真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
内容の是非に関わらず、時と場所を選ばず声高に叫べば人は耳をふさぐ。
どんな内容かはもちろん大事だが、誰がいうか、どういうアプローチかというのも大事だ。
正当な言論はそれだけで力を持つが、それを担保させるならば言動も正当であったほうが効果的だからな。
ザックリいうならば「説得力」ということさ。
前向きに考えるなら、担保されないが故に好き勝手書ける、という場合もあるだろうがな。
そういえば、友達と焼肉屋で夕食をとっていたとき、近くで街頭演説をしている人がいてね。
内容は正確には覚えていないが、食用の牛一頭にどれだけの費用がかかるか、それをもっと他の場所に回せないか、みたいなことを演説していた。
まあ、当てつけというか営業妨害というか。
大義名分は結構だと思うが、それを免罪符か何かと誤解してズレたアプローチをしてもよいとまで考える人間がいるのはツライところだ。
ただ、友人はいつもどおりのペースで食べ進め、いつもどおり注文しすぎて残していた。
なんというか、大物になると思ったよ。
言論などにおいて、他者を納得させるために付加される力だといっていい。
それには論理的であることや主張の正当性……も必要だが、最も大きい要素は別にある。
全く同じ内容を、太っている人と痩せている人が話す。
もちろん、本質的には同じだ。
でもそれらを聞いた人はバイアスがかかる。
ネットでも「○○の時点でそっ閉じ」とか、みたいな文言があるよな。
現実問題、論理そのもので評価するだとか、綺麗ごとはとてもじゃないが言えない。