はてなキーワード: そっ閉じとは
と書き出したが、書いていて嘘だと気づいてそこまで書いたものを消した。
確かに大したことないや、だったが、それ以上に次いつ出来るんだろうと思っていた。
10代はむっつり性欲モンスターだった。当時は珍しいインターネットを駆使し、エロ画像を集めていた。どんな若い女の人には少なからず性欲を抱いたし、それを隠すのに必死だった。すごいコミュ障だった。
洋楽ばかり聴き、邦楽はガガガSPを愛聴し、ゆずや19なんてナンボのもんじゃいと思っていた(なぜかゴイステにはハマらなかった)
周りは童貞ばかりだと思っていた。だから下ネタを平気な顔をして、女子なんて関わらないようにしていた。
高校を卒業して浪人した頃、周りがほとんど童貞じゃない事を知った。ショックだった。
そんな状況で大学に入って、2浪コンプレックスから周りとはあんまり関わらず、童貞くさい連中と仲良くしていた。
異性に対しては変わらずコミュ障だったし、なにより金がないことがコンプレックスだった(デートで金を使う事が凄い嫌だったのだ)。
風俗に行ける奴はまだ勇気がある。嬢に笑われたらどうしよう、ぼったくられたらどうしようなんとなく不安。そんなことでウジウジと自分は前に進めなかった。
大学を卒業して、東京に出て行くとき、全てがうまくいき、仲の良い先輩が記念にと童貞をもらっていただいた。
刷り込み効果で、もうその先輩が好きでたまらなくなった(遠距離ですぐにダメになったが)
しばらくすると東京で彼女も出来た。サルのように彼女を求めた。気づくと女性に話しかけるのも全然苦じゃなくなっていった。
童貞が自分の中で美化されたのもこれくらいからだ。伊集院光やみうらじゅんに共感するようになった。童貞「くさい」ものが好きになった。童貞っぽい話を聞くとわかるーとか共感していた。
極め付けは「モテキ」に共感しまくっていた。これは童貞でモヤモヤしていた自分だと。
時代は過ぎ、結婚して、30を超えたあたりからすっかり元気がなくなってしまい、性欲も落ちてしまった。でも、童貞マインドはまだ持っていると思っていた。
しかし、今回の騒動で童貞イジリはハラスメントだという言葉にまったくピンとこなかった。
確かに童貞時代にリアルでイジられたら本気で嫌だが、ネットでの言説である。あっちの世界の奴が何か言ってるとヒガミを拗らせるか、そっ閉じで終わっていたと思う。
しかし、この記事を見て気づいた。あ、俺はもう童貞じゃないんだと。
ボクがこれをRTした理由「はあちゅう氏のセクハラ問題と童貞いじりは別と考えます」|吉田豪・連載第五回
http://tablo.jp/serialization/news002670.html
ボクが漫画家の花沢健吾先生をインタビューしたとき、童貞を引きずりつづけている花沢先生はこんなことを言っていたわけですよ。
「だから僕は正直言うと、みうらじゅんさんとか伊集院(光)さんの『童貞を笑い飛ばそう』的な、ああいうのはダメなんですよ。
ホントの童貞はそれすら......たぶんモテる童貞とモテない童貞の違いというか......。
僕の場合、本当に先行き不安な童貞だったし、どこに言っても童貞じゃないかって思われるっていう、ゴールが見えない童貞にとっては、あれはホントに『ふざけるな!』なんですよ」
「ホント、バカにしてんのかと思って。何を思い出にしてるんだっていうような」
「ノスタルジックに浸ってちょっとしんみりしちゃって、モテる側でクスクス笑うぐたいの感じなんでしょうけど、ホントに現場の人間はもっと......」
「この苦しみをわかってほしいんですけど、そんなもの向こうは興味ないんですよね......」
あぁ、そういえば、そうだった。女の子に対して童貞を告白すると、「すごーい。むしろ大切な事だよ。結婚するまでそのままでいてね!」という反応が返ってきて、すごい傷ついたんだ。
俺はいつまで童貞なんだろうと思っていた。もう24だぞ。30まであと6年だぞと焦っていた。
世の中にコンプレックスを感じまくっていたし、後輩は、イケてないアイツは、童貞くさいアイツが童貞じゃなかったらどうしようと思っていた。
いつも心にどこかで童貞を抱えていた。隠そうとし、童貞を捨てられる日を願っていた。
そうだ、そんないいもんじゃなかったんだ。自分にかけられた呪いだった。
童貞は捨てたときに、こんなもんかと感じるが、それまでに必要な勇気だったりを童貞じゃない俺たちはすっかり忘れている。ブサイクで、コミュ障で、ケチな自分が凄く嫌だったんだ。変わった趣味を持つ事で目を逸らそうとしていたけども、やっぱり童貞は嫌だったんだ。
人間、いつかは子供の心を忘れる。子供の心を忘れないって言われる奴はいるが、それはまやかしだ。その頃に感じたことを同じように感じられるわけがない。
人はそれを成長と呼ぶんだ。
今、インスタグラムってすごく出会いやすいと思う。私も加齢で体型がゆるんできたので、憧れの人を見つけたくてインスタグラムでボディメイク系のアカウントを探してしばらく使ってたんだけど、すごく無防備な世界でびっくりしている。
出会いたい人にはすごいツールだし、そういうのちょっと…という人は気をつけて。その判断は任せる。
で、ここからの流れは推測だけど、
私はそういうの興味ないので出会い系サイトとか使ったことないんだけど、無料で使えるめちゃくちゃ普及しているアプリで、ここまで性的に好みな相手へのリーチができるのって、今までのSNSになかったと思う。で、びっくりしている。
私のような既婚子持ちって明記してあるアカウントにもいっぱい出会い系メッセージが来たので、そっ閉じして、今は鍵付きで女性同士でひっそりやってる。
ジムとかサーフィン行ってたりする、いわゆるパリピな人たちには当たり前の出来事なのかもしれないけど、ずっとネット民を静かにやってきたインドア系おばちゃんはとても驚いたよ。
私はネットでの出会いには特にいいとも悪いとも思ってなく、今の旦那はTwitterで知り合って「このひとの言葉と感性好きだなー」って見てて、数年後に実際会って、さらに数年経って結婚したから誰のことも何も言えないんだけど、やっぱりTwitterで知り合うには強烈なクラスタ属性(というか共通の趣味というか)か、文章力がないと、なかなかそこまで至らないんじゃないか。毎日自撮りアップしてる子とかを除けばね。
それに比べてインスタは視覚で「おお、好み!」って思う人が、先方のアルゴリズムでサジェストされてくるのよね。インスタはどうしたいんだ?出会わせたいのか?これはおばちゃんだからスルーできたけど、若い女の子たちが一番使う情報収集ツールがインスタらしいし、ちょっと心配だ。大人はさ、好きにやってくれたらいいんだけどさ。不倫で修羅場化したって自分のしたことだし…
で、オチは特にないんだけど。ひとまず思ったこととしては、自分の子供に対しては表現やツールに制限をかけるんじゃなくて、こういうことがあるよ、で、嫌な人はこう対処しよう、っていうのを教えようと思った。
ジャンプお色気騒動の件だけれど、子供に悪影響がどうのーこうのーという事で議論が白熱したけれど、自分がどう思うかというのを語っている人は少ない様だった。
でも私の見る限りではほんとうに自分自身はどう思うのかって言ってる人があまりいないんだよ。
私は、『少年ジャンプ』って名前に「少年」とついていても、もうとっくのとうに少年だけのものじゃ無くなっていると思うんだよね。
老若男女、読みたい人が読むでしょう。
「少年」というのは読者の範囲を絞るものというよりも、表現のレベルを大まかに示すものかと私は思ってた。
少年ジャンプなら、見ただけでゲロ吐きそうになるような酷いものはでて来ないだろう、みたいな。曖昧だけどそれなり安心感のある何かを期待していたというか。
『ゆらぎ荘の幽奈さん』は、私の中の「少年誌」基準を超えていた。これは無いわーと私は思った。
でも、あくまで私の想像する「少年誌」レベルだからね。自分でも私基準が確かって自信無いし。
もしかしたら自分は「甘口」ってバーモントカレーの甘口を想像していたけど、皆はジャワカレーの「甘口」が普通の甘口だと思っていたの?みたいな事を思ったりもした。
ともかく、私はゾーニングされてないとこに置いてある様な肌色面積とおっぱい頻度の漫画じゃないだろこれって思ったし、エロを読む気満々でない時に目に入ったら引く。
私は少年ジャンプにあそこまでのスケベを求めてはいないんだな。
昔からエロは普通に出る漫画雑誌なのは知っていたけれども、こんなに開いてびっくりしたのは初めてだよ。
ぬ~べ~やI"sがよく引き合いに出されてるけど、幽奈さんはそれらより裸体率圧倒的に高いじゃないか。
エロって肌色面積の問題だけではないのは分かって居るけど、でも単なる肌色面積も重要ではないのか?というのが私の考え。
そんであなた方はどう思うの?あれほんとうに普通?許容できるの?
私はあなた方の意見を読んで自分の意見を変える事は無いし、別に自分が異端であろうがなかろうがいいんだけど、皆さんそれぞれがどう思うのかを読んでみたい。
ふとした拍子に、夫の元同棲相手とおぼしき人のSNSアカウントを発見した。私は会ったことないけど、それとなくプロフィールを知っているので、そうと分かってしまった。どうやら結婚してこどももいるようだった。
夫はかつて、この人がほぼ無職で資格を取るまでの間、家賃や生活費を全部支払って、養っていたそうだ。別れた理由はちゃんと聞いていないけど、当時の二人を知る人から、腹をたてては物を投げつけられ、泣きわめかれ、作った食事をなじられて捨てられて、ということが続いて別れたのだと聞いた。いっぽう夫は優しい人で、まったく暴力的なところがない。驚くくらい、私を「やさしいね」とほめる。私はふつうで、単に癇癪を起こして人やモノに当たることがないだけなんだけど。
でも彼女のSNSには見事なくらいそういう暴力の影はなくて、世間は女性のキャリアに理解がないとか、高学歴の女性は迫害されてるとか、一定レベルの家事をちゃんとできる男性は少ない、そう思うと私はちゃんと夫を教育したとか、女の生きづらさを全然わかってないとか、そういったことが書き綴ってあった。キャリアアップに悩んでいる様子で、周囲の人々にたくさん励まされていた。キラキラしていた。なんだろなー、これは…と思って、そっ閉じして、それ以来見ていない。だけど、心の中がもやもやしたのでここに吐き出しておく。
見ても読んでもいない奴の雑多な愚痴と自分語りなので
お好きな方と良識的な方はそっ閉じしてください。
縄と蟹の次に出たあれの周りの話をする。戦車でもなく。
まず原作者の話をする。それから反応と原爆の話。
一応こうの史代は読んだんだよ。「夕凪の町 桜の国」って本だけ。
良いには良いんだろうけど、あれ言うほどすごいか?
俺マンガ全然読まない人生だったから正直わからん。
あれなんで登場人物を上から写すコマが多いの?
「町の中で生きている一個人」であることを強調するため?
だとしてもあれほど多用されるとかえって作品世界に入りづらかった。
一度同一化させた上で俯瞰を使うと逆に受け手が引き込まれる、というのは分かる。
でも同一化できないまま俯瞰連打だと本当に他人事にしか見えない。
「桜の国」の回想で字や細く薄くなる部分も、
回想であることを視覚的に表現しているんだとしても
描写の細かさが普段のコマと変わらないから単に見づらくしただけに見える。
トイカメラとトイカメラ風加工アプリの違いっていうのかな。
それぐらい回想が鮮明な記憶だったから?だとしてもギャップは付けないと伝わらなくない?
すごいがんばって勉強して書いたんだなあとは思うけど
マンガとしてあれがめちゃくちゃすごいとは思えなかった。
もっと手塚治虫とか読めばすごさが分かるのかな。
別のコマで伏線がどうとか時代考証がどうとか言われてもだからどうしたとしか思えない。
何が描かれてるかじゃなくて、どう描かれているかの話が俺には大事だ。
つか、同時に借りた高野文子「絶対安全剃刀」の方がすごかった。
バカな俺でもすごさが分かった。観音様のやつヤバい。なにあの出だし。
おばあちゃん閉じこめたシーンとかも実に恐ろしかった。
こういうこと書くと高野文子ファンに迷惑だろうけど。
んで、こういうこと書くと
「感性の違いなのかな^^;」
「歳を取ったらわかってくることもありますよ(笑)」
みたいなマウンティングゴリラズが出てくるわけじゃないですか。
そりゃあ信者死ねになるでしょう。
説明する気もなく「わかってる俺たちすごいな!」「流石だな兄者!」の内輪ネタの踏み台にするだけなんですから。
この構図を作られると作者が一番不憫でしょう。
でだ。
こないだクラウドファイティングがどうとかいう記事あがってたわけだ。
公開前の「宣伝が少ないのは情報操作だ!!!」もバカじゃねえのと思ってたけど。
「まるで理解できない感性。」
「増田はもう見なくてもいい。その分俺がいくから。」
「繊細チンピラって無敵だよね」
「現実感がテーマでもある作品で現実感を否定するって何見てたのよ」
「自分もエンドロールに載せてほしかったのかな」
こういう「すばらしい作品は骨の髄まで全肯定して崇め奉れ」とわめくボケナスどもは
作品それ自体に対しても有害だって気づかないもんかね?
そもそもクラウドファンディングなんて内輪ネタの延長線上だから気持ち悪いに決まってんだよ。
誰がどんな作品でそれをやろうと乗っかれなければ「くっさ」としか思えない。
それでも名作だったら、つまり運良く内輪に入れた人たちなら、それはとても気持ちいいだろう。
上にあげたクソボケブコメ群は「内輪ネタへの抵抗感」自体を全否定している。
この作品が良いと思った人は出資者や出資者への感謝を込めたスタッフロールの内輪ネタまでかみしめなければならない、
というファシズムじみた押しつけが発生している。
「映画は名作だった、でもクラウドファウンディングのノリにはついていけなかった」
こういう感想があっても良いだろ。
というか、そうでなきゃ作品それ自体を評価できたことにならないだろうが!
つーかこのクラウドファンディングで作るって手法、
作品と制作者をきちんと切り分けて読解するのには向いてないと思うんだよ。
作る前から情をかきあつめたり、作品の外側でストーリーを作ったり。
監督の渡航費だってファンディスクというかボーナスステージみたいなもんじゃね?
本来作れなかった作品がこうして生まれるのは良いことだけど、
作品それ自体がきちんと読解しにくくなるっていうのは善し悪しなんじゃないかな。
まぁネタが原爆だったり元プリンスさんみたいなことになってる人だったりで
最初から作品の外側にストーリーを盛る気マンマンだった恐れもあるけど。ねえか。ないと信じたい。
そういえば、原爆関連の小説を書いた林京子に関して中上健次が「原爆ファシズム」という言葉を出していた。
あれはどうも中上と林が同人関係だかで知り合いだったからこそ言えた話らしくて
身内でのゆるいツッコミだったらしいけど。
今回のアレもそのパターンに見えて仕方がないんだよ。
悪いけど俺ボンクラでこうの史代の良さがわからないから。
ここで一段落自分語りを挟むから流してくれ。
関東住みだけど原爆祈念館には数年前行ってきたんだ。
思ったのは、恐怖の力で反戦を訴えても別の恐怖に上書きされるだけだってこと。
なんでわざわざ部屋暗くしてお化け屋敷みたいなライトアップする必要あるの?
正しいことを伝えるためなら手段は選ばなくてもいいってことか?違うだろ。
沖縄のひめゆり?防空壕の語り部も同じ理由で反吐が出る。
大事なものこそ恐怖を使って教えるなよ。地道な理屈を通すべきなんだ。
もちろん「夕凪〜」はそうではなかったし、きっと「この世界〜」もそうなのだろう。
そういうスタンスは応援したい。原作者も監督も主演女優も。
でもそれを受け取る側が「正しいことを正しく言っているからすごい」だと
結局原爆ファシズム作ったのと同じ消費形態になっちゃうんじゃねえの?
何にしてもそうだけど「感動リテラシー」ってやつを身につけなきゃダメなんだよ。
強く感情を動かす何かが本当はどうであるかを見極める能力、っていうのかな。
ゲーセン少女のSS覚えてるか?
ああいうものをネタとして楽しみつつ深入りしない距離感、
あるいはああいうものに蹴りを入れてもかまわない、
とにかく内容や思想と技術を切り分けて考えるリテラシーが一番必要なんだ。
というわけで、誰かマンガとして、映画として評価してくれ。
いい感じの解説あったらよろしく。ネタバレはむしろ大歓迎です。
しかしまあ、作品を作るって大変だよね。
こうやって見てもいない奴にウンコぶつけられたりするんだから。
そこはごめんなさい。
友人にどうしてもと誘われて「君の名は。」を見に行ったが激しく嫌悪感に襲われた。
言いたいことは山ほどあるがそれぞれ大体言及されているから改めて言わないとして、とにかくもういい加減にしてほしいのはロリコン教育アニメはもうやめろということだ。
宮﨑駿が散々に使い潰した、思春期女子による性の目覚めを繊細な心理描写と褒めそやす文化にはもううんざりだ。
それでいて皆が美しいと褒めるのは性に目覚める前の純粋さである。
大人の女性を引き合いに出して、まるで汚物のように描くのはほんとうにどうかしている。
これだから日本人は女性が性に目覚めることを汚らわしいことだと信じて、いつまでたっても処女性が重宝されてしまうのだ。
江川達也が宮﨑駿に対して鳴らした警鐘の意味を理解していないとは言わせない。
宮﨑駿が去った後、庵野があれほどまでに処女神話を打ち砕いてくれたと言うのに新海誠なんぞという空気読めない男がまたしてもやらかしやがった。
まさか新海作品に巧妙かつ山ほど詰め込まれていたエロとバイオレンスを見逃したはずはないだろうな。
異性への興味、性器への接触、三角関係と略奪愛、BL、百合、大人への憧れ、大人同士のワンナイトラブ、口噛み酒の白濁とした変態性、よつはへのペド性、数え上げればキリがないが、断言して言えることは純愛は一つとしてなかったということだ。
(主人公同士の恋愛は吊り橋効果だと断言して良い。少しネタバレだが、彼らの恋愛が目覚めたのは会えなくなったことが直接の要因になっているからだ。)
でなければ途中からみつはがブラを付け始める書き分けはいらなかったはずだ。
あれは女性の心理的変化や成長を描くための演出ではない。お前らを落胆させるためだよ。このド腐れロリコン野郎どもが。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
内容の是非に関わらず、時と場所を選ばず声高に叫べば人は耳をふさぐ。
どんな内容かはもちろん大事だが、誰がいうか、どういうアプローチかというのも大事だ。
正当な言論はそれだけで力を持つが、それを担保させるならば言動も正当であったほうが効果的だからな。
ザックリいうならば「説得力」ということさ。
前向きに考えるなら、担保されないが故に好き勝手書ける、という場合もあるだろうがな。
そういえば、友達と焼肉屋で夕食をとっていたとき、近くで街頭演説をしている人がいてね。
内容は正確には覚えていないが、食用の牛一頭にどれだけの費用がかかるか、それをもっと他の場所に回せないか、みたいなことを演説していた。
まあ、当てつけというか営業妨害というか。
大義名分は結構だと思うが、それを免罪符か何かと誤解してズレたアプローチをしてもよいとまで考える人間がいるのはツライところだ。
ただ、友人はいつもどおりのペースで食べ進め、いつもどおり注文しすぎて残していた。
なんというか、大物になると思ったよ。
言論などにおいて、他者を納得させるために付加される力だといっていい。
それには論理的であることや主張の正当性……も必要だが、最も大きい要素は別にある。
全く同じ内容を、太っている人と痩せている人が話す。
もちろん、本質的には同じだ。
でもそれらを聞いた人はバイアスがかかる。
ネットでも「○○の時点でそっ閉じ」とか、みたいな文言があるよな。
現実問題、論理そのもので評価するだとか、綺麗ごとはとてもじゃないが言えない。
「共感性羞恥」とはドラマや映画、バラエティなどで登場人物や出演者が失敗するシーンを
共感性羞恥を持っている人間はそのような番組では視聴に支障をきたすほどで、
この「共感性羞恥」という言葉は「怒り新党」というマツコと有吉の両名(敬称略)が司会をする番組で取り上げられ広まることとなった。
いやいや待て待て。「わかるわかる、俺もそれだわー。辛くて観れないわー」じゃねえよ。
そもそもこの「共感性羞恥」とかいう単語を検索してもヒットするのは番組で放映されてネットで話題にみたいなのばっかりじゃねえか。
http://anond.hatelabo.jp/20160811110931
もう、こっからは惚気でしか書かないので、不快な人はそっ閉じしてくれぃ。
ももカフェにも書き込んじゃいたいよ!おっひょひょーい!
代々木公園でポケモンGOを彼女(いい響きすぎる)と一緒にやってから、
向こうの方が10歳近く若いし、100%無理ゲーと思ってたんだけど、
明日も行こう、明日も行こうと、気づいたら3日連続で会ってました。
一昨日は上野公園で彼女のコイキングをギャラドスに進化させて、
昨日はお台場のデックストーキョーあたりで電気ポケモン捕まえたのよ。
そのお台場の帰り道、駅まで歩きながら、
なんて聞いてしまったら。
もうね、我慢無理でした。この3日間がキラキラしすぎてて、楽しすぎてて、
死んでもいいと思ったね。
一瞬でミスティックにとられるかもだけど、それでも落としたかった。
で、手をつないでみました。
彼女、一瞬驚いた顔したんだけど、握り返してくれました。
いや、緊張で手から汗が吹き出して拭いても拭いても止まらないんだけど
たった3日間だけだったのだけど、
嘘みたいに、時間を忘れてずっとずっと話せてた。
興味ない話もあっただろうに、ニコニコ聞いてくれて、
彼女の話もいっぱいしてくれた。家族のこと、ケーキの美味しいカフェのこと、
実は、俺の仕事を良く見ててくれたこと。
http://toyokeizai.net/articles/-/121457
中日新聞で貧困特集をやっていて、最初の頃読んでみたら、離婚して金がなくなった母子家庭。
元夫が金を払わないという感じではなく、妻側がプライドでそうしたくないから、望んで選んだ貧困を子供に押し付けている感じだった。
自分の中で母子家庭の貧困は自業自得案件が多い印象。実際は違うのか知らないが、マスコミから伝わってくるのはそういうのが多い。
私は人嫌いである。
正直に言おう。
Facebookで起業家が、「会社のスタッフに感謝!」「ここまで来れたのはみんなのおかげ」などと従業員を気持ち悪いぐらいベタ褒めしたり(※これは組織化した経営者ならこういう行動を取るの理由もよくわかるが)、会社でパーティーをしている写真を見たり、有名なメディアに掲載されました!などと報告している投稿を見ると反吐が出る。
「誰もお前のことなんか知らねーよ、興味ねーよ」と率直に思う。
人が嫌いで、会社嫌いで、オフィスなんてこの世のからなくなればいいと思っている。オフィスや会議室で行う会議なんて人生の無駄以外の何者でもない。
人が嫌いなんて言おうものなら、そんな人間を雇う会社は何処にもないだろう。ただでさえ事業や組織の専門化、高度化、分業化が進み、やれチームワークが大事だ、コミュニケーションが大事だ、ダイバーシティが大事だと叫ばれている世の中である。
そんな世の中で、その暗黙の了解と常識の中で生きるのは、外向型の人間にとっては何てことはないのだろうが、内向型人間にとっては地獄である。
一人だとエネルギーも充電できるし、いろいろアイデアが湧いてくる。
大人数でやるブレストなんてだいっきらいだし、あんなものはバカが寄り集まってグタグタ責任のなすりつけ合いをしているようにしか見えない。いや、実際そうだ。
今の世の中というのは、何処へ行っても外向型の人間であることを求められ、内向型人間には非常に生きづらいのだ。
これは、何処へ行っても、会社を変えても、誰といたとしてもみんな一緒だ。
だから、私は一人になった。
一人で仕事をやることを決めた。
オフィスなんかクソ食らえ!
チームなんかクソ食らえ!!
である。私はずっとそう思っている。
この世の中は、誰しもお金を稼がないと生きてはいけないのである。
だから、
『どうやったら、たった一人で家から一歩も出ずに、面倒な人間や嫌いな人間に一切会わずに、月100万円を安定的に稼げるのか?』
これが当時の私の大きな疑問だった。
そこで私はネットや書籍で調べ、いろいろなものを実際に試した。
クラウドソーシング、アフィリエイト、コンサルティング、FX……
全部一人でもできるものだ。
一人でもできるもので、月100万程度は稼げそうなビジネスモデルのもの。
サラリーマンを辞めたのが2012年。それから早4年が経った。
いろいろ試す中で、それぞれはそこそこ稼げはしたが、到底100万には届かなかった。
一体、何が足りないのか?
一体、何をすれば私の願いは実現できるのか?
毎日、毎日、たった一人で狭い部屋に閉じこもりながら、ずっと試行錯誤をしていた。月に1度しか外出をせずに、ずっと一人で篭って様々なことをやった。
そんな生活にも疲れ、時には一人で夜の街に出かけ、カウンターに腰掛けながら、酒を飲んで気分を紛らわすような日もあった。
私はずっとインターネットでいろいろなものを調べ、考えていた。
しかし、考えても、考えても、試しても、試しても、私が望む現実は一向に手に入る気配はなかった……。
そんなある日、転機が訪れる。
今思えれば、アレが明確な転機だったのだということがよくわかるのだが、残念ながら当時はまったく気づかなかった。あれだけ探して、試していたのに、である。
アレのおかげで、私は今、
『たった一人で家から一歩も出ずに、面倒な人間や嫌いな人間に一切会わずに、月100万円を安定的に稼げる』ようになった。
本当にアレには感謝している。
これから、アレについて話していこうと思う。
あなたにも、アレの素晴らしさが伝わることを願っている。