子どもが中学受験を目指していて模試の成績表などを見ているのだけれど、小学生の時点でかなり明確に
の傾向が出ていて驚く。(サンプルはn=数千人程度で、受験者の比率としては男:女=55:45ぐらい)
正確に言うと、成績の分布自体は男女で重複しており、平均点も上記の傾向はあるにせよ、数点しか変わらない。ただ、上位層を見ると特に算数理科の成績について男女比に大きな偏りが有り、上位20%程度で男:女=75:25、上位2%程度では男:女=90:10ぐらいになる(両方とも有意差有り; p<0.0001)。
上記はあくまで小学生向けのペーパーテストの結果であり、将来的な能力全般を代表するものではない。一方で、おそらく性別を意識した社会的圧力にそれほど曝されていないと考えられる小学生(中学受験生)時点においても特に上位層でこれほど明確な差があるのは、集団として何らかの性質の差があることを示唆するものではあると考える。
この事実からは、全体の傾向としては男女の知的能力差なんてあるとしても微々たるものだ、一般的な職能を判断する場面で男女を分けることは無意味であり、結果に男女差があるとすれば何らかの差別的傾向が示唆される、という主張は成り立つとは思う。一方で、高度な専門的技能が必要とされる職種(少なくとも人口の上位数%以内程度の能力がないと適性が見込めない/競合に耐えられないような専門職)においては、全く差別的待遇がなかったとしても9:1程度の偏りが生じることは自然なのではないか、とも考えられる。
能力の問題ではなくてダイバーシティが重要なのだ(ダイバーシティを確保するためには能力の低い個体も含めるべき)、とか、小学生は既に性的圧力の影響下にあるのだ、とする立場もあるとは思う。ただ、現実の専門職集団で9:1程度の偏りがあるとして、それは差別であり人口比と同等(5:5)の"自然な"状態に導くことがその構成員の責任だ、とするのは若干留保が必要な主張にも思える。あるいは、集団の性質をその能力で持って論じる際には、平均だけでなく分布全体や上位層の偏り等も含めて考慮する必要があると考える。
注:上記は昨今明らかになった医学部入試における男女差別のような、選考側の明確な不正を正当化するものではない。ただ、厳密に知的能力で選考・競合が行われたとしても、職能の性質や要求水準によっては男女の偏りは生じうるのであり、それ自体が不正を意味するとは限らないのでは、というお話。