやつ。
外圧が多いなかで必死に調整しながらなんとか隙間を縫ってきたのに腐女子は文句ばっかり、と言われるのは正直納得いかない。
最初に断っておくが、もちろん腐女子の妙なルールについてはおかしな勘違いだとか我侭前回の俺ルールはある。もう間違いない。
けれど全部の問題がが腐女子の中から出てきたわけじゃない。むしろ外部から「腐女子は存在が気持ち悪い」「目の前に出てこない腐だけがいい腐」とか言われたりすることもあるぐらい(今ではそういった声も減ったけど)で、それこそおおっぴらに腐った話をしたわけでなくても腐という属性を持っているだけで人間のクズみたいな扱いをされることだってあった。
それはゾーニングでどうにかできるものじゃなくて、それこそ作品の名前で検索してBLが出てきたらキャプションがあったりタグがついててもどれだけきちんと注意書きしてても叩く。こんなクソを俺の前に見せやがって。視界に入った時点でアウトなんだよ。という論調でこられる。そういう頭のおかしいとしか思えない人が普通にそこらにいた時代があった。
自分たちは嫌なら見るなというくせに、腐の作品は中身が見えなくてもその存在が目に映ったら理不尽に怒られた。そんな時代があった。
元からひっそりやりたい人はもちろんいたけれど、そもそも別にひっそりやりたいという願望があったわけじゃないけど、オープンにやると文句を言われるので仕方ないからひっそりやらないといけなかったという人もいる。そんな中でお前ら本当に我侭だな、みたいに言われると「我侭なのは分かってるけどそうさせた理由の数割はそっちにありますよね?」と思う。
上に上げたなかの腐女子がんばれ論あたりからは「あなたたち男オタクが僻地に追い込んだくせに今更逃げる事情を説明しろって言うんですか?冗談も大概にしてください」と感じてしまう部分もある。もちろんこれを書いた人が追い込んだ人達ではないだろうし、それこそ一部の頭のおかしい過激派と普通の男オタクを一緒くたにするつもりはないけれど、腐女子を雑に腐女子とまとめあげて上記のような論を展開されると私は性格が悪いのでうっかり厨返しとしてクソオタクとまとめて扱いたくなる。
謎ルールを振りかざして外部にだから配慮しろと言うつもりはないし、お前らが理解してしかるべきなんてことは思わない。理由がどうあれやっぱりやっちゃいけないことはいけないことだ。
そして、摩擦を起こさないように腐女子から動くことも時には必要だと思う。けれど外部から攻撃されてきた経験を持つ人もいる腐女子たち(当然そうでない人もいる)に「尊重してあげるからそっちからローカルルールちゃんと形にして掲げておいてよ、頑張れ」みたいな態度を取られると(そのようなつもりはなかったかもしれないけれど私には少なからずそう見えた)なんでお前のためにやらないといけないんだ、と反発されるだけだと思う。
自分で自分の作品はコントロールしたいけど、それは必ずしも叶えられるものじゃない。特にそれがちょっとばかり我侭な類のものだった場合。
そういった時、それこそ商業ベースのものはいくら嫌でもすぐにどうにかなるものではない。お金の問題や、権利の問題が絡んでくる。昨今の作品は個人だけでなくメーカーやらの手が加わってるものも多い。作者一人が嫌だと言ったところでそれに関わる他の人達の意向もあるからじゃあ止めようとはならない。
けれど、それが個人で管理している、それこそ同人作品だったら? 公開非公開を決めるのは自分の一存だ。なんか色々ややこしい商業ベースのものと違ってさくっと公開停止できる。そして消してしまうのは色々楽だ。だってもう問題が増えることはないのだから。
だから同人作品は作者が嫌だと思った次の瞬間公から消え去っている、なんてことがよくある。
それは別に晒されたとかそんなものですらなく、面倒になった、古い作品に耐えられなくなった、なんとなく気分で、そんな雑な理由でも作者が「そう」と決めたらすぐになくなってしまう。
そしてそれは何一つ悪いことじゃない。作者として当然の権利なのだから。
理解していない人も多いだろうけれど、理解した上で、だからこそ自分が管理しきれなくなったら消そう、という人もいると思う。
周囲がなんとなく空気を読んでくれている間はどうにかなるから公開する。周囲が空気を読んでくれる人ばかりでなくなったら管理しきれないから止める。
外から見ると何か起きて初めて公であることに気が付いて公開停止するのと、ついにこの日が来たかと思って公開停止するのと区別がつきにくいが。
ただ、どちらの場合も結局のところやさしく扱ってあげないと消えることに変わりはないので、そこを区別する理由はあまりないのかもしれない。
公に出したものは、法律で条件を満たせば使っていいと決まっている。だから使うことを強制的に止めさせることはできない。
でも「止めてほしい」とお願いすることは出来る。もちろんそのお願いを聞き入れるかどうかは自由なので、我侭で身勝手なお願いを無視することは何も悪くない。
悪くないがお願いすることで聞き入れてくれる人もいるんだから、別に一言お願いしたっていい。寧ろそれで双方が納得するなら円満解決、すばらしいじゃないか。
なんだか法律で認められているだとかそんなことを言うのは我侭だとか言って「お願いすることが非常識」みたいな論調の人が中にはいるけどそうじゃない。むしろ強制することなんて出来ないと分かっている知識ある人だからこそ「お願い」するのである。我侭なのは分かっているけど、できれば勘弁してもらえないか、と。
禁止だなんだとがなるちょっと残念な人達もけっこういるのが哀しいところだけれど。
まあ、個人の自由にすればいいと思う。ただ、当然その行動に見合っただけの結果が帰ってくる。それだけの話だ。
ちょっと気を回すだけで円満に解決するならその方が皆嬉しくてよかったねってことじゃないの、ということだろう。
悪いことしてないんだからヘイト溜める方がおかしいと思うなら、それは高慢だと思う。相手から罵倒してきたり誹謗中傷を投げ掛けてきたりしたらそれは行き過ぎた行為だけど、余計なことをされたせいで安寧が崩れたのなら、そりゃあ不満の一つも抱く。
いくら文句言おうがそれは身勝手な話だから別にどうでもいいと言いきれる鉄人だけが相手の気持ちを無視したらいい。実際身勝手な文句もそこそこ多いので。
感情的に書き殴った本題ではない部分について、ちょっと言葉が足りないところとか大げさに言ったところはあって、いろいろツッコミを受けております。すみませんでした。概ね仰る通りですがいくつか反論したい点もあります。
で、本題に関する部分についてこっちで補足入れると、私がメインで言いたかったのは
というあたりです。
「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないので最初から出しません」というのも一つの正しい手段だけど「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないけどいいこともあるかもしれないので考えた結果上げることにします。ただ、嫌なことが実際に起きたり環境の変化で嫌なことが起こる確率が上がったりするならその時は下げます」っていうのだって正しいですよね。
私の回りにはあの論文に扱いが雑だと怒る人も配慮があってよかったと苦言を呈す人もそういうのはおいといていくら学会発表だからって論文としての出来がアレすぎて「普段私がどれだけ苦労して論文書いてると思ってるんだ論文舐めるんじゃねぇ」と別方面でキレてる人もいますが、あれについて別に法律違反だとかおかしなことを言う人もいなければあの論文を書いた人が悪人だと言う人はいません。
声の大きい人が目立つのはよく分かるんですけど、なんだか嫌なら最初から上げるなよバカだなぁみたいな反応がどうにも目に入ったので(当然そうでない人もたくさんいますけど)そういう人達に「なんで上げちゃいけないんですか? 別に使われたことに文句は言ってないじゃないですか」って言いたかったのです。
ネットに上げて使われたことに文句を言ったりあまつさえ法律違反だとかなんだとかおかしなことを言ってる人は残念だと思います。
id:houyhnhm 剥離はくり→乖離かいり、の方がよくない?
うまくまとまったか自信はないですが書いてみました。
http://anond.hatelabo.jp/20170531012221
id:chibatp9 「覚悟も無しにあげてたの?」みたいなのは研究側というより、むしろ創作側(非二次)の人が言ってるのを見るが。
個人的にはどっちかと言えば創作には携わってない人が言ってて、研究職の人は観測対象がおしゃかになる的な意味で論文側が微妙といった反応のイメージでした。創作側、というのはあまり感じたことがなかったですが、ひょっとしたら批評慣れしている人やタフネスな人が多いのかもしれませんね。
書き方を見てひょっとして誤解を受けてる? と感じたのですが、なんで上げたの的なことを言う人にちょっと物申したかったけど言う人は研究者側だとか捜索側だとかは特に言ってないつもりです。
無能な鉄道会社や警察には少しも当事者意識などなく、むしろ未だに冤罪上等の対応をしているようすら見える。
つまり今後も確実に冤罪は数多生み出され続けるだろう。ここまでくると彼らは冤罪の共犯だ。
犯罪者が悪いだの男女が手を取り合ってだのというクソみたいな正論を語る馬鹿がいるが今や何の価値もない。
結局男には過剰警戒と言われようが何と言われようが今も昔もおそらく未来永劫冤罪地獄の入り口たる女(後、鉄道会社どもの駅室)を最大限避けるしかそもそも冤罪対策がないから。
え?痴漢が怖い女を無視してる?そういう女は女性専用車両があるからそっち行けばいいだろう。つかほんとそっち行ってくれないかな。
何一つ状況が改善することはなくどこぞの過払い金レベルの弁護士食いつきネタになってしまった。
過払い金ブームもひと段落しているから、今後これは弁護士の搾取ネタの一つになるんだろうな。
話題の痴漢冤罪保険とやらの約款を読んだが、保障内容はかなり微妙でこんなんでぼったくられるのかと思いながらも多少の対策にはなるのかもしれんとも思う。
自制を求めるにしたって政権を奪われる可能性がないのに襟を正す人間なんているかよ。
商売敵がいない田舎の商店の店主が誰から言われるでもなく自発的に価格を下げたりサービスを向上させようとしないのと同じだよ。
アベが自民が森友が加計がといくらとわめいたところで政権を奪う可能性を持った野党がいなきゃ、襟を正すかどうかなんて安倍総理や自民党の良心頼みにしかならない。
正論でビシッと追求すればハッとして行状を改めるとでも思ってんの?
東大とかみたいにレベル高いところに通っているわけではないし、言ってしまうとMERCH以下の偏差値しか無い大学に居るので「お前が馬鹿だからそう思うだけ」と言われたら説得力のある返しができないのだけれど、それでも大学の授業が薄っぺらいと主張したい。
今年で大学生活も3年目に入り、順当に行けば後期には単位の取得が完了するペースなのだが、得たものが一切ないといえるほど大学での授業内容が頭に残っていないのだ。
単位取得はしているけれど成績という観点から見ればC評価が多く、ギリギリ赤点を避けている現状なので授業内容が頭に入ってないんだろうとも考えられる。
けれども単位取得の肝を担っている学期末テストの内容が『授業中に再生した動画で言及した企業のマーケティング戦略は何だったか?』というのはひどすぎるのではないだろうか。
自慢ではないがマーケティングについては当大学内で比較した場合に限るけれど、ある程度の知識を私は持っていると自負しているが、流石に特定の企業が行っていたマーケティング戦略なんて動画を見ていなかった私に解けるわけがない。
せめて、商品の販売個数を計測する戦略とか書いてくれれば何となく当たりをつけることは出来るが一切とっかかりになる情報がないので授業出席者しか解けないのだ。
授業に出席しないものは、いかなる知識を保有していようとも単位は上げませんと言っているようなものである。
そもそもの話私が大学に行かないのは、授業時間90分のうち、教授の雑談が半分以上を超えていてどのタイミングで本旨に触れるかわからないからである。
教授がゼミ生と一緒に福岡に行った時に食べた食事がとても美味しかった話など、至極どうでもいいのでとっとと必要な話をして終わらせてほしいというのはおそらく講堂にいる生徒全員が等しく思っていることだろう。
適当で面白みのない授業を展開する教授ばかりではないのはだが、どちらが多いかと言われれば上記のようなゴミ教授ばかりである。
こうやって教授を批判するかの言葉を連ねると「彼らは有名大学を出ていて高知能、その話を楽しめないキミは低知能」とマウントを取られる。
しかし東大を出ているとか、有名大学の院を出ているとか私からすればどうでもよいことなのだ。授業がつまらないという事実は私の中で変わることはないのだから。
やっていることは市販されている本(自著であることが多い)を朗読しているだけで、自宅で必要な部分は覚えられる。そんな「教授いる?」と感じるような講義内容でどこに「教授は頭いいなぁ」と感じる要素があるのか。私が異端なだけで世の中の人は資格や肩書だけで知能を判断する、判断基準が外部にしかない人ばかりなのだろうか。
つまるところ大学というのは教育ビジネスであり、肩書を得られるのを対価に金を払って、脳死しながら授業を消化し続ける場所なのだ。
私が声を大にして言いたいのは「大多数の人間にとって大学は一切必要ない」ということ。
企業が大卒を要求していて、大卒の給料が高いからしょうがないので大学に行って卒業しようと考えているだけで、そこで何を学べるかはどうでもいいのだ。
しかし私はそこまで割り切ることができず、大学を学ぶ場所と考えてしまったいたからこうして不満が爆発しているのだと思う。
私は運がいいことに文系大学に進学しているが、小さい頃にパソコンを祖父から貰い、そして2つ上のいとこがネット関係に非常に強かったため影響を受けIT関係に強くなった。
そして大学ではこれまた運がいいことにビジネスに精通した人間たちと仲が良くなり、今後の希望を得た。
情報量を多くする気はないのでこれを読んだ奇特な人は「騙された人間」と私を罵るかもしれないが、それはどうでもいいことだろう。
私の周りは大学に通うことを強く勧めたが、結局それは私に合わず、彼らに合わなければ日々鬱屈とした思いを抱えながら、ただ授業を消化する人生を歩んでいた。
アドバイスに従った結果、得られたのは大学と私が合っていなかったという知見だけである。
このことから「アドバイスと称して意見をぶつける人間は、個人を見ていない」というのが判明する。
彼ら助言をする人間は最大公約数的な、大体の人間にとってベストではないがベター程度にはなるはずという意見をぶつけることで自身の人生の正当化をしつつ、悦に入ってるだけなのだ。
確かに最終的に選択をしたのは私であるが、どれだけの人間が周りの人全てが自分と反対の意見を述べている中、自分の考えを押し通すことが出来るのか。
私は大学生になり人に恵まれたおかげで、本当の考えを通せたのであって、高校生の頃であれば貫くことはできないだろう。
結局、大学の授業が薄っぺらいというのはこの「多様性を認めず一般論を勧める人間」が大学への進学を勧めているからなのだ。
だから教育という存在はまるで利権を貪る団体のように怠惰でありながら肥大してしまった。
大学というのはそもそも専門性の高い話を学び、その専門的技術を社会のために使うのを目的とした教育機関だ。
特に能のない私のような人間が大学に行ったところで卒業したという事実を抱えて企業に入り、一切学んだことを使わないで終わるのが関の山である。
学歴社会は確かにフィルターとして有効な部分もあるが、その企業が学歴フィルターをかけているのが世間にバレればまるで現在の検索エンジンがハックされるようにそこに向けて最適化されてしまう。
つまり大学進学するものは優秀で専門性の高い人間だから採用するというのが前提にあって学歴フィルターは機能していたのに、そこがハックされてしまったがためにバツグンな効果を発揮するとはならなくなった。
ハックされていない採用基準は意図した人材を取得できるため優秀であるが、認知されてしまえばそこに注力できる人間を採用する弱い基準となってしまう。意図しない人材を確保することになる。
起業家の話を聞いてみると「東大生のほうが統計的に話がわかる」と語る。
つまり学歴フィルターは大卒で区別するのでなく、東大生などの超難関校とそれ以外で区別するようにしたほうが建設的だ。(給料も含め)
そうすれば無駄に大学に通う人間も減るし、ビジネス大学も少なくなる。大卒枠を争って貧困に悩む人間も減る。
私が問題提起したいのは以下の2点。
・何も考えずに一般論で「大学はいったほうが良いよ」と個人を見ずに語るやつは口を閉じよう
・企業は大卒で学歴をフィルタリングしても効果が薄いので、給料から難関大学(基準はMERCHかそれ以上?ここはわからない)とそれ以外で分けるべき。もしくは意図した人材を採用できてかつハックされていない新しい採用基準を見つける。
こうして大学が少数精鋭になれば教育者も生き残りをかけて力を尽くし、怠惰で肥えた教授も減ることだろう。
私はとにかく薄っぺらくて意味のない授業が大学から消滅してほしいので、教育機関こそ激戦のビジネス社会のように苦しみながら競争して欲しいと思っている。
確かに科学の力というのは重要だとは思うが、現在私の身の回りで生活に欠かせないと思うものを作っているのは企業であり大学で教鞭をとる人ではない。私が知らないだけで企業にその教授も協力しているのかもしれないが、それなら大学ではなく企業で研究させてもらえばいい。
つまり「安定してるー」とアホ面下げて年に数回、偉そうにゴミみたいな本を書きながら教壇に立つ輩は荒波にも稀ながら淀んだ精神を磨き上げるべきだということ。
そもそも大学はいま腐るほどあるわけだけれど、その全てが科学において必要ではないだろう。それならばなおのこと競争化させて精鋭化させなければいけない、なぜ「研究」という話になった途端嫌儲精神が発作的にでてくるのか。
何度も書いている気がするけれど、その大学の競争化をする上で最も邪魔なのは一般論を振りかざして大学に行かせようとする無能な働き者と大卒でフィルタリングする企業だ。
個人を見ないで、自分の人生訓を元にとりあえず精神でアドバイスするやつは総じて糞だし、対してその人を案じているわけではない。
こうした一般論で武装した人間に対して、正論に感じようが自分の感性と考えを元に対抗できるように成長することが、幸福につながるだろうしひいてはこの薄っぺらい大学の授業の減少につながる。
今はみんなでアベ忖度官僚の中でも気骨の義士である前川さんを持ち上げて
アベ政権をぶっつぶしアベを処断することが先だろうが
システムがどうとか賢しげなことを抜かすよりもまず行動だ
玉木雄一郎議員も認めている通り、現在の疑惑が全て事実だと仮定しても違法では無い。
金貰ってても適正に処理された政治献金やパーティー券ならセーフ。
安倍首相はポッポナイナイしたければ数百億以上でも出来る立場なので、たかが1学園の理事長如きが、地位をかけて不正する金額を払えるはずも無し。
恐らく裏金は貰ってない。
なので、問題はデュープロセスオブローの話になる。要するに公正な手続きを経ているかどうか。
ここで抑えておかねばならない事は、安倍首相は官僚に指示する立場だという事。
仮に、獣医利権を守りたい官僚が抵抗したら「俺の意向ださっさとやれ」と言っても職務の範囲内。
もちろんそれは、「(お友達に良くしてやりたい)俺の意向ださっさとやれ」の可能性も有る。
ただし、個人の嗜好を完全に排除する手段を人類は持っていない以上、ある程度の趣味趣向が意思決定に入るのは仕方がない。
そしてこの後の事も考えておかねばならない。今のままだと獣医学部は出来る。
出来た時に、税金をしこたまつぎ込んで土地まで提供した学園が経営不振で潰れるのは損失だ。
原発事故や太陽光発電問題や諫早湾で菅直人はクソな対応をしたが、その決定は民主主義のプロセスを踏んだ以上受け継ぐしか無い。
加計学園獣医学部がクソな対応だったとしても、違法行為が無いのなら受け継いで次を考えるしかない。
次とは、今後同じような事が起こらないようにするって事だ。
前の森友学園問題でも同じ事を言ったが、法的に問題が無いのなら議論の焦点はプロセスの過程を改善する事に絞るべき。
学校新設で自治体や国が土地を無償供与するのはよくある事だが、そのプロセスの透明化を促す。
特区の設定は必ず複数の地区で行い、複数の業者が別々の地域で行う。
などなど。
個人の良識に頼るのではなく、より良い制度を作り上げていく事が政治家の役割で、より良い制度を作る政治家を選び悪い制度を作る政治家を落とすのが市民の役割だと思う。
結果を出せなかった民主党が見るも無残な敗退をしたのはご覧の通りだ。
今は官僚の前川氏が持ち上げられているが、危険な兆候だと思う。
官僚は選挙で落とせない。少し前まであれだけ官僚支配が問題とされたのに、もう忘れたのだろうか?
健全な民主主義国家として、官僚は政治家の手足として動くべきだ。
我々は良き市民として、冷静に日本を良くする方法を考えるべきではないのか。
http://anond.hatelabo.jp/20170329165529
追記's
間違っていると指摘した人が具体的に証拠を出して間違いを証明するのが法治国家。
そのために情報開示請求が有り、その制度に不備が有るのなら制度設計を変えねばならない。
俺が出せと言った情報をすべて出せ。出さないならお前は魔女だと言ってるのと同じ。
まさに集団ヒステリーですよ。
"議論の焦点はプロセスの過程を改善する事に絞るべき"そのためには問題点を洗い出す必要があるのに、政府は問題そのものを否定してるでしょ。で、その尻を叩くべく声を上げると、今度は集団ヒステリー呼ばわり。
問題点を洗い出す過程で情報公開に不備が有るのなら、制度設計を変えるべき。
問題そのものを否定しているというのは、違法性の否定であって政府の立場としては当然。たとえ犯罪者でも、自己を弁護する権利は有るのが法治国家。
プロセスの改善と違法性の指摘を意図的か無意識か知りませんが混ぜてますよね。これも私はヒステリーと呼んでいます。
冒頭で書いた通り、問題を指摘している玉木雄一郎議員ですら、現段階で指摘している疑惑に違法性無しと明言しています。
ならば、制度設計を見直すしか無いでしょう。不公正なやり方が通るような制度設計を許したのは、民主主義国家の政治家と市民の責任です。
法的に問題が無くても政治的な責任が有るという指摘はその通り。
私も法的に問題が無ければ何をやっても良いとは思わない。
しかし、政治的、道義的な責任を政治家に問うのなら選挙で落とすのが筋だと思う。
毎週のように行われる世論調査や、恣意的な質問や都合の良い場面ばかり流す街頭インタビューではなく、
有権者の意思をはっきり示せる選挙こそが政治的、道義的責任を追求するに最も相応しいと思う
数年のスパンが有るが、一度の決断と1票はそれくらいの重さが無ければならない。
短絡的な決断で国家の行く末を決めるのは危険だと思うのだが、諸兄の考えはいかがだろうか?
下品な言葉で政治を語っている人が散見されますが、非常に残念な事です。
公の議論をする際に、最低限の体裁すら整えられない人が政治を動かす事はありません。
何故なら、他人と顔を突き合わせて語ることが出来ないからです。