はてなキーワード: 想定の範囲内とは
http://tomta.hatenablog.com/entry/2015/06/27/002517
この記事を見て知ったんだが、Me'Shell Ndegéocello(ミシェル・ンデゲオチェロ)っていう名前のアーティストがいるらしい。
Ndegéocelloっていうのはスワヒリ語で「鳥のように自由」って意味なんだそうだ。
「鳥のように自由」素敵な言葉だな。俺も辛いときはよく鳥になりたいと思ってる。そりゃ自分の芸名にも使いたくなるよな、わかるわかる。
で、だ。せっかくだしこの「Ndegéocello」のどの部分が「鳥」って意味で、どの部分が「自由」って意味なのか知りたくなったのでチャチャっとググってみた。
まずは単純に「Ndegéocello」で検索。ミシェルの記事しか出てこねぇ。まぁですよねって感じだ。
次にgoogle翻訳でスワヒリ語→日本語で翻訳結果は Ndegéocello → Ndegéocello はい想定の範囲内です。
今度は日本語→スワヒリ語の翻訳で 鳥のように自由 → Simu za AS BIRD おいBIRDは英語じゃないのか?
ここら辺で飽きてきて Ndegéocello の適当なところにスペース入れて翻訳させてみた。そしたら、「Ndegé ocello」の時に「鳥ocello」と翻訳された。こりゃあたりかと思って「Ndegé oce llo」で翻訳したら「OCE便ハロー」って出てきた。
めんどくさがらず丁寧にやろう。次は 鳥 → ndege よっしゃ、出ました確定ですね。「Ndegéocello」のうち「Ndegé」が鳥って意味ですね。あとndegeには飛行機とか航空便って意味もあるらしい。へぇ~だからさっきOCE便ハローされたんだ。
んじゃ次、自由 → uhuru 全然関係なさそうな単語出たね。ちなみにスタートレックに出てくるウフーラってキャラの名前はこれからとってるらしい。wikipediaで見た。スタートレックってまだ見たことないんだよな。
続いて「Ndegéocello 鳥のように自由」で検索。ミシェルの記事しか出てこねぇ。記事中ではみんな「Ndegéocelloはスワヒリ語で鳥のように自由って意味」としか書いてないのでなんともはや...、英語版のwikipediaでもおんなじことしか書いてかった。
そのあと「スワヒリ語」とかいろんなワードででいろいろ検索したけど、それっぽいのは見当たらない。これはもう俺のネット検索能力じゃお手上げですね。
こっちにも返事をする。
6年で済むわけないだろう。snsとかに書いたら爆発炎上して女性陣から消し炭になるまで叩かれるぞ。
少なく見積もって12年だ。それ以降も教育にはかなり心を砕かなければならないし、教育費と養育費を稼がなければならないから、収益性の低い仕事は(やりたくても)できなくなると思う。
子育てで「使命は果たした」と感じることはあまりないような気がしている。
そもそも「使命を果たしたい」とは思っていない。子供の頃はそう思ったりもしたが、どう考えても凡人の自分に使命などというものは無い。
いかに自分が満足するかだとは思っているが、それは「使命を果たす」ことによって得られるものではないと感じている。
「お父さんありがとう」は、まあ割とどうでもいいなと思う。
それはどうなんだろうな。仕事がなくなることが無いように努力するつもりではいる。
健康を保つ努力はしている。高校生の頃より今の方が肉体的に充実していると思う。
妻とは全てあけっぴろげに何度も話し合っている(これは当然だと思うけど)。
親は癌なので悲しいことではあるがおそらくそれほど長くはない。実家の家族については確かに問題が多いが、子供を作ると経済的な理由などで問題の解決は困難になると思う。
そうならないように努力はしている。あと現在の少子高齢化傾向と経済成長具合から考えると、俺が老人になる頃には安楽死制度が導入されていると思う。
人生の黄昏時を安心して過ごすために今を犠牲にするという考え方はちょっと理解しがたい。
俺の想定の範囲内の脅しや説得でこれを変えるのはたぶん難しい。
だから俺の想像を超えてくれるような人か、認知心理学的に科学的なアプローチで作用してくれるか、そういうタイプの人を探している。
虚実ないまぜとはいえ、ネットで色んな業界の評判が容易に把握できるようになった結果、既にゼロ年代において、情報系職種は新3K(キツい、帰れない、気が休まらないなど諸説ある)と、そのブラックぶりを揶揄される仕事の筆頭になった。
しかも待遇面でも恵まれておらず、そこに比較的学歴不問でも潜り込みやすいという特性もあって「IT土方」だの「コンピュータ土木作業員」など、散々な言われようである。
とはいえ一口に情報系と言っても色んな職種があり、全部が全部ヤバいわけではない。
というか、開発系が冒頭の悪評を一手に引き受けているというのが正しい。
他の業種(構築・運用など)は、むしろ良くも悪くもキチッとした、仕事らしい仕事だったり。
今更その開発系のブラックぶりは書くまでもないが、例えば定時上がりなどほぼ絶対にあり得ないし、現場によっては毎日終電や泊まり込みが当たり前になりかねない。
そうなると休みの日(=土日ではない、休出も普通に発生し得るのだ)は寝てるだけという、泥沼のような生活に追い込まれることは想定の範囲内である。
これについて「そもそもプログラミングというのは9時5時で働いたからといってアウトプットが出るわけじゃない、それくらい創造的な仕事なんだ」とギークの人らはしたり顔で言うけど、ありゃ詭弁だね。
その結果が、ただでさえ自由度の高さがことごとくマイナスに跳ね返ってくる世界で、常時脳みそフル回転なのに思うようにアウトプットが出せず、それが拘束時間の異常な長さという現実に帰結しているのだから。
ところが偉くなったらなったで、大して給料も上がらないのに無茶振りと責任の矢面に立たされまくる機会ばっかりが増え、延々対応に奔らされるので、結局QOLがヤバいことには変わりない。
そりゃ身なりだってヨレヨレになるし、常にフル回転で疲労困憊の脳ではコミュニケーションも不自由になるし、喫煙者が多いのも無理は無い。
そして行き着く先は修羅場自慢なのだが、内容的にはDQNの武勇伝と大して変わらない。こういう所まで土方のノリなのだ。
こちらは現場によっては9時5時が当たり前、残業もせいぜい1~2時間もあるかどうかと言った所。
そりゃ客の都合で休日や深夜の作業が入ることもあるが、深夜残業や休出の常態化なんて絶対にない(あったらランニングコストの観点から由々しき問題になる)。
身なりもコミュニケーションもキチッとしている人ばかり。
もうこれだけで開発のgdgdっぷりとは天地ほどの違いがある。
しかも開発の人間よりも待遇は良い(開発が悪すぎて報われないとも言える)。
・・・と、ここまで散々開発系ばっかりこき下ろしてきたけど、かくいう増田は就職してから10年以上、それこそ数年前までは開発一本であり、以降は横への広がりを目的として、構築や運用も手がけてきた人間である。
そして構築や運用の時間的規律という、QOLにおける絶大なメリットを体感してなお、やはり開発が好きなのだ。
これでも一応「シンプルで力強いコード」を追求してきたつもりだし、そもそも「可能な限りコードは書かない」ための仕様や設計を目指したり、それらをスマートにこなすことにも努めてきたわけで(自己満足)、勿論非喫煙者である。
それにしても、たかが仕事で散々酷い目に遭ってきたはずなのに、それでもなお開発楽しい開発やりたいとか、本当に俺は救われない人間だと感じてしまう。
でも俺ももう若くはないので、可能な限り残業は勘弁して欲しいのだ。それだけが悩ましい。
言い換えると、特に運用における、「転ばぬ先の杖」ではないが暇な時ほど率先して勉強し、システムにより深く目を光らせて日々改善という感覚が全く合わない。
たとえ仕事であっても、目端の効かない俺はそういう形で「意識の高さ」を発揮するのがしんどいとも言っていい。
かといって、仕事における今後の伸びを完全に捨てて「働かないオッサン」になるのも嫌と。
でも「ほぼ定時」という職場環境だけは間違いなく素晴らしい。
世の中うまく行かないもんである。
始めに自己紹介。
私は婚活中のオッサンだ。
大雑把に同年代のサラリーマンの平均と比べると、年収と身長と顔面が平均より5~10%ほど低い。
以下はそんな私が先日体験したことだ。
相手に対する評価等はほとんどブーメラン発言かもしれないが、そこは一切考慮しない。
メールのやり取りから初めてお茶することになった女(以下、A子と表記する)がいたんですわ。
A子、初めてのお茶の予定が決まるまではメールの返信とか超早かったんだけど、決まった後だとメール来ない。超来ない。
あんまりメール来ないもんだから、無言キャンセルかと思って、念の為に茶の前日に
と確認したら
「よろしくお願いします!」
とだけ返信。雰囲気的に超やる気ない。
この時点でこっちもかなりやる気なくなってるんだけど、約束は約束だし、会ってみたら感じの良い人かもしれないし、可愛いかもしれない。
そしてA子は現れた。約束より5分遅れで。
少々話は変わるが、A子とは某婚活系サイト経由でメール交換し始めた。
そのサイトでは、自己紹介の体型の選択肢として、「太い」「太め」「ふつう」「細め」「スリム」とがある。
A子の自己紹介は「太め」だった。
あくまで私の個人的主観として、「太め」はBMI30までで、BMI30超えたら「太い」だ。
話を戻そう。と言うかもうおわかりだと思われるが。
A子はどう見てもBMI30超えていた。太い、というか、はっきり言おう。デブだ。
お前は、「太め」ではない。デブだ。
注:私は職場でBMI35ほどの女性と接しており、BMI30超えた女性の体形がだいたいどうなるかわかった上での評価だ。
ひょっとしたら可愛いかもしれないと思っていた私の願望を、体重というファーストインパクトで木端微塵に砕いてくれたA子。
痩せたら可愛い可能性を感じさせる顔だったが、現時点でデブ顔だ。
こちらのやる気はダダ下がりだ。
とは言え、サイト経由&事前に写真を確認できないという条件で、まともな外見の女と会ったことがない。
残念だが、想定の範囲内と言えなくもない。
私もA子も注文を決め、オーダーしてから会話を始めた。
始めた、のだが……。
A子喋らない。超喋らない。こっちが話ふっても単文返事しか帰ってこない。話膨らまない。
その返事すら、高確率で
「そうですね~」
だ。
お前は何をしにきたんだ? せめて合コンさしすせそくらい使ってくれよ。やる気なさすぎだろ。
いや私もわかっている。
A子にとっては、写真公開済みの私の外見、その他スペック、メールのやり取りで特に惹かれるポイントが無かったのだろう。
そして、直接会ってみたら 「思ったよりもイケメンで感じ良い」 的なラッキーに期待してやって来たのだろう。
そんな淡い願望を私がサクッと裏切ったのだろう。
悪かったよ! 低スペでな!
だがA子よ、ハッキリ言って、デブで非正規雇用・低収入で愛想が悪いじゃねーかお前は!
婚活的にウリになる趣味や特技があるかどうか、A子が話にノらないもんだからわからなかったが。
お前のすべてを受け入れて養ってくれる王子様でも探しに来たのか!?
自分が好きになった相手にだけ愛想良くしとけばいいとか甘ったれたこと考えてないか!?
お前は自分から精一杯愛想良くして、まず自分を好きになってもらわないといけないレベルの女だろ!
・デブ。
・露出大目の恰好。婚活で初のお茶ならもーちょっと落ち着いた服装で来いよ。
・自分の事はデブではなく巨乳だと思ってるっぽい。確かに乳はデカいがお前は巨乳ではなくデブだ。
・愛想が悪い。
・会話しようという気持ちが感じられない。
そんなA子をやる気にさせるスペックや話術が私にあればよかったのだろうが、無いものは無いんだから仕方ない。
ただし、会計は私が払ったし、少なくとも最後まで礼儀は守った。
会ってみて、やっぱりイマイチでも、せめて初対面の人間に対して失礼の無いような態度でいてくれ。
最低限でいいから愛想よくしてくれ。
会話っつーのはお互いに盛り上げるもんなんだから、どちらか一方が話に乗ってくれないとキツイんだよ。
「今日の相手は話つまんなかったな~」
最後に、そんなA子についてだが、お茶の後に光の速さでお断りメールしてブロックした。
私の小さなプライドはこうして守られたのだ。あと自称太めのデブはお呼びじゃねえ。
終わり。
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され一部で話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』に続いて『天帝のはしたなき果実』を読了したので、前回(http://anond.hatelabo.jp/20131221141558)に続いて比較検証していきたいと思う。ちなみに私が読んだのは講談社ノベルス版(通称「旧訳」)である。古野まほろとしては全面改稿した幻冬舎文庫版(通称「新訳」)を決定稿としたいようだが、諸事情から旧訳を参考とした。以下の比較検証において新訳では違ってくる部分があることをあらかじめ了承いただきたい。
12月7日にTwitterに於いて古野まほろが「関係性の説明」をした。それは大きく分けて【学校の設定】【死体発見時の言動等】【推理合戦】の3点である。今回はその中から【死体発見時の言動等】について検証していきたい。古野まほろが挙げた「同一性」は以下の通りである。
・警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要なイベント」のためである
・結果、その場にいる生徒による、多数決が行われる
・最後の一票により、イベントを優先して通報しないことが決まる
1つ1つの要素の問題ではありません(要素で見ても厳しいかな、とは思いますが・・・)。私が問題にしているのは、これらすべての要素の「組合せ」です。このような「組合せ」が、まったく別個の作家により、偶然に案出される可能性は、ゼロです。死体発見時の言動等もまた「同一性」の問題です。
古野まほろ(作者)は「死体発見時の言動等」と銘打っているが、前半は被害者の特徴についてである。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、メインとなる密室殺人事件の被害者となるのは「灘瀬朝臣(なだせあそん)」である。灘瀬について記述してある部分を引用したい。
ねちねちとした口調、ねめつけるような視線、四十代半ばにして既に注意信号の頭髪、加えて誰が言い出したかセクハラ疑惑まで併せ持った社会科担当の教諭、灘瀬――なんとか。失礼、フルネームは存じ上げない。専門も世界史だったか倫理だったか。
灘瀬朝臣は社会科担当教諭であり、専門が世界史なのか倫理なのかは本文中で特定されていない。高校で世界史を教えるのに必要なのは「高等学校教諭一種免許状(地理歴史)」であり、倫理を教えるのに必要なのは「高等学校教諭一種免許状(公民)」だ。それぞれ別ではあるが、実際は両方を取得しどちらも教えるというケースが多い。
『天帝のはしたなき果実』において殺人事件は何度か起こるが、メインとなる首無し殺人事件の被害者となったのは「瀬尾兵太(せおひょうた)」である。瀬尾兵太は世界史担当教諭である。本文中に世界史以外の社会科科目を教えているとの記述はない。
黄昏の音楽室に入ってきたのは、我が県立勁草館高等学校で世界史の教師を勤めるとともに、同校吹奏楽部の顧問に任じる瀬尾兵太だ。
「要素」で判断する限りは「社会科担当教諭(専門は世界史か倫理か不明)」と「世界史担当教諭」を「同一性」と表現するのは厳密な意味においては正確ではない。だが、少なくとも数学と英語のように全く関係がない教科ではなく、非常に類似している「要素」であるといえる。
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の特徴が「理不尽な質問と悪態」であることは、さきほど引用した文のすぐ後に書かれている。特筆すべきなのは、実際に灘瀬朝臣が生徒に理不尽な質問をしたり、答えられない生徒に悪態をつくような場面が一切登場しないことだ。設定として生徒に恨まれる理由があることを示す以上のものはない。
根も葉もない噂には同情を禁じ得ないけれど、彼を生理的に受け付けない生徒は多そうだ。授業も理不尽な質問を当てるし、答えられない生徒には悪態もつく。
『天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の特徴が「理不尽な質問と悪態」と断言していいものかは迷う。『ロジック・ロック・フェスティバル』の灘瀬朝臣がただの記号として描かれているのに対し、瀬尾兵太ははるかに血の通ったキャラクターで、特徴として挙げるべき点が複数あるからだ。主人公たちの所属する吹奏楽部のOBであるとか、東京帝大法学部出身であるとか、胸に大きな緑色の宝石を付けているとか、語学の達人であるとか……。
そこで、まずは「理不尽な質問と悪態」に該当しそうな部分を探してみることにする。第一章から瀬尾兵太が生徒に質問するシーンを抜粋したのが以下だ。
「p、って何だ」
「阿呆(ドゥラーク)かお前! 確かにfは『強く』でもいいが、pは『静かに』。(後略)
「あと峰葉、お前は腕立て二セット追加だ――理由は?」
「唇に歌口(マッピ)の跡が付きすぎて興を削ぐな。何でそうなるんだ?」
「それは何でだ?」
(前略)音がボケてる。どうしてだ?」
「舌遣い(タンギング)が柔かすぎたからでしょうか(はふう、想定の範囲内)」
瀬尾兵太が吹奏楽部の録音を聴いて指導する場面である。「理不尽」かどうかは判断が分かれるところだが、「質問」をすることによって生徒にどこがよくなかったのか自ら考えさせるのが瀬尾兵太のやり方のようだ。そして適切な答えを返せなかった生徒には、「阿呆かお前!」と悪態をついている。「悪態」については具体的にその言葉が出てくる箇所がある。
「まずは誰も口論の当事者だって名乗りでてこないからです。瀬尾先生の悪態というか音楽に関しての辛辣かつストレートな要求は今に始まったことじゃありません。誰だって何度もボコボコにされてます」
この発言をした登場人物は瀬尾の言動は「悪態」そのものではなく、「悪態」と表現してもいいような「音楽に関しての辛辣かつストレートな要求」と認識しているようだ。
これまでに記述したとおりメインとなる殺人事件を比較した場合、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「被害者は、成年男性1人」で間違いない。しかし『ロジック・ロック・フェスティバル』は日常の謎を解く場面がいくつかあったのち、メインとなる密室殺人事件が描かれるのに対し、『天帝のはしたなき果実』は連続殺人事件を扱っている。その被害者は男子生徒、女子生徒、教師(これが「成年男性1人」に当たる)である。つまり、メインとなる事件だけを比較対象にした場合「同一性」に該当するが、比較対象を物語全体に敷衍した場合「同一性」には該当しないことになる。
「クローズドな施設」という表現が、含みを持たせている。ミステリーにおいては「密室」と「クローズド・サークル」というふたつの閉鎖状況がある。『ロジック・ロック・フェスティバル』において描かれるのは密室殺人事件だ。文化祭開催期間中に、密室となった社会科研究室で死体が発見される。
「……密室」
僕らが入ってきたドアは確かに鍵が掛かっていた。もう一方のドアは元よりガムテープでがちがちに封鎖されて閉め切りになっており、出入り口としての役目を完全に放棄させられている。四つある窓全てにしっかり施錠されているのが確認できるし、廊下側の壁の上部・下部にそれぞれ設けられた換気用の小窓もご丁寧に施錠がなされていた。
高校の敷地や建物は文化祭期間中で一般にも広く開放されているので「クローズド・サークル」ではない。しかし、社会科研究室を含む四階は、唯一の階段がふたりのバスケットボール部員によって監視されている。
「はい、そうみたいでした。なのであたし、立ち聞きする気はなかったんですが、会話の内容が耳に入ってしまったんです。彼女たちはこう言ってましたよね、『私たちがいる間にここを通ったのは、会長と副会長、あと実行補佐の四人で全部です』って」
『天帝のはしたなき果実』において、メインとなる首無し殺人事件が起こるのは、アンサンブルコンテスト県大会が行われている姫山市文化会館の第7楽屋である。この第7楽屋には死体発見時に鍵が掛けられていたが、オートロック式で関係者が鍵を持っていたこともあり「密室」とは呼べない。
ここの楽屋はオートロック式で、カードキィを持っていなければ開かない代わりに、内側からは鍵もチェーンも掛けられない珍しい扉になっています(朝のミーティングのとき瀬尾がいいましたね)。
姫山市文化会館は一般に広く開放されている公共施設であるので「クローズド・サークル」ではない。しかし、楽屋を含むエリアは関係者以外立ち入り禁止となっている。
「非公開区域にはリボンないと入れへんし、第7楽屋のドアは専用のカードキィないと入れへんで、念のため。借りたら記録残るし」
鷹松学園も姫山市文化会館も一般に広く開放されている。しかし「クローズドな施設」という含みを持った表現をすれば、どちらの作品も外部との出入りが制限される場所で死体が発見されており、当てはまることになる。
ここから死体発見時の状況になる。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の死体を発見するのは、主人公(中村あき)、山手線太郎、鋸りりこ、万亀千鶴、生徒会長(衿井雪)、副会長(成宮鳴海)の6人である。
四階に辿り着くと、そこにはなんと会長までもが参席していた。
「鍵、持ってきてくれたか! 早く、嫌な予感がする」
既に事態も把握しているようだ。
走り寄って僕がポケットから鍵を取り出すと、会長が引っつかむようにしてさっさと鍵穴へ差し込んだ。
かちり、と確かに鍵の外れる音。
社会科研究室の扉が開くと、中から冷気が溢れ出した。エアコンがかけっ放しらしい。何か異様な雰囲気と共に、確かな臭気がその中に感じ取れた。
「うっ……なに、この臭い」
千鶴が鼻を押さえる。
呼び掛けながら室内に足を踏み入れる会長。僕がその後に続いた。
研究室の入り口付近は左手にすぐ壁、そして右手に本棚といった配置である。そのため本棚が途切れたところで、ようやく部屋の全容が見渡せた。
目に飛び込んでくるのは痛いほど鮮かで、残酷な色彩。
一面の赤色。
血の海。
赤の海。
そこに沈む、ぐにゃりとした男の体。
深紅に溺れる、こと切れた灘瀬がそこにいた。
『天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の死体を発見するのは、主人公(古野まほろ)、峰葉詩織の2人である。
うひゃあ! 前を歩いていた瓶緑色(ボトルグリーン)のブレザー着た集団も飛び上がった。彼女はず、ずいと第7楽屋の前に立つ。「キィは?」
「こちらです」
ピ、と脳天気な電子音とともに若草色(リーフグリーン)のランプが灯る。彼女は目を伏せがちにいった。
「こんどは檸檬、買ってくるのよ。古野君の勝――」
次いで教科書どおりの、深々とした、背筋の伸びた息継ぎ(ブレス)。
「僕の、か?」
彼女の凍てついた顔を、僕は忘れない。陸奥(みちのく)の安達ケ原の姫山に、鬼籠もれりというは真実(まこと)か――
そこには、嵌め殺しの机にもたれ、ドアに背を向ける形で、瀬尾だった物体があった。
肩からうえには、首がなく。
それは、避けられない宿業のようだった。
上記に引用したとおり、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「発見者が生徒である」ことは間違いない。付け加えるならどちらの作品も「死体の発見者が主人公を含む集団である」と言っていいだろう。また主人公自身が鍵を開けるのではなく、別の人物に促されて主人公が鍵を渡す点も共通点と言える。
ここからは、死体を発見したものの警察へ通報しないという判断をするシーンである。上記ふたつについて引用部分が同じなので同時に検証する。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、通報を拒否する生徒は生徒会長(衿井雪)である。その理由は自身が実行委員長として力を注いできた文化祭を最後まで終わらせたいというものである。
その時だった。
会長がすっとみんなを置き去りにするように入り口の方に向かった。そして直後、社会科研究室の扉がぴしゃりと閉じられる音が響いたのだ。
「会長……?」
不審に思い、僕も一度灘瀬の遺体から離れ、一同の輪の方へ戻ることにする。
そこから入り口を見ると、なんと会長は信じられないことに扉を背にしてその場で膝を折り、こちらに向かって土下座をしていたのだ。
それだけではない。とんでもない発議がその口からなされた。
それは誰もが理解に時間を要するほどの突飛な提案だった。
「な、何を言って……」
ようやくどうにかして言葉を発した副会長を遮って、会長は哀願するように続けた。
「分かっているんだ、これは普通の思考じゃない……異常だ、狂ってる……そんな風に思うかもしれない……それでも! それでも私は自らの全てを鷹松祭に注ぎ込んできた……実行委員長として私にはこの祭を完成させる義務がある。それだけは誰にも邪魔させない。じきに一般公開も終わる。そこから簡単な片付けがあって後夜祭、ファイアーストーム、そしてグランドフィナーレ――鷹松祭が終了を迎えるまで残り約三時間、あとたったそれだけなんだ!」会長は喘ぐように息を継いだ。「――今一度、三顧の礼を尽くして懇望する。鷹松祭の終了まで示し合わせて黙っていてはくれないだろうか」
『天帝のはしたなき果実』において、最初に通報を拒否する生徒は主人公(古野まほろ)である。その理由はすでに演奏が終わったアンサンブル・コンテスト県大会の結果が聞きたいというものである。
「差し当たり重要なことは」一馬が厳かに口火を切った。「ひとつしかないわ。通報か沈黙か。それが設問よ(ザットイズザクエスチョン)」
「僕は沈黙派だよ」と僕。
(中略)
「今通報すれば、会場は大混乱、大会どころじゃなくなる。あれだけの演奏ができたのは瀬尾のお陰だし、客観的にもその評価を得るのが供養だと思う」
http://anond.hatelabo.jp/20130906071146
これの続き。
結局受診してきたのは心療内科と精神科を併設してるところだったのでどちらにかかったのかは分かりませんでしたが、医師が大学の内部をよく知っている人ということもあって相談できて良かったです。
「そんなことで病院」という意見も見えましたが、まあそれで心が少しは楽になったのだから安いものだと僕は思います。
こちらで見えた大半の意見は「甘えんな糞ガキ」というところに集約すると思われますが、まあそれは匿名という性質上初めから想定の範囲内です(最初の投稿に書いてますよね)。
出る杭は叩く。俺ができるからお前もできる、できないのは甘え。ですよね。美しきかな均質化。
もう少し建設的な意見があっても良かったかなーと思いましたが、唯一建設的と言えたのは公務員技術職はどうかというものでしょうか。あとは基本的にクソガキが甘えてるから叩こうという感じでしたよね。
まあ少なくとも、医者に相談しに行くのは主観的には有効な手段であることが分かったので今回動いて良かったです。
そういうわけですから全国の同じように悩んでる甘えたクソガキの皆さん、あなたの悩みは医者に行っても好転するとは限らないけど、ここに好転した一例があることも参考にしてくれればと思います。
あるいはここにいる他の方がもっと簡単に悩みを解決する方法を出してくれるかもしれませんね。
それでは事後報告ということで。
あとは煮るなり焼くなり天日干しするなりお好きにしてください。それでは。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1773671.html
これなんだが。
俺はこの記事を読んで、こんなネット教育はまったく論外だしとんでもないやり方だと思った。
ところがはてブコメントを見ると、約半数が賛成しててびっくりした。あまりにも意外だったので、ぜひ賛成している人たちの考えを聞いてみたいと思い、この増田エントリーを書いている。
《はてなブックマークの現状》
まずはどんな具合に約半数が「賛成」なのか現状をざっとまとめる。
現状といいつつトップ10コメントだけだが、はてブページは 2013/9/3 12:40 時点でこんな感じ。順番もはてブページの通り。
賛成か反対かは俺の独断で分けてみた。
一部のユーザが大量スターしてるため(見たところ賛成派、反対派ともに各1名かな)、スター数と順番の関係がおかしなことになってたりするが、大多数のユーザは1スター、たまに2スター3スターといった感じなので、状況としては、賛成・反対でまっぷたつと言っていいのではないかと思う。
あらためて賛成コメントを抜き出してみると、「この程度の」「体験させる」「経験しといた方が良い」「一つの試みとしてあり」といった言葉から、コメントした人やスターをつけた人が、この授業での経験を軽くて大したことじゃないものと考えていることがわかる。同様に「試行錯誤」や「体験」「経験」「試み」といった言葉からは、やり直しのきくものだとも捉えているのだろう。
ほんとうにそうだろうか。「誹謗中傷したら実名さらされちゃう経験」って軽いものだろうか。その後の学校生活にたいした影響を及ぼさない経験?
そうじゃないだろう。自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまうのだ。そうやって損ねた友人関係は簡単にやり直し修復がきくものだろうか?
大人でも大変なことなのに、学校が世界のすべてというような子どもにとっていかに重大なことか。
「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。
反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。
教師が実名ボタンを押す頃合いをちゃんと見てるからそこまで大変なことにはならないはず、とか、ネットでの失敗は結果が取り返しがつかないからこの程度の体験をさせることは必要、とか、そもそも誹謗中傷のような負の感情をもっている本人が悪いから自業自得だ、とか、そういう反論を受けるだろうか。
大変なことになるかならないかは属人的な要素が強すぎて、授業手法として一般化するには危険すぎるし、ネットでの失敗が取り返しがつかないことを伝えるという使命があるにしても、それと子どもの学校生活を引き換えにしてよいものではない。自業自得論については敢えてコメントすることもないだろう。
「この授業で伝えたいことは『誹謗中傷してはいけない』ではなくて『ネットが匿名だと思って調子に乗っているとひどい目に会う』ということだから、この手法で問題ない」
この意見は賛成する理由として少しは有望な気もするが、やはり子どもに負わせるコストが過大だという反論を覆すには至らないのではないか。
《まとめ》
当り前だが、俺はものごとには色んな意見があってしかるべきだと思っている。問題が複雑であればあるほど、正誤を判断するのは難しいし、そもそも何が正しく何が間違っているか確かなことは誰にもわからないことだってたくさんある。
消費税増税のタイミング、TPPの参加可否、移民受け入れ問題、原発再稼働か電気代値上げか、解雇規制緩和か派遣労働の拡大か、きのこの山かたけのこの里か・・・。
こういった複雑な問題は人によって意見が違うのは当然だし、さまざまな意見がぶつかりながら社会的コンセンサスを形成していけばよいと思う。
繰り返すが色んな意見はあるだろうとは思う。この授業のやり方にしたって一部の教育関係者が考えつくこととしては想定の範囲内かもしれない。考えついたことを実際に提案し、なんちゃら会議に諮り、そこで働くべきブレーキ機能が働かず実現に至ってしまった。今回の授業はおおかたそんな経緯かな?・・・そう思っていた。
それがたまたまメディアの目にとまり報道されたが、きっと世論でもはてブでも盛大な批判を浴びて、このような授業は二度と行われないに違いない。そんなことを考えながらはてブコメントを開いてみたわけだが、予想は大幅に裏切られ、約半数が賛成を表明していた。
俺が驚いたのはこのような授業が行われたことそのものではなくて、はてブの約半数の人間が賛成を表明していたことだ。
ごくごく少数ならば「えーーありえねーー」で済ますこともできるが半数だと理由を知りたくなる。こんな授業が当り前のように全国の小中学校で行われるような世の中にはなって欲しくないし、自分の子どもをそんな学校に通わせたくないからだ。
だからブコメ書いた人でもスターつけた人でもそれ以外の人でも構わない。
上の反対意見を見てもなお賛成なのか、俺が書いたことに対してどういう反論が成り立つのか、読んだ人、どうかよろしくお願いします。
id:salvatore8 「反対のトップは賛成意見」
反対のトップはid:nakex1氏のコメントことですね。このコメントは「全員に公開して相互不信のタネをまいてしまうのはやり方が雑」と書いており、この授業のポイントである「実名を公開すること」には明確にノーと言っており、俺の意見と近いという点で「反対」に分類しました。もっとも賛成反対は便宜上のものなので、異論があるのは理解します。
id:ktasaka 「誰に対するどういう方向の批判なのか不明。教師の学級経営がここまで信頼されていないものなの?自分でも簡単にできると思ってる?」
→わかりにくくてすみません。この授業手法の是非を「子どもに負わせるコストが過大だ」という俺の批判意見を読んでもらった上で、あらためて問いたいということです。教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキーな方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育を自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。
id:mizunons 「この人は、いったいどういうパーソナリティ傾向の人が「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」と想定しているんだろう。その想定と、この懸案内容は一致していて妥当なんだろうか。」
→小学生くらいの年代であれば「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」のは誰にでも起こりうることではないでしょうか。どのようなパーソナリティの子どもであれ、人を傷つける発言をしてしまうことはあるでしょうし(記事にも5分ほどで誹謗中傷が増え始めたと書かれています)、そうやって言われたことに傷つくこともあるでしょう。それが原因で当人同士の、あるいは友人まで巻き込んだ人間関係が壊れてしまうこともあるでしょう。もちろん全員がそうだという話ではありません。一般的に起こりうることとして想定可能な事態だと俺は考えてます。
Twitter @coneko 「匿名チャット実名表示授業への意見。締めに「自分の子どもをそんな学校に通わせたくない」と言っているんだけど、こういう状況になっても悪口を書かないような子供を育てる、という気にはならないのかな。」
→ここは誤解されているようなので補足します。俺も3人の子の親として、自分の子が匿名であれ実名であれ、事実であれ妄想であれ、悪口を安易に外に吐き出すような子になって欲しくないと思ってます。嫌いとか気に入らないという感情そのものは人として誰しも持ちうるもので悪いことではないけれども、それを外向けに表現するには配慮が必要だという、当り前のことを当り前に学んで育って欲しいと思ってます。この授業で問題なのは、そういうことを率先して教えるべき立場の大人が、チャットで実際に誹謗中傷が増えてきたのを確認してから実名ボタンを押し「ほーらみろ悪口なんてめったに書くもんじゃないぞ」という、俺から見れば最悪の方法で教えようとしているという点です。親としてなすべきこととは別に、こんな授業がまかり通ってしかも賛同を得ている事実に、俺は驚きを感じています。
なんか全レスに近いかたちになってきた。暇だなー俺。まあ誰に迷惑かける話でもないし「なげーよ」という批判には「ああなげーよ!」で返したいと思います。レスしてないブコメについては基本同意だったり、レスを必要としないブコメだったり・・・そんな感じです。同意してくれてるブコメにこそうんうんと頷いてレスしたいんだけど気持ちだけにしておきます。
トラバ「賛成: HNの相手に悪口いうことあっても名前だしていわないだろ」
http://anond.hatelabo.jp/20130903210843
→ブコメとトラバありがとう。そうだね。チャット上のやりとりまですべて匿名ならば少しはリスクは減ると思う。ちなみにどういったルール、どういった運用でやっているかは予測であれこれ書いてもしかたないと思ったので、実はいま岐阜聖徳学園大学附属小学校に問合せてる。まあ匿名ダイアリーの記事ごときで回答が得られるとは思ってないけどね(問合せは実名でやったよ)。
id:uduki_45 「万が一のシミュレーションにもなるし、何より問題を表面化させることが大事だと思う いじめに関しては手遅れになってから解決なんてまず無理な話なんだし」
→誹謗中傷はシミュレーションではないよ。そして、いじめの表面化の大切さについてはネット教育とはまた別の議論だよ。
id:kanjin30203 「小学生くらいの人間関係って陰口言っててもちゃんとゴメンナサイすれば大概元に戻る。中学生以上にやらせるのは確かに危なそうと思うけどね。先生の技量に大きく左右されるから全国でやるべきとは思わない。」
→「大概元に戻る」のが本当だとしても、この授業を実施する積極的な理由にはならないよね。
id:rx7502 「授業の手法にこだわってるけど、そんな小手先ではなくて、主眼が達成できているかや主眼が発達段階を鑑みて適切なのかで、授業を見るべき。成長させる上で、失敗させることも大切。」
→うーん、その失敗の重大さ、取り返しのつかなさを問題にしてるんだけどな。それからもうひとつは失敗のさせ方。友達との喧嘩やトラブルを通して子どもは人付き合いを学んでいくものだけど、だからといって大人が意図的に喧嘩やトラブルを発生させようとするのは無しでしょう。実名さらされてさ。自分がそういう目にあったらと思うと俺は笑えないよ。
id:akikan2 「少し関連記事を探せば、「特定のテーマ上で、特定の個人を誹謗中傷しないルール」で授業が行われたことが分かる。大して調べずに匿名ブログで物事を語る大人を産まないためにもこの授業は必要なのでは。」
→これかな。情報ありがとう。http://www.j-cast.com/2013/09/03182883.html?p=all ここには「特定の個人攻撃につながるものではありません」とはっきり書いてるね。いっぽうで日経記事には「5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた」と書いてあり、両者の記事は互いに矛盾してるよね。あなたは、なぜJ-CASTの記事が正しくて日経の記事が間違っていると判断したのだろうか。J-CASTの方が新しいから?でもこれは日経記事への反響をうけて教頭がインタビューに答えたものだよね。日経の記事は第三者である記者が授業を取材した事実が書かれており、J-CASTのニュースは当事者である教頭のコメントを紹介しているという点で、両者の言い分が矛盾しているならどちらを信じるかという問題だな。俺なら、第三者の日経の方に若干重きをおきつつ、予断ははさまずに態度保留するけどな。少なくとも後者を無条件に信じるのは少々危ういと思う。あとさ、具体的なテーマを与えるとなぜ特定の個人攻撃につながらないと言い切れるのか。俺にはなんの因果関係も感じられないよ。
id:QJV97FCr 「て言うか、あなたが何でこの授業に反対なのか書いてないよね」
→上記本文からコピペします。これが俺の反対理由→【「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。】
id:tonapa 「多分に囮捜査的な手法だが、悪口はダメと理解していて当然の小六児童の間ですら、実際に「匿名前提の誹謗中傷が起きた」時点で意義ある授業だと思う。机上の知識だけで感情や悪意を抑え込める子供は意外と少ないよ。」
→その囮捜査は本職の警察ですら是非が問われてる(というか禁止されてなかった?)というのに、「机上の知識だけだと効果が少ないから」という理由だけで、その囮捜査を子どもにしかけるとは、それこそ問題では?
id:blue1st 「この人の論点とはちょっとズレるけど、「バレる可能性があるからダメだよ」的な方向での啓蒙は果たして正しいのかな、と疑問には思った。」
→コンビニ店長も同じ主旨のコメントしてたね。その通りだと思う。
id:kotetsu306 「"自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまう" ←「陰口たたいてたら『帰りの会』で晒し挙げ」なんて何十年も前からあるけど…?」
→ならやってOKということにはならないし、それを「大人が後出しで」やるのがどうなんって話よ。まったく別の問題です。
id:alph29 「そりゃベストではないけど、ただ「インターネットで人の悪口を書いてはいけません」と言う授業よりは(どうして駄目かを理解するためには)ベターだとは思うよ」
→ベターかな。どうだろう。そうは思えない理由は本文に書いたつもり。そこに同意してもらえないなら仕方ないな。俺の思い込みが強すぎる面もあるのかもしれない。実際にはそんな心配することじゃねーだろ、こんなんで壊れる人間関係なんてないよ・・・てことかな。
id:kain397 「例えば、生徒全員に対して個人面談を行うみたいな指導方法もアリだと思う」
→多いにありだよ。ただ学校にいる教師だけでは時間がとても・・・という話になって、結局は教育予算の話になる。この記事では私立小学校の話だけど、それでも予算ありきで動くのは変わらないし、なによりこの問題は最終的には私立公立関係なく、すべての子どもに共通する問題だからね。
ちょっと脱線するけど、現状では教育カリキュラムがネット社会に対応したものにないというのは、親として俺が日々痛感していることで、それ抜きにしても、親が子どものネットとの接触、エログロとの接触やゾーニングについて積極的に動かなければいけないと思ってる。だってさ、ファミコンしかなかった時代と、スマホやタブレットで隠れていくらでもSNSやエログロに接触できる時代とは、気を配らなきゃいけないレベルがまったく違うんだよ。小学低学年の娘に見せたくないコンテンツがいっぱいある。大げさな話じゃなくてさ、仮に積極的に見ようと思わなくたってスマホでウェブ閲覧すると下の方にアンアン言ってる広告がすぐ出てるよね。
もうここまで書いちゃうと何書いても嫌われるパターンかもな。俺ネットリテラシーなさすぎ。ごめんなさい。
id:fiiguy 載せたでー!
その2はこちら → http://anond.hatelabo.jp/20130904124430
これでも誰もが考えるでしょw 「粘りまくれば、投手に200球とか投げさせられるやんw」と。
ボクシングでも、正当に目の前から殴るボクシングと、外からフットワークで散らしてジャブを当てていくアウトボクシング。 アウトボクシングは確かに「つまらない」と言われるが、技術はきっちりある。
野球も、こういう戦法が認められると、ゲーム性が変わっておもしろいなあとは思う。
でも、メジャーリーグで通じないルールを日本の野球が採用するだろうか。
日本のプロ野球では当然認めないだろう。 認めてこういう選手が続出すると日本の野球がガラパゴス化してしまう。
そして、プロへの登竜門である甲子園では、日本のプロで認められないルールを認めたらあかんだろうね。 甲子園とプロ野球が完全に別げーになったらまずいから。
かりに、パワプロでこういう戦法が使えるようなキャラ、出塁率8割! なんてのが出たらどうだろう?
監督からしてもすごくこの子1人いるだけで戦略の幅が広がったと思う。 すごくおもしろい試合だしw
そりゃそうだ、球は飛ばないw
そういうハンディを持って生まれた人にとっては、プロは無理だろうなあってのはあるだろう。
だが、工夫次第で甲子園でプレイできるかも、、、? となれば、、、突っ込むというのに走る人もでるのでは?
奇策で強者に対抗する。 これに燃えない人はいないんでないか?
そりゃ、強者の投手が消耗させられるのはかわいそうっていうのはあるんだけど。
身長に野球人生つぶされた何万人のことを考えると、こういう反逆もある意味うれしい。
逆に、これを感情的に叩く人って、、、、恵まれてたんだろうなと感じる。
弱者が強者に一矢報いるために、必死になってこれまでに無いものに野球人生突っ込んでギャンブルしている姿に熱くならないだろうか?
俺はなる。
バント(?)技術もさることながら、細かいとこもすごいじゃないと思う。
足も50m6秒でしょ? すごいよ。 これ鍛えてないと無理でしょ? 軽いことを逆手に取ってるんだな。
ガッツポーズも、心理戦略でしょ。 心からやってるわけじゃないのは大人は分かるでしょ。
盗塁偽装も、わざとでしょ。 たぶん、盗み見してなくても、揺さぶるためでしょ。
こういうところもあれだけど。
彼は、視線から見て、たぶんいろんな事考えて一つ一つのプレイを完成させている。 たぶん画面から見えないところで死ぬほど計画して、死ぬほどいろいろな奇策を立てている。
「打順がきたら、、、相手の守備位置、、、あの高校のアノ選手の癖、、、」そういうもの一つ一つを自分の戦術とすりあわせて死ぬほどプラン建てて試合に臨んでいる。
だれでもやってるというかもしれないが、彼の武器はそういう細かいところで、大きな所では強者には及ばないと思っている(バッティングセンスは実は高いかもしれないという話はあるが)
こういう、「ダレもやってない打法を究極まで突き詰める」という求道者みたいな姿勢も、すごくおもしろい。
彼は、状況判断もすごいと思う。
強者の場合は、かなりおおざっぱでいいというか、「自分の持ってる力で対応すればOK」というところがある。 160キロの球が投げられれば、こちらが対応しなくても、ある程度通じてしまう。
そういう選手に比べ、力が無いほうは、「細かく状況を前もってシミュレートしなきゃだめ」なのだけど。
彼は、それを死ぬほどやってるんだろう。 相手が対応してきても、「想定の範囲内」になってしまうのだろう。
世のスポーツはともすると「技術の応酬」になるが、技術だけでなく判断力も問われるようになると格段にゲームがおもしろくなる。
そして、彼の状況対応力は、十分「ゲームとしておもしろい」レベルにまで仕上がっている。
彼のこういう、「画面ではパットは見えない」技術、そして、「一般の人が見ても分かる状況打破のやりかた、パフォーマンス」にも魅力を感じる。
おはようございます。大学教員です。30代で前の就職氷河期を目の当たりにしてきた者です。
就活に卒研お疲れ様。就職がまだ決まってないのについては気にすることないですよ。
うちのゼミの学生も、周りのゼミの学生にも、まだ決まってないのはたくさんいます。
決まってて「キラキラ」してる人が目につくとは思いますが、気にすることはありません。
この時期の卒研は、まさしく「初めての発表だからしょうがない」です。
そもそも4年生にそんなブリリアントな発表を期待してる教員なんていません。
ボロボロなのは想定の範囲内です。だからこそ添削します。今回の添削をふまえて
次の発表でちょっとでもよくなってればそれでいいんです。
貴方の目から見て「すごい発表してる!」って4年生もいるとは思いますが、
教員の目から見れば、だれもかれもいい勝負であることも多いです。
学部生というのはそんなものなのです(いい意味でも悪い意味でもなく)。
逃げたくなる気持ちはわかります。皆が4年生のころ、同じ経験をしています。
とくにスケジュールがつまってきたらそうですよね。
アドバイスとしては、「『ぎりぎりまで我慢して逃げる』のではなく、
『逃げたくなるような状態だということを教員や先輩に発信しておく』」ことです。
先生は学生を指導して卒業させるのが仕事ですから、「逃げていいよ♪」というような答えは返ってこないだろうと思います。
ですが、学生がそういう状態であることを知れば、研究テーマを実行可能なレベルに絞るやり方を考えてくれたり、
「どうにもならなくなって逃げる」に至る前に、少しずつ研究・仕事の進めるやり方を教えてくれるはずです
(そういう先生であることを祈ります。まぁ百歩譲って、先輩方や周りのほかの先生のうち、一人や二人くらいはそういう人がいるでしょう)。
初めてのことに取り組むのですから、一人でなんとかしようと思わないということが大切です。
くれぐれも体には気を付けてね。
<はじめに>
ヱヴァQが面白く無かった人の中には、どうしてそれが面白く無かったのか、
どうしてあんなに面白く無かったものをありがたがる人がいるのか、を理解できない人もいるかと思います。
(理解した上で嫌悪感を感じる人は本説明の対象外です)
そうした人達に向けてヱヴァQおよび旧作エヴァンゲリオンの面白さと面白く無さを説明してみます。
ただし、これは「説明」なのであって、ヱヴァQはだから面白いよねという「説得」ではありません。
理解できたからといってヱヴァQが面白くなるわけではありません。
<要約>
ヱヴァQはアンチorメタエンターテイメント的な構造=「期待を裏切られる楽しみ」を持っている。
(ここでいう「期待」とは「謎の提示→解決」「話のフリ→オチ」「主人公の苦難→成長」という、従来のエンターテイメントが持つ構造である)
「期待を裏切られたこと」が受け入れられない人は当然つまらなく感じるし、裏切られる楽しみを感じた人は楽しめただけの話。
これについては説明できません。「そう感じる」のだから仕方が無いありません。
ただ、他アニメに比べて単純にクオリティが低かったかどうかで言えばそんなことは無かったのではないでしょうか。
本説明は、こちらに関する説明になります。
通常、お話には各文章毎に意味があり、お話世界の設定を示し、物語が流れ、オチがつきます。
これが普通の「エンターテイメント」です。たとえばミステリを例にとってみましょう。
まず小説世界の設定が示されます。その示し方、というのは作者が見せたい示し方「ある視点からみた小説世界」です。
その世界には「謎」があります。クライマックスで作者は別方向からの視点を持ち込んだり、
視点の位置を変更することによって「謎の解決」をはかります。これがミステリです。
旧エヴァンゲリオンと新ヱヴァンゲリヲンには様々なエンターテイメント要素「純文学的」「SF的」「ミステリ的」な楽しみが入っています。
本論ではミステリとしての切り口からエヴァ群およびエヴァQを読み解きます。
エヴァには謎がちりばめられています。南極で4体いた巨人は何なのか、槍とは何なのか、人類保管計画とは・・・etc。
通常のミステリ系エンターテイメントではこれらの謎には一応の説明=オチがつきます。
謎と回答がセットで用意されていることがミステリ系エンターテイメントの条件なのです。
謎に対する回答が論理的でないことはミステリ系エンターテイメントでは批判対象になります。
では、謎に対して論理的な回答が用意されていればいいのでしょうか。答えは否です。
当たり前すぎる謎への回答は「つまらない、面白く無い、想定の範囲内」としてまた批判対象になるのです。
ミステリ系エンターテイメントの歴史はこの矛盾した期待「筋道が通っているのに予想を外す」に応えた歴史でした。
エンターテイナーは密室を作り、アリバイをでっちあげ、人物を交換し、天狗の鼻の上でナイフを滑らせたのです。
しかし、読者には読書体験が蓄積されます。「密室もの」「アリバイもの」「島田荘司のいつもの」などのように予想は外れにくくなります。
ミステリ系が広まることがミステリ系の楽しみを成り立ちにくくするのです。ここでエンターテイナーはさらに頑張りました。
密室ものと見せかけかけた人物入れ替え(トリックをトリックとして使う)や、
文章を意図的に誤読させることで謎でないと感じていたものを最後に謎であったと提示する(叙述トリック)などです。
「読者の読書体験込み」の謎(トリックを知っている読者への謎)を作ったのですね。
しかししかし、それすらも読者の読書体験に織り込まれてしまいます。「ああ、これは叙述トリックもの」だね、という風に。
こうしてミステリ系エンターテイメントのパターンは全て出尽くしたように見えました。あとは各作家の文章力/味付けだけの世界になったように思えました。
しかししかし、そうではありませんでした。ミステリ系エンターテイナー原理主義者が考えた最後の兵器、最後の謎、それがアンチorメタミステリです。
アンチミステリ、メタミステリとは何か?それはミステリ系エンターテイメントの条件「謎には回答がセットで用意されている」という想定、
「これはミステリだろ、という読者の読書体験を裏切る」ミステリのことです。(読者体験を念頭に=メタ、解決の放棄=アンチ)
ミステリ的に提示された謎は解決、されません。貼られた伏線には何らかの意図があり、背景には脈絡が流れているにも関わらず永遠にそれが明かさないのです。
読者は怒りました。怒り狂いました。こんな本は狂っていると騒ぎ、壁に本を投げつけ壁に穴をあけ、火を付けてさつまいもを焼いたのです。
ただ、一部の読者は壁にめり込んだ本を再度開き、焦げた本を再度繋ぎ合わせ始めました。
何故か?永遠に解決されない謎がとても魅力的に思えてきたのです。
アンチorメタミステリがただの問答無用の「裏切り」だったとしたら、それはミステリでもなんでもありませんでした。
しかししかししかし!アンチorメタミステリはきちんと「ミステリ」でした。何故か?提示されない、収束しないだけで、回答らしきものは「読めた」からです。
作者はデタラメに謎を配置したわけではなかったのです。
謎の配置には意味がありました。完全に繋がっていない謎同士、明かされずぶち切れた伏線から、かすかな破線のような真実の輪郭はかろうじて読めたのです。
一部の読者たちは途切れた伏線をつなぎ、明かされない謎を照らし合わせました。そうしてできた回答は一つではありません。
読者の数だけ答えがありました。いや、読者が考える度に回答が産まれました。
作者の意図は完全にトレースあるいはサルベージできない(ようにつくられている)ため、当然のことでした。
本を拾いあげた読者たちは各々、自分の回答について話合いを始めました。そうしてまた、新しい回答群が産まれたのです。
それは他のアニメにも言えることかもしれません。ですがエヴァは思いつく限り全部入り、ぐらいの要素が入っているのです。
SFとしてのエヴァ、純文学としてのエヴァ、ミステリとしてのエヴァ、キャラ萌えとしてのエヴァ。
それぞれが本格的に作られており、それらが複合的に絡み合うことで色々な読みを許す懐の深いアニメです。
当時、それら本格的な要素を持つアニメとしてエヴァはそれなりに期待されました。
TV放映の途中まで庵野監督は概ねそれに応えていたといっていいでしょう。
しかし、最終的には庵野監督は視聴者の期待をことごとく裏切ります。
TV版エヴァでは最終二話にはエヴァはほとんど登場せず、伏線は回収されず、ただ主人公が救われたという心象風景だけが提示されます。
旧映画版。今度こそ、と期待されたものを再び庵野監督は裏切りました。
復活したヒロインは次の瞬間無惨に食われ、主人公は最後の最後まで成長らしきものをせず、謎らしきもの回答は完全には示されませんでした。
たくさんの視聴者が失望・・・しませんでした。これこそがエヴァだと叫び、糞だ糞だと拍手喝采褒め讃えたのです。
エヴァがいかに糞でその糞が何を描いていたのかについて各々語り始めました。
何故か?視聴者は「裏切られることを予期していた」からなのです。
TV版最終二話でなされた裏切り。庵野監督が持つオタクへの自己嫌悪から発生したと言われるファーストインパクト。
これはうんこでした。ただただ庵野監督がうんこをしたかった。とてもうんこがしたかったことが原因で産まれた巨大なうんこでした。
しかし、これが偶然にもアンチエンターテイメント、アンチミステリの形式を踏んでしまうことになります。
「開示される予定だった真実が巨大な庵野のうんこによって適度に隠される」ことで良質なアンチミステリとなってしまったのです。
デリヘル・ガイナックス♪で嬢呼んだらいきなり罵られた挙げ句勝手に帰ってしまったんだけど、そういうプレイだと思えば良質だったみたいな感じです。
この放置プレイが評判を呼び、放置プレイマニアがこぞって映画館に行ったのですから、文句の出ようがありません。
いや、息子のわがままで映画館に連れてこられた私の家族など、一部、可哀想な人たちがいたことは事実です。歴史の裏にはいつも悲しみがあります。
庵野監督は10年くらいたったから、そろそろうんこ溜まってきたし、うんこしよう。するなら、前回よりもおっきいのを、だ。と考えました。
巨大うんこのために作られたより巨大な謎、セカンドインパクト、それが新劇場版ヱヴァQでした。
序、破は伏線でした。庵野監督は旧エヴァの制作/公開体験を、そして視聴者の視聴体験を利用します。
つまりメタミステリとしてのヱヴァ「第一の裏切り=お、これ、前と違ってまっとうなアニメじゃん!」です。
旧劇では糞が半分読まれていました。
旧劇を超えるためには、序、破、でエヴァが糞で謎を隠す形式のミステリである視聴体験を払拭する必要があったのです。
普通の糞好きに普通に映画館にきてもらっても、もう、庵野監督は満足できない。
訓練された糞好きでも楽しめる、よりアクロバティクなうんこを魅せるとともに、
中年男性がうんこを放り出したとこをみたこともない女子高生にうんこの素晴らしさを伝える、という庵野監督の願い–––––––人類補完計画。
この発動を目的として作られたため、序、破は精巧に綿密にまっとうなエンターテイメントをしていました。
そして、ヱヴァQ。やってしまいました。満を持して登場した監督はヴンダー=希望に糞を放り出す12使途(ネタばれ)として登場。
観客を糞塗れにします。
君の言っていることはほとんど意味が分からないよカヲル君、それどころか肝心なことは何一つ言わないよシンジ君以外のみんな。
これが第二の裏切り=
一人じゃないんだ、と思ってたら「孤独でしたー」
前に進めたんだ、と思っていたら「進めてませんでしたー」
槍でやり直せると思ったら「やり直せませんでしたー」
です。
救われるべきものが救われないアンチエンターテイメント、開示されるべき謎がほったらかしのアンチミステリこそがヱヴァQなのです。
つまらないのは当然なのです。まっとうな反応なのです。面白いとみせかけて面白く無く作ったのですから、面白いわけが無い。当然のことです。
ただ、「期待を裏切るという形式のエンターテイメントが面白さを期待されたら、最終的には<面白いことを裏切る>しかない」んです。
一度は必ず「面白く無いという面白さ」へ行き着いてしまうものなんです。これはもう、ある程度しょうがない。
問題は次回作シン・エヴァンゲリオン劇場版に持ち越されました。
ここできちんと伏線が回収される!と見せかけて回収されない!謎が開示される!と見せかけて開示されない!のか、どうかは分かりません。
アンチ的構造の最終回だったとしても、ある程度、おぼろげながら真実が見える形には仕上げてくるのではないでしょうか、というのが僕の予想です。
ある一つの解を持つミステリは、ネット社会においては瞬時に消費されます。
AはBだったんだ!以上!という情報は急速に読者や読者ですらない人間に行き渡ります。
「なあんだ、Aは結局Bだったのね。あーあれね。昔あったA=B型的カテゴリのやつね」というふうに。
物語の延命をはかろうと思うとメタorアンチミステリの形式をとらざるをえないのです。
読者が謎と真実について語り合うことで新たな謎が生まれ、語りが語りを呼ぶことで物語はかろうじて生きながらえるのです。
だから、今は普通のエンターテイメントにもアンチ的要素は含まれます。
ある物語できちんとオチがつくものの、別の読者を引きつける開示されない大きな謎がシリーズを繋ぐとみえる、などベタな展開ですね。
ちょうど、TVゲームがネットゲームになったことにそれは少し似ているかもしれません。
ゲームの攻略そのものではなく、攻略について語り合い、次アップデートへの期待について語り合うメタな楽しみ。
ラスボスを倒しても終わらないその営みこそがネットゲームの醍醐味です。
エヴァンゲリオン、一体、どうなってしまうんでしょうね、楽しみですね。
こちらからは以上です。
流行りもんに絡みたい欲望にかられたので思ったことを少し書かせてもらいます。
それに対して、「企業なんだから利益追求は当然」という反論が出ている感じですが、
それにはそれで「公共の電波は利益追求の為に独占していいものじゃない」
って感じの反論で「公共」ってワードで責められてるように私には思えます。
でも、「公共」なんて遵守してどうなんの?
それで視聴率とれんの?
って思う。
つまり、公共とか言ってる人はそもそもテレビ見ないネットで情報収集とかしてる
アタマイイ人たちなようにも思う(何の根拠もないよw)
その人達が望んでることってもしかして、テレビ局に死ねって言ってるんじゃない?
そういうアタマノイイ人たちはこのまま、テレビという存在の影響力は低下して、
つまり、そういうアタマノイイ人たちの望み(意識的にしろ無意識的にしろ)は韓流が消滅することじゃなくて
自分たちがネットで楽しんでる間に、テレビ業界は今まで通り想定の範囲内の当たり障りの無い放送を続けて
誰の思想もコントロールすることなく失墜して、
独占している広告利益と電波を公共へ返還することを求めているのかもしれない。
だとすれば著名人の言う「企業として当然の生存活動をしているだけ」という擁護は見当違いで、
そもそもテレビのガムシャラの生存戦略だから許せなんてなんの反論にもなっちゃいないのかも。
当然。テレビ局が生存しようとすることは悪いことじゃない。
だけどライオンがシマウマを狩るように、自分たちの養分にするために他者を殺すことだって悪いことじゃない。
とか思った。
そんだけ。
「外部電源喪失は津波が原因ではなく、地震で鉄塔が折れたことが原因だ! 地震は想定の範囲内だから東電の責任を(甚大な災害である津波を理由として)国に転嫁するのはおかしい!」
ですがこれは筋が悪い主張で、東電は(自分の知る限り)外部電源喪失が想定外だとは言っていない筈です。原発にとって外部電源喪失は想定内だし、今までだって何度も外部電源喪失というシナリオは(それこそ世界中で)発生しています。それならば、共産は事前に津波のリスクを指摘していたわけですから、その一点に絞って相手の主張を崩したほうが筋が良い筈なんです。
頭に血が昇って筋の悪い主張をする輩が多すぎる、と思います。
私が何をしてるか? と問われてますが、一応技術者なので、自然エネルギーをどう上手に使うか日々考えてますよ。みなさん、「風力発電で原発が○基とめられる!」とか「太陽光発電を全ての家に導入しよう!」とか無理難題をおっしゃるので、なかなか挑戦的な日々を送っております。交流系統なめんなよ?
ちなみに、専門家が「活動家の正しい意見」に対してデータに基づく横槍を入れると、「御用学者認定」するのも糞だと思います。自分達の主張の正しさに目を囚われて、他の立場における正しさに対して耳を傾けるってことができない。耳の痛い、あるいは何を言っているのかわからない意見にこそ自分の視野の狭さや限界を打破する鍵があるのですが、そういうことがわからない。
単にストレスをぶつけてるだけで、問題を解決する気がない(あるいは、気はあるけど能力が追い付いていない)人に辟易しているだけです。
若干追記:
専門家ではない人だって、相手の立場への多少の思いやりがあれば、もうちょっとましな主張をします。社内での根回しとかと一緒で、相手の顔を立てつつどうこちらの利益に導くか、とかそういうスキルは誰もが(持ってるかどうかはともかくとして)認める能力のはずです。自分が正しくて、相手が間違っているからそれを全員認めるべし、というのは、立場とか関係ないフラットな間柄ではじめて意味を持つポジションであって、役人相手の主張、政治家相手の主張、電力会社相手の主張、それぞれに本来は異なってしかるべきです。
福島の方々にそういう悪知恵を働かせる余裕がないのであれば、直接深刻な被害を受けていない人間こそそういう支援をすべきと思うのですが、現場の方々よりヒートアップしてる方が身近におりまして。お前はちょっと落ち着いて戦略的に考えろと言いたいんだけど、立場的にどう言えばいいのか難しいんですよねー。
東日本大震災で福島第一原発が大変なことになったので、「原発は危険なものだ」という印象を持った人が多いことは理解できる。
しかし、あの地震はあくまでも想定外だったということに留意しなければならない。
想定の範囲内の地震だったなら、決して原発から放射能が漏れることはなかったはずだ。
もちろん、福島第一原発以外も同じことだ。
いかなる大地震や大津波が襲来しようとも、それらが想定の範囲内である限り、原発が爆発したり、暴走したり、お漏らしをしたりすることはないのだから、安心していいのだ。
問題は想定外の震災だが、これはもう想定外なのだから想定しようがない。想定しようがないことについて考えるというのは、語り得ない事柄について語ろうとするのと同じことで、全く無意味といえるだろう。
従って、意味のある議論をしようとするならば、我々は原発は絶対安全だという前提に立たねばならないのである。
そうすると、今すぐ日本中の原発を停止せよ、などという意見が暴論であることは明らかだろう。
絶対に安全な原発をわざわざ停止して、何が得られるというのか。
太陽光だの風力だのは全くあてにならない。
それらは原子力発電の穴を埋めるだけの電力を安定的に供給することはできないのだ。
そうすると、どうなるか。
夏場に停電が生じる。
えっ、なんだって?
暑さは単に不快感のもとであるばかりではない、体の弱い人にとっては生命の危機をもたらす危険があるのだ。
原発を止めてしまったがために熱中症になり、重篤な障碍を惹き起こしたり、そのまま死に至ったりする人が続出する事態をどう考えるのか?
弱者の命などどうでもいい、とでも言うのか。
私は怒りに震える。
原発憎し、の一念で人の命を危険に晒す輩の言うことに耳を傾けてはならない。
繰り返すが、原発は安全だ。
そうすると電力が不足することになるが仕方がない。
夏の暑さくらい我慢しなさい。
お返事遅くなりました.気が付いたらいろいろ話が展開しているみたいですが,素直に返信.
ちなみに私はアンチ原発派ではなく原発容認派です.なので原発=ダメ=即刻停止という考え方はしておらず,代替できるものがあればそちらに移りたいと考えているだけです.
原子力発電所のリスクなんてあんなもんでしょ。今まで運良く一人残らず目を背けていられたってだけで。
もっとも、仮にあそこに火力発電所が建っていたとしても、重油の流出やら火災やらでやっぱり相応に被害を周囲にお呼びしていただろうし。
「リスクなんてあんなもんでしょ」とのことですが,私が質問した「リスクのコスト」についてはどうでしょう.今回の危機は想定の範囲内であり,原発のコストパフォーマンスを活かして得たお金で万全の補償ができるので誰にも文句は言わせません,壊れた原発は直すだけ,原発はこれまでどおりです.と,考えているなら,「リスクなんてあんなもんでしょ」とのとおりですが,原発推進派?の方々だって,
という具合にリスクのためにかかるコストを高く再計算しているわけですよね?この原発の最大の利点であるコストパフォーマンスについて,推進派さえも再計算が必要と考える状況において(しかもその原因が最大の欠点である原子力の危険性),原発との付き合い方に再考の余地はないのか?と考えるのは決しておかしい話ではないと思いますが.
俺が言いたいのは、
じゃあ仮にずーっと火力発電オンリーだったら、日本は今と同じような繁栄を享受できていたのか?
今から火力発電に切り替えたらそれで全部解決なのか?
だよ。
今回の議論の中で「原発は不要だった.あれがなければ日本はもっと良くなっていた」なんて話をしましたっけ.私はそんな考えは全く持っていませんが,もしそのように受け取れる発言をしていたらすみません.
私が呈した疑義は「今回の状況を見ると,原発の合理性について再考する余地があるのではないか?」そして「太陽光発電と省エネは考慮するに値するものではないか?」です.
電子力発電所が建ち始めた1960年代の専門家の評論とか色々漁ってみるといい。あちこちで散々に議論され尽くされた上で「まあ原子力発電しかねえわな」と関係者達は渋々(一部は喜色満面に)承諾してる。最後まで反対し続けたのは社会党や共産党みたいなコミュニストの狗みたいなのばかり。
えーと,以下の話は1960年代の評論を読まずに書いています.すみません.
1960年代当時の判断を否定したいわけではないです.現実としてこれだけの繁栄を支えたわけですから.戦後15年で原子力を選択したという話ですが,これを聞いた時「そうなのか!」と驚きましたが,良く考えたら戦争突入の理由の一つが油の枯渇なんだから油からの脱却を狙うのは妥当な選択ですね.
そして当時,油以外のエネルギーの選択肢がどれだけあったかというと,太陽光発電の世界初の実用化が1958年,国内初の地熱発電所が1966年,風力発電にいたっては1980年代,ましてや省エネなんて戦後復興時に考える話ではないでしょう.原子力発電を選択するのは合理的な判断だったと思います.
http://solarsystem-history.com/history/his_1958.html
1954年に初めて太陽電池が発明されたものの、当時の太陽電池は大変高価なものでした。そのため現在のように一般家庭で利用できるようなものではなく、特殊な用途に限定して利用されていました。その“特殊な用途”として代表的なものに、人工衛星への電力供給が挙げられます。実は世界で初めて太陽電池が実用化されたのは、人工衛星だったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB
日本では1919年に海軍中将・山内万寿治が大分県別府で地熱用噴気孔の掘削に成功、これを引き継いだ東京電灯研究所長・太刀川平治が1925年に出力1.12kWの実験発電に成功したのが最初の地熱発電とされる[17]。実用地熱発電所は岩手県八幡平市の松川地熱発電所(日本重化学工業株式会社)が1966年10月8日に運転を開始したのが最初である。
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/foreigninfo/html9908/08229.html
風力発電は、1980年代にアメリカにはじまり、1990年代にはヨーロッパでの開発が大いに進展し、今や、インド、中国でも化石燃料に代わる、環境に無害な有望エネルギーとして大きくとりあげられている。日本では、1980年に試験用の40kWの風車が設置されたのが最初であるが、1980年代から電力会社等での試験・研究がはじまった。
繰り返しになりますが,別にいますぐ原発全部止めろ!なんて言うつもりもないです.上記に挙げた新エネルギーが原発とそっくりそのまま代替可能とも思っていません.しかし,このように1960年代当時には選択肢として存在し得なかったものが増え,そして今回のような事故が起こったた今でも,当時の合理的判断は再考の余地がないのでしょうか?
で,私の意見は太陽光と省エネと言うのは,まぁ一見すると鼻で笑ってしまいそうな話ですが,一考の余地があるのではないかと.以下,それを説明します.
今回の問題は「一カ所集中発電のリスク」と「原子力のリスク」が原因ですよね.で,元増田は前者についてはたくさん原発を造ること,後者についてはより性能のよい原発を造ること,で解決するという案を提案しています.今回のようなトラブルはより良い原発(ひいてはより良いエネルギー供給体制)のために避けては通れない通過点だ,と捉えるのは原発推進戦略としておそらくまっとうだと思います.
これに対する私の反論ですが,私は今回の事故を見て,どう頑張ったところで人の想定の斜め上を行く出来事は起きてしまう,と感じました.よって「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」と考えます.そうであるならば,最悪の事故が起きた時にそれを最小化する戦略しかないので,あちこちに原発を作るという戦略はありえないと考えます.
もちろんこれは「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」という前提のもとに成立しているので,それが解決されれば主張は変わる可能性が大です.あとは「最悪の事故が起きた時にそれを最小化」すればいいので,原子力が漏れても平気などこぞの奥地だとか月に原発を作るならokです.
人里から数キロしか離れていない,しかも津波も地震も台風も来るのが毎度,の土地に原発を作り,しかも旧式とわかってもなお動かし続ける,という現在のやり方はいくらなんでもリスク対策をケチりすぎじゃないかと.
で,一番最初の話に戻ると,太陽光発電と省エネに期待したのは,両者のリスクを持っていないからです.いろいろ言われていますが,やはり太陽光発電は停電時にはそれなりに役立ったようです.
あとビジネス的にも,原発も太陽光も(あと省エネも)日本に強みのある分野で,CO2絡みで注目されている分野ですが,今回の事故は前者には向かい風で後者には追い風です.
「計画停電で使用できない」 太陽光発電、操作周知にメーカー躍起@産経
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110321/biz11032101270000-n1.htm
家庭用の太陽光発電装置は、パワーコンディショナー(パワコン)という装置を使い、太陽電池で発電した直流電流を、家庭で使用できる交流電流に変換している。ただ、パワコンを動かすための電気は、通常、電力会社から送られる系統電力に依存しており、そのままでは日中発電していても、電気が使えない。
使用するためには、家のブレーカーをオフにし、パワコンに付属したコンセントに直接、電化製品の電源コードを差し込む必要があるが、意外に知られていないのが実情だ。
脱原発はまだ夢物語に過ぎないとしても,少なくも現在のエネルギー資源ポートフォリオを組む上で,今回の事故を「大丈夫だ,問題ない」とスルーするのはおかしいのではないか,原発(火力も似たようなもんだけど)が持つリスクとちょうど補完関係に太陽光発電(と省エネ)を現実的手段として考える良いタイミングなのではないか,というのが意見です.
まぁ本音は原発やめろじゃなくて太陽光やろうぜ!だった気もしますね.こうやって整理すると.太陽光について反対派は「割高でしょ」といい賛成派は「回りだしたら安くなる」という.今回の騒動で太陽光発電のコスト以外のメリットが見えたので,これを機にいっちょ太陽光電池にもチャンスを与えてあげていいんじゃないかと.
手間もお金もかかるけど、利益も大きい@産総研 太陽光発電研究センター
http://unit.aist.go.jp/rcpv/ci/about_pv/economics/benefit.html
太陽光発電は現時点では一般的な発電方式よりもまだコストが高いのですが、大量生産を進め、計画的に普及を図ることで十分に安くできると見られています。補助金や電力会社による買取などの助成策は、コスト低減と普及を進める効果があります。開発・普及には大きな費用と相応の年数が必要ですが、化石燃料の輸入と異なり、その費用は国内に大きな経済効果や雇用をもたらします(図2)。先行するドイツなどでは既に普及費用を遙かに上回る経済効果と数万人の雇用を創出し(*2)、これにならって欧州、さらには中東・アジア諸国や米国も積極的な普及に乗り出しています。
あと,当分電力不足が続きそうなわけですが,原発なんてそうそう作れないですよね.一方で太陽光発電は市販のソーラーパネルを買えばすぐに発電所のできあがり.太陽光発電では昼間だけという問題はあるが,ピークはむしろ昼間にあるんだからそれを避けるのには十分貢献するのでは.
どうやって普及させるかという問題も,高速無料化とETC,エコポイントと家電,この辺の事例を思えば補助金うまく使えば可能では.あと気になるのは生産が追いつくかどうかだけど,それこそ元気な西日本で(がんがん電力使って)作って東日本に送ればいい.サンヨーもシャープもパナソニックも西の企業だしちょうどいいのでは.
ここ1年ぐらいかな?ニコニコ動画関連商品のものがレンタルでも取り扱われるようになった。
以前は、せいせいウマウマできるトランスをつくってみた。だったかな?
あれが置いてある程度だったんだけど、ここ最近はボーカロイドだとか歌い手だとか。まぁ、そういったものがレンタルCDとして置かれるようになった。
中にはニコニコ動画でよく使われている効果音集だったかなぁ?なんかそんなものまである。
これ、需要あるのかなーと苦笑しながら商品整理をしていたんだけども……いや、よく商品が回りますね。
統計とかとっていないから詳しくはわからないけど、歌い手のCDを借りる人は圧倒的に女性が多いと思う。
女性が多いので、歌い手でよく回るのはいわいる男性歌い手。女性歌い手のものは男性に比べれば回らない。
いや、回っている方なんだけどね。商品としては。
ボーカロイドはやや女性が多い。くらいかなぁ。男性も結構借りている気がする。
借りる年代はやはり10代後半から20代後半くらいまで。30代になってくるととたんに減る。
んで、借りる女性の容姿なんだけど、驚くほど普通。えっ?あなたがこれ借りるの?って思っちゃうくらい普通。
男性は、なんとなーく「あぁこれを借りるのわかるなー」って感じなんだけど、女性はそうでもない。
ふつーにaikoやら、宇多田に混じって、ボーカロイドとかが借りられていたりする。
あと、意外かどうかはわからないけども、アニメCDとニコニコ動画関連商品を一緒に借りる客は実はあんまりいない。
これは、アニメの音源は全部ニコニコ動画から落としたりしているのかなぁ……とかいう邪推が入るんだけど、まぁ、推測にすぎないし、統計とってないから本当かどうかはわかんない。
ただ、ニコニコ動画関連商品をレンタルするお客さんは、女性の方が圧倒的に多い。
ニコニコ動画のあのコメントなどは女性の手によって生み出されてるのかーなんて考えるとちょっと面白い。
ちなみにレンタルコミックも取り扱っていて、その中にはBL商品もあるんだけど、これを借りるお客さんは20代後半から30代女性が多い気がする。一度、18禁の商品を15歳の子が借りようとしてて「ごめんなさいこちらの商品はお客様ではレンタルすることはできないんです。」みたいなことを言ったら、顔がぼっと赤く燃え上がってた。可愛かった。
あ、あと最初に謝っておく。
俺は男なので、意識的に女性の方に集中してしまい、結果として女性がよく借りている!と頭に強く印象づけられている可能性とかもあるから。
まぁ、こういうのは統計があったら一番なんだけどねー。と、いうわけで根拠とかは特に無いのでまぁ話半分に聞いてください。
まさか、koizukaとかnojiri_hとかmyrmecoleonとかkawangoとかに見られるとは思ってなかったんで……
あーなるほど。その考えは無かった。確かにその可能性あるね。だとすると、本当の本当に邪推だな。あれは。
今度販売担当の人に聞いてみるかなー。
>CDレンタルはしないな。レンタルするよりP2Pで落としたほうが早いしなぁ。
>男性は音楽に対して批評・批判的な場面が多い。自分が普段聴いているものをやたらと披露できない。
あー、そんな気もするなぁ。あと、異性から見られたときの見栄とかも気にする気がするなー。男は。
上にも書いたけどこれはあくまでも俺の印象っていうだけなんで。
これを裏付けるソースとかは俺の知っている限りでは無いのでそこらへん気をつけてー。
>isaisstillalive:15歳のおにゃのこかわいい
>Desperado:面白す。
ありがと。
>mongrelP:むしろコメントせずに視聴だけする層(というか案外コメントって敷居が高い)なんじゃないかなあ→女性 あ、妹がカラオケで普通に歌うとか聞いての雑感なんだけどね
あーそうだねー。ここらへんは、ニコニコ動画を見る=コメントをしているという短絡的な考えをしてしまった俺の間違いだわ。
そりゃそうだわー、そうとは限らないよねぇ。見ているからコメントをしているかどうかなんて。
>natukusa:ニコ動主催の音楽系イベントは女性をターゲットにした演出多いなーとは思ってた。男性ユーザーはより土壌が豊かな女性声優方面に流れてるんじゃないか説を提唱したい。
なるほど。でも、女性声優のCDも置いてはいるんだけど、借りられるのはほぼ水樹奈々なんだよなー。しかも、割と女性多目。いや、男性の方が借りるけどね。割合としては7:3くらいかな。ここらへんは、それこそ上で書かれているように借りられるよりも買う層のほうが多い気がしている。気がするだけで根拠は何も無い!ごめんね。
>aitanisan:冷静に考えたらレンタル屋で「アニメCD」を借りる層と、「ボカロや歌い手などのCD」を借りる層は被らないなあと。後者は増田の言うとおり若い女性が借りるけど、前者は2、30代前後の男が借りるイメージがある。
あーうん。大体そんな感じかなー。そもそも、女性はアニメCDよりかドラマCDを借りていくっていうのもあるとは思うんだけどね。コードギアスとか一時期すごかった。
>ululun:こういうのがポロっと聞けるのは面白いんだけど、店舗の立地状況などによっても若干左右されるかなあ、とも思ってしまう私の心はきっと歪んでいる
立地としては、中学校とか高校だとかが割と近めにある街中の店舗だねー。うちは。そういうのも関係しているのかもしれない。
>fukken:素材集はこれの事かな http://ichiba.nicovideo.jp/item/azB003LJ3E78 // 広く普及させる一般音楽と違い、アニメCDは借りる層を少なく、買う層を増やす方にマーケティングしてるから、なような
あー、それだそれ。-ニコニコ動画公認-「ニコニコサウンドマーケットvol.1」 それ絶対に借りる人いねーだろうなーって思っていたら、借りる人いるんだもんなぁ。びっくりしたよ。
そこらへんの販売からめた話は俺は専門外になるのでわからんなぁ。ごめん……レンタルならそれなりにはできるんだけどね。
>mori-tahyoue:私も、コメントする人とレンタルする人はあまり一致してないと思います。完全に憶測ですが。
だよねー。俺の勘違いだわ。そこらへんのデータとかあるのかな。コメントしている人の性別だとか。
そういうデータがあったら面白い気がする。ネカマだとかネナベが増えるだけかな。
>lifespiel:「顔がぼっと赤く燃え上がってた。可愛かった。」 役得すぎるぞっ☆
さぁ、いますぐ履歴書をレンタルショップに送るんだ!店員が忙しそうに走り回っているレンタルショップはだいたい人員が足りていないから。
>chroju:近所のTSUTAYAにもいつの間にか「ニコニココーナー」が出来てた。それなりに需要あるのかね。
へー、コーナー作ったりするとこもあるんだ。知らなかったなぁ。それなりに需要があるのは間違いないよ。今の所は。だけどもね。
今後、どうなるかはわかんない。
>ripple_zzz:役得やのう。
>memoclip:ふむふむ 買ってる層も似たようなものなのかな。アニメCDはそもそも存在が認知されてるのだろうか。。
うーん。アニソンとしてはコーナー作っているから、そこに入れば一発でわかるようにはなっているんだけどね。けいおん!の認知度は高いかも。他のお店に行った時、ガールズバンドの1つとして普通に混じって入れられてたりしたから。
>nzai:女性のほうがよく借りていくとは/
アルバイトするまでは思いもしていなかったのでこれを書いてみた。
>neko73:コメントで買うから借りないって人がいるね。20代が多いというのはそういう面もあるか。
なのかもねー。ここらへんはまったく考えてなかった。そういわれればそうだもんなぁ。買う人もいるもんなー。
>男の方はレンタルじゃなくて買ってるのではないかという予想も。
http://twitter.com/kanai_fx/statuses/44575451695427584
うん。そうだy(以下、同じことの繰り返し
>20代じゃない私も先日借りてきた。こちらとしても、ニコ動関連商品の棚が作ってあってびっくりした。
http://twitter.com/ikotto/statuses/44594556297154560
棚を作っているところは作っているんだなぁ……
>30代ここにいるぞっ!30代はレンタルより購入かも?私もジミーサムPや40mPは、応援の意味からも購入してます。
http://twitter.com/y__yuuki/statuses/44648346949922816
ふむ、なるほどなー。一応レンタルでも著作権者にお金は行くようになっているのでみんなもどんどん借りてね!そして、俺の時給もっとあがれ。
>男はキモオタが多いと。俺ら乙。
http://twitter.com/amasnad/statuses/44684596897513473
いや、キモイっていうかなんとなくわかるなーって感じなんだよね。決してキモくは無いよ。ここらへん書き方悪かったなぁ。ごめん。
http://twitter.com/majority4869/status/44759355635142657
いや、そういうお客がいないってわけではないんだよね。ただ、俺が思っていたよりも少ないなぁっていう。
http://twitter.com/akaishimamorudo/status/44731987847675905
そうなのかもねー。イナズマイレブンとか、ちょっと古いけど韓流とかすごかったよね。
http://twitter.com/L_eLL83/status/44694120962330624
お、同意はありがたいなー。やっぱり、他のお店でもそうなんだなー。
http://anond.hatelabo.jp/20100515024144
元増田です。なんか呟きのつもりでかいたら大変なことに。
とりあえず話はかなりまとまった感じです。
悪意有る傍観者として「リア爆死しろ」「破廉恥です><」とか言っておきます。
彼女職持ち
子供出来ちゃってた(弟知らんかった)
彼女自身は弟の考え寄りだとか。悪意有る解釈で正直すまんかった。
はらますとは・・・弟しねばいいとおもうよ!
ただし親が旧家で強いので親のいうままって所。
増田的には結婚式と縁遠いので妄想で色々のたまった点がまずかった。
友に聞いたら普通は相手と同じくらい結婚式は出席者ださないといけないんだと。
・・・でも相手が何人でもおkってことならってことで弟サイドは10~20人の予定。
これは家族総意で。
「非常識と言われても関係ないし」
親戚10人、あとは家族と友達数でって感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20100515024144
舐められてるという考え方があったのか!参考にします。
弟と彼女は⑤で対立してるらしい。
彼女は仕事(地元から離れられない職種)も子供も取りたいから実家近くに居続けたい。
弟は二人で子育てしたい。旧家な実家の影響下に居たくない。通勤や子供の教育考えたら首都圏。
あー、こういうことって別れの原因になるよね。
本人は口に出さなかったけど、私が指摘したら一番痛いところ気付かれたわwと白状した。
親も気になってたみたいで、
(※家族とはどちらかのサイドの影響下の元に居るべきではなく、どちらの影響下にもない場所で独立してあるべき派。
うちの両親駆け落ちで子育て二人でやってきたから母親は、彼女の家の側でという気持ちが分からん模様。
親からも
を条件で伝えるつもりはあるらしい。
弟曰く彼女は、うちの母親みたいに何もなくたって二人で子育て出来る!ってのを知らないそうで
その辺を彼女と会った時に母親から話して欲しいんだとは言ってた。
彼女の、子育ては父母のみでは不可能で祖父母の協力必須という考えを変えさせたいと。
本人もそれは自覚してるからいいんでない?
◇子育ては祖父母までの協力無しに出来る出来ない論はここでは触れないでくれw
私はどちらも分からんから。
うーん。どうなるか分からんしなんともいえないけど
・・・弟は一度彼女の方へ行ったら首都圏に戻ってこれないと思うよ。
戻るには離婚するしかないんじゃね?
勿論親にも弟にも言わないけどここではぶっちゃける。
自分は家族会議とここでgbgb言ってるだけで、相手と一切係わらず口出しもせずスルーしてるんで安心を。
小姑とかいうけど今だ彼女の名前覚えてない程興味ないから問題ないとは思う。
ヒキ体質、出来れば人と係わりたくないんで親戚付き合いとか勘弁・・・気を使わないでスルーして欲しい。
好きでも嫌いでもないが、彼女はいい子だと思う。
あと、残念だがちょうそかべじゃないw
とうとう身内から犯罪者が出ちゃったよ。妹。
今年に入ってから引っ越したんだけど、引越し前と引越し後の両方でやってた。盗み。
引越し前は、かなり派手にやっていたらしい。
妹は最初は否認していたが、証拠があるといわれてしぶしぶ認めた。
ダンナは出張から飛んで帰ってきて、子供をうちの親に預けて、謝罪行脚だそうだ。
子供がまだ2歳なのが救いといえば救いかな。まだ記憶に残らないだろうから。
実は、妹が小学生のころ、近所の子から金品を巻き上げていた。私じゃなく妹が。
学校生活に補助がいるような子を相手に、脅してお金や家の物を持ってこさせてた。
脅してたのを隠蔽するために、直接接触しないで受け渡しをすることまで考えてた。
相手が「今回だけは許します」って言ってくれて、警察沙汰にはならなかった。
発覚したとき、しらばっくれていたんだけれど、最後には認めてふてくされた。
親は土下座したんだけど、本人は頭押さえつけられて謝ったくらい。
だから、いつかまた何かやるだろうなぁとは思っていた。
予想ではもっと早く起きるだろうと思っていたが、案外もったと感心してる。
でね、ここまでは想定の範囲内だったのでいいんだけれども。
(身内に犯罪者はよくないけれども)
親が泣いて責めるのさ。
「あんたがちゃんと見てたらこんなことにならなかったのに!」って。
実家と妹の家の距離、せいぜい1kmかそこらだよね。隔日で通うくらい近いよね。
無茶言うなとなだめたのだが、相手はヒートアップするばかり。挙句の果てに、
「だってあんたお姉ちゃんじゃない!」
↑これはこういうときに使うんだと心の底からわかった。
お姉ちゃんは妹のことを全部把握してなきゃいけないらしいですよ。
たとえ30km離れていても。妹が三十路を超えていて結婚して子供がいるとしても。
そろそろ本格的に縁の切り時なのかもしれん。
東方界隈で時々言われている「東方をシューティングとも知らないニコ厨うぜえ」と言う者がある。原作を良く知らないのが暴れまくっているという見方である。でも自分の経験だと東方関連で動画がトラブった場合の殆どは「シューティング」関連なんだよな。だから「ニコ厨はシューティングとしての東方を知っているが故にトラブルになりやすい」のではないかと思う(もしくは古くから知っている人もそうかもしれない)。で、時々問題になる「無関係の動画に東方コメが沸く」というものはこれに関連しているのではないか?例えば御三家を連想させるものを挙げると
アイマスの場合は「無個性」「穴掘り」「眼鏡」「年増」「巨乳」「貧乏」「凸」「お嬢様」「沖縄」「ゆとり」というキーワードからはアイマスを連想する事は不可能。キャラを特定するには一般的すぎる概念だからだ。アイマスを連想させるには可愛い子が3DCGで踊らなければならない。もちろん可愛い子が踊るゲームというのは他にもあるが、動画視聴者は「可愛い女の子が踊る」というコンセプトをわかって見ているので、誰かがアイマスを連想したコメントをしても想定の範囲内で収まる。
VOCALOIDの場合はどうだろう。ただのアイスを扱った動画にKAITOファンらしき広告を出すという話は聞いたことがあるし、レスリングシリーズ関連でも餡掛けチャーハンの料理動画が被害を被っているのは知ってるがその他に「無関係の所に沸く」というのは考えにくい。ボカロがカバーして原曲動画に視聴者が逆流するのは「無関係」とは違う問題だしな。
前の2つと比べると、東方を連想させるのは非常に容易である。上にあるのは全部自分が見た「東方とはこれっぽっちも関係ない動画」に東方を連想させるコメが沸いた対象である。つまり「敵が弾を沢山出す」ものは全部想起の対象となりうる。例えば「ジョジョの奇妙な冒険」のゲーム版では「スティーリー・ダン」との戦いがシューティングであるが、縦シューでもないし、弾幕を見せるタイプでも無いのに連想コメントが多い。4部の主人公の苗字も関係しているのかな。「I Wanna Be The FanGame」の場合はシューティングですらなく、でかい顔のバケモノが画面狭しと動き回り弾を吐いているだけである。
もしニコ厨が「東方はエロゲ」という認識ならば、シューティングなんて知ったこっちゃないのだから弾を見ても東方とは思わないだろう。むしろ「ノーマルノーコンしなければにわか」とか言う圧力にかられて、やりこんでる人が多いのではないのだろうかと思う。
(サッカーの新規ファンが、古参に「ミーハーうぜえ」と言われ、知識の詰め込みに励む構図と類似)
そのやりこみの過程で会話シーンはスキップされキャラの印象は薄れ、「弾=シューティングの東方」の刷り込みが繰り返され。弾が発射されると何でも東方に見える人が増えてきたのではないか。弾を吐く敵が出るたびに東方をNGに放り込む作業をしている自分はそう思う。
あまりにナニが大きすぎて困る話はたまに聞くけど、「中途半端に」困る話はあまり無いので、ニッチな
需要(あるのかそんなもの)を狙って書いてみる。
俺は、「中途半端に」チンコがでかい。自分の場合、長さは平均程度で、問題は太さである。
リアルでこういう話をすると、たいてい「ふざけんな」とか「自慢かよ」となって話が進まない。なので、こういう増田しか書くところがない。需要とか書いたけど、要は自分が発散したいだけ。
まず、「中途半端にでかい」とは具体的にどれくらいか。
センチメートルとかいった長さだと、あまりイメージがわかない。というか、正しく測定できている自信が全くない。だから、もっと現実に即して説明してみよう。
現在、日本で一般に流通している日本製のコンドームで最もサイズが大きいのは、俺が知る限り、不二ラテックスの「シャポーウルトララージ」とオカモトの「メガビッグボーイ」だ。両者に微妙なサイズの差はあるかもしれないが、この2つがほぼ並んで一位だ。この2種なら、普通に使える。その一つ下のサイズ、すなわちオカモトの「ビッグボーイ」だと、使えるけれども少し窮屈かな?という感じである。
要は、日本の企業が作ったコンドームが普通に使えるというとだ。日本人として、平均よりは大きいにしても想定の範囲内だ。商売が成立する程度の市場は存在しているわけ。たぶん。(ちなみに、これらのビッグサイズのコンドームは、ドンキホーテには高確率で置いてある)
女からみてわかりやすい基準で言うと、身長が160cmくらいの、普通の体格の女の手首の太さだ(と思う)。平均よりデカイが、巨根でネタにするほどデカくはない。中途半端である。
さて、ここからが問題であって、このサイズに対する女の反応はどうか。今までに自分がお手合わせを願った女性は、彼女と、その場のノリでヤッた女性と、(恥ずかしながら)プロの女性を合わせて10人である。内訳は、
と、女性の体格・個人差によって反応が分かれる。ちなみに、プロの女性でも1人は不可であった。まぁ敵前逃亡は別に原因があるような気がしなくもないが、一応、ナニを見ての反応ということでカウントする。
というわけで、たとえば無作為に女性と行為に及んだとすれば、3割強の確率で挿入不可である。はっきり言って、この割合が多いのか。少ないのか。いや、大きいのか。小さいのか。どうなのか。よくわからない。世間に存在する「巨根コミュニティ」の中で言えば、小さい方だろう。逆にいえば、半分以上は行為成立するだけ、彼らから観れば「普通」で「幸せ」である。というか、全く問題のないという女性も一定数いるわけで、彼女らにとてみれば、別にどうこう言うほど大きくはないのだ。
おそらく、「余裕で受け入れ可能な女性」 と 「受け入れ不可の女性」 が混在する、絶妙のゾーンなのであろう。
だから、「挿入らない」という約3割のリスクを抱えつつ、しかしながら開き直ってネタにするほど大きくはない。例えば、飲み会等でカミングアウト(?)して、「大きいのが好きな子を紹介してよ」と言ったとする。仮に、その話を聞いてやってきた女性がいたとして、おそらく彼女にとっては期待ほどではなくやや失望なのである。
と、グダグダした文章になったしまったが、別に何か解決策を探しているわけでもなく、具体的に何か相談しているわけでもなく、書き散らしただけである。
街でミニスカの女の子みかけたら、当然のように盗撮する癖がついちまった。
撮影できそうなチャンスがあれば見逃すなんてことはなくなってしまった。
というか、女性をみるとき、盗撮できるかどうかってことがまず頭に浮かんでしまう。
初めて撮ったときは緊張、罪悪感、興奮で心臓はどきどき、身体はがくがくと震えたが、今となっては息をするようにシャッター押してる。
単に性欲だけの問題じゃないんだ。
自分もいい年だから女性の下着くらいは合法的にいくらでも見たことがある。
だから、どうしても見てみたいってわけじゃないし、実際撮影したところで写ってるものだって想定の範囲内の布切れ。
盗撮がばれて絶体絶命のピンチに陥ったこともある。
こんなこと続けてたら逮捕されて、社会的信用も家族や友人からの信頼も全て失ってしまう。
もちろん、被害者に対する罪悪感もある。
もう止めたい……
でも、しばらくしたらまた盗撮スポットに出没するようになるんだろうな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E9%87%8E%E7%97%85%E9%99%A2%E7%94%A3%E7%A7%91%E5%8C%BB%E9%80%AE%E6%8D%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6
癒着した胎盤をはがすために、問題となったK医師は、手だけではがすのが無理だったためクーパーというはさみを使って胎盤をはがしたと裁判で認定されている。
クーパーについてはこちら→http://or-nurse.seesaa.net/article/16049277.html
しかしこのクーパーの使い方について、K医師の供述は、裁判に入る前はクーパーの刃で胎盤を切ったと供述していたのを、法廷では胎盤をはがすためにクーパーの背を使ったと変更している。
また、胎盤の癒着の状態についても、裁判前には、子宮摘出にふみきらなければならないような(重度の)癒着の仕方をしていたと供述していたのが、胎盤の剥離を最後まで行ってから止血を行えばよいような(軽度の)癒着であったと、供述を変えている。
→検察は、K医師の当初の供述に全面的に依拠していたため、これを否定されて手も足も出なくなってしまった。
ちなみに、K医師の供述のうち、どちらが正しいかについては、剥離された胎盤を見ればわかることであるが、胎盤は破棄されてしまっており、確かめる術はない。
子宮を摘出するのではなく、胎盤の剥離を最後までおこなってから子宮の収縮を利用するなどして止血する方法では、ある程度出血することは想定の範囲内であった。
しかも、本件における被害者は、帝王切開経験のある前置胎盤であったことから、大量出血の可能性を医師、看護師、助産師が感じていた(その証拠に、K医師自身もあらかじめ他の複数の医師に途中で止血のため人手が必要になり応援をたのむかも、と伝えている。しかし実際に当日応援を要請することはなかった)。
一方、事件の舞台となった病院は、血液センターから50kmほど離れていた。
このことから、手術前に助産師が血液センターにもっと近い病院に転院させてはどうか、と進言している。しかしK医師は「大丈夫」といってこれを退けている(仮に輸血用の血液を大量に準備し、余らせてしまうとそれは廃棄しなくてはならず無駄になってしまう)。
結局、手術中に準備していた輸血用血液では足りず、患者は1時間20分~1時間半ほど輸血ができないままであった(被害者が亡くなるまでの出血量は20,000リットル以上)。