はてなキーワード: ハワイとは
総人口が少ないだけじゃなくて、コミュニティが分断してる感じなんだよね。カリフォルニアとハワイしか知らないけど。
移民世代のコミュニティ、日本が経済的に強くなってからの駐在員コミュニティ、あと現地で育った&近年移住した永住組。
リトルトーキョーみたいな、日本を移植するようなやつは、移民世代が起源。1,2世が高齢化して子孫が現地化するにつれ、存続が厳しくなってきてる。
駐在員コミュニティは基本いつか帰るって思ってるから、「現地と交わらない」のはそうなんだけど、かといって根を下ろしてコミュニティを育てて行くって感じもあまりない (一部頑張ってる人もいるから一緒にしたら気を悪くするかもしれないけれど)。根無し草的というか、「あの辺の店でよくつるんでる」みたいな感じのコミュニティはあるんだけど、どこぞに定住してっていう感じがない。
現地育ち&永住組はむしろローカルに融け込む感じかな。駐在員は何かあれば日本を頼れるのに対し、現代永住組は基本自分でサバイバルしてくんで、感覚が合わないんだよね。もちろん人によるけどさ。
大元の記事が問題にしているようなコミュニティってのは、定住型(移民世代のコミュニティ)が現代に起きているって話なんで、その意味では日本人の現状とはやっぱり違うと思う。
結局、爆買われたものって、どんなジャンルのものが多かったんだろう。
なんだかんだで家電なのか、はたまた日用品なのか。おむつが人気!とかお菓子が旨い!とかニュースにはなっていたが。
80年代の円高の頃は、日本人は、香港、ハワイ、パリなんかで高級ブランド品を買いあさっていたらしいが、
その頃、日本で売っていたものは、香港の免税店で買う茶色いモノグラム以上に「買う価値があるファッション」はなかったんだろう。
そして、30年以上経過して立場が変わって「買われる」側になっても、「自国のものより良い」と外国人が思うものは、
知ってます? 「軍艦」という名前で知っている人もいるかもしれない。
私が小学生のころよくやった、二人でやるじゃんけんの亜種のようなゲームです。
グーは軍艦、チョキは朝鮮、パーはハワイと呼びます。ビックリするほどWW2!
ところがですね、先日駅前で歩いていた小学生二人組が、同じゲームを「カレーライス」という名前でやっていたんですよ。
グーはグー辛、チョキはチョー辛、パーはパー辛、という名前で。
戦争関係の単語が誰かに検閲されたんでしょうか。それとも自然発生したものなんでしょうか。
DIY、マスキングテープ、手芸、アロマ、スタバ、ブルーボトル、メイソンジャー、ココナッツオイル、ハワイの朝食、カフェごはん、ロハス、●●(海外の都市名)女子、DJイベント、海外風ウェディングプラン
海外の生活の猿真似に過ぎないのに、どうしてこれほどまでに、一部の女子は一生懸命になれるのか。
絶対に自分と違う世界のもので、それを生活に取り入れたってダサい自分は変わらないのに。
世界旅行したって人は簡単に変わらないし、海外の人が優しくしてくれたとしてもそれは自国の人じゃないからって理由じゃん。日本人も日本人に対しては厳しいでしょ。
おしゃれなカフェめしなんて材料代かかる割には男受けも悪いのに。自己満足だからいいの!っていう割にはここぞとばかりに「つくってみた~」なんか言って加工ばっちり効かせた写真をSNSにアップするし。ひとりで楽しみたくて作ったんじゃないんかい!まずそうって言うなよ言うなよののりなの?
あ~~~手芸やDIYは相当なセンスがないと貧乏臭くてたまんないのに。
どこもかしこも、田舎のおばあちゃんのセンスでおしゃれにしてみました!★て写真に溢れてるううう
ねえねえマスキングテープの多用、貧乏臭いったらありゃしないからね!なんであれがおしゃれなの?
貧乏臭いの一言でしょ、ポイントで使うんならまだしもどこらかしこにべたべた。
マスキングをはさみで切る手間がめんどくせーわ!そんなべたつくもの貼られたカードなんざ
もらっても速攻でゴミ箱にダンクシューナイッシュー拍手の嵐だわ!
自慢げに作ったものをツイッターやブログにアップして、そういうのが好きなの同士でいいねし合ってつぶしあって鼓舞し合って。も~いいよ、くるみボタン?レジン?何やってもださいんだってぇ、周りの人はみんな思ってるんだよ??まさか人に作ったものあげてないよね?影で笑ってるよ??
DIYも日本の狭い住宅の中を、木目調の壁紙貼って、タイルしいて、レースやビンやかごを置いてかざりつけして、何を目指しているのか分からない。
百均のもので賢くDIY?だせーーーーーんだよ!すのこ?木箱?ごみになるからそのまま使えよ
イベントに参加したってな、また月曜から灰色の日々なんだからさ、そんな海外のイベントごと真似してメイクして着飾ってフィーバーするの恥ずかしくない!!?
恥ずかしくない?
あたしはなんか色んなことが恥ずかしくてたまんないときがある。
また何かやって、恥ずかしくなって、またやって…の繰り返し。エンドレスレイン。なんで恥ずかしいのか、何に対して恥ずかしく思っているのかわからない。
オリジナルなんて一切存在しないのに、苦労して作って飾り立てて写メ取り直して誇らしげにSNSにアップしていると思うと、馬鹿らしくていじらしくて可愛い。腹立つわ。
職場で『ハワイ旅行が云々』『ハワイのリゾートホテルに泊まりたい云々』の話題が出たのだが。
ハワイって、一体どこがいいの?
自分が鉄道マニアなので、『鉄道がある海外は行くが、鉄道が走ってない海外には行かない』というのもあるが、
『南の島でのんびり』というのが、あまり性に合ってないのかもしれない。
・でもどうせ南の島に行くのなら、物価水準が途上国な南の島(セブ島・ペナン島・プーケット島・バリ島など)の方が、
『コストパフォーマンスに優れている』のではないか?
現地散財費用が同じ10万円でも、ハワイで散財するよりセブ島で散財する方が、より多くのサービスが受けれる筈
ハワイでバーベキューが云々というのも、地元ならではの食材が少ないから、という気がする。
・周りが海に囲まれているのだが、海鮮料理が云々、というイメージもない。
海の幸って、寒流と暖流の接点とかが美味しかったり、『寒さで魚の身が引き締まったり』で、
それなりに『寒くない』と、美味しくなかろう。
・『先進国の領内なので、治安の点で安心できる』『日本語の店が使える』というメリットもあるのだろうが、
グアム・サイパンだったら『飛行機搭乗時間が短い』『時差が少ない』というメリットがある。
言語は日本語だし、時差ゼロだし、最近だとLCCで安く行ける。
一方、ハワイにはLCCがない。
・『観光資源』という観点でも、ハワイアンダンスしかないハワイより、
バリ島とか沖縄の方が、土着の文化を堪能できて観光資源が豊富。
・・・と考えると、ハワイって冷静に考えると『観光的には、大したことないじゃん』という結論に至るのだが、
逆に『俺はハワイに毎年行ってるぞ!!』という増田民がいたら、どんどん反論してほしい。
ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。
定義が曖昧で、玉石混交で、定性的に評価されるもの全般のことね。
すると、自分の感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。
定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。
そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、
そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。
「無い」事の証明は難しい。
だから「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。
だから、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙絵に対する批判であって、ライトノベル批判とは違う。
(勿論、「アニメ絵は恥ずかしい。太宰治もあれじゃ買い難い」とする批判はあるが、ライトノベル批判とは別軸)
キャラ立ちという意味で、ホームズを超える名探偵は出てきただろうか。
だから、「類型的なキャラクターが出てくるだけ」というのは、その手の小説批判であって、ライトノベル批判とは違う。
(以後省略するが、そういう批判は当然あって良いが、ライトノベルとは独立)
ファンタジーやSF、ミステリから哲学に至るまで、子供向けに書かれた本を読む大人は多い。
だから、「子供向けに書かれた小説を大人が読むのは」というのは、その手の読者批判であって、ライトノベル批判とは違う。
これに関しては、まさに定性的な(感性の)話になるため、具体例は省略したい。
ここでは、スタージョンの法則(啓示)を引用するだけにしよう。
SF(science fiction)の90%は、ゴミでカスでクソだ。
同じ基準を使って、映画、文学、民生品等々の90%がクソだと示せる。
だから、SFの90%がクソだという主張(または事実)は、究極的には何も意味しない。
だから、「ライトノベルの大部分はクソだ」という批判は、何の情報量も無く、ライトノベル批判とは違う。
ハワイ沖で行われる海軍の多国合同軍事演習のさなか宇宙人が侵略してきて、自衛官と海兵隊員が反目しながらも撃退するという
まあ、インディペンデンス・デイと戦艦ミズーリを足してブリトーで割ったような映画だ。
素晴らしく面白い、愛すべき馬鹿映画だが、批評家からは当然のように酷評されている。
何が言いたいかというと、批評家の評価と、馬鹿であるかどうかとは、分けて考えられている。
ビール片手にゲラゲラ笑いながら見るような「ジャッカス」みたいなのを「馬鹿だ」と言うのは、批判ではない。
さっき言ったように、「馬鹿」であることは、比較的独自の軸になる。
その上で、馬鹿にしているのは、例えば「パンチラの絵を付けて恥ずかしくないジャンルは馬鹿にされて当然」のような、
「ライトノベル」を「小説の一ジャンルとして、格下である」とする主張しか、残念ながら観たことがない。
これは、BLを趣味とするのは気持ち悪いだとか、サラリーマンが通勤中に漫画雑誌を読むのはガキっぽいとか、そういった類の主張だ。
好悪の主張であって、それはそれで、仕方がない面はある。
雑誌の表紙に水着の女性を持ってくれば売上部数が上がるが、職場で休み時間に読むのはどうだ?というレベルの話だ。
ワリと珍しいのだが、硬派なSFとライトノベルSFとが全く同じ題材を描いているものがある。
アーサー・C・クラークの「楽園の泉」と、野尻抱介の「ふわふわの泉」だ。
(まあ、内容的にはチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」のもじりの方が相応しいとは思うのだが)
両者とも、「ロケット以外で宇宙に進出するための、巨大構造物を作り上げる人物」が主人公だ。
ポイントは、「楽園の泉」がハードSFか否かであるとか、「ふわふわの泉」がラノベかどうかではなく、
この両者を比較して、「どちらが低俗か」を論じる意味があるかないか、だ。
「どちらがより高尚か」や「どちらの方が格上か」でも良い。
ここまで題材が同じだと判りやすいのだが、
「大人なら、『ふわふわの泉』ではなく、『楽園の泉』を読むべきだ」
とは、ならないだろう。
だって、違う作品なのだもの。それは批判ではなく好悪の主張だ。
「『楽園の泉』は、建築家の名声について拘りすぎて主張がボケている、『ふわふわの泉』の方がSFとして良く出来ている」
なんていうのは、馬鹿にしているのではなく、(正しいかどうかは別として)SFを軸にした批判になる。
アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」と、司馬遼太郎の「梟の城」と、佐島勤の「魔法科高校の劣等生」とを、
一緒に並べて比較して、「魔法科高校の劣等生を読むのは馬鹿だけだ」と言うことに、意味があるだろうか?
俺TUEEEE系の源流をたどって、湖の上を歩く男の話まで遡ったり、本邦においては勧善懲悪の仮託先であるとか、
そういった論文を描くことは意味があるかも知れないが、「馬鹿にする」というのは比較的には品のない行為だと思う。
例えば、今話題のピケティの「21世紀の資本」を読むのが大人で、百田の「海賊とよばれた男」を読むやつが馬鹿にされてもしょうが無い、みたいな言い方はしないだろう。
現代ソマリア海賊を描いた「キャプテン・フィリップス」を見て「『パイレーツ・オブ・カビリアン』を見るとか馬鹿にされてもしょうが無い」みたいなことは言わない。
というわけで、馬鹿にする方の品性を疑うべきだと言うのが、オレの意見になる。
どんな作品でもファンは居て良いと思うし、蓼食う虫も好き好きと言う。
例えば俺はバトルシップが大好きだが、蛇蝎の如く嫌う批評家が居るのも否定はしない。
アナと雪の女王よりはベイマックスの方が面白いとは思うんだが、GoGo好きなだけだろと言われれば否定はできない。
というように、主観的な好悪と、その技芸における比較批評、そのジャンルでの売上高なんてのは、全て独立の話だ。
そう言った点で、ラノベの中に上手い下手、エロに寄り過ぎだとか構成が稚拙だとか、そういった批評はあって良いと思う。
ただそれは、作品単位、出来ても作家単位の話であって、「ラノベ」全般に広げるのは主語が大きすぎて乱雑に過ぎる。
9割のクズを観てそのジャンルを否定するのが愚かであることは映画や絵画においては一般的なのに、ラノベがそうでないのは不幸なことだと思う。
例えばもし普通の主婦とか学生とかが、ハワイとかグアムとか日本人がよく行く観光地で誘拐されたらそれでもクソコラ作ってる余裕あるの?
海外行く余裕がある主婦や学生なんて、クソコラ作ってる人間からしたら憎しみの対象なんだから
今回以上に袋叩きになるに決まってるじゃないか。
同レベルの引きこもりキモヲタとかだったら同情論も出るかもしれないがそもそもそいつらが誘拐される訳ないしな
著名なアニメ業界人とかなら海外行く人もいるだろうしあり得るかな
でなきゃ微妙な中小企業勤めで中東に飛ばされてたリーマンとかかな(大企業エリートなら嫉妬の対象にしかならんだろうからだめ)
この週末溜め込んだフラストレーションを書く
テロリストにクソコラとか送りつけて悪ふざけしたり、それを眺めて余裕でいられる理由って、実に単純に対岸の火事だからですよね
今回の人質もほとんど日本にいないで海外で活動してるって印象だし、テロリストが立てこもったり自爆テロ事件を起こすのも全然遠い外国の話だし
例えばもし普通の主婦とか学生とかが、ハワイとかグアムとか日本人がよく行く観光地で誘拐されたらそれでもクソコラ作ってる余裕あるの?
例えばもしすぐ身近にある、それこそ先週買い物に行ったばかりの店で立てこもり事件が発生して人質が簡単に銃殺されても、しかも加害者が日本人のイスラム国支援者だったとしてもそれでもクソコラ眺めて笑っていられるの?
この週末テレビつけっぱなしにして人質殺害のニュース速報が流れるのを心のどこかで期待してたんでしょ?
外出先でニュースサイト更新しては人質殺害のニュースを探してたんでしょ?
母親の会見みてニヤニヤしてたんでしょ?
人の悲劇すらエンターテイメントとして消費する平和ぼけした金持ち国民の本性を目の当たりにしたようでとても胸糞の悪い週末だった
そうやって自分では何もせず行動を起こしている人間に批判だけ並べる国民のどこが崇高な民族なんでしょうか
今回の一連の出来事は、世界の情勢に対して日本がどれだけ遅れていて、どれだけ危機感を理解できていないかを露呈する実に恥ずべき出来事だったと自戒が必要です
ターゲットとしての優先順位こそ低いものの、今回のことで日本に対してテロを行うだけの正当性を相手には与えてしまったことには違いがないのだから
日常会話で、「やっぱり三月はあったかいね」と言って、主語がデカいと返されるケースはまずない。
主語のデカさを指摘される状況は、議論誘発率が高い話題において、定義を慎重にしなければ議論にならない言語であることが聞き手の知識経験に基づいているときだ。
上司にはやめといたほうがいい。
じゃあ、上司にはどうするか。
「宇宙人の慎重さはなんなんでしょうね」
「地球人も慎重ですしね」
とにかく合とけばいい。
「A型にもいろいろいるでしょ」
「いねえよ。全員ハワイ好きだよ。だって、鈴木さんもハワイよく行くし、田中さんだって行きたいって」
「いいや、違う。B型はみんなASEANに行っている。もう一人の鈴木さんも、もう一人の田中さんだってタイとフィリピンだぜ?」
「部長は?」
「分かんない。急に言いだしたからびっくりしたよ」
まあ、だいたいこんな感じでいいと思う。
ということは、YMO系ということだね。
このあたりの80年代的シニカル感覚っていうのは。およそ魂の叫び的なものとは遠く、小林克也先生の
「きんさいきんさいハワイにきんさい」
みたいなものも含めて、本気でやりたい人達から見れば、なかったことにしたいという感じがつかめてきた。
内藤理恵子 のブログ: 後藤明夫『Jラップ以前』+SEGA・ソニーの1996年作品+DAGANE
でも、その辺の感じが読み取れる。
書いてみるもんだね。いろいろ参考になった。
でも、行き着いた先が、母ちゃん有難う、俺本気でリスペクト、でよかったのかどうかはまた別の話なんだろうけど。
されていて、笑ってしまった。
[とんかつQ&A「今だから抑えておきたいジャパニーズHIPHOPの歴史【入門編】」](http://blog.goope.jp/?eid=402)
アメリカで盛り上がるHIPHOP音楽の熱量に触れ、日本でHIPHOPをしようと動いた最初期のアーティストには、MAZZ&PMX、BUDDHA BRAND、Krush Posseなどが挙げられるんよ。
ラップ/HIPHOPの最・最初期のチャレンジャーとして名前すら上げてもらえないのは、何か理由があるんだろう。それが知りたいもんだ。
「いとうとか近田は単にファッションとしてとらえていただけ、そこに流れる精神を理解していたわけではない」という評価にしたいのだとしても、名前くらいあがっていてもいいんじゃないの?
日本には日本のラップがある、って言いたいようだが、本場でもがいてきたから本物、みたいな選別基準があるとしたら、自分が批判している為末と同じポジションになってしまう。
先週くらいの『ニッポン戦後サブカルチャー史』でいとうせいこうのラップを見て風間俊介が、「今とまったく同じですね」みたいなことを言ってたけど、
この人たちが最初に手をつけてたんで、
「ふーん」「そうなんだ」で済んでしまうことが、なんか許せない。
ただ、無視される人には無視される理由っていうものがあるんだよな、きっと。
好きでも嫌いでもない、むしろ嫌いな、藤原ヒロシやいとうせいこうのことで、こんなにムキになる自分もどうにかしているが。
【追記】
スネークマンショーについてはすでにトラックバックで指摘受けてます。この系統では小林克也の「うわさのカム・トゥ・ハワイ 」なんかもありましたね。
あと、近田春夫氏の"Hoo! Ei! Ho!"は、今日のダンス規制法解禁が議論されている折、もう一度見直されても良いものかと。それこそリスペクトすべきでは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/Hoo!_Ei!_Ho! (Wikipedia)
【追記2】
いろいろヒントをもらったけど
「その一曲がアートフォームとしてHIPHOPであっても、自身が自身を B-BOY だと思ってるかどうかで分けてるのかなと。いとうせいこうは偉大だけど、多才過ぎて「色々やってるなかの一つ」感は否めなく。」
ただ、飽きたので辞めたと言っている近田春夫もそうだけど、当時はガチでやってた事実が現在に伝わっていないような気がするのは気の毒。
でも、彼らも藤原ヒロシも(さらに桑原茂一やヤン富田も入れとく?)も、多才過ぎて、ご本人たちは特に過去のことなんかこだわっていないんだろうな。
【おまけ】
10年も前に同じようなやりとり(?)があったことを今知った。
http://mimizun.com/log/2ch/hiphop/1073978976/
「ストリートにいた方が代表」とか「金持っている人に対するトゲ」とか、
「藤原ヒロシさんのことは悪く思ってないよ。 あの人だけは俺らの視線にまで降りてきてくれる人だったし。いいとこのボンボンだけどな。」とか、刺激的で面白い。
今回の映画、ゴジラが出てくる所は良かった。ゴジラが出てくる所「は」。
まず最初。
いきなり巨大生物の化石?みたいなのが出てくる。これはまぁいい。「おおこいつがゴジラのご先祖か!」とか思う。
そこから生まれた何かでかいものが日本に向かってる描写がある。これもいい。
残念。違うのだ。
いきなり15年後に飛ぶ。そして、本当はあの日(原発でのお涙頂戴)何があったのか、が明かされる。
違うのだ。
代わりに出てくるのはでっかい虫。お前誰。
誰だお前。誰だこのエイリアンとスターシップトゥルーパーズのバグを掛け合わせて悪いとこ取りしたようなのは。
虫はアメリカに向かう。どうやら日本に現れて捕獲されてたのはオスで、アメリカにメスが居るらしい。
そしてハワイで出てくるゴジラ。よっしゃ! 大破壊や!と思うも、なんとも消化不良に終わる。
専門家の芹沢博士は意味ありげにあちこちで独白を入れるだけで基本的に何もしない。
「核を使うのはいけない」と言って米海軍の提督にヒロシマの核爆発で止まった懐中時計を見せるが、提督はどっちにしろ核を使うので全く意味が無い。
ちなみに「大事にされている反核のメッセージ」らしきものはここだけ。
そう、一番ナンセンスなのは、ゴジラや虫相手に核を使って倒す気なのだ。
虫は原子力がエネルギー源らしいし、ゴジラはもちろん(この映画での設定はどうあれ)「水爆大怪獣」だ。
核で倒せる訳が無い。そこをもう、こいつらは、台無しにしやがってしやがっておのれおのれ。
雌の虫の卵はラスベガス近郊の核関係の保存施設にしまってあるらしいので、そこを確認しに一部隊が派遣される。
大仰に一個一個部屋を確認していくも、何も起きないんだが、その虫の卵が入っていた所を開けると奥にでかい穴が開いてて、向こうにラスベガスを破壊する虫が見える。
あほか。気づけよ。
お前ら脳みそ無いんか。
軍隊なのに、何かこう虫が襲ってきたとか、外から連絡無いんか。ほんまに虫がよすぎる。
んで虫やゴジラをおびき寄せる為に核弾頭で釣るんだが(ここらへんでもう楽しみはこの後にゴジラが出てくるであろう事だけ)
虫が襲ってきて「お前らに任せておけるかちんたらすんな」とばかりに持ってってくれる。サンフランシスコに。
虫が出すEMPパルスで核爆弾が遠隔で起動できないらしく、主人公達が手動で起動する為に落下傘降下する。割りとどうでもいい。
サンフランシスコが虫に破壊される。これも主人公の奥さんとか子供と主人公が連絡がつかなくなるくらいで本当にどうでもいい。
そう、シスコを灰燼に帰すのは虫なのだ。ゴジラじゃない。ほんまにもうほんまにもう(略)
ここまで来てやっと、本当にやっと、ゴジラと虫が戦う。
この映画の見せ所はここだけなんで、存分に堪能して欲しい。その気がまだ残っていたら。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140614-00000541-san-life
この記事でもだし、はてなでも「米国じゃハーネス当たり前のように使ってるのに日本は遅れてる」とよく言うけど
アメリカに3年居て子育てして、使っている人を一度も見た事がない。
基本的にどこ行くにも車で、車から降りたらベビーカーか店のショッピングカートが当たり前なのにどこで使うのか。謎。
売っているのも見た事がない。ベビーザらスとかでよく探せばあるのかもしれないけどさ。
ついでにエルゴ(抱っこ紐)も使っている人を見た事がない。
元々ハワイ産だしハワイじゃ外でも使ってるのかもしれないけどハワイ行った事無いんで知らんわ。
ベビー用品扱ってる店ならどこでも目立つ所に陳列されているので売れてはいるんだろうけど、
まあ宣伝文句とか見てても、日本のようにガチ実用品扱いというよりは
「ベビーカー使うより抱っこする方が子に愛情が伝わり発育にもよくウンヌンカンヌン」
というイシキタカイ親向けグッズ扱いって感じもしないでもない。
匂いの強い石鹸で有名なLUSH・ラッシュジャパンがはじめた反フカヒレ漁キャンペーンに対して起こっている反発を毎日新聞が報じた。
http://mainichi.jp/select/news/20140528k0000e040213000c.html
この毎日新聞の記事を受けて、ラッシュジャパンが出した通知書がひどい
http://www.lushjapan.com/contents/finning/0604.pdf
不買運動が起きたので、気仙沼のサメ漁への反対ではなく、フィニング(ひれだけ切って、あとは捨てる漁)の周知のための活動であるということにしたようだ。
キャンペーン名も「残酷なフカヒレ漁反対キャンペーン」から「残酷なフィニング反対キャンペーン」に変えたようだ。
とにかく、気仙沼のサメ漁に対して反対などしてないということだそうだ。
だけどさ、
当社が寄付の対象としている「パンジアシード」(本部・米ハワイ)の日本支部は、
日本初の、サメの保護や海洋保全への認識を高めるために活動する団体であり、
?????
えっ、キャンペーンのお金の行き先が、気仙沼のサメ漁に反対してる団体じゃん。http://pangeaseed.org/japan/
同じ見解には立ってない、だけど、その団体へのお金集めのためのキャンペーンをします、だから問題ないですってことらしい。俺には意味が分からない。
「このキャンペーンが気仙沼のさめ漁に反対しているかのような文脈で書かれており、きわめてミスリードなもの」とか言ってる場合じゃないよね。
そもそも、日本のサメ漁が残酷であるものと思わせるような「ミスリード」にまみれたPR方法(デザイン、キャッチコピー含め)を使ったキャンペーンを始めたのはそちら側ではないだろうか。
フィニングの問題じゃなくて、寄付先が気仙沼のサメ漁に反対してる団体なのが問題なわけで
外国人セレブの名前出せば、日本人がひれ伏すと思ったら大間違いだよ。
フィニングがどこの国で、どのように行われているかも明示せずに、サメ漁への感情を煽るようなキャンペーンやるなよ。
報道に脅しかける前に、この矛盾にまみれたキャンペーン自体を辞めるべき。
毎日新聞も、脅しに屈せず、この問題を報じ続けてほしい
http://mainichi.jp/select/news/20140604k0000e040194000c.html
芸能担当記者だった父が死んだ。遺品を整理しているところ←今ここってことで、何も孤独死という今の流行まで追いかけなくてもというしみじみとした感情に身をゆだねている。
父はワイドショーに出るいわゆる芸能リポーターとは違って、テレビに出たことは数回の大衆紙(雑誌、自称大衆含む)に芸能記事を売る生粋の記者ないしライターだった。
本人いわく大手新聞の政治部に引き抜かれそうになるくらいの敏腕記者だったというが、まぁそれはゴシップ紙の記事を信用するに等しい。
とはいえ、私の知っている父がとってきた最大のニュースは、事務所の方針で恋人も認められていないようなトップアイドルが突如結婚したというのだから、まぁ本当にすごい気もする。
さて、その記者は私を四年制大学に出してくれるほど芸能記事で稼げる敏腕だったのだけれども、その敏腕さは家庭生活を犠牲にして成り立っていた。
出版関係者という魅力に(も)ひかれて結婚したであろう私の母は、私を産んで8年目に離婚。親権が母親にいくとはなんのことやら、私は父の実家で育つこととなった。
父の業界友達が、私と父が街で歩いていた時に未婚の○○さんも若い子とやることやっちゃって!と思って言いふらしたため、数か月後父が訂正しに駆け回ったという笑い話を
別のご友人からきいた時は仰天したものだ。まず、それは笑い話なのだろうか。
そんなことで、あまり会うこともなかった父との直接の思い出というのは多くない。ものごごろがつく前までは、両親が家にいないことを悩んでいたものだけど、
ものごころがつきはじめる思春期にはむしろいない方がよかったと感謝すらした。父の仕事を聞かれて、いや父は記者らしいんですけど母と離婚しまして…といえば
それ以上に興味をもたれることはないわけであり。ただ、この言い方だとお母さん大変だったでしょうと来て、私が大変なことになるので、郵便局員だった祖父が私の父となっている。
すこし話がそれたけれども、そんな父との数少ない思い出の内、一番心に残っているのは私が首都圏の大学に入学した結果、父親と一緒に飲みに行くことになった話だ。
なじみの店だという店は50歳前の人間のチョイスとは思えないほど洒落ていて、そしてそれに父親が誰よりもはまっていた。
香水の香り匂わせながら妖しい魅力を娘の前でみせる父は、そこで色々と苦労させてごめんな、けど首都圏の大学に来たからにはいつでも俺が助けに行くからとまず話すと涙をうっすらにじませていた。
あ、これはどこかで泣くやつだろうなと私が思いながら、大学での近況を話しているうちに、飲み会の中ごろで話は私の将来についてになった。
卒業後は公務員になろうと思っていると私がいうと、やっぱり父親は泣いた。それもこんなに涙って大量に出るっけ?と思うくらい大粒の涙をみせて。
それがいい、それがいいと自分に言い聞かせるように口ずさんでいたのがとても印象的で、おじいちゃんのところで働こうと思ってるからお父さんには会えなくなるんだよねとは言い出せなかった。
父の色々な葛藤や苦労が垣間見れた一瞬で、多分、それでも仕事続けたのは、きっと天職だったからなんだろうなと不思議と思ったし、やっぱり今もそう思っている。
その後の私の彼氏のせいで、香水の匂いの理由は風俗でつけられたものだと推測することができてしまうようになったのだけど、
きっとそれは芸能人のおごりというやつでしぶしぶ父が娘の飲み会の前にいかなければいけなかったものだと信じたい。
後の思い出はというと、たまに実家に帰ってきた父親とテレビを見ていて、いや、その話は誤報だからとか、△△につかまされたなといっていたのくらいか。
あ、幼いころ、クリスマスにはサンタが来るものだし、正月には父親はハワイに行くものだというのは嘘だと知って友人の前で泣いたときもあるか。それはれっきとした笑い話だ。
というわけで、みんなが知りたい業界の暴露話を娘に仕込むこともなく(娘が無関心なのも手伝い)、私の父はあっさりと心臓発作で逝ってしまった。
救いは会う約束をしていた友人(上の人とは違う)が父が来ないことをいぶかしんで、大家に連絡してくれたため、きれいな体のまま発見されたことだ。
持つべきものは芸能担当記者の友人というところか。孤独死問題の処方箋を見つけたのは父の最後の傑作だろう。神様?、父に天職をありがとう。