はてなキーワード: トドメとは
みんな増田が釣りばっかだと分かっている上で何か面白いことを言おうとしているのにお前のその態度は何だ。
釣られまくりな雰囲気出しまくりのブコメを見て「増田が釣りだと分かっている人が少なすぎる」と思ってしまう時点でまず一段階お前は他のやつより下だ。
皆分かっていて釣られているんだ。
釣られまくりながらも面白いことを言おうとしてる中で単に「みなさんこれは釣りですよー」とだけ言ってしまうセンスの無さ、釣りを看破するにしても面白く言おうと思えない・または出来ない時点で二段階お前は下にいることになる。
そしてトドメに釣りだと認定する根拠を全く述べられない観察力、分析力、表現力、その他諸々の人間力の不足、これらをまとめてお前は三段階は他の奴よりも下のステージにいるってことだ。
分かったか?「やれやれバカどもが釣られているぜ」なんて思ってるお前自身が実は他の奴よりもずっとお馬鹿だったという事が。
分からないか……お前らの頭じゃ…
私は「出会い厨だったのかよw」と内心思いつつ「既婚なので無理なの」とさらりとかわした。
ま、その後もAと親しくツイートを交わしていたのですが。
ある時、私が肉体的にも精神的にも弱っている時にトドメを刺すようなリプをAが入れてきた。
なぜか上から目線。私が全面的に悪い訳ではないのに、私を責めるようなリプ。
私はそのトドメリプに対して悲しくなったけど、大人の対応で無言対応した。
A的には私は妻のような存在だったらしい(一度も会った事ないんだけど…)
で、私が凹んでいたらフォロワーのBちゃんが「大丈夫? Aはヤバイからブロックしな」と助言してくれた。
Bちゃん曰く
聞けばBちゃんもAのかつてフォロワーだったそうな。
他愛もないツイートに対して、上から目線で馬鹿にされたんだって。
Bちゃんの助言を聞いて、私はAをブロックした。
それが二年前のこと。
先日、戯れにAのツイートをチェックしたら未だに私の事を悪く言ってたw
なんだか残念な男性だなぁと思った。
http://blog.masuidrive.jp/2014/11/06/optimization/
現状の憂いなき状況(支離滅裂に書いてる)
わけわからんほどのメーリングリストが飛んでくる。またそれを追えという
>>は?そんな時代は終わったはずなんだけども。。。。。。。
>>> えっとメールというツールの使い方をそもそもとして間違えているよね。今の時代に
その場しのぎのビジネスロジックの追加でやっている事はシンプルなのに複雑性をます運用保守
>> 守る事のほうがビジネスの価値を証明するのが辛いのにそれを呆けた結果でしょ?
>> それを真剣に議論した?時間が風化させるものはほとんどだけども、それを保守する人間に「そんな悲しい事いわないでよ」って言われてもどんなに頑張ってもモチベーション上がらんでしょ。。
世の中そんな綺麗なシステムは存在しないし、そんな夢のようなシステムがある所に自分が行けることはないとは分かったとしても、せめて中二病的な何かが日々があればいいと思うけどもそれも何もない。
>> デプロイ一人ぼっち(大きな声で「リリースいやっほーい!!!!!!!」って声だしてもいい雰囲気はナシ
>> IEで動かせ (は?お前ちょっとそこのヨドバシカメラでwindows8買って素敵って思えるならIE動かせって言っても許すよ)
改善をするものは世の中にあふれているはずなのに職人芸を要求するチーム(組織かもしれんね)。
>> よってセグメンテーションを小さくフォーカスすることが正義になる。
>> はいはい。言った言わないがビジネスにおいていいことなんでしょ。それを証明するためにダルい事すんだよね。
これだけアカンな事が一杯溢れていると燃えるよねと最初思ったけど、トドメの長老陣の洗脳化作戦
>> 離職率が高い所しか基本長くいなかったけれども、長期的にやっている人がこれほどまでに事業部を歪んだ形にさせることは逆に学んだ。
頭がいいってなんでしょね?とか賢いって思ってるかもしれんケド結局目の前の事を棚上げにした結果でしょ。
そんな事を考えてる自分に嫌気が差してくるから最近は能動的な振りして、何も考えないようにしたさ。
何故ならば割り切ったから。
上記の事は全部個に対していってるわけではない。
みんな大なり小なり思うことであり、その人がそう言った訳ではなく集団的心理がそうさせただけ
極論言うと誰も悪くはない
だったら潔く
IT技術を日常生活で活かそう: IT業界に必要なのは婚活かも?!
↑ここで紹介されてた↓のページ見に行った。
・「男児育成塾」~女性と出会うために:2014年11月8日(土)開催 | 体験型恋愛コラムニスト 神崎桃子のオフィシャルサイト
・「ナデシコ養成講座」~結婚の理想と現実:2014年11月8日(土)開催 | 体験型恋愛コラムニスト 神崎桃子のオフィシャルサイト
片や男性向けの方では、
片や女性向けの方では、
後者はいざ知らず、前者の「草食男子仕置き人」とか完全に客を煽っていくスタイルにカチンとこないような、本当の草食男子をターゲットにしていると考えればまだ腹も立たない・・・のか?
少なくともこういうのに行っちゃう時点で望みナシ。
トドメはこんな胡散臭いセミナーを市が主催してやっちゃってるところが救いようがない。
自治体がこんな認識ですよってアホ面をわざわざ晒してるような国だから、ずっと何も解決しないってのがよくわかる好例。
木崎湖みたくいつまでも聖地巡礼を忘れない人だっているのに、メガネブとかラグランジェとか夏色キセキとかっていうのは
どうしてこうも自治体はすぐ諦めるんだろう。
おねティ・おねツイ信者みたく、もしかしたら過疎だけど数人位は好きで聖地巡礼してくれてる人だって、今もいるかもしれないのに
早々に引き揚げていって採算が合わない・儲けが少ないから辞めるとか言ってるんだぜ。
最後までやり通す自信が無いんなら、初めから聖地巡礼で町おこししようなんて考えないで欲しかった。
あそこでキャッキャウフフしてたとか寝てただけでも聖地になるんだから、クローズアップ現代にトドメ刺されたと言っても
そもそもあんなアニメに登場しないような所にカカシ代わりの看板置いてちゃそりゃネタにされるよね。
静岡みたいにアニメ未開の地でアニメで町おこしをしようというのも無理があった。
メガネブに至ってはもはやどこの県でやってたかすら記憶にない。
司令103
暁48 10cm*2 33号
漣48 10cm*2 33号
陣形は縦・縦・横・縦。
それでも重巡は常にだれかがキラキラしてた。軽空母もたまにキラキラしてた。
1-1を3週分の支援旗艦のキラがとれる前(3回目)にトドメ終わった。
E1よりはかなり精神的に楽だった。
E-1より大破撤退率はかなり低いから、ケチらず決戦支援は最初からいれるべき。エコ支援でいいので。
最初はいろんなブログとかwiki鵜呑みにして電探ガン積みにしてたけど、wikiのクリア報告で連撃装備でもいけてるのがあるのを見つけて切り替えたら大当たりだった。
でもどうせ道中どっかで中破するから大して影響なし。道中で十分制空確保できるレベルだし。
連撃によってラスト旗艦に連撃で駆逐1あたり80のダメージを叩き出せたのがかなり大きかったと思う。
三式要員のために左ルートで禿げるよりは、駆逐連撃を加えた右ルートを繰り返して決戦支援を入れた方が早く終わると思う。
その際、入れる駆逐はこの編成程度の遠征要員レベルがあれば十分。
結局1回も左ルートは行かなかった。
思い入れがある所残念だけど、F-ZEROはもう用済みだと思うよ。
確かにF-ZEROはスーファミのローンチタイトルとして出た傑作だけど、F-ZEROで培ったノウハウを元にして大傑作のスーパーマリオカートが作られて、任天堂を代表するタイトルになった。
この時点で主導権は失ってる。実際、スーファミの次世代機として出た64ではF-ZEROじゃなくてマリオカートだったのがそれをよく表してる。
F-ZEROはというと、64のポリゴン性能で実現できて、かつマリオカートで表現できなかった「より立体的なコースによるレース(要するにワイプアウト)」をやりたいために超傑作のF-ZERO Xが出たね。
ゲームの出来は抜群だったけど64の頃はゲーム部分にばかりリソースを取られてグラフィックがいまいちだった。
それを解消できる次世代機ゲームキューブで出たF-ZERO Xの続編が極傑作のF-ZERO GX/AXだ。元増田は遊んだことあるかな?
これを遊んだF-ZEROファンなら、こう感想を抱くと思うよ。「完璧なF-ZEROだ」そして「これを超えるF-ZEROが今後現れるのか」ってね。
実際、宮本茂も海外メディア向けに「F-ZEROの新作を作るためのアイデアが無い」って話してたよ。トドメを刺されたと思ったのはやっぱマリオカート8が完全にF-ZEROの要素を入れてきたことだね。
個人的にはHD画質でF-ZERO GXをリマスターして欲しいと思ってるんだけど。
もう一方では「SFCのゲームをそのまま携帯機で遊べる」をアピールしたいのか、GBAのローンチタイトルがF-ZEROだったね。元増田は衝撃を受けたかな?
GBAでマリオカートを作るには性能に満足できなかったのか、GBAではSFCのF-ZEROをベースにしたF-ZEROが何作か出たけど、DS以降はマリオカートばかり出てる。
やっぱり用済みじゃないかなぁ。
「ちゃんとした大人になれ、と大人に摺り込まれてていたが、当の大人がちゃんとしていなかった問題」とどこかでで接続すると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140802002012 アニメオタクばかりでつらい
元増田の言いたいのはこういうことではないかと自分なりに想像。
アニメなどは卒業があらかじめ予定されている子供向け文化であり、大人になったら大人の文化
(それが何なのか子供には知る由もない)を嗜むものと思っていたが、だんだん大人に近づいていくと、
目の当たりにしたのは、当の大人がそのアニメ文化を卒業していないだけでなはなく永遠の少年気取りを続けているか、
さもなければ、「フォーマットは確かに子供用のものかもしれないが、もはや内容は社会一般を対象にしたものであり、
もしそうであれば共感できる。
俺も20年前の大学時代、新書版で済ませるいい加減な学生である自分を恥かしいと思い、原典にきちんと当たるような努力を
惜しむ自分は、少なくとも学問的なものに関しては何か述べる資格はないと思っていたが、
いまや東大生でも新書レベルの読書で仲間から尊敬されるという話を聞き、
また、引用の引用レベルのモノを自分の意見のように言う奴(数年前の勝間とか)が本筋の人たちから半殺しの目にあわない状況を
「信じ込まされていたものがそこにはなかった」
という敗北感を認めずにはいられない。
要するに元増田も俺も、
大人の綺麗事をまともに信じ、残念な少年時代を過ごした
ということではないだろうか。
まあ、アニメではないものの、全共闘世代(今の60歳代後半)が大学生の時代に少年ジャンプを手放さなかったのはよく言われている事実だから、
観察力が足りなかったことは間違いない。
【追記】
気がついたら、こんな下手な文、しょうもない内容なのに、はてブの学びカテゴリーに登場していてびっくり。
もっとも、内容そのものというより少年ジャンプと少年マガジンの取り違えがツッコミポイントだったようだ。
勢いで書いてしまったが、もっときちんと推敲してから書けばよかった。
俺は、ひとつには「アニメが子供専用ではないということに気づくチャンスは、その子供だった時代にすでにあったのに、それを見逃した自分が残念だった」と書いたつもりだったんだが、
「アニメが子供専用のものと受け止められていた時代があった」という前提を共有してない20代、30代の人には「最初から認識が間違っている人」になるらしいことが分かった。
勉強になるね。いやマジで。お互いの頭の中にある指示対象のズレを意識できた。
もうひとつ、ルールなんか上書きされるもの、そんなものを頭から信じこんだ奴が馬鹿、というのは、後からなら何とでも言えるが、
そういうボンヤリさんが、ここに一人いたという話です。
結局のところ、グローバルにビジネスを展開する以上、そういうところの配慮は必ず生じるわけで、
いちいちそういう対応してらんないよ、というのは、どこまでいこうと企業側の甘えでしかない。
もちろん、これからは日本のソフトでも同性婚ができるとか、逆転裁判で死刑がなくなって狩魔豪が生きてるとか、
ドラクエ5で公式にルドマンと結婚できて子供も生まれるとか、ポケモンでオス同士メス同士で卵が生まれるとか、
そういうことがどんどんでてくる。
で、そういうのは日本の文化からすればありえない設定なわけで、ユーザーが離れて日本市場はどうしようもないぐらいに今以上にズタボロになる。
これは、いちいち日本とアメリカで対応を分けるなんてことにリソースを割いてられないんだから、当然より自由な方に合わせるという当たり前のことである。TPPバンザイ!
ブクマで書き切れないのでちょろっと書く。眠くなったら途中ででも問答無用で寝る予定。
>険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア、西アジア方面へ制度や文化を発信していた。
これは文化に優劣があるという誤解。実際には文化的に優れていたから広まったのではなく、単に国力で卓越していたから、その文化にも「力」があったように見えた、ということ。
その上で冊封体制に参加すれば強烈なボーナス付きの貿易で莫大な経済的メリットまで約束されていた、という時期があった。
もちろん、中華帝国側にしたら、遙か彼方の蛮人たちまで皇帝の威徳を慕ってやってくるんだ、とドヤ顔で言うために出費を負担していた、ということでもある。
実際には日本の諸制度は聖徳太子ぐらいのタイミングで既に何か中国とは違う物になっているし、さくっと遣唐使を廃止してしまえたことから分かるように、中国からの影響は小さい。
遠すぎて経済的なメリットが薄かったのと、なんだかんだで日本が案外豊かだった、というのが大きい。
>伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族の文化を「漢化」した。
これも誤解。実際には三皇五帝の伝説の中身からして、すでに異民族の文化が混ざってきている。以後の中国史を見てても、外国から持ち込まれた要素と引き継がれている要素が常に混合し続け、常時アップデートされ続けている。
どっかで
「中華文明が連綿と続いているというのも、異民族文化の影響を受けすぎて原型など残っていないと言っても、どちらも正解でしょう」
と書いた通り。
ただ、現代中国人は孔子とかの時代の漢文を読めない(補助記号足したら日本の高校生でも何とか読めるようになるものが読めないってどういうことだってばよって感じだが)。その意味では一貫した中華文化が続いているというのは嘘ではある。
外来王朝が漢化したように見える現象は、単に中国大陸主要部を支配するためのツールとして漢字や儒教や科挙制度が便利だったというのが大きい。文化的な魅力が大きいからそれによって「改宗」していたと思うと足元を掬われる。
つまり、
>優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸の国家は確かに存在していた。
というのは実は誤解に基づく幻想。問題はその幻想を大変多くの人たちが信じていた/いること。
>共産主義の下、さまざまな伝統が破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。
文化大革命の時期とかは何かを破壊するのが流行ったことはあったけど、現在の共産党政権(と先代の国民党政権)が歴代王朝と何が違うかと言われると回答に窮する。
あえて言えば科挙がないことと、皇帝位の継承が血統でなく有徳者の禅譲によっていることぐらい。
共産主義に何か意味があるように誤解しているが、実際には何の意味もない。あえて言えば五斗米道とか白蓮教のような、たまに中国史に影響を与える宗教の一種、程度に過ぎない。
日本版の律令制度自体が最初から中国のとは結構違うし、律令国家は早めに見れば平安時代、どう遅く見ても武家政権によって無効化されている。
孫子読んだら分かるけど、軍制の本じゃないので、影響がどの程度あったと言われると「あんまりない」としか言えない。
要するに中国の文化が優れていた、制度が優れていた、周辺の大きな影響を与えていた、というのは誤解の要素が大きい。
地続きでもっとも影響を受けていたはずの朝鮮半島ですら15世紀にはハングル作ってるわけで、推して知るべしである。
>昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人や君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。
がすべて、ということ。
日本が清にトドメを差したわけでもない。日本の行動はそれこそ劉邦を包囲して屈辱的な和平条約を強いた匈奴と大差なく、何かが変わるという類の物でもない。
列強による清の分割は既定路線で、日清戦争が与えた影響は、単にプレイヤーの一人として日本が名乗りを上げたという程度。
その後の義和団の乱によって、列強は中国大陸を直接支配するのは効率が悪いと悟り、利権だけを確保しつつ清は存続させる、という方針に切り替えている。
ロシアだけはやや違うことを考えていたが、日露戦争の結果としてそれもなくなった。
それ以後の中国史の不味い部分は、大体は中国側、特に蒋介石の無能と日本の外交下手によって引き起こされている。
>この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。
これが一番大きな誤解。
歴代王朝は普通は常時勢力の拡大を指向していた。つまり今の動きの方が普通。「対等な外交関係」の存在を理解できないという致命的な欠陥を歴代王朝は持っていたが、それと同程度の話。
官の腐敗を止められないのも、村落共同体が武装していて警察力がその中に及ばないのも、私的所有権が政府によってたびたび脅かされるのも、すべて歴代王朝にも見られる特徴で、何一つ変わってない。
あえて言えば鄧小平が生きている時代に泰山に登って封禅ぐらいはやっとくべきだったかもしれない。
つまり中国政府が今本当にやるべきこととは(過去の栄光などまったく関係なく)、歴史上一度も成功したことのない難事に挑むということである。
自分の上達を感じる瞬間は?
人によって答えは千差万別だろうが自分は「賭けに出る瞬間」が最も楽しい腕の見せ所だと思う。
「賭けに出る瞬間」とはつまり、「勝利へ向かう様々な選択肢の中から自分なりの最適解をこれだと決めつけるぶタイミング」だ。
時にそれは崩されうるセオリーと心中する覚悟を決める形をとり、時にはセオリーを切り捨てる形を取る。勝負によって千差万別だ。
勝負が決まりそうな状況で一気に勝利条件を目指しに行くか、相手の隙を伺うために一手遅らせるか、その判断が勝敗を分ける瞬間はゲームにつきものだ。
むしろそれが無い遊びはゲームには相応しくないとすら言える。それはただのテストだ。能力を測ったりただ数字を積み上げるだけの作業だ。
RPGにだって「ここは回復魔法を使ってジワジワと戦うべきか、それとも一気にトドメを刺した方が勝ち目があるだろうか?」と考える瞬間は存在する。
だからこそRPGは物語を追いながら作業が出来る道具ではなくて「ゲーム」なのだ。
「ジャンプするタイミングは今か?それとも少し後か?」「敵は右に動く?それとも左に動く?自分はどちらに合わせるべきだろうか?」
勿論そんな小さいものではなく「遠くからチマチマ行くか、近づいて一気に倒すか」といった大きな賭けも存在する。
選択を間違えた瞬間に敗北が決まる、その瞬間にこそゲームらしさは存在しそれこそが醍醐味なのだ。
私はこの「選択を間違えたら勝負が決まってしまう瞬間」という物が本当に好きだ。
麻雀のオリとツッパの選択、カードゲームでの相手の手札読み、自分の頭をフル回転させ自分自身の経験値を生かし切って今持てる最高の戦闘感を働かせる。
この時に頭のなかを過去の様々な勝負や自分なりの作戦・方針が次々と駆け巡る時間、まさにゲームをしていると感じる。
勝った時の喜びも、負けた時の悔しさも、この考えを巡らせた瞬間の逡巡が何倍にもしてくれる。
ゲームの醍醐味は選ぶことが難しい選択肢にこそやはりあるのだろう。
そして、それは時と場合によって目まぐるしく変わっていくべきなのだ。
そうやって選ぶのが難しくなればなるほど、しかし論理的に経験的に考えれていけばどんどん答えに近づいていけるほどゲームは楽しくなる。
状況はこんな感じ。
飛び道具だと弾数の心配があるし、ヘッドショットを決めるのって難しい。
オノは抜けなくなるから論外。日本刀は2~3体ぐらい斬るとダメになるだろうな。
スコップはなかなか使えそうだと思った。押す、叩く、切断する、などができそう。
あと、やはり「槍」が最強だと思った。特に真田幸村が使ってるような十文字槍。
「槍だと刺さって抜けなくなるでしょ?」と思うでしょ?
違うんだな、足を狙って、移動を奪えばいい。
屋内だと、手前のやつの足を槍でザクザクやれば倒れて、後ろの奴もどんどん倒れる。
屋外でも、走って逃げつつ、近づいたゾンビは足元を狙ってザクザク。
倒れたところをトドメ指してもいいけど、フィニッシュ用の大きめのアイスピックが欲しいかも。
更にカーズみたいに腕に刃物をつけておきたいね。万が一近寄られた時のために。
あとアレ、武器じゃないけど鎖帷子を体に巻きつけるのは防御的に重要だと思う。
ヘルメットかぶって、登山靴をはいて、革のグローブをつけて、万が一かまれても
貫通しないような衣類を身に着けておくことが大事。
そうすればロメロゾンビの世界も、ウォーキングデッドの世界も、生き残れる気がする。
愚痴です。不満の声です。主観的な、机上の空論です。ですが自分の中にある声を素直に吐き出しておきたいと切に思いますゆえ、自らがどこまで未熟であろうともそれを容認し、第一に自らの人生のために、ここに書き記します。オフラインのメモ書きで済ませることも可能ではあり、普段は主にそうしているのですが、今回はあえて人目に晒すのもよいかなと感じました。いつもの勢いでOKWaveに投稿しちゃうところでしたが、ふと匿名ダイアリーを思い出してヨカッタヨカッタ。
'
以前、意を決して赴いたクリニックの先生はとても高圧的で、こちらの罪悪感をいたずらに掻き立てる人だった。具体的に思い出したくもない人だ。そして不運にも、今回行った別のクリニックの先生も高圧的な人だった。決め付け、見下し、呆れて見せ、息を吐くように私にツバを吐きかける。声にならない声で「お前は碌でもないダメ人間だなぁ」と。ひょっとすると精神科医とは、こういう嫌な意味で事務的で冷たい人であることが当たり前なのだろうかとも思った。
だがインターネット上に散在する、精神科医の方やその患者さんの声を掻い摘んで読み、自分の中で咀嚼した結果、「私の神経は、人間である以上当然完璧と呼べるものではないものの、人間として至極まともである。私が掛かったクリニックの先生方のあの姿勢を自分の中で擁護などしなくてもよい。あの姿勢に対して感じた、自分の中のとても不快で嫌な感覚を安易に否定してはならない。自分の素直な気持ちを大事にしたらいい。」といった考えに落ち着いた。
私としては、そんな攻撃的な姿勢のまま人の心に接する仕事をして害を振りまき続ける事のできる神経はちょっと信じられない。罪悪感に胸を痛めている泥棒さんの方が、人間対人間として付き合う余地があるぶんまだマシかもしれない。患者をどれだけ乱暴に扱って気持ちを踏みにじろうと、理屈の粘土を塗り固めて造った巨人のような姿の“法律”や“知識”という強力な後ろ盾があるため、もしかすると泥棒より性質が悪いかもしれない。どんなにまっすぐで綺麗な心の訴えも“合法”という魔法の呪文で簡単に流し戻されてしまうのだ。診療所を構えて患者を呼び込んでおきながら、診察室の中は苦しむ患者を更に苦しめる罠で満たしてある。そして診療の最後には金を必ず支払わせる、という構図は、泥棒でなければ一体何だと言うのか。
これでは、ますます人が信じられなくなってしまう。ますます、自分はダメなやつであるという無根拠な信念が強固なものとなってしまう。そんな人生絶対にゴメンだ。
人の心に携わるお医者さんというのは、こういった不安に怯える心を救うお手伝いをしてくれる人ではないのか? 自分の価値観を患者に押しつけて、自信を無くさせてトドメを刺すのが仕事なのか? 愛で以って怨恨の連鎖を断ち切るどころか、逆に恨みの連鎖を自ら積極的に作り出し多くの人の人生を邪魔するのが仕事なのか? 嫌な思いをさせて、更に金まで取るのか?
理想論を否定し、現実を見ろと説教を垂れる人をたまに見かける。だが「理想を見ろ」と言う人を私は見たことがない。私はどちらかと言えば「私は現実ばかり見ていないで理想も見る」と言いたい。サンタクロースは居るかどうかわからない不確定な御人だが、サンタクロースを夢見るなどの純粋な気持ちは、人間が何のために生きなぜ心などというものを持っているのか、ということを確定的に教えてくれるように思う。
心は“見えない生き物”のような存在で、抑えつけられれば元気がなくなる。心の持ち主に対し自分の声が届かない状態が続くと、だんだん姿がぼやけてくる。持ち主と心が正面から向き合うことなく、自由に躍動することを許されず、無視をされ続けることで、心というものの存在自体が、輪をかけて曖昧になってくる。
「この先生たちはもう、とうの昔に自らの心を捨ててしまっているのではないだろうか。」私の心の目にはそんな風に映った。心に携わる医者が心を持っていないだなんて、皮肉なものだなと思い、また同時に、この人たちとの関係は早々に断ち切ってしまうことが自らの人生のためによいと結論した。全てと取っ組みあって検証するには、私の人生は短い。
「精神科医というのは、自らの心を殺さねば勤まらない」という結論を、多くの人が出したのかもしれない。上述したように、ある観点において人生は短いと言える。その短い人生をより良く生きるために導き出された、至極真面目な答えなのだろう。私は恐らく一生その結論には至らない。なぜならそれは人生規模で本末転倒な結論であると感じるからだ。私からすれば、ふだん到底思いもしないような代物である。「へえ、そうなの」で気持ちは大体片付いてしまい、大した反感を抱くまでにも到らない。
'
というわけでなんやかんやで平穏を取り戻した自らの心にささやかな幸福感を覚えつつ、ここに筆を置きます。読んでくれた人はありがとうんこ。
昨日の暑さで水をがぶ飲みして腹が緩くなっているところへ、電車のバカみたいな冷房風がトドメを刺した。便意が来て1分も経たず限界が訪れた。抵抗は無意味だった。しかし満員の特急の中で、焦ったところで何が出来るだろう。俺は平然とした顔でパズドラを続け、ドアが開いてもゆっくりとした足取りでトイレへ向かった。もちろんこぼれ落ちない為にである。
いつも使う空いたトイレは遠い。近場の、混んでいるが室数の多いトイレへ向かいパズドラをやりつつ待つ。
被害はズボン内部にまで及んでいた。パンツはともかくズボンを破棄するわけには行かない。丁寧に拭いて水分を取り、履けるようにする。この間15分。この程度のタイムロスは見込んで家を出ている。遅刻はせずに済みそうだ。
時効だと思うのでそろそろ書いておく。あれは高校の2年の時だったか。クラスですごく嫌なやつがいて正義感の強いボクはなんとか締め上げたいと思っていた。
相手は体格がごついが俺も割りと身体がガッチリしてるほう。しかも筋トレで鍛えてる。ある日体育で野球をやっていてたかし君のチームと当たった。
たかし君というのはぶっ飛ばしたいくらいムカつくやつの名前。たかし君はクラスの人気者だったが人間性に少し難があった。
女遊びが荒いので有名であった。ムカつくのでゴール前の小競り合いになった時にエイヤッとばかりに思いっきり彼の弁慶の向こうずねを蹴り上げてやった。
たちまち声にならない声をあげてうずくまるたかし君。俺はざまあ見ろと思った。サッカー部の彼にとって脚は商売道具と言って良い。
そんな脚を負傷して彼は部活でも活躍できなくなった。彼はのちに暴走族仲間に襲撃されて片目の失明を含む大けがに遭ってトドメを刺されることになる。
数奇な運命で俺と同じ大学になったたかし君だが、当時の華やかさは今の彼にはない。大学卒業して今はフリーターしているようだ。
たまにたかし君の近くの薬局でばったり出くわして気まずい思いをする。ひょっとして俺が彼の人生を壊したのだろうか。まさかな。
だが彼に人生を壊された人間の数を思うとこれくらいの報いは受けて当然である。それは断固たる信念だ。声を大にしてここに書き記しておく。
アパートのすぐ隣に大家が住んでる一軒家があるんだけど、大家のババアがうざい。
もともと女性限定物件だったせいもあるんだろうけど、なにかと干渉してくる。
東京なんだけど、「地震が多いからもの積むな」「燃えやすいもの気をつけろ」「あら!それ何!?」とか。
わかってるっつーの。お前が神経質すぎ。常識的な範囲でちゃんとやってるだろ。
トドメは「男性だからそういうことわかんないのよね~(苦笑」って男を見下してヘラヘラしてくる。
それなら男入れるなよバーカwwww
地震対策の棒とかあるでしょ、とか言ってきても別にお金出してくれるわけでもねーし。店子の自発的な行動だけに期待してるカス。
何かと俺を心配するフリして部屋の心配をしてるだけってのが透けて見えるくせに「あなたのことを思って言ってあげてるのよ?」って恩着せがましいことこの上ない。
「いや、あんた部屋のことが心配なだけだろ?調子のんなよクソババアwww」とよっぽど言ってやりたいけど言えないチキン。
amazonが頑張って、家電量販店は大慌て。それが現状としてその先を考える。
amazonはそういったショウルーム化している家電量販店に対しては特に積極的なアプローチをしていない。否定もしていない、消極的な肯定だ。もし積極的なアプローチ、つまりショウルーム機能をamazonが内包したらこの現状は大きく崩れる。
ショウルームでは好きなだけ商品を手にとって現物を確かめる。店舗には見回りの人間を配置。商品の説明、解説は動画形式にしてその場、もしくはamazonの商品ページから自由に閲覧。それでも分からない質問があればビデオコールセンターで専門アドバイザーに聞いてもらう、この時のビデオを編集、関連商品にタグ付けして解説動画の更なる充実を図る。ビデオコールセンターは店舗からの質問に対してのみ応対することで、ショウルーム来店のメリットと、店舗営業時間に合わせたアドバイザーの使用を実現。買った商品は基本的に配送のみ。店舗は展示スペースのみが必要なので店舗ごとに倉庫スペースを作る必要はない、省スペースな店舗は郊外ではなくて都市部に集中展開(ここら辺はあんまり今の量販店と変わらんかな)。倉庫と物流は現時点でamazonが有しているものを使えばいい。
こんな感じだろうか。amazonがこのモデルに開発コストをかけるのは厳しいように見えるけど、家電量販店を買い取ってしまえば特にめんどそうな人材開発も簡単に出来そう。
ショウルーム自体のランニングコストをどう回収するかがネック。コストコみたいな会員制サービスにするなり、入場料は回収するが入場チケットに記されたコード入力で入場料分の割引がamazonでの購入に対してされるとかかな。でも家電量販店がなんとかなるしまわると思うのよ。
今現在はショウルームコストがamazonにとって外部化しているからこその利点もあるけど、内部化することで家電量販店にトドメをさしてネット販売家電店が最強になる時代が来るんじゃないだろうか。
こんなこと言っても、amazonはマーケットプレース化していて売主じゃなくなるって話もどっかに乗ってたしこれはアリエナイ話かな。一方の家電量販店が生き残るために積極的にショウルーム化を進めていくのはアリエルかなあ。