「剽窃」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 剽窃とは

2019-08-12

anond:20190812012815

ここで指摘されてる「盗作でもオマージュでも剽窃でもない嫌らしさ」ってネットでよく起こるパクリ炎上問題と通じることだな

ネットでのパクリ指摘に対して、だいたい良識派名乗る人たちが「法律的盗作でない」「盗作だったら創作発展しない」と擁護しまくって最後有耶無耶になるのが常なんだが

この「嫌らしさ」については最後までスルーされてしまうし、過去作へのリスペクトも高まらないまま終わる

今回は指摘された側が嫌われ者古市だったことで、批判が大きくなったけど

追記あり古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件

10日発売の『文藝春秋』に芥川賞の選評が載っていて、二回連続落選した古市さんがいろいろ言われている。

候補作は単行本出版されているが、まだ読んでない。だが、高学歴なのにビルの窓の清掃員をやってる主人公の話で、参考文献が詳細にあげられているらしいことは、なぜか知っている。

参考文献については、前回だったか候補作の剽窃問題があって、その辺の対策らしいと噂されていた。

で、選評である

まず山田詠美はこう書く。“(参考文献の)木村友祐作「天空絵描きたち」を読んでみた。

そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法候補作よりはるかおもしろい”

候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る”


続いて川上弘美。“結論からいいますわたしは悲しかった。木村友祐さんの声がそのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまたからです”

古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持にかける行為であると、わたしは思います


吉田修一。“本作に対して、盗作とはまた別種のいやらしさを感じた”

あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。”


堀江敏幸。“他者小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか”(原文では「かっぱいでも」に傍点あり)




要するに、古市さん、文芸誌掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである

いや、具体的にどの程度の参考具合なのはかめてないので、なんとも言えないが、当代きっての作家先生方が、かなり憤っておられるようなので、相当なものなんだろう。

是非比較して見たいところだが、「参考文献」の方は、『文学界2012年10月号、だそうなので、確かめるには、図書館バックナンバーを出してもらうしかなさそう。

にしても、古市さん、お忙しそうなのに、純文学文芸誌まで必死にあさって「参考文献」集める努力は大したもんだが。

まあ「情報集め」は嫌いじゃなさそうだしな。

まさかとは思うが、担当編集者うまいこと見繕って選んだのを古市さんに読ませてるとか、そういうことじゃないよね?





参考文献問題に触れてない選評にしても、あまり芳しくない。

島田雅彦曰く“ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報パッチワークに終始しているのが気になった。”

宮本輝は“他の登場人物たちがみな類型の寄せ集めなのだ。”

どうやら評価したのは奥泉光だけで、“今回自分が一番押したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、大分弱った”そうである

“外にあるさまざまな言葉コラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分肯定的に捉えた”そうだ。

ここには、小説における“オリジナリティ”とは何か?という問いが含まれている。

ま、小説なんてそもそも「すでにある言葉」の組み合わせでしか書けないじゃん、というのはある。

で、ありものコラージュでも新しいものが生まれればいいけど、山田詠美は「参考文献」の方が「はるか面白い」って言ってるしなあ。

吉田修一は、「参考文献問題」以外にも手厳しくて、“凡庸差別的価値観主人公小説で書いてもいいのだが、作者もまた同じような価値観なのではないかと思えるふしもあり、とすれば、作家としては致命的ではないだろうか”なんて言っちゃってる。

これは、社会学者にして人気コメンテーター(タレント?)としての活動にも少なからず影響しそうな評価だと思うけど、ま、芥川賞の選評なんて、今時の世間に影響力なんかないのかな?




古市さんという人、本をちょっと読んだことがあるのと、時おりメディアでお見かけするだけで、どんな人か詳しくは知らない。

ただ、妙に芥川賞を取りたがっているらしいという噂は聞く。

なんでだろ?

“気鋭の若手社会学者”も“テレビ毒舌が人気の論客”も、実に空虚脆弱肩書きで在ることに、ご本人が一番気づいているということだろうか?

そこで、「学者として研究に力を入れる」ではなく、「いい感じの小説を見つけてきて、うまいこと翻案して芥川賞ねらう」って辺りが、実に薄っぺらいけど。

テレビ知名度得た人が芥川賞狙うって図式では、又吉直樹といつ成功例がある。

あの「火花」という作品が、そこまで傑作かどうかはともかく、この人は本当に、太宰治を筆頭に、文学というものが大好きで、おそらく文学に救われたという経験を持っていて、文学リスペクトしていることが端々から伝わってくる。

文学に対して真摯謙虚なんたろうな、と感じられるのである

片や古市さん、文学とか小説とか、本当にお好きなんだろうか?

あんまり文学とか語ってるのを聞いたり読んだりした印象がないのだが。

前回の選評では、「ナルシシズムが過ぎる」とか「自己肯定というより自己過信」とか、これまたかなり厳しい言葉が並んでいたと記憶する。

単なる自分語りの舞台として小説を選んでいるのだとしたら、ずいぶん旧い、日本文学における「私小説偏重文学観をうすっぺらくなぞっただけかもしれないが。

なんだろうなあ?

社会学者コメンテーターも、ありもの言葉を組み合わせつつ、持ち前の地頭センスと要領でなんとなく現在地位を掴めちまったっぽいだけに、「小説? これくらいなら、ボクでもかけるじゃん」とか思っちゃったんじゃないかなあ、という疑いを禁じ得ない。

で、今後も小説は書いていかれるんだろうか?

追記

えらくブクマついてる。文藝春秋なんて読んでないけど、中身は気になるって人は多いのかなあ、と思ったり。

「参考文献」の著者、木村友祐さんがtwitter発言されておられるので、追記しておく。

本件、「古市さんが窓拭きに興味をもち、取材依頼があり、応じました。窓拭きの達人を紹介しました。古市さんはその取材をもとに書いてます。」そうだ。

選評からの推測で「翻案」などと評したのは、勇み足だった。

お詫びしたい。

なお、「窓拭きの細部以外は、ぼくの作品古市さんの作品は別のものです。そしてぼくは、〝知名度がないゆえに作品を利用されたかわいそうな小説家〟ではありません」とのこと。

にしても、選考委員先生方は、どの程度経緯をご存じの上で選評を書かれたのかは分からないけれど、えらく憤っておられるようで、なにがそんなに山田川上吉田各氏に火を着けたのか、検証してみたくはある。

二冊並べて売ったら、「出版ビジネス」としては面白いと思うけど、難しいのだろうか。

2019-06-10

anond:20190610192807

「調べればわかるから引用元の出典は書きません」なんて通用しないよ

ただの剽窃

2019-05-30

現役校正者が書く校正フローとかの話(追記しました)

現役の校正者です。出版社校閲所属ではありませんので、多くの出版社とお付き合いさせていただいてます

幻冬舎見城徹社長インタビューhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12205_1.php)と、そのブコメ拝読していて、いろいろと解説できることもあるかもしれないな、と思いましたので、一般的校正フローがどういうものか、ということについて、増田で書いてみようかなと思います

注意書き


校正フロー全体の流れ(一般文芸小説などの場合

初校ゲラを作る
  1. 原稿が書き上がる
  2. 書きあがった原稿デザイナー(あるいはDTPオペレーター)に渡される
  3. デザイナーによって組版が行われる(よく「流し込み」と言います
  4. 初校ゲラの完成
初校チェック
  1. 流し込みされた原稿ゲラが、関係各所に渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの初校戻しを編集者が受け取る
再校ゲラを作る
  1. 編集者が、それらの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
    • この段階で、一部の校正指摘は却下されます。一例としては、「誤解による指摘」「著者が過度に傷つきそうな指摘の表現をやんわりしたものに書き換える」などがありえます。誤解なんてないに越したことはないのですが、「意図的な仕込みだとは思うが、ミスだとまずいので念のため伝えておく」というような、杞憂に近い指摘も出てきうるので。
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=初校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正作業をする
  6. 修正されたゲラ=再校ゲラの完成
再校チェック
  1. 再校ゲラが、関係各所にまた渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの再校戻しを編集者が受け取る
完成原稿
  1. 編集者が、校正者・ステークホルダの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=再校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正完了する

この段階で、完成原稿扱い(を目指す)というのが一般的です。なお、上記説明では「完成」の判定を誰が責任を持つのか、デザイナーDTPオペレーターの職分の厳密さ、あたりがすっぽ抜けているんですが、そこの解説は省略させてください。パターンがいろいろありますし、枝葉の話かと思いますので。

とても高い正確性が求められる書籍(例えば辞書)の場合や、再校での修正量が想定以上に多かった場合は、さらに「修正指示が反映されているか」「もう一回読み直し」とサイクルを予定している/追加していく場合もありますが、だいたい多くの書籍では「初校・再校」の合計2回まででまとめていると思います

日本国紀』はあのあり方、ページ数などからみて、三校、四校まで実施しているかもしれません。遠くから眺める限り、いろいろと大物な予感がしますので、ちょっと再校まででは済まない印象がします。単なる勘ですけど。そういう意味では、インタビュー内の「通常の3倍以上」というのは、六校、七校まで実施した、という意味かもしれないな、と思っていたりします8-)

剽窃チェックについて

校正作業を行うにあたっては、「リスク認識した場合、そのリスククリアするためのチェックフローを追加する」というスタイルがよく採用されます。実務に沿って言い換えると、まずは「編集者からの依頼としてチェック項目のリストが渡され、それを元に読み進める。そして、実際に校正作業を進めてみて新たに発見されたリスクについては、適宜、リスクに応じたチェックを追加する」という形です。言葉にすると当たり前なように聞こえるかと思います8-)

これを剽窃チェックにあてはめると、「この原稿にはWikipediaコピペが含まれていそうだ」と判断した場合に、「Wikipediaコピペを検知するための確認作業を追加する」ということになります

Twitterで、小池みきさんが「社内校正ときに「ウィキコピペをしてないかチェックする」って作業があった」とお話されていました(https://twitter.com/monokirk/status/1133240351123099648)が、これは、続きの「ネットに詳しくないおじいちゃん郷土史家とかはけっこうやってしまうので」というのが重要ポイントで、リスクが高い状態がすでに認識されていたからこそ、コピペチェックが定型フローに含まれていた、ということだと思います

なので、「『日本国紀』はWikipediaコピペのチェックもしていないのか?」という問いに関しては、「百田尚樹先生文章について、なんらかの剽窃リスクが高く見積もられていなかったならば編集者から提示された最初校正依頼の項目に『コピペチェック』が含まれていなかったとしても、特別おかしいとまでは言えないと思う」という回答です。

そもそもとして、剽窃絶対にしてはいけない・出版倫理にもとる、というのが大前提なので、「著述家として実績を積み重ねた方であれば、剽窃不適切引用はしていないはず」という認識を基本とするのはわりとベーシックです。例えば飲食店において「お客様は全員きっと食い逃げするに違いない」という強いリスク感を持つのがさほどノーマルではない、みたいなことで、「剽窃あるかもしれない」とは考えますが、「剽窃あるはずだ」と強く疑ってチェックを重ねるのはコストが嵩みすぎる、という判断します。「存在する可能性が高いものを探すコストをかける」のと、「存在しない可能性が高い(と考えられる)ものを探すコストをかける」のは現実的には違うのです。校正作業にも締め切りや予算がありますから

ですから、多くの校正作業においては、「この原稿コピペが入ってるのでは? 剽窃かも?」というリスクをどこかではっきり認識したら、その時点からコピペチェックを追加します。「おそらくあるはずだ」に頭を切り替えるからです。「私の場合は」という但し書きはつきますが、おそらく多くの校正者がそうしているでしょう。

では、「最初偶発的に発見するしかないの?」という問いに関しては、「はい。ある程度は偶然に頼ります」というアンサーです。ですが、ベーシックファクトチェック実施していれば、どのみち辞書インターネット・専門書等を駆使して大半の単語記述を見比べながら読むこととなり、「剽窃不適切引用が多数存在した場合、そのうちのどれかひとつ発見する」という可能性はそこまで低くないと思います特にWikipediaからコピペ発見は多少は期待できます。実際、私自身も何度もそのような経緯でコピペ事例を発見したことがあります検索さまさまです8-)

一方で、参考文献のリストそもそも共有されていなかったり、それが不完全だったりすれば、「どこから引っ張ってきたのか」の見当をつけることさえできないので、かなり発見が難しくなります

日本国紀』で校正フロー機能してない問題全体の話

校正作業チェックリストの項目)は追加すれば追加するほど期間と金コストがかかるし、無限時間をかければ当然ペイしなくなってしまます。なので、特に校正フロー最初においては、クリティカルな点や、質への貢献が高い項目を重点的に校正する、というのが多くの場合の実情です。

作品固有の事情として、『日本国紀』がどういう売り方で、どれくらいの期間、どれくらいの利益企画していたか、ということは外側からではわからないので、「通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります」というコメントから、「じゃあ5年かけろよ」とだけ言って終わらせてしまうのは、理想的ではあるものの、現実的可能かどうかはわかりません。

2019/05/31追記:「通史で」というところもポイントなんですよね。そもそも日本国紀』を通史相当とみなすのか否かから検討されなくてはならない。一般文芸書と学術書では求められるレベル感が違いますもの

金銭時間が膨大にかかる理想をすべての書籍に一律に求めることはできない実情は既にあるので、「『日本国紀』という作品については、どれくらい理想を突き詰められたのか、突き詰めるべきだったか」という評価判断と合わせての評価のほうが、現場にとっては建設的であろうと考えます。これは単に「校正現場にとっては」という話であって、思想云々、歴史云々の話は学術芸術的観点を含むため、また別枠だと思います。今回の増田でそのあたりを取り扱うつもりはありません。校正作業の話だけをします。

最初お断りしたとおり、私は『日本国紀』をまだ手にとっていないので、どれぐらいの校正コストが支払われるべき作品だったのかについて、特に言えることがないです。もしもこの増田に反応が多ければ、その時は目を通してみようと思っています。その場合見積もりのために数日ください;)

現に剽窃事実誤認誤記と見られる(らしい)記述存在したそうですから、「『日本国紀』において校正フロー全体は正しく機能していなかった」は正しいと言えるとして、ではその原因は何か?については妥当な推測ができません。例えば期間や予算がなかった、あるいは校正者の実力自体の不足で、(作品としての理想、読者の皆様からの期待の両面から)求められる成果にそもそも達していなかった可能性はもちろんあります。また、あるいは部分的に達せられていたとしても、編集の方、著者の方にご確認いただく過程で、指摘が却下されている可能性もゼロではありません。

校正者」という個人さらにその校正力にだけ、校正フロー機能不全の責が向かうとすれば、必ずしもそうとは限らないですよ、ということぐらいは言わせてください。

修正一覧を公開すべき論について

私は見たいです。勉強にもなりますし。

……という感想はさておき、インタビュー内の「版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにある」は事実です。また、特段の事情がない場合サイレント修正するのもよくあります

ただ、ごく短い期間で版が何度も更新され、さらに刷りを重ねているとなれば、最新の版以外を「古いもの≒正確でないもの」と認識した上で取り扱ってもらえるのが望ましいでしょうし、その必要性の度合は文芸小説等よりは高いと思います広辞苑記者ハンドブックなどを使用する際に「第◯版を使った」というのが重要視されるように、『日本国紀』第◯版読んだよ、みたいな感じで。

長くなってごめんなさい

増田でこんなに長くていいのかって思いながら書きました。すいません。

2019-05-18

[]2019年5月17日金曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
005121065413.048
016119592321.271
02289766348.855.5
032316073698.8849
04135828448.366
05101217121.743.5
06206680334.045
0740319179.838.5
086310866172.536
0910011169111.748
1012314627118.954
1113021072162.152.5
121411202985.345
13839518114.749
141111033593.163
1510612500117.963
161751356277.556
1719320480106.147
181321187490.041
1910216038157.244
2011511943103.935
2110415746151.456.5
221411009671.637
2310111543114.347
1日2166296810137.048

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

実売部数(6), 見城(9), 見城徹(8), 津原泰水(6), 幻冬舎(15), 5月16日(4), 乗馬(5), 剽窃(16), シャーク(4), 人命救助(4), 出版業(3), 渡辺真由子(3), イデオロギー(22), ベビーカー(25), 粗(14), 出版社(26), 作家(50), 譲る(8), 取引先(10), 編集者(8), チン(17), 人殺し(7), 実(22), 出版(17), 上級国民(13), 譲っ(9), オープン(8), 実施(9), 自民党(19), 売れ(38), スポーツ(24), 運(23), 固定(14), 売れる(15), 抵抗(15), 訴え(20), 犯罪者(19)

頻出トラックバック先(簡易)

女性AEDを作ればいいじゃない /20190517124852(21), ■粗チンコンプで彼女と上手くいかないし温泉にも入れない /20190517130708(20), ■次に来る貧乏趣味 /20190517003553(13), ■SCP おじさんが苦手 /20190517134454(13), ■アニメ漫画実写化は多いのに /20190517153238(12), ■e-sportsスポーツなのかっていうけれど /20190517111814(10), ■外国人お勧めする日本の曲やアーティスト教えて /20190512000726(10), ■友人が居ない /20190517015943(10), ■男嫌いになりたくなかった /20190517155705(9), ■銭湯での所作 /20190516225509(9), ■アベンジャーズって日本で言えば仮面ライダーwithウルトラマンみたいなものでしょ? /20190516193927(9), ■ノンケゲイポルノを消費するのは罪なのか /20190516233552(8), ■「実売部数は版元の責任」と言う作家の多さに引く /20190517153226(8), ■嫁の引き出しか大人のおもちゃ /20190516203928(7), ■ /20190516154107(7), ■ベビーカーが気に食わない理由 /20190517092328(6), ■芸能人どころか、声優ですら「吹き替え版はまごう事なきクソ」であるたった一つの理由 /20190516033802(6), ■トラバのやり取りしている人って全員社内ニートだよね? /20190517182111(6), ■今、夢見りあむがアツい。 /20190513021624(6), ■男の引き出しから /20190517134619(6)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

6270996(2939)

2019-05-17

anond:20190517180027

剽窃が悪なのは当然としても今回の遣り口はそれはそれで悪。

わざわざこう書いてやったのに読めないやつか?

anond:20190517175548

剽窃がないか調べる」という行為をすべての本に対して行ってるのでもない限り、本を選んだ何らかの理由があるだろ

今回の場合はそれがまさしく百田への個人攻撃もっと言うなら「ネトウヨ認定した思想への攻撃

anond:20190517175301

剽窃が悪なのは当然としても今回の遣り口はそれはそれで悪。

剽窃」を探して突っつきまわすのもまた、「百田を叩くため」だからなぁ。

同様のチェックをどれだけの本にしてる?って話。叩く目的じゃないとやらないでしょ

あと、剽窃の扱いも違うしな。

渡辺真由子の件とかと比較したら明らか。

剽窃に怒ってるのなら同じかそれ以上に怒ってないとおかしいわけだが。


勘違いしてるようだが、俺は百田かばってるわけじゃないぞ。

イデオロギーに狂って個人攻撃をした挙句取引先を怒らせてそれでも被害者面する連中を批判してるだけだ

anond:20190517174821

百田の本を攻撃対象に選んだという選別自体個人攻撃だというならまだ分かるが、本の内容に剽窃がないか調べる行為は全く個人攻撃では無いし問題ない行為だろ。

流石にそこは切り分けて話せや。

anond:20190517165114

知らんけど、取引先が剽窃たからってそれに対してネガキャンしたら結果的喧嘩にはなるじゃろ。裁定がどうあれ攻撃事実だしそれで袂を分かつことになるのも別におかしい噺でもなかろ。

anond:20190517165524

内容褒める気もないが、「剽窃」を見つけるためにターゲット百田の本を執拗検証するのが正義なのかなー

anond:20190517165224

内容褒めるのは勝手だけど、それとは別に剽窃非難されるのも当然だろ

anond:20190517165114

剽窃した渡辺真由子を該当の作家や左の人がボコボコにしてた話は聞かないなぁ

百田の比ではない剽窃博士だったけど。

anond:20190517165154

イデオロギーに任せた個人攻撃、その手段として揚げ足を取ることが崇高な倫理に基づくものだとは知らなんだわ

仮に「剽窃を探すのが正義だ」とおっしゃるのなら、その正義百田一人に向けてるのはなぜなのかな

anond:20190517164811

そら剽窃したらネガキャンされるやろ。

殺人犯に関する報道を「ネガキャンやめろ」って言うんか。

anond:20190517164059

じゃあ剽窃なんかせんかったら良かったんやん?

anond:20190517162811

作家津原泰水百田尚樹の「日本国紀」の剽窃批判

 ↓

日本国紀」を出してる幻冬舎津原泰水の(ほぼ出来上がってる)新刊発売中止する

発売中止をどっちが先に言いだしたかで揉めてる)

 ↓

日本国紀の編集者有本香津原泰水に「先生文庫はいつ出るんですか?」みたいな嫌味をツイート

 ↓

しばらくしてそのことを津原泰水バラ

 ↓

幻冬舎社長見城徹が「あの本は実売がこのくらいで…」とツイート

 ↓

作家から批判

という流れなので別に売れなかった責任押し付けあっているわけではない。

2019-05-08

奨学金を借りておいて勉強しない奴は今すぐ大学を辞めろ

MARCH商学系専攻に所属しているが、4年生になっても何も学んでない奴が多すぎる。そんな有象無象勉強してない奴らの中には、500万円近く奨学金を借りている者も多い。

奨学金を借りているのに、「えー? マーケティング? 全然わかんなーい!」とか甘ったるい声で友達と談笑してるアホヅラ女を見ているとハラワタが煮えくり返ってくる。よくそんな空っぽの頭で「奨学金の返済つらーい!」とか言えたものだなぁ。まず勉強しろよ。

奨学金に関する問題を見かけると、こいつらの顔が浮かんで「ざまあみろ」とさえ思う。正直、奨学金で苦しんでいる人を見てもノータイムで「でも、勉強してこなかったんじゃないの?」と思うところまで来ている。勉学に励んでいる人も多いことは理解しているが、自分の視界に映る奨学金を借りている人は、全員バカばっかりだ。

ここまで怒りを噴出させておいて何だが、私は奨学金を借りていない。それでも、授業料を払っている両親への感謝を忘れたことがないし、食い扶持を得るために1年生の頃からコツコツと会計マーケティング勉強を続けている。就活もそのおかげで好調だ。

大学入学する前は、「奨学金を借りている人たちは自分よりもっと必死勉強するんだろうなぁ。俺も頑張らなきゃ」と考えていたが、蓋を開けてみればこの惨状だ。マジでこいつら、何のために大学入学してきたの? 

しかも、サークルで回ってきた過去問の答えをテスト前に丸ごと暗記したり、先輩のレポート剽窃がバレないように部分を弄って、それを提出して単位を貰ったりしている。それで卒業していくのか? 無意味すぎるだろ。何のための大学だよ。

そんな奴らがいざ就活シーズンに入って、「将来なにをしたいか全然わかんなーい」とか言ってるのを見てると本当に腹がたつ。それも1人や2人ではなく、数十人、いや百人単位でそういうバカを見かける。実際はもっといかもしれない。

大学就職予備校」なんて揶揄されているが、実態はそれ以下。学問どころか、就職すら意識せずにボーッと生きてる奴らがほとんど。3年間も薄っぺら活動サークルでうわべだけの関係を築いて、気が付けば手元には何のスキルも残らず500万円の借金を抱える。そんなんで、本当に良いのか? 

奨学金を借りてるくせに勉強しない奴は今すぐ大学を辞めて専門学校スキルを身につけるか、改心して勉強を始めるか、大人しく国に帰ったほうがいい。親が汗水垂らして稼いだ金で、酒を一気飲みしたりS◯Xしたりする生活楽しいか? 

2019-04-26

サテー氏の炎上は何が問題なのか解説する

先日燃え上がったこちら

https://matomedane.jp/page/28029


Twitterを見ていると、

「ただのファンアートじゃん」とか「何が問題かわからない、ただのいちゃもん」とか、

あげくのはてには「外圧勢の攻撃だろ」とか言ってる人が思いのほか多くて驚いている。


今回、サテー氏は絶対にやってはならないことをし、燃えるべくして燃えた。

なのにこの「この人のやったことは明らかにアカことなんだ」ってのが、いまいちわかっていない人が多い。

わかってない人が多いせいで、信者VS外圧問題にすり替わりつつさえある。

というかそもそも肝心のサテー氏が自分のしたことのなにが悪いのかをわかっていなかった。それは炎上後の対応のまずさにも見て取れる。

なので、なにがいけないのかを解説しようと思う。

簡単に言ってしまうと、これは「プロ道義」の問題だ。



・今までのサテー氏の漫画

これまでサテー氏は「1コマFGO」と題して、FGOファンアートを定期的に描いてきた。

彼の手法簡単にいうと「ダイジェスト」だ。

ゲーム内の印象的なシーン、または界隈で起きた印象的な出来事。それを抜き出して「ダイジェスト」にする、というもの


サテー氏の個性の一つに、このダイジェストを少ない枚数の中に極端に高密度に詰め込むという独特な手法がある。

彼が今の人気を築いたのは高い画力もさることながら、この独特な手法があったからこそと言っても過言ではないだろう。


ただ一方で、最近の「1コマFGO」は、1シーンだけを抜き出してイラストにすることも増えてきていた。

というよりも、彼の「1コマFGO」は、以前と比べて、「ページ数が増え」かつ「ダイジェストのシーンが減って」きていた。

この変化が実は、まずもっての発端である



・直近のサテー氏の漫画

炎上した件の漫画の一つ前に描かれたものは、ある種の分水嶺として捉えることができる。

これ。

https://twitter.com/syatey_12/status/1119573130098331648

(余談だが、この漫画のことを炎上した原因だと勘違いしている人が一定数いるけど違うよ!)


この作品は、見ればわかるが、イベント極東魔神戦線1945」のストーリーの、クライマックス部分をほぼそのままダイジェストにしたものだ。

クライマックス部分をほぼそのまま」である

この漫画大勢の人に絶賛され、受け入れられた。経験値氏本人もRTしている。

だが、これは分水嶺だった。ギリギリラインだったのだ。



・「ダイジェスト」のさじ加減の話

……なのだ、つまるところ。

従来の、というより初期のサテー氏の「1コマFGO」は、たとえば1ヶ月とか3ヶ月の間にあった出来事、いうなれば「1000の中から印象的だった10を選び取りダイジェストにした」ものだった。

それは、時間とともに少しずつ変化していく。

有り体に言うと、投稿スパンが短くなり、絵の密度が下がり、選ぶシーンのネタバレ度が強くなった。


1000の中から"印象的だった"10を選び取る」が「500の中から"めちゃくちゃ印象的だった"10を選び取る」となり、

やがてそれは、この「絶剱」と題された漫画のような「100の中から"重要な"10を抜き出す」ものになっていく。


サテー氏がこの手法に疲れてきたのか、承認欲求のためにイラスト投稿回数を増やしたかったのか、原因は定かではない。

ただこのさじ加減が間違ってきていることに、きっと彼自身は気付かなかったのだろう。


勘の良い方ならもうおわかりかもしれない。

「絶剱」の後に投稿された、炎上した”幕末昔噺「龍が如く」"は、

100の中から80を抜き出す」どころか「100の中から重要でない20を削ぎ落とす」ほどの、「ダイジェスト」を超えた「リライト」になってしまっていたのだ。



プロ道義

ここで最初に触れた「プロ道義」という話に戻る。

プロ創作物は「成果物」と呼ばれる。仕事の結果であり、作品であり、同時に商品でもある。

いみじくもプロクリエイターであるならば、同じ立場にある「プロ」の作った成果物について、敬意を払わなければならない。

この経緯とは何か。それは「製作者のコアの部分には立ち入らないこと」だ。


たとえばブーディカは蒼月タカオ氏のデザインしたキャラクターだが、たくさんの人によってファンアートが描かれている。

そこにはプロとして活動している人も多くいて、中には蒼月タカオ氏よりも上手い(上手い下手の定義はいろいろあるが本記事では置いておく。「経験値氏よりサテー氏の方が絵が上手い」程度の意味合いとして捉えて欲しい)人もたくさんいる。

だが、彼らプロ作家ファンアートに「ブーディカのカードの構図やポーズ、背景をなにからなにまで真似た『俺の描いたブーディカさんのカード』」なんてものがあるだろうか。

断言してもいいが、絶対にない。あったとしてもそれはセミプロ、もしくはアマチュアの手によるものである


プロ意識があるなら、そういう二次創作絶対にしない。

何故なら、それは「製作者のコアの部分に土足で立ち入ること」だからだ。

製作者がその仕事によって得た社会的評価までもを己の創作に取り込んでしま行為」……と言い換えたらわかりやすいだろうか。

それはひいては、製作者に成り代わろうとする行為であるとも言える。

それはあまり醜悪だ。

プロ道義として、絶対にしてはいけないことだ。

これをやったら戦争である戦争なのである


好きだからこそとか。良かれと思ってとか。宣伝のためだったとか。

関係ない。まったく関係ない。

いかなる理由であれ、結果がどうであれ、線を超えたのなら戦争なのだ

好意による領分侵犯という意味で、フラゲした雑誌キャプチャーアニメ化情報拡散するとか、違法アップロードされた動画を使って紹介するとか、そういうのと本質は変わらない。

手段を間違えたという結果がそこにあるだけである


サテー氏の件の龍馬おりょうさんの漫画を、コミカライズ、と形容している人がいた。

奇しくも言い得て妙だと思う。

コミカライズだとかノベライズかいうのは、作品を作った人間原作者成果物のコアの部分に踏み込む行為である

からこそ「公式なのだ公式に版元がプロに依頼し、原作者がそれを承諾し、コアの部分に入ってくることを許可した上で描かれるのだ。

作品の成果を、その作品によって得られる社会的評価を、原作者と分かち合う行為なのだ


彼は無断でコミカライズをした。それも「漫画コミカライズする」という、よりコアな部分に踏み込む方法で。

これはもう明確に、評価剽窃である

経験値氏が得るはずだった感動の声を、賞賛を、サテー氏は横から割って入ってきて、不当に食い漁った。

公式メディアミックスクリエイター同士のセックスとするなら、これは強姦に等しい。


------------------------------------------------------------------------------------


結局のところ今回の問題の原因は、

「サテー氏にプロ意識がなかった」

これに尽きる。


前段のことは、プロであるなら誰しも肌感覚でわかっているはずのことで、一方でプロクリエイターとして活動していない人には今ひとつピンとこないことであろう。

サテー氏はピンとこなかった。「ファンアート」と「侵害」の境目がまったく理解できていなかった。

その後の謝罪を見るに、たぶん今でもよくわかっていないと思う。


>「幕末昔ばなし」はもっと詳細が描かれてて細かい事情がわかるのでですね…ぜひお手にとってもらえると


ショートケーキイチゴクリームを先に食べさせておいて「スポンジも美味しいので残り物を買ってね」とはまったく恐れ入る。

これが宣伝行為にもなるものか。

これをきっかけに経験値氏の原作を知った人たちが不憫でならない。彼らは本来なら経験値氏へ向けるはずの感動や興奮をサテー氏に向けた。

いみじくもプロならば、経験値氏が「原作」で描いていない寺田屋騒動あたりのことを「想像して」「創造する」とかにするべきだった。

そういうのが正しい二次創作でありファンアートである


どうか経験値氏の「ぐだぐだエース」を購入して、騒ぎの元になった「マンガ幕末昔ばなし」を読んで欲しい。

まだ在庫があるなら、初出である同人誌の方でもいい。


あの独特なデフォルメ絵に手書き文字を、真っ白のスカスカ漫画と思う人もいるだろうし、下手だと思う人もいるだろう。

だが、あの絵だからこそのテンポがあり、あの白さだからこその間があり、手書き文字からこその空気がある。

過剰にセンチにならず、淡々としていながらメロウで、読み終わった後でしんみりと味が効いてくる、とてもいい漫画から

2019-03-30

銭湯絵師さん

一見して光るものを、今のところ、この人の絵に見出せないけれども

努めて一心に描き続ければ、個性はそのうちに開くのではなかろうか

あと、その本領あくま銭湯絵というさだまった枠に限るならば

実際の需要に堪えるだけの地力を身につけた時点でまあ食べて行けて

比較的、専業の画家としてやっていくことのハードルは低そうなので

ひとまず一人前の銭湯絵師と認められてから我流を得ればよかった

でも、今回の盗作はどうしたって過ちというほかに言い様が無いよね。

この人の容姿がすぐれて自分の好みを射ているので、軽蔑し切れず

ひいき目からおもいついた擁護を手短に述べると以下のようになる

たぶん、この人は芸術家真剣さをもって絵に向き合ったことがない

自分の絵が他人を喜ばせることに満足する域をいまだ脱しないようだ

これを自己顕示欲と見做すのは確かにまちがってないと思うけども、

銭湯絵師のような職人には、純粋創作衝動必要なわけではなく

お客さんの注文に応じられるだけの技量がそれに先んじて求められる

まり、その技術さえあれば、注文した人を満足させられる筈なので

他に類を見ない個性というものを伴わない自己顕示が、よく成立する

また、これは紛い物でも三流でもなくれっきとした生き様になりうる。

が、恐らくこの人はマジメに芸術家を志しているのではなかったか

他人作品の構図、意匠、いやそのもの剽窃に対する感覚が無い

どうだろう、落ちていた百円を拾う位の罪悪感があればいいほうかな

それはサイコパスっていうよりも、謂わばしろうとの能天気みえ

悪いことには違いないけれども、なんというか、邪悪では無さそうだ。

とはいえ、言い尽くされているように、これは明らかに悪いことだ

絵を仕事にするはずの人間の心がけとして、致命的と言うほかない

深刻に反省して、剽窃された絵師さんに謝罪をするのは勿論のこと、

その絵師さんが許してくれるかどうか、大事なのはそこだと思う。

2019-03-21

学位取消しが話題になってるみたいだけど

どの部分がどのような理由問題なのか、具体的に説明されてないよね

まともな説明もないまま、流用だの剽窃だのといった言葉けが独り歩きしてる感じ

自分が知る限りでは、ずいぶん前に記者不明怪文書じみたページでそれらしいことやってたのが唯一かな

だけどそこで指摘されてたのは、せいぜいケアレスミスとか引用の仕方が不適切かいう程度のもので、とうてい流用・剽窃等の悪質な行為とは言えないって印象だった

分かりやすく言うとあれだね、新書

新書では何冊かのネタから内容の大半を引っ張ってきて、それに申し訳程度に著者の知見を添えて仕上げました、みたいなのがよくある

そういう新書できちんと出典を明示してることなんてきわめて稀

○○『××』(△△社、□□年)☆☆頁、みたいに正式引用を行ってるものは皆無に近く、巻末に参考文献の一覧をのせてるだけのものさえ多いとはいえない

今回問題となってるのが流用・剽窃だって言うなら、新書なんて流用・剽窃の見本市でしょ

結局みんな渦中の人物が気に入らないから叩いてるだけじゃないの

そうじゃないなら、きちんと具体的に説明してよ

ジェンダー研究第一人者渡辺真由子さんが、論文剽窃の疑いで慶應

山本一郎 | 個人投資家作家

(…)全7章のうち第6章がまるまる転載であるとの指摘が外部からもあり、発行していた勁草書房はお詫びを掲載のうえ、本書の改訂ではなく絶版・回収する決定をしていました。

児童ポルノ考える本に「無断転載」、慶大博士論文調査朝日新聞デジタル 18/12/11

渡辺真由子著『「創作子どもポルノ」と子ども人権』の論文無断転載についての経緯とお詫び(勁草書房 18/11/28

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20190320-00118982/

2019-02-21

剽窃他人の物を自分のもののように偽って使う)は無条件に叩くし50万でも100万でも請求すりゃいいが、引用からね…

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん