はてなキーワード: 場違いとは
今使っているファンデーションより良いものが欲しくて、口コミを参考にとあるブランドのファンデーションを買いに百貨店の中にあるコスメカウンターへ向かった
実際につけてみて1日過ごして、使用感やオフした時の感じを知りたくて、その旨をBAさんに伝えた
ケープを巻かされて、前髪をピンで止められた自分はすごくすごくブスで
デパコスを買いに浮き足立っていた自分がすごく惨めで恥ずかしかった
本当は色々質問したり、アドバイスを求めたり、色をもう1トーン上げて欲しいと言いたかったけど
鏡に映る自分があまりにもブスで、場違いで、惨めで何も言えず、お礼を言って帰ってきた
確かにモノはいいし、素敵なアイテムなんだろうけど、自分が使うには素敵すぎるし
すごくすごく惨めで悲しい気持ちになったんだ
話を聞いてくれてありがとう
ブログほどかしこまらず、はてなほど匿名でなくそこそこの長文がかけて、閲覧数がわかるツールないかなぁ。
いまいちしっくりこないな…
ブログって人が読んで、何かを得られる文章を書かないといけない気がして…
内なる自分が『お前の日常なんぞどこにも需要ないぞ』って言ってくるから、描きにくいんだよなぁ。いまどき情報集約場でもなく、誰でもやってるし、そんなこと気にしなくてもいいんだろうけど。
連投だから書くスペースが変わる度に集中力きれるんだよなぁ。かといって課金したくないし。
mixiってどうなんですか。
自分の知ってるmixiなら求めている雰囲気はかなり近いと思うけど… いま、どういう状況な場所になってる??? なんか残った種族が独特なコミュニティを作り出してそう。
自分の記録を残すための"ノート"だと思って使えば場違いでもなさそうかな?
あれ?自分の記録を残すだけでいいなら、はてなでいいのでは…?苦笑
なんていうか
その辺に落ちてる石ころよりは、ちょっと注目されたいんだよなぁ。
駐車場の縁石ぐらいの注目度が欲しい。
でも、まぁ、よくこんな気持ちになるけど…
学生時代からの友人に、桁違いの大金持ちの子がいる。少し前に、その友人の結婚式に招待されたので行ってきた。
どうやらお相手の方も大変に裕福らしいと聞いていたので、どんな豪華絢爛な式だろうか、場違いでなかろうか…とそわそわしながら行ったが、派手すぎず高級感もあり新郎新婦の人柄がよく感じられるような素敵な式だった。
式で驚いたことが2つあった。
1つはご祝儀。
新郎新婦の親戚やご両親の友人なのだろうか、若い夫婦の結婚式らしくなく50〜70代くらいの参列者が多かったのだが、その方々が受付に渡すご祝儀袋がすんごい分厚かった。たぶん50〜100万くらいの暑さだったと思う。衝撃だった。
ちなみに自分は3万円。ロフトで買った可愛いご祝儀袋に入れたよ。
2つ目は引き出物。
引き出物は後日お菓子等の詰め合わせとカタログギフトのコードが送られてきた。
カタログギフトを見るとやけに内容が豪華なので、良くないことだとはわかっていながらも、何円相当なんだろう…と調べてしまった。
調べたところ、5万円のカタログギフトだった。
割とそういう傾向強くないですか?うちもそうなんですが。
これは普通に考えると生存バイアスで、子供がいなくて仲の良くない夫婦はあっさり離婚していくので時間が経つほど仲のいい夫婦だけが残っていくというものだと思う。「子は鎹」と言うように、子供がいたら多少夫婦関係が悪い程度ではそうそう離婚なんてできないだろう。
少子化の世の中で完結出生児数も減ってきているとはいえ、いまでも大多数の夫婦は子供を持っている。だから統計的な傾向として、世の中の平均的な夫婦関係の像は、子供のいない夫婦の関係性よりも「うっすらと仲が良くない」方に偏っていると思う。その結果として、社会の規範意識や仕組みや言説やエンタメやその他もろもろは「夫婦とはうっすらと仲が良くないもの」という前提で作られているように感じるんですよね(仲の良い夫婦の話は「非現実的な理想像」として提供されているように思う)。そりゃボリュームゾーンがそういう人たちなのであれば、その人たちに刺さるように仕組みやビジネスを作った方が得なので当然でしょう。
そのような社会で我々のように仲の良い夫婦をやっていると、それだけで何となく肩身が狭いというか場違い感というか、居心地の悪い感じになってしまう。なんかやっぱり「あるべき姿」じゃないんだなあという思いを日々感じながら生きている。世の中に広く提供されているものがいちいち刺さらないのだから当然だよね。この社会はnot for youですよというメッセージを継続的に受け取ることになる。
だから世の中はダメなんだとか、我々に刺さるものを提供しろとか、そういうことは全く思わないんだけど、居心地悪いな〜とそれだけの話です。
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
俺は初任給をソープに使うと決めていた、高級ソープで念願のNS3Pをすると。
昔から中出しもののAVか女2男1の3PもののAVばかりでオナニーしていた。性癖がわかりやすい。
しかし、彼女ができても学生ゆえに生でするわけにもいかないし、ましてや3Pする機会などあるわけない。
そんな俺は学生時代からソープでのNS3Pに大きな憧れを抱いていた。
入社直後のガイダンスで初任給が振り込まれる日や給与面について具体的な数字を確認し、
また、先月予期せぬ収入が多少あったので学生時代同様の貧乏暮らしで5月の給料までどうにかなる目処はたった。
GWは風俗は混むという話も踏まえて、長年の夢を叶えるべく初任給振り込み直後の週末にソープを予約した。
大金を渡すことにも緊張したし、待合室が40〜50代ばかりで場違い感があることも緊張に拍車をかけた。
しかし、そんな緊張も嬢との対面で吹き飛んだ。
入念に調べておいただけあり2人とも美人だしスタイルも見事だった。
2人から土下座のような状態であいさつをうけ、あれよあれよと服を脱がされたと思ったら
2人から同時にフェラされてる時にはちんこが見たことないぐらい勃起していた。
ベッドに移り、2人とも股を開いた状態にさせ、交互挿入し、
最後は1人と正常位でセックスしながらもう1人とディープキスしながら射精し、人生初中出し達成。
この後もマットとベッドで1回戦ずつ本当に夢のような体験と、とてつもない快感を味わえて大満足できた。
こうしてソープに行ってみて、
今後仕事が辛くてもこの体験を思い出して頑張れるだろうなと思ったし
ソープに頻繁に行けなくてもたまーに夢の体験をしに行きたいなって思う。
0052-07289
異性介助の心身へのダメージ
女性障害者が男性ヘルパーや男性看護師から入浴や排泄介助を受けることは、単なる羞恥心の問題ではありません。尊厳の問題です。私は、男性ヘルパーの入浴や排泄介助を受けましたが、一度も「恥ずかしい」という言葉は思い浮かびませんでした。心身共にナイフで、ズタズタにされる感覚でした。性犯罪被害に遭っているのと、感覚は変わりありません。障害のない女性あれば、男性が一緒に浴室やトイレに入ることは、問題視されることを、女性障害者の男性ヘルパーや男性看護師による異性介助に限って、福祉や医療の名目で「福祉ウォッシュ」「医療ウォッシュ」して、女性障害者の尊厳を無視しないで欲しい。
0052-07291
障害ではないのですが
介護施設で同じようなことがありましたので、場違いでしたら申し訳ないですがお伝えさせてください。
そこで、トイレや入浴介助に強い介護拒否があったと言われ、お話を伺ったところ、男性介護士の時に特に強い拒否があると。
えええ!!!異性がトイレやお風呂の介助をするのですか!!!ググったら禁じられはいないようです。
でも、異性に身体に触れられたり、見られたりする介助に抵抗感が無い人なんているのでしょうか。
うちの母のように、認知症で自分の意思を訴えることができない人でも、拒否をすると言うことは、習慣的に、本能的に、生理的に、嫌だからだと思います。
その垣根を、障害や高齢者と言う理由で、いきなり無いものにするみたいなのは、人権無視と言うか、あまりに勝手な話ではないかと憤っております。
東京には凄い人が沢山いる。一流のクリエイター、スタートアップ企業でバリバリ働く人、大企業で大きな仕事を成し遂げる人、一流大学に通っている学生、センス良い暮らしを実践している人、その趣味の第一人者... 皆切磋琢磨しながら輝いていて、東京の人って感じがする。東京に暮らすべき人って感じがする。
一方で東京で暮らしているにも関わらず、どうでもいいような仕事をしている人、ダサい生活を送っている人、薄い趣味しか持っていない人、知的好奇心の薄い人も多々見かける。こういう、東京に暮らしているのに輝いていない人って自分の生活に場違い感を感じていないのか不思議だ。この人たちってなぜ東京に住んでいるのだろう。高い家賃払って狭い部屋に住んで、何も生み出さない人たち。東京に住んでいるにも関わらず何も成し遂げていない、"東京の輝いていない人"って、自己肯定感をどうやって創り出しているのかとても不思議である。輝いている人に囲まれて死にたくならないのかな?
彼は長男として色々な期待と重圧を受けながらも、両親からとても愛されて育ってきたのだろう。
従兄弟だった彼は、幼かった頃は隣県に住んでいた事もあり、盆や正月には叔父と共によく遊びに来たものだし、私達も両親と一緒に遊びに行ったものだった。
ところが私が中学に上がった頃、叔父の転勤と共に簡単に往復できる距離ではなくなったことから、“もっとも、当時の我が家の状況を鑑みると、理由はそれだけではないようだが”彼との音信は完全に途絶えてしまい、無事就職が決まって今は勤務先の新潟に居るらしい、という事を叔父から伝え聞いていただけだった。
彼の訃報を受け、私は両親と共に叔父の元へ赴くことになったのだが、私達が斎場へ到着した時にはまだ親族関係者の誰の姿もなかった。
斎場の職員に案内された通夜会場には故人の亡骸が納められた棺だけがあり、叔父の到着を待たずに棺の窓を開けて故人と対面した。
驚いたことに、十数年振りに見る故人は少なくとも私の記憶にある幼い丸顔の彼ではなく、彫りが深くてひげの濃い、独身だった頃の私の兄と瓜二つの容貌だった。
甥の顔を久しぶりに見た両親も、死に化粧の所為かもしれないが、と前置きしつつ、本当に寝ている兄のような顔だと。
気がつくと叔父は私達の後ろに立っていた。
正確に言えば会釈するまで、“少なくとも私は”叔父だということに気づかなかった。そのくらいにやつれてしまっていたのだ。
故人の仕事を後押しして遠方に送り出した叔父は、何度も何度もうわ言のように後悔の言葉を口にするばかりで、先に到着していた私の兄と叔母の弟に辛うじて支えられているような状態だった。
その日の夜行われた通夜には、身内だけだと言いながらも、叔父夫婦の関係者のみならず、沢山の故人の同級生や友人達が訪れ、予想していなかったのであろうか、叔父は引きつった表情ながらも、その日一度だけ笑顔を見せた。
通夜が終わった夜遅くに私達は叔父夫婦に家へ招かれ、二人は故人の思い出話、そして故人の最後と、再び自分の後悔の言葉を口にした後で、長男に先立たれた現実を、まるで自分達に言い聞かせるように話してくれた。
実は私の両親は、今日まで叔父の家を一度も見たことがなかった。
叔父には、一度だけでも兄夫婦に自らが努力の末に築いたささやかな城を見て欲しい、そういう思いがあったのかもしれない。
実は数年前、私は一度だけ妹を連れ、叔父の家に遊びに行ったことがある。その時故人はおらず、叔父夫婦が私達の相手をしてくれた。
当時の記憶は薄れ掛けていたが、部屋を案内されて少しずつ思い出してきた。
しかし、リビングやキッチンに荷物が散乱した様は几帳面な筈の叔母のそれではなく、二人の心境をそのまま表しているのが見て取れた。
その後、叔父は一人葬場へ戻り、冷たくなった息子と一緒の最後の夜を過ごした。
翌日の告別式の席上、叔父は喪主挨拶の途中で言葉を詰まらせ号泣したが、振り絞るような声で最後まで読み上げ、叔父、叔母、叔母弟の家族一同で深々と弔問客へ頭を下げた。
皆で献花台の花を分けて棺に詰めて故人を飾ったのだが、沢山の花と思い出の品で個人の顔以外が埋め尽くされた棺の蓋を、叔父夫婦は中々閉じることができなかった。
火葬前にもう一度お顔を見られますから、と葬儀屋に促されてようやく蓋を閉じ、友人と親族で棺を黒い霊柩車まで運んだ。私も棺を持った一人なのだが、両手で抱えた棺は青年となった故人が納棺されているとは思えない程に軽かった。
故人と喪主は黒い霊柩車に、その他はマイクロバス揺られ、住宅街を抜けた郊外にある広い霊場に到着した。
途方も無く広くて、幼い子供たちが芝生の広場で遊んでいる、公園と見紛うような穏やかで緑豊かな風景が.だからこそ余計に、冷たい打ち放しコンクリートの壁で覆われた霊場の中で、故人の棺を囲む我々との落差を大きく感じさせる。
最後に皆で別れを告げ、叔父夫婦もしばらく名残惜しそうに棺の蓋の窓を開けて顔を見つめていたが、叔父が意を決したように閉じ、そのまま故人は荼毘に付された。
火葬が終わった後に行われる骨上げは、当然ながら丁重に死者を敬って厳かに執り行われる儀式であるが、この霊場における骨上げは、霊場の職員がステンレス製の台に乗せられた遺骨の部位一つ一つを細かく説明しながら骨壷に納めていく、という正直なところ厳かとは少々距離を、いや、ある意味では場違いなエンタメ性すらも感じさせるもので、さながらテレビで見る検死のワンシーンか、解剖実習のようにも見えた。
詰め込み始めて間も無く、若かった所為もあって立派な故人の遺骨は骨壷に納まりきらないだろうことが、誰の目にも明らかに映った。
目の前で全てを納めるように親族一同懇願したのだが、霊場の職員は、納めるには遺骨を砕くしかないですが、と説明し、少々躊躇った後で、遺骨を擂り粉木のような棒を使ってバリバリ音を立てて潰しながら骨壷に詰め込み始めた。
“恐らくこれは霊場ではよくある光景に違いない”とはいえ、私でさえギョっとしたそれは、叔父夫婦にはたまらなく暴力的に映ったのだろう、叔母は声にならない悲鳴を上げて顔を真っ青にし、叔父はたまらず席を外してしばらく骨上げの場に戻れなくなってしまった。
しかしながら、骨になって無残に打ち砕かれた息子に背を向けて震える叔父にも、今にも卒倒してしまいそうな叔母にも、声を掛けられる者は、私を含めて誰も居なかった。
ただ骨を潰す不気味な音だけが響き、霊場の職員は黙々と骨壷に遺骨を詰め込み、皆無言のままそれを見つめる他無かった。
来場した時と同じバスに揺られながら、来た道を骨壷を抱えて斎場まで戻るとすぐに、父は叔父夫婦に手短に別れの挨拶を告げ、足早にその場を後にした。
時間が迫る訳でも無い筈。いくらなんでも実の弟になんと冷やかな…そう私は思いながらも叔父達に頭を下げ、父の背中を追って車に乗り込んだ。
すると父は、私の気持ちを察したように車内で私と母に、こう諭した。
冷たいかもしれないが私達が居ても何の慰めにもならない。他の親族の足止めになるだけだ、と。
実は、集まった親族の顔ぶれは叔母関係者が中心を占め、叔父側で駆けつけたのは私達と兄だけという、どちらかというと叔母側の意向が強く見て取れる葬儀と、叔父夫婦の現在の関係性は薄っすらと私にも理解できていたが、父はこの場においてもその事について一切触れなかった。
そして悲嘆に暮れる弟に対する同情の言葉を口にし、人のために涙する父の姿を生まれて初めて見た。
故人の命日は何の因果か誕生日の前日、24年と364日の本当に短い人生だったが、彼にとっては辛くて長い戦いの日々だったのかも知れない。
実家に戻ると家を空けていた間に、少々痴呆気味で放って置けない祖父の面倒を見ていてくれていた妹が迎えてくれた。
両親に促されて、“もっとも、父も母も叔父と会話できるような心境になく、私にこの役目を押し付けただけなのかもしれないが”無事帰宅したことを叔父に電話で告げると、本当に良かった、と喜んでくれたが、これから色々と大変でしょうが…と言ったきり私は言葉が続かなかった。
私の様子を察したのか叔父は、今日はありがとう、それじゃあ、とだけ言い、電話は切れた。後日私の兄から聞いた話では、電話の後すぐに叔父は眠ってしまったらしい。
叔父が長男との淡い思い出を夢に見ながら目を閉じたのか、それともこれから差迫るであろう、暗い現実を想像しながら横になったのかは、私にも分からない。
東京には凄い人が沢山いる。一流のクリエイター、スタートアップ企業でバリバリ働く人、大企業で大きな仕事を成し遂げる人、一流大学に通っている学生、センス良い暮らしを実践している人、その趣味の第一人者... 皆切磋琢磨しながら輝いていて、東京の人って感じがする。東京に暮らすべき人って感じがする。
一方で東京で暮らしているにも関わらず、どうでもいいような仕事をしている人、ダサい生活を送っている人、薄い趣味しか持っていない人、知的好奇心の薄い人も多々見かける。こういう、東京に暮らしているのに輝いていない人って自分の生活に場違い感を感じていないのか不思議だ。この人たちってなぜ東京に住んでいるのだろう。高い家賃払って狭い部屋に住んで、何も生み出さない人たち。東京に住んでいるにも関わらず何も成し遂げていない、"東京の輝いていない人"って、自己肯定感をどうやって創り出しているのかとても不思議である。輝いている人に囲まれて死にたくならないのかな?