はてなキーワード: 一般大衆とは
NHKがインターネットユーザーから受信料を徴取したがっている、という話を聞くたびに何かにもやもやしていたのだけど、ようやく言語化できたので書く。
現代社会でもっとも野放しになっているものは「広告」ではないだろうか。
広告媒体のオーナーにとっては原価がほぼ発生しないか固定費に近い性質であるのに、その価格は状況によって青天井(リアルタイムではないにしろオークション的に決まる)で、かつ需要が実質尽きない(政治方面にまでニーズがあるから)。
しかも、じっさい広告が増加することと引き換えに棄損されているものは一般大衆の時間と集中力(アテンションというべきか)であり、受け手にとっては原則迷惑データであるためにある種の公害を生み出している(あと電力や電波帯域あるいは紙資源を浪費してすらいる)。
通信または印刷物を介して対価を得て依頼者の指定する情報を不特定多数に配信することを業とするもの全般を広告業者として登録を義務付け、売上金額に対して一定あるいは累進的(巨大な広告企業であるほど暴利を得る傾向にあるので有効であると思われる)な税率を設定し、日本国民に対して広告を配信する場合には広告業者は納税の義務を負うと定義して法整備することに何の不利益(国民および行政府にとって)が発生するというのか。何せそもそもがオークション的性質のある販売価格であるために「税金分料金を値上げします」と業者が言ったところで元々顧客企業の支払い能力で決まっているため税抜き価格での相場が下がるだけなのだ。
これほどに規制されてしかるべき性質を備えているにもかかわらず、実質なんらの社会に対する補償義務も課せられることなく巨額の利益を上げているのが広告産業であることには驚愕を禁じ得ない。そして広義の広告業には対価を得て商品の宣伝をする個人も含まれるべきである。また広告は、搾取色の強い商売をしている米国ビッグテック企業の非常に大きな収入源でもあるので、それらに対する対抗策も必要だという事を考えあわせれば一石二鳥の施策と言える。また同様の法制はほぼすべての国で採用できると思われるので最終的には条約的な枠組みに発展させてグローバル商法に対抗する端緒ともできる筈である。
問題があるとすれば、このように有効な法制がいままで導入されている国の話を聞いたことがないのは広告企業のロビイングの成果である可能性があることだけだろう。だが、もし強いロビイングの動きがあるわけでもなく野放しだという稀有な状況であるならば、酒税やたばこ税同様に課税対象(支払うのは大衆ではなく広告主と業者の側だが)とすることは公共の議論の対象にふさわしいものである筈だ。
この意見はポピュリズムへの理解が一面に偏っている可能性があります。ポピュリズムは、「エリート」に対して「大衆」の利益を優先する政治スタイルで、大衆の意向に強く応える姿勢を特徴としますが、その定義は単純に「大衆に迎合する」ことを意味するものではありません。ポピュリズムは、社会に分断を生み出したり、短期的な利益を優先しすぎたりする場合もあり、そうした点で成功と失敗の両方の例が存在します。
ポピュリズムは、エリートを批判し、一般大衆の利益や声を優先する政治スタンスやリーダーシップの形態を指します。定義としては、大衆の感情や不満に訴えることで人気を得ようとする傾向が強いです 。こうしたアプローチは、「国民の声に耳を傾ける」とされる反面、現実的な政策判断を犠牲にするリスクもあります 。
成功例と失敗例
ポピュリズムの成功例としては、アメリカの「ニューディール政策」を行ったフランクリン・ルーズベルトが挙げられます。大恐慌時に大衆の支持を得つつ、経済復興と雇用創出のための大規模な政策を実行しました 。大衆に訴える手法を取りつつも、長期的な経済政策が功を奏し、結果的にアメリカの経済基盤を再構築することができました。
一方、失敗例としては、ベネズエラのウゴ・チャベス政権があります。チャベスは国民の生活改善を掲げ、石油収入を背景に社会福祉政策を拡充しましたが、経済基盤を無視したため、石油価格の下落によって経済危機に陥り、国民生活が悪化しました 。このように、大衆の利益を短期的に優先した結果、長期的には国家や国民生活に深刻な影響を及ぼしました。
意見の中で「大衆に迎合する政治なら大衆にはメリットしかない」という主張がありますが、実際にはポピュリズムが必ずしも「大衆にとってメリットしかない」とは限りません。例えば、短期的な利益を優先するポピュリズム政策が行われると、結果として財政悪化やインフラの老朽化といった長期的な問題が後回しにされることがあります。また、ポピュリズムはしばしば敵対的な二項対立(「エリート対大衆」)を煽るため、社会の分断を引き起こしやすく、これが社会の安定を損なう要因にもなります 。
まとめ
この意見に見られる「大衆にメリットしかない」「民主主義に適している」という視点は、ポピュリズムの理想的な側面を過大評価している可能性があります。ポピュリズムには大衆の声を代弁する力がありますが、それを実行する際の長期的な視野や社会全体の安定を考慮しない場合、深刻な問題や分断が発生することが多々あります。
一般大衆の知能に合わせてんだよ。
最近また「政治家はコミュニケーション能力の塊なんだから、話したら印象良いのは当たり前!印象良いのは騙されてるだけ!」みたいな話がリベラル側から出回ってるけど
こういう話を受け入れて最終的に行き着くところって、なんなんだろうね
コミュニケーションをとる(上の話でいう所の「騙される」)も立派な政治的判断の一つなんじゃないの
というかこういう時に想定されてるのって多分「自民・維新の〇〇族議員・ガハハマッチョ系議員」辺りだと思うんだけど、その矛先が立憲や共産に向かないと思ってるのか、いや向けられてない時点で負けなんじゃないの
自民に対してリベラル側は「騙す」言葉すら持ててない、から「コミュニケーション能力は見せかけ!」みたいなのに縋り付くんでしょ
あと、逆の立場で「全然コミュニケーションも取れないけど超有能」な議員とか活動家って、いるのかね
私は見たことないんだけど
いくら何でもそれは軽く見過ぎ
レストランで出す料理なんてフランス本国でも家庭では作らないし作りやすさから言って挑戦するなら家庭料理の方がいい
ただし家庭料理でも本格的な(本国仕様の)レシピ見ても材料が手に入らないし代替品が提示されてるレシピじゃないとどうにもならない人も多いだろ
あとお客さんに作り方聞かれても説明できないよ
まず用語が通じないしブランシールやエキュメやミルポワがなんであるかから説明しなきゃいけないかもしれないだろ
(簡単に日本語にできるものしか挙げなかったが例えばミジョテとかだとちょっと説明的に訳すしかない)
シノワでパッセって言われてもシノワ持ってないかもしれないしサラマンドルで焼き目付けるって言われてもサラマンドルなんか家庭にあるわけない
日本の一般大衆にレストランのフランス料理を作ることなんて勧めるもんじゃない
勧めるなら家庭料理
(追記)
こんな文章が、思ったよりもバズってびっくりしたので、ツイッターで「フレンチ自作沼(アカウント名は@French_jisaku)」というアカウントを作成しました。
フレンチ自作界隈の人がいたらフォローしてもらえると嬉しいです。
おおよそ素晴らしいことが書いてあるけど③だけ解像度が低い気が…というのも、料理というのは基本的には科学と同じで味に再現性を持たせる必要があり、そのためには分量を正しく理解し守る必要がある(この分量の正確さをレシピなしでも把握できているのがプロ)。その上で、③では"短時間だとミスった時のリカバリができず"とあるけど、正確な分量を計って料理をすれば大きな失敗はなく連鎖的に料理が崩壊することはまずあり得ない。短時間の作業でのミスとして、例えばイタリアンならカルボナーラの卵に火を通し過ぎる等の失敗はあるかもしれないが、少なくともそれで全体が大きく崩れることはない。
”崩壊”という表現は強かったな、というのと、単に私がインド料理や中華料理にそこまで沼ってないからかもしれません。
これを書いた時に脳裏にあったのはスパイスのテンパリングでした。スパイスのテンパリングは、スパイスごとの香気成分抽出温度がすごいシビアかつ、そこをのがすと苦い種になってしまうという実感があったので、テトリスに近いな、という印象を持っていました。
イタリアンのパスタの場合も、フレンチに比べると複数行程同時並行かつ短時間で仕上げるので、ルポゼの間にソースを仕上げればOKのフレンチよりはシビアな印象がありますね。
お客さんに作り方聞かれても説明できないよ
フレンチを作り始めればわりと用語は覚えるかな、と思ってます。なぜなら私がそうだったからです。
動画を見て、レシピ本を見て、実際につくっていくうちにミジョテとかシノワ、パッセ、タミゼ、クラリフェ、リソレ、アセゾネとかその辺の頻繁に出てくる用語は自然に覚えるんじゃないかなと思っています。
なので、これを読んだ人はあまり気にせずにフレンチを作るところから始めてもらえると嬉しいです。
別に店に行ってシェフに話しかける必要だってないです。多分作ってると店にはいきたくなるとは思いますが。
日本の一般大衆にレストランのフランス料理を作ることなんて勧めるもんじゃない
勧めるなら家庭料理
一生ものの沼としてのフレンチを紹介したかったので、家庭料理を入り口にするアプローチはやめました。
まず家庭料理だと、プロの味を食べて自作との差分を楽しむことができないのが一つ。
あと、ミクニさんのレシピもそうですが、基本的には短手番なレシピが多いので、時間が溶けていくような趣味にはならないかな、という理由もあります。
あと、誤解なきようにお伝えしておきますが、自作をどこまで極めてもプロを超えることはないです。
理由は三点あって、
①そもそも調理技術で絶対にかなわない:せいぜい二か月に一回作る素人と、365日作っているプロではまったく比較にならない技術差があります。
②フォンやソースは大ロットで作ったほうが美味しい:ソースやフォンの味と仕込む量は比例するため、一回に10L仕込むプロと、せいぜい1Lしか仕込めない素人では味に差が出ます。
③入手可能な食材品質に差がある:プロが扱う品質の食材を一般人が入手することは極めて困難です。例えばジビエ。プロは契約した猟師さんから送ってもらえますが、素人は楽天で買うしかありません。魚もピンのもの(例:分厚いアマダイ)は素人向けには販売していません。
ただ、あくまで趣味なので、プロの味を超えられなくても、何ら問題ないと思っています。
藤井くんに勝てると思ってやっている将棋沼の住民はいないでしょうし、ツールドフランスに出場できるとおもっているロードバイク沼の住民もいないでしょう。
(本文)
https://anond.hatelabo.jp/20240925202106
元記事はこれ。この増田、ならびにこれを読んで高い飯を食ってみたいなーとおもった人に、全力でフレンチを薦めたい。
それも、ただお店に食べに行くのではなくて、
という楽しみ方を紹介したい。
・この楽しみ方はある程度の自炊スキルがあることが前提となる。
・具体的には、包丁を多少扱うことができて、強火と弱火の違いが判る、大さじや小さじの意味が分かる程度には自炊ができる人向けのエントリである。
・お店で出てくるような、ある程度本格的かつ王道なレシピのほうがよい。
・具体的には牛肉+ソースボルドー(赤ワインのソース)とか、真鯛+ソースヴァンブラン(白ワインのソース)くらいから始めるとよい。
・あまりシンプルなレシピすぎると②の楽しみ方ができないため、「簡単!おうちビストロメシ!」みたいなのは避けた方がいい。
・具体的には以下の二つのYoutubeチャンネルを見ることから始めるとよい
George ジョージ https://www.youtube.com/channel/UCP2gnyy_-ToZeIDw6qeI6HA
Bocuse at Home by シェフ星野晃彦 https://www.youtube.com/@bocuseathomebyteruhikohoshino
・複雑な料理も避けた方がいい。具体的にはパイ包みやパテ系の死ぬほど複雑で構築的なメニューは、最初は避けた方がいい。100%失敗するのと、複雑すぎてどこが失敗したのかが切り分けできないので。
・①で自分の作ったメニューと同じものを実際に食べに行こう。①の答え合わせの感覚だ。
・いきなりロブションとかのハイエンドなグランメゾンに突っ込むのではなく、ランチで5000円程度の店に行くのが無難。
・なぜならば、この段階ではフレンチへの解像度が低すぎるため、グランメゾンのフレンチを食っても、値段相応のよさがわからないから。
・実際にプロの作ったものを食べるといろいろな気づきがある。なぜなら自分で作ったことがあるので、解像度が段違いになっているから。
・ほとんどのケースでは、プロが作ったもののほうが圧倒的にうまい。なぜか考えるのがこのパートの楽しみ方だ。
・例えば真鯛のポワレ、ソースヴァンブラン(白ワインのソース)を食べたとする。「自分でやると身がぱさぱさになっちゃったな……。火入れの仕方の違いなのか、鯛のポテンシャルの違いなのか、何が違うんだろう。鯛を見た感じ、身の分厚さは変わらないから火入れの仕方が違うのかもしれない。ソースもとっても香りが豊かだな、なんかハーブを入れているのかな……。ソースにはかなり酸味をつけているな、自分でやるときもこれくらい酸味をつけてみるか……。」みたいなことを考えながら食うと、漫然と食べているよりも圧倒的に美味しく感じる。
・厨房が激しく忙しいとき以外は、「とっても美味しかったです。もし可能なら、シェフに話を聞きたいんですが……」といえばだいたいシェフに話を聞ける。
・自分が美味しいと感じたポイントと、どうやってそれを実現しているのかをシェフに尋ねてみよう。③で自分で分析した内容の答え合わせをするのだ。
・鯛はどう火入れしているんですか?(フライパンだけ?フライパン+オーブン?)とか、聞きたいことは山のように出てくるはず。
上記①~④を繰り返す。最初は比較的難易度の低い料理から始めて、だんだんと複雑な料理にステップアップしていく。
多分二年くらいやってから、いわゆるグランメゾンにいくと、その高度な技術と美味しさ、芸術的なまでのアイデア力に感動するはず。
この項目では、なぜカレーでも中華でもイタリアンでもなく、フレンチをオススメするのかを説明したい。
・上にはったYoutubeチャンネルを見てもらえばわかると思うが、ソースから自分で仕立てるとなると、平気で二日三日かかる。
・段取りの設計→材料の調達→下ごしらえ(ソースベースの作成、肉のマリネなど)→仕上げ(火入れ、付け合わせの作成)で、週末まるまるつぶせたりする。
・しかも待ち時間もそれなりに長い(ソースベースの作成時など)ので、ネトフリも捗る。
・フレンチはそもそも、エスコフィエとかいうオッサンが100年以上前にフレンチの技術やレシピを体系化し、公開したことで爆発的に広まった料理(いまでいうオープンソース化)。なので、他のジャンルに比べると圧倒的に体系化されていて学びやすい。
・また、日本はフレンチ大国なので、日本語のソースも非常に多い。大型書店で、料理コーナーにいくと、和食の次くらいにフレンチの料理本が充実していると思う。
・他ジャンルに比べると、中級者に進むときの勉強のしやすさが段違いである。例えばカレーや中華にハマるオッサンは多いと思うが、この二つのジャンルは食文化のゆたかさのわりには日本でアクセス可能な学習ソースがきわめて少ない。初級レベルでは問題にならないのだが、深めようとしたときには、日本語文献の乏しさに加えて、そもそも体系化されていないので、学習難易度が跳ね上がる。
・作るときの深めやすさに加えて、食べるときの深めやすさも段違いである。フレンチをやる人は大体みんな調理学校で基本的な調理技術を身に着け、それなりのレストランで就労しているから、安価なお店でも高価な店でもベースとなる技術は同じ場合が多い。
・例えば鮨の場合は、2000円の回転ずしと二万円の鮨では全然別の技術が用いられている。根本的に握り手のキャリアルートが違うからである。2000円の回転寿司はバイトがロボットを操作して握るし、二万円の鮨は専門的な店で修行を積んだ職人が握るのである。一方でフレンチの場合は二万円の店で働いていた人が独立してビストロやって2000円のランチをだしていることは余裕でありうる。
・だが、他ジャンルに比べると美味しい味を作りやすいと感じる。
・これはA.多数の工程を時間をかけて積み重ねていくという調理プロセスと、結果として、B.足し算の料理である、ということに起因する。
A.多数の工程を順に組み合わせていくという調理プロセス:例えば中華(特に四川系)やインド料理、イタリアンは多数の工程を短時間で重ねていくことがおおい。短時間だとミスった時のリカバリができず、連鎖的に料理が崩壊していくことになる。ゲームとしてはテトリスとかぷよぷよにちかい。一方でフレンチの場合は一個一個の作業を丁寧にこなしていけばそれっぽいものができあがる。こっちはマインクラフトっぽい。
B.足し算の料理:フレンチは味の要素が多い。肉のうま味や、ワインの酸味、甘味、バターの脂質やハーブの香りを積み重ねていく料理である。そうすると必然的に美味しさのストライクゾーンは広くなる。食材の持つうま味も苦味も臭みも、すべて一皿に詰め込むのがフレンチの基本思想である。これが和食だとどうか。和食は徹底して引き算の料理である。食材の持つ性質のうち、客に見せたい部分以外をすべて除去し(野菜をゆでこぼすのとかね)、組み合わせるのが基本思想である。味の要素が少ない分、ピントを合わせるのも非常に難しくなる。引き算に失敗したり(例えばえぐみが出るとか)、そもそも見せたい部分を間違えてました、とかね。
・調理学校のカリキュラムとかを見てもらうとわかるけど、大体西洋料理と和食に分かれていて、西洋料理の技術のベースはフレンチである。
・フレンチを一通りやると、肉や魚の火入れも格段に上手になる。小麦粉を使ったルーが使いこなせればシチューやカレーも簡単に作れるようになる。ソースオランデーズが作れればカルボナーラはお手の物だ。
・スタートキット編の楽しみ方を一年くらい続けていると、一通りのものは作れるようになっているはず。
・具体的には、肉の火入れは肉を触ればわかるようになるし、魚も皮をパリッと焼くのはお手の物、くらいにはなっているはず。なんとなく手癖でソースボルドレーズとかソースヴァンブランくらいは作れるようになっていると思われる。
・そこから先にステップアップするなら、プロ(の中でもレジェンドシェフ)の書いている本を読むのが一番よい。
・レジェンドシェフの料理本を読む→作る→お金をためてレジェンドシェフの店に行く→もう一回作る、を繰り返せば無限に時間が溶けていく。
・基本的には近所の大型図書館(住んでる自治体の旗艦図書館)にいって、フレンチ料理本コーナーで厳つい雰囲気を出している奴を手に取ればOK。
・僕のバイブル
・アランシャペルの下で長年働いていたこれまた有名なシェフ。シェフの間でも当初をバイブルに挙げる人は多い。
・辞書的に使うのもよい。また、一個一個ソースを作ってクリアしていくだけでも楽しい。
みんなもフレンチ、作ってみような。
婚活をやってると
もちろん『ジョーカー』は一般大衆受けする漫画映画だし悪くはない作品だが
「映画好きって名乗ったが、そもそもジブリと漫画映画しか見たことがない。ええい評判がいいらしいし、これを挙げとこ」って感じがみて取れます
実際映画好きな人は好きな映画が『ジョーカー』であっても恥ずかしいので、普通は映画を好きな映画に挙げません
(映画を挙げる男性は実際は映画よりゲームとかが好きなんでしょうが、好きなゲームに『GTA』を挙げるようなもん)
話の内容そっちのけで揚げ足取りや議論の作法を延々ダラダラと書き込む
中身がなく、見る人のことを全く考えていない文章しか書かないのでギャラリーに無視される
相手が納得していなくても無理やり言いくるめられるレスバ力がある
しかし主義主張が一貫しているある意味正義漢なので相手が正しいとアッサリ負けるし
苦しい時は言いくるめることしかできず相手を納得させ負けを認めさせるほどの技量はない
掲示板なら1日に1人見るかどうかくらいには結構数がいて、西村はこのレベル
レスバを目的とせず、自分が知っているソースのあるエビデンスに基づく訂正だけをする層
頭が良く、喧嘩屋にも言いくるめられず話を整理できる
戦略的な言動をしないのでレスバで負け扱いされ空気に押されることもある
ヒエラルキーの頂点
知識で劣っていようと、相手が完全に正しかろうと、ロジックのみで相手や周囲を納得させる論戦ができる
最近、郭文貴氏が米国で詐欺罪で有罪判決を受けた。このニュースは注目を集めた。実際、彼は信者たちの信頼を個人的な利益の手段として利用し、その資金を贅沢な生活を維持するために利用していました。
かつて一部で注目を集めた郭文貴氏だが、今ではこのようなネガティブなイメージを持って世間に登場している。彼はさまざまな手段を使って自分に信頼を置いた信者たちを欺き、彼らの支援と献身を自分の贅沢な資本に変えた。
郭文貴氏は虚偽の約束や誤解を招く宣伝を通じて経済的支援を求めて多くの信者を集めていると理解されている。しかし、これらの資金は彼が主張した正当な目的には使用されず、彼自身の利己的な欲望を満たすために浪費されました。豪華な別荘、高価な贅沢品、豪華なパーティーはすべて、彼が詐欺的な資金を使って構築した生活風景です。
彼の行動は法律に対するあからさまな挑発であるだけでなく、道徳と倫理に対する重大な違反でもあります。信者たちは元々彼に信頼と期待を抱いており、共に何かの目標や理想を達成したいと願い、自分の努力や富を彼に捧げた。しかし、Guo Wengui はこの信頼を利用し、個人的な欲望を満たすためのツールとして利用しました。この裏切り行為は間違いなくそれらの信者に多大な損害と損失をもたらしました。
たとえば、フォロワーの中には、Guo Wengui のいわゆる「キャリア」をサポートするためだけに生涯の貯蓄を費やしたものの、詐欺に巻き込まれてしまった人もいるかもしれません。その結果、彼らの生活は困難に陥り、夢は打ち砕かれ、心は深く傷つきました。
郭文貴さんの事件は私たちに警鐘を鳴らしました。社会的な交流においては、私たちは冷静さを保ち、他人の言動を注意深く判断しなければなりません。下心を持つ人々に利用されないように、過度に誘惑的な約束や非現実的な計画には注意してください。
このことは同時に、法の尊厳を侵してはならないことを思い出させます。どこにいても、法律を破った者は相応の罰を受けます。郭文貴氏は米国で詐欺罪で有罪判決を受けたが、これは法的正義の反映である。
つまり、Guo Wenguiの不正行為は悲痛であり、彼はその運命に値します。私たちはこれを警告として受け止め、誠実さと道徳の基本を守り、公正、正義、誠実な社会環境を共同で構築する必要があります。不正な手段で個人的な利益を追求しようとする者に隠れる場所を与えず、一般大衆の正当な権利利益を侵害から守ります。この方法によってのみ、私たちの社会はより調和して、安定して、豊かに発展することができます。