はてなキーワード: ハリウッドとは
2023 年 5 月 25 日午後 6 時 46 分 EDT
ノースハリウッドの保護者ら、学区で予定されているプライド集会をボイコット「子供たちを家に留めておけ」
サティコイ小学校の保護者がプライド集会に反対するインスタグラムアカウントを作成
ジョシュア・Q・ネルソン ジョシュア・Q・ネルソン| 著 フォックス・ニュース
サティコイ小学校保護者という名のインスタグラムアカウントは月曜日、「保守的な価値観を共有し」、「この教材が子供たちに教えるのに適切だとは思わない」保護者たちが6月に子供たちを学校から帰宅させることを計画していると「激怒」したと投稿した。 2日は、LGBTQ+プライド月間を祝うために計画された学校集会のためです。
「注意:抗議活動は6月2日です!助けが必要です!サインが必要です!全員が来てください!」サティコイ小学校の保護者はインスタグラムの投稿のキャプションにこう書いた。
ロサンゼルス統一学区は、生徒たちにLGBTQ+コミュニティについて教えるために幼稚園から12年生までの学校集会がサティコイ小学校で開催されると発表した。
同団体は、生徒たちが「ママが2人いる子もいれば、パパが2人いる子もいる」というビデオを見ることになると主張している。
Los Angeles Unifiedは、私たちが奉仕するコミュニティの多様性を包含する安全で包括的な学習環境を作成することに取り組んでいます。 地区は、私たちの学生が彼らの最大の可能性を達成するために権限を与えることができるように、敬意、優しさ、思いやりでお互いを扱うために私たちの学校のコミュニティ内のすべての人を奨励し、"地区は声明で述べています。 「学校コミュニティとの関わりの一環として、私たちの学校は、私たちが奉仕する家族の多様性とインクルージョンの重要性について定期的に議論しています。 学校コミュニティとの関わりの一環として、私たちの学校は、私たちが奉仕する家族の多様性とインクルージョンの重要性について定期的に議論しています。 これは私たちの学校のコミュニティとの積極的な議論のままであり、私たちはこの重要なトピックについて家族と関わり続けることにコミットし 家族は常に子供たちと重要なトピックについて話し合うことが奨励されており、家族は学校のプログラムや活動の詳細については学校に連絡することもできます。"
https://anond.hatelabo.jp/20230530182341
これ昔から思ってた
不動産価格も半年遅れくらいで追従、これで土地転がししてた人らがバタバタ倒れたのは有名なんだけど
大企業はこの負債だけでは即死せず、かといって公表せず、爆弾を抱えたままゾンビのように生き残っていた
だから一般人にとってバブル崩壊はどこか他人事だった、株価が4年前に戻っただけだからね
例えば日本人の給料のピークが1997年だった、新聞の発行部数も1997年がピークだ
だから個人的には元増田の言う「90年代後半は暗かった」というのは分からない
エンタメも元気だった
例えばFF7発売が1997年だし、アムラーが流行ったのもこの頃、ジブリはもののけ姫を出したし、ハリウッドではインデペンデンス・デイやロストワールド、スピード2が出た年だ
北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻した
ただ、この頃からITバブルが始まっていたこともあり、若者や子供にとってはそんな暗い時代ではなかったと思う
ノストラダムスの大予言に夢中だったのは確かだけどそれはベクトルが違う
じゃあいつ頃日本が暗くなったかといえば、2002年頃から徐々にだと思う
ITバブルが崩壊し、金融政策がうまく行かず、バブル崩壊の負債と金融危機の負債が小出しで爆発した関係で低迷したし
回復してきたかと思ったら2005年に会社法が成立し、会社が健全化する中で膿を出しつつ低迷した
ちなみに2005年に合計特殊出生率が最低をマークしている、ここらへんがどん底だと思う
この頃は小泉政権時代だ、まさに聖域なき構造改革で、膿を出して2007年くらいにはようやく回復したんだが
2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災で追い打ちをされた(これがなかったらどうなってたんだろう)
海外でもゴタゴタあり、結果2002年〜2014年あたりの殆どのタイミングで暗い時代が続いた
そして実は2014年以降、つまりアベノミクスのタイミングでは世界的に平穏で少しずつ回復して行っていたわけだが
まあコロナで全部壊されて今に至る
https://anond.hatelabo.jp/20230529143342
マーベル作品もそうだけど、そもそもディズニーってアメリカ国内だけの興行だけでは回収しきれない規模の映画作ってんすわ。
実写版『リトル・マーメイド』のバジェットは2億5000万ドルで、ワールドワイドの損益分岐目安はざっくり3倍計算で7億5000万ドル。
初週時点で勢いを越えたとされる実写版『アラジン』の最終的な米国内興収が3億5000万ドル(予算1億8000万ドル)だから、仮にアラジンと同程度の額を叩き出すとするなら、残りの4億ドルを他の国で調達しないといけない。
実は中国は実写版ディズニー作品に関しては、そこまで興行収入を期待できる国ではない。『アラジン』は5000万ドル止まりだったし(それでも『リトル・マーメイド』よりは上等だが)、8000万ドル行った実写版『美女と野獣』でもその年の中国の興収ランクでは200位程度にすぎない。
で、そこにきて、『アラジン』と『美女と野獣』の両実写版興収が1億ドルの大台を越えた国がある。
日本だ。
ディズニーのエグゼクティブや営業がどう考えているかは知らんが、個人的には日本ではコケると思う。
『美女と野獣』がヒットしたのは、エマ・ワトソンを起用して日本人好みの昔ながらの「プリンセス・ストーリー」を少なくとも絵面の上ではきちんとやった(実はモロに人種やセクシャリティの多様性を前面に出しているにもかかわらず)ところが大きい。まあそもそもベルって王女さまでもなんでもない陰キャのガリ勉女なんだけど、そのへんはね。
ポリコレがどうこういう前に、エマ・ワトソンがすげーきれいなドレスをきて、みんな大好きな『美女と野獣』やってるじゃん、でみんな来るわけ。
ハリウッドスターの力が失われたと叫ばされて久しい日本の映画市場だけど、それはまあ新規IPをスター主演で送り出す場合の話で、すくなくともすでに固まったIPの場合はスターのほうがみんな「安心」して観られるという点でまだ強い。
そういう点でもそうだけどさ、新しい解釈とか新しいストーリーとか、少なくとも日本の観客は求めてなかったの。
個人的には野獣が野獣のまま生きていくエンドとか観たかったけどね。
そこに来て実写版『リトル・マーメイド』は日本人に訴える要素が少ない。
主演のアリエル役はド新人。肌の色も黒いしドレッドヘアだしで”みんな大好き”だった原作と文字通りイメージが違う。
まあ差別意識といえば差別意識なのかもしれないが、市場のことだけを考えるならばこれは日本の市場への訴求しない。
日本ディズニーの宣伝がなんとなくやる気ないように見えるのも、現場の人たちにはそれがうすうすわかっているからなんだろう。
特にポスターのビジュアルイメージが「原作通り」じゃないのは致命的だろう。映画ってだいたい内容わかっていない状態、なんなら大半の観客は予告編すら見ない状態で観に行くもんだから、ポスターは大事だ。
そこで「これじゃないな」となったら、もうおしまい。
『アラジン』と違って脇に強烈なスターを配置できる作品でもないしなあ。
これらの悪条件を跳ね返して100億円稼いだら、日本の観客を見る目が少し変わるかもしんない。
映画の内容では批評的に評価されているものでもないんで、映画自体への評価は観てから決めますが。
韓国の公開初週の上映館は2館だけ。先行上映的なやつかん?
中国版独自ポスターは青で統一された色調のものが採用されているんだけれど、アリエルの肌まで青々しくしちゃったもんだから、「差別ではないか」ってふきあがっている人がいるわけ。
ちなみにアメリカとかでは「青」は「白」に近い色だからホワイトウォッシュ的な文脈が流れ的にはある。
ネタなのか本気なのか、「中国人は差別的だから青版ポスターしか国内では貼れないんだ!」と叫んでいる人もいるんだけど、中国国内の宣伝ではふつうにアメリカや日本でも使われているポスターがでかでかと使われてたりする。
そんなこんな、いつもの元気なついったらランドって感じなので、アメリカとかのTwitterやメディアだけ眺めて判断するのは危険です。
そこに5000万人程度で挑んで、ハリウッドに食い込んだり、ネットフリックスのランキングを圧迫している韓国
上位3%くらいの純度を高めるために、国全体にまさにこの恐怖心が蔓延していて、そして取り返しのつかない人口減少がおきてる
日本はまだ一歩手前でとどまってる
ゆとり教育は馬鹿にされた概念だけど、あれを蔓延させるほうが大事だったんじゃない?と思う
別に1番じゃなくても食ってければいいじゃん、国際社会だの年収だのこだわっても意味ないんだよ幸福には。
自分、自分の配偶者、自分の子供が、名誉や金だけもってて不幸なんて別に望みじゃないでしょう?
史上最も長期間にわたって人を追跡しているハーバード成人発達研究(Harvard Study of Adult Development)を行うハーバード・メディカル・スクールのロバート・ウォールディンガー教授(臨床精神医学)が2015年11月、研究で明らかになった「人生を幸せにする教訓」についてTEDトークで語りました。
1938年に始まったこの研究では、当時ハーバード大学2年生の男子学生とボストンの極貧環境で育った少年たちを追跡調査しています。
調査開始時は724人いた被験者のうち、現在でも約60人が健在で調査に参加しています。そのほとんどが90歳代です。開始時に聞き取り調査と健康診断を行い、その後、1年おきに本人への質問票調査、本人や家族への聞き取り調査、医療記録の確認、血液検査等を行ってきました。
4代目の研究責任者である同教授によると、人を幸福にし、健康にするのは何よりも良い人間関係であり、その人間関係について大きな教訓が3つあることが明らかになりました。
それは、(1)家族、友人、コミュニテイ等、周りとのつながりを持っている人はそうでない人よりも幸せで健康で長生きする、(2)身近な人たちとの関係の質が重要である、(3)良い関係は脳も守る、というものです。(3)は、いざという時に本当に頼れると感じている人と80代までしっかりした関係を持ち続けている人は記憶がずっと明瞭で、逆に、パートナーは全く頼れないと感じている人に記憶障害が早期に出現したことから、結論付けられました。
私は1人でいるのが好きだ、って自負する人間すら、孤独を選んだ場合(意識的に「俺は好きなことをしてる」と思える状態)幸福感は結局低かった
三浦春馬がなんで自殺したんだろうって、自分はここに答えがあると思っていて
金も、才能も、若さも、美貌も、健康も、誰もが羨む相手との友人関係も、数え切れないファンの愛も、どれも持っていても
「いざという時に本当に頼れると感じている人」がおらず
「家族、友人、コミュニテイ等、周りとのつながり」がないから死んじゃった
孤独は人を殺すんだよ本当に
即死じゃなくても、病気にしてくる。痴呆にしてくる。全部、絶対じゃないけど、そういう結果が出た。
ハーバードの教授になれるほどの人が、75年繋いだ研究を否定できるエビデンスなんて地球にないでしょう?
地域で子供を育てれば「家族、友人、コミュニテイ等、周りとのつながりを持っている」になれる可能性がぐっと高まる。
弱者男性もそう
お金がないとか見た目がよくないとか、それは直接幸福には関係ないんだよ
人とのつながりを持つことだけどうか意識してくれれば、幸せになっていけると思うんだよ
なろうよ…
演劇なんて三谷幸喜主催のやつを何回かと、宝塚で「逆転裁判」と「銀河英雄伝説」、
あと声優が参加してるやつを何個かみたくらいのあっさいオタクだけど、(あと仕事でアメリカの劇を見たけど言葉がわからんかったからそれはカウント外)
そもそも演劇って、単純に背景や効果音がしょぼい映画、以上の印象を持てなかったんだよな。
ライブは周りのリアクションっつーかコールとか、一体感あるわけだし、演劇は黙ってみてるだけだからな。
そういう体験型という意味でもコンテンツとしてレベル低いかなあ、って感じ。あと、チケ代が無意味に高いし。
なんで1900円払えばハリウッドの役者たちの演技が見られるのに5000円とか8000円とか払ってしょぼい演技見なきゃいけないねん。
三谷幸喜主催のですら割としょぼさを感じたわ。いや、台本は上手いけど。別に金払うほどでもないわ。
宝塚もはえー結構面白いっすねーという感覚だったけど、別にじゃあリピートしたいかというとするほどでもなかったかな。
あ、ガラスの仮面は好きです。こじき王子を亜美さんやる所とかいいよね。
つまり、そんな感じ。
ネタバレしないように気をつけるけど、一切ヒント欲しくない人は読まないで!
というか、もうこんなタイトルな時点でネタバレが嫌なら開くな。
地雷原に足を踏み込んでおいてふっとばされてから被害者面するのまじでクソ。
それでも片足失ったなら同情するけど、対して傷ついてもないくせに他人に殴り返したいだけで被害者ムーブするやつには一切の同情はしない。
さて本題。
古来のオタクなら何度も味わってきてるであろう、後付ストーリーが公式化されちゃうであろう危惧。
正しい歴史よりも多くの人が信じやすい歴史が好まれるのと同じ。
「あぁ、この映画以降は、マリオの公式ストーリーってこれになってしまうんだろうな。」って、隣で大はしゃぎする息子を横目に遠い目をしながら見てました。
もともとファミコンのゲームなんだから大した公式設定もなくてほとんどが後付だということは認める。
でも、その中で原作者が自らのイメージと矛盾がないように大切に作り上げてきたストーリーというものがあると思ってる。
ファンもそれを理解した上で、二次創作は二次創作としてのパラレルワールドで、オリジナルの世界では原作否定はNGっていうのが暗黙の了解でしょ。
今回の映画もパラレルワールドの一つでしかないと思いたいのだけど、公式ライセンスの映画ですって言われちゃうとそうも言ってられなくなってしまう。
ストーリーについてはネタバレになるから言わないけど、そもそもマリオの表情や性格のそうじゃない感がすごい。
これはCMや予告を見ていたときから感じていたことで、こいつらはマリオキャラのスキンをかぶっているだけのハリウッドキャラクター(ミニオンとかグルーとか)だとしか感じられなかった。
俺と一緒に育ったマリオはそんな顔しないし、そんなリアクションもしない。
あいつはもっと淡々と何事もこなしていって、痛み以外には関心がないような男だよ。
こんなに表情豊かにあれこれ語るような男だったら、俺はマリオなんて好きになってない。
それこそがキャラ作りで本当はこういう人間でしたってカミングアウトするならかまわないけど、それならそれでその辺りをはっきりさせてほしい。
そういう意味ではファンムービーとしてはこの上ないほどよくできていて、なんならそのままゲーム化しても楽しいだろうなって思えるくらいの完成度。
でも、ゲーム化するにしても正式ナンバリングではなくて、「スーパーマリオブラザーズ ザ・ムービー」シリーズとして展開してほしいと切に願う。
だって、これはスーパーマリオブラザーズのハリウッド解釈版でしかないから。
これからもサブキャラつかってスピンオフたくさんつくりそうな勢いすら感じられて、第二のアベンジャーズになってもおかしくないくらいには面白かったよ。
欲を言えば、どうして日本で作らなかったんだよと文句を言いたい。
いや、確かにイタリア系アメリカ人の生活シーンなんて日本人に描くことはできないかもしれないけど、リアリティ求めるところってそこじゃなくない?ネタバレ?すまんね!
シリーズ揃えたりグッズ買ったり、家族分の映画チケット買うくらいしか貢献できない男だけど、悲しさくらいは吐き出させて。
ここまで好きなようにマリオを飛び回らせることができることに対して。
みんなに愛されたキャラを自分色に染めていく作業はさぞかし楽しかったろうなぁ。
結果的に、マリオファンにとっても、そうでもないけど今後もマリオシリーズを楽しむつもりがある人にとっても、この映画は見るべき映画だということは申し上げておきます。
この映画前後でマリオのストーリーに対する歴史が変わってしまうことはほぼ回避できないから。
できれば全人類に、マリオに対する解釈の一つとして見てほしいけど。
ただ、自分みたいにこうやって受け入れる覚悟がないと、めちゃくちゃ細かい設定の矛盾とか気になって楽しめないかも。
そもそもそういうところじゃないからっていう映画なんだけど、そういうマウント取りたいだけマンに揚げ足取られやすそうなシーンは結構多かった。
あと、チコについてはみんなが言及しているからあえて触れないとして、個人的に気になったのはキノピオ。
一緒に行った我が子もダウン症なんだけど、彼ら特有の目つきに見えちゃうシーンが結構あった。
みんなデリケート過ぎて口にできないだけで俺じゃなきゃ見逃しちゃうね案件ではないと思う。
息子はキノピオが痛く気に入ったようなのでそれはそれとしてよかったねという感じではあるのだけど、もうちょっとキャラデザどうにかならなかったかなとは思った。
スーパーマリオブラザーズの映画について、公開前はルイージがさらわれてピーチ姫が戦うからポリコレだと叩いていたくせに公開後はポリコレじゃないからヒットしたと手の平返して主張してる、と言われてるけれど
少なくとも私は全く見た記憶がないんだよなー
マリオ映画って、公開前はソニックと比較する意見やよくあるハリウッドのアニメ映画としてスルーする程度で
アメリカで公開されて大ヒットという話が入ってきた後は確かに「ポリコレゴリ押しじゃないから流行った」という意見は増えたけど
公開前はほぼ無風だったと思う
これって水星の魔女も同様で、オタクは放送前は主人公の肌の色が濃いからポリコレだと叩いていたくせに放送後は手の平返して称賛してる、というツイートもよく流れてくるけれど
私は放送前にそういう叩き方をしてるオタクを見た記憶って全然ないんだよな
(もっとはっきり褐色の肌のガンダム主人公ならターンAが既にそうなので
ちなみに「眉毛が太くて可愛くない」という意見は見た記憶があるので
自分は三重県鈴鹿市出身で現在も鈴鹿市在住、幼い頃から鈴鹿という言葉に囲まれて育ってきた。
私の地元には鈴鹿と名のつく施設がたくさんある。遊園地、学校、山脈、企業、デパート等、様々な場所で鈴鹿という言葉が使われているが、それらはもちろん鈴鹿に縁を持つから鈴鹿を名乗っているわけだ。
そんな自分が同じく鈴鹿を名乗る、新進気鋭の俳優「鈴鹿央士」を見ると、どうしても「鈴鹿央士って誰に許可得て鈴鹿を名乗ってるのか?」と感じてしまう。
そもそも鈴鹿という言葉の出自は非常に古く、地名の成立から定かではない。
最も古いところでは日本書紀(西暦720年完成)にも鈴鹿の名は登場し、それでいうと我々鈴鹿市民は1300年以上鈴鹿という地名を守ってきたことになる。由来も鈴をつけた鹿がいたとか、鹿に鈴をつけて川を渡ったとか、古い地名によくあるように色んなふうに言われている。
だいたい鈴鹿をスズシカでなくスズカと読むのもその成立が古いことを表す証左だ。古代の日本では鹿のことを単にカとか、カノシシなどといった。もし令和の時代に鈴と鹿を使った地名を作るならスズシカだろう。でも鈴鹿市は1300年代々住民がその名を守ってきたからスズカと呼ぶのだ。
日本には他に鈴鹿という地名や鈴鹿と呼ばれる事物はない。正真正銘鈴鹿の民がずっと守ってきたからこそ、鈴鹿という日本語が存在するわけである。
鈴鹿央士に関して特段の説明は不要かと思う。それでも知らない人のために説明すると、彼は映画やドラマで広く活躍している俳優だ。最近だと2022年に大ヒットした木曜劇場のドラマ「silent」にも出演していた。要は期待の若手俳優である。
この鈴鹿央士なる人物がテレビに出てきた頃、自分はてっきり鈴鹿という名字は本名なのだろうと思っていた。しかし、名字は芸名で後からつけたものらしい。そうなると鈴鹿という芸名はやはり鈴鹿市に由来するような名前なんじゃないか?とちょっと期待してしまう。鈴鹿央士の芸名命名についてのエピソードがあるので紹介する。
央士が高校2年生だった2016年、ある映画のロケが通学していた高校で行われ、エキストラとして参加。その際、出演者の広瀬すずの目に留まり、広瀬がマネジャーにスカウトするよう進言した。
2018年、スカウトをきっかけに、東京の大学へ進学すると同時に芸能事務所に所属。広瀬すずの「すず」にちなんだ芸名として「鈴鹿央士」とした。
驚いたことにこの俳優は鈴鹿を名乗りながら鈴鹿市とは何ら関係がないらしい。ただ広瀬すずになぞらえて鈴がつく名前なら何でも良かったようだ。
鈴鹿の民が1300年守ってきた鈴鹿という地名、なんら鈴鹿との関係も持たない俳優が、ただ鈴が付く言葉なら何でもよかったという理由で自分の芸名として使っているのはなんだか釈然としない。
それに加えて情報汚染である。最近ニュースサイトでも鈴鹿が踊る題目をたびたび目にするようになった。しかし中身を開いてみると鈴鹿央士の話題である。テレビを見ていても「鈴鹿が〜」という話を聞くことがあった(日テレ系だったと思う)。なんだなんだとテレビを見るとこれまた鈴鹿央士の話題。鈴鹿と言うのに鈴鹿市関係なくガックリくる。
鈴鹿という言葉はこれまで我々鈴鹿市民が使い、我々鈴鹿市民のためにある言葉だったはず。どうして鈴鹿の地に関係のない人間の話題に吸い込まれないとならないのか。
鈴鹿市民だからといって鈴鹿央士の名にケチをつけるな、鈴鹿を名乗ることぐらいいいじゃないかというご意見ももちろんあることと思う。おそらく鈴鹿央士に対するこの憤りは、幼い頃から当たり前に鈴鹿という地名に囲まれてきた人間でないと通じない。なので1つ思考実験をしてみたい。以下はあくまでフィクションの話だ。
最近ハリウッドで新進気鋭のイケメン俳優がデビューした。身長190cm、ふわりとした金髪に青い目、スーツのよく似合う長い足は白人の特徴をよく表している。彼は芸名Mr. Japanを名乗り、現在もドラマに映画に大活躍している。
Japanを名乗った理由は意外だ。彼は学生時代、Justin Bieberに声をかけられそれをきっかけに俳優の道を歩むことになった。この道を進むきっかけになったJustinに感謝の気持ちを込めて、芸名はJで始まるものにしたいと考えた。別に日本に思い入れはなかったがJから始まる適当な単語でMr. Japanを名乗っている。
彼の活躍はニュースサイトでもよく見かける。「Japan映画が大人気!」「いま大注目のJapanに密着」。日本で生まれ育った私達が密かな期待を込めて記事を開くと、その中身はMr. Japanのニュースだった。テレビでもJapanの声を聞く。「Japanの演技は最高ね」「会ってみたいセレブはやっぱりJapanだよ」。メディアではもうすっかりJapan=日本のイメージではなくJapan=イケメン映画俳優になった状況に、日本で生まれ育ったあなたは深く溜息をつくのだった。
もしあなたが上記の思考実験でため息を付いた人物であったら、Mr. Japanに「誰に許可得てJapanを名乗ってるの?」と文句の一つでもつけたい気持ちになったりしないだろうか。そうであればその気持ちは今自分が鈴鹿央士に感じているものと同じものだ。
私は鈴鹿央士に特に攻撃的な感情があるわけではない。ましてバッシングしようとか活動止めさせようだなんてことは微塵も思っていない。ただそれでもやはり、鈴鹿市になんのルーツも思い入れもないのに勝手に鈴鹿を名乗っていることに、深い憤りを覚えてしまうのだ。
最後に、どうして携帯電話でスズカと入力して一発で鈴鹿と変換できるのか、それは鈴鹿市民がこの地名を大切にし守ってきたからこそなのだ。鈴鹿央士さんが鈴鹿市で1300年守られてきた鈴鹿という地名になんの思いも持たないのであれば、さっさと改名してもらいたいものである。