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TPOで終わる話
こんなんTVで乳首がばんばん出てた頃にだってTPOとしてあり得なかったのに日経がやらかすんだもんな
というか東京オリンピックの時も思ったが特定階層・界隈にサイコパスが多過ぎて草が生えない
まず生命保険に入りましょう。そして洗面器を用意し水を張ります。水に顔をつけて10分もすれば!凄い時給でお金が貰えます!!
自殺だから一義的に自己責任なのは当たり前でしょうが。上司が屋上から物理的に突き落としたりしたのですか? そんなに追い込まれても、会社なんて辞めて生活保護受ければいいわけです。あなた達、弁護士は訴訟になったほうが儲かるけどね。
https://twitter.com/tabbata/status/1002900777000566784?s=21&t=nePAOjzOckx7WvA_PkrBkA
過労死には本人の責任もある。なぜならば物理的な拘束はなく、使用者側に殺意もないから。使用者の過失責任はあるかもしれないが、本人の責任もゼロではないというのが私の見解です。36協定もない一方的な残業強制が違法ということは同意OKですよね?だとしたら組合や従業員代表の責任もゼロではない。
田端信太郎氏は目立ってナンボ・炎上して上等ってスタンスで、障害者に対する差別発言で役員を解任されるまで野放しだったし、氏を問題視する企業もまさかのなかった
いくら飛ばし記事が多いとはいえ経済誌が田端信太郎氏のスタンスを真似るとか日本堕ちるところまで堕ちた感しかない
ちなみに会社四季報を発行する東洋経済は日経以下のPV稼ぎの低知能記事を発信してるので言うに及ばずです
ほんと日本ヤベーわ
芸能担当記者だった父が死んだ。遺品を整理しているところ←今ここってことで、何も孤独死という今の流行まで追いかけなくてもというしみじみとした感情に身をゆだねている。
父はワイドショーに出るいわゆる芸能リポーターとは違って、テレビに出たことは数回の大衆紙(雑誌、自称大衆含む)に芸能記事を売る生粋の記者ないしライターだった。
本人いわく大手新聞の政治部に引き抜かれそうになるくらいの敏腕記者だったというが、まぁそれはゴシップ紙の記事を信用するに等しい。
とはいえ、私の知っている父がとってきた最大のニュースは、事務所の方針で恋人も認められていないようなトップアイドルが突如結婚したというのだから、まぁ本当にすごい気もする。
さて、その記者は私を四年制大学に出してくれるほど芸能記事で稼げる敏腕だったのだけれども、その敏腕さは家庭生活を犠牲にして成り立っていた。
出版関係者という魅力に(も)ひかれて結婚したであろう私の母は、私を産んで8年目に離婚。親権が母親にいくとはなんのことやら、私は父の実家で育つこととなった。
父の業界友達が、私と父が街で歩いていた時に未婚の○○さんも若い子とやることやっちゃって!と思って言いふらしたため、数か月後父が訂正しに駆け回ったという笑い話を
別のご友人からきいた時は仰天したものだ。まず、それは笑い話なのだろうか。
そんなことで、あまり会うこともなかった父との直接の思い出というのは多くない。ものごごろがつく前までは、両親が家にいないことを悩んでいたものだけど、
ものごころがつきはじめる思春期にはむしろいない方がよかったと感謝すらした。父の仕事を聞かれて、いや父は記者らしいんですけど母と離婚しまして…といえば
それ以上に興味をもたれることはないわけであり。ただ、この言い方だとお母さん大変だったでしょうと来て、私が大変なことになるので、郵便局員だった祖父が私の父となっている。
すこし話がそれたけれども、そんな父との数少ない思い出の内、一番心に残っているのは私が首都圏の大学に入学した結果、父親と一緒に飲みに行くことになった話だ。
なじみの店だという店は50歳前の人間のチョイスとは思えないほど洒落ていて、そしてそれに父親が誰よりもはまっていた。
香水の香り匂わせながら妖しい魅力を娘の前でみせる父は、そこで色々と苦労させてごめんな、けど首都圏の大学に来たからにはいつでも俺が助けに行くからとまず話すと涙をうっすらにじませていた。
あ、これはどこかで泣くやつだろうなと私が思いながら、大学での近況を話しているうちに、飲み会の中ごろで話は私の将来についてになった。
卒業後は公務員になろうと思っていると私がいうと、やっぱり父親は泣いた。それもこんなに涙って大量に出るっけ?と思うくらい大粒の涙をみせて。
それがいい、それがいいと自分に言い聞かせるように口ずさんでいたのがとても印象的で、おじいちゃんのところで働こうと思ってるからお父さんには会えなくなるんだよねとは言い出せなかった。
父の色々な葛藤や苦労が垣間見れた一瞬で、多分、それでも仕事続けたのは、きっと天職だったからなんだろうなと不思議と思ったし、やっぱり今もそう思っている。
その後の私の彼氏のせいで、香水の匂いの理由は風俗でつけられたものだと推測することができてしまうようになったのだけど、
きっとそれは芸能人のおごりというやつでしぶしぶ父が娘の飲み会の前にいかなければいけなかったものだと信じたい。
後の思い出はというと、たまに実家に帰ってきた父親とテレビを見ていて、いや、その話は誤報だからとか、△△につかまされたなといっていたのくらいか。
あ、幼いころ、クリスマスにはサンタが来るものだし、正月には父親はハワイに行くものだというのは嘘だと知って友人の前で泣いたときもあるか。それはれっきとした笑い話だ。
というわけで、みんなが知りたい業界の暴露話を娘に仕込むこともなく(娘が無関心なのも手伝い)、私の父はあっさりと心臓発作で逝ってしまった。
救いは会う約束をしていた友人(上の人とは違う)が父が来ないことをいぶかしんで、大家に連絡してくれたため、きれいな体のまま発見されたことだ。
持つべきものは芸能担当記者の友人というところか。孤独死問題の処方箋を見つけたのは父の最後の傑作だろう。神様?、父に天職をありがとう。