はてなキーワード: しづとは
女が男に生理の話しなきゃいけなくなる場面って上司に対してだし、つまり爺さん相手にしなきゃいけないとなると、やっぱり少なくとも今はまだ女的には話しづらいってことであってるのでは
何年も前から野党が統一教会と自民党との関係を追及していたが、テロが発生してから一気にアンタッチャブルだった疑惑が一気に人目に付くようになった
今までは安倍晋三が党内で強い力を発揮していて、安倍派から距離を置いていても出世のためになかなか言い出しづらいパワーがあったんだろうな
岸田政権になっても依然としてそのパワーはあったんだろう
でも、残念なことに不幸な事件で亡くなられた。
安倍派は集団指導体制となり、事件の発端となった統一教会との疑惑は残された安倍派メンバーが受けることになったが
ビッグボスがいなくなったもので、安倍派自体に求心力が薄れてきたというのもあるし、集団指導体制で誰かを落としてやろうと思っている人がいるというのもあるし、安倍派の影響力を削ごうと思う別派閥の思惑もあるのだろう。
そこで様々なリークが出てきている。
国葬と内閣改造と党内人事がひと段落つくと、どんどん過去隠されてきた事実が出てきて、いまいる安倍派の人たちは自民党内で力を削がれていくだろうなと思う
コロナ在宅勤務時代の新入社員教育ってどんな感じなのかなと思う
去年、パートナー会社の新卒社員がプロジェクトチームに参画した
丁寧に教えてきたし、負荷もかけなかったと思う
転職先を聞くと、人と関わる仕事を探している、みたいな事を言ってたように思う
2年目、上司が聞いてきたところによると、あまり育っていない、ということだそうだ
新卒で入って1年ずっとテレワークだと、出社時と比べて質問なんかもしづらいだろうし、難しいのかね と上司は言っていた
自分はテレワークになったことで、コミュニケーションは取りやすくなったと感じていた、なんなら質問などもタイミングを見計らう必要がなく(タイミングをはかる事自体不可能)、チャットで投げておけば済み、とても楽になったと感じてた ちょっとした相談も会議室を予約する必要なく個別通話でできてしまう
だから、テレワークになることでコミュニケーションが難しくなるというのが分からない
けど身近な新人2人がテレワークで仕事ができていないことを思うと、テレワークでコミュニケーションが難しいということはあるんだなと
なんか『カラダから血が出る=重い病気』みたいなイメージを持ってたので。
だれにも打ち明けられなくて最初はティッシュでせき止めてたんだけど、だんだんそれも難しくなってきて、
最後は洗っても取れなかったパンツの血シミでお母さんにバレた。
怒られは……たぶんしなかったけど、あんまり良い思い出ではないかも。
お赤飯はあんまり好きではないのでピザにしてもらったのだけ覚えている。
生理用ナプキンのCMは観たことあったけど、自分が生理来るまで
という認識だったのよね。
あれなんで吸収される液体の色が”綺麗な青”なのかね?
血液の色っぽいカンジじゃダメなのかね? 生々しいからNGなんだろうか。
生理が始まった当初はなかなかナプキンを上手に使えなくて服を汚しまくったし、
自分が知らないうちに服が汚れて、誰かに指摘されるんじゃないかと恥ずかしくて不安で、
外に出るのが嫌だったなぁ……。
幸運なことに生理で失敗して誰かからからかわれたりというような経験は無かったけど、
そうでなくても多感な時期に自分のカラダが変わっていくことへの戸惑いとか不安はあったと思う。
めんどくさかったし。
今はアプリなんかでお手軽に生理周期の管理や予測が出来るけど、
子供の頃はいちいちカレンダーや手帳で自己管理しなくちゃいけないのも、
めんどくさがりな自分にはしんどかった。
楽しみにしてたプールに生理で入れなくなったときはつらかったし、
旅行先で突然生理になって露天風呂に入れなかったときも悲しかった。
大人になった今はもう慣れたので、習慣の一部としてこなせているけど、
初潮きたてのころは大変だったな~~と、改めて思った。
いや今でもめんどくさいけどね。
生理のハナシって女性同士でもあんまり深くは話さない。(もちろん関係性や環境でも違うと思うが)
女性の間で性的な話題自体が心理的なタブーになってて話題にしづらかったり、
私は逆流性食道炎を持っているのだがここ数日症状が悪化してしまって、まともな量が食べられていない(きんぴらごぼう少しとご飯2口で夜ご飯終了、とか)
このまま行ったら食事会のときも碌に食べられない予感しかしないが、欠席するべきか迷う
・全部で人数は6人
・一番下っ端なので欠席しづらい
みなさんだったらどうします?
ブライアン・イーノはみなさんご存知の通り、ロックバンド「ロキシー・ミュージック」の元メンバーでソロ転向後は、アンビエント・ミュージック(環境音楽)を開拓した第一人者として知られているし、デヴィッド・ボウイのベルリン三部作の制作にも参加しているミュージシャンであり、視覚芸術のインスタレーションも作成しているアーティストだね。マックで女子高生が言っていたから、みんな知ってる。常識。
で、イーノ(マイフレンド)の展示だが、非常に印象的でして。京都信用金庫旧厚生センターという何やら歴史の趣を感じられる建物内に、複数階に渡って設置された音と映像、インスタレーションをじっくり楽しめる。どの展示も室内に椅子やソファが設置されており、寛ぎながら鑑賞することができる。視覚的な変化を楽しむ、という作品が多く、イーノがアンビエントを時間と空間の変化として捉え、変化の一形態としての音や映像といった落とし込みを行ったのかなとか。
音をメインとした展示では、ここのところ純粋に一枚のアルバムを聴くというリスニング行為から、すっかり遠ざかっていたんだな、ということを思わされる。真っ暗な室内に立ちすくんだ後、薄らと見えてきた椅子に座り、周りから聞こえてくるあらゆる音に圧倒されてゆく感覚。この人は、アンビエントミュージックだけの人ではなく、長いキャリアの作曲家であり音楽家なんだな、ということを実感する長尺の演奏曲。
そうして私の心の一部は、喜怒哀楽の隙間、言葉では形容しづらい感情・感覚を呼び起こす原初の音響の中、靴を脱いで展示スペースに上がると言う所作からわずかに思い起こされる、京都という地場の影響を受け、遠く海の向こう、空の向こうにあるかもしれない過去や未来と溶けあっていく……とかなんとか。
思ったよりも楽しめました。まる。
うちの子の学校で数年前にほぼほぼToLOVEるの真似とされるトラブルがあったので書いておくわ。
転んだふりして女子の胸や尻、からだを触る、すれ違おうとして体を触るなどをする→女子怒る→ごめんごめん、わざとじゃないんだってと言う。ここで「ごめんごめん」と一応謝るのがミソ→被害側、見てた側からすればわざとなのは明らかなので女子は怒る→怒る女子に対して「謝ってるしわざとじゃないのに怒るのは心が狭い、自意識過剰」と女子を責めて被害申告しづらくさせる。(リトはこんなこと言わねぇだろと思う)
これを元増田にあるように数人の男子でやっていて、わざとじゃないごめんごめん!で済めばラッキー、同じ女子に何回やったwと自慢したり女子に怒られたりしたらうまくやれよwwと言い合うチキンレースみたいなことをしていた。
うちの息子は「あいつらいつもToLOVEるの話してたし真似してたんじゃないの」と言ってた。まぁ加害者本人たちの話を聞いたわけではないのでなんとも…だけど。
息子と同じ習い事してる女子の親がそのトラブルのあったクラスだったけど、翌年からその加害者男子たちと同じクラスにしないでくれって先生に頼んだと言ってたわ。
~~~~~~~追記~~~~~~~
ブコメやトラバをみて僕の狙いというのをちゃんとかいておくべきだったと感じたので追記。
お布施に上限をつけたい、というのは生きていく上での悩みや不安を少しでも減らしたいと思って宗教にすがったのに
その結果、自分だけでなく家族も含めて今日食べるものにも窮するという本末転倒なことが起きないようにしたいという考えから。
いまはみんな旧統一教会に目を向けてるけどそれ以外にも胡散臭いものはたくさんあるし今後また起きる可能性をなるべく減らしたい。
個人の自由を制限することになるのではというコメントがあるんだけども会社法人における36協定の宗教法人版だと思って欲しい。
会社法人は裁量労働契約の労働者がどんなに働きたいと思っても労働者の肉体的、社会的健康をまもるためにそれを止める義務がある。
生活に支障がでるレベルであればそれを止める義務を宗教法人は持つべきだという考え。
強要が行われていることに着目すべきという意見もわかるんだけど、信心深いひとだと強要だと認識しない、という問題があるんだよね。
なにより強要だ、ということになってくれればすでに現行の法律で対処できる。
あと霊感商法かどうかを基準にしちゃうとぶっちゃけ仏壇や戒名も霊感商法みたいなもんだからね。
(まぁ個人的にはあれも制限していいとは思っちゃいるけど信教の自由の観点から一律に制限しづらいでしょう)
なので「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼすようなお布施、献金を法として制限する」
が信教の自由をある程度担保した上で依存による生活の破綻が防げるラインじゃないと考えてるのです。
(本文では10万とかにしたけど別に生活が破綻しないのであれば年収の2, 3%とかでもいいとは思う)
旧統一教会の話が最近持ちきりで、旧統一教会を規制しろ、という声をよく見かける。
多分、個々の事案、トラブルには裁判等で対応していくということはできるとは思うんだけど
傀儡となるような人を立てて別の宗教法人を立ち上げるってことも現実的には可能なわけでそれをやられたら結局防げない。
何より日本は信教の自由が保証されているから教義の内容に政府が口出す、ということはできないし
するべきではない。
頭がおかしいとしか思えない教義でも存在は許されるべきではある。
となるとカルト宗教とそうじゃないものの間はグラデーションで「XXと◯◯があればカルト宗教である」という定義はなかなか難しいんじゃないだろうか。
というわけでここ最近、全宗教法人の寄付金詳細の公開義務付けと
一世帯あたりからの寄付の年間総額の上限設定、というのを立法化できないかなと考えてる。(年間10万までとか)
全宗教法人の非課税廃止というのもありだと思うんだけど、その非課税が認められてる建て付けが「宗教法人は営利団体ではないから」なんだよね。
であればそれを逆手にとって営利団体じゃないんだから寄付金、お布施が目的じゃないよね、という感じで押し付けたい。
てか、個人的にも信者の幸福、功徳が第一とか無償の愛だと言っておきながらお布施を払わせる事に矛盾を感じる
前段で日本は信教の自由があるから頭がおかしい教義でも許されると書いたんだけど、
流石に社会秩序を乱すような、例えば人を殺せば天国に行けると言った教義をもとにした「活動」は許されないわけなので
~~~~~~~追記~~~~~~~
ブコメやトラバをみて僕の狙いというのをちゃんとかいておくべきだったと感じたので追記。
お布施に上限をつけたい、というのは生きていく上での悩みや不安を少しでも減らしたいと思って宗教にすがったのに
その結果、自分だけでなく家族も含めて今日食べるものにも窮するという本末転倒なことが起きないようにしたいという考えから。
いまはみんな旧統一教会に目を向けてるけどそれ以外にも胡散臭いものはたくさんあるし今後また起きる可能性をなるべく減らしたい。
個人の自由を制限することになるのではというコメントがあるんだけども会社法人における36協定の宗教法人版だと思って欲しい。
会社法人は裁量労働契約の労働者がどんなに働きたいと思っても労働者の肉体的、社会的健康をまもるためにそれを止める義務がある。
生活に支障がでるレベルであればそれを止める義務を宗教法人は持つべきだという考え。
強要が行われていることに着目すべきという意見もわかるんだけど、信心深いひとだと強要だと認識しない、という問題があるんだよね。
なにより強要だ、ということになってくれればすでに現行の法律で対処できる。
あと霊感商法かどうかを基準にしちゃうとぶっちゃけ仏壇や戒名も霊感商法みたいなもんだからね。
(まぁ個人的にはあれも制限していいとは思っちゃいるけど信教の自由の観点から一律に制限しづらいでしょう)
なので「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼすようなお布施、献金を法として制限する」
が信教の自由をある程度担保した上で依存による生活の破綻が防げるラインじゃないと考えてるのです。
(本文では10万とかにしたけど別に生活が破綻しないのであれば年収の2, 3%とかでもいいとは思う)
旧統一教会の話が最近持ちきりで、旧統一教会を規制しろ、という声をよく見かける。
多分、個々の事案、トラブルには裁判等で対応していくということはできるとは思うんだけど
傀儡となるような人を立てて別の宗教法人を立ち上げるってことも現実的には可能なわけでそれをやられたら結局防げない。
何より日本は信教の自由が保証されているから教義の内容に政府が口出す、ということはできないし
するべきではない。
頭がおかしいとしか思えない教義でも存在は許されるべきではある。
となるとカルト宗教とそうじゃないものの間はグラデーションで「XXと◯◯があればカルト宗教である」という定義はなかなか難しいんじゃないだろうか。
というわけでここ最近、全宗教法人の寄付金詳細の公開義務付けと
一世帯あたりからの寄付の年間総額の上限設定、というのを立法化できないかなと考えてる。(年間10万までとか)
全宗教法人の非課税廃止というのもありだと思うんだけど、その非課税が認められてる建て付けが「宗教法人は営利団体ではないから」なんだよね。
であればそれを逆手にとって営利団体じゃないんだから寄付金、お布施が目的じゃないよね、という感じで押し付けたい。
てか、個人的にも信者の幸福、功徳が第一とか無償の愛だと言っておきながらお布施を払わせる事に矛盾を感じる
前段で日本は信教の自由があるから頭がおかしい教義でも許されると書いたんだけど、
流石に社会秩序を乱すような、例えば人を殺せば天国に行けると言った教義をもとにした「活動」は許されないわけなので
ごめん1行目までで限界だったわ
まんさんの文章はなぜこうも読みにくいのか
2022-07-19
■看護師になった妻が泣きながら帰ってくる
妻、今の職場に3日くらい前に退職希望と伝えていて手続きも進んでいるらしい。
今回は妻の希望の職場・地域(妻の地元近く)に合わせて転居して、
そのかわり私はフルリモートで働けるポジションに移動したりと色々あったから、
なんとなく言い出しづらかったようだ。
よかった、ほっっとした。
とりあえず学位がほしいということだから、大学の資料などいろいろ取り寄せの申込みした。
入学の条件は満たしてるしUoPeopleなんかいいと思うんだけどな。
妻が「いろんなことに興味があってどの学部に行くか迷う」と言うから、
「なにも編入じゃなくて、高校生に混じって受験したっていいじゃない。お金にならない勉強でもなんでもいいよ」と言ったら、ニカッと笑った。
なんて二人でいろいろ想像しながら話してたら妻もにこにこしてきて、
久々に明るい将来?(大げさかな)を思い描けてる気がする。
皆さんお世話になりました。
-------------------------------------
思い出と愚痴を、吐き出させてくれ。
最初、若い男性社員たちは「かわいい若い子が入ってきた」という扱いをしいていた。
それがだんだんと「うちの部署にもあんな子がいれば」という扱いにかわる。
雰囲気はぼーっとしている感じがするが書類だとか事務処理だとか気が付いたら終わっている。
ミスもほとんどなく、小さなことでも気が利く(女性らしさというわけではない、業務上かゆいところに手が届く、そんな感じ)。
会社主催のイベントで少し話した。興味があったのだ。正直、見た目も好きだった。
かなりレベルの高い資格(身バレするかもしれないので控えるが)やなんというか男性っぽい特殊な資格も多数もっていた。
「本当は大学に行きたかったけど親が…」と残念そうに語っていた。
私のようなものがなんの障壁もなく適当に予備校に行き漫然と大学へ進学したことをどう思うのだろう?と少し不安になった。
付き合うことで違う一面もわかってきた。
やや常識やマナーにかけるところがある、ややがさつかもしれない、プライベートでは以外とおおざっぱだ。
それも嫌いじゃなかった。何より、よく本を読み、多趣味で、自分より年下ではあるが”できるやつ”であるところが好きだった。
強いたわけではない。ただなんとなく「どっちでもいいけど、働かなくてもやしなっていけるよ」と言ったら「そうしてみるか」と彼女が言った、それで、決まった。
子どもがなかなかできなかった。
彼女はまたハケンを始めたが私よりもかなり収入が低いことを悔しがっているようだった。
そして「看護学校に行く」と言い出した。賛成した。
看護師の妻がいる同僚や上司がよく言っていた「稼ぎがよすぎて・・・」となかば迷惑そうに。
それを思い出して「いいね」と内心にやりとした。
今の時代どうかと思うが、手書きの課題が毎日大量にあり、私と夕食を食べた後寝ずにやっていた。
会社で働いていた時は、こわもての現場系の社員に怒鳴られてもびくともしなかった、ぼーっとした雰囲気を崩さなかった、そんな彼女が、目を真っ赤にして帰ってくるのだから。
実習でああいわれた、こういわれたと落ち込み悔しがり怒る彼女の語ることはにわかには信じがたかった。
いわく「論理的思考力がない」「社会人としてマナーがなってない」「声が小さい」「字が汚い」「やる気を感じない」「馬鹿なのか」「看護師の才能がない」
どれも私のもつ妻像とかけ離れていた、そしてなによりこんなことを言われたくらいで泣く彼女ではないはずだろう?
会社ではこんなことでは眉1つ動かさなかったのに、なぜ?ただ疑問ばかりが浮かぶ。
看護師の現場というのはそれほど雰囲気のおかしい場所なのだろうか?
ウェブ上で「看護師あるある」を見て妻に聞いた「これ誇張だよね」「いや違う、これよりひどい」そう即答した。
実習に毎日行くこと、課題を全て終わらせること、それは大変であったようだ。
だが「看護師資格」を取るための国家試験は妻には簡単だったようで特別な準備はせず相当な正答率で軽々と受かっていた。
すると、少なくとも2週間に1度は泣いて帰ってくるようになった。
他に泣く人がいるのかと妻に聞いた。
普通の会社だとして、インターンで絶対に誰か泣くとか30歳を過ぎた社会人が泣かされるとかそのようなことが普通なのだろうか?
しかし、たいてい月に1度は泣いて帰ってくる。そしてもはやその理由すら話さないようになった。
妻は「泣いた分がんばる」というが、どんどん体調も悪くなっているように見える。
やめてほしい。正直に言って、唯一の大切な人間、それも同居人が苦しんでいるのを間近で見るのはストレスだ。
でも、もう病院では働かないでほしい。あのころの”できるやつ”に戻ってほしい。
妻や派遣を見下してる?という問いについては
→見下してないです
(事務作業とぼかして書いたけど特定の専門知識・資格が2つほど必要)
ただ当時妻は実家がごちゃついていて正社員フルタイムはきびしかったから派遣してたみたい。
いまはそれも整理(亡くなった)がついてるけど。
妻の学歴と持ってる資格にあまりにも落差があって、なかなかマッチする正社員募集がなかった。
それで大学へ行くか他の道に行ってみるかで、
もともと興味のあった看護学校を選んだということらしい。
ともかく私から見れば妻は“すごくできるやつ”だったよ。
そして理不尽なダメ出しされたりしても泣いたりする人ではなかった。
できるやつに戻ってほしいってのは、
あの頃の自信(落ち着いていて冷静な)のある
にこにこぼやーっとした元気な妻に戻ってほしい。
そんな気持ちで書いた。
普通にやめてみればと言ってもなかなかうんと言ってはくれないから、
ただやめろと言うんじゃなく、学費出すから大学にでも編入して勉強してみたいことをするよう勧めてみよう。
不妊治療⇒私、妻ともに決定打とはいえないまでもマイナス要素があるので治療はしている。
私はもともと子供に興味がなく、妻はいてもいなくてもどちらでも…と言っていた。私はこれについても少し悩んでいる。
「あなたのような看護師もできない人が保健師をできるわけがない」と言われたらしく、それで乗り気ではないようだ。
なんというか妻は、自分の仕上げた”仕事”にはある程度自負というか自信のようなものがあるが、
”自分自身”や自分の意見とか考えには、自信がないようで、だから、
「あなたに保健師はできない」と言われると「そうなのか」と思ってしまう、そんな嫌いがあるように思う。
私相手であれば、妻は、立て板に水のごとくこの世の森羅万象について自らの考えや感想を述べ、
奇想天外な空想や持論を話して聞かせてくれるのだが(会社ではとても静かだったのでおどろいた)、
それ以外となると、かなり静かに「仕事に必要なことだけ」話すタイプなんである。
まあだからこそ、なぜ職場で何らかの標的になるのかわからない。
上司に口答えしたり、自分の正しさを声高に主張したりするタイプではないのに・・・。
他の職場にすれば?⇒
妻もずっと大病院(2年くらい)にいたわけじゃなく、それから自分に合う職場を模索して、
ゆったりとした療養タイプの病院や小さな施設的なところで働いたりもしてる。
超短期のバイトで健診センターや老人ホームの夜勤を体験したりもしている。
ちなみに最初の病院ではナースシューズに水をかけられたり、皆の前で大声で晒上げられたりと、
いじめなんじゃないかということもされたらしい(これは最近になってはじめて教えてくれた)。
妻が看護師として働いている現場をこの目で見たことはないけれど、
最初の病院や次の病院でも師長さんからの評価はよかったようで、
「今日面談でほめられた」とニコニコ嬉しそうに話していたのを覚えている。
実際、何かの研修に先輩と一緒に特例的にいかせてくれるという話もあったそうだ。
今度お互いの休みの合うときに、妻にこのエントリみてもらいつつ、
妻が自分自身に納得できて、それでいて疲弊しない、そんな答えが出るよう話しあってみたいと思う。
「できるやつ」って本当に下に見てるつもりはない
「○くんはできるやつだから、僕が推薦させてもらった」
それからなんとなく、できるやつってのが自分の中で一種すごく良い称号みたいになってるところがある。
プライベートではよくふざけて言うしね。
こんなに嫌な印象を与える言葉だなんて思ってなかった。
誤解を与えて申し訳ない。
私は妻に「いいやつだなぁー」とか「できるやつ!」と言われることもあるけど普通に喜んじゃってる。
もし部下に先輩はできるやつだと言われたら...まあ悪い気はしないけど、
その部下のこと“面白いやつ“だと思うだろうな。
同僚に言われれば単純に嬉しい。
まあこの話はこの辺にしておこう。
一番感じたのは「マーベルはもう単体で面白い映画作る気ないんかな?」ってことだった。
・ワンダヴィジョン(Disney+で配信されているドラマ版)
を見てないと本格的には理解しづらいし、見ている前庭のワードも出てくる。
今回はタイトル通りマルチバース(並行世界)をちょこちょこ行き来するんだけど
その中でX-MENのピカード船長やイフの世界のキャプテンアメリカやキャプテンマーベルが出てくるけど
これもキャプテンアメリカやキャプテンマーベルをちゃんと見てないと面白さが分かりにくい。
なんかなーってなる。
俺は全部見てるからだいたい分かったけど、じゃあおもろいかっていうと
知ってることでニヤっとはできるけど作品としての面白さには大して寄与してなかった気がする。
スパイダーマン/ファー・フロム・ホームはエンドゲームの後始末みたいな映画だったし、
スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホームも過去のスパイディシリーズ前提なのが微妙だった。
ブラックウィドウ、シャン・チー、エターナルズも正直微妙だったので
エンドゲーム終わってからなんか迷走してるなぁって感じが拭えない。
自民党が統一教会との関係をどうするかって選択肢は、「1. 現状維持」「2. 解消」「3. 一層のこと密着」の3つしかないんだけどさ、どれも痛みはあるわけで、
1. 政治と宗教の関係をずっと晒し上げられる、統一教会が問題を是正しない限り、批判側に道理があるようにみえるため反論しづらい。支持者減少、浮動票減少のリスク
2. これまで統一教会から受けていた金やリソースが減少してしまうのが直接的な影響。また、この事件の直後に関係解消してしまうと「テロに屈した」という批判が内外から飛び出す可能性がある。これはこれでかなりキツい。
岸田首相が総裁選に出馬を表明した際に「岸田ノート」を取り出して熱心にアピールしていた。
あれが私の中で彼を「支持しない」決め手になった。
何年も国民の声に耳を傾けてきた結果があの大して汚れても擦り切れてもいない、たった一冊のノートなのか。
もちろん実際にはいつも持ち歩いているノートを取り出しただけで、書き留めていっぱいになったノートは何冊もあるのだろう。
しかしそれを根拠に「聞く力」をアピールするのであれば、いくらわざとらしかろうとそれらをカメラの前で山積みにして訴えるくらいの演出が必要なのではないか。
ところが手持ちの、しかも綺麗なノートだけで済ませる。ここに彼の上辺だけの政治感覚が見て取れる。
私はノートやメモを取るタイプの人間には学生時代や社会人になってからもよく出会ったが、本当に熱心にノートに書き込む人のそれはもう見るも無残なほどボロボロだ。新しいものに取り替えたかと思えば数日経たないうちにまた薄汚れて擦り切れている。
もちろんそれだけでその人の努力や実力が推し量れるわけではない。
だが一市民の実感として、やはり苦労してきた、努力してきた人間のノートはすべからくボロボロという認識がある。
彼が掲げるノートにはそれがない。新品を使い、見栄えだけ重視したというのなら逆効果だ。
この薄っぺらいノートアピールは今も街頭演説で続けている定番パフォーマンスらしい。
あのノートを振りかざせば振りかざすほど私のような人間は冷めていく。
聞く力をアピールする一方、他人の「見る力」、視線には無頓着のようだ。
国民感覚・目線の欠如の現れと言ってもいい。国民の声から今まで何を学んできたのか甚だ疑問である。
自民党の政治家は自分たちを支持する声こそが国民の声であると考えている節がある。
先日「国民の認識とかなりずれているのではないか」などというコメントを出した茂木幹事長もまさにこのタイプであるが、
岸田首相も例に漏れずといったところだ。おそらく彼が耳を傾けても素通りする国民の声がたくさんある。
表層だけ取り繕う優等生タイプの人間はよくこういうことをする。
「大人はこういうのが好きなんでしょ」とばかりに他人が好みそうな綺麗事や正論を並べて評価を乞う子供そのものだ。
だが実際にはそういった打算は見透かされる。岸田首相も同じだ。
あの総裁選の表明演説で、ノートと同じくらい薄っぺらいこのパフォーマンスが、彼の本質だと強く感じたのだった。
安部元首相の国葬決定についても同じである。国葬を行うこと自体の是非はここでは議論しない。
しかし四十九日どころか十日も経たないうちに…つまり多くの人間が故人の死を悼み、それと異なる言説は表明しづらい状況で…
おそらく岸田首相が中心となって足早に決定してしまったことには強く抗議したい。
結局この不意打ち的な決定はやはり彼の「上辺だけの政治感覚」で「こういうのが好きなんでしょ」そのものなのだ。
こういった他人の感情や世の情勢を利用した打算的で卑怯な政治プロセス、立ち回りが、国葬のみならず今後様々な政治的場面で発揮されていくかと思うと本当に憤りを感じる。
妻、今の職場に3日くらい前に退職希望と伝えていて手続きも進んでいるらしい。
今回は妻の希望の職場・地域(妻の地元近く)に合わせて転居して、
そのかわり私はフルリモートで働けるポジションに移動したりと色々あったから、
なんとなく言い出しづらかったようだ。
よかった、ほっっとした。
とりあえず学位がほしいということだから、大学の資料などいろいろ取り寄せの申込みした。
入学の条件は満たしてるしUoPeopleなんかいいと思うんだけどな。
妻が「いろんなことに興味があってどの学部に行くか迷う」と言うから、
「なにも編入じゃなくて、高校生に混じって受験したっていいじゃない。お金にならない勉強でもなんでもいいよ」と言ったら、ニカッと笑った。
なんて二人でいろいろ想像しながら話してたら妻もにこにこしてきて、
久々に明るい将来?(大げさかな)を思い描けてる気がする。
皆さんお世話になりました。
-------------------------------------
思い出と愚痴を、吐き出させてくれ。
最初、若い男性社員たちは「かわいい若い子が入ってきた」という扱いをしいていた。
それがだんだんと「うちの部署にもあんな子がいれば」という扱いにかわる。
雰囲気はぼーっとしている感じがするが書類だとか事務処理だとか気が付いたら終わっている。
ミスもほとんどなく、小さなことでも気が利く(女性らしさというわけではない、業務上かゆいところに手が届く、そんな感じ)。
会社主催のイベントで少し話した。興味があったのだ。正直、見た目も好きだった。
かなりレベルの高い資格(身バレするかもしれないので控えるが)やなんというか男性っぽい特殊な資格も多数もっていた。
「本当は大学に行きたかったけど親が…」と残念そうに語っていた。
私のようなものがなんの障壁もなく適当に予備校に行き漫然と大学へ進学したことをどう思うのだろう?と少し不安になった。
付き合うことで違う一面もわかってきた。
やや常識やマナーにかけるところがある、ややがさつかもしれない、プライベートでは以外とおおざっぱだ。
それも嫌いじゃなかった。何より、よく本を読み、多趣味で、自分より年下ではあるが”できるやつ”であるところが好きだった。
強いたわけではない。ただなんとなく「どっちでもいいけど、働かなくてもやしなっていけるよ」と言ったら「そうしてみるか」と彼女が言った、それで、決まった。
子どもがなかなかできなかった。
彼女はまたハケンを始めたが私よりもかなり収入が低いことを悔しがっているようだった。
そして「看護学校に行く」と言い出した。賛成した。
看護師の妻がいる同僚や上司がよく言っていた「稼ぎがよすぎて・・・」となかば迷惑そうに。
それを思い出して「いいね」と内心にやりとした。
今の時代どうかと思うが、手書きの課題が毎日大量にあり、私と夕食を食べた後寝ずにやっていた。
会社で働いていた時は、こわもての現場系の社員に怒鳴られてもびくともしなかった、ぼーっとした雰囲気を崩さなかった、そんな彼女が、目を真っ赤にして帰ってくるのだから。
実習でああいわれた、こういわれたと落ち込み悔しがり怒る彼女の語ることはにわかには信じがたかった。
いわく「論理的思考力がない」「社会人としてマナーがなってない」「声が小さい」「字が汚い」「やる気を感じない」「馬鹿なのか」「看護師の才能がない」
どれも私のもつ妻像とかけ離れていた、そしてなによりこんなことを言われたくらいで泣く彼女ではないはずだろう?
会社ではこんなことでは眉1つ動かさなかったのに、なぜ?ただ疑問ばかりが浮かぶ。
看護師の現場というのはそれほど雰囲気のおかしい場所なのだろうか?
ウェブ上で「看護師あるある」を見て妻に聞いた「これ誇張だよね」「いや違う、これよりひどい」そう即答した。
実習に毎日行くこと、課題を全て終わらせること、それは大変であったようだ。
だが「看護師資格」を取るための国家試験は妻には簡単だったようで特別な準備はせず相当な正答率で軽々と受かっていた。
すると、少なくとも2週間に1度は泣いて帰ってくるようになった。
他に泣く人がいるのかと妻に聞いた。
普通の会社だとして、インターンで絶対に誰か泣くとか30歳を過ぎた社会人が泣かされるとかそのようなことが普通なのだろうか?
しかし、たいてい月に1度は泣いて帰ってくる。そしてもはやその理由すら話さないようになった。
妻は「泣いた分がんばる」というが、どんどん体調も悪くなっているように見える。
やめてほしい。正直に言って、唯一の大切な人間、それも同居人が苦しんでいるのを間近で見るのはストレスだ。
でも、もう病院では働かないでほしい。あのころの”できるやつ”に戻ってほしい。
妻や派遣を見下してる?という問いについては
→見下してないです
(事務作業とぼかして書いたけど特定の専門知識・資格が2つほど必要)
ただ当時妻は実家がごちゃついていて正社員フルタイムはきびしかったから派遣してたみたい。
いまはそれも整理(亡くなった)がついてるけど。
妻の学歴と持ってる資格にあまりにも落差があって、なかなかマッチする正社員募集がなかった。
それで大学へ行くか他の道に行ってみるかで、
もともと興味のあった看護学校を選んだということらしい。
ともかく私から見れば妻は“すごくできるやつ”だったよ。
そして理不尽なダメ出しされたりしても泣いたりする人ではなかった。
できるやつに戻ってほしいってのは、
あの頃の自信(落ち着いていて冷静な)のある
にこにこぼやーっとした元気な妻に戻ってほしい。
そんな気持ちで書いた。
普通にやめてみればと言ってもなかなかうんと言ってはくれないから、
ただやめろと言うんじゃなく、学費出すから大学にでも編入して勉強してみたいことをするよう勧めてみよう。
不妊治療⇒私、妻ともに決定打とはいえないまでもマイナス要素があるので治療はしている。
私はもともと子供に興味がなく、妻はいてもいなくてもどちらでも…と言っていた。私はこれについても少し悩んでいる。
「あなたのような看護師もできない人が保健師をできるわけがない」と言われたらしく、それで乗り気ではないようだ。
なんというか妻は、自分の仕上げた”仕事”にはある程度自負というか自信のようなものがあるが、
”自分自身”や自分の意見とか考えには、自信がないようで、だから、
「あなたに保健師はできない」と言われると「そうなのか」と思ってしまう、そんな嫌いがあるように思う。
私相手であれば、妻は、立て板に水のごとくこの世の森羅万象について自らの考えや感想を述べ、
奇想天外な空想や持論を話して聞かせてくれるのだが(会社ではとても静かだったのでおどろいた)、
それ以外となると、かなり静かに「仕事に必要なことだけ」話すタイプなんである。
まあだからこそ、なぜ職場で何らかの標的になるのかわからない。
上司に口答えしたり、自分の正しさを声高に主張したりするタイプではないのに・・・。
他の職場にすれば?⇒
妻もずっと大病院(2年くらい)にいたわけじゃなく、それから自分に合う職場を模索して、
ゆったりとした療養タイプの病院や小さな施設的なところで働いたりもしてる。
超短期のバイトで健診センターや老人ホームの夜勤を体験したりもしている。
ちなみに最初の病院ではナースシューズに水をかけられたり、皆の前で大声で晒上げられたりと、
いじめなんじゃないかということもされたらしい(これは最近になってはじめて教えてくれた)。
妻が看護師として働いている現場をこの目で見たことはないけれど、
最初の病院や次の病院でも師長さんからの評価はよかったようで、
「今日面談でほめられた」とニコニコ嬉しそうに話していたのを覚えている。
実際、何かの研修に先輩と一緒に特例的にいかせてくれるという話もあったそうだ。
今度お互いの休みの合うときに、妻にこのエントリみてもらいつつ、
妻が自分自身に納得できて、それでいて疲弊しない、そんな答えが出るよう話しあってみたいと思う。
「できるやつ」って本当に下に見てるつもりはない
「○くんはできるやつだから、僕が推薦させてもらった」
それからなんとなく、できるやつってのが自分の中で一種すごく良い称号みたいになってるところがある。
プライベートではよくふざけて言うしね。
こんなに嫌な印象を与える言葉だなんて思ってなかった。
誤解を与えて申し訳ない。
私は妻に「いいやつだなぁー」とか「できるやつ!」と言われることもあるけど普通に喜んじゃってる。
もし部下に先輩はできるやつだと言われたら...まあ悪い気はしないけど、
その部下のこと“面白いやつ“だと思うだろうな。
同僚に言われれば単純に嬉しい。
まあこの話はこの辺にしておこう。