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はてなキーワード: ペーパーテストとは

2021-09-12

国語偏差値は忘れたけれど。

国語偏差値が70云々という、はてなブックマーク話題を目にして「高校生の頃の偏差値をよく覚えているなあ」と感心した。私は自分偏差値を忘れてしまった。センター試験自己採点で国語数学英語がいずれも190点超えていたことは覚えている。しかし、わざわざそれを他人アピールする機会も意味も、私には無かった。

アピールする意味が無いのは、自分頭脳は良くないと自覚しているかである大学生になったは良いものの、私はイプシロンデルタ論法についていけず大学数学挫折した。数学以外も似たようなものであった。ペーパーテストではない、実験研究という大学の活きた学問は、まるでダメだった。地方国立大学入学できる程度には受験勉強が出来たし何とか卒業もしたものの、大学の本格的な勉学に挫折した私は、平凡な人間であった。

それで今更の話なのだが、現在の私は数学勉強し直している。別に仕事に役立てようとか、そういうつもりは全く無い。全くの自己満足である。では、自己満足の欲求の源は何処かといえば、それは私の両親である

私の両親は、高校中退である。私の両親の世代では、地方低所得者層に生れた子が、生家の経済的理由から学業を断念せねばならないというのは、珍しくない話であった。珍しくない話ではあったものの、やはり両親にとっては心の傷だったのだろうと思う。

父は、一冊の古い辞書を大切に持っていた。私が小学生の頃には既に、ページは手垢で黒ずみ、ボロボロ状態だったのを覚えている。母は、横溝正史松本清張文庫本を何冊も持っていて、これまたページはボロボロであった。学業不本意に断念させられたことの埋め合わせだったと、私の両親は言っていた。本物の勉学を経験した人たちから見れば、たか辞書推理小説を読む程度で勉学の埋め合わせを名乗るなどお笑い草かもしれない。しかし、私の目には、両親の姿が尊く見えた。親馬鹿ならぬ子馬鹿と言うべきであろうか。それでも構わない。私が今更ながら数学勉強し直しているのは、明らかに両親の真似である

就職して幾許かの金を自由に使えるようになった私は、両親の欲しいものリクエストに応えて買い物をした。平家物語を読みたいと言うので、古語辞典と一緒に買って送った。お経や論語も読んでみたいと言うので、これらの本や漢和辞典も買って送った。母はアガサ・クリスティ作品を読みたいと言うので、これも買って送った。父は写経したいと言うので、筆や硯も買って送った。いずれも大した額の買い物でもないのに、両親は大袈裟なぐらい喜び、何度もありがとうと言っていた。

しろありがとうと言うのは私の方である家族共用の本棚に、子供向け百科事典児童文学のセットを置いてくれて、子供の私が本を読むように育ててくれた。それに、私の読書趣味に決してケチをつけなかった。国語試験偏差値は忘れたけれど、本を読むことの楽しさならば私も忘れないだろう。本を読むことが楽しいと私に教えてくれて、ありがとう

蛇足だが、数学の再勉強ノートをとりながら「どこまで理解できているやら。これでは写経だな」と思い、父子で写経好きというのが何だか可笑しく感じた。

2021-08-27

anond:20210827174038

お前が緊張に弱い人間なだけだろう。ペーパーテストがお前と同程度かそれ以上に優秀かつ、ハキハキ喋るお前の上位互換採用されんだよ。上位互換のいる場から逃げて職探せよ。

2021-08-10

anond:20210810082208

ガソリン風呂釜1杯ちょいで法規制を受ける。灯油は5杯。でもサラダ油は50杯!全然したことない危険だってこと。単純計算ガソリンの50倍も危険性が低いってお墨付き消防庁から出てるわけ。

サラダ油(動植物油)ってガチ危険性が低いんだな」「第4石油類よりナメられてるって相当だな」って思って、そのイメージ今日まで覚えてるわけ。

だったら何なんだよw そんなフワフワしたイメージサラダ油が燃焼するかどうかが判断できるわけがないだろ。そもそも危険性が低いかどうかなんてお前以外誰も気にしてない。

なんて書いてあったかもう一度よく読んでみろ。「想像はつくが、即答はできん。」って言ってるだろ。論点最初からサラダ油を当てたライターで着火できるか否か、だった。ブコメにも専門家に殴られてるなどと誤解してる奴がいるが、専門家どころか、お前は大学でまともに議論したことさえないだろ。何について議論してるか理解できないアホは、邪魔以外の何者でもないからだ。真面目に勉強するってのはペーパーテストに受かるために知識を詰め込むことに収まらない。なんで今までそんなことも知らなかったんだ? お前こそが、真剣勉強しましたなどと自分ウソをついている。

指定数量からどれほど危険性が低いか類推するにしたって、それは妄想に過ぎない。指定数量はサラダ油ライターで着火しないことを保証する値ではない。確かに現実ライターでは火がつかなかった。だがそれは「たまたま現実に当てはまった」だけに過ぎない。お前は類推空想を広げて自分理解しているなどと思い込んでいるだけだ。わかるか? 山を張って当たっただけなのはお前の方なんだよ。それに気づかないでブーメラン晒しネットに残してしまったのは、アンラッキーなアホ、としか言いようがない。知らないことを知らないと言いきるには勇気がいる。学問素養のない奴はそれをみて「不勉強への開き直りだ」などと言うだろうが、無知を隠そうとするのは子どもの態度であって、そういうやつは自分領分への責任を持てない。あるいは本人は無責任でも、まわりがいつも尻を拭くために苦労してるような状況になる。よりタチの悪いのは、迷惑かけてるのに気づかないどころか自分責任感に溢れる人間だと思い込んでるケースだ。専門家ぶってるお前は、どっちだ?

あと、普通言うまでもないことだが今は必要から言っておく。消防庁からナメられてるから安全だなどと考えるのは権威主義であって、科学ではない。

それに化学博士なら、サラダ油分子量が大きくて蒸気圧が低いから引火しにくいこともなんとなくわかるだろ?わからないのか?

化学博士サラダ油分子だってよく知っている。」子どもの考える博士イデア

てか「てか、蒸気に引火はせずとも油本体に火をつければ燃えるのでは?」って何?

液体の火災は、液体そのもの燃えてるのではなく、液体から出る蒸気が燃えてる...ってのは、それこそ化学やってたら常識だろ。

そりゃそうだろ。ライターの火を油本体に当てたとき接触点での気化が進んでその場で発火するかも、って想定だろ。バカが得意げに語ってる引火点は液体全体を徐々に加熱していって蒸気に着火するギリギリ温度だ。条件がまったく異なる2つの温度は当然同じになるとは限らない。「お前は危険物甲種名乗んな」? 笑うわ。お前はエアプを名乗れ。まずは学位返上してから。いや、博士号の返上要求しない。元々ないもの返上できないだろ。危険物の免許もそのまま空想の中で抱えておけ。迷惑をかけるのさえやめてくれれば好きに幸せでいてくれて構わない。

みんな真面目に勉強してるんだよ。本当の意味で。成績の上下に関わらず。その上で議論して知を向上させようとしてるの。お願いだから部外者が足を引っ張るのはやめて。

2021-08-05

書け書けと言われたので

これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。

引用されている増田テクスト位置づけについて

まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分増田で書いた文章子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。

パターナリズムについて

rag_enさんは以下のように、「『社会コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズム肯定」や(判断力が未熟な当事者保護する)「手段としてのパターナリズム自体を強く批判されています

未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない

いやもうこれ、『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。

そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。


ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている判断力によって(ある問題についての当事者能力責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象自由権を(当人保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか? 

現行の日本法律が、年齢によってその人物判断能力推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法判断能力吟味裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います

憲法学世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年自身目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人判断能力の不十分さを補うために後見措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:0RwE-rfojV4J:https://core.ac.uk/download/97063334.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

そして、未成年や年齢が低い児童判断能力が不十分とみなされる理由は、法学世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスク懸念されているからです。[^1]

[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスク存在しているといえます10代の妊娠中絶経験者の68.1%妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報理解力の不足した判断)、③相手避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産育児不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的判断)など、当人判断能力の不足によって、望まない妊娠人工妊娠中絶に到っています

この前提において、当事者自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズム議論の中で整理されている話です。

ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。

1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、

2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、

3. 強要されて判断した場合(coerced)、または

4. その他、実質的自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。

http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家法制度に含まれています性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家議会立法などの民主主義手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会コンセンサス』の賜物でしょう。

から先ほどのrag_enさんの、「『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念法制度に組み込んでいる全ての国家社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか

現在日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者主体的判断によるものであっても、相手強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなくペーパーテスト免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。

※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト免許制という提案は、パターナリズム的な観点判断力が未熟な当事者保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害リスクなどを鑑みて、本来無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者能力知識技術総合的に認証したうえで特別アクセス権を付与するもの、つまり自動車免許医師免許に相当するものであるからパターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います未成年児童が関わる性行為について、当事者不利益よりも他者危害リスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。

しかし、そのような制度---国家国民の性行為に関わる知識判断能力ペーパーテスト弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックス権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分国家による生-権力的介入・管理アプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順身体〉の構築」というフーコーテーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。

また、自動車免許社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えますセックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センター受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用イメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853 に続きます

2021-08-02

anond:20210802144025

TOEICは大半は就活、昇進のために若手が受けるんだろうけれども

翻訳ソフトの方が信頼でき、実務でも十分に対応可能と考える企業が現れたりして

ペーパーテスト力はさほど重要視されなくなったのかもしれない

2021-07-31

ADHDって意外と簡単に薬出るんだな

以前から俺は発達障害かもと思っていたので、今日病院に行って診断をしてもらった

正直なところADHDと診断されたくはないという気持ちが半分ぐらいあった

健常者でただの怠け者なら気持ちの入れ替え一つで症状を改善できるが、

ADHDと診断されてしまったら脳の障害から障害と一生の付き合いになってしま

できればポンコツよりは怠け者でありたかった

病院について問診票を記入し、ADHDの診断をして欲しいと伝えると、更に追加でペーパーテストをいくつか受けた

その後に医師と会って面談をした

正確に診断してもらってきちんとした治療を行い、人生を前に進めたいという気持ちと、自分発達障害者と認めたくない気持ちに揺られながら、

できる限り質問には正直に答えたつもりだ

医師10分程度の面談が終わると、ADHD的な傾向があるようだから薬を試してみるか?と言った

俺は正直その気楽さに多少面食らった

こんな簡単に薬出して良いの?発達障害ってもっとしっかりしたテストをして、何なら親とか近しい人に子供の頃の様子とか聞いて判定するもんじゃないの?と思った

今の発達障害で通院する人が多いご時世、一人一人の患者時間かけてみていられないのかもしれない

発達障害は本人の生きづらいという認識大事だというし、薬も軽く試して効きそうなら続けてもらえば良い。病院としてはそういう治療方針なのかも

思いもかけず発達障害の薬を貰って帰ってきた

薬まで飲むつもりはまだ無かったからどうしようか、とりあえず試してみるべきか。迷っている

2021-05-28

男女の脳の作りに差が無いって本当なのか?

よく、科学的に調べれば男女の脳の作りに差は無いと言われているけれどこれって本当に本当に本当なの?

医大入試女子受験生差別に続いて都立高校の点数差に格差を付ける事による女子生徒差別

普通に考えたら、中学生くらいの年齢だったら生理も始まるので

女子には勉強時間の不足や当日の急な体調不良可能性がある分、

女子の方が点数も低くなるのが自然だと思うんだよね。

でも実際は女子の方が点数は高いらしい。

これって普通に考えたら、全体的に言って女の方が頭の出来そのものが優れているって事になると思うんだけど。

男女の脳の作りに差がないのって本当なのか?

そもそも今の社会自体男が作ってるんだからペーパーテストだって男子生徒が優位になるように出来てる筈なんだよ

それでもなお男子の方が点数低いってどれだけヤバいの?

女子校の方が上位大学合格者数が少ないのは

東京大学などの上位大学への女子校男子校から受験合格者数を比較すると女子校の方が少ないのは事実ですが

男女の脳に性差は無いのに何故こうなるかの原因って実際何でしょう?

(1)受験の科目設定やペーパーテスト形式などが女子に向いてない

(2)男女別学で勉強する制度受験目的とした時に女子に向いてない

(3)高校卒業までに女子社会的な物を含めた様々な抑圧を受けた

(4)その他

(1)は大学文部科学省など受験の仕組みに携わってる人達

(2)は高校などの教育をしている人達

(3)はそれ以外の社会全体に原因を求めて改善要求する事になる訳ですが

実際どうすればいいのでしょう

(4)の場合増田はてブでウダウダ言ってるのがダメって可能性もありそうですね

2021-05-06

anond:20210506125047

普通の人に比べたら、認知はとっくに歪んでいるよ

でも頭が悪いとは思っているけれども、バカになんてしてないよ

だってそれが自分普通から

ペーパーテストで測れる能力ですら、偏差値70の2σの自分からみると、100人のうち98人は自分より頭が悪いんだよ

自分以外には1人しか対応な頭のいい人は居ないんだよ

この圧倒的な孤独感の辛さを普通の人は認めろ

2021-03-15

学力マウント

学生の頃は、芸能人学力テストクイズ等で(演出の中)なんとか賢さや面白さを演出している番組を楽しんで見れていたけど、

いい年してから、なんかペーパーテスト常識問題必死になっている姿って笑えないな。

2021-03-11

anond:20210311043407

ペーパーテストでは人間性まで見ることはできない。やはり孔子弟子たちのように長い付き合いの中で測るべき(という議論宋代には既にあった)

2021-02-15

数学が得意な人を増やすにはまず小学校算数から

数学が出来る人間割合をどうすれば上げられるかって議論で一番重要なのは

まず算数が好きな小学生を増やす事だよね

算数が好きでない子は好きな子に比べて将来数学を得意になるかの可能性が少ないと思う

数の足し算引き算や図形の性質にすら忌避感を持ってたら数式の演算幾何学証明だって辛いよ

からまずは小学校1~3年生くらいの子たちが算数に苦手意識を持たないようにすることを考えなきゃいけないけど

はてなとか見ると中学高校以上の事ばっか考えてる人もいる

ちなみに現実データとか見てみたら

小学生白書Web版 学研教育総合研究所学研

https://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/202008/chapter8/01.html

算数が好きな男子は小1が33%、小2が40%、小3が36%

算数が好きな女子は小1が21%、小2が19%、小3が19%

算数が嫌いな男子は小1が15%、小2が08%、小3が15%

算数が嫌いな女子は小1が23%、小2が32%、小3が30%とか出てきた

ここら辺から何とかしないと子ども達が将来ペーパーテストの点がマシな高校生にはなれても

数学がきちんと出来る高校生になる道は相当厳しいと思う

2021-01-26

他人が怖い。

私には、他人が分かりません。何を考えているのか。どれくらいの能力があるのか。そして、私以外の人間は、私と違って他人のことが分かっているのか。全てが分かりません。

他人が何を考えているのか」は、今までの経験とその場の状況から推測できる場合が多いです。したがって、テンプレ化した会話では問題なく応答できる(と自分では思っている)のですが、あまり遭遇しない場面になると途端に難しくなります

ある時タバコを吸っていると、友達から「それ新しいやつだよね?気になってたんだよね」と言われました。これに対する返答として適切なのは「1本要る?」なのですが、私の口からその言葉は出ませんでした。

これは、空気を読む力が先天的に欠けているせいなのでしょうか。それとも、発言意図をくみ取ることをサボっているということなのでしょうか。「普通」の会話がどうやって行われるのか知ることができればこの疑問に答えが出るのですが、いまだ他人に会話の方法を尋ねたことはありません。

他人の「能力」について考えるようになったきっかけは、受験勉強です。私はペーパーテストに関しては優秀で、「まじめに勉強すればいい点数はとれる。成績が悪い人は、勉強時間が足りない」と考えていました。しかし、世の中には、一所懸命勉強しても第一志望の大学に入れない受験生がいます高校時代クラスメイトに私よりも遥かに勉強熱心な人がいましたが、結局その人は志望校に落ち、私は東大に進学しました。非常に傲慢物言いで恐縮ですが、能力の差を感じました。

人によって能力に差があるということを知った私は、世間の中の自分立ち位置を考えるようになりました。世間には仕事やそれ以外の分野で素晴らしい業績を上げている方が大勢いて、それぞれ優れた能力を持っています。その一方で、四則演算が怪しい人や、怒り狂って支離滅裂クレームをする人がいるとも聞きます。色々な人の話を聞いているうちに、何が普通なのか分からなくなり、自分位置も分からなくなりました。

自分位置を知ろうとすることは非生産的だと思いますが、それでも時々考えてしまます。(結局、自分が高い能力を持つことを確認して自己肯定したいだけなのかもしれません)

人間は、よく分からないものを怖がるといいます。私にとっては、他人がそうなのです。

2020-12-09

anond:20201209110123

推薦だけどペーパーテストもあるみたいなの受けてる同級生かいたな

そういうの踏まえると形式だけで判断するのもまた危険な気がする

2020-12-01

リベラル思想の受け入れられるボーダー

はてなでよくリベラル思想の論争があるので、自分はどうだろうと思って受け入れられる範囲を線引きしてみた。受け入れられる概念には特に理由がなくて、受け入れららない概念の方には理由がたくさん書けるのがなんか不思議だな。皆さんはどうだろうか?

受け入れられる概念

選択夫婦別姓

すでに社内カップルが実質そうなってるので違和感ない

同性婚

自分同性婚するわけではないので影響ない。同性愛者の幸福度を上げられるならいいのでは

受け入れ難い概念

ポリコレ的な言葉狩り

メリークリスマスは非キリスト教徒不愉快からハッピーホリデイと言い換えよう的なやつ

俺は葬式だけの形式的仏教徒だが、人前でメリークリスマスと言えないのは息苦しい。クリスマスラーメンカレーのようにすでに日本文化となっているので、政治思想言葉が使えなくなるのは嫌だわ

アファーマティブアクション

男女で入試の点差をつけた事件があったけどそういうのは言語道断だと思う。ただ、女性比率を上げるために点数に下駄を履かせる的なのは不公平なのでやめてほしい。なんだかんだでペーパーテスト一発勝負貧乏人にもワンチャンあるし、自分ダメだった時も男だから落とされたとかならずに納得しやすいので良い制度だと思っている。

2020-11-30

弊社のテスト

昇級試験ペーパーテストの設問、技能関係はもちろん、弊社で掲げてる仕事の信念みたいなのが複数あって、それを出してくる。

それが三つとか五つくらいの文章だけならいいが、やたらと種類・数がある上に、文章として一文がクソ長く、また覚えづらく、その上全部記述式で出してくる。

一言一句正しくなければバツがつく。

とにかく覚えづらい。

もっとキャッチコピーとか標語みたいにしてほしい。

覚えづらい上に、似てるようで違う単語複数種類いろんなとこで使ってるから、何がどれにあてはまるのか混乱する。

記憶力が絶望的な人間まり自分絶望するし、正直大体を覚えてれば句読点とか語句の多少の違いなんて良いじゃねーかよとやる気が失せる。

毎朝朝礼で言わされるとかでもない、試験教育の時しか使われない信念。

なんなんだろう。

2020-11-16

ペーパーテスト以外が全くうまくできない

から勉強はできたので高校受験大学受験まではうまく行ったけど学力以外が評価されるようになると躓いてしまった。

まずは大学4年次の研究室所属。人気の有る研究室だと定員を超えると面接があり希望が通らないことがある。

俺の場合希望者6人定員5人だったけど、一番成績優秀だった(らしい)俺が落とされ、全然希望してなかった研究室所属することに。

次に院試。結局合格はしたんだけど成績開示すると面接と小論の得点が3割もなかった。学力試験TOEFLの点数が良かったかギリギリ受かったらしい。

今は修士二年。コロナ禍ということもあるかもしれないけど、面接からず未だに内定ゼロメーカー学内推薦を5つくらい応募したけど学内選考で全部落とされてる。

から勉強だけすればそのうち報われると思っていたから、部活恋愛バイトもせずに学力に全振りしていた。しかし、コミュ力重要になってくるとどうにもならない。

今年24だけど彼女どころか気軽に話せる友人もいない。後悔しかない。

2020-10-31

男女の知的能力差 小学生時点における平均・分布・上位層

子ども中学受験を目指していて模試の成績表などを見ているのだけれど、小学生の時点でかなり明確に

国語社会 女子男子

算数理科 男子女子

の傾向が出ていて驚く。(サンプルはn=数千人程度で、受験者の比率としては男:女=55:45ぐらい)

正確に言うと、成績の分布自体は男女で重複しており、平均点も上記の傾向はあるにせよ、数点しか変わらない。ただ、上位層を見ると特に算数理科の成績について男女比に大きな偏りが有り、上位20%程度で男:女=75:25、上位2%程度では男:女=90:10ぐらいになる(両方とも有意差有り; p<0.0001)。

上記あくま小学生向けのペーパーテストの結果であり、将来的な能力全般代表するものではない。一方で、おそらく性別意識した社会圧力にそれほど曝されていないと考えられる小学生中学受験生)時点においても特に上位層でこれほど明確な差があるのは、集団として何らかの性質の差があることを示唆するものではあると考える。

この事実からは、全体の傾向としては男女の知的能力差なんてあるとしても微々たるものだ、一般的職能判断する場面で男女を分けることは無意味であり、結果に男女差があるとすれば何らかの差別的傾向が示唆される、という主張は成り立つとは思う。一方で、高度な専門的技能必要とされる職種(少なくとも人口の上位数%以内程度の能力がないと適性が見込めない/競合に耐えられないような専門職)においては、全く差別的待遇がなかったとしても9:1程度の偏りが生じることは自然なのではないか、とも考えられる。

能力問題ではなくてダイバーシティ重要なのだダイバーシティを確保するためには能力の低い個体も含めるべき)、とか、小学生は既に性的圧力の影響下にあるのだ、とする立場もあるとは思う。ただ、現実専門職集団で9:1程度の偏りがあるとして、それは差別であり人口比と同等(5:5)の"自然な"状態に導くことがその構成員責任だ、とするのは若干留保必要な主張にも思える。あるいは、集団性質をその能力で持って論じる際には、平均だけでなく分布全体や上位層の偏り等も含めて考慮する必要があると考える。

注:上記は昨今明らかになった医学部入試における男女差別のような、選考側の明確な不正正当化するものではない。ただ、厳密に知的能力選考・競合が行われたとしても、職能性質要求水準によっては男女の偏りは生じうるのであり、それ自体不正意味するとは限らないのでは、というお話

2020-09-25

大学受験一発勝負ペーパーテスト階層逆転のチャンスだと言う人は

大学受験くじ引きを導入しようってなったら猛烈に反対しそう。

2020-08-31

anond:20200831031038

リソース無限なら、対面の質疑が理想

「なんでそう考えましたか?」をひたすら問われて論証できるようになるとよいし、未発見の解法にもたどり着ける人材一定数育成したい。

それの簡易版がペーパーテスト

検索してはいオッケーというのは検索力を測れるが、検索力だけを育成したいわけではない。

anond:20200831031038

スマホ持ち込みOKテスト問題作るの大変なんだろ。

本当は丸暗記ではなく知識として応用できるかをみたいわけだから

議論したり、対面で説明させたり、ホワイトボード使って証明させたりできれば習得度を測れるが、それだと時間かかるから便宜上ペーパーテスト代替してる。

2020-08-21

なぜ高卒は軽く見られるのか

簡潔な回答

現行の制度では高校卒業程度の学力能力)を本質的証明するためには大学に進学する必要があるから

詳細な回答

日本高校には卒業試験がなく、また、卒業必要単位認定は非常に温情のこもったガバガバ基準で行われている。

これは不寛容方式で大量の高校中退者を出してしまうと格差社会化や社会不安に繋がるという現実的要請があるからだが、結果として高卒者が本当に高校卒業程度の学力を持っているか判らなくなってしまった。

大卒が何かと有利な割に大学で学んだことが仕事で活かされていない」といった話はよく聞かれるが、社会企業が求めているのは実のところ高校卒業程度の学力を持っていることの証明である

なので、本当に大学レベルの専門知識を求めている企業修士卒の学生を採る。高卒と同じように学部卒が本当に学部レベル学力を持っているか判らないからだ。

修了の認定が甘々だとこのように余計なマージンを挟まなければならなくなってしまい、ある種の非効率が発生している。

ツイッターなどで時々「無駄大学が多い」だの「高卒者でもまともな職にありつけるように」などといった言説が声高に叫ばれるが、無駄大学が多いのも高卒者が軽く見られるのも卒業認定信頼性が低いからだと考えられる。

ところで、俗に言うFランク大学センター試験得点関係なく入学できるため高卒程度の学力証明できない。大卒であってもより上位の大学と比べてあからさまに不利なのはそのためである

しかし、それでも大学に通わせられる安定的かつ良好な家庭に育った子息であるとの証明にはなるのでただの高卒よりは若干信頼される。

端的にまとめると、高卒者にはブランドがないのだ。ブランドがない者は軽く見られる。

解決するには?

結局、上記で述べた不信感を一掃するためには厳格な卒業試験を設けて高卒ブランディングを図るしかない。

しかし「おれは大卒にもひけをとらない優秀な高卒だ」とツイッターなどで口角泡を飛ばしている人たちのうち何割が、こういった種のペーパーテストクリアできるのかは極めて疑わしいところではある。

仮に数Ⅲや基礎ではない方の物理化学など一部の選択科目を除くとしても、数ⅡBや物理化学基礎をまともに理解して卒業した高卒者がどれだけいるというのだろうか?

この提案はごくひとにぎりの「優秀だが大学には行かなかった高卒者」にまっとうな評価を与える代わりに、大量の高校中退者を生む能力差別的発想でもある。

皆さんは、より潔癖な制度がより格差を生むと考えられる場合に、どちらの立場をとるだろうか。

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