「ニッポン戦後サブカルチャー史」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ニッポン戦後サブカルチャー史とは

2022-02-07

磯部涼日本語ラップ史』とピテカンcakesについて

宮沢章夫NHKニッポン戦後サブカルチャー史』(NHK出版)を筆頭に、ピテカン誕生1982年3月

言われているのだけれど、磯部涼氏がcakesで連載していた『日本語ラップ史』にはそう書いていなかった。

例えば、2017年6月16日投稿された「中西俊夫NYアフリカ・バンバータを聴いた〜ピテカン誕生前夜」では、

1982年12月20日、(中略)突如現れたピテカントロプス・エレクトス

と書いてある。で、どっちが正しいんだろう、と思った。

このときは、cakes無料部分しか読んでおらず、ちゃんと読めばわかるかな? と思って有料会員に登録し、

日本語ラップ史』のピテカンに関する記事を読んでみた。

すると2017年5月26日記事、「戦後原宿の変遷〜セントラルアパート竹の子族、ピテカン」では、

82年3月、(中略)営業を始める。

となっている。ん? やっぱり3月? と思ったが、

2017年6月9日記事、「映画ワイルドスタイル』と原宿ピテカントロプス」の交接点」では、

83年12月渋谷区神宮前2丁目にオープン

と書かれていた。これはタイプミスなのかもしれないが、それにしても、と思う。なにしろ

「「日本語ラップ歴史」をはじめてひもとく」連載なのである磯部涼氏も2017年5月11日ツイッター

黎明期拠点となった原宿

と述べている。そういう場所にあって、ヒップホップだけではなく、アート演劇80年代

ロック等とも関わりの深いピテカン開業日すらぶれている、て、どうなんだろう。

どうなんだろう、と思ったので、その旨を先月(2022年1月ツイートした。そうしたら、なんと、

連載の記事ほとんど消えてしまった。2017年の連載以来、ずっとインターネットに漂っていた

磯部涼日本語ラップ史』から上記にあげた「中西俊夫は〜」も「戦後原宿の変遷〜」も

映画ワイルド〜」も全部、きれいに「記事存在しません」になった。

私のツイート全然バズったわけではない。0いいね、0リツイートだ(普段からそんな感じ。な、なによ!)。

から関連があるかはわからない。偶然、cakesサイトに異常が生じたのかもしれない。スクショとか魚拓もない。

から上に書いてある内容も、実際そう書いてあったか保証はできない(なにしろ記事が全部消えてしまったので)。

記事無料範囲キャッシュグーグルに残っていて、6月16日に「12月20日」と書いてあるのは読めたけれど。

私は別に、これが悪いことだとは思わない。記事の内容がちがっていることも、インターネット

連載されている記事が読めなくなることも、全然あることだ。でも、ああ、やっぱりcakesとかnoteかに

とっては、「史」だってコンテンツ」なんだな、と思いました。どっとはらい

2014-09-27

藤原ヒロシいとうせいこう近田春夫がやっぱり居なかったことに

されていて、笑ってしまった。

[とんかつQ&A「今だから抑えておきたいジャパニーズHIPHOP歴史【入門編】」](http://blog.goope.jp/?eid=402)

アメリカで盛り上がるHIPHOP音楽熱量に触れ、日本HIPHOPをしようと動いた最初期のアーティストには、MAZZ&PMX、BUDDHA BRANDKrush Posseなどが挙げられるんよ。


ラップHIPHOPの最・最初期のチャレンジャーとして名前すら上げてもらえないのは、何か理由があるんだろう。それが知りたいもんだ。

「いとうとか近田は単にファッションとしてとらえていただけ、そこに流れる精神理解していたわけではない」という評価にしたいのだとしても、名前くらいあがっていてもいいんじゃないの?

日本には日本ラップがある、って言いたいようだが、本場でもがいてきたから本物、みたいな選別基準があるとしたら、自分批判している為末と同じポジションになってしまう。

先週くらいの『ニッポン戦後サブカルチャー史』でいとうせいこうラップを見て風間俊介が、「今とまったく同じですね」みたいなことを言ってたけど、

この人たちが最初に手をつけてたんで、

「ふーん」「そうなんだ」で済んでしまうことが、なんか許せない。

ただ、無視される人には無視される理由っていうものがあるんだよな、きっと。

好きでも嫌いでもない、むしろ嫌いな、藤原ヒロシやいとうせいこうのことで、こんなにムキになる自分もどうにかしているが。

【追記】

はてブエントリ入りしてた! 増田でも入れるんだ...。

スネークマンショーについてはすでにトラックバックで指摘受けてます。この系統では小林克也の「うわさのカム・トゥ・ハワイ 」なんかもありましたね。

あと、近田春夫氏の"Hoo! Ei! Ho!"は、今日ダンス規制法解禁が議論されている折、もう一度見直されても良いものかと。それこそリスペクトすべきでは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/Hoo!_Ei!_Ho! (Wikipedia

【追記2】

いろいろヒントをもらったけど

「その一曲アートフォームとしてHIPHOPであっても、自身自身B-BOY だと思ってるかどうかで分けてるのかなと。いとうせいこうは偉大だけど、多才過ぎて「色々やってるなかの一つ」感は否めなく。」

もしかして、これがFA?

ただ、飽きたので辞めたと言っている近田春夫もそうだけど、当時はガチでやってた事実現在に伝わっていないような気がするのは気の毒。

でも、彼らも藤原ヒロシも(さら桑原茂一ヤン富田も入れとく?)も、多才過ぎて、ご本人たちは特に過去ことなんかこだわっていないんだろうな。


【おまけ】

10年も前に同じようなやりとり(?)があったことを今知った。

http://mimizun.com/log/2ch/hiphop/1073978976/

ストリートにいた方が代表」とか「金持っている人に対するトゲ」とか、

藤原ヒロシさんのことは悪く思ってないよ。 あの人だけは俺らの視線にまで降りてきてくれる人だったし。いいとこのボンボンだけどな。」とか、刺激的で面白い

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん