はてなキーワード: 帝王切開とは
オッス!オラ増田!数日前に二人目の出産を終えたおかあさんだ!!
帝王切開で出産したから入院日数が長くて暇なのと、テーマがそれなりに重くて話す機会もないから顕示欲を満たしたいのと、あと何より原発性無月経症だと診断された時にあんまり体験談がなくて「マジか…」って思ったから、12年前の私に報告する体でめちゃくちゃ長文を書いてくぜ!
同じ病気を抱えている人が、こういうサンプルもいるんだなと思ってくれれば嬉しいぜ!!
大好きなプールの授業を一回も見学することなく参加しきり、なお身長が伸び続けていた17歳の秋。
流石に「まだ生理が来ないのってヤバくないか…?」と思った母に、婦人科の受診を勧められたね。私もヤバいと思ってたよね。友達に休み時間こっそり「ナプキン持ってたら貸して?」って言われても一回も貸せなかったからね。絶対ケチくさいと思われてたよね。
学校休んで、なんか麻布とか六本木とかシャレオツな場所にある産婦人科まで診察に連れられたね。あの頃はわざわざ馴染みのない地域にまで赴いた理由がわからなかったけど、母は万が一にも地元の知り合いの目に触れさせたくなかったんだと思うよ。あらぬ事を吹聴するようなクソ人間がこの世には存在するから。だからシャレオツな場所まで来たことに怯えなくていいよ。
彼氏なんてできたこともないのに(中高女子校だったからって言い訳しとこうな)触診台に載せられて男性医師に股おっぴろげるの本当に嫌だったね。頑張ったね。まあ女性医師に当たることも少ないし、その部分はいずれ慣れるよ。お医者さん、散々女性器見てるから特に何も思われることないし。
ただ、処女ゆえにお腹にエコー当てて診察した時「うーんおしっこ溜まってるみたいでよくわかんないなーハハハ」って言われてクソみたいな思いしたよな!半泣きだったよな!わざわざそんな言い方しなくていいじゃねーかって!
大丈夫。そんなクソ医師のいる病院その一回限りしか行くことなかったから!紹介状書いてもらって大学病院に行くことになるよ。
行った先の大学病院の担当医も男で憂鬱だったけど、すぐにその先生でよかったって思えるし今でもそう思ってるよ。少しフワフワした先生だけどそこが気楽でいいよ。
そしてやっぱり最初の診察医はクソだったって気がついたね。
色々診察してもらった末、原発性無月経症、生まれつき自分で生理が起こせない体で、そのためにカルシウムが溜められなくて骨密度が本当に低いってショックだったね。
大病したことなかったからそんな病名ついた診断下されると思ってなかったし、私は女って定義していいのかなぁって思ったり(女でいいと思うよ)、結婚とか出産とかこの先のライフイベントにおいて不利に働くのかなあなぁって思ったり、牛乳めちゃくちゃ好きだったのに骨密度が小六の女児くらいの数値しかないって言われたりして「何のために牛乳あんなに飲んでたんだ…」って思ったりして帰りのバスの中でぐじゃぐじゃに泣いてしまったりしたね。
でも一番堪えたのは母に「満足に産んであげられなくてごめんね。代わってあげられたらいいのにね」って同じようにぐじゃぐじゃに泣かれたことだったね。辛かったね。そんな事言わせてしまったのが悲しかったよね。そもそも代わられたら私産まれてないかもしれないしさぁ…。
あの時母を責めるつもりもなかったけど責めなくて正解だよ。でも人の親になった今ならわかるんだ。私もその立場だったら負い目を感じるだろうし、我が子に遺伝したらってめちゃくちゃ不安だよ。だから一緒にぐじゃぐじゃに泣ききって、それっきりにして、焼き肉とかおいしいもの食べさせてもらってそれで終わりにしなね。どうしようもできないからさ。
で、定期的に通院・薬使って生理起きるようになったね。君の股から出てくる卵の白身みたいなそれが、よく「なかよし」に広告を出していた生理用品で知った「おりもの」ってやつだよ。「これがおりものか…!」初めて見たときちょっと感動したね。
病気のせいか体質のせいか、血量も少ないし生理痛もなかったのはよかったね。生理起こさないとダメだけど薬で起こすと超ーーーーー不快なのってめんどいもんね?
生理起きても骨密度はガンっと上がらないけど、それは骨折起こらないように気をつけていこう。怪我の少ない文化部でよかったね。私もこれからサプリメントとかでカルシウム補っていくから。
大学に上がって一人で通院するようになったね。その頃にはもう診察も触診も慣れてるじゃん。
ただ、彼氏ができて処女じゃなくなった時、親にもまだ言ってない(いや別にとりたてて報告しないままだったけど…)のに処女喪失報告してエコーで内診から膣に器具挿入に切り替わったの結構気まずかったよな。まあ先生「ハイハイそうなのね」くらいで切り替えてくれるからそれはもう諦めろ。いつかは避けられないことだ。
あと数値的には同じくらいなんだろうけど、二十歳になった瞬間「骨密度が七十代のおばあちゃんと一緒の数値だよー」って言われるようになってゲラゲラ笑うよ。ピチピチの若人から高齢者枠に入れられるのが成人すると言うことなのです。
そうそう彼氏ね。「どうしてもデート時間を長くしたくて産婦人科(だと知っても)に着いてきたい彼氏」vs「どうしても来てほしくない私」でバトって、「私生理が起こせない体なんだよぉ!!!来るなって言ってるのに!!」って言わなくていいこと言ってキレちらかして、それ以外の理由も加えてケンカ別れします。
でも驚くなよ?最終的にその人と復縁して結婚までします。後にも先にもその人しか彼氏はおりませんでした。いい人だから大切にしてあげてね。
平日にしか診療してないから行く時間なかなかとれなくて、外道だから一年強もの間診察をぶっちぎってしまいます。
会社辞めてやっと診察してもらった時に「子宮がカスカスに小さくなっててかわいそう」って言われて「あああごめんなさい」って思うのと同時に「カスカス…」ってちょっと面白くなってる場合じゃねーから!病院サボるなよ!
そう、会社は寿退職。つまり結婚で退職したんだけど、さっき言ったように別れた彼氏と復縁した後結婚するんですね。
「私は子ども産めないかもしれない」って言ったら「子どもは好きだし、色々チャレンジするのもいいと思う。ただ自分自身は子を持つことにものすごいこだわりがあるわけではないから子どもはいなくてもいいし、もしチャレンジしてダメで、それでも育てたい欲があるなら養子でもなんでも方法はあるよ」って言ってくれます。本当に聖人なので大切にしてくれよな!
私もものすごい自分の子を望んでいるわけじゃなかったし(だって産めないかもしれないってわかってるんだもん…とくに希望も持ってなかった)スタンスが同じなのは本当にありがたいことだよ。
夫の両親もいい人だから、本当は何か思ってたかもしれないけど何も言われなかったよ。君は、本当に恵まれているんだ。
さて、結婚したら何か進言されることもなく妊娠に向けての治療が進められます。それはもう自然に。当たり前のようにフェーズが移っていた。
そこら辺は不安であれば不妊治療の方法を調べてくれ。たぶん同じだから。ちなみに私はテキトーなので言われるがままの治療に従っていた。結局数年ゆるゆるやって、できなかった末に最終奥義の体外受精することになるんだけど。
夫と協議した結果、とりあえずさっさと体外受精チャレンジして、失敗してまたどうしても欲しくなった時に再チャレンジすればいいって話になりました。夫婦揃って特に意気込みの強くないチャランポランさである。
ただね、それは体外受精を試みる人たちの中でも圧倒的に若い年齢で取り組んだからだと思う。治療説明会、10歳くらい上でめちゃくちゃ治療内容調べてきてる人達ばかりだった。君達夫婦はね、説明会の帰りに何食べて帰るかしか考えてないし、受精させる用に夫の精子を取る採精室に置いてあるAVが誰チョイスか気になってるチャランポランさです(備品業者チョイスのオムニバス形式らしいよ。好み色々あるもんね)
君は産めないかもしれないことわかってるんだから、その点チャレンジの幅は広いんじゃないかな。やれるならやってみてもいいと思うよ。
でも、そもそもうまいこと作れた受精卵の数は少なかったし、お盆休み前に子宮に入れた受精卵が流れるかもしれないって言われて生理も起きちゃって、でも診察受けられなくて号泣したこともあったし(無事着床してました)、子どもができるまで平坦な道でもなかったよ。
それはもう不妊治療の範囲だから、やっぱり不安であれば不妊治療の体験談を読んでね。よっぽどそちらのが詳しいから。
12年前の私へ。
そういうわけで、君は二児のお母さんになりました。
不安もいっぱいあると思うけど、そう悲観しなくても大丈夫だよ。
もう子を産むことはないけど無月経症の治療はこの先も続いていくし、この先の治療はどういうものかわからないけどまーーーーーもう大したことしないでしょきっと!(調べてない)
別にいなくてもいいと思ってた子どもは大変だけどかわいいし、でも今のご時世無理して作ることもないし。どういう選択をしてもいいんだよ。私はヤな宿題は全部ゴミ箱に捨てちゃうタイプだから、どこか一つでも躓いていたら、子どもを産んでいなかったでしょう。産めてしまったけど。ただ産まない選択をしても病院は通いなね。子宮がカスカスに縮んちゃうから。
とりあえず私は、これから自分のためにカルシウムのタブレットを食べようと思います。
じゃあ、元気でね。
帝王切開かもしれないじゃん?
まずは100万円くらいあると安心かなぁ。
分娩入院費は通常分娩で40万円くらいだけど、いろいろと値段が上がる要素があるし。
例えば、エコー1回くらいは自治体の補助対象だけど、それ以上のエコーは自腹だったりとか。
帝王切開など出産時に値段が上がる要素もあるし。ちなみに帝王切開の場合は入院期間が伸びるのも値上げの要素だと思う。
あとは個室料金加算とかね。
おむつは大量に用意。でも、大抵次のサイズに行くタイミングである程度破棄するか人にあげるか。
赤ちゃんは結構げろ吐くしおむつからうんち漏れるから下着と服は3ペアくらいは最低でも用意。
哺乳瓶と粉ミルク、哺乳瓶洗い用のブラシ、消毒器具(と薬剤)も用意。
生まれてから3ヶ月は24時間無休の勤務となるので、自動化できるところは自動化したいところ。
例えば、食器洗浄機を使う。
例えば、ロボット掃除機を使う。
あとは人を雇った方がいいこともあるかもしれない。
あっくん(非正規雇用、部落出身、在日、黒人、ユダヤ人、ゲイ、B型、中国残留孤児の子供、天理教、創価学会、エホバ、統一教会、幸福の科学、箸が金属、コップがプラスチック、保育園卒、帝王切開、晩御飯17時、親が若い、家の壁に共産党のポスター、家の壁にマルフクの看板、家の壁に100万円で世界一周の旅のポスター、川沿い住み、団地住み、実家が肉屋、実家が靴屋、実家が焼肉屋、遊戯王カード盗んで転売、アムウェイに勧誘、君が代歌わない、国旗を燃やす、車が軽自動車、車がヒュンダイ、毎月靖国に行く、風水に凝ってる、歯列矯正中、給食持って帰る、給食費払わない、苗字に金が突いてる、苗字に星が付いてる、苗字が木下、苗字が左右対称、苗字が一文字、苗字がない、冷蔵庫は下の部分が冷凍室、吃音、肩に大量のフケ、左利き、虫歯出来たことがない、自宅にパチスロ実機、ハンコ注射の痕がない、突然叫ぶ、食パンは8枚切り、目玉焼きにコショウをかける、目玉焼きにソースをかける、ローストビーフ食べたこと無い、パピコ両方食べる、ししゃもの頭残す、カルピスが薄い、カレーが鶏肉、鮭の皮を食べる、鉛筆を箸代わり、ワキガ、祝日に国旗掲揚、小指がない、毎週日曜に教会行く、国会前デモ、国旗を燃やす、部屋に太極旗、最寄駅が信濃町、腕に根性焼き、下半身に汗をかかない、友人のゲームソフト盗み常習犯、友達のカード盗み常習犯、家に固定電話がない、腕だけ毛深い、AT限定、右手がフック船長みたいになってる、プールはいつも見学、体育はいつも見学、輸血拒否、腕に火傷、いつも両親が大喧嘩してる 、キムチ好き、飛行機乗ったこと無い、クチャラー、片親、爪を噛む、握り箸、体に虐待痕、車がヤニくさい、床に皿置いて食事、落ちたものを拾って食べる、兄弟がたくさんいる、コンビニで日用品買う、シングルトイレットペーパー、選挙前にだけ電話かけてくる、スタートページがhao123、裁縫セットがドラゴン、身分証が保険証)
身内で「2人目がほしいんだけどレス気味で」って悩みを持ってる人がいる。
なんでも旦那さんが「帝王切開の傷を見ると萎える」からだそう。
どれほどの傷なのかと思って見せてもらったが、1人目が生まれてから2年近く経ってるし下腹に横一線で言われればわかるくらいのもの。
このくらい気になるもんなのかなあ?と思うけど、帝王切開で産んだってことが気持ち的に引っかかるのかもしれないと思う。
それはそうと、古くからの友人で二の腕あたりに傷がある女性がいる。
ちょっとした事故で大きく切ったものだが、今もよく見ると腕の一部に変色が見える。
整形外科とか行けばきれいに消せるんじゃない?と言ってみるんだけど、二の腕を見せる機会ってそんなにないし別に自分は気にならないと言っている。
彼女はきれいでスタイルもよいのだけど、小さめのTシャツやキャミソールを切ると後ろからみてはっきり二の腕のところに色の違うところがわかる。
母子手帳には出生時の記録を医師が記入するページがあるんだけど、そこには本当の事は書かれないのだ。何故かというと、出生時にトラブルがあった事などを正直に書いてしまうと、お受験に差し支えるからなのだという。
お受験が行われているような名門幼稚園では、願書に母子手帳のコピーを添付するか面接の際に母子手帳その物を提出させられるらしい。そして母子手帳の記載内容がお受験の合否判定の一材料となっているそうなのだ。
そんなわけで、母子手帳に医師が本当の事を書いてしまうと、あとで「これではお受験に通らない」という苦情をもらうおそれがあるので、今は出生時の記録を母子手帳に詳細に書くことはないのだという。
これはネットのどこかで読んだ話で、私自身は胡散臭ぇ話だなぁと思う。
しかし現に、うちの次女の分の母子手帳には、次女が産まれる際に死ぬか生きるかの瀬戸際だった事がわかる様な記載は一切無いのである。
私は単に担当の医師が大雑把な性格故に必要最低限の事しか書かなかったんだろうなんて思っていたが、どうなんだろう。
ところで、次女誕生からもう数年経つのだが、分娩方法が帝王切開だった為に私が自分にかけている保険から、大した額ではないが保険金がおりると知ったので、請求申請をしてみた。
私のお世話になった産院は、出産当時まだITが導入されていなかった為に、申請に必要な書類の「診療明細書」を出すことが出来なかった。そのため、診療明細書のかわりに医師の診断書を提出する必要がある。
それで診断書を書いて貰った訳だが、その用紙の「手術の原因となった疾患」の欄には次のように書かれていた。
あの緊急帝王切開を受けた時、医師は私にそんな病名は言わなかった。
「赤ちゃんの心拍数がちょっと下がってるんですよね。このまま自然に産まれるのを待ってもしも万が一何かあったら大変だから、早めに出しちゃいましょうか?」
と、そんなに焦る風でもなく言われたのだが、私がじゃあお願いしますと答えるや否や、怒濤のごとくに手術の準備が調えられ、5分で出します!という医師の宣言通りに次女は産まれて来た。
次女は一応元気な産声を上げたが骨と皮だけに窶れており、一ヶ月くらい元気が無く寝てばかりいた。
そうだったんだよなぁ、あのとき次女は本当に危なかったんだ、と、診断書を見てしみじみ思った。
母子手帳にはやけに小さい身長体重の数値と「母体の出血量 少量」「分娩方法 腹式帝王切開術」それに担当スタッフの名前くらいしか書かれていない。
骨盤が未発達な状態での妊娠出産はその後腰痛など一生に響くダメージも残しやすいし
↓
高齢出産にはリスクが伴うという話を聞いたことがありますか?35歳以上の女性が出産する際に多くのリスクを伴うということです。高齢出産の記事はこちら
実は、若年出産は高齢出産と同じくらいリスクを伴うといわれており、周産期(妊娠22週から生後満7日未満まで)の赤ちゃんの死亡率が高くなるといわれています。それ以外にも、早産や胎児の子宮内発育不全、妊娠高血圧症候群等の発症率も高くなるといわれています。
なぜ、このようにリスクが高くなるのでしょうか?
18歳以下の女性は、まだまだ骨盤が発達段階です。骨盤が未発達の状態のため、周産期での死亡率が高くなってしまったり、早産・胎児発育不全を起こしやすくなるといわれています。18歳以下の出産の場合、帝王切開での出産が多いと言われており、その理由も骨盤が未発達なためです。胎児発育不全についての記事はこちら帝王切開についての記事はこちら
また、18歳以下の女性はホルモンバランスも整っておらず、ママになる為の体としてはまだまだ準備段階です。その為、体力的にも精神的にも、妊娠適齢期の女性よりも多くの問題がのしかかります。
・健診は0円じゃないにしてもそんなに掛からないよ
・健康保険から出産一時金出るから高い産院選んだり個室に拘ったりしなければ数万で済む
夫にそろそろ子供産みたいって言ったらまだ貯金が〜とか言われたから
そしたら母子手帳あっても病院代ゼロ円じゃないし、もし帝王切開とか他のトラブルあったらと思うと確かにお金かかるし、なんか入院費?は自己負担?とかで1日一万円とか?もうこの辺からよくわかんないし・・・
赤ちゃんの服とかベビーベッドとか粉ミルクとかよくわかんないけど何十万とか金かかるだろうし・・・
別にそこまで赤ちゃん欲しい〜〜〜〜って思ってるわけでもないからもうどうでもよくなってきた。
なんとなくもうアラサーだし一生子なしかどうか選ぶなら今かなって思っただけだし・・・
今だって共働きでそれなりに楽しく働いてるけど優雅な生活してるわけじゃないし特に貯金たまってないし。百万もない。
そんでしかもじゃあ産もうって決めても本当にスムーズにいくかわかんないし不妊かもしれないしそしたらまたお金かかっちゃうし。
逆にスムーズに行きすぎてすぐ妊娠しちゃっても、一年以内に子供産まれるとか想像できないし。
よく子供は早く産んだ方がいいって聞くけど、子供産むまでは羊水的な意味で言ってるのかと思ってたんだよね。
でも実際は違った。
なにが辛いって若い時と違って体力が続かないんだよ。
何というか無理が利かない。
若い時はオールなんて楽勝で出来てたけんだけどもう夜通し起きてられない。
子供抱っこする腕も痛いし何というか歳を取るだけで子育てのハードルが何レベルも上がる。
でも赤ちゃんはそんなの関係無いしおばさんがお母さんでも手を抜いてくれない。
先人の言葉には意味があるんだなとつくづく感じた今日この頃です。
私がそうだったように、子供いらないと思ってても40歳近くになると無性に子供が欲しくなるから産めるなら早いうちに産んでおけ。
体力があればあるほど子育ての難易度が下がると言っても過言では無い。
お金じゃ体力買えないんだよね。
しかもこんな状態なのに一人っ子じゃかわいそうかなとか思ったりもする。
こういう事までちゃんと説明してくれる人は少なく言葉尻だけを捉えて反発してる人も多いと思う。
悪い事は言わない。
後悔してるおばさんからの助言でした。
よく子供は早く産んだ方がいいって聞くけど、子供産むまでは羊水的な意味で言ってるのかと思ってたんだよね。
でも実際は違った。
なにが辛いって若い時と違って体力が続かないんだよ。
何というか無理が利かない。
若い時はオールなんて楽勝で出来てたけんだけどもう夜通し起きてられない。
子供抱っこする腕も痛いし何というか歳を取るだけで子育てのハードルが何レベルも上がる。
でも赤ちゃんはそんなの関係無いしおばさんがお母さんでも手を抜いてくれない。
先人の言葉には意味があるんだなとつくづく感じた今日この頃です。
私がそうだったように、子供いらないと思ってても40歳近くになると無性に子供が欲しくなるから産めるなら早いうちに産んでおけ。
体力があればあるほど子育ての難易度が下がると言っても過言では無い。
お金じゃ体力買えないんだよね。
しかもこんな状態なのに一人っ子じゃかわいそうかなとか思ったりもする。
こういう事までちゃんと説明してくれる人は少なく言葉尻だけを捉えて反発してる人も多いと思う。
悪い事は言わない。
後悔してるおばさんからの助言でした。
http://b.hatena.ne.jp/entry/353071057/comment/ht_s
http://b.hatena.ne.jp/entry/353071057/comment/takhino
まあ、どう考えるのも自由だけど、産声は肺呼吸切り替えのために起こる現象であり、激痛で泣いてるわけじゃないので(帝王切開でも泣く)、自説補強のために疑似科学を使うのはダメです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/353071057/comment/yambb
帝王切開でも泣くだろ
あと「産まれてくる時,新生児に苦痛を与えるから出産は悪」(まあその「苦痛」とやら自体が,上のブコメを見るに単なる妄想という可能性が高いのだが)というなら,苦痛を与えない方法(例:帝王切開)ならOKなの?
そもそも「産まれてくる時,新生児が苦痛を感じている」とする根拠は?
このあたりの疑問に「論理的」に答えてほしい。
バカは知らないだろけど、産婦人科は「産科」と「婦人科」が強引に一緒にされてるのであって、基本的には医師としての技能が必要になる職業だからな。
助産師が取り扱うことができるのはあくまでも正常な分娩が可能な場合のみであって、逆子や帝王切開のような分娩に特別な医療措置が必要なものは「産科」がある医院でなくてはいけないことになっている。
助産師が女性のみの資格となっているのはもともとが「産婆」という地域で独自に行なっていた仕事を無理やり資格業務にしたという流れがある。
もちろん男性助産師がいないのはおかしいと主張して資格取得条件を広げるのはいいだろうが、実質的には実用性のない制度変更になるだろうな。
金と手間をかけて男性助産師を誕生させても「やったー男女平等!女尊男卑の是正!」とか喜んでそこでおしまいであって、世の中のためにはならないことは間違いない。
09:30
今朝起きたらまた鮮血のおしるしが出ていた。
前駆陣痛も続いていたから、「がんばっていたんだね。残りはお母さんやみんなでサポートするからね」という気持ちで家を出発。
快晴でとてもいい日。
10:00
到着後の内診でかなり子宮口を強くかき回して刺激され、その刺激で破水。
周りのスタッフさんが若干わたわたする中当人は「ああ、これが破水なんだ……」と思っていた。
そこから、部屋に移動して促進剤投与を始めた。
促進剤は、それによって産まれる、という効能ではなく、子宮を柔らかくして子宮口を緩めてそこから陣痛を呼び込むためのものだそうで、20からstart、120まで上げても進まない人もいるよー、と。
とにかく無事に産まれられれば、と、「何でもいいからお産に繋がりますように」という気持ちでどんどん追加されていく促進剤の値を見ながら過ごしていた。
11:00
胎児の心拍が落ちることが何度かあり、酸素マスクをつけて深呼吸をする時はさすがに緊張した。
でもまた数値が戻ったのを見て安心して「私がリラックスしなきゃ子宮も柔らかくならない」と過ごしていた。
15:00
100あたりまでは前駆陣痛の痛みとあまり変わらなかったけど、そこからは前駆陣痛は越えた痛みが始まった。
17:00
看護師さんに「今日は一旦終わりにして様子を見て明日またやって、経過によっては帝王切開で産んであげることになるかもね」と言われて投与は一旦stopした。
投与してもあまり変わらず、「私が堅いことで子宮口が開かないんだ」「私がリラックスできないから入院の日が増えてお金をかけさせてしまうんだ」と「私のせいだ」の思考が一時止まらなくなって涙が出た。
胎児の心拍が落ちること、胎便が羊水にかなり混じっていること、心拍が急に上がること、陣痛がこないこと、いろんな焦りや不安に対して「母の私が◯◯しないからだ」という思考が出てしまったけど、そんな中でも夫が一緒にいて笑ってくれていることに本当に救われて、いろんな不安もあったけれど1日過ごすことができた。
20:00
母が夫を迎えにきて帰宅。体勢変えたりしながら、落ち着いてから21時過ぎに寝る体勢に。
21:08
何人も看護師さんが入ってきて再度酸素マスクをつけ、内診をしてもらい、「もう赤ちゃんの負担が大きい」ということで、クリニックの先生にも診てもらった上で、緊急帝王切開をして胎児を出してあげることに。
21:32
酸素マスクをつけて深呼吸をして「帝王切開になります、急いでパパを呼んで」と言われ、さすがに焦りすぐさま夫に電話をして来てもらい。
色々なリスクの説明も受けたが、もう皆どうでもよくて、ただただ「無事に産まれられればそれ以外は私の子宮やら体やら命やらどうなってもいいから」という気持ちで、早く外に出してあげてほしくて、急ぎ足でope室に入って横になった。
22:00
何かの数値に対して先生やスタッフの方々が緊張した面持ちで観察して指示を出したり動いたりしていたが、あれはなんだったんだろう。
バタバタが続いてすぐには開始しないことに不安を感じつつ、その間に落ち着いて来て「もうすぐ会えるんだ」「やっと会える、がんばろうね、大丈夫だよ」と幸せな気持ちが高まり、ope開始後も私はずっと笑顔で耳を澄ませ。
麻酔が効いてくると血圧の変化によるのか、頭もぼーっとしてきた。目を瞑ることに吸い込まれるような。
コッヘル、クーパー、などの機械出しの指示でなんとなく何を切開しているのか把握しつつ、足から胸にかけての感覚はもうないのに何か自分の中を弄られているような感触に奇怪な感じを抱きつつ。
22:57
胎児を取り出す時になると胴体を中から大きく揺さぶられ(感覚はないけど子宮を直接揺らされているのはすごくわかった)、少し泣き声が聞こえたのと同時に「おめでとうございます〜!男の子ですよ!」と。
その瞬間ザーッと涙が出そうになったものの、最初の一瞬の後に全く泣き声が続かないので瞬時に不安感に襲われ、産まれた喜びを味わいつつもそれだけの気持ちは束の間、取り上げられてもしばらく泣かない赤ちゃんが心配で気が気でなくなった。
自分からは布で隠れて見えないけど、向こう側で明らかにスタッフさんたちが焦って赤ちゃんの背中を叩いて刺激していたり懸命に気管内の吸引をしていたりしている。
先生も、取り上げた後はすぐに私の縫合に取り掛かりつつも、赤ちゃんを見て緊迫した声色と口調で指示を続ける。
「サチュレーション反応しません」「小さい方に切り替えて」「小さい方反応ありました」「こっちはどう!?」「◯◯じゃないよ、そっちを◯◯して」「◯◯さんこっちきて!」と何人ものスタッフさんが赤ちゃんの方から私の頭上まで動き回る。その間も赤ちゃんは泣き声ほとんどなく、たまに「ふぇっ」と聞こえるか聞こえないかくらい。
赤ちゃんが泣かない。泣かない=呼吸ができない。呼吸ができない=酸素がいかない。酸素がいかない=死んでしまう。
一瞬でそんな考えが脳内を駆け巡り、「私はお腹開いた母でも放っておいていいからみんな赤ちゃんを早く助けて下さい!」と叫びたい気持ちを抑えながらこわくて仕方がなくて、「赤ちゃんは大丈夫ですか」と何度か聞いた以外ただただその場を見守っていた。
そのうちになんだか意識が遠のいていくような感覚から強い吐き気が出て何度か嘔吐し、そこからは遠目に赤ちゃんの様子を見つつぼーっと手術の終わりを待つしかなかった。
私の腹部縫合中、赤ちゃんの泣き声が聞こえない時間。きっと数十分あったかなかったかくらいだったろうけれど、この時間がこの1日の中で一番長く感じられた。私には何時間も縫合されているように感じられた。
私の腹部縫合が全て終わり、ope室を出る時にスタッフさんがぱっと赤ちゃんのお顔を私の方に向けて見せてくれた。
むちむちでまあるくて髪がフサフサでかわいい。濃い顔じゃなくて私似?なんて思いながらope室を離れる。
外では夫と母が待っていたけど、熱発もあったからかとにかく頭がぼーっとして「目を閉じたい、でも赤ちゃんが気がかりだ、でも目を開けていられない」というぼやけた意識で過ごしていた。
時系列はきちんと記憶できてないが、部屋に戻ってから夫と母が荷物を運びつつ座っていてくれて、赤ちゃんの顔の話などをした気がする。
自分で何を話したかよくて思い出せないけど、夫が深く呼吸して緊張していたことはすごく覚えている。
今思うと、私は赤ちゃんのことも考えつつ意識がぼやけていたので、その場を冷静に見れていた夫は本当に不安だっただろう。
術後は姿勢の不快さが強く、度々左右に体位交換をしてもらった。
赤ちゃんを救急搬送することに決まったと先生から話を受け、夫たちは救急車より早く出て向かってあちらで対応すると。
お腹を切った身と言えど、この状況で動けず何もできずに横になっているのが悔しかった。
無駄だとは分かりながらも、麻酔で動かない・司令の伝わらない脚先を動かそうと何度もやってみたけど全く足は動かなかった。私の分まで夫に託して手を握ってお願いした。
夫と母を見送ったら一気に意識が遠のいて来て、そのあとまた夫が来たような来なかったような……
そんな中、救急車に赤ちゃんを乗せる直前に助産師さん(看護師さん?)が赤ちゃんを抱っこして私に会わせに来てくれた。
移動前に目の前で会えるなんて思ってもいなかったから歓喜して一瞬で意識が戻り、赤ちゃんをぎゅっとしてちゅーして「がんばろうね!」とほっぺを撫でて送り出した。
涙が止まらなかった。
24:30
サイレンの音の位置が赤ちゃんと私の距離を表しているから、サイレンが遠のいていくと赤ちゃんとの距離を感じて、ただただ「がんばれ!お父さんもお母さんもいるからね」と祈ることしかできなかった。
25:00
その後また意識がぼーっとして、何度か看護師さんが巡回に来てくれたのもあまり覚えていない……
2時台にiPhoneが遠くに移されたのでLINEを確認できずそわそわ。
体位交換をお願いしたりしながらいつの間にか寝ていた。2時間ほど寝ただろうか。
起きてから夫からのLINEに気づき、赤ちゃんが無事なことを確認して本当にほっとした。
こんなに遅くまで夫と母が対応してくれているとは。本当におつかれさま、ありがとう、それしか出て来なかった。
夫から送られて来た赤ちゃんの写真がかわいすぎて、うるうるしながらしばらくずっと見ていた。
かわいすぎていくら見ても見飽きない。早速待ち受け画面に設定した。
夫がもう帰路にあると分かって安心して私もまた休憩。
でも頭が冴えてしまってもう眠れず……
29:00
巡回の夜勤の看護師さん&助産師さん達が検温や創部の観察をしに来つつ何度も話しかけてくれて、明るく笑わせてくれて元気付けてくれた。
もう麻酔は切れていたので、「どんどん回復して赤ちゃんに会いに行こう!」と勝手にベッド上でリハビリ開始。足の指先から、体幹部から、痛み・貧血・血圧を観察しながら進めた。
外が明るくなって落ち着いて来ると、赤ちゃんが無事に産まれてきたことの安堵感、今生きているのかどうかという不安感が一気に現実味を帯びて心に流れて来て、赤ちゃんの写真を見ながら唇を噛み締めて泣いていた。
それに気づいた看護師さんが私のそばに寄り添ってくれ、スタッフのみなさんが赤ちゃんをその後も気にかけてくれていたこと、その方もお子さんが苦しい状態で産まれて来たこと、昨夜赤ちゃんの直後にもう一人赤ちゃんが病院で産まれて、そのあと陣痛の人が来て不思議とお産が重なったことなどを明るく優しく温かく話してくれた。
「泣きたい時は泣いていいんだから。心配だよね、泣いていいんだよ。」と言ってくれて一気に号泣して、話をして落ち着いた。
日勤に交代する時間帯、夜勤の助産師さんが何人か来てくれて赤ちゃんの写真を見て「母そっくりよね!」「かわいい〜❤️」「がんばるしかないね、赤ちゃんくん!」と声をかけてくれた。それと一緒に絶対安心する温かい言葉もかけてくれる。その度にうるんでしまった。
私は術後あまり痛みを感じず動くのが得意なようで、夜中に自分でクッションを動かして体位交換したり足を動かす練習を始めたりしているのを褒められた。
どんどん動いて行くぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20171121162134の増田です。
嫁も出産当日(大半は思い起こしながら翌日)に日記を残していたとのことで。
10:00
この日段階で予定日を10日過ぎていた。これ以上は延ばせないということでクリニックに入院開始。診察中に破水し先生方慌てるものの嫁は平常心。
診察の途中から私も参加、促進剤についての同意書にサイン、入院部屋に行く。
3人部屋だがカーテンで仕切られており、なにより今は私ら夫婦しかいない。
窮屈さはないし清潔感あって居心地悪くない。
入って早々地元訛りの助産師さんから説明、促進剤の点滴開始。まずは20mlから。
11:00
自体は当面は動きそうにないので、ここで一人散歩に出かける。薬局でマスク買ってファミレスでカツ煮定食を食す。アラサー、カツ煮定食のコスパに感動。
途中で胎児の心拍低下による促進剤停止という事態があり飛んで戻る。
12:00
嫁ランチ。野菜カレーとカレイの揚げ浸し、スープ、サラダ、パイナッポー。目を閉じ多幸感に包まれながら食事を楽しむ嫁。
あまりに美味し過ぎたためか完食した嫁、お腹いっぱいになりすぎその後やや後悔したようだ。
13:00
Toco値(なんの値かよくわからなかったが出産までの進行度合いと解釈した)を注視してみたが高い値になっても「生理痛よりはマシ」とのこと。
やはり痛覚は個人差あるのかな。
入院開始時は前駆陣痛が5〜7分間隔だったものがこの時点で3分間隔に。まだまだ笑顔。この時点で促進剤60ml。
14:00
2度目の外出。動けない嫁に雑誌を買おうと近くのコンビニを探す。
地元で有名な産科が近いからか出産関係雑誌が1角を占める。澤穂希表紙が目立つ。
めぼしい雑誌はなくクリニックに戻ると駐車場から車が消えていた。どうやらこの日は通院する人が少ないようだ。
15:00
16:00
18:00
嫁と食べ物縛りしりとりをしたりアキネイターごっこをしたりして穏やかに過ごす。
20:00
面会時間が終わったためお義母さんに送ってもらい一時帰宅。明日再度促進剤投与をする方針になった。
21:32
嫁から電話。胎児への負担を考慮して急遽緊急帝王切開を取ることになったと嫁。
一時的に心拍がかなり下がったこともあり無理はできないという医師の判断だった。
急行。
「ハンカチある?ないなら貸すね。何用かって?出産後に感動した時用よ」とお義母さん。ハンカチを受け取る。
22:00
オペの説明を受けて嫁は早速手術場へ。
元々立会い出産を希望しビデオカメラを持参していたが、使うこともなさそうだ。
廊下でオロオロしながら歩き回る昔ドラマでよく見た典型的なパパっぽい感じになる。
22:17
手術開始。手術室前のロビーにてお義母さんと二人。時間が永遠に感じる。
しかし胎児への負荷が大きかったようで、胎児に呼吸器をつけてなんとか酸素補給をしている状態とのこと。
23:50
手術後の胎児に対面する。
顔が青ざめており、ひゃっくりのような小さな呼吸をかろうじてしている状態。
我が子への最初の声掛けは「頑張れ」だった。
産後の嫁に付き添う。労いの言葉も胎児の容態が気になりトーンダウン。もうここは祈るしかない。
しばらくして先生から緊急搬送を取ることにしたと説明。救急車で隣町の大型病院へ。
25:30
お義母さんの運転が優秀だったのか、救急車より早く着きすぎる。書類を記載して提出。
緊急病院の待合室は独特のピリピリ感があって苦手だ。
この日はなぜかオカマさん(顔以外は限りなく女性に近い)がいて視線を奪われる。
26:23
26:33
カンファレンスルームへ。ここからどれくらい待っただろう……時間が永遠のように感じられた。
部屋には山ほどの赤ちゃん関係の本が。その中には「赤ちゃんの死を乗り越える」というタイトルのものもあり思考のネガティヴループが加速する。
気づいたら私もお義母さんも文字通り祈るポーズをとる。ただただ生きていてくれ。ネガティヴモードを振り切ろうと廊下を散歩する。
27:30
病院の看護師さんに呼ばれて私一人でNICUへ。熱を計り徹底的に手を洗い清潔な状態で入室。
胎児は全身を管に繋がれながらもさっきより顔色のいい状態でスヤスヤ寝ていた。なんと可愛い寝顔だろう。
全体的にむっちりしていて丸顔で。天使ってほんとうにいるのだなと確信した。
「触ってあげてください」と看護師さんに促され頭を撫でる。剛毛で真っ黒でややパーマ。これはお母さん似かな。
よく頑張ったねと声が自然と口から漏れた。看護師さんも笑顔だ。
息子は「胎便吸引症候群」により体に強く負荷がかかり、更に肺炎を併発させて窒息ぎりぎり手前状態だったという。
クリニックの先生の緊急搬送判断(別のお母さんがその時間に手術予定だったが、我が家を繰り上げで対応して下さったよう。感謝しかない)、
大型病院のベッド空き状況/立地……などなど様々な幸運が重なったことによって生きることができた息子。
まだ頑張るところだがまずは人生のスタートラインに立てたぞ。本当によかった。
27:50
NICU責任者の先生から契約書類の説明を受けサイン。息子の名前を初めて書面に記す。出生届よりも先に書くことになるとは。
「**(名前、産前にもう決めていた)っていい名前ですね!私の親友が同じ名前なのですよ。いいやつでね……」と先生。この人は信頼できるとなんとなく感じた。
具体的な検査結果は翌AM11時に説明させてくださいと先生。先生も寝る時間がほとんどないじゃないですか……おつかれさまです。
看護師さんから書類を受け取ったのち「忘れてた!」と息子の写真を渡してくれた。
「処置中は目を開けてて「ここはどこなんだろー」って周りをキョロキョロしていたんですけどねー」と目をつむった胎児写真を説明する看護師さん。
ここにいる人はみんな味方だ。
28:30
安心感からか涙が滴り落ちる。自身がめちゃくちゃ強張っていたことにやっと気づく。
iPhoneを起動、嫁と使っていた妊娠/出産情報管理アプリを開くと表紙が親子3人になっていてまた涙。
「ハンカチ、ここで使うべきなんですかね」と涙を拭いた。
その後息子2ヶ月弱の入院を経て帰宅、順調に成長し、障害もなく元気に育ってる。