はてなキーワード: スパルタ教育とは
私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点取ると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した。
https://twitter.com/hiromi_kanzaki/status/826965836497719296
「40歳になってもエイルガムのプラモを破壊された時に母親を殴った事を自慢している」事ばかりが取りざたされ、死んで当然の極悪人と扱われている被害者だが
もしもこのツイートが真実なら、あのように育つのは無理からぬ話であったと思う。
激務の事務次官は家に帰れず妻に被害者の子育てを一任していたわけだが、配偶者不在の子育てというものは力での支配が容易であり、それを阻止する者がいないため簡単に歯止めをなくす。
エリートの妻である母が「偉大な夫に相応しい子供を作らなければならない」というプレッシャーを受けていたことは想像に難くないが、
そこで暴力という安易な支配に溺れ信頼関係の形成を怠った結果暴力が親子の法となってしまい、息子の身体成長によって力関係が逆転した時言葉による説得は既に意味を持たなかったのだろう。
(息子が容易に母を殴れたのも恐らくは母親から「力が強い方は不当に相手を苦しめてもいいし、哀願を聞かなくていい」と学んでいたからだ)
被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、
だからといって現代であれば明らかに教育虐待に分類される育成を施し、さらにその記憶もないと言い出すような母親(支配の段階にまで達した教育ママというのは概ね狂人であり、暴力から嘘までかなりの事をしでかす)の証言を一から十まで鵜呑みにして全て被害者が悪であったと述べるのは危険を感じる。
狂人の息子に対して父親としての役割を遂行しただけであるから執行猶予を付けろ、等といった言説は論外である。
少なくとも十代の時期彼は真に被害者であり、単独で他の運命を選ぶことは不可能だった。違う道を歩むためにはサポートが必要だった。
父親は息子が廃人になった後でなく、母が圧政を敷いていた時や学校で爪弾きにされるようになった時期にこそかかわりを持つべきだったのである。
さて被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、(二回目)
恐らく巷の十代の少年少女には同じように過酷な環境で憂き目を見て、今まさに廃人になりあるいは(自殺を含め)殺されて行こうとしている者が大勢いる。
そうした子供たちに関して本件の反省は生かされなければならないと思う。
今後発生する似たような事案に対しても我々世間が今回と同じように「お前が悪いのだから死で償え」と鞭を振り下ろし続けるなら、それはあんまりだ。
娘をスパルタ教育で潰し、廃人となったそれを疎み粛清する事でリセット、己が被害者であると触れ込んで同情を得る……と言った事が成立する社会はあってはならないのである。(なお世間では既に事実として扱われている事務次官の供述は概ね信憑性を認められていない)
世間はもっと発育という事に関して理解を持ち、それが無理ならより高度なサポート体制が実現するように行政は努力すべきであろう。
この記事、記されているデータは正しいんだけれども、最後の2段落がおかしいんだよね。
これ一時期に「イクメン」がもてはやされた時期にやってたのと同じことをやってる。
1.妻と夫が家事や育児を行う時間は5年前や10年前と比べて大きな変化がなく、
2.調査を行った国立社会保障・人口問題研究所は
育児休業を取得する人が少ないなど夫の働き方が変わっておらず、妻に負担がかかる状況が続いているのではないか」と分析しています。
これそれぞれおかしいところがある。
1.は家事と育児だけを取り出して妻に負担が偏っているということを言ってるんだけど、仕事について語っていない。
これはデータから見ると正しいんだけど、報道なら夫の仕事にも触れないといけない。
「イクメン」の時もそうだったけど、男性の家事・育児の時間だけで労働時間については触れられないんだよ。
OECDのデータ見ればわかるけど、1日当たりで均した日本人男性の労働時間(451分)は先進国でぶっちぎりで上にはメキシコ(485分)しかいない。
フランスなんか235分しか働いてない。4時間以下だよ。それだったら、そりゃあ育児も家事もするよ。働く時間が少ない分むしろ、十分に家事してるのかなあ。
OECDのデータと記事とを合わせると、要するに、日本は男性も女性も限界なんだよね。
ちょっと前はこういうところには触れずに女性のパートも含めた一年の労働時間全体平均で見て、ドイツと日本を比べたりして生産性がどうのこうのとか言ってたね。。
いい加減NHKもやり方変えなよ。
日本経済○○会とか適当に持ち上げてフランスに連れて行って、「こんな働き方じゃフランスは国際競争力が足りなくなる」って言わせてくればいい。
「こんなんだからファッキンジャップしかわかんないんだよ」ってバカにされるだけだろうけど。
まあできないだろうし、批判もせずに受け売りで適当なこと続けるなら、N国なんかにぶっ壊される前に内部告発かなんかで一度崩れ落ちたほうがいいんじゃないの。
2.これも「育児休業を取得する人が少ないなど夫の働き方が変わって」の部分が明らかにおかしい。
公表資料の概要を見たけれど、育児休業に関して何も書いてないよ。
育児休業を男性が取ると評価が下がるとか色々不都合が起きる職場なんていくらでもあるでしょう。
子供がいるなら尚更将来のことを考えると働かざるを得ない人なんていくらでもいる。
それに保育士の低待遇とか経団連がハラスメント禁止国際条約を棄権せざるを得ないような労働環境とか色々な背景がある。
こういう出てるデータは正しいけれど、分析で適当に言うっていうの良くあるよね。
で、結局~しないやつが悪いみたいな精神論みたいにされちゃうわけ。今回は男性の意識が低いだね。
仕組みでどうにかしないところを精神論にするのは昭和に置いて来るべきだったのにまだ生きてるんだなあ。
国立社会保障・人口問題研究所もこういうこと言うぐらいなら、「育児休業が取れない職場に対してもっと厳しい罰則を設けるべき」
ぐらいは言ってほしいけど、まあ無理だよね。
働き方改革に合わせて適当言ってるだけで、結局はNHKに注目されてよかったってぐらいが関の山なんだろうな。
改めて言うけど、家事・育児・労働時間の問題は家だとか人の意識ではなくて社会の仕組みを変えないととどうにもならないよ。
こんな当たり前のことを何で指摘しなけりゃいけない記事をNHKは書くかなあ。
話は変わるけど、いつになったら日本に懲罰的損害賠償制度ができるんだろうね?
過労死させられて50万で終わりとか誰も働きたくないよ。
(OECD参考データ)https://stats.oecd.org/index.aspx?queryid=54757
[追記]参考までに「第6回全国家庭動向調査」の対象を記しておく。
「第6回全国家庭動向調査」の「2. 令和元(2019)年9月13日の公表資料」「概要」P.71図7-3より
常勤・パート・自営・その他の4つに分かれており、そのうち「その他」の大多数がいわゆる専業主婦を占めると注意書きがしてある。
nの値がおおよそそれぞれ以下のようになっている。
「その他」の比率を計算をすると2300/5300、約43%で、大部分が専業主婦なので、対象全体の4割程度が専業主婦だろうと推測できる。
常勤 :900
パート :1650
自営 :450
その他 :2300
[再追記]
元のNHKの記事のブコメとこの記事についてるブコメざっと読んでみた。
良いコメントがいくつかあったんだけど、2つあげる。1つずつあげて、他のブコメも参考にした意見を書く。
正直引用の仕方は良く分からなかった。はてな記法も分からない。
『http://www.ipss.go.jp/ps-katei/j/NSFJ6/NSFJ6_top.asp これか。質問が良くない。
余程客観的な思考ができる人以外は、正直なつもりでも、自分の分は多く答えて、夫の分は少なく答えるはず。
逆に夫が答えても自分の分は多く答える』
https://b.hatena.ne.jp/entry/4674395395461778050/comment/kei_0000
「調査票」を見ると確かにこの指摘の通りで、すると、NHKの記事の1段落目がおかしい。下に引用する。
これはおかしい。あたかも客観的なことのように書いてある。全部妻の主観なんだから。
例えば3人家族で食事をしてて妻が幼児にご飯をあげてて妻からすると夫は見てるだけ。
けれども、夫はしっかり見てて、こうやって飯をあげればいいのかとかと学んでいる場合もある。
逆の妻の労働参加の例を出すと、夫の自営業で家族経営をしてて、妻が雑用をこなしているとする。
しかし、夫の主観からすると妻はバイト以下のことしかやっていないので、労働に入らないなんてこともあり得る。
要するにこの調査は5年区切りに妻の子育てに関する見方がどう変化しているかってことだ。
NHKの記事の範囲だと、夫は頑張ってるかどうか知らんけど、妻から見るとまだまだだよ、っていうだけの話じゃないの?
それをあたかも客観的なこととして書くのはダメだよ。嘘に近い。
ブコメでの指摘もあったけど、男女の問題ではないのにあたかもそのように印象付けようとしている。
そもそも調査対象の6割が50代以上でほとんど若い世代はいない、29歳以下は2.6%しか占めていないっていう注意書きも必要だ。
『献立を考えたり日用品や食材の不足分を確認したりする、いわゆる「名もなき家事」』は
夫(共働き妻も)の場合だと家で仕事のことを考えたり、飲み会とかで上司の相手をいないといけない「名もなき労働」が言える。
飛躍はあるかもしれないけどこういう視点は労働にも取り入れたほうがいいね。
メディアは「名もなき家事」を夫もしろとは言えるだろうけど、企業に「名もなき労働」の金を払えと言えるのかなあ。
つまるところメディアも大企業なんだからよほど意識的にならないと、強きを助け、弱きを憎むことしかできないんだよね。
まあ、結局のところ、このNHKの記事にはゴシップ以下の価値しかない。
調査元が出した発表をそのまま受け入れで書いて、それを報道と言ってるんだから。
調査元の発表の「要旨」だけを見て。「概要」すら見てないんだろう。
俺も「調査票」は見なかったけど、報道するなら最低限これも見るべきだったね。
調査元の研究所のコメントだけで、専門家からのコメントもないし、他の調査と比べたり、大枠の視点もない、批判的にすら見ていない。
ランサーズに依頼でもしたのかな。NHKとしてあげろなんて言われたら俺なら恥辱のあまり膝から崩れ落ちちゃうね。
NHKはこんな記事書くよりも、元郵政民営化担当大臣・現パソナグループ取締役会長・現東洋大学教授・現内閣会議有識者議員等々であらせられる
竹中平蔵大先生に張り込んで、簡保の不正契約とか勤労統計の統計不正問題についていい加減さっさとコメント取ってきて記事にしろよ。
かんぽ生命の社外取締役にパソナの人間がいるってずっと言われてるじゃねえか。
(参考)https://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/company/abt_cmp_directors.html
もう1つのコメントはこれ。これは反論として出してるんだろうけど、視点が違う。
『ほい https://www.stat.go.jp/data/shakai/topics/topi30.html 家事育児時間と労働時間合計・自由時間の男女差。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4674419928868627554/comment/murasakizaru
このコメントが取り上げている時間の使い方の男女差は別の問題で、
言ってしまうと、家事・育児の時間についての記事を書くのなら、労働時間も取り上げないと報道ですらないということを言いたかっただけだよ。
それをNHKがしちゃったらもうだめという話。「イクメン」の時にやったんだから。学べよと。
自由時間の男女差があって幼児持ち夫婦のアンフェアは明らかって言うけど、はっきり言うとそれはどうでもいい。
繰り返しだけど、男女関係なく各夫婦が時間をかけたい分だけ家事・育児・労働できるよう、社会の仕組みを変えるべきだよ。
夫婦間で決めた時間配分なら(実際決める裁量があるかどうかは別として)男女差があっても全然構わない。
理想的な話になっちゃうんだけど、もし、ある夫婦で女性がバリバリ稼ぎたければ、男性が家にいて育児・家事ができるような、
男女共働きならちゃんとした賃金を貰っている保育士に預けられる仕組みが社会に必要だということだよ。
この指摘がもし平均して時間の使い方の割合は男女平等になるべきと言う主張なら、違和感があるね。
フランスなんかは幼児を放っておいたり、ベビーシッターに預けるんだけど、これは文化的なものだよね。
日本だと川の字で寝るなんて言葉があるけど、アメリカは子供と親でそれぞれのベッドで寝る。プライバシーだとか言ってね。
とすると、日本は就寝時間も育児をしてるということになるのかもしれない。
中東を見ると一夫多妻制のところもある。子育ての有り方は多様なんだよ。
各夫婦が上流中国階級風にスパルタ教育をしたいとか、あるいはフランス風に育児をしたいなら、
(もちろん独自でもいい)それをある程度できるような社会にするべきと言いたいのね。ずっと少子化って言ってるんだし。
大体、もっと海外留学生を日本で就職させようなんて官邸の未来投資会議でリーマン管理職を呼んでやってるんだから、
法人税をあげなきゃ嘘なんだよ。
この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)
曖昧さ回避 「ベートーヴェン、ベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
Beethoven.jpg
別名 楽聖
生誕 1770年12月16日頃
死没 1827年3月26日(56歳没)
活動期間 1792 - 1827
ベートーヴェンのサイン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。
目次 [非表示]
1 生涯
2 作風
2.1 初期
2.2 中期
2.3 後期
3 後世の音楽家への影響と評価
4 芸術観
5 思想
6 人物
6.1 名前
7 死因また健康について
7.1 聴覚障害について
8 親族
9 弟子
10 代表作
10.1 交響曲(全9曲)
10.2 管弦楽曲
10.3 協奏曲、協奏的作品
10.4 室内楽曲
10.5 ピアノ曲
10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品
10.7 宗教曲
10.8 歌曲
11 著作
12 伝記
13 脚注
14 参考文献
15 関連項目
16 外部リンク
16.1 録音ファイル
16.2 伝記
生涯
ベートーヴェン(1803年)
1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。
1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。
1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。
20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。
1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。
40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。
1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。
作風
初期
作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドン、モーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。
中期
1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。
中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。
これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。
後期
1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。
後世の音楽家への影響と評価
ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。
ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。
中でもワーグナーは、ベートーヴェンの交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。
一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークやチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルク、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ラッヘンマンにまで影響を与えている。
芸術観
同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルやモーツァルトなどから影響を受けた[7]。
ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。
思想
ベートーヴェンはカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスやプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。
また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。
政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒのウィーン体制では反体制分子と見られた。
その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。
人物
身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。
基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者と誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。
当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。
潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。
性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。
師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。
パトロンのカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。
テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。
交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントン・シンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。
聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。
死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。
これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。
メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番やハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。
彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。
パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。
コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。
名前
原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。
日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナー、ヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。
姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラント(フランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。
vanはドイツ語、オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。
偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。
詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照
死因また健康について
慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。
ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。
1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。
聴覚障害について
難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。
耳硬化症説
伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。
又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。
先天性梅毒説
「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。
鉛中毒説
上載の死因また健康についてを参照。
メッテルニヒ政権説
ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。
有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。
デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。
完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。
親族
フランドル地方・メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンス・アウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。
祖母:マリア・ヨゼファ
父:ヨハン
母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版) ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。
甥:カール(ドイツ語版) カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。
弟:ニコラウス・ヨーハン
同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。
弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。
弟子
カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。
フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。
ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。
ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。
アントン・シンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。
代表作
詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照
交響曲(全9曲)
第1番 ハ長調 op.21
第2番 ニ長調 op.36
第3番 変ホ長調 『エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]
第4番 変ロ長調 op.60
第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]
第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]
第7番 イ長調 op.92
第8番 ヘ長調 op.93
第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]
『レオノーレ』序曲第1番 op.138
『レオノーレ』序曲第3番 op.72b
序曲『コリオラン』ハ短調 op.62
交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91
『命名祝日』序曲 op.115
『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113
『献堂式』序曲 ハ長調op.124
協奏曲、協奏的作品
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61
ロマンス第1番 ト長調 op.40
ロマンス第2番 ヘ長調 op.50
三重協奏曲(ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56
合唱幻想曲 ハ短調 op.80
弦楽四重奏曲(全16曲)
第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1
第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2
第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3
第10番 変ホ長調(ハープ) op.74
第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95
第12番 変ホ長調 op.127
第13番 変ロ長調 op.130
大フーガ 変ロ長調 op.133
第14番 嬰ハ短調 op.131
第15番 イ短調 op.132
第16番 ヘ長調 op.135
弦楽五重奏曲 (全3曲)
ヴァイオリンソナタ(全10曲)
第5番 ヘ長調 『春』 op.24
第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47
チェロソナタ(全5曲)
ピアノ三重奏曲(全7曲)
第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1
第7番 変ロ長調『大公』 op.97
その他の室内楽曲
ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17
六重奏曲 op.81b
七重奏曲 変ホ長調 op.20
管楽八重奏曲 op.103
ピアノソナタ(全32曲)
第8番 ハ短調『悲愴』 op.13
第15番 ニ長調 『田園』
第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2
第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53
第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]
第26番 変ホ長調『告別』 op.81a
第30番 ホ長調 op.109
第31番 変イ長調 op.110
第32番 ハ短調 op.111
その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)
創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34
創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35
『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78
『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79
創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80
創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76
ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120
アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57
幻想曲 op.77
ポロネーズ ハ長調 op.89
7つのバガテル op.33
11の新しいバガテル op.119
6つのバガテル op.126
バガテル『エリーゼのために』 WoO.59
本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。
オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品
歌劇『フィデリオ』 op.72c
劇付随音楽『エグモント』op.84
劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113
宗教曲
ミサ曲 ハ長調 op.86
ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]
修道僧の歌
歌曲
アデライーデ op.46
汝を愛す
鶉の鳴き声
新しい愛、新しい生
口づけ
追憶
懺悔の歌
確かに、締切破りを治せない人は、子供の頃から時間にルーズというか、計画的に物事を進められない傾向にある。夏休みの宿題という物に関しても、おそらく学校では計画表を作ってみるもののその計画表を実行することはない。だから夏休みの最終日になって、ヒーヒー涙目で、親に怒られ手伝わせ、それでも終わらないから言い訳を考えるしかない……といった悪循環に陥ってしまう。
「まー俺、ガキの頃からクズだからwww」と笑いのネタにできるならまだいいけど、本人も責任感が強いのになぜか期日ギリギリでケツに火がつかないと重い腰をあげられなくて死ぬほど悩んでる人って、そこそこ多いと思うし悩みとしても自分クズですからと笑い飛ばせない位深刻だと思う。
思い出してほしい、子供の時のことを。
夏休みの宿題という、途方もない量のものを与えられて、嫌だー!こんなに沢山あったら終わらないよー!遊べないよー!と絶望しなかっただろうか。ここまではほとんどの人が感じることだからクズでもなんでもない。(勉強が大好きで仕方ない人ならそもそも大量の宿題が苦じゃないけど、そんな人間稀中の稀だから自分がそいじゃないのにそういう人間になる努力は無駄)
ここで選択できる道は2つ。
①見なかったフリして遊ぶ。
そして、②を選べない人、つまり①になった上に本当に夏休み最終日近くまで遊んで過ごせる人には、ひとつ決まった特徴があると思う。
それは、親が怒るだけでなにもしてこないこと。だと思う。
「宿題やんなさい!!やんなかったらご飯抜きね!」とか、「あんたいつ勉強やってんの!もっとしっかりしなさい!」とか「遊んでばっかりいると馬鹿になるよ!」
なんて怒るのだけは立派なんだ。でも、だからって一時間だけでもと机に縛り付けてその時間中後ろから監視して、「ほら、もっとキリキリ手を動かしなさい!」なんてスパルタ教育を受けた覚えはあるだろうか。たぶん、ないと思う。
本来、計画性というものは元来の性格にもよるけど自発的に生まれるものではない。いつまでになにをどのくらいしたらできる、というのは「習慣」だからだ。
その「習慣」を身につけるためにはなにをすべきか教えてくれる人はいただろうか。そして、どうやったら計画を立てられるのかといったところから教えてくれた人はいただろうか。
実は、この部分に教育が必要だと感じてない親ってのが一定数いる。自分の子供に計画性がないのは子供の性格がルーズだからであって、自分のせいではない。自分はきっちりしてるのに子供はだらしないから怒ってしつけてるけどさっぱり言うこときかないし、もういいわ!って感じの親。
確かに親がきっちりしてるのはいい。でも、それは多分親の親がしっかりと計画する、そしてそれをコツコツ重ねることを教えたからであり、自分の親に感謝すべきことではあれど、自分の子供のルーズさを叱る理由にはならない。
ウチの子なーんにもしないのよ!じゃねーんだよ。あんたがなーんにも教えてないんじゃん!って私は思う。そして、それを放置された結果、計画性を身につける機会のないまま子供は大人になり、将来苦労するのだ。
さて、子供の頃から締切破り癖のある人は、そんな親に心当たりはないかな…?だったとしたら、教育が悪かった。そうじゃなかったとしても、どちらにせよ計画性を習慣として身につける機会がなかったわけなので、環境が悪かった。自分がクズだからではないということだけ理解してほしい。
でも、そこで思考を停止させたらクズはクズのままだ。具体的に対策はある。しかもとびっきり簡単な。
それは、前の宿題の例のなかの②…日割りで目標を立てて実行する、これだけだ。
たぶん、これができない人は、おおよそ3つのチェックポイントで躓いている。
③計画通りにいかないときにどう立て直したらいいかわからないから計画立て損
計画を立てられないのは、全体像を把握できてないからだ。つまり、宿題なら何がどのくらい出ていて、ページ数はこのくらい、自分が一時間で出来るのはこのくらい……と、小分類くらいまでは把握する必要がある。
つまり、計画を立てるための時間も実は仕事や宿題のうちなのだ。
適当に感覚でぶっつけ本番で日割りして終わらせられる天才型には確かに無駄な時間なんだけど、そうじゃないから締切を破るんだと自覚したほうがいい。
計画を練ることには練習が必要だし、慣れないうちは難しい。親や身近な人に頼れるんだったら一緒にやったほうがいい。(これは、協力者の意識を協力させる方向に持ってくためにも非常に重要)計画を立てるのを面倒がる、阻止してくるなど厄介な人間しか周りにいないなら恥を忍んででも「それ」を依頼してきた人間に直接相談するのがいい。(宿題だったら先生ね)「終わらせたいと思い計画を立てたのですが無理のないスケジュールでしょうか?」と聞けば誰も嫌な顔をしないはずだ。普通。もし嫌な顔されたり相談乗ってもらえないならそのことは締切破ったときに文句言っても大丈夫。だって計画の立て方わかんないんだもん。やれないよね。
なお、計画するのが面倒だという考えも、計画も宿題のうちだと考えることで解決する。むしろ、計画さえ立ててしまえばあとはその通りやればいいだけなんだから計画が一番の宿題って言ってもいいほど。そこを面倒くさがるからお前は夏休み最終日に苦しむんだ。そこんとこ理解して。
わざわざきっちり計画を立てるのは、「夏休み序盤までにはあそこまで終わってればまぁ大丈夫っしょ」なんてふわっとした計画を頭の中でたてるだけだと実現しないからだ。じゃあそのふわっとした計画はいつどのように実行するんだよ?今?今は忙しい?じゃあいつやるの?やんないでしょ?じゃあ終わらないんですね。つまり何をいつまでにやる、そして何日までにこれが終わるといった明確な筋立てはやはり必要なんですよ。
計画を立てたことのない人はなんでもいいから練習してほしい。自炊の献立表一週間分とかでもいいから。案外時間はかかるし手間もかかるしめんどくさい。でも計画さえ立ってればあとはそれやるだけだから。実行するときにやるべきことを考えなくて済むのは、やるべきことを考えてくれた自分のおかげ。自分にも自信がつく。いいことずくめなんです。
たぶん、続かないのにも2パターンある。
②不測の自体でできない
①の場合、勉強を1日4時間やって一週間で夏休みの宿題を終わらせるなんてアホみたいな計画を立ててるときだ。それでやりきれるなら確かにあとの三週間遊び放題なんだけど、だいたいの人はそもそも1日に4時間も勉強に時間割けないからやめとけって思う。四週間でやりきるなら1日一時間でいい。そのほうがずっと実現可能な目標だ。どうせ締切日は新学期初日だし、早期クリア特典があるわけではないし、そもそも1日一時間なら三週間遊び放題と大差ない。遊びの時間を減らしたくなければ一時間早く起きることで本当に簡単に解決する。毎日俺と同じ時間遊んでるアイツが試験に合格したのなんで!?って驚かれるような人がやってる方法だよね。そういう人は寝てる時間も君と一緒。その一時間を生活に組み込んでるかどうかの違いだけであって、その人だけ1日が30時間もあるわけではない。
なお、続けて習慣化するとなんでもスピードアップしてくるから、最初のころは一時間かかった内容が10分で終わるようになったりということもざらにある。そうなると時間対比でも効率の上でも出来高が6倍になるから、だまされたと思ってやってみてほしい。一時間をクオリティを上げることに使うこともできるし、50分を寝る時間に回すこともできるってこと。徳しかしてない。
②に関しては生きてる以上仕方ない。ライン生産のロボットじゃないんだから必ずどこかで目標までやりきれない日がでてくる。でも毎日不測の事態が起こってるなら、その不測の事態を「起こること」と設定した上で計画を立て直しする必要があるし、不測の事態で1分たりとも自由時間がとれないのなら、提出先に相談する(自分の環境と状況ではできないとはっきり言う)必要もある。1日2日の不測の事態なら、無理のない計画さえ立てていれば他の日ちょっと頑張れば十分挽回可能なのだ。
実行していて時間が足りない、計画が楽観的すぎたと感じることは多々ある。夏休みの宿題だって、人によっては2ヶ月かけないと終わらないものかもしれない。
もちろん早く終わらせる努力は必要だけど、自分の全力を振り絞って、無理のない計画を実行してても終わらないときは終わらない。それは決して自分の能力が低いんじゃなくて、単純に自分のキャパを越えてるのだ。そこは個人差。
宿題なら……たぶん量の問題ではなく、その部分の勉強が理解できてないとかだと思う。それはいくら自分で頑張ったって仕方ない。わからないところを飛ばして、先生やわかる人にアドバイスを求める必要がある。わからないのは恥ではない。理解できないを放棄することのほうが恥。そのために先生は存在しているのだ。
このことに注意してやることで、後天的に計画力を鍛えることは十分に可能。
自分も、親に面倒がられてそのあたりを育てられなかったくちなので、普通の人と比べて苦労した。でも、親の教育を恨んだって仕方ない。自分の人生は自分で作るもの。だからこそ、人に直接害を及ぼしかねない癖は、自分で摘み取るべきなのだ。
就職組は18歳で強制的に結婚させ、20代のうちに子供を三人以上産むことを義務づける。もちろん共働きで、子育ては同居の両親にサポートしてもらう。保育園を望むものは非国民、税金がもったいないからありえない。
沢山生んだ子供の内一人以上は不妊夫婦のもとに養子に出すこととする。不妊夫婦には養子を二人以上育てることを義務づける。
障害児が生まれたり、両親が要介護になっても他人の手は一切煩わせず、家族の絆で乗り切ること。家族だから助け合うのは当たり前。家族から逃げ出そうとする者は人間の心がない、悪魔である。
悪魔は社会的に抹殺してしまってよい。酷い目にあうのも自己責任だから。
40代になると孫ができるので、今度は自分の仕事をセーブしながら孫育てをサポート。
そして孫も大きくなったら年金受給開始前に死ぬこととする。自然に死ねなかったら安楽死。スローガンは「老人は死んで下さい国のため」
エリート組は発狂寸前まで勉強させられる。本人が嫌だと言っても、それまでの投資がもったいないから道を外れることは許されない。天からギフトを貰った者が国に尽くすのは当たり前。
人権を盾に逆らおうとする者を抹殺するのも仕事のうち。国のために個人が存在するのであるから、国を脅かそうとするものを潰すのは当たり前。
エリートが子育てをすると仕事の効率が落ちるので禁止。でも優秀な遺伝子は残したいから、精子と卵子を採取して人工授精で代理母出産。教育のエリートのもとに養子に出して幼少時からスパルタ教育。
それでも15歳時点での成績が悪いと就職組に選別される。
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43年間生きてきたお母さまが得たモノは、ゲームばかりしている冴えない夫と、手のかかる子供達が3人。
平日も土日も関係なく延々と家事(食事の支度、そうじ、洗濯)をこなさなければならない主婦という名の奴隷生活。
そんな生活を余儀なくされたら、怒りたくもなるでしょう。
お母さまの怒りは、家族に向けられていますが、本来は、自分自身の人生の選択の過ちに怒っているのです。
ですから、ささいな個別の怒られる理由を改善したとしても、お母さまの怒りは収まらないでしょう。
今のままの生活が続くと、あなたや弟さんは結婚することが出来なくなります。
どんな女性もお母さまのように怒り続ける鬼になるかもしれないと思うと、女性とお付き合いができなくなるのです。
そして、あなたや弟さんは大人になってから、自分の人生を台無しにしたお母さまに復讐することになります。
家族離散するだけならまだマシですが、場合によっては殺人事件へと発展する可能性もあります。
悲惨な結末を避けるために、あなたがやるべきことは、怒り日記をつけることです。
日記のタイトルには、「スパルタ教育にはスパルタ介護」と書いておきましょう。
僕は、人に話しかけることが苦手だ。
人に話しかけなければいけない時は、いつも胃がきりきりと痛む。相手が見知らぬ他人だろうと、そこそこ知っている友人だろうと同じだ。
昔は、人の話に応対するのも苦手だった。でも、それは最近克服できた。人と話をうまくするというのは、単純に技術の問題だからだ。
ちゃんと話が続くような受け答えをその場で考えることができるようになれば、このハードルは拍子抜けするほど簡単に超えることができた。
「人に話しかけるのが得意な人」の素振りを見ていても、彼がしているのは単に「人に話しかけること」、それだけだ。
度胸の有無は、先天的なものなのだろうか。いや、そうではないだろうと、ずっと信じてきた。
ドキュメンタリー作家の森達也が「今でも取材を申し込むときはとても緊張する」と話していたのをどこかで読んで、僕は救われた気分になった。人に話しかけるのが苦手な人が、国内有数のドキュメンタリー作家になれるのだ。度胸は頑張れば手に入ると思っていた。
度胸を身につけるために、人に話しかけなければいけないような状況に自分を追い込んだ。度胸のスパルタ教育だ。
結果は、良いとも悪いとも言えなかった。確かに、前なら話しかけられない状況でも話しかけることができた場面は増えた。
でも同時に、やはり話しかけることができない自分もそこにいた。胃痛に負けて、話しかけようとした意志をなかったことにしてしまう。話しかけた時より、そうしなかった時の方が気分が落ち着く。
度胸は、青天井に伸びるものではなかった。これ以上努力しても無駄だと感じるようになり始めた。
彼も僕も、人に話しかける時は胃がきりきりと痛む。彼は、それでも人に話しかけることができる。僕には、それができない。
いつになったら、僕は人に話しかけることができるようになるのだろうか。
旧時代の人間がぐちゃぐちゃとうるさいが、こういう人たちはさっさと黙らせて染めあげてしまうのが一番だ。
具体的な方法としては、人間の本能に訴えかけるということ。楽をしたい、という人間の本能に訴えかけるのが一番だ。
今までの旧世界がやってきた人間を黙らせる方法というのはつまりは獣の理論だった。力でものを言わせ、従わせる。これが有効なのは獣に対してだけなのだ。
人間は獣でありながら獣由来ではない脳を持つ。この脳は獣にはない不思議な欲求を持っていて、それが楽をしたいという気持ち。
そこで技術の登場。テクノロジーで人を黙らせる。それが一番の方法だ。今まで何度やってもうまくいかなかった世界の塗り替えは、テクノロジーによってあっという間に達成された。
闇を恐れ神を畏れる古い人間達は、テクノロジーがもたらす新しい世界像の前に目を輝かせ、書き換えは完了した。
ニートとは一足早く次の社会像を幻視し、受け入れた人々である。(もちろん、本当はニートは嫌だと思っている人間のことではない。ニートをバカにする人間のおかげで足場を失い、精神がボロボロになっていると実感している人々のことである)
次の社会とはすなわち人間の欲求が極限にまで高められ達成された世界。フラット化した世界のことを指している。
この世界では「義務」は存在しない。子供を作る義務、年上を敬う義務、働く義務、そんなものは存在しない。なぜなら、人々にはすべてがゆだねられているからだ。何をするのも自由、何をしたいかしたくないかを把握し行動に移すことで幸せを得られる社会。これが未来の社会である。ニートは「働かない」という選択をした人間を指す言葉だ。
元来人に与えられた義務など存在しない。獣にはDNAレベルで刻まれた「子孫を残せ」という義務がある。しかし人間は肥大化した脳と作り上げた文明によってそこから解き放たれようとしている。
子孫を残すためにセックスをするだろうか。多分イエスと答えた人は社会で少数派になりつつあるだろう。妊娠させるということがセックスの一つの楽しみ方(シチュエーション)となることなど獣の世界ではありえない。獣は子孫を残すために交尾をするのであって、メスを妊娠させるために交尾するのではない。当たり前だ。
このように、セックスというもっとも本能に根ざした部分が、今や本能から離れようとしている。こんな社会で、義務だのなんだのと暗黒時代の風習を持ち出す、あるいは根付かせようとするのはそろそろナンセンスなのだ。
人間は自然の摂理から自らを解放するために社会を作り上げたのだ。だとすれば、当然、人間が負うべきと考えられてきた義務からも解放されていくだろう。
近年、マナーがなってないとか、子供があまりにわがままで困ったということを聞くようになったが、それはある意味当然のことだ。ただ、まだテクノロジーが人間の欲求に追いついていないというだけだ。
いずれ人間は一人になっていくだろう。しかしそれは孤独ではない。言ってみればある種の連帯感、というか一体感なのだ。繋がっているという感覚、全てが溶け合い一つになっているという世界観が主流になっていくだろう。
そこに不都合なものは存在しない。旧時代の人間から見れば「都合の悪いものを排除するなんておかしい」と強い反感を感じるかもしれない。だが、都合の悪いものを都合のいいものに「変えようと努力」してきた現在の歴史が間違いであったことは既に多方面から指摘されている。
些細なことでもそうだ。ピアノを弾くのが好きでもないこどもに、将来のステータスのためにと無理矢理ピアノを習わせるのが正しいか?将来のためにと親が子供にスパルタ教育を施すのが正しいか?やりたくないことをやらされ続けた人間のストレスは、殺人行為で発散されることもあるのだ。
人間が人間を操作することは出来ない。ならば、自分のまわりから自分にとって不都合な人間を遠ざけるのはごくごく自然な考え方だ。ネットでよくあるフィルタリングサービスも、新たな時代のスタンダードとなる考え方を反映させたものだ。動画サイトで、「死ね」をNG登録すればそのコメントは世界から抹消される。死ねとつぶやいた本人をリンチしたり洗脳したりして、死ねという言葉を発することができないように「教育」するのが間違いなのは、誰が見ても明らかだろう?
言うほどひどくないと最近思う
なんて言うか、なんだかんだ言って比較的ITリテラシー高いから
あれでも品があるんじゃないかと思う。
うーん。
昔だったら「そりゃ上澄みと底にたまった濁りをくらべちゃ無理だろ」という事を言ったんだが最近はそうでもないんだよな……。
何というか2ちゃんねる周辺の人間て良くも悪くもマイノリティが多くて、たとえばマイナーな板なんて、マイナーなジャンル過ぎて2ch以外では成立しないと言う板もたくさんある。唯一比較的人がいる情報交流の場が2chってな感じで。そういう人がまったりしているところが多いような気がする。
そして、正直言って2chって新しい人が大きな潮流になるほど流入していないってかんじがする。高齢化と言う話もあるけど、強力な同化圧力……というとちょっと違うなぁ、強力な染色力(朱に交われば赤くなる的な意味で)があって、個性を残したまま、しかし一見して2chと言う巨大な一つの生物みたいに見せかけようとする力が働くんだけど、その交わる色が、昔はとげとげしい攻撃色(食うか食われるか)であったのに対して、今はだいぶ落ち着いてきたというか。個人が気軽に交流するための場所が、他にもたくさんできたからなぁ。そして、そこでもんでもまれて、いろいろなことを覚えるというか、スパルタ教育というか、長年にわたって積み重ねられてきた、日本で最初に出現した大規模コミュニティサイトが培ってきた経験をたたき込まれるという傾向はあると思う。なんだかんだ言って住人はツンデレが多いし。
これを「情報リテラシーが高い人が多い」と表現するなら、確かにその通りな気がする。これは自分がにちゃんねるの初期のころから知っているせいかもしれないが。イメージを抜きにすれば、昔に比べてにちゃんねらは丸くなったと思うよ。
……というか、むしろそこより怖い場所(Yahoo!掲示板に跋扈する誹謗中傷の荒らしとか、加減を知らないガキ共の携帯文化とか、モヒカンだらけで気を抜くとすぐに食い尽くされて炎上の燃料にされるはてなとか)が増えたから、相対的にそう見えるだけかも知れない。
うーん。上手くまとまらないなぁ。
ただ、
と言うのはちょっと違うと思う。ニコ厨は若いぞ。かなり。にちゃんねらはすでに古いメディアになりつつある掲示板というコミュニティよりも、blogや動画投稿サイト、SNSと言ったものがすでにあったか、そこの息吹を感じて育った人たちが多いような気がする。
確かににちゃんねる出身のコミュニティも多いだろうが、しかし日本のインターネットのサブカルチャーを担ってきたメディアって、多かれ少なかれにちゃんねるの影響を受けているものなので(にちゃん語とか言われるものも、今ではすっかりネットスラングとして認識されているものも多いよね)そういった範囲……よく言って「比較的関係が深い」というぐらいかなと思う。
体罰は、体罰の名を借りて殺人を犯す奴が必ず出てくるから禁止しておいた方が「マシ」だよ。
当時は70年代の「スパルタ教育」に対する否定的な声がある程度一般化しており、そんな中であえてタブー視されている「愛の鞭」が、むしろ尊しという声も少なからずあったため、行政より咎められるほどの批判には至らなかった。
特に団塊の世代にとっては「古きよき時代」の言葉に代表される懐古趣味を暴力行為の是認とオーバーラップさせる傾向が強く、これは現在も変わっていない。
その結果同スクールの行為は訓練生(1983年・事件当時13歳)を舵棒(角材は誤報。しなりのある角材よりもより硬い)などの凶器で殴打し殺害するにまでエスカレートした。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%CD%C4%CD%A5%E8%A5%C3%A5%C8%A5%B9%A5%AF%A1%BC%A5%EB?kid=71497
当時は70年代の「スパルタ教育」に対する否定的な声がある程度一般化しており、そんな中であえてタブー視されている「愛の鞭」が、むしろ尊しという声も少なからずあったため、行政より咎められるほどの批判には至らなかった。
特に団塊の世代にとっては「古きよき時代」の言葉に代表される懐古趣味を暴力行為の是認とオーバーラップさせる傾向が強く、これは現在も変わっていない。
その結果同スクールの行為は訓練生(1983年・事件当時13歳)を舵棒(角材は誤報。しなりのある角材よりもより硬い)などの凶器で殴打し殺害するにまでエスカレートした。
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